乱らん鳥ちょ図うず
都は紅葉しかけている。 高尾も、鞍馬も。 その日、二条加茂川べりの水すい鳥ちょ亭うていは、月例の“文ぶん談だん会かい”の日であった。 流れにのぞむ広間の水すい欄らんには、ちらほら、参会者の顔も見えはじめ、思い思いな水鳥の群れに似た幾組かを、ここかしこに作りあっていた。 ﹁いいなあ、秋の水音は﹂ ﹁肌ごこち、なんともいえぬ。河原は昼の虫の音だし……﹂ また、べつな組では。 ﹁――今日は、何人ぐらい集まろうかの﹂ ﹁いや、ほとんど洩れはあるまい﹂ ﹁触ふれ状じょうでは、久しく見えなんだ俊とし基もと朝あそ臣んも、今日はお顔を出されるとか﹂ ﹁それよ。何ぞの報告もあるにちがいない。長い忍び行脚から、両三日前、密ひそかに、帰邸しておられたそうだから﹂ かかるうちに、追々、参加者はふえていた。 ――顔ぶれを見ると。 尹いんノ師もろ賢かた、四条隆たか資すけ、洞とう院いんノ実さね世よ、伊達ノ三さん位み遊ゆう雅が、平ノ成なり輔すけ、日野資すけ朝とも。 僧では、聖しょ護うご院いんノ法ほう印いん玄げん基き。ほか数名。 また武士側は、足あす助け次郎重しげ成なり、多た治じ見み国長、土とき岐さこ左んよ近り頼か兼ねなどの十数人。 さらに、儒者とも医師ともみえぬ者も、交じっている。 要するに、この文談会の趣旨というのは。 僧俗貴賤の階級も問わず、ただ文雅に心をよせ、好学の志を持つものを以て集まる――というのであったから、この玉ぎょ石くせ混きこ淆んこうも、ふしぎではない。 そして、自作の詩文を評し合い、また、時代の新思想とされている宋学を論究したり、時には、当代の泰たい斗とを招いて、その講義を聴く――というおそろしく、まじめな会でもある。 が、それは表面の標ひょ榜うぼうにすぎなかった。――この中の武士にも公卿にも、およそ六波羅や、幕府方に信用されている人間は、一人も見あたらないのをみても、それはわかる。 ここの会場水鳥亭も、たれの館やかたでもない。むかしは、奢おごりを謳うたわれた大おと臣どの別荘であったというが、住みてもなく荒れていたものを、一おと昨と年しごろ手入れして、以来月々の“文談会”の例席としてきたに過ぎない。 だが、会合も、回をかさねること、すでに二十たびをこえ、そのつど顔ぶれもふえ、またさかんになるに従って、会後の婆ば娑さ羅らな無礼講の遊宴も、いつか常例になっていた。 無礼講は、無礼問わずである。 僧は僧衣を外はずし、武者は烏帽子をかなぐり除けて肌をぬぎ、公卿も冠を床において、飲む、歌う、舞うの徹底的な快楽をつくすのだった。 これには、近くの堀川や六条あたりから、白しら拍びょ子うしや遊女など二十余人も来て興をそえ、加茂川の瀬に朝月のかたむく頃まで、なおまだ、乱痴気な灯影や人影が、水亭の簾にさんざめいていることすらあった。 なにしろ、妙な会である。 時流的なばさら遊びが目的の会なのか。学問討論が中心か。それとも、これは偽装で、べつに意図するもののある秘密の結社なのだろうか。 ほどなく、人々の間に、 ﹁お。見えられた﹂ と、ささやきが流れ、水鳥亭の広間には、この秋の日に、さらに一色彩を加えたような明るさがうごいた。 ﹁やあ、遅くなりました﹂ 声も、ほがほがと、よく透とおる。 見れば、いま遅おくれ走ばせに会場に入って来た凛り々りしい若公卿がある。 眉目清秀とは、この人のことか、年ごろ二十七、八。いやいや、そんな風采を、再びここで述べる要はなかった。読者は思い出して欲しい。 かつて高氏が、忍び上洛の帰途、淀の川舟のうちで乗り合せた一見すこぶる異彩な若公卿があったことを。 後日には、高氏も名を知ったが、あの淀川舟で、乗合いのちんぴらどもをたしなめ、彼らの杯で酒を痛飲しあったり、また、船中の男女の徒つれ然づれをとらえては、時世を慨嘆し、りんりたる弁で演舌したなどの行為は、まことに公卿にも似合わしからぬ態だったが、その人こそ、今日の“文談会”に姿をみせた、この前ノ大内記、日野蔵人俊基なのだった。 ﹁おそかったの、蔵人どの﹂ ﹁みなもお待ちしていた﹂ ﹁さあ、これへ﹂ さきに集まっていた面々は、日野資朝、花山院、伊達、洞院の諸卿など、いずれも蔵人以上な官位の者だったが、ここでは席次も問わず、 ﹁今日の集まりは、一に其そこ許もとのおはなしを聞くにある。評議もまた、それからの上でといたそう。いざ、人々もみな、座をここに寄せられい﹂ たちまち、欄らんの方に分れていた武士の組、僧そう形ぎょうたちの組、ほかすべても、日野蔵人俊基をめぐって、その左右に、大きな輪となって居流れた。 一同、かたずを呑みかけると、俊基は、ちょっと眉をひそめ、 ﹁……あ。どなたか﹂ と、東山に面している水欄の方を指さして、 ﹁対岸から、ここの内が見えるはずもないが、なんとなく、気が散りますな。そこの縁の簾すを、みな垂れ籠めてくださらぬか﹂ ﹁いかにも﹂ 土岐左近が立って、そこの簾八枚とも、みな垂れて、座にもどった。 俊基はまた、武士の多治見国長や、足助次郎を見て言った。 ﹁いつも、定じょ会うかいの折には、この家の五町四方の辻立ちや、また物見の用心は、すべて各方の手におまかせしてあるが、今日もお抜かりはなかろうの﹂ ﹁お案じなく﹂ ﹁裏の河原のあたりも﹂ ﹁御念にはおよびませぬ﹂ ﹁……ならば安心﹂ 若いが、あらわにも、盟主の風をみずからゆるしているかのような俊基だった。 志士的な語気、多感らしい朱しゅ唇しんや、きらきらする眼。 それに宋学の造ぞう詣けいもふかく、よく下情に通じ、時局にたいしては、つねに鋭い批判を持ち、またその献策もしばしば用いられるなど、天皇後ごだ醍い醐ごのおたのみはたいそう深い。――で自然、堂上の若い層を牛ぎゅ耳うじって、その先駆者をもって、みずから任じているのも、道理とこそは思われた。 一味の公卿には、日野姓が二人いる。 日野蔵人俊基と、もうひとりは権ノ中納言日野資朝だ。 資朝の方が、身分も上だし、年も二つ三つ上だった。系図上では一族だが、近親ではない。風貌も一方の水際立った美丈夫なのにひきかえて、彼はやや猪いく首びで固肥りなうえ、色浅黒い鈍重そうな人物だった。 また、寡かも黙くである。 いつも、同姓俊基の余りに切れ味のよすぎる弁舌を、危ぶむように、眉ごしに、じろ、じろと見ては、猫背ぎみに、物を案じているといった風。 が、世間では二人を、 “日野の双輪” と、称よびならべて、いずれも、現天皇の寵臣として、兄けいたり難し弟ていたり難き者と見ていた。 兼好法師の“徒つれ然づれ草ぐさ”には、この資朝の人ひとと為なりを、こんな風に、時じじ人んの聞き書きとして随筆している。 ――ある時。 西大寺の静じょ然うねん上人が参内した。腰はかがまり、眉は雪かと白く、まことに高徳の僧らしくみえた。折ふし、西園寺ノ内大臣実さね衡ひらが見かけ、﹁あら、尊や。老いの清すがしさ﹂と三礼らいした。 するとまた、ある日。若い文もん章じょう博士の日野資朝︵以前、彼は文章博士だった︶が、西園寺内大臣の眼の下へ、一匹の老いさらばえた汚い痩せ犬を曳いて来て、こう皮肉った。﹁どうです。これも、あら尊や、と申せませんか。何と、毛の禿はげチョロけた鼻面なども、老いの清すがしさと、御賞美にあずかりたそうな顔しているではありませんか﹂ ――彼の挿話は、も一つある。 京極ノ為兼が、武家の迫害にあい、六波羅武士の手に捕われて曳かれた日、人ごみの中で見ていた資朝は﹁……何も一生、世にあらん思い出には、いっそ、かくもあらま欲し﹂と、傍若無人な言を吐いて立ち去ったという。 彼の倒幕の誓いは、このとき腹にかたまったものだといわれるが、いずれにしても、寡黙のうちに嘲風をふくみ、骨の髄からの闘志と反骨の人だったことは、疑いない。 また、年下の日野蔵人俊基にも、こんな一話が、巷間に伝わっていた。 彼が、検け非び違い使しの前職にあった頃とか。 遍へん照しょ寺うじの僧が、近くの広沢の池に遊んでいる雁がんの群に、よく餌をやっていた。 鳥を愛するのかと思うと、そうでなく、折々、庫く裡りで鳥を煮る匂いがする。鳥肉が食いたくなると、坊主は餌で釣って、堂内に雁をおびき入れ、急に戸を閉めて、羽バタキ荒々と啼き騒ぐ中で、これを何十羽となく叩き殺す。 村民の訴えで知った俊基は、ただちに、坊主どもを搦からめ捕り、坊主たちの頸くびに、雁や水鳥の骸むくろを懸けさせて、市中引廻しに処した、というのである。破戒、無慈悲な僧どもは、人中でさんざんな目に遭ったという。 この日野俊基、まえの資朝。いずれも、従来の古い公卿型ではない。そんな行為のうちにも、革命者たるの素質がすでに窺うかがわれる。 いや、現朝廷に仕える若い朝臣のあいだには、およそ現代の公くげ卿か気た質ぎともいえるほどな、おなじ鋭気をもった青壮年が多く見られた。――日野資朝、俊基の双輪は、いわばその代表的な者だったといってよい。 簾をたれ籠めた水鳥亭の欄にいつか夕陽が翳かげり出す。 この日の“文談会”は、ほとんど日野俊基の木曾、北陸、東国にわたる旅の報告で終始した。 忍び遊説ともいおうか。従来も日野資朝や、一味の若公卿は、身を山伏にやつしたり、医師雑ぞう人にんに姿を変えて、諸地方へ潜行をこころみてはいた。 ひそかに、世情を視察し、また辺土の反北条武族を見とどけ、もし、朝廷への加担確実な者とみれば、これを説いて、他日の約を、極秘にむすんでおくためであった。 しかし、北条勢力の堅密な北陸、東国などへ、大胆な足をのばした者は、これまでのところ、一人もない。 それだけに、人々は、大きな期待を彼によせていたし――また俊基の報告も、多くの者の希望を、がっかりさせはしなかった。 ﹁諸国、何いず地ちへ行っても、眼には見えぬが、幕府への不平は、いたる所の疼うずきと申してもまちがいはない。一朝、鎌倉の変か、朝廷の令でも仰げば、郷をあげて、北条治下のきずなから離れんとしている輩やからは、地にみちておるものと観て来ました﹂ ――述べ来って、彼が、ちょっと息をやすめたときだった。 座中のひとり、三位遊ゆう雅がが反問した。 ﹁それは、蔵人殿の足跡の多くが、天皇領や院ノ御領なので、みなさように口を合わせるのではないかな。思うに、地方の武士どもは、かつての承じょ久うきゅうノ乱なるものを、今もなかなか忘れはおるまい。――あの乱で、宮方へ与くみした武族は、以後ことごとく、末代まで浮かばれぬ破は滅めに落ちてしもうた。それゆえ、現朝廷の内々のおぼしめしを伺うても、またぞろ、承久の轍てつを踏んではと、俄に起ちもせぬのではなかろうか﹂ ﹁いや、逆です﹂ 俊基は、口をにごさない。 ものを曖あい昧まいに言い濁さぬ態度こそ、大勢の心理を引きつけてゆくうえには、もっとも大事な指揮者の秘訣たることを、よく心得ているものらしく。 ﹁――御懸念は、無用といえましょう。なんとなれば、仰せの承久ノ乱は、すでに百年の昔。御みこ心ころあえなく、後鳥羽上皇すらも、隠岐ノ島へ流され給い、宮方は武士の末まで、時の北条氏のため、さんざんな目に遭いましたが、その敗戦のみじめなど覚えている子孫は今では一人もおりません。――ただ、百年すぎても、まだ浮かばれぬ不遇と不平がそこにあるだけです。ゆえに、必然、彼ら承久以来の落ちぶれ武者の子孫は、現状にあまんぜず、事こそあれと、つねに世の変動を望んでおるものと、私には考えられる﹂ ﹁……むむ、いかにも﹂ 多くの顔がうなずいた。彼の明快な理論に、聞くも酔い、彼自身も酔っている観があった。――が、人々はそのとき、何かにぎょッとした容子だった。 かねて、警戒のため設けておいた鳴なる子こが、水欄の辺で、とつぜん魔の笑いみたいにカラカラと音を立てたからだった。 ﹁すわ﹂ と、白けわたる一同の顔を措おいて、俊基は、 ﹁足助︵次郎︶。観てまいれ﹂ と、すぐいいつけ、それから、静かに微笑して見せた。 ﹁ここへ六波羅者の近づきうるはずはない。立ち給うな、立ち騒いではまずい。そのまま、そのまま﹂ 出て行った足助次郎は、すぐ席へもどって来た。 息をつめていた面々も、彼の平静な物腰に、まず胸をなでおろした態で。 ﹁足助、何の知らせだったのだ。いまの鳴子は﹂ ﹁大事はございませぬ。河原に立たせておいた見張の一名が、近くに怪しき男の徘はい徊かいするを見かけ、慌てて鳴子を引いたものと申しまする﹂ ﹁なに、怪しい男が﹂ すぐ一同の神経は戦そよぎあって。 ﹁して、その者は?﹂ ﹁ただちに、ほかの数名が、追ッかけましたなれど、つい捕えそこねた由でござりまする。が、六波羅者でもなさそうなとのこと﹂ ﹁とは申せ、何やら、安からぬことではあるの﹂ 消えない動揺のいろを見て、日野俊基は、言い出した。 ﹁いや、折もよしと申すもの。あらまし、御報告はすんだ。ここらで、いつもの無礼講へ移るとしようではないか﹂ ﹁それがよい﹂と、二、三はすぐに同調した。﹁――その怪しい男が、万一、六波羅の放ほう免めん︵密偵︶でもあったら、なおさらのことよ。例の遊宴に阿呆を尽して、文談会の世上の聞えを、人に紛まぎらわすが何よりの策﹂ ﹁だが、約束の妓おんなたちは﹂ ﹁灯ともし頃には揃うはず。秋の陽の落ちるも早し、とこう一酌しゃくしておるまには﹂ 酒は鮮やかに気をかえる。 配膳となると、偽装にかくれた安心感も手つだって、席上の景から、人々のことばの軽さまで、さやさやと一変した。そしてもう、お互いの冗談や笑い声すらわいてくる。 そのうちに、烏丸ノ成輔が、 ﹁はて。ここの膳には、いつまで、人が坐らぬと思うたら、大判事章あき房ふさが、いつのまにやら見えぬではないか﹂ と、いぶかり出した。 ﹁いやなに﹂と、酒の運びに手をかしていた武者の一人が。 ﹁ついさっき、大判事どのは、俄な御腹痛とか申されて、先に一人お帰りでござった﹂ ﹁……無断でか﹂ 無口な日野資朝が、にがりきって、杯をふくむ。――それを横目に、日野俊基は、からからと笑っていう。 ﹁章房は、ちと変屈人よ。毎回の無礼講でも、みなは冠、烏帽子も放ち、ぞんぶん赤裸をみせるのに、彼のみは、冠かぶり物も脱とったためしがない。妓たちには、木ぼく石せき様さまとアダ名され、いつも面白くなさそうだった。帰ったのなら、帰ったでよい。何せい木石様のことだ。仔細なし、仔細なし﹂ そこへ灯が運ばれて来る。 燭台の一つ一つは白い手に持ち捧げられていた。君立ち川、六条などの遊君や白拍子たちだった。月例、欠かさぬ二次会なので、馴じみでない客、馴じみでない妓はない。 ﹁やあ万珠、ここへまいれ、ここへ﹂ ﹁やよ、篠しの笛ぶえ。そちらの酌が先とはどうしたわけ。さきの後きぬ朝ぎぬを忘れてか﹂ 灯は新しく、酒は美味い秋の宵である。まだ無礼講も序の口なのに、どんなわるさを始めたのか、はやくも、片隅の方では、きゃっと、くすぐッたげな嬌笑が流れるやら、杯の満をひいて、朗詠を吟じ出す者などあった。 小膝を銅どび子ょうしがわりに叩いて、朗詠を吟ずるなどは、まだまだお上品な方。 ﹁法印。得意の猿さる楽がくはまだかの﹂ ﹁それよ、いつものお道ど化けを見せ給え﹂ ﹁所望、所望﹂ すると、聖護院のなにがしと、日頃は、もっともらしい名めい聞ぶんもある一僧が、 ﹁さらば罷まからん。ご所望、もだし難がとう候えば﹂ 立ち際からの狂言ぜりふで、すぐ丸裸となり、宴のまん中へ這い出して来た。 人々はもう腹を抱えて、 ﹁うまいわ、夜這いの法印﹂ ﹁法印は、夜這いも、仕馴れており申せば﹂ やんやと、弥次る。 黄いろな褌ふどし一つの裸僧は、暗がりの人妻の閨ねやを、手さぐりで窺うような所作よろしく、構へて
二タ夜は寝にけるわ
真夜中に
逃げけるわ
――
わざと褌ふどしの尻尾を長く垂れ曳いて、裸僧はクルクル舞を踊りぬく。
すると、遊女の一人が、褌の端をつかまえて、引っくり転かえす。法師は大ゲサに蛙かえ腹るばらを仰向ける。満座はとたんに、爆笑となって、高たか坏つきが仆れるやら、その隙に、目ざす妓を抱えるやら、そろそろ、無礼講らしい。
武士は武士で、これまた見かけによらぬ芸を出す。公卿はもとより隅におけない。すべて男性には、こんな半面もあってこそ、まことの男性、まことの人間なる者であると、自他共に、誇っているかのようである。
催馬楽、田楽、諸国のひなぶりなど、およそ毎会ここでは出つくしていた。古今、宴会芸術の芸統には、そう時代の違いもないらしい。その頃流行った“蝦えびすくい小こど舎ね人り”は後のどじょう掬すくいだし、遊女や白拍子のする“屏風隠れ”も“住すみ吉よし拳けん”も、また男の赤裸趣味や社交性とひとしく、数百年の変化もない。
――が、偽装とはしていても、文談会のこの雰ふん囲い気きは、誰も嫌いではないらしい。しいて探せば、腹痛といって先に帰った大判事章房ぐらいなものだろうか。
それと、もひとり、日野蔵人俊基だった。
いかに辺りの杯盤が崩れだしても、彼のみは、その志士的行儀をくずしていない。
﹁土と岐き。一つ酌ゆこう﹂
と、土岐左近をつかまえて、ほかの痴ちげ言んわ猥い歌かもよそに。
﹁この頃、近江の若入道はどうしておるな。ここ消息もないが﹂
﹁佐々木でおざるか﹂
﹁さればよ。御辺がひどく惚れこんで、以前、身の館やかたへも連れてみえた道誉だが、どうもあの男、二た股者ではあるまいかの﹂
﹁いや、さような惧おそれは、ゆめ、おざらぬ。消息なきは、夏の初め頃より、鎌倉表におるためと思われまする﹂
﹁はははは﹂と、俊基は手の杯を、左近へ与えて﹁どうやら、土岐は少々、あの若入道に、まいられておるそうな﹂
﹁これは、心外な﹂
と、単純な彼は、すぐムキな顔になった。
﹁一朝のばあいには、近江の要衝を占むる佐々木の向背こそ大事との仰せに、拙者が心をくだいて、お親ちかづきまでは計ろうたものの……そもそも、彼に秘事をお洩らしあったのは﹂
﹁いうな。それやこの俊基だったにちがいない。だが、その後、いささか悔いておるわえ﹂
﹁はて。なにゆえ﹂
﹁東国の旅中、よく小耳にはさむところでも、佐々木道誉の聞えは、余りに評判がよすぎるようだ。交つき際あい上手な男らしい。かつは裕福であり、何の不平が、鎌倉にたいしてあるか﹂
﹁あるのです﹂
﹁ある?﹂
﹁近江源氏といえば、頼朝公の創業下における第一の功臣。その家柄でありながら、末代、北条ずれの下かふ風うにあるのは、快こころよからずとしておりましょうず﹂
﹁それや、足利にせよ、新田にせよ、おなじことがいえるわ。ひとり近江の佐々木のみかは﹂
﹁が、執権の暗愚をみて、幕府久しからずと、取って代らんとする同様な武門は、なお世上にはありましょうとも、富力、地の利、それに人望。たとえば、あのような器量をも、あわせ持っている大名といったら、まず佐々木を措いては他にありますまい﹂
﹁それもそうよ。……みんな頼朝になりたいのだ。北条に代って、鎌倉の開祖頼朝なるものに、なってみたいという野望が彼にもある。足利にもある﹂
﹁足利とは、あの高氏と申すあばた冠かじ者ゃのことで﹂
﹁さよう﹂
﹁わははは﹂と、吹き出して。﹁あれや、馬鹿でおざるよ﹂
﹁どうして﹂
﹁かつて、伊吹の城で、見とどけておりまする。家柄こそは、正しい源家の裔えいといえますが﹂
﹁いや先年、淀の川舟でちらと見たが、どこか茫漠としたあの面つき、また、捨て難い﹂
﹁拙者の眼とは、えらく違いますなあ、伊吹の夜では、酒の上とは申せ、お抱えの田楽女に手をつけるなど、イヤもう他愛もない阿呆ぶり。そんな者に、秘事の端でも洩らしたのは、一期ごの不ふか覚くと、道誉も拙者も臍ほぞを噛み、せめて彼奴に二年の禁足でも食らわせておけばと、後より手を打ったような仕儀でおざった。……それを捨て難いものとの仰せは﹂
ここでの、二人の私語は、いまや、酣たけなわな無礼講騒ぎの面々には、眼ざわりであったらしい。
﹁やよ蔵くろ人うど。其そこ許もとも何か歌え﹂
﹁土岐もこれへ来て、美濃踊りでもしてみせんか﹂
それを機しおに、二人とも、
﹁罷らん、罷らん﹂
と、杯を持ったまま座を宴席の中ほどへ移してゆこうと起ちかけたときである。
またしても、河原にいる見張の者から、
﹁ちと、お静かに﹂
という注意があった。
昼、怪しげ男を捕り逃がしたこともある上、いつになく今夜にかぎって、得えた態いのしれぬ人影が、近くをうろついている気配ゆえ、御用心あって欲しい、という見張からの伝言だった。
一同、酔も索さく然ぜんと、興ざめ顔に白けたのはいうまでもない。遊び疲れも頃あい。それを機しおに、その夜の無礼講も下火とみえた。ほどなく、水鳥亭の灯はひそまり、散会の人影や輿や牛くる車まが、人目立たぬほどずつ、京の夜更けを散らばって行った。
が、日野俊基ひとりだけは、まだ立たない。
こういうさいにも、彼のみは、人々の帰りをさいごまで見届けた上で――としているのか、残っている妓を相手に、なお一隅で痛飲していた。
﹁……どうした。いやに森閑として来たではないか。俄に、川音が耳につく﹂
﹁そのはず。もうここには、あなた様しか残っておりません﹂
﹁はははは。いやそうか。万珠、浮舟、いっそ、そなたたちと、ここで雑ざ魚こ寝ねといたそうか﹂
﹁いいえ、お起ちなされませ。お館の近くまで、送ってあげまする。……まあ、重い﹂
もとより、俊基は、まだ充分に正気である。わざと妓たちの扶たすけに縺もつれているだけのものだった。そして水鳥亭の奥深い前栽を外へよろめき出て来ると、物蔭で待っていた一人の武者が、離れぎみに、後ろから尾ついて来た。
﹁誰だ。……まいる者は﹂
﹁土岐左近の弟、船ふな木きよ頼りは春るです。兄は洞院殿をお送り申しあげ、ほかの武者も、今宵のみは、万一のため、それぞれのお館まで、お供してまいりました﹂
﹁……で、其そこ許もともまろの警固について来てくれたのか﹂
﹁は、兄のいいつけにて﹂
﹁要らぬことだ。戻るがいい﹂
﹁いやお見届け申さぬことには、後で……﹂
﹁では頼春、つきあうか﹂
﹁どちらまで﹂
﹁堀川のさる家よ。万珠、ちょっと、いつもの家へ立寄って、もう一献、婆ば娑さ羅らと飲んで別れとしようぞ﹂
妓たちには、思うつぼにちがいなかったが。
﹁およろしいのですか。北ノ方さまに﹂
﹁よけいなことを﹂
﹁でも、蔵人さまの北ノおん方は、たいそうお美しゅうて、仲のよさ、人目も羨むほどなと、さきほども誰やらが、仰っしゃっておいでたではございませんか﹂
﹁さればこそ、夜を更かし、妓たちを見て戻る﹂
﹁なぜでございます﹂
﹁寝もやらず、待ちわびているわが妻が、またいちばい、美よう見ゆるゆえ﹂
﹁まあ﹂――と仰山に。
﹁さアもう、かんにんならぬ。ぬけぬけと、そのお惚のろ気け、帰すことではございませぬぞえ﹂
君立ち川の紅こう燈とうや人影は、まだ宵のような柳がくれのそよめきだった。
供の船木頼春も、そこでは、したたか飲ませられた。それを、やっと切上げつけて、日野俊基を館まで送り届け、それから四条のわが屋敷へ帰って来たのは、もう夜明け近かった。
彼にも若い妻がある。六波羅勤番の一奉行、斎藤利とし行ゆきのむすめであった。
﹁波なみ路じ。いま戻ったぞ﹂
﹁まあ、どちらから﹂
﹁なんだ、そのあいさつは﹂
﹁お兄君はとうに御帰邸。ゆうべの宴は、ご一しょではなかったのですか﹂
夫妻はすぐ閨ねやに入った。とはいえ、彼女の瞋しん恚いは解けようもない。もつれは閨まで持ちこまれた。
良人の頼春が、こんな深酔いして、明けがた近く帰ったなどは、初めてのことだった。嫁して以来の大事件といわねばならぬ。もし、これを甘やかしておけば習性にもなるだろう。また、脱がした良人の狩衣から、彼女のするどい嗅きゅ覚うかくは、ちゃんと、脂しふ粉んの香まで嗅ぎとっていた。で、若妻にありがちなすね方も当然だったが、彼女のばあいは、それも尋常一様な嫉妬ではない。頼春は、寝かされなかった。
﹁……あやまる﹂
良人は、深く衾ふすまを被かずいて、
﹁ゆるせ。なにしろ眠たい。はなしは、あしたにしよう﹂
﹁いいえ、そんなことで、ごまかされはいたしませぬ﹂
妻の腕かいなは、羅生門の鬼の腕を思わせる。しがみついていた良人の衾は引き剥がれ、まろくしていた背も、こッち向きに、引っ転くり返されて。
﹁さあ。仰っしゃい﹂
﹁なにをいえというか。何をば﹂
﹁ま、白々しい。白拍子やら遊女やら、いったい、どこの女と寝たんですか﹂
﹁ば、ばかをいえ。いつ、たれが﹂
﹁それ、ごらんなさい、その疚やましそうな。……ええ、もう汚きたならしい﹂
﹁ならば、離れて寝ろ﹂
﹁寝かすもんですか﹂
﹁うるさいっ。ひとが疲れておるのに﹂
﹁そんなおつかれは、わらわのせいではございませぬ﹂
﹁そなたは、どうかしているな。今夜のそなたは﹂
﹁はいっ。これがどうもせずにいられましょうか。ですから、わらわは初めから、都住居などはいやじゃと申していたのでございましょう。それをあなたは、いや男の立身の道は都にある、そなたも都の水で磨いて、美しい輿にのせ、奈良も見せよう、男山へも共に詣ろうなどと、お上手なことばかり仰っしゃって……﹂
さめざめと、波路は後ろ向きに坐って、泣きはじめた。
いいあんばいである。泣くだけ泣かしておけば気がおさまるにちがいない。良人は小康をえた心地だった。そのまま空寝入りを持ちかけていたのである。
ところが、やがて泣きやむと、波路はするすると千鳥棚の下へ寄ってゆき、コトリと、櫛くし匣げの蓋をとっている。上目づかいで、良人が見ているなどは、おそらく意識の外だったろう。いかにも、沈着な女の姿に返っているのだ。鏡で顔を直し、丈たけなす黒髪を櫛で梳すき、それから、塗りの懐剣を持った手を、きちんと膝の上において、美濃の故ふる郷さとにある小さい子の上でも想っているのか、しばし身じろぎもしない風……。
﹁あっ、ばかっ。何をする﹂
頼春は刎ね起きた。その手から懐剣をもぎ取って遠くへ抛ほうる。わっともがく。泣き狂う。およそ世の夫婦仲にありふれた、そして、帰結もおなじ一瞬にすぎなかった。
そして良人は、この若妻の余りな嫉妬を解くために、文談会一味の秘事やら、また日野俊基をその夜送っておそくなった仔細までを、つい正直に打ち明けてしまったのだった。で、彼女も一応、得心した態ていではあったが――。
正しょ中うちゅうノ変へん
﹁な、なんじゃと。まことか、そのはなしは﹂ 六波羅倉奉行の斎藤四郎左衛門利行は、仰天しても足りないように眼をむいた。その日、訪ねて来た、むすめの波路を前においてである。 ﹁なんで、定かでもないに、お告げしにまいりましょう。この秘事、誰にも洩らすな、洩れたら一味の破滅ぞと、良人も恐い顔して、打明けたことでございまする﹂ ﹁では聟むこの頼春も、その一味に加わっておるわけだな﹂ ﹁兄左近どのに、引入れられたに違いありませぬ。日野蔵人さまとは、御ごじ昵っこ懇んの仲……﹂ ﹁して、その文談会とやらに集つどう一味の公卿、僧、武者輩とは、誰々か﹂ ﹁そこはよう聞きませぬが、他日の勅を待って、旗上げを誓うている武者は、なお、諸州には沢山にありますとやら﹂ ﹁ば、ばかな﹂ 骨髄からの鎌倉御家人で生涯して来たこの老武士は、こめかみに、青筋をふとらせて。 ﹁生白い若公卿ずれの才覚などに、なじか北条殿の御ごだ代いが揺ぎでもしようかい。そんな謀たくみに、わが聟までが加担とは沙汰の限りよ。馬鹿者めが、天魔にでも魅み入られたか﹂ ﹁まあ、そうお怒りにならないでも……﹂ 一徹な忿ふん懣まんの前には、彼女の願う目的すら歯牙にかけられない風なので、波路も青白くなって口走った。 ﹁それが良人の本心とは思えませぬ。どうぞ、父上さまから、六波羅ノ庁へ、おとりなし下さいませ。……そのお縋すがりを仰ぐこそ良人のためと、すきを見て、こうお訴えに来たのです﹂ ﹁むむ。そこはよくぞ気がついた。……さもなくば、後日、この利行まで、謀反人の一人に数えられたかもしれん。さっそく、探題殿まで急訴に及ぼう。そちは、ここで待つがいい﹂ ﹁いいえ、わらわは戻りまする﹂ ﹁ならん。頼春の顔を見たら、そちはまた、ここへ来たことを、隠しえまい﹂ ﹁でも、夫婦の仲、怒られても、いッそ申さいではいられません。ただ、どうぞ良人が罪になりませぬように﹂ ﹁頼まれずとも、娘の聟だわ。……はアて、これは気ぜわしないことになったもの﹂ 利行は、すぐ馬をとばして、出て行った。やがて六波羅総門を入って右へ、倉奉行の役所に駒をつなぎ、すぐ北ノ探題、常とき盤わの範りさ貞だの召めし次つぎへ、 ﹁四郎左こと。常盤殿直じき々じきに、火急、申しあげたい大事なござる。後刻といわず、すぐお目通りを給りたい﹂ と、申し入れた。 折ふし、北ノ庁では、常盤範貞を中心に、府臣数名が、錠じょ口うぐちを閉じて、何か密議をこらしていたのだった。 ﹁なに。四郎左が?﹂ 錠口の取次を聞き、範貞は、ほかの顔を見廻した。 ﹁どうする、各。……倉奉行はちと職ちがいだが、凡ただ事ごとではないらしい﹂ ここには、さきに宮中御産祈祷の件で、その真相調べのため、鎌倉から派遣されていた武者所の雑さい賀か隼人、長井遠とお江とう守みのかみ。 そのほか、六波羅大番の小おぐ串し三郎則のり行ゆき、山本九郎時綱なども、顔を硬こわめて、詰めあっていた。 たえず朝廷を監視する。治安に名をかり、宮きゅ闕うけつの内外に、常時の注目を怠らない。 六波羅の使命は、ほとんど、それだったといってよい。 従って、放免︵密偵︶組織は精密だった。むかし平家が赤あか直ひた垂た衣れの童を京中に撒まいて、平家の蔭口をきく者とあれば、すぐ拉ら致ちしたというような――生ぬるいものではないのだ。 たとえば、文談会なども、とうにここの耳へは入っている。 ――が、容易に手入れが出来ぬもどかしさはあった。何しろ対象が朝廷である。かつは一味の者も、権中納言、参議、蔵人など、すべて堂上人ばかりなのだ。 わけて僧侶は、厄介者だ。叡山系の法師、南都の僧侶。いずれも下手には触れられない。 かねてからの疑惑、中宮御産祈祷の怪なども、北条氏調ちょ伏うぶくが、その目的であると共に、朝廷の触手が徐々に、それらの僧そう綱ごうを抱き込みにかかっているものとは明白に分っていた。が、ここにも、山門という障害がある。 かつて、遠い世よご頃ろ、後白河法皇すらも、“――加茂川の水と、山門の法師ばかりは”
と手を焼いたことそのままの状態が、現在もつづいていた。
対朝廷の難しさもだが、その僧団扱いにも、六波羅ノ庁は、つねに周到な細心と、惧おそれをもって、当らねばならなかった。
とはいえ、限界がある。月例の文談会は、まだ一事例にすぎない。諸国の不平武士と、若公卿との密契、宮中内々のおうごきにも、はや、我慢のならぬものが、歴然とあった。
で、この夏。
ついに南ノ探題、大おさ仏らぎ維これ貞さだの東下となり、鎌倉の“断”を仰ぐに至ったわけだが、それも遷せん延えんに遷延、今もって、
――武断もやむを得ず、積年の弊へいを一掃せよ。
との命はない。
維貞の飛脚では﹁評定所衆のうちには、果断この時となす説も少なくないが、なにぶん執権︵高時︶どのには、事を好み給わず、ひたすら穏便にとのみの上意なれば……﹂と、昨日今日も、まだ、もたついている評定ぶりが窺うかがわれる。
その維貞も、歯がゆかろうが、ここ六波羅に在って、朝夕に、眼に余る実状を見つつある常盤範貞にすれば、
﹁なんのための六波羅探題か。これでは、宮中の若公卿ばらを、ますます思い上がらせ、ひいては、北条幕府の内ぶところを、公卿や僧にも、いよいよ甘く見させるばかり……﹂
と、職を蹴って、引き籠ってしまいたいくらいにも、業ごう腹はらをすえかねていた。
そこへまた、昨日からの、目明しどもの情報だった。
口を揃えて、彼らは告げる。
﹁――久しく姿の見えなんだ日野蔵人俊基どのが、文談会に姿を見せ、また会衆もこれまでになく多勢でした。てっきり、彼らの陰謀が着々すすんでいるものに相違ございませぬ﹂
急遽、北ノ庁の一室に、常盤範貞が腹心をあつめて凝議しだしたのは、そのためだった。
また、時も時といおうか。
その場へ、船木頼春の舅しゅうと、斎藤四郎左衛門利行が、むすめの密告を持って、訴えに出たものだった。
その晩である。
六波羅ノ庁は、公然と、在京中の武家や、大番の士にたいして、足止めを命じ、
﹁――明日中に、兵馬の用意をととのえおけ。行く先は、摂せっ津つ葛くず葉はぞ﹂
と、布ふ令れ出した。
そして、なお、
﹁発向の時刻には、総門の太鼓を打ち鳴らし、大和口の広場にては、勢揃いの陣貝あるべし。それより一刻とき以内に、諸士、相違なく集合の事――﹂
ともあった。
もう数ヵ月前から、摂津ノ葛葉地方に、地頭と土民の紛争が起っており、それがなかなか下火になりそうもない騒ぎだとは、たれもとうから耳にしている。
で、召集の出た夜の反響も、
﹁たかの知れた庄しょ家うけと領民の争い事、出兵といっても、威嚇で終るであろう﹂
と、みな観ているせいか、しごく静かなものだった。
ところが、じっさいには、明日を待たず、その夜の夜半、すでに六波羅広場と、七条河原の二た手においては、一部の兵馬が黒々とむらがり、
﹁いざ、行け﹂
との、上将の指揮を、待ちかまえていたのである。
探題の常盤範貞以下、六波羅の主脳は、この夜みな武装して、大和口の陣見場にあった。
昼、すでに鎌倉へは、早馬も飛ばしてある。﹁――はや猶予はなりがたい。探題の権限において、今晩、謀反人どもを、一網打尽にし、不日、鎌倉表へ差し立てまいらすべし﹂という、断乎とした事後通牒なのだった。
つまり、まず味方をあざむく計をとって、主謀者の公卿や武士どもを、京の中から遁のがすまいとしたのである。
﹁抜かるな、小おぐ串し﹂
御ごも紋んの旗をさずけて、常盤範貞は、ここの兵馬を、激励した。
この手の主将は、小串三郎則行。
﹁仰せまでもないこと。明け方までには、曲しれ者ものどもを引ッ縛くくり、後見参に入れ申さん﹂
やがて千余人、わざと五条大橋は渡らず、ひそやかに、加茂の下流をこえて行った。
この夜は九月十九日。
ときどき、雲間から顔をあらわす月が邪魔だった。
おなじ頃、七条河原に集合していた兵もうごき出している。手勢は、山本九郎時綱のひきいる約千人。――陣貝、陣じん鉦がねなどはもとより持たない。
すでに、洛中諸所の篝かが屋りやとは、しめし合せもあったとみえる。行く行く篝屋武士も、打物取って、討手方の一翼に入る。
かくて山本勢が、第一に押しよせた先は、四条坊門ぢかい土岐左近の屋敷だった。
﹁ひそまれ――﹂
山本時綱は、兵をうしろに伏せさせて。
﹁まず、おれが内の様子を窺うてみる。内より合図をなさば、裏表よりいちどにかかれ﹂
血気な主将である。
わずか郎党三名をつれ、自身、土塀をこえて、邸内へ忍び入った。
そして中門から内を窺ってみると、宿との直いの侍であろう、侍部屋の床や廊のあたりに、太刀や物ノ具などを枕として、寝ぎたなく寝まろんでいるのが見える。
さすが、土岐左近頼兼は、
﹁はてな?﹂
それより少し前に、邸外の気配にいぶかりを抱いて、寝床から立っていた。
中門の廊へ出てみたが、異状はない。厠かわやに入った。厠の窓からも、何も見えない。
﹁さては異な物音は、近所の屋敷か。明日の摂津葛葉の出支度を、今から、気早にかかっているものとみえる﹂
――もう眠るまもない時刻。そう考えたのだろうか。彼はそこの掛かけ樋ひノ床ゆかの水みず瓶がめから水をくんで、嗽うがいをし初め、独りで髪の毛をなであげていた。
すると、荒々しい杉戸の音が、遥かに聞えた。つづいて、みしっと、人の跫音が近づいて来るらしいので、
﹁たれだっ﹂
彼は、櫛を投げて、刀掛けに架けておいた大太刀を、横づかみに持った。
――とたんに、
﹁謀反人頼兼、うごくなっ﹂
大喝と共に、彼の眼にとびこんで来たのは、物ノ具鎧よろった山本時綱の姿だった。
﹁ややっ。おのれは﹂
﹁鎌倉殿の御ぎょ命めいでまいった。左近っ、のがれえぬところだ。あきらめろ﹂
﹁たわけた雑言を。……謀反などとは、何を証拠に﹂
﹁それこそ、世迷い言よ。証拠はいくらでも六波羅ノ庁にあがっている。わけて、なんじの弟船木頼春の妻が、親の斎藤四郎左の許へ、密訴に駈けこんだのを、どう言い解くぞ﹂
﹁な、波路がか?﹂
さっと、形相を変えるやいな、大太刀を抜き払い、
﹁時綱っ。日頃のよしみだ。冥めい途どの供をさせてやる﹂
と、躍りかかった。
﹁なにをッ﹂
発はっ矢しッ――
火花が匂う。
寝まき姿のままだが、自暴の切ッ先は、鉄装の相手を無茶苦茶に追いまくした。――時綱は、受け太刀ぎみ、草わら鞋んじのかかと退がりに、だだだと、庭添いの大廊下まで踏み退さがる。
時綱の郎党三人は﹁やや、おあるじの危急﹂と見、こなたへ助太刀に飛んで来た。が、時綱は、斬りむすびつつ、背なかで叫んだ。
﹁おれは捨ておけ。それよりは、合図合図﹂
もちろん、このときすでに、土岐家の宿直も、侍部屋の面々も、家やひ響びきに眼ざめて、﹁――すわ﹂と、屋敷じゅう総立ちの轟きを揚げている。
そのまに、庭の大木の上へ、よじ登っていた時綱の郎党の一人は、
﹁かかれ、かかれ﹂
と、長い旗を、腰から解いて、暁暗の空へ、へんぽんと、吹きなびかせた。
――後の史家が、称よんで“正中ノ変”となす、南北朝大乱の最初の火の手は、ついにこの朝、ここに揚った。
﹁わああっ……﹂
と、目標を圧縮してゆく武者声の潮、矢ひびき、太刀音。それも見るまに黒けむりとなり、真紅の群ぐん炎えんとなった。そして、吹き狂う熱風は、早くも死しし屍るい累る々いの惨を地に照らし出している。
﹁残念だっ。女房にあまい頼春とは知っていたれど。……ええもう、追いつかぬ﹂
土岐左近は、戦い疲れて、自室に駈け入るやいな、腹十文字に掻ッ切って、炎の下に俯ッ伏した。
――同時刻。
小串則行の一勢は、京極附近で、ふた手に分れていた。
一手は、駿河の住人足助次郎重成の宿を衝ついたが、どう知ったか、彼はすでに風をくらッて逃げてしまった後だった。
が、一方。
錦小路高倉の多治見国長を襲った本隊は、完全にそこの土塀を取りかこんで、矢を射こみ、裏門表門から、武者声をあげていた。
こんな不意を見ようとは、つゆ思わず、多治見はその晩も、文談会で馴じんだ遊女を宿所にまねいて、おそくまで飲んだあげく、共に寝所へはいっていた。
妓こそは、災難であった。
厠かわやから出て、何気なく、掛樋縁で手ちょ水うずをつかっているところへ、ぶすッと、すぐそばの妻戸を、物凄い音がつらぬき、一本の矢がそこに突き立ッたので、
﹁――きゃっ﹂
自分の悲鳴に気を失った。
それを耳にし、一番に躍り出ていたのは、宿との直いの小笠原孫六で、築つい土じのみねに登って見ると、はや、ここを遠巻きにした軍勢の上に、一旒りゅうの車ノ輪の旗が、あざらかに見られた。
﹁殿っ﹂
奥へ駈けこんだ孫六は、喘せく息もつかず、一気に寝所の内へ告げた。
﹁六波羅の討手な襲よせて見えまするぞ。必定、一味御謀反の沙汰、事あらわれしかと覚えられます。……疾とう疾とう、お覚悟をこそ﹂
﹁孫六か﹂
と、内の声で、
﹁矢さけび、ただ事ならじと、身は鎧うた。門をかためよ。門もん櫓やぐらには、あるかぎりの矢を運びおけ。いままいる﹂
と、聞えた。
彼が、門櫓に立ち、狭はざ間まをひらいて、弓をしぼり始めた頃は、すでに敵は潮しお先さきみたいにひたひたと近づき寄って、
﹁代々の北条殿の恩顧もわすれ、大それた逆を謀たくむ人非人。面つらをみせよ、名のり出よ﹂
﹁よも姿は見せられまい、畜生武士﹂
﹁外道め、忘恩の徒め﹂
あらゆる悪口を、矢に交まぜ、投げ松明に交ぜ、礫つぶてに交ぜて、浴びせていた。
﹁だまれっ。いずれが外道か﹂
多治見は、怯ひるまない。
﹁――天下の声に聴け。ときの外道は、執権どのを繞めぐって、鎌倉の谷やつ々やつにこそみな住むわと、人のいうぞ。外道の手て下かの小こげ外ど道うめら、多治見四郎二郎国長の矢さきを受けらるるものなら受けてみよ﹂
大言ほどなものはある。
彼の矢に中あたって仆れた者は幾人かしれない。なかでも、狩かの野のぜ前ん司じの若党助房は、かぶとの真っ向を射ぬかれて、仰向けに馬から落ちた。
また、寄手の伊藤彦次郎父子は、功名にかられて、門もん扉ぴの下から内へ、むりに這い込もうと足あ掻がいていたところを、寄りたかッて来た邸内の武者のため、たちまちなます斬りにされてしまった。
無残、ここかしこである、酸鼻な状も、言いようがない。
矢は尽き刀折れて、多治見国長も、ついに櫓の上で立ち腹切った。――黄煙は暁の辻を咽むせばせ、四条方面の炎と共に、何も知らぬ洛中の庶民は、みな裸はだ足しで戸外へとび出していた。
さてまた、やがての六波羅は。
この朝、ぞくぞく縛からめられて来た人間で埋まった。
だが、常盤範貞も、彼以下の雑賀隼人や長井遠江らも、満足ではない。
﹁これらはみな、土岐、多治見の下郎、雑ぞう人にんではないか﹂
﹁かんじんな左近や国長は自刃させ、足助次郎も取り逃がし、かかる召使どものみを、捕えて来たとて何かせん﹂
討手の将として向った小串と山本の両将は、
﹁げに、その段は、抜かり申した。したが、この雑輩の中にも、文談会の仔細を見聞きした者がないとは限り申さぬ。拷問にかけて、一人一人おただしあるも、むだではございますまい﹂
少々、むかッ腹気味に、抗弁した。
﹁それや、無益よ﹂
雑賀は、嘲わらって。
﹁これだけを、拷問にかけるなどは、たいへんだ。また、吐ほざきもしまい﹂
﹁いや、無礼講の酒席に、月々よばれていた妓どもをしょッ曳いて来て、それらの妓に、面つらを検あらためさせれば造作はない﹂
﹁なるほど、それもいい考え﹂
これには手間暇もかからなかった。
その日、二十余名の遊女や白拍子が、女牢の前に長く敷いたむしろの上に、ずらりと坐らせられた。――けだし、世間に奇事が起ると奇観も生じる。まことに、稀きた代いな眺めだった。
﹁嘘をいうなよ﹂
﹁知っておる顔を、知らぬなどと申して、後に分ると、おまえたちも同罪だぞ﹂
彼女らの前を、数じゅ珠ずつなぎにした多治見の家来や土岐の召使が、面めん通どおしのために、何度も曳かれた。
不運な籤くじが、七人に中あたった。遊女らから﹁――知っている﹂と、指さされた顔の持主である。彼らは哀号して、非を叫んだが、ただちに拷問の白洲へ廻されて行った。そこで、何か泥を吐いたか、吐かぬために、打首となってしまったか、これらの人間については、処罰の程もわからない。
もっとも、六波羅当局としては、これらの枝葉に属する小者の取調べなどには、そう重点をおいてはいない。
より重大な、未解決のものが、その日まだ、手入れも出来ず、措おかれてあった。
一味の公卿の門である。
誰々と、名も居る所も、明白に分っていたが、朝廷の臣である、しかもみな後醍醐の寵臣なのだ。討手の勢ぜいを踏み込ますわけにはゆかない。手続きが要る。
しかし六波羅も、これには本腰だ。朝廷への申し入れは、手続きなどという形式のものではない。洛中諸所に軍兵を布き、示威のかたちをとっている。――そのまん中に、手も足もうごかしえない大内山の森、内裏の諸門が、しいんとして在った。
が、十九日も明けてからの、宮中の驚愕と、徐々に増しつつあった不安は、どんなであったろうか。――外部からさえ、思いやらるるものがある。
その重くるしい宮門には、やがて、ひきもきらぬ公卿の車駕が、参内していた。宮中奥ふかき所の昼夜、どんな協議が行われたのか。――すでに事変後三日めの朝であった。そこを崩れ出るごとく退がッて来た公卿車の一つに、日野蔵人俊基の姿も見られた。
楠くす木のきたずね
彼の館は、七条丹波口だった。ここらはもう京も端はずれ。 遅々たる牛ぎっ車しゃで、内だい裏りから退がって来るには、ぬかるみ、石コロ道、秋草しげき田舎道、さんざんかかる。 ﹁……お。いつか、わが家や﹂ 車のうちで、俊とし基もとは居眠っていたらしい。おそらく、一昨夜来の宮廷では、彼のみならず、帝みかどをめぐって、不眠の凝ぎょ議うぎだったであろう。 しかし、彼はいつもと変っていない。ふてぶてしいばかりな寝ざめ顔を、一つ撫でて、 ﹁菊王﹂ と、車の簾から外を覗く。 走り童わっぱの幼時から、俊基に可愛がられて来て、このおあるじに仕えること、形けい影えいもただならぬ侍童の菊王は、 ﹁はいっ﹂ すぐ轅ながえの横へ寄って。 ﹁お眼ざめでしたか﹂ ﹁ム、だいぶ寝たわ。途中、何か変りはなかったか﹂ ﹁大ありでした﹂ ﹁あったろう。どんなことがあった﹂ ﹁辻の篝かが屋りやにかかるたび、辻立ちの武者どもが、お車の内をさし覗いたり、私へも、さまざま、嫌がらせなど、吐ほざきまいた﹂ ﹁そんなことか﹂ ﹁でも、あれ御ごろ覧うぜられませい。かしこの農家の辺りにも、桂川の岸べにも、あのように武者どもが、屯たむろしておりまする﹂ ﹁そりゃ、彼らの役目だ。この俊基も、彼らの眼には、極悪人とも見ゆるのであろうよ。……やんぬる哉かな、いまは尺歩も、彼らの眼の外へは出られまい﹂ ﹁おっ、おあるじ。ざ、ざんねんでござりまする……﹂ 菊王は肩をふるわせ、とつぜん、轅にしがみついて、泣きじゃくった。 ちらと、車上の人の眉にも、衝きあげられる感傷がかくせなかった。が、俊基はわざと磊らい落らくなことばを仮かりて、戯たわむれた。 ﹁……そうれ。牛が歩みを止めてしもうたわ。菊王が何を泣くかと、牛めは振向きながら、尿いばりしおるぞ﹂ ﹁畜生っ﹂ 菊王は、宙へ向って、空から鞭むちを振りつつ歩いた。 館はもう見えている。館づくりというよりは、雅趣のある荘院風といった家やが構まえ。 もともと、彼は儒学の家の生れだった。どこか身についている文人肌はそのせいであろう。館の北の籬まがきに、ひそと住まって、つねに不在がちなこの良人を待っている妻は、まだ初うい々ういしいほどうら若い。――つい、おととし頃までは、西華門院︵後宇多ノ後宮︶の内で小こう右きょ京うノ局つぼねとよばれていた小女房だった。 門のあたりの車ぎしりを知るやいな、小右京は、まろぶが如く、帳とばりの蔭から走り出た。そのくせ、良人を見ても、なにも言いえず、ただうるんだ眼でおろおろ迎え、姿に添って、水のように一間に入った。 やっと、喘あえぎを呑んで、 ﹁……お帰りなされませ﹂ 精いっぱいの怺こらえで言ったのだろう。ついそのまま、肩をくずして、咽むせび伏してしまった。 ﹁小右京。ここは都の隅だが、さだめし一昨以来の洛中の騒動、ここにも聞えていたであろうが﹂ ﹁は、はい。聞きました﹂ ﹁ならばもう多くを語ることも要いるまい。俊基の身も、明日は鎌倉に送られる。……今日は別れに帰って来たぞ﹂ 小右京は、胸がつぶれた。悲しさの上に悲しい驚きに打ちひしがれて。 ﹁では、鎌倉へ。……曳かれておいでなされまするか﹂ ﹁おう、よもや縄目の辱はじは与えもしまいし、また、受けもせぬが、申さば“放ち囚めし人ゅうど”というかたちでの、明朝、六波羅武士の迎えにまかせ、東あず国まへ下る﹂ 言いかけて、俊基は、ふと眼を庭にわ面もへそらした。 そこに、うずくまっていた家職の侍、後藤助光の姿に、ふと気づいたからだった。 ﹁助光、またしばらくの留守となろう。あとを頼むぞ﹂ ﹁口惜しゅうはござりまするが、ぜひもない儀と、つい今ほども、北ノ方さまを、お慰め申しあげておりました﹂ ﹁それよ。そちを、宮門より先に走り返らせたのも、まずもって、小右京に覚悟させおいて欲しいためだった。……この期ごに、何を嘆こうぞ。助光、下しも部べに命じて庭なと掃き清め、書院に夜の支度をしておけ﹂ ﹁はっ。おん名残の夜を惜しませなされますか﹂ ﹁思えば、わが妻ほど、あわれなるはあるまい。つい先頃、長の旅から帰ったばかりを、また先知れぬ囚めし人ゅう輿どごしの良人を見送らねばならぬ﹂ 優しいことばは、かえって、小右京のつつしみを寸断にした。 良人の袖の蔭に身もだえの唇を噛んで﹁……いいえ﹂と、その黒髪は顔を振るらしかった。 常々、諭さとされていたこともある。 この期になって取り乱すのは、日ごろ良人からいわれていた誓いを違たがえることだった。﹁泣くまい、あなたの妻です、覚悟はしていました﹂と理性は言いたいのであろう。 俊基は、妻のすべてを体で感じとっている。しかし依然、庭にわ面もの助光を見て。 ﹁こよいは、そちや菊王も交じえて、心ゆくまで、別杯を酌くもうよ。小右京に琴をひかせ、わしは琵琶を弾じよう。その支度、清すが々すがとしておけや。夜明けなば、東あずま立ち、爽さやかにここを立ち出でたい﹂ ﹁ごもっともにござりまする。では、何かと﹂ 両手で面を掩おおいながら、助光は悄しお々しお、下しも屋やへ立ち去った。 ﹁いま申した身の心もち、妻のそなたも分ってくれぬはずはあるまい。およそ、朝政を一新し、百年の毒賊北条の府を覆くつがえし、世を昭々たる古いにしえの御代に回かえそうためには、これしきな憂き目ぐらい、何ほどの驚きでもない。新しい智識は、海の彼方よりわが朝ちょうの古い公卿たちへも、若い血しおを注ぎ入れた。大義親を滅せよ、と宋そう儒じゅの学はいっている。俊基は身を以て、その先駆に立つのだ。そなたは、わが身を不運とおもうか﹂ ﹁い、いえ。……ただ女おな子ごの身、女子のわりなさ﹂ ﹁女とて、いまの世に生れたのが、そもそも宿業。俊基のおらぬあと、悲しゅうなったら宋学の書を読め。わしの姿は、その中にある﹂ ﹁ええもう。忌いまわしい御意。これきりお会いできぬような﹂ ﹁再び会えるか、これきりか、そこは天命。――いや小右京。まず何よりは今を惜しもう。そなたも夕化粧して顔を直せ。俊基も身清めしよう。そしてそなたの琴に、久しぶりで、わしも琵琶を抱いて合あ奏わせてみようよ。さ。……顔を直せ。気を取り直せ﹂ 軒の月は、二十日過ぎ。 匂う小右京の黒髪に、月の光がすべっている。 琴を前に。白い指のまろび出す音階は、絃いとやら涙の音やら、彼女にもわからなかった。そのうごかない唇が歌う微かすかな琴歌も、嗚おえ咽つに似ていた。
飽かずして
別るる君が名残りをば
のちのかたみに
つつみてぞおく……
別るる君が名残りをば
のちのかたみに
つつみてぞおく……
これは平家都落ちの夜、仁和寺ノ宮が平ノ経正へ賜わった惜別の歌だった。
――聞きすましつつ、琵琶を抱いていた良人の俊基は、
﹁オオ。さらばわしも﹂
一弾だん、二弾、絃げんを掻かき鳴ならして。
くれ竹の
掛樋 の水は変れども
なほ住み飽かぬ
家のうちかな
なほ住み飽かぬ
家のうちかな
ほんとは、﹁宮のうち﹂とある本ほん歌かを、彼はわざと﹁家﹂といって、朗吟した。
明くれば囚めし人ゅう輿どごしでの鎌倉下り。――惜しむ夜はもう更けかけていた。
宵には、家職の侍、後藤助光と、侍童の菊王も加えて、しめやかに、別れの小酒盛りを酌み、なお飽かぬ思いを夫妻は琵琶と琴に寄せていた。
これには、ふたりにとって忘れがたい、そもそもの思い出もある。
あれは元応二年の春。
皇みき后さきの実さと家か方た、西園寺ノ入道実さね兼かねの北野の別荘に、桜狩の行みゆ幸きがあった日のことだった。
后のお姉ぎみの永福門院やら、大納言為世の女じょ為子ノ君、西華門院、また、みかどの随身、大おと臣どたち、眼もくらむばかりな美しい人群れなのに、花吹雪さえ立ちめぐって、さまざまな御遊興もはや尽きての果て。
みかどから﹁俊基、琵琶せよ﹂との御ごじ諚ょうに、他の人々も﹁それなん聞きもの。そのうえ小右京ノ君に、琴を合あ奏わさせなば、なお、おもしろからんに﹂と、言い囃はやした。
二人の恋を知っていた人々の意地悪だった。
琵琶と琴の合あ奏わせはむずかしい。――が、御諚なればと、二人は懸命に、そのとき“熊ゆ野や”の一ひト節ふしを弾かなでて歌った。神妙によう出来たりと、みかどのお賞めことばが、やがて、お許しのようなものになって、翌年、ふたりは家庭を持ったのだった。
﹁小右京。……あの折の“熊野”をまだ覚えているか﹂
﹁どうして、忘れえましょうぞ﹂
……やがて。
生いの命ちのかぎりを啼きすだく虫の秋を、ここにもまた、生命のまたたきを灯に惜しむ、ふたりの熊野の曲が、野水の喘せくように、墻かきの外まで聞えていた。
すると、そこの灯を、忍び足に、外から覗いて、ほどなくまた、桂川の方へ立ち去って行った武者どもの黒い影があった。
﹁のら犬めらが﹂
菊王と助光は、下しも屋やの縁で、その者どもの影を睨んでいた。
宵から、附近には、ここを見張っている屯たむ篝ろかがりが、不遠慮に、夜空を赤くしていたのである。
――が、夜よ半わともなると、立ち武者どもの火も細々と薄れ、熊野の曲もやんで、やがて奥の寝所の蔀しとみも下ろされた。で、助光たちも、刀を枕に、下屋の端に、しばし、仮寝の姿を取った。
――と、墨のような丑満頃、
﹁菊王。菊王やある﹂
と、奥の方で、おあるじの呼ぶ声だった。
細ほそ殿どのの簾に、微かな灯ほ揺ゆらぎが窺われる。
硯すず筥りばこを横に、おあるじの白い影は、いま筆を擱おいたかのように、そこに独り寂せきとしていた。
﹁菊王。まいりました﹂
﹁お……。もそっと、寄れい﹂
﹁はい﹂
と、かがまり進んで。
﹁なんぞ御用にござりますか﹂
﹁さればよ……﹂
俊基は、まだ墨の香もする自筆の手紙を、小さく封じて、膝の上に握っていた。そしてこの侍童菊王の、性根の底までを見入るような眼まなこを凝らして。
﹁菊王。頼みなある。そちならではと、見込んでの頼み。してくれるか﹂
﹁何事か存じませぬが、菊王ならではとの仰せ、うれしゅう存じまする﹂
﹁余の儀でないが、俊基が鎌倉へ送られた後、機を見て、この一書を、河か内わ国ちのさる人の許へ、しかと、届けてもらいたいが﹂
﹁なにかと思えば、いとおやすいことで﹂
﹁いや、やさしくない﹂
そこが、不安であるように、語気きびしく、釘をさした。
﹁聞けよ。かりそめにも、過って、この書状の内う容ちを人に読まれなどしたら一大事ぞ。みかどのおん上にも、どんな禍わざわいが降りかかるやら知れず、俊基の首、一味の公卿の首、幾つ飛んでも足りぬ破滅となろう。……それほどな密書なのだ。菊王っ﹂
﹁は。はいっ……﹂
﹁気の小さい奴、なんで慄ふるえる﹂
﹁はい﹂
﹁出来るか﹂
﹁いたしまする﹂
﹁かかる大役に、わざと小こか冠じ者ゃのそちを選んだのは、敵を計るためでもある。わしが鎌倉へ曳かれた後には、さっそく六波羅兵がこれへ臨んで、家探しをなし、往来の書状、文ふば筥こなど、検あらため荒すにちがいない。――されば、家職の助光に預けおくも安心はできぬ。そちが持って、ひとまず誰にも気づかれぬ所へ隠しておけ﹂
﹁心得まいた。菊王が命にかけても、きっと六波羅の眼をのがれてみせます﹂
﹁とは申せ、急ぐなよ。およそ世間のほとぼりもさめた頃、忍びやかに持って出るのだぞ﹂
﹁ですが、おあるじ﹂
菊王は思わず、にじり出ていた。
そこまで、俊基の信頼をうけたことにも、また大任の重さにも、身のうちの感激をそのまま、ふくら雀のような姿にして。
﹁……御書状を、おとどけ申しあげる先のお人とは、そも、どなた様でござりますな﹂
﹁河かわ内ちの国くに金こん剛ごう山さんの西、水みく分まり山やまのほとりに住む、楠くす木のき多たも聞んび兵ょう衛えま正さし成げと申す者﹂
菊王は、鸚おう鵡む返しに。
﹁楠木多聞兵衛正成どのと申されますか﹂
﹁そうだ﹂
俊基は初めて、手の書状を、彼にあずけた。そして、もいちど、ことばをあらためた。
﹁ゆめ、人目にかかるなよ。楠木が屋形を訪うにも、途々、うかと人に道など訊いてはならぬ。ああこれで、一期ごに頼みおくことも、安堵した。これでよし。菊王、つかの間でも、寝やすむがいい﹂
﹁おあるじにも、どうぞ御安心あって﹂
﹁む、頼たのうだぞ﹂
ふっと、燭しょくは吹き消された。けれどまもなく、遠くの鶏鳴と、蔀しとみ明かりに、待たぬ晨あしたが、白々と近づいていた。
物見だかい京の庶民は、その朝まだき、六波羅兵に取り囲まれて行く日野俊基の乗物を、辻々で不安そうに見送っていた。
輿でなく、牛車だった。
そのうえ護送の列は、すぐ東海道へは下らず、六波羅の内へ入ってしまった。
なお、これにつづいて。
べつにもう一組の護送兵が、二条辺から一輛りょうの牛車を押ッ包んで来て、それをも六波羅の一門へ追込んだ。
﹁……後のは、参議殿じゃった﹂
﹁日野参議資朝卿も、捕われてか﹂
﹁日野と日野、揃いも揃うて﹂
﹁次には、誰が曳かれるやら﹂
何かは知らず、これを皮切りに、果てない余波もあるのではないかと、街は底知れぬ恐怖をたたえた。
けれど、その日の六波羅検挙は、こう二人の朝臣の拉ら致ちだけに止まった。
思うに、事変後、揉んでいた朝廷交渉の帰結が、この答えを見たのであろう。
およそ、公卿一味の数は、どれほど多数か分らない。そこで、主謀者と見られる日野の二朝臣を目標に強硬な主張を朝廷へ迫ったものにちがいない。
ともあれ、先に六波羅が発した飛ひ馬ばは、すでに事を鎌倉表に報じており、幕府は即刻、工くど藤う右衛門次じろ郎う、諏すわ訪さぶ三ろう郎ひょ兵う衛えの両使を、都へ急派した。
それの着京が、十月一日。
なおこの頃までも、日野の二朝臣は、六波羅の内に、室を分かって、拘禁されたままだったのである。
﹁さだめし、お退屈であったであろう。だが、明日はいよいよ東国へ追っ立てまいらせる。何ぞ、都にお言い残しはないか﹂
三日の夜であった。
工藤右衛門次郎ひとりが、ふと俊基の室へ来て、やや揶揄的にこう言い渡した。
﹁いまさら何の﹂
俊基も冷ややかに。
﹁それより、べつに頼みがある。道中は資朝卿ともご一しょと思うが、何かの折、いちど、会わせて給わるまいか﹂
﹁さような儀は、鎌倉のみゆるし得ねば、一存での計らいなど思いもよらぬ。……が、いちど御辺に会いたいという女おな子ごはおる。それなれば会わせてもよいが﹂
﹁はて、どこの女性が﹂
﹁斎藤どののむすめ御でおざる。と申してお分りなくば、船木頼春の妻波路といえば、お合点あろうが﹂
俊基は答えなかった。
嫉妬ぶかい船木の妻が、親の斎藤利行に良人の行状を告げ口したことが、少なくも大事発覚の口火になったものとは、彼もその後に耳にしていた。
その女が、なんのために。
しいて考えれば。
良人頼春の兄土岐左近や、多くの一族郎党も寄手の前に討死をとげさせ、その他、女の嫉妬ひとつから、この大事変をひき起したので、さすが後では慚ざん愧きにたえず、ここへ来て謝あや罪まるつもりでもあるか……。
﹁いやいや。今さら女の詫び言など聞いたとて、何かせん。そんな姿も見とうはない﹂
ところが、工藤が去ると間もなく、それらしい女が、そろと、部屋の隅へ来て坐った。
――見れば明りもとどかぬ墨のような壁を背に、白い顔が、ものもいわずにいるのだった。
彼女は窶やつれて見えた。いつまでも、黙って坐りこんでいる姿には、異常なものすら感じられる。
泣き入る風情はなし、前非を悔いて、俊基のまえに謝あや罪まりに来たなどという風でもない。
しばらく、素知らぬ顔していた俊基も、ついに言った。
﹁女。……何しに来た﹂
すると。――片隅から少しにじり出た波路の白い顔が、初めて灯影の輪に入っていた。
﹁あなたが、良人の頼春をたぶらかし召された、日野蔵人どのでございますね﹂
﹁はて迷惑な。そちの良人をたぶらかした覚えなどはないぞ。何を血迷うて﹂
﹁いいえ。良人の頼春のみか、あなたのお口に乗せられて、土岐左近どのも、多治見の一族も、みな無残な最期をとげておりましょうが﹂
﹁それこそは、逆さか恨うらみよ。船木頼春とその妻の裏切りが、かかる異変をよび起せしものと、俊基も聞き及ぶぞ。……さるを、どの面さげて、のめのめこれへ﹂
﹁ホ、ホ、ホ……﹂波路は必死なのである。上うわべは嬌笑にまぎらわせても、眉や眼まなざしは、不気味な迫り方を持って。
﹁女の一念です。どこへお隠しなされようと、探し出さいではおきませぬ﹂
﹁誰が、誰を隠したか﹂
﹁あなたさまが﹂
﹁この俊基が﹂
﹁はい。良人の頼春を、どこかへお隠しなされたでございましょうが﹂
こんどは俊基の方で、からからと笑った。そして﹁この女、すこし気が変なのではないか﹂と疑った。
が、躍やっ起きとなって、波路は、また少し、つめ寄って来た。
﹁たしかに、いつぞやの兵火の晩、あの騒動の直ぐ前に、良人の頼春は、あなた方一味の隠れ家か、御所の内へでも、走り込んだにちがいありませぬ﹂
﹁裏切り者の頼春が、どうして、われらの前に姿を見せよう。そちは何かに、憑つかれてでもいるとみえる﹂
﹁いいえ。まだ魔の夢に憑かれているのは良人てす。――六波羅の討手が、各所へ押し襲よせたと知れたあの暁のこと。良人は、わらわを罵りちらして、夫婦の縁もこれきりじゃ。……一味への申しわけには、六波羅相手に、斬り死にするが本意なれど、いま一度、俊基朝臣にお目にかかり、身の潔白を申しあげてお詫びせねば、死ぬにも死ねぬなどと、狂気のように喚わめいて、いずこへともなく走り出たまま、今日まで行方も知れないのです﹂
﹁そうか。……それでは、そちは、去られた妻か﹂
﹁なんで、去られたままでいましょうぞ。良人のことばは、一時の逆上にすぎませぬ。飽きも飽かれもせぬ仲を、こんなにしたのも、みな、あなた方のせいというもの。さ。良人を返して下さい。いいえ、良人の居る所を、あなたは確かに御存知のはず……﹂
﹁知らぬ。知るわけはない﹂
﹁まあ、しらじらしい﹂
ことばも尽き、波路はつかみかかりそうな血相を見せた。――が、そのとき、物蔭で立ち聞きしていた工藤右衛門次郎が、傍の武士に目くばせすると、武士たちは、つかつか入って来て、むりに波路の身を外へ拉らっし去った。
初めて、波路の泣き声が外に聞え、狂い狂い遠くへ消えて行った。
俊基、資朝の鎌倉押おう送そうは、あくる朝の十月四日、予定どおりに行われた。
卯うノ下げこ刻く︵午前七時︶に六波羅を出た二つの囚めし人ゅう輿どごしは、まだ晩秋の木々や町屋の屋根の露も干ひぬうち、はや蹴けあ上げ近くにさしかかっていた。
本来ならば、この東下は、
放ち囚人︵任意の出頭︶
ということになっている。その公称からも、衣冠や乗物などすべて、護送するにも、平常の礼をとるべきなのに、事実は流刑の罪人と何の変りもない。
おそらく、六波羅の底意としては、
﹁これ見よ。関東の府にそむかば、きのうまでの朝臣たりとて、かくの如きものぞ﹂
と、路傍の見せしめとするのが目的の一つなのだろう。
そのためか、警固の兵もおびただしい。
騎馬には工藤右衛門次郎、諏訪三郎兵衛の両使のほか、直訴の証拠人として、波路の父、斎藤四郎左衛門利行もまた、列のうちに加わっていた。
要するに、事々、幕府の示威であり、二荷かの張はり輿ごしは、かくて東海道の宿々を、よい見世物とされて行くにちがいない。
しかし張輿の上の二人――俊基の眉にも、資朝の姿にも、人目を辱はじる風はなかった。悪びれず、硬こわばらず、群集には、それが立派にすら見えた。だから、結果としては、権力者の示威も、かえって逆なものを、民衆の胸に、植えていたかも知れないのである。
列は、幾たびも、立ちよどむ。わけて粟田口から蹴上への、坂の辻では、
﹁退けい。退きおろう﹂
と、武者輩が、声をも嗄からす程だった。
蹴上を越えれば、京も出では端ずれる。
﹁そこまでは……﹂
と、五条辺から、輿の後について来た群集も多かったのだ。俊基の眼も、
﹁……おお、いずれも密ひそかに、見送りに来ていてくれたの。あの女、あの媼おうな、あの法師﹂
以心伝心。
揺れやまぬ沢山な顔のうちでも、知り人の顔はすぐ眼にとまる。微笑で応こたえると、先も涙するやら、胸に手を合せて、黙送の姿、さまざまだった。
﹁……や、菊王も﹂
そうした中に、菊王の姿も揉もまれていた。俊基はうれしかった。
だが。――彼に托してある楠木への密書に考え及ぶと、その彼が、もうこんな巷に出ていることすら不安になった。……で、わざとその菊王へは、眼にものいわせて、きッと怖い顔してみせた。
すると、菊王は、振っていた手をひっこめて、急にくるっと、人ごみを分けて、蹴上の中腹にある大きな榛はんの木の方へ駈けて行った。
見ると、榛の木蔭には、一茎けいの秋草みたいに、被かつ衣ぎした一人の女房がたたずんでいた。じっと、こなたを見まもっている姿から、声なき声が、俊基の胸をついて来た。
﹁あっ、小右京よ。……小右京﹂
つい、不覚な涙に胸もみだれかけたが、しかし彼は、ゆうべ見た人妻の波路をべつな心で思い出していた。
究極に立った女の愛と、男の愛との、折合いのつかない食い違いが、小右京と自分の間にもなくはないと、考えられた。何かむごたらしい両性の差が、自分らの上にもまざと在るのを知った。
悲歌
押おう送そうの同勢は、やがて東海道の泊りを、かさねていた。 木曾川で数日川止めに遭ったほか、概して道中の日和はよかった。ただし護送輿ごしの足なみ。いやでも道は捗はかどらない。 特に、峠などの山坂にかかれば、そのたびに、 ﹁お乗り換えを﹂ と、うながされ、資朝と俊基は、輿の上から、裸馬の背へ移された。 初め、武者どもは心ひそかに﹁――鎌倉殿を仆さんなどと、夢では、大それた野望をいだく公卿も、馬にはよう乗れまい﹂と見ていたが、俊基も資朝も、上手であった。いっこう乗馬も恐れない。 かえって、倦うみ疲れた輿から解放されたような容子で、その日も、馬の背の俊基は、峠の途中で、 ﹁ここは、どこ﹂ と、訊ねたりした。 ﹁宇津ノ山でおざる﹂ 護送の兵は、むッそりいう。 俊基は、眉に迫る晩秋の富士を仰いで、 ﹁はや、駿する河が路じか﹂ と、咳いた。そしてとつぜん、伊勢物語の業なり平ひらの歌を、朗々と吟じ出した。
駿河なる
宇津ノ山べの
うつつにも
夢にも
人に会はぬなりけり
すると、それに応じて、前を行く裸馬の背からも、日野資朝が同じように、晴々と、こう歌った。宇津ノ山べの
うつつにも
夢にも
人に会はぬなりけり
きのふの声に驚かん
今日はうつつの
宇津ノ山越え
満目の散り紅葉は、若い公卿志士の悲調をそそッたものであろう。しかし、その二人が、虜りょ囚しゅうの身も忘れて愉たのしげに見えるなどは、護送使には我慢がならない。
﹁ち。うるさいな﹂
工藤右衛門次郎のそばから、すぐ一名の武者が、馳せ戻って、裸馬の二人へ呶鳴った。
﹁両所っ。話を交わしてはならん。黙って行かれい﹂
俊基が、笑って答えた。
﹁話はせぬ。これは古歌だ。これだけいる鎌倉武士、伊勢物語の歌の一つぐらい、知る者はいないのか﹂
――ほどなく、峠も越えると、安倍川の西だった。手てご越しヶ原の官道に添って、両側の並木を綴る賑やかな一駅は手越ノ宿しゅく。晩の泊りはそこときまった。
公役の宿所には、それが大勢のばあいほど、土地の小寺院や長者屋敷などが、まま利用されていた。
その夜も、二人の身柄は、宿場うちの無量光院へ泊められたが、しかし、室は例の如く隔離された。資朝、俊基、どっちからも、一方はどこにいるやら察しもつかない。
晩の宿しゅ駅くでは、絃歌がわいていた。手越ノ遊女といえば、古くから海道一の聞えがある。ここを通って、名もなさず過ぎるのは、武士の名折れぞ、と婆ばさ娑ら羅も者のはいうのである。そのせいでか、宵すぎると、無量光院に詰めていた警固の武士も、いつのまにやら宿場の灯を目あてに、こそこそとみな忍び出して行った風である。
﹁……俊基さま。蔵人さま﹂
どこかで、誰かが呼ぶ。
俊基は、何度も耳を疑った。そしてついに室の障子を開け、そっと廻廊の闇へ首を出してみた。どうも、声は床下らしい。
つい先刻まで、廻廊の角に頑張っていた警固の者も、宿場の灯にそそられて行ったか、いつのまにやら影も見えない。
と、見さだめて、
﹁たれだ、床下に潜む者は﹂
俊基は、廊の欄らんの際きわまで身を辷すべり出して行った。そしてその上半身を、欄に屈かがませると、
﹁おっ。蔵人さま﹂
まぎれなく地には人影があった。べたと土に這い伏したまま、上の人をじっと見上げている。
膏こう薬やく売うりか針売りか、とにかく、そんな風態の旅商人――。
俊基は、警戒した。うかとは口も開けない気がして、なお、しげしげとその顔を見まもっていたが、
﹁や、そちは﹂
仰天せざるを得なかった。
すると、下の影は、そのまま地じぞ底こへでも消え入りたそうな姿をした。そのうえさらに、その頭ずき巾んび額たいを、地にすりつけて。
﹁船木頼春にござりまする。……生きて、おん前に出るなど、死以上の苦痛にござりますが、妻の嫉妬から、思わぬ大変事を惹ひき起し、兄左近のみか、御一味の方々にまで﹂
﹁あ。待て﹂
俊基は彼の声を抑えて、要心ぶかい眼をくばった。
彼は、それでもなお、気がすまぬらしく、廻廊の角まで立ち、裏手を見た上、戻って来た。
﹁ひそと申せ。どこにも人は見えぬが、夜気のしじま……﹂
﹁お気づかいなされますな。夜番の武士もこよいは諸所で、飲み呆ほうけておりますれば﹂
﹁して、そちは何のため、これへ来たか﹂
﹁妻の科とがは私の科、今こん生じょうにて、一度はお詫び申さねばと、都から見え隠れにおあとを慕い、やっと、こよい本意を遂げたような次第。何とぞ……この上はただ、ゆるすとの、御一言を……。それさえ伺えば、いつ死んでも惜しからぬ頼春の身にござりますれば﹂
﹁うウむ。では本心、裏切ったわけではないのか﹂
﹁妻の波路に、ふと、事を打明けたは、一生の不覚でしたが、頼春も武士の端くれ﹂
﹁ならば、死ぬな。事もはや、今日の仕儀と相なっては、追ッかけにそちが死んで見せたところで何になろうぞ。大事はまだ、ここで終ったわけでない﹂
﹁とは申せ。兄左近や一味の多くを討死させたのみか、上かみの御ごし宸んね念んをも煩わせ奉った身が、どの面さげて﹂
﹁さまで、悔やむなれば、なおさらのことだ。その慚ざん愧きを、この後の国事へ尽すがいい﹂
﹁と仰せられる意味は﹂
﹁たとえば、時を待って、河内の楠木多聞兵衛正成をたずねて行け。かならず、そちによい死に場所を与えてくれよう﹂
﹁はっ。おことばを証あかしとして、きっと、楠木殿を訪とうことにいたしまする﹂
﹁が、さし当って、べつに一つの頼みもある。……頼春﹂
肌着の深くから、小さく結んだ文を取出して、彼はかさねて、下の顔へ、こういた。
﹁――じつは、かねて意中をしたためおいたこの一書を、折あらば、資朝卿の御み手てへ渡さんものと、道中、隙を窺うていたが、さて警固の眼の隙もない。卿には、こよいはどこにお眠りか、そちならば近づき得よう。そっと、忍び寄って、これをお手渡ししてくれまいか﹂
おそらく、当夜の手越ノ宿では、護送使一行のあらましが、女を買いに出たり、宿所へ酒を持ち込んでいたのであろう。なにしろ晩おそくまで、寝つかない戯ざれ声ごえや鼻唄が寺内にも聞えていた。
――それも、ばたとやんで、山門の屯たむろも、庫く裡り、廻廊の辺も、寝ぎたない兵の鼾いびきになった四更︵夜明け前︶の頃だった。
俊基は、ふと眼ざめた。
背中の下で、啄きつ木つきの啄ついばむような小さい物音を知り、
﹁さては、頼春か﹂
すぐ起きて、廊の欄へ、顔を見せた。と、その顔の前へ、下から黙って人の片手が伸びてきた。
手は一通の書を示している。
すばやく、受けとって。
﹁資朝卿の御返書か﹂
たずねたが、手を引くやいな、下の頼春は、別れの辞儀を見せたのみで、何もいわず、土もぐ龍らのように姿を消した。
﹁……さてこそ﹂
廊の隅々には、打ち重なったまま、熟うれ柿がきみたいな臭気を抱いて寝くたれている兵が見える。――俊基は足を忍ばせて、室へもどり、消えかけている燭しょくの灯を掻き立てた。
資朝卿の筆に間違いない。
その中で、資朝は、こう告げている。
――自分が思うところは、そのまま、貴公の思うところと、一致していた。
罪は一人がかぶればよい。
貴公は、我れ一人死の庭につかんと仰せあるが、自分の覚悟もすでに極っている。貴公は世に残り給え。
なんとなれば。
貴公の英才や俊敏な活動力は、自分には真似もできないことだ。我れとて多少の自負もないではないが、一世の上に大機運を呼び起し、時乱の先駆に立ってゆくほどな素質には欠けている。
かつは、貴公よりも、自分の方が上卿︵上官︶であり、年上でもある。鎌倉の司しだ断んも、おそらく張本人は、この資朝と見るだろう。もし貴公が、主謀者は我れなりと主張しても、それにより、資朝を不問に付すはずもない。
さすれば、貴公の死は、むだになる。
大事は今がほんの端たん緒しょ。一名の生命といえ、おろそかにはならぬ。みかどの御為、一新の世直しの為、貴公は生命を惜しまれたい。
罪は、資朝が一身にかぶる。
鎌倉の裁きに屈せず、貴公はあくまで言い抜けろ。友を売るなどという小義にこだわらず、助かって欲しい。そして再び貴公が都に帰って、帝座の周囲を鼓舞する日のあらんことを、神かけて祈る。
――もう二度とは、こんな好機にも恵まれまい。これを以て、資朝のこの世における遺言の筆を擱おく。
君よ迷うな。
読後、御火中の事。
読み終ると、俊基はすぐそれを、灯にかざした。
油も尽きていたか。紙が燃えると、反対に燭は消えた。冥めい々めいたる真の闇が、辺りを塗りつぶす。
しかし、枕についた顔は、闇に迷い漂う物みたいに、ぽっかりと眼をあいていた。
﹁……資朝卿のお旨は、さながら、さきに自分が、妻の小右京や頼春に与えたことばと何の変りもない。今度はそれをわが身が受けることか。さても死にたくはないものかな……﹂
あくる朝の安倍川渡りには、手越ノ遊女たちの一と群れが、河原まで送りに来ていた。
もとより囚人輿には、後きぬ朝ぎぬの惜しみなどあろうはずもない。――彼女らは心得て、朝霧の中に離れていた。とはいえ、腫はれぼったい今朝の顔を見ればすぐ判る。――護送使の工藤、諏訪などの頭かし立らだった面々には、さすがテレ気味がおおいきれない。
およそ海道宿々の遊女は、いよいよ殖えるばかりに見える。公私共に、男の体は、遊女から遊女の手へと、夜ごと引き継がれてゆくような旅だった。――ここから先にも、清きよ見みが潟た、黄瀬川、足あし柄がら、大磯小磯、そして鎌倉口の仮けわ粧いざ坂かまで、ほとんど道みちの辺べの花を見かけない宿場はない。
だが、路傍の花も、道々の風光も、何の旅情でもありえなかった。日ならずして、護送の列は、鎌倉の府に入る。
少憩の後、
﹁両名の身は、審問の相すむまで、侍所に預け置かる﹂
と、沙汰される。
ここでも、日野資朝と日野俊基とは、顔を合せる折もなかった。隔かく離りは完全に行われ、監禁の場所も、極秘に付された。
おそらく、資朝も俊基も、
﹁裁きは、すぐにも﹂
と予期していたろう。
が、その審問はなかなか開かれそうもなかった。そしてこの直後、時局の側面的な変化が、朝廷と幕府の間に、見え初めていた。
× ×
× ×
資朝、俊基が関東の囚とらわれとなった後も、中央における事変の余震は、一日たりと、熄やんではいない。
六波羅の探索は、ますます露骨を極めていた。
何のかのと理由づけては、白昼、得えも物のを持った鎧武者が、内だい裏りにまで立ち入って来た。校きょ書うし殿ょでんの大庭やら梨なし壺つぼのあたりにすら、うさんな者が、まま見かけられたりするのだった。
﹁いまいましさよ﹂
朝廷の自尊には、耐えがたい侮辱であった。
特に、天皇後ごだ醍い醐ごは、お気も烈しい。
まだ、法皇後ご宇う多だが御在世のうちは、その機鋒も、多分にひそめておいでだったが、この年六月、御父の法皇がみまかられた後は、いちばい“北条討伐”の密謀に積極的なお励みがみえていた。
常に何かの燃焼がなければ、あり余って、持て余すような健康と智と豪気とを併せておられるような御肉体だ。
それが志を共にする公卿側近や、野に潜む宮方の輩やからをして、いよいよ、
﹁時は近い﹂
と、理由もなく気負わせつつあったことは否みえない。
たとえば、近来の文談会なども、六波羅など眼中にもない振舞だったし、そこでの口吻は、みな天皇の御意志かの如く受けとられ、倒幕の大業も、宣せん旨じ一枚の料紙で足るような驕おごりに酔っていた風であった。
が、ひとたび、武家の武断に出会ってみると、現実には全く手も足も出ない朝廷だったことを、いやでも思い知らされぬわけにゆかない。﹁いまいましさよ﹂との逆げき鱗りんもさることだった。
しかも、この先まだ第二波、第三波と、どんな圧迫があるかと観ている公卿たちは、昼夜、みかどの御無念そうな眉を繞めぐって、大内裏の広大な無力の森のうちで、今はただ恟きょ々うきょうと、ただ事の打開策に集議ばかりしている有様だった。
ようやく、何か打開の一案が見いだされたものであろうか。
その集議は、やっと、
﹁ともあれ、それに﹂
と、やや落着いて、夕べをさかいに、ひとまず諸卿は中ちゅ殿うでん︵清涼殿︶の昼ノ御座から西の渡わた殿どのを、休息のため、退がって行った。
やがて、お湯殿の上うわ屋やのあたりで、みかどのお声がしていた。﹁……廉やす子こを呼べ﹂と、仰っしゃったようである。浴後の御みぐ髪しやおん衣ぞの奉仕に侍かしずいていた女官のひとりが、
﹁はい﹂
と、后きさ町きまちの方へ、スリ足を早めて行った。
后町とは、女官たちのいわゆる御所ことばで、正しくは常じょ寧うね殿いでん、あるいは五節せち殿どのとよぶ。つまり中宮ノ御方や女御など、あまたな寵姫の起居している所で、五節ノ舞には、舞姫のためにもここの一殿でんが用いられる。
﹁……お召しとや。すぐ罷まかります﹂
三さん位みノ局つぼね、阿野廉やす子こは、仰せと聞くと、いま夕化粧もすましたばかりなのに、もいちど櫛くし笥げノ間まへ入って、鏡をとりあげ、入念に黛まゆずみや臙べ脂にをあらためてから立った。
そして、庭と大屋根、水と欄とを、およそ幾棟か知れぬほど巧みに組みあわせた後宮建築の廊を、いかにも王妃の艶とは、この女性にきらめいている物かとばかり、御みか溝わみ水ずのせせらぎと共に歩んで行くのだった。
まことに、彼女のほこらしさにすれば、后きさ町きまちノ廊ろうを通うたびにも、常に独りで、こう思惟していたことでもあろうか。
﹁……七殿でんの後宮のうちでも、召さるるはいつも、この身ばかり。わけて、関東へのお憤りに、公卿集議の日ごとのお疲れにも、わらわだけは、御心をお慰めするに足るものか。藤壺ノ御方も、桐壺ノ君とても、あれからは、お召しもないに﹂
彼女が中殿へ伺った頃は、みかどはすでに、御み餉けノ間まの御ぎょ座ざについて、陪膳のお相手を待ち久しげにしておられた。
しめやかに、そこでしばしお二人だけの晩餐になる。
それが終ると、席はまた清涼の昼の御みく座らへ移された。――なおまだ、夜の御みと殿のへお入りないのは、一たん休息に退がった公卿たちが、ふたたび御前にまかるはずだったからである。
﹁……では、鎌倉へつかわすその御ごこ告うも文んとやらを、大おお炊いどのが、ただ今、したためておるのでございますか﹂
﹁さよう……。集議、ぜひもなければと、ついに今日、それには極ったがの。さて、その文案は、むずかしかろ﹂
﹁告こう文もんとは、どんな意味を持つものやら。みことのり、綸りん旨じ、それともちがいましょうか﹂
﹁申さば、天子の私信。このたびの変も、陰謀とやらも、全く、天子自身は、あずかり知るところでなかった――という言い訳を遣わすようなもの。北条方とすれば、まさしゅう、天皇の詫び状なりと、鬼の首でも取ったように、見るであろうよ﹂
﹁ま。くちおしい限りではございませぬか。万乗の大君をして、さまで幕府の鼻びそ息くに阿おもねるような策をおすすめ申さいでも、毎日の公卿集議には、もそッとほかによいお智恵も﹂
﹁…………﹂
後醍醐は、お耳をすました。――そのとき南なん縁えんの鳴なる板いた︵鴬うぐ張いすばり︶に静かな跫音のキシミが聞えたからであった。
﹁冬ふゆ信のぶらしい﹂
みかどは、呟かれた。
あらかじめ、その者の伺候を、お待ちうけだったような御容子でもある。
廉子は、みかどのお側を立ち惜しみながらも、
﹁大炊どのがお見えとあれば、また夜の集議に、他の人々も罷まかられましょう。では、わらわは、これにて﹂
と、ぜひなげに、退がりかけた。
﹁いや、いてもよい﹂
後醍醐は、眉で抑えられる。
――と、もう殿上ノ間の端に、大おお炊いみ御かど門ふゆ冬の信ぶの姿が見え、そのまま彼方に平伏していた。
﹁冬信よの。告文の案は、認したため終ったか﹂
﹁仰せつけのまま、謹んで、浄書つかまつりました。……なれど、異例なる綸旨ゆえ、辞句にも甚だ苦しみ、内ない記きの人々とも、篤と文案を練りましたものの、なお心もとなく存ぜられます﹂
﹁さもあろう。天子が幕府の機嫌をとるような告文など、いかなる代にも、朝廷の内記が、筆にした例ためしはあるまい﹂
お声の裏には、自嘲と憤怒の響きがある。
ほかに策なきままの我慢のお哀かなしそうな迸ほとばしりが、逆に、投なげ遣やりのような調子で吐き出されたのだ。
冬信は、やや進み出て。
﹁聖旨に添い奉りますや否や、いちど叡えい覧らん給わりましょうか﹂
﹁それには及ばん。さっそく諸卿を召入れて、みなの意見に問え﹂
﹁では、これへ﹂
﹁……廉やす子こ、鈴を引け﹂
﹁はい﹂
彼女は、角すみ柱ばしらへ立ってゆく。
﹁鈴ノ綱﹂とよぶ絹きぬ縒よりの綱が下がっている。遠い校きょ書うし殿ょでんから蔵人たちの控え部屋にそれは鳴るような仕掛けになっていた。
五位ノ蔵人がすぐ御用を伺いに来る。それが去ると、一たん休息に退がっていた人々が順次見えて、各の席についた。
大納言公きみ泰やす、洞とう院いんノ公きん敏とし、近衛経忠、参議ノ光みつ顕あき、坊門ノ清忠、権中納言実世……。
なお、しばらくしては。
万まで里のこ小うじ路のぶ宣ふ房さ、三条公きみ明あき、藤原ノ藤房、二条道平、北きた畠ばた顕けあ房きふさ、吉田ノ大納言定房まで――およそ今上をめぐる上卿という上卿は、このほか、余すなく中殿の東西に居ながれた。
すべて、これらの公卿は、後醍醐が即位の頃からの、いわゆる“大だい覚かく寺じ派は”といわれる人々にかぎられて、おなじ宮廷の重臣でも“持じみ明ょう院いん派は”と疑われる者は、一名も交じっていない。
大覚寺派とは、何か。
持明院派とは何か。
これは今、ここでの説明はむりであるが、一言でいえば、皇室自体の数代にもわたる派閥の“皇統争い”なのである。言い換えれば、朝廷の内部も、一つでなかったことなのだ。悩みはまた、ここにもあった。
しかし、みかども、
﹁ここには、選ばれた者のみあるぞ。なべて一心同体の人々﹂
と、その御態度からして、特にお親しみを示されていた。女性では、三位ノ廉子もまた、同志の一人として、ゆるされていたのはいうまでもない。
﹁――冬信。いずれもへ、告文の奉書を廻して、一覧に入れよ﹂
やがて後醍醐のおんみずからな、おさしずであった。
草案には、さまざまな意見が出た。
﹁かりそめにも、天子のみことのりとして、かかる辞句は、御威厳にかかわろう﹂
﹁これでは、あたかも関東への詫び状か、上が臣下へ、誓書を与えるようなものに似る﹂
﹁あくまで、朝威を失わず、しかも日野資朝らの陰謀には、何ら、みかどには御関知なしとする、そこの辺を、もそっと強調すべきではないか﹂
等々々、文章上のことなら、公卿の得意とするところである。末梢の論議となると、なかなか尽きない。
だが、遊戯沙汰の文章とはわけが違う。もし執権の一いっ蹴しゅうに会ったらそれまでだ。すでに鎌倉では、現帝の後醍醐に、御出家をすすめるべきであるとか、いっそ遠おん流るし奉るべしとか、極端な論もあると聞えている。
﹁やむを得まい。辞句の端などに余りとらわれるな。そもそも、告文その物が、すでに謀はかりの一つであろうが﹂
最も御無念であるべきはずの後醍醐が、究極では、最もあざやかな御観念ぶりであった。
﹁さは申せ、みなの意見には、捨て難いふしもある。冬信、まいちど案を練って、清書してまいれ﹂
﹁はっ﹂
と、大炊御門冬信は、ふたたび内ない記きど所ころへ退がって、告文を書き改めて来た。
﹁――冬信、読め﹂
と、すぐの御諚。
公卿たちはみな、居ずまいを正した。聞きすますうち、或る者は、屈辱感にふるえ、或る者は、悲憤を面上にみなぎらした。
わけて、女性の廉やす子こは、声をすらシュクと洩らして、くやしげに咽むせび哭ないた。
一人の女性の嗚おえ咽つは、それの交じることによって、男だけの悲腸の座を、一そう深刻なものにする。
宮妃もあまたな中で、一人廉子のみが、こんな折さえ、お側に侍はべっているわけも、彼女のそうした共通の激情が、御心にかない、後醍醐のゆるすところとなっていたのであろう。
やがて、夜も更けて。
﹁さらば、関東への勅使には、宣房がよい。宣房、下くだれ﹂
と、お名ざしであった。
これには、誰の異存もない。
そこで、次の日、万里小路ノ大納言宣房は、七十ぢかい老躯をもって、関東下向の旅についた。
副使は、三条公明。
もちろん、勅使とあっては、鎌倉方でも、粗略にはできない。
幕府は、極楽寺坂まで、大勢の騎馬徒か士ちを繰り出して迎えたが、執権高時は、
﹁折あしく、発病のため﹂
と称となえて、勅使との対面は、これを避けた。
で、勅の告文は、秋あき田た城じょうノ介すけが代って拝受し、一行は、ひとまず定められた宿所に入った。しかし、執権ノ亭では、その間に、
﹁さて、朝廷の告文とあるが、いかなる仰おおせ降くだしやら?﹂
と、北条一統の群臣は、高時の簾を中心に居流れて、固かた唾ずをのんだ。
勅の文ふば筥こは、三方にのせ、高時の前におかれてある。
﹁城ノ介、読め﹂
高時のことばに、彼が、はっと進みかけると、二にか階いど堂うノ出で羽わノ入にゅ道うどう道どう蘊うんが、
﹁あいや、秋田、待て﹂
と、それをさえぎった。
二階堂殿もお頭つむが古い――と、彼は今時の御家人たちから、よく日ごろ嘲わらわれていることも知っている。だが、この場合は、いわずにいられぬような気もちから、人々の粗略をこうたしなめたものだった。
﹁朝廷のおん文筥は、これを開かずに、勅使へ、お返しあって然るびょう思われる。……さまで皇室を辱はずかしめるにも及ぶまい﹂
聞くと、人々は色をなして。
﹁これや二階堂どのには、不思議なことを仰せある。告文を見ては、なぜ悪いか﹂
﹁読まずとも、綸旨はおよそ拝察に難くない﹂
﹁とはいえ、勅使をして、わざわざ関東へ降されたものを﹂
﹁なおさら、封のまま、お返し申すのが、礼ではないか。およそ天子が武臣へ、告文を以て、御身の潔白を立てんとされたなどは、和漢にもその例なく、何とも、情けない朝廷のお姿ではある。ここは冥めい々めいの神威犯すべからずと畏おそれ敬うやまって、御返上申しあげておくのが北条家のためでもあり、行く末かけて、泰平長久の策とも、自分には考えられるが﹂
うなずく顔もなくはなかった。
しかしその二階堂道蘊の顔を睨まえて﹁……さらば御辺は、朝廷方か﹂と、今にも詰め寄りかねないような武人が、じつは大半以上であった。
ところが、この険しさも、とつぜん、奇児の哄笑みたいな調子外れの高笑いに、すぐはぐらかされてしまった。――上座の執権高時が、つづいてこう発言していた。
﹁二階堂。なにもさように、事むずかしゅう考えずとよかろうが。……せっかく下向した勅使も、開けぬ文筥では、持ち帰るにも、間まが抜けようぞ、かたがた、それこそ辱はじの上うわ塗ぬりをして、追い返すようなもの。一倍の不敬ではないか﹂
日ごろ、小児のような他愛もないことをいうかと思うと、時には、こんな理窟も述べる高時だった。こんな折の彼は、自己の自意識を、見事、名君のように錯さく倒とうしているものかもしれない。
﹁なじか苦しかろうぞ。城ノ介、それにて読め﹂
﹁はっ﹂
秋田城ノ介は、三方を押しいただいて、広間の中央へ戻って坐った。そして高時の方へ向って、告文を読み上げた。
ここで﹁太平記﹂の原本には、腑におちない一条が見える。告文の読よみ人てを、かの斎藤利行として、その利行が文中の、
天ノ
とまで、読みくだして来たところ、たちまち眼がくらみ、鼻血を出し、ついに読み終ることも出来なかったのみか、七日ほど後、喉の悪あく瘡そう︵できもの︶から血を吐いて死んでしまったということになっている。
つまらぬ作為である。当時、彼も鎌倉へは来ていたが、それは日野資朝、俊基の審議に加わるためだった。身分の上でも、彼が勅書を読むなどは、あり得ない。
このあと。
幕府の内部では、対朝廷策に異論百出、さまざま揉めた様子もある。だが高時の、
﹁何事も穏便がよい。穏便に﹂
という言が、こんども最後の重きをなし、勅答は穏やかに、先の告文とあわせて、朝廷へ返進された。これで一応、事変は解決したかに見えた。
とはいえ、日野資朝と俊基の身は、依然、解かれず、その年、正中元年も、ほどなく暮れた。
ぶらり駒ごま
表面、あくまで無事を衒てらって、北条の世は、ゆるぎない泰平と見せておく。 それには、先頃の正中ノ変も、極力、小範囲にすませ、これ以上の不安を世間にかりたてるべきでない。 幕府方針は、現地の六波羅とは逆に、そういう方向のもとにその年を越えたのだった。 ――がしかし、日野資朝、俊基の処分までを、いつまで延ばしているわけにもゆかない。 正中二年五月となって、やっと、その裁断は下された。 日野資朝の身は、死罪一等を減じて、佐渡ヶ島へ遠おん流る――。一方の俊基朝臣は、 ﹁あきらかな証拠もなし、その身分も一蔵人に過ぎぬ者なれば﹂ と、赦しゃ免めんの上、身柄は都返しと沙汰された。 もっとも、この処置が一般にまで知れ渡ったのは、夏も終りごろで、すべては誰も知らないまに、執り行われていたのだった。 それだけに、事後にこれを聞いた人々は、 ﹁ちと、ご偏へん頗ぱな﹂ と、首をかしげ、特に、武者所のうちには、 ﹁一方は遠流。なのに、一方を無罪とは﹂ と、それに不満な声もなくはなかった。 けれど、主脳者の高等政策と、武力主義の武者所との意見の相違は、これにかぎらず、毎々のことだった。で、まもなく今度の不平も、いつか忘れられていた。 その武者所への出仕を、高氏はここ一年ほど、黙々と、精励していた。 およそ、鎌倉御家人の、みな一ひと癖くせ二た癖もある中にあっては、彼の存在や精励ぶりなど、まことに凡々たるものだった。鳴かず飛ばず、一生涯でも碌ろく々ろくとそれにあまんじている人間のように見えた。 ――今日もである。 彼は、眠たげな欠あく伸びをかみころしていたような顔を、大小名の溜りの間から、廊の西にし陽びのうちに現わして“供待ち”にいる郎党の名を呼んでいた。 溜りに詰めている大名たちの、強がり話や、時局談議などには、なんの興味もないらしく、いつも居眠りを催すので、その方が彼には人々への気がねだった。――で、いつもよりちと早い退出とは思ったが、 ﹁十郎、十郎﹂ と、郎党の佐野十郎をよび、彼と共に、駒ツナギの方へ歩いて行った。 十郎は、残暑の蝿を追いやりながら、駒を寄せて。 ﹁さきほど、扇おうぎヶ谷やつ様︵上杉憲房︶から、おことづてのお使いがございましたが﹂ ﹁なんと﹂ ﹁涼やかなお夜食でも上げて、語りたいこともある。御帰途を、立ち寄ってくれまいか﹂ ﹁ほ……。ならば、そちだけは大蔵へ帰って、その由、父上に申しあげておいてくれい。わしの帰りを、お案じあってはならぬからの﹂ 武者所の門を出ると、高氏は一人、ぶらんぶらんと、馬の気まかせに道を扇ヶ谷の方へ歩かせていた。 すると彼方から、辺りを払うような大名の一列が、夕陽を負って近づいて来た。――馬上、華かし奢ゃな羅うす張ものばりの笠に、銀波を裾に見せた紗しゃの袖なし羽織という装いの佐々木道誉が、高氏を見て、遠くからほほ笑みかけていた。 ﹁や。高氏どのか﹂ 道誉は、何と思ったか、われから先に駒を下りて、愛想よくこう話しかけた。 ﹁つねに近江と鎌倉の間を往ゆき来きしておるため、ついお目にかかる折もなかったが、はからずも、よい所で﹂ 彼が下馬したのを見ては、高氏も鞍を下りないわけにゆかなかった。またその愛想笑いにたいして、ニベもない宿意を以て報むくうほど小心にして正直な彼でもなかった。 ﹁お。いつもお変りのうて﹂ ﹁何さ、何さ﹂ 道誉は、胸の前で、サラリと唐扇を開いて、ばさらな扇使いに、伽きゃ羅らと汗の香を放ちながら、 ﹁去年。其そ許こも御存知の土岐左近めが、公卿の謀たくみに乗って、六波羅の討手をうけ、あのような馬鹿な最期をとげたため、この方までが、とんだ飛ばッちりをうけるところでおざったよ。……がようやく、事も落着を見、俊基朝臣も赦免となられたので、身の疑いもまず晴れたが、いやお互い災難は、どこにあるか知れぬものでな﹂ これが何より道誉の言いたかったことかも知れない。 彼と土岐との、微妙な関係を知る者といえば、高氏一人あるだけと、道誉も内々、気味わるく思っていたに相違なかろう。――だが高氏の方では、そんな機会を利して他を失脚させようなどという気は毛頭持っていなかった。 むしろ今、彼の言いわけを聞いてから、初めて旧事を思い出し、そして、道誉のぬけぬけという厚顔さを、心のうちで、天晴れな奴とも思ったほどである。 ﹁いかがであろう﹂ 道誉は誘った。 ﹁おさしつかえなくば、儂みのやしきへ、ちょっと、お立寄り下さらぬか。路傍ではお話しできぬかずかずな話もある﹂ ﹁かたじけないが、じつは、扇ヶ谷までまいる途中。いずれ後日にでもまた﹂ ﹁それや惜しいが、上杉殿とのお約束があっては、お引止めもなるまい。そうそう。それで思い出したが﹂ と、道誉は、ちょっと、あらたまって。 ﹁昨日、執権御ごじ直きじ々きに伺ったが、このたびは、かねて内々の御縁談が、いよいよ、公儀の御みゆ認る可しとも相成ったよし、なんともめでたいことと、共におよろこび申しておる﹂ ﹁ははあ﹂ と、高氏は他ひと人ご事とみたいに。 ﹁はや、お聞き及びか﹂ ﹁太守︵高時︶のお口から洩れたこと。よも今度は、お間違いではおざるまい﹂ ﹁いかにも、都のあの変事で、去年は延のび々のびとなり申したが、どうやらこの秋には、部屋住みの高氏も、妻めを持つ男おと並こなみとなりそうでござりまする﹂ ﹁さだめし、蔭では悲しむ名なし草の花もあろうが﹂ ﹁え?﹂ ﹁いやなに。いずれ盛大な御披露もあることでしょう。そのせつには、お招きの端に、この道誉もぜひおわすれなく。……またお日取りの極り次第、こちらからも、さっそくお祝いには参上するが﹂ いつの場合も、妙に後あと味あじを持たせるようなことをいう癖のある男ではある――。 途み上ちで、道誉と別れた高氏は、ふたたび、ぶらりぶらりの馬居眠りでもして行くような姿だったが、胸のうちでは、 ﹁行く末、ああいう男を、敵にまわしては、うるさかろう。あの地位、あの婆娑羅、嘘も平気で忘れうる人間の無恥と粘りづよさも、時によれば、道具といえぬこともない﹂ と、考えたり、また、 ﹁……口ではこのたびのことを祝しながら、また口振りをかえて、さだめし蔭ではそれを悲しむ名なし草もあろうに……などと申しおったが、あれは何の意味でいったのか?﹂ などと、こだわるともなく、道誉一流のヘンな後味の語に、彼の茫洋たる性情にしても、つい、どこか引ッかかっている顔つきだった。 扇ヶ谷では、中門から玄関へ打水して、憲房自身、出迎えていた。 供も連れぬ彼の姿に、憲房はその軽々しさにあきれたが、これがこの甥の良さだというところも買っている。召使にいいつけて、すぐ風呂へ入れ、汗臭い狩衣を衫すず衣しにかえさせるなど、まるで野遊びから帰った子にするような世話だった。 そして、水のせせらぐ一亭に夕ゆう蚊かや遣りして、夜食を共にし、その後も、杯だけをお互いの前に残して、涼りょ夜うやをくつろいだ。 ﹁伯父上。……評定所やら、御政治向きの面もすべて、ここはだいぶ、お閑ひまになって来たらしゅうございますな﹂ ﹁されば昨年来の一件も、まず一と落着のかたちで、ほっとしておりまする﹂ ﹁が、奥州の騒乱は、まだ片づきますまい﹂ ﹁あれには、柳営でも手を焼いておりますな。近く、工くど藤うす祐けさ貞だなどの新手がまた加勢に派遣されましょうが﹂ ﹁中央の御処理も、じつはそれゆえの御寛大なのですか﹂ ﹁それもあるし、大きな声ではいえませぬが、幕府の策としては、どうしても将来、今上後醍醐の譲位をやむなくさせて、御みく位らいを他の君に……という大計の方へ傾いたことにもよるかと思われます。これは、ここだけの話ですが﹂ ﹁なるほど……﹂ 高氏は、うごかしていた団うち扇わの手をやめた。ツイと吸い込まれるように迷はぐれて来た蛍ほたるが、団扇の端にとまッたので、それを愛いとしむかのような沈黙をふとまもった。 憲房も、杯を啣ふくんで。 ﹁ときに、婚儀のお日取りですが﹂ ﹁はあ﹂ ﹁この秋の重ちょ陽うよう︵陰暦九月九日の菊ノ節句︶はどうかと、昨日、赤橋どのから正式に相談してまいられましたが﹂ ﹁それはまた、急ですな﹂ ﹁急がよいとは、赤橋どのの仰せでもあるらしい。すでに結ゆい納のうなどは、とうにすんでおること。またぞろ、不測な出来事によって、去年のような延々を見ぬうちにというお考えかと思われる﹂ ﹁高氏はいつでもかまいません。すべて伯お父じ君まかせ﹂ ﹁では、それもお任せして給わるか。菊ノ節句、悪くない日でございましょうが。登子の君にもさだめし待ち久しいことでおざろう。……では、それときめて﹂ 憲房は、さっそく、高氏へ一酌しゃく向ける。 蛍が二人を巡めぐっていた。 吉日は近づいた。 かねがね、噂もなくはなかったが、足利、赤橋両家の婚礼が、いよいよ政まん所どころ告示にもなり、また、執権高時から両家への正式な祝いの使者を見るやら、忙しげな出入り商人の往来などを知るにおよんで、人々はいまさらみたいに、 ﹁さては、ほんとか﹂ と、驚いたさまだった。 噂はあっても、今日までのところ、おおむねは、 ﹁赤橋殿と、足利家とのツリ合いでは﹂ と、まず疑い、 ﹁わけてまた、なんの取り柄もない、どちらかといえば醜ぶお男とこな薄あばたの小殿などへ、なにを好んで、登子の君が嫁ぐものかよ。――特に、北条一族中でも、かがやかしい歴々のお家柄たる赤橋殿の妹いも君ぎみが﹂ と、多くは、一笑に付していたのである。 それだけに、事実と知ると﹁――兄守時どののお気も知れぬ﹂とか。﹁あんな美み眉めよい妹君を、選りに選って……﹂とか言いながらも、 ﹁そうだ、さっそくお祝いに参じねば﹂ と、世渡りの如才は忘れず、鶴ヶ岡の赤橋邸へも、大蔵の足利家へも、それぞれ、ひきもきらぬ客だった。 赤橋家はともかく、足利家にこんな現象はめずらしい。 当主貞氏は長い病身で、営中でも忘れられていた程だし、一子高氏は凡ぼん庸ようと見られて、久しく客も稀まれな門だったのだ。それが、執権の近親赤橋どのの妹いも聟とむことなると分ったのである。俄然、衆目はちがって来た。 しかし、当の高氏は、いっこう違ってきた風もない。日が迫っても、出仕はしていた。そして相変らず、ぶらんぶらんと馬まかせの弛ゆる手たづ綱なで、夕陽の頃には、武者所から退がって来た。 ﹁ほう。このおびただしい荷は、どこから来たのか。なに、嫁御寮の実さ家とからだと﹂ いま、屋敷の式台をのぼった彼は、足の踏みばもないほどな荷物を見て、なにか当惑そうな顔でもあった。しかし、うれしくないはずはなく、 ﹁もう、数日だな﹂ 呟きながら奥へ通った。 きのうまでは、鑿のみや手ちょ斧うなの音が屋敷うちに谺こだましていたが、今日はまた襖ふすまの張りかえやら御簾職人などが、各部屋ごとに立ち働いている。また一室では、上杉家から手伝いの家職まで来て、式日万端の打合せに額をあつめている様子だった。 父貞氏の病間には、ちょうど憲房も来合せていて、高氏を見ると、すぐ告げた。 ﹁祝言の前に国もとから母上の清子どのも見えるそうじゃ。舎弟直ただ義よしどのから草心尼までが、あの覚一をも連れて、はや足利ノ庄を立ったと、たった今、早馬があった﹂ ﹁え。母上のみならず、弟も、草心尼母おや子こもまいりますか。それや久しぶり大蔵もにぎやかになりますな﹂ 父もさぞと、彼は、父の姿を見て言った。息子の挙式がきまってから、貞氏も病と床こを払って起きていた。 ところへ、表の小侍がこう取次いで来た。 ﹁――若殿。ただ今、佐々木道誉どのの名みょ代うだいと申す女性が、お祝いの品々を持って、ご挨拶にと、お越しなされましたが﹂ ﹁なに、佐々木から﹂ 取次を措おいて、そこの三名は、顔を見あわせた。 高氏には、いつぞやの途上の彼が、あの折の後味のまま、すぐ思い出されたことらしい。 また、父貞氏や憲房にしても、それぞれが、道誉という人物にたいしては、かねて特異な感情と、警戒をいだいていた。――すべては、まだ足利家の曹司︵部屋住み︶高氏にすぎない巣の雛ひな鳥どりをあやぶむ年上たちの庇ひ護ごの愛情に似たものだった。 ﹁取次の者﹂ 憲房が向き直って訊ねた。 ﹁――諸家から祝言のよろこびもまいるが、女使者とは、異な使いではないか。佐々木家の者に違いないのか﹂ ﹁相違ございません。巻絹十疋ぴき、砂金一嚢のう、酒一荷か、大鯛一台などの品々を供に担になわせて、そのお使者は、女おん輿なごしを中門で降り、色しき代たいうやうやしげに――若殿さま御婚礼のお祝いに、佐々木道誉の名代として遣わされました者――と、たしかな御口上なので﹂ ﹁はて。名は﹂ ﹁女性なので、わざとお訊ねは、さしひかえましたが﹂ ﹁では、佐々木が局つぼねの女房でもあろうか﹂ ﹁いや、どこやら艶なまめかしい水すい干か衣ん立たて烏え帽ぼ子しという粧い、あるいは、特に御ごひ贔い屓きの白拍子かもしれませぬ﹂ ﹁はははは。白拍子を祝言の使者によこすとは﹂ 憲房は、急に笑い出し、 ﹁いかにも、婆娑羅な彼の思いつきそうなことではある。……とはいえ、ともあれ佐々木の名代。西の書院へ、お通ししておけ﹂ ﹁はっ﹂ と、取次は小走りに退がって行く。そして、憲房もまた、 ﹁どれ。……会わぬわけにもまいるまいて﹂ と、起ちかけた。 すると、高氏がすぐ、 ﹁いや、私が会いましょう。伯父上、その使者には、高氏が会いますから、どうぞ、おまかせおきを﹂ と、やや慌て気味に、さえぎった。 そして、いぶかるような父貞氏の眼を横顔に感じながらも、高氏はしいて大股に、自身、書院の方へ出て行った。 何気なく見せて起って来たものの、彼の一歩一歩は、茨いばらを心で踏むような痛さだった。﹁……ひょっとしたら?﹂と予感されるものがある。もし予感が外はずれてくれればよいが。 先ごろ、道誉が途み上ちの別れ際にいったことを、あらためて思い出さずにいられなかった。﹁……めでたい蔭には、それを悲しむ野の花もおわそうに﹂と、彼きゃ奴つはいった。――決して、故なくして出る言ではない。 ﹁もしや、婆娑羅めが。……いや、まさか?﹂ 小心な自己、弱い自己が、その間、だらしなく彼にも意識されていた。――すでに、西の書院の内が、中ノ坪の高欄ごしに覗かれ、端然とひとり坐っている水干姿の女使者の白い横顔も見えていたのである。 そして、そこの半はじ蔀とみの蔭まで来て、覗くともなく、内を窺うかがい、 ﹁オオ……﹂ 思わずぎくと立ちすくんだ時、微かだったが、女の声が、内からも洩れて、その感情を、じっと抑えるかのように、白い顔が振り向いた。 ﹁藤夜叉だな﹂ ツツツと、高氏は足つき荒く内へ入った。そして、彼女の前に、いや、わざと遠くに、どかと坐った。 この所しょ作さはもう、感情もむき出しな彼だった。 使者に名を藉かり、藤夜叉がこれへ来たのも、ゆるされぬし、もしまた、これが道誉の悪質な悪いた戯ずらなら、なおさらなことと、腹が煮える。 ﹁…………﹂ が、藤夜叉は、すぐ手を下につかえてしまったきりだった。しばらくは、面も上げず物もいわない。ただ、ポトリと涙の音がその辺でする。 高氏は自己の煩悩と当惑を、意識なく、男の憤怒にスリ換えていた。愛情などは、みじん感じさせぬ声こわ音ねで叱ッた。 ﹁なにしにまいッた。藤夜叉﹂ ﹁…………﹂ ﹁この折と、高氏を困らせにでもまいったのか﹂ ﹁……ま。なんで﹂ 心外な、と彼女は濡れたままの顔を上げた。金きん揉もみ烏帽子に黛まゆずみの白拍子化粧がまたなく似合って哀しい胸を、そのまま脂粉で顔に描き現したもののように見えた。 ﹁まこと。道誉さまのおいいつけで、ぜひものう、お祝いに参上したまででございまする﹂ ﹁うそをつけ。そなたが望んだことであろうが﹂ ﹁高氏さま﹂ ﹁それみい、その眼まなざし。わしを怨んでいるではないか﹂ ﹁女ごころ。ゆめ、お怨みせぬとは申しません。けれど、今日はちがいます。取りみだれぬうちに、お使いの口上だけを申しまする﹂ ﹁よせ。心にもない祝いなど聞く耳持たん﹂ ﹁でも、申さいでは帰れません。このたびはおめでとうぞんじまする。心ばかりな品々は、この目録と共に、どうぞお納めおき給わりませ﹂ ﹁なぶるのか、わしを﹂ 高氏は、彼女がそこへさし置いた目録の奉書を、すぐ引ッ奪たくって、破り捨てた。 ﹁女っ﹂ ﹁……はい﹂ ﹁それは道誉の口上か。そなたの皮肉か﹂ ﹁道誉さまです。道誉みずから参上するところなれど、風邪ごこちゆえ、あしからずとの、おことばでもありました﹂ ﹁ならば、なぜ断らぬ。道誉のいうがまま、かような使者となって、のめのめ来たか﹂ ﹁嫌いやと否めば、義お父やの花夜叉も、憂き目にあい、一座の者も、近江の御領下から追われましょう。なにせい、私たち一座の者は、佐々木家に飼われているお抱えの芸人です﹂ ﹁そ、そんな所に……なぜいつまで、飼われているのだ﹂ ﹁たれがいたいことがございましょう。けれど、時節の来るまで、おとなしく、じっとそこにおれと仰っしゃったのは、高氏さま、あなたではございませぬか﹂ ﹁なに﹂ ﹁忘れもせぬ去こ年ぞの初秋、右馬介どののお手引きで、小こつ壺ぼノ浦で、うれしい半夜を、二人だけで語りました。その折の約束を、藤夜叉はついぞ破ったことはございません。……だのに、あなたはあれ以来、いちども会うては下さらず。二人の仲の不いさ知や哉ま丸るも、無事に育っているのかどうか、それすら聞かしても下さらないではございませぬか﹂ 彼女はもう場所がらも見得もなく、水干の袖に面をおおって泣くばかりであった。 そうだ。――不知哉丸。 ふたりの仲の子。 思えば、情痴の争いや涙の遊びだけで、事のすむ自分たちではなかったのだ。 高氏は、いまさらのように、かえりみる。 決して忘れ果てていたわけではないが、断ちきれないその鎹かすがいを、藤夜叉の口から今つきつけられて、初めて自己の“父”も実感されていたのだった。 ﹁案じるな。……子のことは﹂ 彼もつい、彼女と共にぼろぼろ泣いて。 ﹁不知哉丸の身は、その後も、つつがなく、田いな舎かわ童らべのあいだで育っておると、右馬介の実さ家とから便りもあった。親は無うても子は育つとか﹂ ﹁預けられた田舎はどこでございましょうなあ﹂ ﹁三河の一いっ色しき﹂ ﹁近江とこことの往ゆき来きには、あの近くもよう通りまする。よそながらでも、和子の育ちを見に寄ってはなりませぬか﹂ ﹁よすがいい。時来たれば、会わせてやる。――三河一色、吉き良ら、今川、その他、あの地方には足利家の同族が、郷さとを接して、びっしりと住み合うておる。和子の行く末を思うなら、せめて元服の年頃まで待て﹂ ﹁ああ、見たい﹂ 藤夜叉は、また、身を揉んで。 ﹁この秋は、四ツになります。遊ぶにも、はや駈け歩いておりましょうに﹂ ﹁もう四ツかのう﹂ ﹁あなたは、見とうも何ともありませぬか﹂ ﹁……藤夜叉﹂ ﹁あい﹂ ﹁今となって、何の愚痴だ。そなたも、一切は得心ずくで、右馬介の手に、和子を預けたはずであろうが﹂ ﹁よう、わきまえてはおりまする。われとわが身に、いい聞かせてもおりまする。でも、女の哀しい身は、眠られぬ夜々を、どうする術すべもございません。いっそ死のうか。いっそ、和子を奪とり返して、身を隠そうか。……時には、鬼になりそうな気もして来て﹂ ﹁鬼に﹂ 高氏は、さっきから見ていたのである。以前にはあった野性美は削そがれて、どこか智恵に磨かれてきた彼女の美には、いたく窶やつれが潜んでいる。不眠の夜がつづくというのはほんとであろう。そして、生きながらの鬼を自分の心に思う女が、夜半、どんな幻覚を夢うつつに抱くだろうか。傷いた々いたしくもあり、恐ろしくもある。 と、廊の外で、小侍の声だった。 ﹁若殿、お召しでございます﹂ ﹁たれが﹂ ﹁御病間の方で、大殿が﹂ ﹁そうか。いままいる﹂ ――それを、機しおに、 ﹁藤夜叉、はや帰れ。……そして立帰ったら、道誉に申せ。おこころざし、まことに過分、高氏、きもに銘じおきますと﹂ ﹁あ、お待ちなされて﹂ 起ちかける高氏の袂へ、初めて、藤夜叉の白い手が絡からんだ。 ﹁近いうちに、もいちどお目にかかれましょう。けれど、その日は、こんなお話もなりますまい。どうぞ、もすこし下にいて﹂ ﹁なに、また近いうちにだと﹂ 言いかけたが、そのときチラと、北廂の簾の外でうごいた人影が見えたので、高氏は、はっと口をつぐんだ。――しかもそれは、伯父の上杉憲房らしく思われた。 伯父の憲房は、その夜も、次の日も、藤夜叉のことについては、何もいわない。 高氏にすれば、それもまた、こそばゆかった。彼らしくもなく、当座は父や伯父の顔いろがつい見られてならなかった。 しかし、数日の邸内は、そんなものを、たれの胸にも置かせない忙しさだった。 ――貞氏すらも、家臣の肩にたすけられて、その病間を出で、新装された広間や、若夫婦のために改築された新殿のあちこちを、見て廻って、 ﹁見ちがえるようになったの。これで、身の宿しゅ痾くあさえなくば……と思うが、しかし高氏のためには、父が頼りにならぬのも、かえって覚悟の上にはよかろう。これを機しおに、高氏に当主を譲って、名実共に、わしも入道、隠居の身となろう﹂ と、洩らすなど、とにかく下しも屋や、釜かま殿どののお末まで、盆と正月がいちどに来たような明け暮れだった。 その上にもまた、 ﹁いよいよ、明後の夜は、嫁君のおん輿入れ﹂ と、かれている前々日。 足利ノ庄の国もとから、高氏の母清子が、次男の直義、老臣、それに草心尼と覚一の母子までをつれて、ここへ着いた。 いや、そのほか、三州知多の吉良、仁にっ木き、斯し波ば、一色、今川など、足利支流の族党たちの家々からも、名代、あるいは有うえ縁んの者が、 ﹁御盛儀のおん祝いに﹂ と、続々出府して来て、鎌倉じゅうに分宿していた。 それは、驚くべき人数となった。――野州足利ノ庄は、足利の本拠といえ、まことに微々たる一僻地にすぎないが、やはり古い名族だけのものはあって、他州に分布されていた血流がたまたまこんどのよろこびを機会に集まったのを見ると、 ﹁さすがは源氏の嫡系、足利党もゆゆしきもの﹂ と人々は、その潜勢力に、いまさらの如く、眼をみはったようである。 そうした中で、貞氏の病間も、肉親たちの和やかな笑いに、時ならぬ春を呈していた。 ――高氏の眼には、父と母が、夫妻として、こう打揃ったのを見るのも何年ぶりかと思われた。そしてこんな団だん欒らんも、結婚のおかげと思えば、自分一代の華典という意味だけでなく、老いも近い両親への贈り物でもあったわけだと、これまでの不孝のなぐさめにもなる気がした。 ﹁やがては、求めないでも大乱は必ひつ定じょうだろう。――この先、こんなよろこびの日を、またと、御両親にお見せできる日があるかないかも知れぬ世だ﹂ こんな日にも、日頃のぶらり駒の背の上でも、世は必定の大乱と見ている先見だけは、いつも高氏の胸にある。 その兄の隙を見て、直義が、ふと誘った。 ﹁兄あん者じゃ人ひと、お手すきなれば、裏の丘へのぼってみませんか﹂ ﹁オ、直義か。まだ二人だけで落着いたはなしも出来ずにいたなあ。そのくせ、わしは用なしのぶらり駒よ、用がなくて困っているほどだ。行こうか﹂ 屋敷裏の丘は、六むつ浦ら越えの山波へつづいている。兄弟は秋草の中に岩を見つけて腰かけた。野ぶどうの実が、足もとに見え、鵯ひよが高啼く、鵙もずの音が澄む。――ふたりの胸に幼時の秋が思い出された。繚りょ乱うら七んな種なくさ
﹁あすの夜ですなあ、もう﹂
﹁なにが﹂
﹁なにがッて、兄者人……。はははは﹂
直義は、兄を指さして、からかった。
﹁――お羞はに恥かみだな、ひどく﹂
﹁わしの嫁迎えか﹂
﹁もちろんです。同時に、足利宗家の御当主、もう兄者人などと甘えて呼ぶこともなりませんな﹂
﹁では、どう呼ぶのだ﹂
﹁正しく、殿とか、高氏様とか﹂
﹁つまらんことを。……なあ直義、おたがいは、いつまでも、腕白時代の兄ふた弟りの気心のままで行きたいものだ﹂
﹁ほんとですか﹂
直義は、並んで腰かけている兄の膝がしらを、固くつかんで。
﹁では。この弟が、何をいっても、御勘弁くださいましょうな。もし、お気に障ったら、幼時のお互いみたいに、直義の頬を撲はりつけて下さればいい﹂
﹁いってみろ、何かは知らぬが﹂
﹁置文のことです﹂
﹁……置文﹂
高氏の眼と共に、直義も辺りを見廻した。鎌倉中、谷やつ々やつの甍いらかや町屋根は、木この間ま遠く、ここらの小山小山も、秋の昼さがりを、からんとして、萩はぎ桔きき梗ょうに、微風もなかった。
﹁いつか、鑁ばん阿な寺じの御みた霊ま屋やで、置文を御披見なされた折、兄者人は、その場で、あれを焼きすてておしまいなされた。……けれど、祖先家時公の御遺言は、かえって、お胸のうちに、不滅となって封じられたものだと、私も信じ、その後、右馬介も同様な心でおりました﹂
﹁…………﹂
﹁ところが、まもなく、北条一族たる赤橋殿の妹いも君ぎみを、お娶もらいになると聞いては、兄者人の御真意も、わからなくなりました。政略結婚、よくある手です。でも、置文を見て、涙をそそいだ兄者人。……よも小さい栄えよ耀うに眼がくらんで、北条方の籠ろう絡らくに乗るはずもなし、或いは、などと﹂
﹁わからぬというのか。兄の本心が﹂
﹁正直、不安でなりません。いつのまにか、御変心ではあるまいかと﹂
﹁ばかだなあ、おぬしは﹂
﹁直義の疑いが、馬鹿げていたら、本望ですが﹂
﹁弟……。明日の夜わかるよ。まず、おぬしにとっても嫂あによめとなる花嫁の登子を見てくれい。美人だぞ。眉み目めばかりか気だてもいい。一生の持ちものとして気に入ったから娶もらったのだ。ほかに、他意もないわさ﹂
﹁冗談はよして下さい﹂
憤むッとしたらしい。直義は石を離れて突ッ立った。
﹁今日こそ、お胸の底をたたいておく日と、直義は、足利一族の運命の岐わかれを負ってお訊きしたのだ。ひとの持つ嫁、その嫂が美人であろうと醜しこ女めであろうと、知ッたことか﹂
﹁怒ったのか、直義﹂
﹁あたりまえだ﹂
﹁そう嫉やくな。おぬしにも、やがていい嫁が見つかろう﹂
﹁何を、いらざるたわ言ごと﹂
いきなり、直義が胸いたへ突いて来た腕を取って、高氏の体も、諸もろ仆だおれに、秋草の中に埋まった。
――兄弟喧嘩と、早合点したに違いない。さっきからそこを少し離れた所にぽつねんと坐っていた者は、驚いて人を呼びかけた。だが、声も揚げ得ず、その墨染の袖を頭からかぶって、草むらを這わんばかり、ふるえていた。
つかみ合ったまま、諸仆れに、萩や桔梗を体にかぶった兄弟は、幼少の頃よくやった狆ちんコロの喧嘩みたいに、どっちの手も、首の根を把とったり、襟もとをつかまえて、そのままいつまで、解ほぐれようともしなかった。
そのうちに、高氏が、
﹁ははは、あははは﹂
体じゅうで笑い出すと、直義も急に、くすぐッたそうな声をあげて。
﹁ハハハハ。……あ、兄あん者じゃ人ひと。……兄者人は、おひとがわるい。私をからかっているんだな﹂
﹁いや、本気だ本気だ。もっと怒れ。怒らないのか、直義﹂
﹁怒れない﹂
一そう、兄のふところ深くへ、その顔を突っ込みながら、直義は泣き出しそうな声で言った。
﹁たとえ、どうなっても、直義は兄者人の弟です。怒ってみても始まらない﹂
﹁そうだ。かつて、わしが蟄ちっ居きょの日にも、警固の垣を窺って、生いの命ちがけで幽所の兄に近づこうとしてくれたこともあったな。……ああやはり弟よと思われて、あのとき、口に出さねど、うれしかった﹂
﹁そんなこと。……それよりも兄者人には、きっと、べつに本心があるのでしょう。それを明かして下さい。この弟を、弟と信じて下さるなら﹂
﹁さほどまでにか﹂
高氏は、寝たまま、また、弟の襟もとをつかんだまま、恐いような顔を示して。
﹁では、いうぞ﹂
﹁お胸の底、打割って下さいますか﹂
﹁置文に誓うた心は、今日とて、少しも変っていない。たとえ、北条一族の姻いん戚せきに列しようと、赤橋の妹を妻めに持とうと、なんで初志を変えようぞ。むしろ、鎌倉御家人どもの眼をあざむくにも、徐々に大事を計ってゆくにも、よい階きざ段はしとすら思うている﹂
﹁おゆるしください﹂
刎はね起きて、
﹁とは知らず、直義の小心から推量などして、雑言を吐きちらし、申しわけもございませぬ﹂
と、彼は手をつかえ、高氏はその肩につかまって、共に起きて、草に坐り直した。
﹁したが、直義。わしの心底はまだ、父上にも伯父上にも、いうてはいない。洩らすなよ、誰にでも﹂
﹁が一人、右馬介だけは、とうにお胸の奥を読んでいましょう。折々の便りにも、彼が未来にかけている心がけがみえまする﹂
﹁オ。右馬介はいま、どこにいるのか﹂
﹁兄者人へは、便りもよこしませぬか﹂
﹁以来、何も﹂
﹁要心ぶかく、わざと、書状などひかえているのでございましょう。――昨今、摂津ノ住吉辺に、小こだ店なを構えて、武具馬具の修つく繕ろいなどを、表むきの生なり業わいとして、それを手ヅルに南都、叡山の僧兵やら、諸家へも出入りして、宮方のおうごきなどを、密ひそと探っておるよしにござりまする﹂
――しっと、高氏は眼で、彼の次のことばを抑えた。どこかで、女性のまろい声が澄んだ尾を曳いて流れてくる。
たれかを、呼び求めつつ、丘の繚りょ乱うらんな秋草の中を、こっちへ近づいて来るものらしい。すると、二人の位置から遠からぬ草むらのうちでも、
﹁――お母アさま。ここです。お母あさま﹂
と、ふいに一人の小法師が立って答えた。
不覚。
こんな丘に、人の耳があろうとはと、虚をつかれたにちがいない。
﹁たれだっ?﹂
直義も、また高氏も、思わずその小法師の方へ、眼をそそいだ。
小法師の姿は、この真昼を、闇夜のように手さぐりしていた。身の丈たけをこえる穂すすきの穂を、ガサと分けて、彼も耳に怯おびえをうけたらしく、
﹁あっ。……直義さまでございますね﹂
と、雲へ問うように、顔を澄ました。
﹁おお、誰かと思えば、覚一だったのか﹂
﹁覚一でございます﹂
﹁さっきから、そこにいたか﹂
﹁はい﹂
﹁わしたちが話していたことを、聞くともなく、そこで聞いたか﹂
﹁……い、いいえ﹂
あわてて、首を振り、
﹁なにも存じません。ハイ。いつのまにかトロトロと居眠っていたのでしょうか。母の呼ぶ声に眼がさめました。そしたら、あらぬ方で、べつなお声がしたので、またびっくりしてしまったんです。――そこには、高氏さまもご一しょでございますね﹂
﹁覚一。久しかったなあ﹂
﹁おおそのお声。……おなつかしゅうございまする﹂
﹁そちとは、都の六波羅で、別れたきりよの﹂
﹁はい。お変りなく、と申しあげても、盲めしいの身、御成人ぶりも仰げません。……私も大きくなったでございましょう﹂
﹁ムム、あの頃よりはな。……幾つになったの﹂
﹁十四になりました。あの折お誓いしたように、琵琶は片とき離さず習まなんでおります。こんな、おとりこみの日でなければ、一曲でも、修業のあとを、聴いていただきたいのですけれど﹂
﹁よい折に、いつか聴こうよ。――おお母の草心尼が降りて来る。母と一しょだったのだな﹂
﹁ええ。晴れのお屋形の間まごとに花を挿いけねばと、花を集めにこれへ登り、母が待てと申すまま、私のみ、独りポカンとここに居眠っていたのでした。……あ、お母あ様、ここですよ。高氏さま、直義さま、お揃いでここにおいでなさいますよ﹂
丘の上から近づく母の跫音にさえ、覚一はそぞろな両手を空にまさぐって、もうすぐ他愛ない子に返っている。
草心尼は、花籠を腕にかけ、高氏たちを見ると、遠くからホホ笑みかけていた。
以来のあいさつは、昨日、大蔵に着くと早々すんでいたこと。ここでは、内輪同士の親しさがあるだけだった。――ほどなく、四人皆して覚一の足もとを労いたわりながら、屋敷の裏へ降りて行った。
一夜あけると、大蔵の邸は、花嫁の輿の道すじから、門前門外、すべて敷しき砂すなされ、新郎新婦の起居する一殿の欄らん下かを流れる小川の朽くち葉ばまで、底の透くほど、きれいに清掃されていた。
かぞえきれぬ程な間ごと間ごとの花かへ瓶いや籠には、菊が匂った。老女らと共に、それぞれの室にも挿そう花かの意匠をほどこしおえた草心尼は、やがて、
﹁盲の子連れなどがおりましては、かえって、こよいのお邪さまたげ、私どもは、蔭にて、祝ことほぎ申しあげておりまする﹂
と、覚一を伴って、扇ヶ谷の方へ移って行った。
その晩の扇ヶ谷家は、憲房以下、あらかた宗家の婚礼に行っていて、広い邸内も、無人にひとしいひそけさだった。
母一人子一人のふたりぼッち。草心尼にも覚一にも、こんな晩は、むしろ愉たのしい。
﹁覚一、淋しゅうないか﹂
﹁ちっとも﹂
﹁どうしたのじゃ。きのうの昼、御兄弟がたと、大蔵の丘を降りてから、いつにもなく、無口のような﹂
﹁そうですか、じぶんでは、気もつきませんが﹂
﹁はしゃぐ時は、よう、はしゃぐ癖にして。……やはり父ててなし子のせいよと、人様にいわれなどしたら、母は侘わびしぞえ。そなたを、ひがみッ子には、育てとうない﹂
﹁お母あさま﹂
覚一はすり寄って、その手さきで、母の膝をさがし当てた。
﹁私はいい子か悪い子か、じぶんでは分りません。それに生れながらの盲めしい。もし覚一に、いけない癖が出たら、お母あさまの手で打ッてください。打ちすえて下さいまし﹂
﹁ま。なんで母にそんなことが出来ましょうぞ。そなたの父てて御ごも、戦いくさでお果てなされたが、その父御は、そなたの不具を、自分のなした業ごうのむくいか、遠い武門の祖おやどもが、多くの人々を殺あやめたゆえの因果かと、よう仰っしゃっておいでだった……。何も知らず、そんな因果を負うて来たそなたを、どうして母が﹂
﹁でも、覚一が都に出て習まなんでいた間には、お師の禅師さまにも、よう叱られました。憶おぼえが悪いといっては、琵琶の撥ばちで打たれ、節ふし語がたりに、東国訛なまりが抜けぬといっては、お手の中ちゅ啓うけい︵半開きの扇︶を、この盲めしいの顔へ抛ぶつけられたり……﹂
﹁オオ、そのように、おきびしいのか﹂
﹁それくらいはまだ、なんでもありません。寒稽古には、霜夜の庭の素むしろに坐らされて、喉のども破れ、凍こごえた指は、琵琶の糸に、血のしたたりを濡らしまする。――さてまた、お師の禅師の前で、うかと、眠たげな弛ゆるみでも見せようものなら、なお大変です。お眼を怒らせて、愚鈍な奴かな、そんな性根で、なんで一道を習まなびえようぞ、それでも汝われは、人なみの子か。もう破門じゃ。いっそ他の傀くぐ儡つ師しに就き、大道芸人の弟でし子わっ童ぱとなり、笊ざるを持ッて銭乞いでもするが、その性さがに、ふさわしいぞ。……くやしいか。くやしくば人なみに励んでみよと﹂
﹁覚一。もういわないで﹂
﹁おや。お母あさまは、何をお泣きになるんですか﹂
﹁だって。……聞くだにもう辛いものを﹂
﹁ごめんなさい。お母あさまを辛がらせようとて、こんなことを、初めて、お聞かせしたのではございません。覚一には、この頃また、その恐いお師匠さまが、無性に恋しゅうて、ならないのでございます﹂
﹁そんな酷むごいお師でもか﹂
﹁ええ、なぜかお慕わしいのです。都から帰ってからは、覚一は毎晩、お母あさまのふところに抱かれて眠り、なんの不幸も知りませぬ。けれど、せっかく修業中の芸の道は、とんと崩れて、ちかごろ駄目になりました。下へ手たになった、勉強もしなくなった。そしてわがままばかり募つのって来て……と思うにつけ、かつての日、琵琶の撥ばちで、私の懶らん惰だを打ッて下すったお師匠さまが、恋しくてならなくなるのでございまする﹂
﹁覚一。なにをいうの﹂
草心尼は、ひしと抱きよせて。
﹁……まだ遊びざかりのそなた。その上、眼さえ不自由なのに、日頃の母のことばも、よう聞きわけて給もるわいの。いかに、修業の道だからとて、そんなにまで、われと我が身を酷むごう持って、自分で叱ることはないぞえ﹂
いつもなら、覚一とても、図にのッて、母の暖い香に、そのまま甘えているだろうに、なぜかこよいの彼は、その膝をもじもじ去って、両手をつかえた。
﹁おねがいです。お母あさま、もいちど覚一を、都へやって下さいませ﹂
﹁……え?﹂
草心尼は、かたく自信していた母の懐に、ふと、水みず瓶がめのヒビでも見たときのような不安と淋しさを抱かせられて、子の姿を見まもった。
﹁……ど、どうして﹂
﹁もっと、琵琶の修業をつみ、おなじ一生の道とするなら、その道を究めるところまでやりたいのです﹂
﹁そしたら、なにも母のそば離れて、遠い都へ出ないでも、そなたに教えて給もるお師が、この鎌倉にないこともあるまいに﹂
﹁いえ、鎌倉には、良い師はあるまいと、人も言いますし、ここは長く住む地でもありません。今にきっと、恐ろしい修羅の地に変りましょう﹂
﹁そなた……妙なことを、お言いやる。……なんで、この鎌倉の府が﹂
﹁いまは、申しませぬ。そら恐ろしゅうて、口にも出せませぬ﹂
﹁覚一﹂
と、彼女はつめ寄って。
﹁なぜ、母にお隠しなさる﹂
﹁ただの隠し事などではございません﹂
﹁いうて給たも。きのうからの、そなたの妙な無口。なにかそれにも、わけがあるのであろ?﹂
﹁じゃあ、お母あさまだけのこと、言ってしまいますけど……﹂
覚一は、針を並べたような眼で、しばらく、辺りの気配を、心の耳で聴いていたが、やがて唾つを呑むような、小声をひそめ、
﹁お母あさま。……高氏、直義さま御兄弟は、北条家を仆して、天下を奪とろうと考えていらっしゃいますよ。御謀反の下心に違いありません﹂
﹁げっ。……そ、そんなことを、ど、どうしてそなた、推量しやった﹂
﹁なんでそんな恐ろしいことを、推量など致しましょう。きのう大蔵ヶ谷で、お兄ふた弟りが語っているのを、つい耳にしてしまったのです。置文とやらのことまでも﹂
﹁ああ……。あのことも﹂
彼女の記憶は、鑁阿寺の或る朝、メラと失せた一片の紙片の焔にすぐつながっていた。その朝の高氏の異様なまでの素振りと共によみがえってくる。
﹁のう覚一。ひょんなことを、ふと耳にしたものよの。魔の声じゃ。耳を洗うて、忘れたがよい﹂
﹁はい。けれど、拭ぬぐえぬ怯おびえに、ゆうべも恐こわい夢をみました。……ねえ、お母あさま。もし戦にでもなったら、足利ノ庄も安くはありません。私は盲めしいですし、母おや一人子一人、誰も関かまってなどくれますまい。いっそのこと、都へ出ようではございませぬか。都の隅で、お母あさまは静かに住み、覚一は琵琶の修業に励みましょう。覚一を連れて、都へ移ると、お覚悟つけて下さいませ﹂
ふとした、子のことばにも、真理があり、訓おしえられることもある。
……ほんに。
彼女も今にして頷かれた。
亡き良人の願いもあったし、じぶんたち母子の願いも、武門の蔭には寄るまいと念じている。
けれど、義あ兄にの上杉憲房はじめ、義あ姉ねの清子につながる足利兄弟、その有うえ縁んなど、家垣のすべては名だたる武族のみである。――足利ノ庄や鎌倉にいては、いやでも、その人たちの修羅の業と輪りん廻ねを共にするほかない。
都は広いと聞く。
かつての承久ノ乱や、寿じゅ永えい、治じし承ょうの大戦のさいでも、都の北山、嵯さ峨が野ののおくには、平家のきずなや権門を遁のがれ出た無髪の女性たちには、修羅の外なる寸土の寂じゃ地くちがゆるされていたともいう。
﹁……そうだ。都に行けば﹂
彼女の思案は傾いた。
都でなら、武門の蔭に頼らなくてもすむし、覚一が天性好む琵琶や芸術の道へいそしむにも、何かにつけて便がよい。
﹁この子をだに、つつがなく成人させて、弓矢ならぬ芸道に生きる道をつけてやれば、それで、亡き良人への、自分の御供養はすむというもの﹂
思いさだめて、草心尼は、ついにその場で子の覚一へ約束した。――この鎌倉まで来ている機しおを幸いに、高氏どのの華燭のお祝いがすみ次第、なんぞよい口実をもうけて、ここから都へ上ることにしようぞ……と。
覚一は、狂喜した。
――こんなにも、それを望んでいやッたのかと、彼女が涙ぐまれるほどに。
﹁お母あさま。そう伺ったら、もう何だか、ここは鎌倉でもなく、都の隅で、今宵を二人で過ごしているような気がして来ます。……それにつけ、お師の禅師にお目にかかれば、師を離れている間、どうであったか、琵琶を持てと、さっそく試ためされるに相違ございません。こよいは、扇ヶ谷のお人々も留守、お母あさま、久しぶり、覚一の稽古をお聞きくださいますか﹂
﹁オオ、聴きましょう﹂
﹁幾つか、習うた平家ノ曲。その内のなにを語りましょうな。特にお好きな曲は﹂
﹁さあ……。祇ぎお園んし精ょう舎じゃの初しょ語がたりもよし、小こご督う、忠ただ度のり都落ち、宇治川、敦あつ盛もり、扇ノ与一。どれも嫌いなものはないの﹂
﹁大おは原らご御こ幸うは﹂
﹁わけても好きじゃ﹂
﹁では。……すみませんが、そこの琵琶をお取りくださいませぬか。大原御幸も、まだみなは覚えませぬが、習なろうたくだりだけを、弾ひいてみましょう﹂
袋を解いて、覚一は琵琶を抱いた。絃いとを調べ、音ねを問いながら、小首を傾かたげて、細い眼すじをなお細くしていたが、やがて一弾だん二弾、序ノ撥ばちかろく。
――女院 重ねて申させ給ひけるは。
わが身、平相国 のむすめとして。
天子の国母 となりしかば。
みな掌 のままなりき……
わが身、
天子の
みな
母の草心尼は、聞きとれた。いや、見み恍とれてもいる。――これがわが子の修業の端か。ひと年とせ、都に出て、他人のきびしい撥で打たれつつ習い覚えた曲の一つか。いじらしさよ。今宵、亡き良つ人まもこの座にいませば……と、彼女は彼女の胸の奏かなでに、悲母の思いをせぐり上げられていた。
その時刻。――ちょうど、覚一小法師が、扇ヶ谷家の留守をほしいままにして、大原御幸の一曲を母に聴かせていた、同じ宵頃のこと。
鶴ヶ岡の社頭は、火に染まっていた。
赤橋家の門から、反り橋、若宮ノ辻までの、たくさんな庭にわ燎びが一せいに点火されたのだ。放ほう生じょ池ういけの水は燃え、大鳥居の朱あけも、墨の夜空に浮きあがって、その下を今、こよい足利家に入る花嫁の列が流れ初めていた。
﹁はや、先さき駆がけが﹂
﹁御一門の騎馬のお列も﹂
若宮から東、横大路いったい、黒い人垣のとだえもない。
みな盛装の花嫁を見ようとするのらしいが、華麗な塗ぬり輿ごしのキラめきは過ぎたものの、御おん衣ぞの端も見えなかった。
輿にはまた、幾つもの女輿がつづいて行った。
お供の大おお女じょ臈ろう、小こじ女ょろ臈う、侍かし女ずき、すべて蒔まき絵えな轅がえの美しい小こご輿しであった。
さらに供侍や、小者までも、晴れ着ならぬ者はない。当夜持参の嫁入り調度も、まばゆいほどな列だった。――三ツ鱗うろこの大紋打った素すお襖う、烏え帽ぼ子しの奉行の駒を先にして、貝桶、塗ぬり長なが持もち、御み厨ず子し、黒棚、唐から櫃びつ、屏びょ風うぶ箱ばこ、行ほか器いなど、見物の男女は何度も羨望の溜息をもらしていた。
この宵、ともされた松たい明まつだけでも、千本はくだるまい。若宮の社頭から大蔵ヶ谷まで、灯でつながったといってよい。
もっとも、花嫁の輿が、赤橋家の門を出たのを合図に、聟方の屋敷でも、門をひらき、
﹁それ﹂
と親族、媒なこ人うどの一群が、松明をかかげて、途中まで、姫君の迎えに来る。
そして、嫁方の庭にわ燎びの火を、途上で、こちらの脂しし燭ょくに移し取った騎馬の使者は、それを先に持ち帰って、初夜の帳とばりの燈台に点火しておく。
さて。――輿が聟むこ館やかたに入れば、嫁方には実さと家じょ女ろ臈う、聟方には待ち上臈、それぞれの介かい添ぞえがついて、式の座につく。
登とう子こは、白絹の小こう袿ち衣ぎに、鬢びん鬘かつらして、聟の高氏とならんだ。聟は、布ぬば袴かま直ひた垂た衣れである。
床とこには、きのう草心尼が心をこめた立りっ花かや置おき鯉ごいが飾られ、ふたりの前には、熨の斗し三方、向い鶴の銀ぎん箸ばし、それに蛤はまぐりの吸物などが供えられた。次に、媒人のあいさつ。――そして三々九度のさかずきごとが行われる。
上ゲ畳の御み簾すをへだてて。
両家一統、家臣たちまで、その間、ほのかに、杯事を拝しながら、粛然と、ひかえている。
――やがて三々九度が終り、同時に、御簾が上がって、
﹁幾千代、おめでとう存じあげまする﹂
一同、揃って祝いをのべる。
さきに、嫁迎えの使者が、途上で、こちらの脂燭に移し取って持ち帰った嫁方の火は、すでに閨ねやの燈台にともされてあり、やがて、聟君が衾ふすまに入った次に、嫁の君も介添えされて、帳内に入るのであるが、その灯は、三日の間、消さないでおく。
そして四日目、初めて、色直しの衣裳にかえて、登子も足利家の北ノ方となった新にい妻づまの身をやっと自分に見るのであった。
その日は、夕方から雨となって、さしもつづいた盛儀の門も宵のまに閉じ、大蔵ヶ谷の大屋根は、早くからみな寝しずまった。
婚儀の大宴は、よるひるなく、三日もつづいたのである。
登子が気疲れしたのはむろんであろう。聟の高氏にしても、連日の行事に加えて、郷党どもの祝いをうけたり、客座へ臨んだりなど……思えば他ひ人と交まぜなしに、しみじみと、新夫婦ふたりだけの閨ねやの灯となれたのは、こよいが初めてといってもよい。
﹁外は雨か?﹂
﹁そのようでございまする。たそがれ頃から……﹂
登子は棚の香こう盆ぼんを下ろして、香こう炉ろに伽きゃ羅らをたいていた。
ながやかな黒髪とその姿を、匂いの糸がゆるく巻いてくるにつれ、蕭しょ条うじょうと、遠い夜や雨うの声も几とば帳りの内に沁み入ってくる。
﹁まるで、大風のあとみたいだなあ、今夜の静けさは﹂
﹁侍部屋や下しも屋やの者も、こよいは皆、三日三夜の眠りを、いちどにとっているのでございましょう﹂
﹁登子﹂
﹁はい﹂
﹁そなたも、疲れてか﹂
﹁いいえ、あなたさまこそ﹂
﹁わしすら、少々疲れ気味に思われる。ましてそなたは、と察しられるが……。しかし一生の門出ではある。ふたりにとっても、二度はないこと﹂
﹁ええ﹂
﹁このまま、もすこし話していたいが、眠とうないか。だいじょうぶか﹂
﹁なんのお気づかいを﹂
﹁……もそっと寄れ、もそっと﹂
﹁……はい﹂
新妻はまだ、体がふるえる。
さきに良人の烏帽子だけはとって、冠かむ棚りだなへ移したが、良人はなお、直垂のままで、閨ねや衣ぎを着ず、彼女も夕化粧のときにかえた宵よい衣ぎの姿だった。
﹁ほかでもないがの、登子﹂
﹁はい﹂
﹁いっそ、むくつけにいおう。そなたは一体、この高氏のどこを見て妻となる気を抱いたのか﹂
﹁…………﹂
﹁守時殿という兄のすすめでぜひなく嫁とつぐ気になったか、それとも﹂
﹁上杉殿と兄君のおはなしだったのは、申すまでもございません。けれど私もすすんで望みました﹂
﹁どこがようて﹂
﹁わかりません﹂
﹁わからぬままに﹂
﹁ええ、わからぬままにも、身の生涯をお託まかせして、どうあろうとも悔いのない、たのもしい殿御と、いつか、お慕いもされまして﹂
﹁ならば、あらためて、告げねばならぬ。……登子、形どおりな祝言や初夜の式もすんだが、まことの夫めお婦とのちぎりまではしていない。申さばそなたはまだ処おと女めの肌のままよ。……高氏がいま打明けて申すことに、もしいささかでも不安であり、不同意だったら、いつでもこの家を去るがいいぞ﹂
﹁えっ。……?﹂
﹁なにも知らずに嫁いだそなただ。知らぬがままに連れ添うなれば、それまでのことですもうが、しかし、さまでの秘事を抱きながら、妻となる者へ、にもそれを告げず、後での悔いやら泣きを見せるのは、男として、高氏は自身に恥じる。……で、いッそ今、打割っていうわけだが﹂
﹁…………﹂
﹁幼少のとき、この高氏は、さる人にん相そう観みから剣難の相があると予言されておる。ひょっとしたら、わしは戦場で仆たおれる宿命なのかもしれぬ。それでも、和わ御ご前ぜはわしの妻として添うてゆけるか﹂
﹁なにを仰せかと思えば﹂
と、登子はむしろ、ほっとした笑みを持って。
﹁武門誰とて、何事もなく一生過ごせるものとしておりましょう。武人に剣難の相があるのは、あたりまえです。嫁ぐ前から身にいいきかせておりまする﹂
﹁そうか。覚悟してか﹂
高氏は、言ったが、改まった面持ちは、なお解くような容子もない。まだ、まことの契ちぎりは結ばない二つの枕は、伽きゃ羅らもむなしく、他人のように行儀よく閨ねやに並んだままなのである。
﹁したが登子、それだけの覚悟で添うには、なお足らぬこの男かもしれぬぞ。古来、弓矢の修しゅ羅らど道うでは、伯父甥おいにして、敵とよびあい、兄弟父子の間ですら、ぜひなく裂さかれて、敵味方の陣にわかれることもある﹂
﹁…………﹂
﹁たとえば保元、平治ノ乱、以後の大小の合戦にも、そのような例は、幾多であろう。かぞえてもかぞえきれまい。さればもし、この高氏が、かりに北条殿に弓を引き、そなたの兄、守時殿をも、敵とせねばならぬ日があったとしたら……そなた……そのときは、何とするか﹂
﹁…………﹂
登子は氷った花のように、まじろぎもしなかった。といっても、たましいを失った色ではない。女性が真底から真剣に自己を研とぎすましてみせるときのあの姿なのである。――むしろ自己の感情に噪さわがれているのは、ここまでの真意を洩らした高氏の紅い耳じ朶だやその語気の方だった。
高氏はその息のままで言いつづけた。
﹁さ、そうしたときは、何とするぞ。嫁かしては二夫にまみえずとか、夫婦は二世とか、近ごろの庭てい訓きんは婦女子にきびしゅう教えているが、そのままを和わ御ご前ぜに践ふめとは強しいられぬ。――まこと、この高氏の前途は安穏でない気がするのだ。すえ恐ろしいと思うたら、いまのうちに思い返せ﹂
﹁思い返せとは﹂
﹁今なれば、ない縁としよう。ほかの口実をもうけて、和御前は処女の肌のまま実さと家か方たにもどるがいい﹂
﹁おたわむれを﹂
﹁たわむれではない﹂
﹁むごい仰せです﹂
﹁むごくはない。慈悲でいうのだ﹂
﹁では、いつの日か、まこと、そのようなお心ぐみが、おありなのでございますか﹂
﹁あるとしたら?﹂
﹁ないとしても、あるとしても、妻の身には、おなじことに思われます。あなたさまの御一生が、そのまま登子の一生となるばかりのこと……﹂
﹁修羅の巷ちまたに迷うても﹂
﹁ええ、地獄へでも﹂
﹁良人が悪あっ鬼きら羅せ刹つと見えても﹂
﹁はい。羅刹の妻となりまする﹂
﹁登子っ﹂
彼は寄って、いきなりその花の顔を、抱きしめた。
﹁もう、終生離さぬ﹂
この乱暴に似た力の方が、はるかに彼女を驚かせたにちがいない。
姿し態なをくねらせて、彼女は救いを乞うような火の息を喘あえいだ。
あわてて高氏は灯を吹き消した。なお、黒髪に埋めてやまぬ羞しゅ恥うちと硬い四肢しとをもてあまして、閨のうちへ抱え入れた。白い顔は、もう息も絶え絶えのように、わななきを歯にくいしめて、耐えようとする観念を、その睫まつ毛げが言っている。
高氏のあたまを、ふと、牧の小娘や、藤夜叉との梅の香の闇がかすめた。しかし彼の本質にある性情だろうか。彼の乱暴な愛情の表現は、みずから制御を加えることもできなかった。
――朝。登子は鏡にむかった。
鏡は、女になった女を映うつして、しげしげと今朝の彼女に見入らせている。
髪一ひトすじの変化もなく、しかも一夜に変った自分を鏡の中に見て、彼女はまだ離脱しきれない処女の日の感傷を心から押しのけて、静かに“女の誕生”を心のうちで遂とげていた。
﹁いまは身も心も、足利登子。又太郎高氏殿の妻――﹂と。
舅しゅうとの貞氏や清子とも、今朝は水入らずの朝あさ餉げを共にし、若い夫妻は、やがて輿をつらねて、赤橋守時の邸を、訪問した。
いわゆる五日目の“里帰り”であった。
登子は、良人と姿を並べて、兄のひとみの前に出たとき、わけもなく頬から耳の根までを紅あからめた。守時は、ふたりの仲を見とどけたように、それを眺めて安心した。
さすが北条の大族赤橋家らしい。――登子のいとこ、駿する河が太郎重しげ時とき、兄の赤あか橋ばし将しょ監うげ英んひ時でときはじめ、塩田、桜田、大おさ仏らぎ、名越など、いずれもゆゆしい身寄りばかりである。こもごも、
﹁これは、聟殿におわせられるか﹂
と、名のって出た。初対面が、あらかたである。
中でも、眼をひかれたのは、登子の妹たちだった。二人の幼い妹たちは、姉の聟君なる人を、もの珍しげに、ぬすみ見たり、はにかんだり、やがては馴れて、酒宴の間に戯たわむれつつ、高氏の杯に、銚子を持って、おぼつかない手つきで注ついだり、笑い興じて廻ったりしていた。
後に、この妹の一人は、洞とう院いんノ大納言の室に入り、もひとりの妹は、太政大臣公きみ守もりの側室となった。――しかしそれはずっと後年のこと。高氏すらも、この日、このあどけない姫たちの未来に、そんな運命が待とうなどとは思いもおよぼうわけもない。
ともあれ、高氏は、赤橋家の人々とも、その日の一日でもうよく溶けあっていた。むしろ登子の方が他人行儀に見えた。彼女は始終、自分を外がわにおいて、良人と里方の者との融和を見ながら、ただ興きょうじ合おうているような姿であった。
おそらく、ただの里帰り以上な複雑さが、彼女の胸にはあったであろう。――ゆうべ閨に入るまえの良人のことばが、ふと思い出され、そして、ここでの高氏の無邪気さや他意なさも、逆に底知れぬ人のように見えていたかもわからない。
一日おいて。
結婚七日目には、また、夫婦そろって、執権ノ亭に伺しこ候うし、高時に拝謁をとげた。――高時は、あの特有な、かなつぼ眼まなこで、若いふたりを無遠慮に見くらべ、
﹁なるほど、似合いの夫めお婦とだの。――のう道誉、うらやましくないか﹂
と、いった。
ほかにも侍じし者ゃは大勢なのに、特に道誉を名ざしたのはどういうわけか。高氏には気にかからぬこともない。しかし道誉はつつしんで、台座へ答えた。
﹁まこと、北条御一門の内に、花を加えられたようなもの。祝着この上もございませぬ﹂
高時は、大きくうなずいて、さらに言った。
﹁高氏、登子。ふたりとも今日は夜まで遊んでゆけ。高時もともに遊ぼう。お汝ことらが見えたら、大いに祝うてやろうと、かねがね、道誉とも申しはかって、遊宴の支度なしてある。……夜までは帰さぬぞ﹂
妖よう霊れい星ぼし
柳営八亭の一館に、高時がよく大遊宴につかう華げう雲んで殿んがある。鎌倉建築の代表的なもので、広さ千人を容れるに足り、豪壮な線などいうまでもない。特にここには舞台もある。 ﹁みなも、思うざま、飲むがいい﹂ いつにもまして、主す座ざの高時は、上機嫌だった。 ﹁今日は高時より、一族高氏と登子への馳走なれど、御家人どもには、ふたりの披露でもあるぞ。一同で祝福してやれい﹂ 大杯を手に、彼は号令のようにいった。高氏夫妻、佐々木道誉、ほか百名余の盛宴である、自然声も大きくなる。 高時にすれば、これもよい口実の遊びなのであろう。“うつつなき人”高時は、また常に“うつつなき遊び”を探している人でもある。 で、集められた群臣も、いわゆる重職や幕府序列の面々ではない。遊楽において、日ごろ彼とよく駒の合う臣下や芸能者ばかりなのだ。 およそ、技術芸能の士を愛した点では、北条代々でも、高時ほどな太守はなかった。 建築、絵画、彫刻、染織、蒔まき絵え、鋳ちゅ造うぞう、刀鍛冶、仮めん面う打ちなども、彼の下で、みな目ざましい発達をみせた。すべて、一道に達した者は、柳営の職座に入れて、これを保護した。 同時に彼は、その者たちを、遊楽の取巻きと見て、おもちゃにしたことも否いなめない。あたまの痛む政務ばかり持ちこむ評定所衆や、武者所のごつい輩やからなどよりも、遊び相手として、おもしろい相手だったにはちがいない。 いつか、華げう雲んで殿んの廻廊には、吊つり燈籠が星をつらね、内は無数の銀ぎん燭しょくにかがやいて、柳営お抱え役者の“田楽十番”もいま終った。 ――で、それを機しおに登子は、 ﹁はや、おいとまを﹂ と、良人へそっと、うながした。 だが、高氏は居眠っていた。いちど、暇を乞いかけたとき、かえって、執拗な高時に、大杯を強しいられ、それがこたえてしまったものとみえる。 ﹁殿。……﹂ 登子に膝をつかれ、彼は大きな眼をあけた。きょとんとして、まるで涎くりの童わっぱみたいな顔つきなのが、登子には少し情けなく見えた。 ﹁殿、いまがよい頃です。太守にお礼を申しあげて、お退がり遊ばしては﹂ ﹁そうだな。そなたも大儀だろう。高氏もはや、これ以上は﹂ 俄に、衣えも紋んづくろいして、高時の横へすすみかけると、高時は見て、敏感に、 ﹁こらっ、虫食い瓜うり、まだ帰ってはならん。宴はいつも、二更こう三更︵夜半︶に及ぶのが慣ならい、なぜ、うごく﹂ ﹁登子が戻りたがっておりますゆえ﹂ ﹁登子が﹂ 高時のきらつく眼が、無遠慮にふたりを撫でた。 ﹁はははは。この男、虫食い瓜に似もやらず、中なか実みは甘いぞ。さては閨ねや急いそぎか﹂ ﹁これは、きつい、おからかいを﹂ ﹁道誉、道誉﹂ 身を反らして、高時は、右がわの列座にいる佐々木道誉を眼で拾って。 ﹁――閨いそぎの若夫婦は、はや戻るなどと申しおる。そちは、今日の馳走に、高氏へ何やら見せたいものがあるとか申していたではないか。帰してもよいのか﹂ ﹁これは、したり﹂ 響きに応じるような調子で、道誉も、高時に次いで、派手にいった。 ﹁太守をはじめ、満座すべては、みな其そこ許もとおふたりのために、およろこびを共にしているものを。……そのかんじんな主賓が、さきに座をお立ちとあっては、これや、どうもなるまいて﹂ それに相槌打つかのごとく、近くに居流れていた佐さす介け五郎、淡おご河うひ兵ょう庫ご、斎さい藤とう宮くな内い、城じょうノ介すけ師もろ時ときなども、酒気にまかせて、 ﹁せっかくの座もしらける。まあ、おられい﹂ ﹁御ごき興ょうはこれから。――太守にたいしても、不礼ではあるまいか﹂ ﹁高氏どの。まあ、もう一献こん﹂ と、攻め囲む。 高氏はまた飲み出した。登子の帰りたがっている気もちも思いやられつつ、ままよと、腹をすえたのらしい。さらに、高時が強しいてきた大杯もまた、辞さなかった。 ﹁みごと﹂ 高時は、ちょっと、こじれかけていた機嫌を直して、 ﹁もひとつ、どうじゃ高氏﹂ ﹁いやもう﹂ 高氏は、唇のしずくを横にこすった。 ﹁駒に水を飼うにも、少々は息休めさせねば、首を振りまする﹂ ﹁はッははは﹂高時は奇声をあげ――﹁この男、思いのほか荒駒らしい。かつての、鳥合ヶ原では、儂みの愛犬に咬みつかれて、逃げまろんだが、酒の上では、存外なところもある﹂ 君側の左右以外な末端の方では、ここのことは何も分っていない。末席は末席で、それぞれ歓かんに沸わいていた。 そのうちに舞台では、昼、田楽十番を出して喝采をはくした大やま和とで田んが楽くに対抗して、近江田楽の一座が﹁夜の物八番﹂をこもごもに演じはじめた。 夜よるの演だし物ものは、もちろん、宴もくずれてからの座興なので、淫みだらな寸劇や、猥わい雑ざつな舞踊が多かった。わけて、夜の物八番の作者は、佐々木道誉みずから筆をとったもので、彼はこれを﹁――柳りゅ営うえいお止メ芸﹂などと称していた。 ﹁ははあ、これだな﹂ 高氏は思いあたった。 ﹁――これが道誉の馳走だったのか。何やらこの高氏へ見せるものがあるはずと、最前太守も彼にむかって、何か謎めいたことをいわれていたが﹂ しかし、これは安易なひとり合点と、まもなく、分った。 終始、笑いどよめきのうちに、八番が終って、また、一ひトしきりは満座歓宴の乱れだったが、ほどなくまた新しい拍手の波に、高氏もふと舞台の方を見ると、そこには、金モミ烏え帽ぼ子し、水すい干か衣ん姿の白しら拍びょ子うしが、両の手に振ふり鈴すずを持って、忽こつ然ねんと、咲き出た物のように立っていた。 藤夜叉であった。 ﹁…………﹂ 高氏は、ぎょっとして、仮め面んのようにその顔を硬こわめた。 視線をそろえて、登子も舞台の藤夜叉を見すましているに違いなかろう。また、道誉の底意のある眼が、太守高時の蔭から、自分の表情を、見ぬ振りしつつ見ているようにも思われる。 ﹁…………﹂ しかも、板の上の藤夜叉は、まだ一ト振りの鈴も鳴らさず、足も踏まず、その白い白い舞台顔は、泣くかのような眉をしていた。 振ふり鈴すずが鳴り、それにつれて、舞台の彼女はいつか水のごとき舞の線を描き出している。 延えん年ねん舞まいの似セ舞らしい。――ふるえをおびた祝ほぎ歌うたの歌詞が、とぎれとぎれ、高氏の耳へ流れこむ。いま、彼の感情で聞けば、怒濤の響きをなして迫ってくる。 ﹁…………﹂ 見るに耐えず、眼をふさいだものの、心の耳はおおうべくもない。 むごい、悪わる戯さだ。 座興とか皮肉とかの度もこえて、これは高氏への、刑罰にも値する。 ﹁こんな悪戯の、どこが、執権の御ごき興ょうに入るのか。道誉がホクソ笑むところなのか﹂ 高氏には、両者の気もちがわからない。いかに婆ば娑さ羅ら遊びに徹したものといえ、量見がくみきれない。 だが、この皮肉な贈りものは、道誉として、よほど前々からの計画だったものだろう。――結婚前に、ふと途上で会ったときの彼のことば。また、藤夜叉を祝言の使者として大蔵へさし向けて来たなどのこと。 さらには、藤夜叉がその折﹁――近いうちに、もいちど、お目にかかれましょう﹂と、いったことなど思い合わすと、すべては、道誉の書いた筋書と、頷うなずかれてくる。 その道誉は、まま自身筆を執って、田楽狂言の戯げさ作くをこころみたり、世に流は行やらせている自作の歌謡なども多いと聞くが、なるほど、それくらいな才はあろう。彼は才能の鵺ぬえでもある。 が、鵺の意図は、果たして、これだけのものだろうか。 自分と藤夜叉とを、大宴の肴さかなにして、なにも知らぬ満座をべつに、太守高時と道誉自身だけで、ひそかに、皮肉な甘味とおかしさを、舌なめずりして飲もうというだけの悪わる戯さにすぎないものか、どうか。 ﹁いや、底意は知れぬ﹂ ――ふと、火花のような疑いが彼の暗い酒しゅ心しんをかすめた。 もしや、道誉はすでに、藤夜叉のからだを、自分の夜の室にも入れているのではないか。いつか藤夜叉も、道誉の欲情になやまされているらしい嘆きをふと洩らしたこともある。 ――とすれば、道誉のお抱え芸人の藤夜叉に、身の守れようわけはない。もう、とうに主人の肉欲に飼われた一片の美肉とされているのだろう。そしてその奴どれ隷いぬ主しのムチの下には、何事も拒こばめず、どんな傀かい儡らいにも甘んじてなる女にされているのかもわからない。 ﹁……ただ藤夜叉には、不いさ知や哉ま丸るがあるために、半ば、わしへも心をひかれつつ、道誉との仲は、打ち明けられずにいるのだろう。そうだ、それで解けたといえよう。――あの婆娑羅めが、わしを恋の敵手と見、恋に勝ったと誇って、独り凱がい歌かしておるものに相違ない﹂ 彼は、登子がそばにいたことも忘れていた。 世に“うつつなき人”といわれている高時よりも、彼の方が、登子の眼には、あやしまれた。登子は泣きたさを怺こらえていた。 高氏の手は、その間、無性に杯を忙しくしていた。飲めど飲めど、酔も味も知らない彼であるやに見える。 すると、その顔を、とつぜん拍手と喝采のあらしが吹いた。もう藤夜叉の姿は、舞台から消えている。――いや舞台姿の彼女は、いつか高時の御前に召されて、すぐ眼のまえに来ていたのだった。 高時には、凝ぎょ視うしの癖がある。穴のあくほど、まじまじと人の顔を見るくせである。――台座に近う、その視線をあびて、藤夜叉は消えも入りたい風だった。いちど拝礼して、上げた面も、また、さしうつ向いたきりになった。 ﹁道誉﹂ やっと、彼の眼が横へそれる。 ﹁――艶あでやかだのう。舞台で見るよりは、近々の方が、いちばい美よい﹂ ﹁太守﹂ ﹁なんだ﹂ ﹁芸能の徒は、容姿を愛めでられるのは、誉ほまれとしておりません。伎芸そのものをお賞ほめつかわしていただきたいもので﹂ ﹁芸は申すまでもない。したが、その上にもの花はな羞はずかしさよ。藤夜叉とやら、それ、纒は頭なをつかわすぞ﹂ と、高時は着ていた唐から織おりの羽織を脱とって投げ与えた。その上、手ずから杯をやって。 ﹁眉み目めはよし、芸もよし。鎌倉の白拍子、田でん楽がく女ひめ数千といわるるが、かほどな者はよもおるまい。道誉はなぜ、今日まで、藤夜叉をこの高時に見せずにおいたか﹂ ﹁いや、これは先頃、近江より召し寄せました者で﹂ ﹁なんの、過ぐる年にも、近江田楽の花夜叉一座を、鎌倉へ連れ下って来たではないか﹂ ﹁あのせつは、藤夜叉も、病気しておりましたゆえ、上覧の日には、惜しくも洩れたのでございましょう。何はともあれ、御ぎょ意いにかない、この道誉までが、鼻高々に存ぜられます﹂ ﹁ムム気に入った。道誉﹂ ﹁はっ﹂ ﹁もらっておくぞ﹂ ﹁え。藤夜叉を﹂ ﹁問うまでもあるまい。柳営召抱えの伎ぎ座ざの一人として、高時の許にとどめておこう﹂ ﹁太守、その儀だけは、せっかくですが、御意まかせにもなりませぬ﹂ ﹁なぜ﹂ と、するどい。 眉みけ間んの鱗うろこが立つような顔に変る。 ﹁はははは。ごきげんをそんじましたな﹂道誉は、あつかい馴れているらしい。かろく去いなして、 ﹁――藤夜叉の身は、道誉一存になるものでもございません﹂ ﹁当人に訊けと申すか﹂ ﹁当の藤夜叉とて、大いに迷い悩みましょう﹂ ﹁では、たれに問えとか﹂ ﹁今夜の主賓高氏に﹂ ﹁高氏に?﹂ ﹁されば、藤夜叉の身の抱え主はこの道誉。したが半分は、高氏の持ち物なりともいえまする。……のう、高氏どの﹂ ――もうこのときは、高氏の全身に、かつて覚えのないほどな酒量が廻っていたのである。彼の低く崩した姿勢がすでにそれを示しており、道誉の挑戦に応ずるごとくくちびるを舐なめた。 ﹁……な、なンと仰せか。近江の婆ば娑さ羅らどの。も、もう一ぺんいって欲しいなあ﹂ 居ずまいをかえかけたが、また腰をくだき、ぺたと、片手を後ろへついた。 登子は、おろおろした。 いかに無礼講でも御前である。もし執権の激怒にふれてはと、良人の袖を無意識に引く。 が、高氏はその新妻の手も払って、邪けんにいった。 ﹁登子、まだいたのか。なぜ、さッさと退出せぬ。だ、だれが何ンと止めようが、そなたはわが妻。良人の命だ。帰れ、帰りおろうっ﹂ ﹁ま。そうお叱りあるな高氏殿﹂ 道誉は、あくまで口さがない。 ﹁何もご存知ない北ノ方へ、そう、がみがみな仰せは自体ご無理だ。登子の君こそ、お気のどくよ﹂ ﹁いらざるご斟しん酌しゃくでおざる、ひとの妻に﹂ ﹁げにもナ﹂ と、苦笑を放っておいて。 ﹁藤夜叉、藤夜叉。――いつもそちが、ひと目拝みたいと望んでいたお二ふた方、いま眼に見せているものを、なぜ、お杯でも給われと、願って出ぬか﹂ ﹁ま、お戯れにも程がある――﹂驚きの余り、彼女は、高時の前もわすれてさけんだ。 ﹁ちがいます。藤夜叉は、ついぞ、そのようなこと、道誉さまに申した覚えはございません﹂ ﹁まあ、よいわさ。いったのいわぬの、争いなどは﹂ ﹁……でも、わたくしは﹂ ﹁太守﹂ 高時をも味方にいれて、道誉はねばねばとその悪いた戯ずらごころを快けら楽くするように。 ﹁御ごろ覧うぜられませ。女は、この道誉にも義理を立て、また高氏へも、すまぬ心を抱いて、あわれ二者の持もち主ぬしを前に、風に悩む花かのような風情を見せておりましょうが。……なべて、美人の美の、真を露あらわに見ようとなれば、悩ませてみるか、泣かせてみるか、呵かし責ゃくしなければ見えてまいりませぬ﹂ ﹁美人は呵責せよとの談義か﹂ ﹁いちばい、色には動きを加え、露も捨て難い風情を増しまする﹂ ﹁待て待て。そちの色道談義は聞きあいておるぞ。それよりは、この藤夜叉の身、いったい誰の持ちものときまるのか﹂ ﹁高氏にお訊き願います。道誉としては、御献上も異議ございませぬが、高氏がどう言いますやら﹂ まるで奴隷主の口吻である。のみならず、新婚の登子を前に、高氏の秘をあばいて、奇を好む君侯のさかなに供し、共に嘲わらおうとでもするのらしい。 すると、やにわに、そばの大杯をつかみ取って、高氏が、 ﹁おお、杯をつかわそう。……藤夜叉、これへ来い﹂ と、さし招いた。 深いわけは分らぬまでも、君側の近くにいた淡おご河うひ兵ょう庫ご、斎藤宮内、佐さす介けご五ろ郎うそのほかも、事むずかしいもつれとはさっきから見ていたので、 ﹁すわ、何か?﹂ と、一瞬の酔いを皆さました。 ﹁……いただきまする﹂ 案外、藤夜叉は素直に、高氏のまえへ寄っていた。火と火のように、二人の眸がカチと会って燃え合った。高氏はちょっと、登子へも気がねする風ではあったが、 ﹁藤夜叉、酌ついでつかわす。ただし、これきりの縁と思うて飲めよ﹂ ﹁殿。……﹂ 藤夜叉は、なみなみとつがれた大杯を両手に。眼にも、いっぱいな涙をためた。 ﹁なぜ、このお杯が、これきりの御縁になるのですか﹂ ﹁胸に問え﹂ ﹁問うてみることはありません﹂ ﹁面倒だ。いうことは何もない﹂ ﹁私には、海ほども山ほどもありまする﹂ ﹁聞きたくもない。はやく飲め﹂ ﹁はい。……もひとつお注つぎ給わりませ﹂ 彼女の顔を、大杯が隠した。 注がれると、またすぐ飲みほした。 そして、三度めの杯の酒を、いきなり道誉の顔へ向って浴びせかけたのだった。とっさ、その杯を胸の下に抱いて、わっと彼女は泣き伏し、満座はあッと驚きの声をあげた。 とっさに、道誉は顔をよけていた。――ために彼女が浴びせた酒の飛しぶ沫きは、彼をそれて、執権高時の横顔へパッとかかった。 ﹁アっ。……﹂ 高時は、ぶるっと首を振って、耳の穴へ指先を入れていた。 耳へまで酒が入ったものらしい。その手で襟くびも撫でまわす。途端に何か、理由なきおかしさが、彼をくすぐッたものか、小児のようにクックッと笑いかけた。 ――が、道誉は、仰天せざるをえない。 ﹁こは、畏れ多いことを﹂ あわてて、自分の袖で、高時の胸やら膝を拭き廻った。近習のすべても、一せいに、 ﹁ぶ、不礼者めが﹂ と、藤夜叉の姿一つを睨にらまえて呶号した。そして四囲のそれに気づくと、高時もまた、怒らねばすまぬように、とつぜん、形相を一変して、 ﹁しゃッ、女めろ郎うめ﹂ と、青筋たてて、突ッ立ちあがった。 ﹁この慮外者、甘やかせば図にのッて、天下の執権職を愚にしおったな。おのれ、手討ちにしてくりょう。呵かし責ゃくの美とやらを試してくれん。近習ども、藤夜叉を大庭へ引きずり出せ﹂ 大喝と同時に、その茵しとねから不意に、敏捷な犬の如く、どこへか身をひるがえした。 側臣たちは、どぎもを衝かれ、あッとわれがちに座をうごいた。いや満座百余の人々も、総立ちに起たち騒いだ。――高時はとみれば、早や細ほそ殿どのの長なげ押しに跳びつき、貝かい塗ぬり柄えの薙なぎ刀なたを取って、それを小わきに、 ﹁女は。女めは、どこに﹂ と、もとの大広間へと跳び返って来る。 高時の跳び歩くところ、酒器やら膳が音をたてて転がッた。彼自身も勢いよく突ンのめりかける、それを抱きささえ、或いは、なだめようとする近習たちの、 ﹁あっ、おあぶない﹂ ﹁太守っ、おしずまりを﹂ などと、うろたえ合う声々のどこかで、 ﹁薙刀を取れ。お手の薙刀を、おあずかり申せっ﹂ 道誉もまた、絶叫していた。 とはいえ、その道誉、その高時、側臣すべてが、昼からの深酒で、泥の如くみな大酔していた最さな中かの出来事だったのだ。いわば誰ひとり正気なわけではない。 そうした席を、いや渦中を。 すばやく、大廊下の方へ、ただ一人、だだだっと駈け抜けて行った者がある。 高氏だった。 その手は、黒髪長き人を、横抱きにし、掌もか紐ひもか、ヒラと曳いていた色も、眼にとまらなかったほどである。 登とう子こかと思えば、抱いていたのは、藤夜叉の体だった。――高氏は、角すみ廊ろう下かまで来て、吊り燈籠の明りに、死に絶えているかのような藤夜叉の顔をしげしげ見つめた。そしていきなり白い顎あごや泣いている黛まゆへ、強い頬ずりを降るような烈しさで与えた。 ﹁悪かった。もう、そなたを疑うまい。すぐ三みか河わ路じへ逃げて行け。不知哉丸の養われている田舎へ行って身を潜めろ。さ、捕われぬうちこそだぞ。早う行け﹂ しかし、藤夜叉の体は、離れもしない。潮うしおのような咽むせびを上げ、夢中で何かさけんでいる。 とどろく跫あし音おとを後ろに聞き、高氏は彼女の体を、大庭の闇へつき落した。そして、もとの広間へもどりかけたが、そこに高時と近習たちとの旋つむ風じを見たので、あわてて舞台屏びょ風うぶの蔭に潜み、やがてまた、楽屋うちへ身を這はわせて、声もなく楽屋におののいていた者たちと共に、息をこらしていた。 どっと、一颯さつの魔の風が吹き落ちて来たか、にも似ている。 宴の灯はことごとく消え、華げう雲んで殿んの内は、右往左往の影ばかりだった。 末席にいた諸職の工たく匠みや絵師などの輩ともがらは、いつ早く、どこかへ失うせたことであろう。が、近習その他は逃げもならず、暴れ狂う主君を取りしずめるのに、なだれを打っているものらしい。 何しろ、高時の手には、薙刀があった。 過失か、敢あえてか。薙刀の刃は、すでに人の血で濡れている。手がつけられない。 ﹁どこへ隠したっ。女めを探し出せっ。――藤夜叉をどこへやったぞ﹂ 日ごろの高時の声でもなかった。獣声にちかい、五韻いんを外はずれた喚わめきである。 さえぎる家臣は、見さかいもなく、薙ぎ払われ、蹴仆された。いちど、西にし廂びさしから釣つり殿どのまでを雷かみ鳴なりのように暴れ廻っていた高時は、やがてまた、とって返して、 ﹁楽屋はどこぞ﹂ と、舞台わきの細殿を覗き、そこの簾すだれを一閃せんにバラと斬り落した。 大勢の田楽役者の男女も、まっ暗な中で、ただわななき伏していたことだろう。さっきから楽屋の内は、墓場みたいにしいんとしていた。――そこへキラと、薙刀の光が流れこんで来たのである。無理はない、キャッと一せいに、躍りあがった。 ところが、それは高時の酒狂上の発作を、つい真ほん物ものの発狂沙汰にさせてしまった。――なぜなれば、むらがり立ッたものは、人間でなく、ことごとく烏から天すて狗んぐであったからだ。 これは、大やま和とで田んが楽くの組と、花夜叉の組が申しあわせて、こよいの最終に“天王寺の弱よろ法ぼう師し”と称する一法師と天狗群の大おお舞まいを演ずるための扮装だった。それの出を待つうちに、この騒動とはなったのである。 だから、楽屋じゅうの驚愕もさることだったが、高時にも、彼らの悲鳴が、化け物どもの鬨ときの声と聞え、またその逃げまどいが、物ものノ怪けの踊りと見えたのは、ぜひもない。 ﹁あッ変へん化げ。この変化めら﹂ 彼の薙刀が、車のような光の輪を描く。 その手ごたえのたび、ひいッ――と聞く闇の血を幻覚の誇張のまま感じ取って、高時は例の奇声で、急に、きゃッきゃッと、笑いはじめた。あたかも、子供がトンボの群れに酔ってもち竿でも振るようにである。その薙刀を、振り廻し振り廻し、ひとりも遁のがさじとする眼つきだけには、狂いがない。 杉戸の外で、わいわいいうのは聞えるが、家臣たちも恐れて入っては来なかったし、役者たちは、恐怖の檻おりを、まろび合い、重なり合って、いよいよただ、血の踊りをくり返すばかりだった。 ――すると、一隅ぐうから、一羽の烏天狗が起って、ずかと、高時の前に立った。と思うと、 ﹁弱よろ法ぼう師し。共に舞おうよ﹂ と、その襟がみを引っつかんでいた。手てむ抗かいの隙などは、与えもしない。高時の体を二、三度、ぐるぐる振り廻してから、膝の下に抑えつけた。 ﹁田楽たち。逃げろ、逃げろ。いまのうちだぞ﹂ 同じ扮装の天狗だが、この一天狗が、田楽仲間でなかったことは、論をまつまい。――が、高氏の声に似ていたと気づく者も、たれ一人なかったようだ。 ﹁かっ。離せ﹂ 異常な力だ。これが柔弱な執権どのとは思われない。――高氏もとっさに刎はね返かえされている。しかも、またすぐ、 ﹁おのれ﹂ 魔気のこもった薙刀で、 ﹁変へん化げ、変化、変化﹂ と、斬りつけて来る早技も、高時の芸には似気ないものだった。高氏は身を交わしつつ、やっと、彼の手もとをとらえ得た。――そして、その寸間に、先を争ってどろどろ逃げ出す田楽天狗の男女に尾ついて、彼もまた、すぐ高時の体を突ッ放し、すばやく外へ難を避けた。 だが、高時もとどまってはいない。 むしろ、その跳躍と薙刀のえがきは、限られた一室から、華雲殿全体の空間を持って、一躍、水をえた魚に似る。 ただ、逃げ廻る烏天狗の影は、みな一様な扮装だから、どれが高氏かは、分りそうもない。 もっとも、たったいま自分を痛めつけた者が、高氏の変装とは、乱心の高時の眸ひとみにはもとよりのこと、この渦中にある家臣誰とて、気づき得るはずはなかった。 ﹁……登子はどうしたか?﹂ 狂気でない高氏の方には、その気がかりもある。彼がふと、あらぬ方向へ一跳ちょ足うそくしかけたのは、自然だった。けれど、高時の狂刃に、木の葉の如く追い廻されている役者どもを見ては、彼女の安否も、かえりみていられず――再び逃げ舞う天狗の中に交まじって、わざと高時の狂刃を待ち構えた。そして、やおら近づくとたんに、 ﹁弱法師、お気をたしかに﹂ と、高時の前に、大手をひろげて立ちふさがった。 さすが物狂いの人も、はや息を切らした態ていである。﹁――しゃっ、推参っ﹂と叫んだようだが、その声こわ音ねもカスれていたし、薙ぎ上げて来た刃にも、魔力はなかった。 高氏は、ばッと相手の肩先を撲はたきつけ、彼が泳ぐところを逆に抱き止めた。そしてその姿勢のまま、大きく一呼吸したとおもうと、足もとしどろに舞拍子をトントンと踏み鳴らし初めたのである。おそらく高氏自身の大酒の酔も、このとき、その極に達していたのだろう。突とつとして彼の口から、田でん楽がく歌うたの“弱よろ法ぼう師し”がよろよろ歌われ出していた。
――天王寺の弱法師
よろぼふし
夜々 の通ひは何方 ぞ
知るまじとて
木々は知る 露は知る
如法 暗夜にも一眼 あり
鞍馬おろしも誘ふ
魔界外道 の谷はここ……
よろぼふし
知るまじとて
木々は知る 露は知る
鞍馬おろしも誘ふ
魔界
ふと、うつつに返ってか、高時もすぐ日ごろ好む田楽歌の節ふしに誘われ出していた。高氏の足拍子につれ、薙刀の手振りもおもしろげに、舞いつつ歌いつつ、興きょうに乗って踊り狂った。
﹁オオ、お気がつかれた﹂
家臣たちは、狂喜した。憑つかれた者が憑かれた者を歓呼した。俄に、四方の闇へ向って。
﹁やあ、田楽の者ども。またもごきげんを損わぬうち、みなこれへ寄ッて来い。皆で舞え舞え、歌え歌え﹂
すると、生ける心地もなく隠れていた田楽役者たちも、そこかしこから﹁……おおうい﹂と、一せいに応こたえて躍り立ち、華雲殿の屋やの棟むねも動くかのような妖しい諸もろ声ごえをここに揺り起した。
妖霊星 えうれいぼし
天王寺の
えうれいぼし
これは、ひとり高氏だけの耳に、こう聞えていたのである。弱法師と歌っている合唱が、天王寺の
えうれいぼし
しかもこの晩には、よくよく
風はないが、火の粉のキラめきや黒けむりが、ここの大屋根の上をも、さかんに越えてゆく。
五町四方の出火のばあいは、武者所の常備兵が、ただちに動いて、執権御所の寝殿、四門、辻などを固めるのが
……えうれいぼし
えうれいぼし
天王寺の妖霊星
えうれいぼし
天王寺の妖霊星
怪異な舞と歌ごえが、なお一だんと昂たかまっている。しかもその狂おしい魔まえ宴んの高潮を飾るかのように、大おお廂びさしには火の雨すらハラハラとこぼれ降ッていた。
すると今し、その妖霊星の一ツにも似て、メラと赤い焔の翼をもった大きな火の粉の一ツが、尾を曳いて、鶴ヶ岡社頭の森へ消えこんでゆくのが眼を射た。
ふと、それに眸を吸われたものか。
高時は、舞っていた手の薙刀を、ふいに、小わきへ持ち直すと、その光芒を追っかけて、
﹁あッ。そこにも﹂
と、憑かれたように大廊下を駈けだしてゆき、とたんに、勢いよく、転まろびかけた。
その高時と共に駈けて、彼を抱きささえた家臣の二人も、かえって、彼の怪力に振りとばされた。高時は、肩を揺すって、哄こう笑しょうを揚げるのだった。――と思えばまた、たちまちクルリと踵きびすをめぐらして、辺りに恐れ怯ひるんでいる烏天狗の群れを見すえ、それへ向って、左右の足高々と、舞拍子の一歩一歩を、踏み出して見せながら――
木々は知る
露は知る
如法 暗夜にも一眼 あり
露は知る
と、薙刀舞もあざやかに、しかし、何十ぺんでも、同じ歌をくりかえすのだった。
……鞍馬おろしも誘ふ
魔界外道の谷はここ
魔界外道の谷はここ
恟すくみ足あしの田楽役者たちも、ぜひなく、高時の影を繞めぐり、また、ツレ舞しては、再び踊った、踊り狂った。
だが、狂乱の人には、飽くことがない。ついには、肉体的な限界において、彼は急にバタッ――と仆れてしまった。何か少し吐いたようだ。蒼白な手はまだ、虚空にものを掻き探している。
﹁や、や。御失神か﹂
﹁それっ、典医を呼べっ﹂
主君の体をとりかこむ者、医くす師しの寮へ駈け出す者、一瞬はただ黒々とのみ渦巻いた。ところが、ここに一人の烏天狗だけは、人々の狼狽ぶりをよそに、スーと抜けて、もとの酒宴の御み簾す座ざの方へ、消え入るごとく走りかけた。
﹁待てっ、高氏﹂
ちらと、見つけて、追っかけたのは道誉だった。
後ろから、むずと、相手の半はん衣いの羽ネをつかんで。
﹁執権の君の御重態を眼に見つつ、どこへ失せる。おぬしゃ高氏にちがいあるまい﹂
﹁いや、ちがう﹂
﹁では、誰だ﹂
﹁……今宵の天狗の一人﹂
﹁なんの、その声はあざむけぬ。仮め面んを脱とれ、足利天狗﹂
﹁むむ、そうかおぬしも、伊吹の婆ば娑さ羅ら天狗だったな、天狗なら天狗を知るはず。角すも力うしようッ、道誉﹂
あっと、道誉は身をくねらせたが、遅かった。高氏の手のひらが、いきなりピシッと、彼の横顔を打ったのである。のみならず、彼がよろめきを立ち直さぬ間に、その五体は、華げう雲んで殿んの真ン中へ、でんと、屋鳴りするほど投げつけられていたのだった。
﹁……登子、登子﹂
天狗は後も見なかった。ただ気がかりな彼女を求めて、あなたこなたと、駈けさまよった。
上のぼり地じぞ蔵う
柳りゅ営うえい四門は、非常の甲かっ冑ちゅ兵うへいで、ごッた返しの状だった。 ﹁やあ、執権御所には、ご異状はない。お引返し下さい。近くの火災も、あの通り下火でおざれば﹂ 警備の将は、声をからした。が、後から後から、参入の御家人はひきもきらない。 当時の武士習性では、 火災即乱、乱即火災 ﹁すわ﹂といった心理がすぐ手伝う。 まして、執権御所の近火とあっては、六むつ浦ら、腰こし越ごえの遠くからさえ、この夜、駒にムチを当てた武士が少なくなかったことであろう。 その上にもである。この混雑に加えて、底波のような噂が揺れつたわった。 ついさっき、華雲殿から典医寮の方へ、色を失ッて駈け出して行った数名の口から洩れたことかもしれぬ。誰いうとなく、 ﹁太守の御重態らしい﹂ ﹁執権どのが、御危篤とは、ほんとか﹂ などと、不安めいた騒ざわめき立ちが、赤い夜空の薄れより早かった。 ﹁さては、何かあったのか﹂ 火を見て、兄の迎えに来ていた直ただ義よしは、二重の不安に、いよいよ兄高氏の身が、心もとなく思われた。 ﹁兄は、どこに﹂ もう両御門の広前も探し尽していたのである。この上は、まだ華雲殿の内かもしれぬと、諸侯ノ間、侍者ノ間、石せき庭ていの曲きょ廊くろうまでを探しあるいた。すると、小御所の控え廂びさしに、ひとり寂じゃ然くねんと坐っている女性があった。 灯影はない。半身は簾すにかくれ、ただ、半身の横顔が、うッすらと、外の夜空に透いて見える。その線が、登子に似ていた。 ﹁もしや……。そこにおいであるは、姉君ではございませぬか﹂ ﹁オオ、御舎弟さまですか﹂ ﹁直義です。近火はともあれ、余りな御帰館の遅さに、お迎えに来てみれば、果たして、なにか華雲殿の御宴に異事があった様子。兄上はいかがなされたでしょうか。兄はまだ御前からお退がりではないのですか﹂ ﹁いいえ﹂ 登子は、おちついた声だった。 ﹁……殿はここにおられまする。直義さま、おすすみ遊ばしませ。さいぜんから、ようお寝やすみの御容子ですから﹂ ﹁えっ? かかる場所で﹂ 直義は坐っていた所から、膝歩きにツツツツと、簾の内へ進み入るなり、 ﹁ど、どうしたのです、寝ているとは。……やあ、大の字なりの、この態ていはまた﹂ 唖然として、ただ見入るばかりだった。のびのびと横たわっている大きな四肢しには、登子の裲うち襠かけが掛けてある。――ふと、鼾いび声きがやんだのは、少しは酔いがさめかけているのかもしれない。 ﹁これやひどい酒の匂いだ。こんな兄は見たこともない。よう姉君は御辛抱しておいででしたな﹂ ﹁でも、この登子をお案じ給うて、私の身を、ここに探し当てると、もう堪らぬ、一ひト眠りじゃと、横におなり遊ばしたのでございました。さしての御乱酔とも思えませぬ﹂ ﹁して、執権殿の御前の首尾は﹂ ﹁それはもう……﹂ と、笑いこぼして。 ﹁どちらもどちら。天狗と天狗の御ごろ狼うぜ藉きでございました﹂ 直義は、あきれた。 大宴の始終、高時の物狂い、天狗騒ぎなど、それを話す登子からして、しごく平然なので、美しいこの嫂あによめの心理までが、いぶかられた。 ﹁ではその間、あなたは、どうしておいでだったのです﹂ ﹁わが夫つまをおいて、ひとり帰るわけにもまいりませぬ。この小こご御しょ所ぐ口ちの控えまで退がって、簾の蔭から、遠く眺めておりました﹂ ﹁恐ろしくもなく?﹂ ﹁それはもう、恐こおうて、恐こうて、一いっときは、どうなるやらと、身もふるえながらに﹂ そうは言いながらも、登子の姿のどこにも、そんな萎縮は見えもしない。まだ小むすめともいえばいえるこの嫂は、ひょっとしたら白痴か、なにか足らないのではあるまいか。さもなくば……と、直義は思った。 ﹁ともあれ、姉ぎみ。……いつまで、ここにいるわけにはなりませぬ。直義も手を貸しましょう。兄上を起してください﹂ すると、寝ていたはずの高氏が、むっくり起きて、体の上の裲うち襠かけを、登子へ返した。 ﹁弟。案じて来てくれたのか﹂ ﹁ヤ、お眼ざめだったので﹂ ﹁よいここちで、そこの話を、遠くのように聞いていた。宵は地獄、深夜は極楽。いや、今日一日はおもしろかったな﹂ ﹁大杯また大杯と、御辞退もせず、おかさねになられた由。なかなか、まだ酔いはお醒めになりますまい。……さ、直義の肩におつかまりください﹂ ﹁つかまって、どうするのか﹂ ﹁はや夜半。ともあれ、御帰邸なされては﹂ ﹁ま、待て。……高氏、大酔はしたが、性しょうを失ったとは思わぬ。何をやったかも覚えておる。半分は酒のしわざ、半分はこの身の本性……﹂ ﹁何ンたる沙汰。お物狂いの果て、執権どのにも、御重態とか﹂ ﹁あわてるな。はははは、御ごほ発っ作さにすぎまいぞ。十日もお臥ふせりになれば、またケロリとなされるに違いない。そうまいらぬのが、お薙なぎ刀なたの先にかかって怪我をした田楽役者や近習たちだ﹂ ﹁まさか、兄上には﹂ ﹁だいじょうぶ。酒乱はしても、狂乱はしていない。だが騒動まぎれに、高氏逃げたり、といわれては心外だし、言い開きも立たぬゆえ、寝ながらの宿との直いと腹をきめていたのだ。――おぬしが見えたのは幸いよ。登子をつれて、ひと足先に帰ってくれい﹂ ﹁いや、ご一しょに退がりましょう。辻々はまだ、あの火事騒ぎ。直義にも、おきれいな嫂の保証はできません。かたがた、兄上にしても、ただここにおいでのみでは、無意味ではございませぬか﹂ ﹁それも、そうか。では二人とも、小町御門の袖の外にて、わしの行くのを待っておれ﹂ 高氏は、先にどこへか出て行った。また、その足どりは蹌そう踉ろうとして見える。しかし高時の“常ノ御所”へ近づくと、しっかりしていた。 一室に入って、高時の侍じし者ゃに会い、また典医の口から、高時の容態も聞きとった。さらに、事のついでのように、佐々木道誉の姿を求めたが﹁――道誉どのは、如いか何がなされしか、どこにもお見えなされませぬ﹂との、侍たちの返辞に、 ﹁……さらば、よろしく﹂ と、言いのこして、退出を告げ、やがて、二人を待たせておいた小町御門の外へ退がった。 ﹁直義、乗物は?﹂ 約をたがえず、二人はいたが、見れば、登子の輿こしも自分の乗馬も見えぬので、高氏が訊ねたのだ。直義は答えて。 ﹁いや、兄上たちは昼、正門の若宮御門からお入りだったはずでしょうが﹂ ﹁ア、そうそう。供の者も乗物も、若宮御門の方へおいてあったのだな。――そこはまだ、火事の混雑ならんと、つい、小町御門でと口に出てしもうたが﹂ ﹁ここへ、姉ぎみ一人おいても行けずと、むなしく佇たたずんでいましたが、お待ち下さい。私が一ト走りして、輿の者や、駒こま脇わきどもへ、小町御門の方へ廻れと、申しつけてまいりますから﹂ 走りかけると。 ﹁直義、それには及ばん。おぬしの駒は、それであろうが。――その馬貸せ、登子を乗せて、わしは、ぼつぼつ先へ行こうよ﹂ ﹁姉ぎみと、相あい鞍ぐらで﹂ ﹁夜半すぎだ、おかしくもあるまい﹂ ﹁お睦むつまじいと、昼なれば、鎌倉じゅうが羨みましょう。では、私は、正門の方へ声をかけて、おあとよりまいりまする﹂ ﹁この兄は、わがままものだな﹂ ﹁なんの。いざ、どうぞ﹂ さきに登子を乗せ、高氏もすぐ鐙あぶみを踏む。登子は、かいどりを被かつ衣ぎにした。袿うち衣ぎなので、横乗りに、自然、鞍つぼの良人に甘えたような姿し態なになる。 なおまだ、火事場の余よじ燼んが空には赤く映はえ、町は夜も丑うし満みつを何処ともなく騒々しい。しかし、ふたりを乗せた駒音は、愉しむごとく、トボトボ行く。――宝ほう戒かい寺じの並木、滑なめ川りがわの水音、大蔵への道はだんだんに暗かった。 ﹁のう登子。今日ぞ、そなたも、あきれたであろ?﹂ ﹁ええ、人々の婆娑羅には、あきれましたが﹂ ﹁自分の良人には﹂ ﹁驚きもいたしませぬ﹂ ﹁はははは、強がらいでもいい﹂ ﹁いいえ、真実﹂ ﹁よくよく物驚きを知らぬ女おな子ごよな﹂ ﹁羅らせ刹つの妻でございますもの﹂ ﹁……むむ﹂ 二人は、結婚四日目の雨夜の契ちぎりを思い出していた。 しばらく、黙りあって。 ﹁いや思えば以前、聞いていないこともなかった。赤橋どのの妹いも君ぎみは、いかなる人へ嫁ぐであろう。あの女にょ性しょうを末始終よう持つほどな者は、鎌倉御家人あまたな中にもあるまいが、もしあれば、その男の顔見たいと﹂ ﹁そのような蔭口、殿もお耳になされましたか﹂ ﹁その男が、わしだった。――降るほどな縁談、みな拒こばんでいたそなたが、選よりによってと、笑われたはずよ﹂ ﹁いといませぬ。さまざま人は申しまする。この私を、古い平家の女にょ人にんや平安の女にょ性しょうに比して、鎌倉の世が鋳いて生んだ鎌倉型の女子じゃなぞとも﹂ ﹁そりゃ、中あたっている﹂ ﹁ま、殿までが﹂ それきり二人の声もしない。折々、石にひびく蹄ひづめと、滑川の暗い川音だけがつづく。 すると、後から、追っかけ足が、松たい明まつ、空から輿ごし、馬上の人影などが、近づいて来た。すれすれに側を駈け抜けて行くのを見ると、それは直義たちだった。 直義はふり向いて、相あい鞍ぐらの二人へ言った。 ﹁やあ、先駈け御免。……お二ふた方かた、ごゆるりと﹂ ――執権御不例 と一般にまで、高時の病が公おおやけにされたのは、かなり日を経へてからだった。 なぜか、それまでは、華げう雲んで殿んのらちゃくちゃない騒動もくるめて、柳営はこれを、秘していた。 ﹁困ったもの﹂ と、眉をひそめ合って、当夜の聞取りやら、善処に当った重臣の意が、さしずめ、そこに帰したのだろう。 世上への外聞もまずい。 内には、綱紀の頽たい廃はいを招こう。 従来とて、高時の風狂的発作は一再でないが、おちついた後は、月余で常態に復している。こんどは前例にないお物狂いであったが、やがては御本復を仰ぐに相違あるまい。﹁……天下多事のさい、かかる御風狂沙汰は、都への風聞もいかがなものか。まずまず秘しおくに如しくはなし﹂というのが、一致した意見であったかと思われる。 ところが、その後。 鎌倉童わらべの遊戯に“天狗遊び”とよぶものが流行り出していた。たそがれ頃の辻々ではよく見かけるのである。小ちッこい洟はなタレ天狗や皮膚病天狗が、手に笹ささの枝を打振り打振り、口々に、
……えうれい星
えうれい星
怪雲殿 の
えうれい星
と、歌うのだった。しかも声のありッたけ、歌い狂い、舞い狂い、往来の女衆には悪さをするし、街の迷惑などもかまッたものではない。大人たちが、防衛のため、大喝したり、水でもぶッかけると、むしろ彼らはえうれい星
えうれい星
天知る
地知る
天狗知る
魔界外道 は
火のくるしみ
水くれ 水くれ
水をくれーいッ
地知る
天狗知る
魔界
火のくるしみ
水くれ 水くれ
水をくれーいッ
と、絶叫をくりかえし、その果て、わアッと囃はやして逃げ出すのである。
いったい、こんな童戯が流は行やり出した根元は何なのか。たれが彼らに教えたのか。
いや、現象を見てからの、そんな、せんさくなどは愚にちかい。上が下へ映うつるのは、月と露、雲と地の翳かげり。なんの不思議もないことだ。民の諷ふう謡ようは、自然に湧くものだとは、唐宋の古史もいっている。なにも知らないはずの民土の耳目ほど、何でも知っているものはない。
が、往々には、誤まった、いわゆる巷説もよく弄もてあそばれる。たとえば、近来の﹁……執権どのは、先ごろ、天狗に憑つかれて御他界されたそうな﹂などは、その類たぐいであった。――当然な幕府要路の関心が、
﹁こは、捨ておけず﹂
となって、俄に、御不例と公表したのは、手おくれにせよ、一般の疑惑をとくに、多少の効はなくもなかった。
しかし、こんどに限っては、以後なかなか御全快披露目の触れもない。年の末、十一月下旬、高時の子、万ま寿す麻ま呂ろの出生があって、その祝いはあったが、お床払いとは、ついに聞えず仕舞いであった。
ところで、高氏の方だが。
柳営の諸事情が、彼には幸いしていたものか、華雲殿の件は不問のまま、その年を越え、彼のぶらり駒は、依然何の変へん哲てつもなく、武者所の門へ折々通っていた。
七里ヶ浜の“大馬揃い”は、恒例、正月二十日だった。
これは壮観をきわめる。
武権鎌倉の府の強兵幾万、なお健在なるかを、この日には、思わせる。
“うつつなき人”高時の下でも、俗に七座ざとよぶ、米こめ座ざ、塩座、油座、銅座、絹座、魚座、材木座などの問屋経済の基盤やら、また、一令これぐらいな軍はいつも動かしうる実力あっての鎌倉幕府なので、田楽や白拍子や闘犬や、それらの遊戯三ざん昧まいのみで、万ばん戸この炊すい煙えんが賑わっていたわけではない。
御家人にしても、またそうだ。
高時好みの細太刀を佩はいて、忍び香こうをプンとさせ、良馬は飼わぬが闘犬をつなぎ、田楽修行も忠勤と放言したり、仮けわ粧いざ坂かや大磯小磯の妓おんなの品さだめに通つうを誇る――といったふうな武士のみが、あふれていたのでも決してない。
むしろ、数は逆である。
日ごろ、彼らの浮華に反目して、古風を頑守し、本来の気風と弓取の面目を失うまじとしている武士もまた多かったのだ。さもなくば、北条九代の末が、一日の戒令にせよ、ともかくも支配の地位を、今日に保っていられるわけもなかった。
﹁その実しる証しを、眼にも見よ﹂
と、平常、肩身せばめている輩やからが、伝来のよろい具足に陽の目をみせ、秘蔵の馬にまたがって、霞のごとき布陣をなし、“調ちょ馬うば始め”“弓始め”などの武風を競い合うのが、つまり初は春るは二十日の七里ヶ浜大馬揃いなのである。
各家の紋を打った幕舎やら、それぞれの旗じるし、駒つなぎ。
それが、浦うら曲わと磯松のつづくかぎりにつづき、海上には船手の旗のぼりも望まれる。
この日、足利家の兄弟も、もちろん家の子郎党を具ぐして、一劃の紋幕を占しめていた。
﹁十郎、兄上はどうした﹂
幔とば幕りをうしろの床しょ几うぎに腰かけて、直義が、屯たむろの佐野十郎を振向いての言。
﹁はっ。殿にはまだ、御指揮の大将方と共に、お櫓やぐらの上ではございませぬか﹂
﹁そんなわけはない。貝始めの式はすみ、はや大将方も、龍たつノ口くちの勝負馬場の方に移っておる。見い、あのどよめき声がそれだ﹂
﹁それでは、彼方へお渡りかもしれませぬな﹂
﹁駒は、お曳きか﹂
﹁御みく厨りやノ伝次、お曳き申し上げたようです﹂
﹁弓は﹂
﹁お弓は、人見新助へお持たせあって﹂
﹁やはりそうか。……やれまた、心もとないぞ。十郎、殿の様子を窺うかごうて来い。模様によっては、直義もすぐまいる﹂
さっきから、眉くもらせて、何かそぞろな直義だった。
彼のそんな気がかりは、なぜかといえば、ゆうべ佐々木道誉から兄高氏へ、意外な文ふづ使かいがあったのである。
――扨さて々さて、御不音ひさし。その後は、侘びられつつも、華雲殿このかた、拝面の機もめぐまれず、遺憾しごく。
ついては明日、曠はれの場を用ゐ、馬上帯たい弓きゅうの装よそほひにて、久々の御あいさつ申さむとこそ存ずれ。お覚悟いかに。
闇の角すま力うは味気なきもの。弓取りは弓取りらしく、白はく日じつ下かにての見参せむ。
伊吹てんぐ
足利てんぐ殿
ゆうべ、道誉からの文使いをうけた折、高氏はその手紙を、直義にも見せ﹁これ見ろ、なんと女みたいな筆蹟ではないか。あの婆娑羅が﹂と、ただ笑った。
兄には、なんの感情の揺れもないが、直義は読んで腹が立った。
なるほど筆蹟は見事だが、その文意たるや、驕慢な揶や揄ゆである。兄高氏への、挑戦状にほかならない。
馬上帯弓の上で御あいさつ申さむ――とある大言ぶりも、自信満々だ。多芸な道誉が、犬いぬ追おう物ものや騎きし射ゃく競らべにも上手なのは、聞えている。
その道誉として。
いつか、華雲殿の闇で、兄に叩きつけられた不覚は、到底、忘れえない恨事であろう。以後、あの件については、道誉も一切、その鬱憤や風当りらしきものを、向けても来ず、他へも洩らした形跡はないが、いまは読めた。彼きゃ奴つめ、復讐の機を待っていたのだ。――と直義は考える。
必定、万人環視の曠はれの場で、意趣を晴らさんとする腹だろう。そこで直義は﹁……どうなさいます? 兄上﹂と、兄の顔を窺った。すると高氏は、弟の心配すらも、小うるさく感じたのか、ぶッきら棒に﹁彼から、ごあいさつをするといって来たまでだ。どうも、こうもあるまい﹂と――。これが、前夜のこと。
今日となっては。
七里ヶ浜大馬揃いの盛観の中にあって、直義もゆうべのことなど、行事の指揮に、思い出すひまもなかった。
が今、床几で一ト息ついた間に、ちらと、不安にかすめられたので、佐野十郎を馬場の方へ見せにやったわけだが、
﹁はて、いかにせし?﹂
その十郎も、なかなか戻って来ないのである。
陣の行事も種さま々ざますんで、片瀬川から龍ノ口へかけての野原では、さっきから競射が行われていた。徒か士ちの矢やか数ず、馬上の射い懸かけ、騎兵群の乱取り、一騎駈け勝負など、調武あり試合あり、武者所の豪や、各家選抜の勇が、名を競うものだった。
ことしは、高時が病中で上覧桟さじ敷きはさびしいが、北条一門、執しっ権けん代だい、連署、引ひき付つけ衆しゅうなどの歴々の顔は欠けまい。――そして、佐々木道誉も来ていよう。……直義の不安は、だんだんに増していた。
﹁なにせい、曠はれの人中というと、いつもヘマやら大事を起され勝ちな兄上だし……﹂
何となく、彼の先入主は拭いきれない。
かつての鳥合ヶ原では闘犬と取っ組み、華雲殿では不敵な酒狂沙汰を振舞ったらしい。またぞろ、その兄が道誉の挑みに乗って、取返しのつかぬ醜態でも演じなければよいが。
もしまた、道誉との騎射競べに勝ち得るとしても、先の宿怨を深めるだけで、将来のためには、よろこべたことではあるまい。
﹁ああ、将来……﹂
兄弟には、ひそかに期するものがあるはずではないか。その兄が、と直義には憂えられもし、疑われ出しても来る。
――すると、まもなく、彼は彼方に意外な二人連れを見出し、我ともなく床几を立った。
兄高氏と佐々木道誉が、駒を並べて、何か談笑しつつ此こな方たへ来るのだった。いずれも、この日は鎧だが、とくに道誉の、鉢金打った風かざ折おり烏え帽ぼ子しに、彼らしい派手好みな陣じん装よそおいは、ひと目で彼と、すぐ分る。
わけがわからぬままにも、直義はすぐ、兄と道誉の二騎の前へ、駈け寄っていた。
﹁兄上、郎党たちは﹂
﹁あとよりまいろう﹂
﹁佐野十郎には﹂
﹁会わぬ。何か、火急か﹂
﹁いやべつに﹂
兄との会話は、そこで、ぷつりと切って、不承不承に、連れの道誉の馬上へも、形式的に頭ずを下げた。
﹁佐々木殿か。まずは、馬揃いも事なく相すみ、同慶にぞんじまする﹂
﹁オ。御舎弟だったの﹂
道誉は、高氏の横顔へ、チラと訊ねてからまた直義の面をじっと見入っている。
﹁直義どの﹂
﹁なんだ﹂
つい、反感が迸ほとばしった。
だが道誉の方には、こたえもしない。頬の黒ほく子ろはニュッと笑う。
﹁む。なかなかよい弟御だ。兄思いだわ。ひそかにお案じだったとみゆるよ。ハハハハ、いや、昨夜のそれがしよりの文ふづ使かいでは、それも道理か﹂
﹁……?﹂
直義は、迷はぐらかされた思いである。睨みつける意識で、ぐっと睨みすえた。
そのまに、傍らの高氏は自分の駒を降りていた。﹁……直義、ちょっと、こなたへ﹂と眼でさしまねいて陣とば幕りの内へ入って行く。ついて行くと、二つの床几を分けあって、兄は諭さとすが如く弟へ言った。
﹁怒るな。色になど出して﹂
﹁はっ﹂
﹁事はなかった。なかったのだ何事も。それならよかろう﹂
﹁よくはありません。ゆうべ道誉が文使いで、物々しゅう、今日の曠はれの場でごあいさつ致さんと挑んできた騎射試合は、どうなったのです。よも、彼の誘おびきに乗ったわけではございますまいな﹂
﹁いや、わしは立合うつもりだった。彼は騎射の上手。高氏はここ両三年、とんと武技の修練には遠ざかっておるから、結果は、負けるだろうが……。負けたら、道誉の腹も癒いえようし、笑わるるもまた、損ではなかろうと考えてな﹂
﹁恥をも、お覚悟で﹂
﹁そうだ﹂
﹁直義には推し量はかれぬこと。笑われるのが、何のお徳か﹂
﹁まア聞け。ともかく御みく厨りやノ伝次に駒を曳かせ、人見新助に弓持たせて、龍たつノ口くち木戸の奉行ノ簿ぼに、試合の申し出でをせんとまいッてみると、果たして、道誉が先に待っておった﹂
﹁そして?﹂
﹁道誉が何といったと思う﹂
﹁わかりませぬなあ﹂
﹁わしを見ると、莞かん爾じとして一笑した。手をさし伸べて、わしの手を握り……、やあ高氏どの、本気で来たか、昨夜の文は、酔余の洒しゃ落れぶ文み、筆遊びに認したためたもの……。まことの挑戦状なら、何であのように艶つやめかして書こうぞ。それとお判はんじがつかなんだとは、さても婆娑羅を知らぬ一徹な御ごじ仁んかな――と、また腹を抱えて笑いおった﹂
﹁何、あれが、洒落文ですと﹂
﹁見事まず、こちらの弓ゆづ弦るを引っ外ぱずされたような心地﹂
﹁狐め。ばさら狐だ﹂
﹁いや、そのあと、いんぎんに爾じら来いの不沙汰を真顔で詫び、折入ってのお話もあれば、今日の帰りを曲げて、ぜひ、道誉の積つむ良らノ別亭まで、お立寄り願われまいかという、あいさつ﹂
﹁ははあ、それで駒を並べて﹂
﹁まずは、そんな仔細﹂
﹁ちッ、馬鹿気ている!﹂
直義は、もう耳もかさない。
弟の、弟らしい気けし色きばンだ反撥ぶりを、高氏は微笑に見つつ、下しタ手てに言った。
﹁まあ、さようにくさすな直義。ばさらにはばさらの取柄もある。道誉とて、当代少ない一人物だ。あの才能やら変通自在な妙所は、この高氏にはないものだけに魅力がある﹂
﹁そうでしょう、河ふ豚ぐは美味い、だがその毒では人も死ぬ﹂
﹁毒は捨て、美肉だけを、味わえばいい﹂
﹁蘇そと東う坡ばは犬へくれました﹂
﹁高氏は賢人とちがう﹂
﹁では……﹂と、直義は、あらわに感情を弾はずませて――
﹁どうしても、道誉の誘いにまかせて、今日のお帰り途を、彼きゃ奴つの積つむ良らノ別亭とかへ、お立寄りなされますか﹂
﹁行くと、約して、ここまで同道して来たこと――。おぬしは、郎党をまとめて、浜奉行の引揚ゲ貝と共に、ここの陣とば幕りを払い、先へ府内へ帰ってくれい﹂
﹁そんな御指揮代りは、いとやすい勤めですが、しかし……直義には、御量見が知れませぬ﹂
﹁なぜ﹂
﹁思うてもごらんなされ。かつて兄上が、忍び上洛のお帰りに、ふと彼きゃ奴つの伊吹ノ城へ誘われてから、以後、今こん日にちまでの苦い思い出の数々を。――道誉のためには、いかほど、心外な目に遭ったり、弄もてあそばれたりして来たかしれますまいに﹂
﹁そうだったなあ﹂
﹁と、仰っしゃりつつ、またもや彼奴の術てに乗るなどは﹂
﹁案じるな。乗っても、こちらは露の玉、芋の葉の上で、コロコロ遊んでいるぶんには、つかみどころもあるまいが﹂
﹁兄上っ﹂
﹁ほ。目にかど立てたな﹂
﹁兄上までが、ばさらな言い方、業ごう腹はらも煮えましょう。一体、道誉が自分の別亭へ、兄上を誘うなどは、そもそも解げせぬ底意です。彼奴に、どんな用談があると申しておるのですか﹂
﹁そこは、わからぬ﹂
﹁直義も同道いたしましょう。何やら、安心なりませぬ﹂
﹁よせ。そのような出でし洒ゃ張ばりは﹂
﹁お供もなりませぬか﹂
﹁おぬしには、後を頼む。――オオ、――道誉も外で欠あく伸びを催していよう。直義、あとの諸事をたのんだぞ﹂
高氏は床几を起たった。
幕舎の隅へ眼をやって、そこのよろい櫃びつ、衣裳箱などの前に立ち、大鎧を解いて、腹巻、陣座羽織の軽装にあらためている。――直義はもう黙って、兄の着がえを、後ろから手つだった。
﹁行って来る﹂
すぐ、陣とば幕りを巡って大股に外へ出て行く。そして、さっきから馬上のままで待っていた佐々木道誉へ、
﹁やあ、お待たせした﹂
と、声をかけた。その高氏には全然なんのこだわりも見えない。共に、鞍あん上じょうの人となり、手綱をならべて、はや行きかける。
直義は、ぜひなげだったが、道誉へも聞えよがしに、わざと、その背へ向って、
﹁兄上っ――﹂
と、もいちど呼んだ。
﹁お後からすぐ、人見新助、御厨ノ伝次、佐野十郎など、いつものお供とも輩ばらをつかわしまする。御帰邸もなるべく、夜に入らぬうちに。そして、御酒も余りにはお過ごし下さいますな。供の家来どもが、泣きますから﹂
道誉の“積つむ良らノ別亭”とは、彼がしばしば近江から鎌倉入りする前日の支度屋敷あるいは休息屋敷ともいうべきものだが、何事にも凝こり性な彼、丘の景勝に倚よって、富士の眺めを取りいれ、やはり数す寄きをこらしたもの。
ここへ、おととい頃から、旅装を解いた客があった。海道沿いの便利な地だし、社交家の道誉とて、往おう還かんに立ちよる客は常に多いが、この泊り客へも、歓待いたらざるなく、きのう今日、道誉が不在中には、遊女めいた女たちが主あるじに代って、客の不ぶり聊ょうをなぐさめていた。
客は、新田義貞だった。
都で二年余の禁門大番をつとめおえ、まずは執権高時の御病気伺いなどもすまし、それから郷里上こう野ずけノ世せ良ら田だへ帰ろうという急がぬ解げば番んのからだなので、つい引きとめられていたらしい。
一つには、折ふし、大馬揃いの前日とも聞えていた。で、そんなさいに入にゅ府うぶしてもと、義貞も、腰をすえたのだろうが、さらには道誉がまた、
﹁当日には、ほど近い七里ヶ浜より、高氏どのを拉らっし来きたって、一別以来の御両所に、ここで打ち溶けてもらいたいもの﹂
などと、いい残して出て行ったことにも、義貞は幾ぶん心をひかれていた。しかし、果たして高氏が、来るか否か。
﹁……おそらく来まい﹂
自分にひきくらべて、義貞はそう思った。
高氏とは、問もん注ちゅ所うじょの対決以来、会っていない。
あの直後。――自分は大番に上のぼり、高氏は鎌倉にとどまり、彼の消息も、噂だけには聞いているが、今では、赤橋殿の妹を娶もらって、北条一門の歴々に列している足利だ。以前の足利とんぼの一領主ではない。義貞が待つと聞けば、なおさら来まい――と、彼には、半ば期待もされなかった。
ところが、七里ヶ浜のその日、午ひるさがり頃。
道誉は自身、高氏を伴って、何の触れもなく、義貞のいた奥の書院へ案内して来たものである。
﹁やっ。新田か﹂
高氏には、義貞の姿が、不意だったらしい。ふと、立ち入りかねた足もとだった。
﹁オオ、足利よな﹂
義貞があわてたのは、ちと意味がちがう。
彼の膝には、ゆうべからの仮けわ粧いざ坂かの女がしなだれかかっていたし、昼酒の杯盤なども、ちらかっていた。
義貞は、こんな行状を、ひとには見られたくない性たちだった。ましてや高氏にはである。いそいで座をあらためる彼に、女などは、けがらわしきものみたいに、振り退のけられた。
﹁これや、御亭主には、おひとが悪いぞ。触れもなく、不意に余人をお通しあるとは﹂
﹁はははは。だが新田どの、それくらいは、ゆるされい。――御ごろ覧うぜよ、高氏どのは、もっと呆れ顔だ。じつ申せば、ここの廊口まで、高氏どのには、何も明かしてなかったのだ。どうです! かかる不意な一いち会えもまた、愉快ではあるまいか﹂
彼は、ひとりで自己の作為を愉しんでいう。そして、いたたまれずに退がろうとする義貞の女へまで。
﹁これこれ、隠れることはない。すぐ酒宴にしよう。彼方へ席をかえよと、みなへ申せ﹂
あらためた宴の席では、いながら夕富士が望まれた。
何かと、亭主役の心入れを見せながら、道誉は、執とりもち顔にいった。
﹁それがしは近江だが、御両所には領地隣りだ。事あらば、唇しん歯しの仲なかとなって扶け合わねば両立しえぬお立場にある。過去一切は水にながして、心からお親しゅうして行かれたいもの﹂
高氏とて義貞とて、それに異存のあろうはずはない。
﹁いや、仰せまでもなく﹂
互いに、杯をあげて、ほほ笑みを見せあった。
いわれてみれば、往年の確執も、問注所の対決で、解決した形ではあったが、相互の胸のうちまで、きれいに、うち溶とけていたわけではない。
その後も、下しも野つ国けにおける新田、足利間の小ゼリあいは、何かと、鎌倉表には聞えていた。
――だからそのことを、道誉が真に憂えてくれての扱いなら、この一会は、高氏義貞にとっては、願うてもない邂かい逅こうの機を作ってくれたものとして、彼の好意を、大いに多として謝さなければなるまい。
だが、道誉の真意がどこにあるかは、高氏には全くつかまれていなかった。身は、芋の葉の露と観かんじて遊んではいるが、しかしその辺には、高氏も腹に一線の警戒をおいている。
同様に。
義貞の容子にも、どこやら道誉の言を、そのままには受けとってない節ふしがみえた。――かつまた、義貞の性情として、高氏との対立感を、おいそれとは、除き切れないところもあった。いッそくだけて、自分の裸を見せよう代りに、相手の赤裸も見ようとは、望みもしない。
――むしろ、高氏と同座している限りは、世良田源氏、新田小太郎義貞たるものを、あくまでくずさず、固執しているらしい風さえある。
で。めずらしく、積つむ良らの一夕せきは、清遊であった。
自然、話はかたく、女たちも、座に消えがちで、君子の小しょ酌うしゃくにならざるをえない。
﹁ときに、執権どのの御不例もだいぶお久しいようですが﹂
義貞が、静かな口調で、訊ねたのである。
﹁都においても、さまざま臆測が行われていますが、ほんとのところ、近ごろの御容体は如いか何がなのでございますか﹂
その問いに、道誉は急に、声をひそめた。
﹁じつ申せば、日は経へても、いっこう御本復のていは見えぬ。……また、ここだけの秘語でおざるが、どうも今度は、たとえお床とこ上あげの後も、執権ノ座に御在職はいかがといわれ、内々、御ごだ代いがわりの議すら起っておる﹂
ちらっと高氏の横顔を見て。
﹁そこで当然、次代の執権職は、誰かとなるが、御一族中では、赤橋守時殿などが、最も望みを嘱しょくせられておる。……もし赤橋殿が、次の執権職と定まれば、申すまでもなく、高氏どのは、一躍、執権職のおん義おと弟とぎ君みと仰がれるわけ……。いや、えらい御栄達が目に見えておる﹂
当の高氏よりも、この話は、義貞の気色を、妙に騒ざわめかせた。義貞の嫉ねたみが眼いろに出た。酒も冷えた。――が、まもなく、高氏は、弟直義が向けてよこした迎えの郎党が、来たのを機しおに、あっさり、積良ノ別亭を辞して出た。
まだ赤富士が、夕空に見えた。
夕から夜へかけて、高氏は、供の郎党たちと共に、鎌倉府内へさして帰る途々、馬上の黙想は、いつか、道誉一人のことに、とらわれていた。
道誉、佐々木道誉。
自分にとって、こんな妙な、ニガ手な存在はないと思う。
﹁彼こそ、当代、婆娑羅者といわるる者の代表だ﹂
と、分ったような心得でいるが、事しばしば、彼との交渉になると、さて、分らないだらけになって来るのである。
二人の間には、いつも一匹の蜘く蛛もがいて、目に見えない運命の糸に縢かがられているような気がされてならない。
﹁頭に、おくな。おかねばよいのだ﹂
こんな思し惟いは、彼が、それとは逆な思惟に憑つかれたときの、二重意識にほかならない。――いつも直義などに向っては、歯牙にもかけない風で言っているが、じつはいささか持ちあつかッている道誉だった。
では、宿命的な仇敵か。
否々、時により、案外な好意をしめし、あのあいそ黒ぼく子ろを、十年の知己かの如く、にんまり見せる。――そんな場合の道誉は、憎もうにも憎めなかった。さりとて、親しむには、親しみきれぬ異質感を、また、どうしようもない高氏でもある。
﹁わしの小心を見抜かれたか﹂
高氏は元来、自己を大胆者とは、信じきれていない。むしろ小心だと思っている。
自分が道誉を無視しえないのも、そもそも、その小心が抱いた過大な大望のせいだと気づいた。――道誉のごとき地位と才物は、将来、敵に廻しては厄介にちがいない。あわよくば、行く末、味方にもしようとする狡ずるい分別が、自分を弱くさせ、卑屈にさせ、また、彼の乗ずるところにもなるのであろうか。
立場をかえて。
なぜ道誉が、つねに自分を目のかたきにしているのか、からみたがって来るのかを考える。
或いは、彼も自分同様、ひそかに天下を窺っているものかもしれない。――もし将来の天下におなじ野心を抱く者なら、類は類に敏さとしで、こっちの腹も当然観破しうるはずである。この自分を目もくすに、いつか、中ちゅ原うげんの鹿を追う好敵手! としているのではあるまいか。
﹁そうだ、好敵手﹂
やや道誉が分りかけてきた気がしていた。
単なる婆娑羅大名としてでなく、一朝の変には、天下へ手をかける下心もある野心家として彼を見直すと、伊吹以来の事々も、今日の新田義貞を加えての一会なども、すべて彼の深慮遠謀の反映と解されぬでもない、と思った。
﹁おもしろい。中原の鹿は、誰が射い中あてようと勝手だ。さはさせじと、争う敵手が現われてこそ、なお、おもしろい﹂
暗い夜道の馬上、高氏は、部下のたれも知らない闘志と夢に、その肋あば骨らをふくらませていた。――そして、大蔵の屋敷へ、宵ごろ着いた。
おそらく、直義の話は家中に伝えられていたろう。登子も、母の清子も、みな案じ顔でいたらしく、彼の姿を見て、大蔵の灯は、一ぺんに憂いを解いて華やいだ。
その後、いくばくもなく。
北条高時は病のため、執権職を罷やめ、従来も剃てい髪はつではあったが、あらためて法名“崇そう鑑かん”と称となえる、と公おおやけに沙汰された。
相さが模みに入ゅう道どう崇そう鑑かん
の彼。その高時は、いよいよ公にも病びょ閑うかんをえて、遊び呆ほうけられるわけである。
おなじ三月十六日。
次代執権は、金沢貞顕ときめられたが、何か内紛の結果だろうか、四月に入ると再度、
赤橋守時を執権に、北条維これ貞さだを連署となす、との幕府改組が三たび布告された。
偶然ではあるが。
鎌倉改組と、わずか二日ちがいで、朝廷でも、改元ノ儀が行われ、この年を、
嘉かれ暦き元年
とするの令が、天下に布しかれた。
が、すべては単なる時事にすぎず、事そのものに、格別な意味はない。けれど、高氏には、一驚を覚えられた。
妻の兄守時が、執権の栄座に昇ったなどという感慨ではない。――百日も前に、これを積良の別亭で言っていた道誉の予見の誤まらぬことだった。
﹁ふしぎな存在﹂
このばあいにも、彼は、それを感じる。
世には、機密のウラを嗅かぎ知っては、それをひけらかすのを愉楽とする事情通もなくはない。しかし、道誉のは、わけが違う。義貞をおいて、あの場所、あの鼎てい座ざでの、言である。
いかに道誉が、日ごろ、高時のふところ深くに住み、柳営を中心とする枢すう機きのうごきだの、重臣一人一人の人物観などにも、常に眼をくばっているかが推し量れる。
﹁いや、彼をそこまでの人物と観るのは、ちと兄上のお買かいかぶりか﹂
直義は、それを笑った。
﹁万一、赤橋殿へ執権職が廻ったら、足利家とも不和ではまずいと、彼一流の目先キ買いに過ぎますまい。それが中あたッたまでのこと。――で俄に、兄上へも、媚態をよせて来たのです。近ごろの彼は、会えば礼を低うし、事ごとに、わが家へ尻ッ尾を振りおりますわい﹂
こう見る直義は、依然、彼への毛嫌いを捨てなかった。
ところで、妻の兄が、執権になったからとて、高氏の柳営における地位職位が、俄に昇ったわけでもない。また、そんな守時でもなかった。けれど世風の媚こびは権門を繞めぐって吹く。爾じら来い、大蔵の足利屋敷の門へは、おのずから客の騎馬や輿が絶えなかった。
道誉もまた、いつかその中の一人とはなっている。来れば人の及びもつかぬ珍めずらかな音いん物もつを携え、召使にも愛想をこぼし、わけて登子を笑わすことに妙をえていた。で、大蔵の家中誰でも、彼を目もくすに、
﹁華やかで、いつも御陽気に、おかしげなお客﹂
と、していた。
すると、その年の秋。
物々しい顕けん紳しんの客とは違い、雑ぞう人にん門もんのくぐりをそうっと押して、音もなく、奥へおとずれた母おや子この客がある。
﹁……お暇乞いにまいりました。北ノ方様へ。そしてもし、おいででしたら、殿にもお会わせ下さいまし。覚一と、覚一の母でござりまする﹂
と、取次ぎを乞う声までが、つつましかった。
母おや子この来意は、扇ヶ谷からも、すでに通っていたのであろう。折ふし、高氏は不在だったが、登子が会って、
﹁まあ、それは、お名残り惜しい。あすのお立ちとは﹂
と、良人の帰るまでを、わが居間に遊ばせておき、餞はな別むけには何を贈ろうか、覚一は何がお好きかなどと、ねぎらっていた。
いうまでもなく、覚一の願いがやっと叶えられて、都みや上このぼりとなったための暇いと乞まごいで、またいつお目にかかれるやら……と、覚一はそうでもないが、草心尼には、心ひかれる身寄りも多い。
とはいえ、このことは、誰にも諮はからず、黙ってでもと、母子の思案は、とうに去年の秋から、きまっていたものではある。
が、そんな軽々しいまねは、いくら覚一にせがまれても、草心尼にはやはり出来ない芸だった。――で、義あ兄にの上杉憲のり房ふさに一応の相談をしてみると、
﹁もってのほか﹂
と、はたせるかなの、ただひと言こと。
しかし、さきには自身が、六波羅大番のさい、幼少の覚一を携えて行ったほどな憲房である。
﹁よせとはいわぬ。一年ほど待て。そして琵琶はまず措おき、みっしり一年ほどは、学問せい﹂
と、いう意見。
﹁はい﹂
以来、伯父の指示にしたがって、覚一は、学業の師に就いた。
師匠は五十二、三のお坊さんであった。二階堂の永福寺に近い“南なん芳ぽう庵あん”がお住居だった。
子供ずきらしく、とくにまた、盲めし目いの覚一を憐あわれんでか。
﹁ほ、来たな。今日は一人で来たか。いつも母はは者じゃに手を引かれている気ではいけぬ。いッそ一人で歩きつければ、今に、目明きよりは、よう見えて来るはずだぞよ﹂
経けい書しょの講義、禅のはなし、きびしい中にも慈愛をもって、授けてくださる。
だから覚一も、しごく気やすく馴じんでいたところ、或る折、庵いおの下げそ僧うに、師の坊の経歴を聞かされて、彼は、まったくびっくりしてしまった。
師の名は疎そせ石き、夢むそ窓うと号して、寧ねい一山さんの会え下かに参じ、仏ぶっ国こく禅ぜん師じの法脈をつぎ、今や、五山第一の称となえもあるとか。
諸国、居る所に禅風を興して、また飄ひょうとして去るといった風なのを――近ごろ、北条高時の生母覚かく海かい夫人が、やっと捜し求めて鎌倉に請しょうじ、それでしばらくは、ここに留とどまっているものの、都からも、勅ちょ諚くじょう再々で、後醍醐天皇のお招きもしきりである。しかし、なかなかうごきそうもない疎そせ石きぜ禅ん師じ――と聞かされて、覚一は二度びッくりした。
いや、驚きは、それだけではない。
ここへは、人知れず、大蔵の足利高氏も、夜陰、或いは早暁に、師の禅語に接すべく、折々ただ一人で、通って来ていたことだった。
覚一は、或るときそれを、次の間にいて、体で知った。
自分にたいする師とは、別人のような恐い疎石禅師のまえに伏して、必死に、教えをうけんとしている高氏の声を……その姿までを。
だが、そんな高氏は、世間、誰も知ってはいない……。
﹁草心尼どの。お待たせしました。殿がお帰り遊ばしたようでございまする﹂
今、その高氏が帰邸したらしい。登子は、いそいそ出迎えに立って行った。
かろやかな家いえ居い着ぎに着かえてから、高氏は登子と揃って、そのくつろぎを、草心尼母子の前に気やすくしていた。
﹁尼あま前ぜ。このたびは、えらいご奮発だのう。……故ふる郷さとをすてて都住みとは﹂
﹁もうもう、子のせがみには負けまする。子ゆえに生きている身ではございますが﹂
﹁したが、末はお楽しみよ。……のう覚一、学業もだいぶ進んだそうではないか﹂
﹁いえ﹂
覚一は、不意をうけて、俄な、はにかみ顔をした。
高氏の声に、彼はさっきから、一年も通った南芳庵の冷ややかな禅ぜん床しょうと師の疎石とを、思うともなく瞼に描いていたのである。
なぜか、師もいわず、高氏も禅師のことは、ついぞ何も語らない。……で、覚一の小さい分別も、それには触れないで、ただ、
﹁琵琶は琵琶としても、やはり学問もしなければ、ほんとの修行でないことが、薄々、分ってまいりました。都へ出たら、なお懸命にやりまする﹂
﹁オオ、やれよ、母御に精進を見せて上げよ。さし当っては、都のどこに住まわれるか﹂
草心尼が、それには答えた。
﹁上杉どのから、六波羅の御おう内ちび人とへ、よい伝つ手てを計らわせ給えと、細やかなお添そえ状じょう。……それをいただいておりますれば﹂
﹁ならば、おちつき先は安心だが。……して、道中は﹂
﹁上杉家の旅馴れた武士二人、都まで、供して下さることになっております﹂
﹁供は、二人か。お若い尼あま前ぜに、盲めしいの子連れ。……のう登子、ちと心もとないなあ﹂
﹁いけませんとも、そんなお身軽では……﹂と、登子も、それには自分の意見を忌きた憚んなく。
﹁長の野の路じやら峠やら、途中、何が起るかしれませぬ。わけて近年は物騒なとも聞きまする。登子でしたら、十人二十人の侍をつれても、恐ろしゅう思われますのに﹂
﹁ホ、ホ、ホ……。それは北ノ方様なればこそ。尼などは、身を貧しゅう持っておりますゆえ、旅路にも、なに恐ろしいものはございませぬ﹂
﹁いえ、それだけでなく、あなたは余りにお美しいから。……のう殿、たれかしかるべき豪の者を、わが家からも、さし添えておやりなされませ﹂
﹁そうだな。御厨ノ伝次か人見新助か。む、伝次がよからん。……そして立つ日は﹂
﹁尼前は、明朝と仰っしゃいます﹂
﹁今日が名残りか。では母上︵清子︶も入れて、夕ゆう餉げでも共にしようよ。登子、母上へおつたえしておけ﹂
その清子は、病夫貞氏と共に、まったく表方には姿をみせず、隠居所の別殿にこもって、近ごろは“日にっ課かじ地ぞ蔵う絵え千枚”の発ほつ願がんに他念もない。
小こし色き紙し半ぶんほどな紙に、地蔵菩ぼさ薩つの相すが絵たえ千枚を描いて、世の有うえ縁んむ無え縁んに頒わかとうという願いである。
﹁――お地蔵さまという御みほ仏とけは、五ごじ濁ょく悪あく世せいといわれる餓が鬼き、畜生、魔ま魅みの巷ちまたには好んでお降くだりある普ふけ化ぼ菩さ薩つだということです。いまの世は、その地蔵菩薩でも招しょ来うらいせねば助かりようもない時勢というてもよいでしょう。そんな波風へ立って行くそなたたちじゃ。これをお身の護ご符ふともなされ、お身ご自身とも念じ給うて、肌身に持っていて下され﹂
伯母の清子が、覚一に与えた餞はな別むけのうちには、その日課地蔵の一枚もあった。
草もみじ
草心尼と覚一の旅は、今日で十日をこえている。 京、鎌倉の間は、ふつう十三、四日とされているのに、ふたりはまだ、やっと東海道も半ばにあった。 ﹁ともかくも、事なく、京へ着きさえすれば……﹂ 覚一の杖の端を持って、おなじ足あし幅はばで彼女も歩いた。時には、馬の背も借りたり、足あし柄がらを越え、富士川天龍も渡って、その夕べ、豊川で宿やどをさがしていた。 ﹁オ、寺がある。……お二た方には、ここでお待ち下されまいか。寺へ参って、宿を頼んでまいりますれば﹂ 高氏の命で、ふたりに付いて来た足利家の侍、御みく厨りやノ伝次は、ひとり駈けて、妙みょ厳うご寺んじの門内へ入って行った。 ほかに、道中の供人は、もう二人いる。 上杉家の家来、今いま切ぎり藤五と羽鳥八郎太だった。 初めのほどは、この二人も、まめやかな良い従者であったが、主家を離れて遠い旅の空となるにつれ、また、盲めしいと女の足のおそさにも、次第に倦うんで来た態ていで、いまも母おや子この後ろに佇たたずみ、生なま欠あく伸びをかみころしていた。 ﹁や、お待たせしました﹂ 伝次は、すぐ戻って来て、 ﹁寺中には、宿やど貸す備えもあります由、いざどうぞ﹇#﹁由、いざどうぞ﹂は底本では﹁由、、いざどうぞ﹂﹈﹂ と、母子を導いて、妙厳寺の一房へ入った。 旅の夜々にも、やや馴れて来た。時には、借る宿もなく、木蔭に油ゆた単んを敷いて、更かえ着ぎを被かついでしのぐ晩もあり、木きち賃んの破やれ屋や根ねの穴に星を見つつ臥す晩もあるが、寺院は最良な旅はた籠ごだった。寺に寝る夜は、しんから疲れを休めて眠れる気がした。もちろん、いつどんな場合でも、従者の三名は、遠くにやすんだ。 その夜の、夜半ごろである。 御厨ノ伝次は、ふと、木枕から首をもたげて、 ﹁ははあ、また出かけたな。さもしい奴ら﹂ 藤五と八郎太の、もぬけの殻の寝床に気づいて、にがり切った。 これまでの駅うま路やじでも、何度となく、おなじ例があったのだ。女を買いにゆくのか、酒だけにつられて出るのか。 伝次とて、武家奉公の身だ、主家での窮屈さは知っている。それから解放された旅空では、日ごろの渇かわきが、あさましく疼うずき出てくるのは、彼も同様だった。しかし、そこに自制と廉れん恥ちをもつのが、匹ひっ夫ぷげ下ろ郎うとちがう武士ではないかと、彼のみは反撥していた。 ﹁下郎根性。この数日は、お供するにも誠意は見えず、ぜひなく盲めしいと尼御前に付いているといった風だ。……よし、いちど、とっちめておいてやろうか﹂ 起き出して、彼らが酔って帰るのを、待ちうけていた。 ――やがてのこと。それらしき人影が、山門からもどって来た。だが二人は、そのまま寝ね屋やの房へは近づいても来ず、彼方の荼だき吉にて尼ん天ど堂うの縁へ、酔った体を投げ出しあった。そして何やら、首と首とを寄せあっている。 近くの物蔭で、御厨ノ伝次が聞くとも知らず、二人は言い争いをやっていた。その争いも、ひそひそ声から次第に、 ﹁なに。道義にそむくと。そんな形もないものにとらわれて一生の運を逃がす馬鹿があるか。主家が何だ﹂ 言いつのッているのは藤五で、一方の声は八郎太だった。 ﹁八郎太。どうしても、おれの相談には乗れねえのか﹂ まき舌である。 八郎太は醒さめ、彼は生酔いだ。 その生酔いの今切藤五が、執しつこく、一方の同僚を、説きつけようとするものらしい。 ﹁ええおい。そう迷っているうちには、やがて都へ着いてしまうぞ。目をつぶって、ここで一生の運をつかむか。それとも、盲法師と尼あま前ぜを無事に都へとどけて、御苦労ともいわれず、再び主家へ戻って、一生武家郎党の端はしで終るか。どっちを択とるかだ、ここの思案は﹂ ﹁だって、きさま、あれは主筋のお方だぞ。よくそんな恐ろしい量見になれるなあ﹂ ﹁主家にいればこその主筋よ。捨てる気になれば、あかの他人だ。それやあ、むかしは主従苦楽を共にし、君臣一如の義もあったそうだが、当節の主人は、わが身の栄えよ耀うのほか何知るものか。郎党は一生、稗ひえ食ぐい郎党、厩うま掃やそ除うじは一生涯、厩掃除﹂ ﹁きさま、何か、主家に恨みでもいだいたのか﹂ ﹁いや、鎌倉御家人、一般をいっているのだ。阿呆な主人が、ふた言めには、武士の道だの、忠節だのと、自分は持ちもせぬものを、家来には押しつける﹂ ﹁待て。おれたちのお主しゅ上杉殿が、そんなお人とは、おれには思えぬが﹂ ﹁分らぬ奴だな。上杉家や足利家がと、いつ言った。……しかしだ。武家全般の時じふ風うとあれば、上杉家だって、末すえ始しじ終ゅうにゃあ、ろくなことはありッこない。見切りをつけていい潮だ﹂ ﹁それにしろ、恩をあだで返すようなまねは、どうかなあ﹂ ﹁ちッ、恩のへちまのといっていたら、生涯、雑ぞう兵ひょ雑うぞ炊うすいを食らって、厩うま馬やうま同様に、飼われて終るまでのことだわ。世には愉たのしむ物があり余っているものをよ。たとえば……草心尼さ……見れば見るほど、肌のきれいさ。宿場の遊あそび女めなどは、見られなくなる﹂ ﹁藤五。きさまの野心は、あの尼あま前ぜの色香だな﹂ ﹁正直そうだ。しかし、尼前の肌にはなお、上杉、足利御両家から餞はな別むけされた金も温ぬくもッているはずだし、またいッそ、脅おどし脅し、遠くへまで連れて行って、売り飛ばせば、その上の大金もつかめようというものだ。どうだ八郎太、ひと思いに、やろうじゃないか﹂ ﹁……でも、供は二人だけではないぞ。もひとりの邪魔をどうする。御厨ノ伝次を﹂ ﹁それや、かたづけるまでのこと、造作もない﹂ ﹁足利家のうちでも、豪の者だと聞いているが﹂ ﹁なあに、二人に一人。騙たばかり討てば、のがすものか。あすの夜は、山中あたり、やるにはもって来いの泊りだ。……ただ、野郎にだって欲はあるはず、こっちの仕事に乗りゃあいいが、さておぬしはどうも小胆者だ。どっちにしろ、昼のまに、気どられるなよ﹂ ついつい一方は、いつか説きつけられた恰好である。 ――物蔭にしゃがんでいた御厨ノ伝次は、這うように、そこの荼だき吉にて尼ん天ど堂うの横を、す退さり始めた。そして堂裏の遠くを廻り、なに食わぬ顔して、寝ね屋やの房にもどって寝ていた。 やがて、二人もあとから、入って来た。湿しめッぽい寝具の匂いを動かしたきりで、二ツの木枕もまたすぐ眠りについた様子。――伝次はつくづく考える。武者も廃すたって来たものだが、世も六ろく道どうノ辻そのまま、ひどい地獄の相そうに近づいて来たものだと思う。 日のみじかい秋。 朝は暗いうちから、駅うま路やじを早立ちして行く旅人が多い。 何かと、身支度一つにも、手間どりがちな草心尼母子でさえも、豊川ノ宿しゅくを離れて、吉田川のほとりに来たころ、ようやく霧の中に、虹色の大きな朝陽を見たほどだった。 ﹁お母あさま。ここから先、二里ほどは、本ほん野のは原らといって、道みちの辺べは、柳の木ばかりでございましょう﹂ ﹁よう知っていやるの。見えるように﹂ ﹁でも、覚一は以前、二度も通っておりますもの﹂ ﹁ほんに、そなた程も母は知らぬの。鎌倉から西は初めての旅﹂ ﹁ここは、よう旅人が迷うので、遠い以前、北条泰やす時ときさまが、本野原の野の路じのかぎり、道しるべの柳をお植えになっておかれたものと、聞きました。……ねえお母あさま、その頃の御執権は、えらかったのでございますね﹂ ﹁どうして﹂ ﹁だって、昔の御執権は、旅人の上にまで、そんな思い遣やりがあったのでしょう。……眼には見えませんが、きっと、沢山な柳の木も、その頃よりは、減っていると思います。吹き仆れたら仆れたまま、枯れたら枯れたまま、荒れているにちがいありません﹂ ﹁いうとおりじゃ。柳並木も名残りのみで、凄すさまじい荒野原のままに任されている﹂ ﹁それがそのまま、いまの世の景色です、政まつりごとのすがたです。海道の途々でも、いろんな人たちの声を、耳にしましたものね﹂ ﹁どんなことでした?﹂ ﹁貧しい者の怨うらみ言ごとやら、物盗りやら喧嘩沙汰やら。……それに、どこの守護も地頭も、強欲で情け知らずと、憎まれていて﹂ ﹁飢饉つづきのせいもあろ﹂ ﹁ええ今年も稔みのりが薄いといって、怯おびえていました。だのに若い人すら働く気がなく、博ばく奕ち流は行やり、踊り流行り。親殺しだの、子殺しなどと、いたる所、そんな噂ばかりでした﹂ ﹁まこと、鎌倉の御繁昌と比べては、思いも及ばぬことばかりよの﹂ ﹁いいえ、上のお暮し方を、自然、世の人が真似しているのでございますよ。……でも、お母あさん、その鎌倉の内を、まずはようやくのがれ出して、いくらかホッとなすったでしょう。遅かれ早かれ鎌倉の府は、今にきっと、兵馬の巷ちまたにならずにいません。あのままで治おさまろうはずはありません。足利さまの御兄弟も、密ひそかに、やがてを待っているのではありますまいか﹂ そのとき、一ツ杖の両りょ端うはしを持ち合っていた母の手が、しッ……と言葉代りに動いて、覚一の口をつぐませた。 かなり離れていたはずの、供の今切藤五、羽鳥八郎太の二人の足音が、すぐ踵くびすに近づいて来たからだった。 その後ろからはまた、御厨ノ伝次が、黙々として従ついて来る。――今切、羽鳥の二人へそそぐ彼の眼が、ゆうべから針のごとき警戒心と、軽蔑にみちていたのはいうまでもない。 すると、この奇異な一行五人づれの遅い足どりを、さっきから、待つかのように、本ほん野のは原らの中ほどで、頻りに振向いていた女性がある。 道ばたの朽くち木き柳に腰をかけ、一行が近づいて来ると、俄に、脱いでいた市いち女めが笠さをかぶッて、その顔かん容ばせを隠していた。 近郷の武家の女か。 それにしては、どこやら垢あかぬけし過ぎた艶あで姿すがただ。旅たび粧よそおいもきりっと身についていて、裾みじかに裳もをからげ、市女笠の紅べに紐ひもが白い顎あごによく似合っている。 ﹁…………﹂ まだ朽木の幹に腰かけたままでいたが、いま通って行った草心尼母子と供の三人を、見ぬフリしつつ、笠の蔭から見送っていた。 それからほど経へて、彼女もまた、路傍から腰を上げた。けれど、 ﹁よそうかしら﹂ 何かに迷う風でもあり。﹁……いやいや、そうでない﹂と、思い直す風でもあった。 先の草心尼たちの影とは、もうかなりな距離。彼女も同じ方へ歩いて行く。努めて、足を遅くしても、茫々二里の本野原では、他に道くさを取らせて、わざと手間どるすべもない。 やがて、いやでも追いついた。そして彼女の姿が、つつましやかに草心尼のそばをスリ抜けて、幾足か先へ歩いたと思うと、その袂から、何やら落ちた。 草心尼の眼は、それを見たが、彼女は気づかぬ風で歩いてなおゆく。それは、よほど洒しゃ落れび人とか都人でなければ持たぬような印金の袋に入った小さい懐ふと鏡ころかがみだった。 ﹁……もし、先のお方﹂ 草心尼が、呼びとめて、落し物を教えると、彼女は、さも意外らしかった。――が、地上に指さされた物を見て、慌てて立ち戻り、幾たびとなく、礼に礼をくり返したあげく、 ﹁おや、和子は、お目が御不自由なのでございますね。まあ、その御不自由なお子を連れて、どちらまでおいでですか﹂ などと、歩調を合せながら、なにかと話しかけて来た。 女は女同士の気やすさの上、つい誘われる快こころよい世辞のひびきをもっている。そのくせ、まだ娘かとも見えるほど、うら若いのに、 ﹁私にも、幼おさ子なごがありまする。どういうものか、生れつきの脾ひよ弱わで、この十日程まえからまた、寝ついたきりで、食しょくも細るばかりゆえ、さる所へ、祈願を籠めに詣まいった途中でございまする。……ふと、病まれてすらそうなのに、盲めしいのお子の母御さまは、どんなお気持ちやらと、お見かけした途中から、他ひと人ご事とならず、お察し申しておりました﹂ と、問わず語りまでしてくるのだった。 それのみならず、旅の先を問われたので、草心尼が、 ﹁この子の、琵琶の修行のために、都へ出ます﹂ という答えに、 ﹁それはまあ、たいへんですこと。でも、御修行なら、やはり都でなければいけませんね。都でなら、蝉せみ丸まる流りゅう、師もろ長なが流りゅう、式しき部ぶし親んの王う家けの御流などの流れを伝える家々もありますし、名めい手しゅもたくさんおられますから。……そして、雅がが楽くとしての琵琶をお習まなびですか、平家などの語り物を御ごえ会と得くなさりたいおつもりですか﹂ と、その道の詳くわしさも、また意外なほどだった。 そうなると、母の尼よりは、覚一の方が熱心に、話題を出したり、興じ入って、よい道づれを得たように、すっかり仲よく馴なついてしまった。 供の武士三人は、各の腹、それどころではないだろう。けれど面おもては各自、どこ風吹くかだ。ただの婦女子の世間ばなしと、それを後ろで聞きながら、黙々と、あとに従っていた。 本野原もすぎて、道は、鷺さぎ坂ざかへかかっていた。 馬まご子よ寄せ場ばがある。今切藤五が、馬をすすめたが、覚一は、連れになった旅の女にょ性しょうと話が出来なくなるのを惜しんで、 ﹁それほどな坂でもなし、歩きましょう。歩きましょう﹂ と、母と彼女のあいだに扶たすけられつつ、依然、都ばなしや、諸芸のはなしに、他念もない。 その人々の背へ、藤五は、さっきから、眼を光らして。 ﹁八郎太。何だろうな。あの市女笠の女は﹂ ﹁さあ、わからぬが、鄙ひなには稀れな美人。貴公はまた、あれにも心をうごかしたのか﹂ ﹁ばかをいえ﹂ 藤五はすぐ後ろを振向く。――要心の的の御厨ノ伝次は、二十歩ほど後ろから、気のせいか、恐い眼つきで、ゆっくりと歩いて来る。 ﹁なあ、八郎太。いやに、馴々しい女だぞ。おぬし、訊いてみないか。どういう素姓で、どこへ行く者か﹂ ﹁よし﹂ 八郎太は、たちまちそばへ寄って行った。そしてしばらく、女に話しかけていたが、すぐ戻って来て、藤五の耳へいた。 ﹁わかった。矢やは矧ぎの長ちょ者うじゃのむすめだそうな﹂ ﹁すると女は、矢矧まで、道連れになるつもりか﹂ ﹁いや、途中、建たけ部べノ神官の家へ寄るとかいっていた。どこかで別れるつもりだろうよ﹂ やがて午ひるごろ。――宮路山で山茶屋を見かけ、昼の旅たび糧がて︵弁当︶を解こうとなった。ほかにも旅人が数名見える。市女笠の女は、茶屋のむしろを借りうけて、 ﹁さ。内よりは、外がよろしゅうございましょう。上も紅葉、下も草紅葉。錦にしきのなかで﹂ と、渓たに川がわ崖がけの際きわへ、それを展のべて、母おや子こを誘い、自分もともに、糧かての包みを解きはじめた。 こっちから、見ると。 彼あな方たの従者三名も、午ひる飯めしにまぎれて、いまは他念もない様子。 ﹁……もし﹂ 急に、女は声をひそめた。 ﹁え?﹂ 草心尼は、女のひとみの鋭さに、はっと、手の箸はしも、持ちわすれた。 ﹁……もしや、おふたり様は、鎌倉の足利殿に、お由ゆか縁りのあるお方ではございませぬか﹂ ﹁そうです。……どうしてそれが、お分りになりました?﹂ ﹁彼方にいるお供の武士は、たしかに足利殿のお内で見た覚えのある顔でございます。ほかの二人もまたどこやらで﹂ ﹁では、大蔵のおやしきを、御存知なのでございますね﹂ ﹁ただ一度、お伺いしただけですが﹂ ﹁まあ、思いがけぬ御縁ですこと。さいぜん、矢やは矧ぎの長者の娘と仰っしゃっておいででしたが、まことは、どなた様でございましょうなあ﹂ ﹁それよりも、私は﹂ 彼女の眼くばりは、時折、彼方の軒へ、忙しげにうごいて。 ﹁たいへんな事を、お耳に入れねばなりません。おふたり様の上に、恐ろしい運命がかかッているのです。……それを、私はゆうべ、わが子の病気平癒の祈願のため、あの妙厳寺の荼だき吉にて尼ん天ど堂うに夜よご籠もりしているうちに、夢ともうつつともなく、御みど堂うの内で、つい聞いていたのでした。どうぞ、お信じ下さいませ。この身は決して不思議な者ではございませぬ﹂ 聞くうちに。 草心尼は唇を白くした。覚一の姿も、石みたいなものに変った。 ﹁まさか﹂ と、信じられない気もしつつ、母子のふるえは、どうしようもない。 女は、三人の従者の方を、たえず注視しながら、低い一語一語に、他人思いな情をこめて、 ﹁御要心なされませ。何とか、ここの御危難を遁のがれる工夫をおとりなされませ。累るい卵らんの危うさにあるお身の上とは、とりも直さず、おふたり様の今のことです﹂ と、告げてやまない。 それを、くるめていえば。――彼女は、自分が夜籠りしていた荼吉尼天堂の縁で語らい合っていた従者どもの恐ろしい企たくらみ事が気にかかって、それからは、つい、まどろみも得ず、何とかこれを、狙われている受難の母子へ、知らせてやる方法はないものかと、夜明け前に妙厳寺を出て、本野原の途中で待ち、あんな風に、わざと、道連れになったものでした――と、いうのである。 ﹁覚一﹂ ﹁お母あさま﹂ ﹁……どうしようぞ﹂ ふたりは、こう呼び合ったきりだった。死所は一つにと、もう誓うように、覚一は母の手をさがす……。 女は、眼をそらした。自分も母でもあり、脾ひよ弱わい子が一人あるといっていたのも本当であろう。その眼には、涙があった。 ﹁ご心配なさいますな﹂ 彼女はまた、早くちに。 ﹁気懸りは、今夜だけのこと。……朝ともなれば、私にもよい思案がありまする。……今日は、ぜひなくお別れいたしますが﹂ ﹁待って下さい。いま御思案と仰っしゃったのは?﹂ ﹁ここから山越え六里の南、一いっ色しき村むらへ立ち帰れば、土とこ地ろの侍が、沢山います。しかも、その侍たちはみな、足利高氏さまを宗家と仰ぐ人たちですから﹂ ﹁えっ。では幡は豆ず、一色、今川党などの住む所とは、その辺りでしたか﹂ ﹁足利家に御縁の深そうなお二た方が、途中、云しか々じかの御難儀と告げわたれば、すぐ大勢して、押ッ取り刀でお守りに駈けつけましょう。……が、お名をお聞きしておかねば、合点もしてくれますまい。おさしつかえなくば、伺わせて下さいませ﹂ ﹁上杉殿の身寄りの端、一子覚一と、草心尼とお告げして給われば。……そして、あなた様は﹂ ﹁あ。私ですか﹂ 彼女は、ためらった。が、遂に思い切った容子で。 ﹁藤ふじ夜やし叉ゃといいまする﹂ ﹁……え、藤夜叉﹂ ﹁はい﹂ ﹁とうからお名は聞いていたような。たしか、鎌倉表で﹂ ﹁ええ。今は一色村に来ております。けれど、ゆめ、世間に知られてはなりません。日蔭の身です。どうぞ。誰へもいうてくださいますな﹂ もう彼女は、市女笠を持って、立ちかけている。――茶屋の軒ばの、御厨ノ伝次も、羽鳥、今切の二人も、まだ何ら気づいてはいない様子だった。 ﹁……ネ、覚一さま。お気づよう自身を支えていらっしゃいませ。今夜だけを、じっと、暴あ風ら雨しの下にいる夜と思って﹂ 言い残すと、そこからすぐ渓たに川がわ道へ降りて、鵯ひよのごとく、その迅い影を、沢づたいに消してしまった。 まもなく、従者の三名も、 ﹁いざ、ぼつぼつまいりましょうかな。秋の短か日、追われるようでございましょうが﹂ と、うながして来て、一同、山茶屋の軒を離れたが、歩き出すとすぐ今切藤五は、きょろきょろし出した。 ﹁おや、尼あま前ぜさま。市女笠の女はどこへ行きましたか﹂ ﹁建たけ部べの社やしろに知り人がいるとかで、先に別れてゆきました﹂ ﹁妙な女もあったもの……﹂と、疑いもせず、藤五は笑って、 ﹁われらには一ト言ことの愛想もいわず、そのくせお二た方へは、よくペチャクチャ喋しゃべッておりましたな。矢矧の長者の娘とかいっていたが、なあ八郎太、あれや遊女ではなかろうか﹂ ﹁いや、遊女めかした風はなかった。遊女ではあるまい﹂ ﹁じゃあ、何だろう﹂ と、こんどは御厨ノ伝次へ。 ﹁貴公、何だと思う﹂ ﹁わからん﹂ 伝次は、そッ気ない。 夜来からの藤五、八郎太、二人にたいする侮蔑と憤激で、満身は針となっている。 触さわれぬものをすぐ感じて、藤五の眼は仲のよい顔へ移った。 ﹁八郎太、分ったよ﹂ ﹁どう分った﹂ ﹁あれや、建部の巫み子こにちがいないわ。巫子というものは、どこの巫子も色が白い。日蔭の花か、白びゃ狐っこみたいだ﹂ ﹁ひょっとしたら、ほん物の白狐であったかもしれぬぞ﹂ ﹁よせ﹂ 藤五は、いやな顔をして、 ﹁尼あま前ぜさまにも、お気味悪う思われるわ。つまらぬ冗談はいわぬこった﹂ それきり二人は黙った。ちょうど、道もジメジメした長い木こし下たや闇みへかかっている。 もし木この間ま隠がくれの谷紅葉が折々に見えなかったら、暗夜を行くのと変りはない。ひとり、その不気味さも知らぬ気なのは、明暗常に一ツにすぎぬ覚一だけだった。 山中五里。――その夜の泊りも、ひどい山やま宿やどだった。雨う露ろをしのぐだけの掛屋根、莚むしろがあるだけの猪しし小ご屋や。 もっとも、十いざ六よい夜に日っ記きの筆者が、この山中に宿った夜は、寝小屋もないまま、柿の木の下に油ゆた単んをかけ、落葉を敷いて、まどろんだところ、やがて熟うれ柿の実が、ぼとぼとと落ちて来るので寝つかれもせず、果ては、柿を拾って食べつつ、人々、夜の白むのを待ち明かした――などと見える。 とすれば、草心尼と覚一が、やっと身を休めうるほどな破れ屋でも見つけたのは、まだいい方であったかもしれぬ。 だが、母ふた子りには、しょせん、寝つかれはしなかった。――途中、藤夜叉と告げて風の如く消え去った者のきが﹁……あらぬ嘘か﹂﹁真まこ実とか﹂と、まだどこかでは迷われている。そして、恐怖だけは、迷いとべつに、尼の神経を冴えさせるばかりだった。山音、風の歩み、雨のようなこおろぎの啼く音ねも援たすけて。 そのうちに、ガタと板壁の隣で、物音がした。抱きついている覚一の手のさきを、尼は乳のあたりで痛く感じた。 ﹁おいっ、御みく厨りや、外へ出ろ﹂ まぎれない従者の八郎太の声である。つづいて御厨ノ伝次の声がするどく聞えた。 ﹁この真まよ夜な半か。何のために﹂ ﹁何でもいい。一しょに来い﹂ ﹁よし出てやる。今切藤五はどこにいるんだ﹂ 八郎太と伝次の二人は、のッけから語気あらあらと闘っていた。従者三名のうち、もう一名の藤五は、どうしたのか、声はしない。とにかく、一瞬にガタガタと物音を蹴すてて、小屋から外へ出て行ったらしい。 ﹁あっ。何であろ、ただ事ではない?﹂ 起き直った母の袂を、覚一は無意識にかたくつかんだ。 ﹁お動きなさいますな。じっとしていましょう。それしかありません。疎石禅師が仰っしゃいました。妄モウ想ソウスル莫ナカレ……って﹂ ﹁妄想スル莫ナカレ……?﹂ ﹁きっと、こんな時の、心の持ちようを仰っしゃったのでしょう﹂ ﹁だって、藤夜叉の告げが、ほんとだったら、こうしてはいられまいがの﹂ ﹁こんなときは、盲めしいが悲しゅうございます。私を連れては、お母あさまだって、どうする思案もつかないでしょうに﹂ ﹁今、従者たちが、争いさかい出したのが、倖せじゃ。この隙に、あの者たちの眼をのがれ、心あてまで、逃げのびましょう﹂ ﹁お心あてとは﹂ ﹁ここは三みか河わ路じ、一色村とか幡は豆ずノ郷ごうとか、足利党の住む所も、さして遠くないとのこと﹂ ﹁でも、今夜さえ無事にこせば、一色の衆がこれへ来ると言ってましたし、従者どもの仲間割れも、何やら変です。もすこし、様子を見てからでも﹂ つい尼も、ためらわれて来る。盲めしいを連れてのそんな足あ掻がきは、しょせん無謀とも迷わざるをえない。――妄想スル莫ナカレ、妄想スル莫レ……と胸でいってみる。でも、それはどうしていたらいいことなのか。 ――すると。 獣ではない。まさしく、人間と人間のもの。 どこかで、吠え合うような声が聞え、だ、だ、だッと、跫音に交ざって、ぎゃッと、異様な一と声が、彼方の闇をつンざいた。 ﹁か、覚一﹂ ﹁お母アさま!﹂ 思わず両手で、耳を塞ふさいだまま、母子はペタと俯っ伏した。 自分の恐怖だけではない。母の本能も彼女を駆かって。 ﹁いけない。……何かもう虫が知らせる。さ、お立ち、お立ち。母が付いている。ここを離れて、夜さえ明かせば﹂ 夢中で、子の手を引ッぱった。覚一とて、恐こわさに、声も出ないのである。鞠まりまろびに寝小屋の外へ這い出し、必死な母の手に引かれるままに引かれて走ッた。 ところが……。 従者三人のうちでも、ただひとりは、供する主筋の母子を、密かに、警固していた者はあったのだ。 しかし、その御厨ノ伝次は、ちょっと前、八郎太に連れ出されて、隣の塒ねぐらを離れたと思うと、たちまち彼方の暗くら闇やみで呶号していた。――来たナ、という直感は彼にあったし、ゆうべからの忿ふん懣まんも、いちどに出た。 ﹁なにっ、おれにも腕を貸さないかと、見みそ損こなうな。伝次は、畜生ではないぞ。盲めしいのお子や尼御前を害あやめるような腕は持たぬ。儲け仕事とは何ンだ。山分けとは何ンだ。この外げど道うめが﹂ それに対して、なおまだ、なにか口巧者に、説得しようとする八郎太に、多くもいわせず、いきなり機先を制して、伝次の方から抜き打ちを浴びせた一刀が、ぎゃッと、谺こだまをよんだのだった。 八郎太は、ころがった。血に眩くらんだ。どこを斬られたかなど、自覚もない。 初めから、相手は豪の者とわかっていた。だから今切藤五も考えた。もし、うんといわぬ場合は、奴の背うし後ろから不意の一ト太刀をまず浴びせる、きさまも、間かん髪はつを入れず、相手の横を、抜き払え。――と話は出来ていたのである。が、八郎太はそれに頼りすぎてしまったのだ。 ﹁藤五ッ。た、たすけろっ﹂ 八郎太の叫びに、物蔭にいた今切藤五も狼狽はしたが、 ﹁うぬっ﹂ もちろん、その加勢には、必死が賭かかッた。 豪の者御厨ノ伝次にも、不覚が生じた。八郎太へ、追い太刀を振りかぶり過ぎたため、身をひるがえすに遅かったのだ。深ふか傷ではうけなかったが、藤五の切ッ先には、手ごたえがきこえた。――数歩、よろめいた伝次は、当然、逆な受けに廻されていた。 ﹁八郎太、しっかりしろ﹂ 相手の挫折に力をえて、一人の敵に、二人はやっと、息を合せた。といっても、長なが柄えを以て手馴れの打物とし、太刀は使っても、まだ剣法の技も工夫されず精神もなく、ただ兇器の役だけをしていた時代だ。太刀を持っての殺し合いだとも、いえばいえよう。 ﹁やいっ、藤五﹂ ﹁伝次。考え直したか﹂ ﹁くそ。それでも、きさまは人間か﹂ ﹁おおさ、人間なれやこそ、宗しゅ旨うしをかえた。ひとの宗旨がえに、邪魔するな﹂ ﹁よく吐ほざいた。人間の皮をかぶッて。――うぬとて、昨日今日の武家郎党ではあるまいに﹂ ﹁だからこそ、飽き飽きしたのだ。きさま、つまらぬ忠義立てすると、二つとない命もここでおしまいだぞ﹂ ﹁気狂いか。魔に憑つかれたのか。眼をさませ、うぬも八郎太も。二人とも、主家には御恩も浅からぬ親代々の郎党だろうが﹂ ﹁うるせいッ、談義などは﹂ ﹁鬼にも耳がある。まあ一ひと言こと聞け。たとえ、きさまたちの悪心が思うツボに行ったところで、主家の上杉家には、うぬの縁故や老幼か残っているはず。その者たちを、どう思うのだ。我欲の贄にえとしてもかまわぬつもりか﹂ ﹁いらざる世話だ。そんなものをかまッていたら、一生の日が暮れちまう。この世を楽しむほかに何がある。人間ならそれが本筋なんだよ。きさまのようなのを木で偶くというのだ。知らねえか﹂ ﹁よしっ。そんなに楽しみが欲しいなら、往おう生じょうという安楽を与えてやろう。あの世で臍ほぞを噛んでも追いつかぬぞ﹂ ﹁けッ。笑わすな﹂ 太刀は撲なぐりかかった。伝次は振り廻す。或いは飛躍し、或いは追ッかけ合って猛たけぶ。白い角つのを持ちあった三獣の影が跳とび交わしているのに似ている。 ついに、その一ツの影が、がふッと、血音を抱いて起たなくなった。返り血は、御厨ノ伝次の横顔を半分消した。思わず、彼が左の肱ひじで、眼をこすったせつな、これも手負い猪じしとなった藤五が、 ﹁畜生っ﹂ ひと声、迫った。 その胸へ、伝次の頭がぶつかった弾はずみに、二つの体は、後ろの谷へ転落していた。谷は浅かったのであろうか。まもなく、今切藤五ひとりだけが、血みどろな手で、そこらのクマ笹をつかみ、這い上がッて来た。 血泥にまみれた藤五の影は、悪念のかたまり、そのものだった。――勝った、もうしめたもの! よろめき歩きながらもニタついていた。 そして何かに、つまずいた。 それは、自分が悪へおびき入れた弱気な八郎太の死骸だったが、彼の眼にはもう一いっ塊かいの土くれに過ぎない。眼はただ、彼方の小屋――草心尼と覚一の塒ねぐらへ向って燃えていた。 喘あえぎ喘ぎの、その数十歩の間だけは、彼にも幸福に似た胸の鼓動があった。郎党奉公では一生かかっても手にしえない程な金、美しい若尼の肌、未来の美酒が、目のさきにチラついていた。 しかし、それはそれまでのことでしかない。 ﹁やっ? ……ヤ、ヤ﹂ 辿たどりついた寝小屋には、尼も覚一も見えなかった。彼は愕がくとして、外を廻ってみたり、また、内へ入ってみたり、 ﹁しゃッ、逃げやがったな﹂ ふたたび、その朱あけにそんだ姿を励まして、山中幾里の闇を西へ、はッ、はッと、口を開きながら、追いかけはじめた。 ﹁……盲めくらの子連れだ﹂ 藤五は何度も言ってみる。 ﹁知れたもの。……逃げようたって、逃がしてたまるものか﹂ 彼とて、その足つきは、そう自由でもない。御厨ノ伝次を相手に、数ヵ所の浅あさ傷でを負わせられていたからだ。 気はあせる。精根も尽きかける。しかし、この苦痛は、富をつかむ代価だと彼は励む。だが、眼はぐらぐら揺れ、口は渇かわいて、ふと近くの水音を聞くと、矢もたてもなくなった。いきなりそこへ匍ほふ匐くして、獣のように、流れへ顔を持って行った。 ……がぼ、がぼ、と夢中で水を吸ッていたのである。すると、その水は急に火の色になった。ぎょッとして上を仰ぐと、上の崖がけ道みちを、六、七人の人影と松たい明まつが通りかけていた。 颯さッと、一つの松明が、下を望んで焔を振ったと思うと、 ﹁何者だっ。そこにおるのは﹂ と、上で呶鳴る声がした。 ﹁旅の者よ﹂ 藤五が、嘯うそぶくと、 ﹁旅の者とだけでは分らん。素姓をいえ﹂ ﹁おぬしらこそ、どこの者だ﹂ ﹁おれたちか﹂ 顔見合せている風だったが。 ﹁これは三州一色党の者。ちと尋ねるお人があって夜行の途中﹂ そう聞くと、藤五は色を失った。――が、その狼狽した自分の挙動も、暗がりの上と下、気どられたはずもないと、いっそう、ぐっと落ちつき払って。 ﹁それや御苦労な。……自分事は、花山院家の雑ぞう色しきなれど、鎌倉へのお使いをすまし、都へ急ぎ帰る途中の者でおざる﹂ ﹁やあ、お見それした、おゆるしあれ。が、東からこの山やま中なか路じをお通りなら、お若い尼にそ僧うと盲めしいの子連れの旅人を、どこかで、お見かけなさらなかったか﹂ ﹁さよう。見たような気もする﹂ ﹁や。どこで﹂ ﹁舞まい木きの小屋であったか、本ほん宿じゅくの辺りであったか﹂ ﹁ではまだ、ずっと東の方の道よな。さもあろう、女おな子ごと盲めしいづれの足では。……いや、率そつ爾じを申した。御免﹂ 松明の幾ヒラめきは、すぐ山蔭の道へ消えて行った。つづいて後から、戛かつ々かつと、馬を曳いてゆく響きもする――。 それを見送りすますやいな、藤五はピョンと起ち上がった。だが膝ぶしは顫ふるえ、瞳ひと孔みはさだまらず、前よりもまたひどく、ひょろついていた。 一色党の六、七名は、たちまちのまに、そこの一平地で、一軒の山小屋と、また小屋から少し離れた所の地上に、一個の死体を見いだしていた。 いうまでもなく、羽鳥八郎太の死骸。 ﹁すわ、何かあったぞ﹂ 人々は、途中気がかりにして来た予感を眼に見せられた心地であった。血の香に吹かれた面おもてを颯さッと、そよがせ合って。 ﹁小屋は見たか。二つの寝小屋は、人はいないか﹂ ﹁いない。……怪しいのは、さっき、流れで水を呑んでいた男だが﹂ ﹁あれを加えると、この死骸の従者と、二人になる。従者は三名と伺っていた。もう一人を探せ。そいつが、草心尼さま母子を、どこぞへ、かどわかした者かもしれぬ﹂ ﹁そうだ、死骸も温ぬくい。まだ時たったことではない﹂ そこへまた、東の道からも、数名が来合せた。すべて一色村の党人だ。 ここで、いささか説明を加えるなら、その一色村は、かつての日、高氏が忍び上洛の途とに供をした傅もり役やくの若党、かの一色右馬介の出生地なのである。 彼は、勘当の汚名を負い、いまは主の高氏と離れて、郷里にもいないが、しかし、彼の父一色刑ぎょ部うぶは健在であり、近郷の吉き良ら、今川などの同族とならんで、古くから隠然たる半農半武士的な根づよい地盤を三河一色ノ郷にかためている。 さらにまた、宗家高氏の隠し子を――公おおやけでない里子として――一色刑部が預っていた。 不いさ知や哉ま丸る、そのわが子へ。 会うてもよい、尋ねて行け、と高氏からゆるされて、藤夜叉が村へ入ったのは昨年の秋ごろだった。それから、ざっと一年目である。ゆくりなく、足利家とは縁も深い母おや子こ法師の危機を途み上ちで知って、その急を、彼女が一色党の人々へ報しらせたなども、輪りん廻ね、眼に見えぬ何かに人は皆うごかされていると説く仏ぶっ者しゃの言もあながちわらうべきではない。 ともあれ今、一色党の面々は、小屋を中心として、八方へ手分けにかかった。谷間へ降りて行った者が、やがて、気を失っていた御厨ノ伝次を見出した。ほどなく伝次は人々の手に扶たすけられて上がって来た。 彼の言で、いきさつはすべて、明瞭になった。それにつけ、返す返すも残念なのは、先に、渓流のほとりで見かけた京の公卿侍といっていた奴、あれこそ今切藤五であったに違いなかったものをと、人々は地だんだ踏んだ。 ﹁まだ遠くはないぞ、追っかけて引っ捕えろ﹂ 一手の者は、ただちに藤五の行方を追跡し、他の者は、あなたこなたと、草心尼母おや子この姿を捜しにかかッた。 ところで、この恐怖の半はん刻ときを、一方の草心尼と覚一は、どこでどう凌しのいでいたのか。 ふたりは、まっ暗な真空の中に、一ツ体みたいに抱き合っていた。しょせん逃げおおせぬとあきらめてか、途中、小さい破やれ堂どうを見かけるやいな隠れこんで、内から御みど堂うご格う子しを閉じていたのだった。 覚一は、妄想スル莫ナカレを念じ、尼の唇は自然に、“地蔵菩薩本願経”を糸のような小声で唱となえていた。――いつか外に、チチチチと、小鳥が明けを告げていたのも耳になく。 覚一は、ふと。 ﹁おや、小鳥の声だ。お母あさま。夜が明けたんでしょ﹂ ﹁そう。まだ暗いが﹂ ﹁ああ。……恐こわかった。でも、もう大丈夫でしょ。これであらしは過ぎたかもしれません。けれど、ゆうべのあの様子では、八郎太か藤五か伝次か、誰かがきっと死んでいますよ﹂ ﹁主従も信じ合えず、同僚も信じ合えず、あの者たちを見ても、恐ろしい世になったものよの﹂ ﹁でも、死んだのなら、可哀そうな気もします。私たち母子の供に従ついて来なければ、なんの悪心も起さなかったことでしょうに﹂ 覚一は妙に沈んで言った。 尼にはちょッと解げせない心地だったが、よく考えてみると、これがこの子の天性だったとうなずかれた。仏心の何のというそんな大人びた情や智でなく、感じたままに、荒涼な世と人の死が悲しまれての呟きに違いない。 生来、そういう子なればこそ、琵琶一筋に生きようなどと、世間の子とも違った考えを早くから持ったものであることも、母の彼女が、たれよりもよく知っていたはずだった。 ﹁おおういっ。ここだ、みな来いっ﹂ どこかで、ふいに大声がしたのである。――と思うと、堂の附近へ、俄に、がさがさと人ひと騒ざわめきが駈け寄っていた。 ﹁見つかったか﹂ ﹁む、相違なくそこの破やれ堂どうだ﹂ ﹁や、あの内にか﹂ ﹁ふと、お経きょ誦うずの細々な声。……先刻からここで屈かがまり聞いて、やれやれと胸なで下ろした﹂ ﹁なぜ早くに知らさぬのだ。おれたちは、血まなこなのに﹂ ﹁いやいや、得えた態いもしれぬこの同勢で、事も俄に、荒々と、お驚かせしてはなるまい。まず一同で、外から仔細をお告げ申しあげ、よく御得心を仰いだ上で、迎えの駒へ、おすすめいたすがよいかと思う﹂ ﹁駒は、どうした﹂ ﹁駒は彼方だが﹂ ﹁たれか、それも曳いて来い﹂ やがて、顔が揃うと、年かさの一人が、やおら御みど堂うご格う子しの前へすすみ出た。そして、鎌倉者には見られない素朴な郷さと武むし者ゃ振りで、こう呼びかけた。 ﹁――内なる尼前のおん母ぼ子しへ物申しまする。これは足利殿の末まっ党とう一色村の者どもですが、きのう不いさ知や哉ま丸るさまの母はは御ご前ぜより、途中、ご危難のよしの報しらせをうけ、おあるじ刑ぎょ部うぶ殿のいいつけにて、夜来、ご安否を案じて、お尋ねし抜いておりまいた﹂ ﹁…………﹂ ﹁さ候そうらえば、ゆめ、怪しき者どもではございません。なにとぞ、ご安心のうえ、刑部殿よりおさし向けの駒の背へお移りあって、われらどもの案内に、しばしお身おまかせ願わしゅう存じまする﹂ ﹁…………﹂ ﹁――これより山越えで南へ五、六里。一色ノ郷さとには、きのう途み上ちにてお会いなされた不知哉丸さまの母御前藤夜叉さま、お主あるじの刑部殿、ほか一族どももお待ち申しておりましょう。――さらには、次の都へのお旅路とて、ふたたび、昨よ夜べのごときご不安はおかけ仕りませぬ。いかようとも、われらお送り申しあげますれば﹂ ﹁…………﹂ ﹁なお、なお。ご不審でもございましょうや。不知哉丸さまと申し、藤夜叉さまといい、お胸におちぬのは、ご無理もございませぬが、みな宗家高氏さまのお近ちこ親う人ど、御血縁同様なお方。……とまれ、ここで委細は申しかねますが、刑部殿がお目にかかっての上は、何かのおん物語りも種くさ々ぐさとございましょうず。……いざ、どうぞ、お起ち出であって﹂ いつまでも、堂の内は、人などいないようだった。 けれど一同が息をのんで待つ間のしじまは、見えぬ所で、しずかに涙している草心尼母子の姿を皆の瞼に思い泛かばせていた。 ……やがて、コトリと内で気配がうごいて。 ﹁覚一、どうしやる?﹂ ﹁どっちでも、私は﹂ ﹁では、勿体ないが、お迎えにまかせましょうか﹂ 御堂格子が、少し開いた。 その二つの顔を、東の紅雲も待っていた。せつな、尼はまぶしげな睫まつ毛げをした。覚一はまともに向いたままだった。けれど、彼が生せいをうけた黒天黒地の無むみ明ょうの世界にも、トロトロとして巨大な一輪の光こう焔えんだけは観みえていた。散さん所じょ市いち
なんといっても、みかどもまだ御壮年だし、ひとしく、人間でもあろうではないか。
稀まれには、あの窮屈な皇居から人中へ出て、自然な呼吸をしてみたくなることだっておありであろう。――それを行みゆ幸きのたびに、いちいち事ありげな眼で私わた沙くし汰ざたをくなどは、いかがなものか。およそ今日の、そんな風儀こそ、六波羅の狭量がそそる放ほう免めん︵密偵︶根性と申すもので、卑いやしむべきおせッかいであるまいか。
山伏ていの男が言った。
相手は、この辺の学僧らしい。
龍たつ田たの道ばた――つまり奈良河かわ内ちか街いど道うである。
腰かけている路傍の石から、春の梢こず霞えがすみを越えて、法隆寺の塔が、頃あいな距離で眺められる。
しかし、それには興もなげな二人なのだ。一般に、時事の論議がさかんである。わけて知職人の多い南都は時じふ風うも烈しい。――今も、相手の弁を嘲わらって、
﹁いや、お説はお説だが﹂
と、一方の学僧も、駁ばくし出すと、負けていない。
――なるほど、六波羅根性とは、よくいわれた。鎌倉手てだ代いの事ごとにコセついた威嚇や小心さは、何とも笑しょ止うしなものがある。
しかし、五年前に、ご承知だろうが、“正しょ中うちゅうノ変へん”といわれた程な、あんな不始末を世上へ曝さらした朝廷としても、以後お慎みは見えず、また、諸民へたいしての、安あん堵どのお示しなどもいっこうにない。
だから六波羅の放免根性にかぶれるわけではないが、民もおのずから﹁またいつ、正中ノ変みたいな大事が降ッて湧くンじゃないか﹂と、つい不安も生じ、あらぬ疑心にも、ひッかかると申すもの。
しかのみならず、だ。
今きん上じょう、後ごだ醍い醐ごのお動きはいよいよ活溌で、鎌倉など、はや御眼中にありともみえぬ。といっても、雲の上のこと、凡ぼん下げの臆測でもあるが、ここ三年つづきの法勝寺行幸やら、また、このたびの東大寺、興福寺、春日御ごし社ゃさ参んといったような車駕のお忙しさは、そも何のためか、理解にくるしむ。
お費ついえは、莫大だし、そのつどの供くご御に人んやら何やらの徴発も、民土には、やりきれまい。
聞きく説ならく、その上にも。
この三月中には、さらに叡山へ行みゆ幸きされ、大講堂の御供養とか、日ひえ吉しゃ社さ参んとかの、御予定もはやあるとか。それらを洩れ聞くにつけ、一般の者が﹁……これやよも、ただ事の御祈願ではあるまいぞ、内々、南なん都とや叡えい山ざんへお手を廻して、お味方に馴な付づけんとする御みこ心ころでもあろうや?﹂、と耳こすりするのも、あながち愚民の妄もうとのみはいえまい。
正直、かくいう自分も愚民と共に、世の先を案じる者だが、考えてみると、あんたは霞を食ッて生きている山伏だったな。――山伏殿にはかかる民の杞きゆ憂うはご一笑ものか。……アハハハハと、若法師は仰向いて笑った。彼の諧かい謔ぎゃくにつりこまれて、山伏もまた腹を抱えた。
すると、ふと。
そこから少し離れた路傍でも笑う声がしたので、二人は驚いて、口をつぐんだ。どこか都びた風采の旅の主従が、さっきから聞き耳すましていた風だった。
これは、いけない。
山伏と若僧とは、すぐ路傍から立ちかけている。
二人とも、人なきものと安心して、つい鬱うつを吐いていたらしいが、たとえ放ほう免めん筋すじ︵諜者︶でなくても、ヘタな人間に聞かれると、いつか密告されていて、後日忘れた頃に引ッ張られた――などの例は毎々眼にも見、耳にも聞くところなのだ。
宮方びいき、鎌倉同調、いずれにしろ、現今、それに神経をつかッていない者はない。
――で、この二人もたちまち声を消して、奈良街道を、西と東に別れ去ってしまったが、おなじ路傍に脚を休めていた藺いが笠さ、膝たっ行つ袴けの旅の主従も、また、
﹁はははは、何を慌ててぞ、あの両名は。……どれ、わしたちもそろそろ行くか﹂
と、やおら、腰を上げ出した。
﹁弁べんノ殿との﹂
歩き出すとすぐ、若い郎従は、主あるじの人を、そう呼んだ。
﹁きっと、いま去ッた法師と山伏は、われら主従を、六波羅筋の武者と思い違いしたものでございましょうず。なンとも、ぎょッとした顔つきでした﹂
﹁さようかナ。菊王はそう見えもしようが、わしはまさか、六波羅武士とは見えもしまい。遊ゆさ山んす姿がたの絵えど所ころの絵師――というつもりで、かく入念に、扮いで装たちしてまいったものを﹂
﹁なかなか﹂
と、菊王は首を振って。
﹁藺いが笠さ優やさしゅう、細太刀佩はいて、風流めかしてはおいででも、どこか御気魄は、隠しえませぬ﹂
﹁というて、公卿の身みな装りでも歩けず、山伏姿という手も古い。――それに、近ごろはとくに、いま見たような一見、宮方びいきとわかる山伏も多いからの﹂
﹁吉野、大峰、葛かつ城らぎ、そのほか諸山にわたって、ちと、内々のおくすりが効ききすぎた結果でもございましょうか﹂
﹁いや、人じん為いばかりではない、時の勢い――。つい数年前までは、われら若公卿が姿を変えて、宮方の士を見出すべく、諸国を遊説したり、月々、文談会など催もよおして、倒幕の時運を呼びおこすに努めたものだが、なんと今日では、逆さかしまな時風となった﹂
﹁そうです、今では、地じ下げ一般の風ふうが、世の世直しを、一日も早くと、待ち望んでいるような﹂
﹁されば、輿論が先走って、九ここ重のえの内のおしたくの方が、おくれがちだ。――しかし、きのう、おとといの南都行幸も事なくすみ、つづいて、叡山行幸の御予定なども終れば、まず一応、事は緒しょについたものと見てよかろう。さある上は、大みいつの下もと、一令天下を驚かす日も遠くはない﹂
法隆寺の塔をうしろに、この主従の遊山めいた足は、龍田から河内へ向っていたのだった。
それはいいが、とうに先に行ったはずの、さっきの山伏が、いつのまにか、主従の後になっていた。しかも、のこのこ後に尾ついて来るのである。菊王の眼が、あるじの弁ノ殿に、叱しっ……と注意したのを、敏さとくも後ろで知ったらしく、山伏は急に二人の背へ呼びかけて来た。
﹁もし。途上、まことに失礼なれど、それへおわたりあるは、前さきノ蔵くろ人うど、日野俊とし基もと朝あそ臣んではおざりませぬか﹂
﹁いや、ちがう、ちがう。人違いだ。粗そこ忽つめさるな﹂
ぶあいそに菊王は、後ろの山伏へ、首を振ってみせた。
でもなお、執しつこく何か言いながら、馴なれ々なれしげに寄って来る山伏なので、その厚あつ顔かましさを叱るように、また、
﹁こなたは、弁べん殿どのというて、絵所の絵師でおわせられる。御辺がいうお方ではない。先へ通らっしゃい、通らっしゃい﹂
しかし、従者のそんなことば程度で、ごまかされる山伏ではなさそうだった。にやにやと、それはそれでソラ耳にうけ流している。そして彼自身が日野俊基とにらんだ者のそばへすり寄って、歩調も共に。
﹁……げに、お久しゅうございましたな。はや六、七年も前のこと。大やま和との当たい麻まで寺らにて、一夜よそながら、お目通りした覚えがありまする。その折は、あなた様も、われら同様な山伏姿にお身なりを変えて、次の日、当たい麻ま越えより高たけ市ちの方へ、ただお一人で、忍びやかに、お立ち出ででございましたが﹂
﹁…………﹂
﹁さいぜん、龍田の路傍で、ふとお見かけした折も、すぐ思い当りまいたが、居合せた若い学僧は、宮方不服の輩と見えましたゆえ、わざと、眼をそらせて、立ち去った次第でございまするが、何はともあれ、いつも御健勝の態ていで、宮方たるわれら末まっ輩ぱいまで、心強うぞんぜられます﹂
﹁…………﹂
﹁次いでは、五年前の秋、あの正中二年の騒ぎでは、あなた様にも、日野資すけ朝とも卿きょうと共に、鎌倉表へ曳かれてゆき、一時は、宮方同心の者みな、暗あん澹たんな思いにくれましたが、佐渡へ流され給うたは、資朝卿おひとりにて、あなた様には、解かれて、都へお返りなされてでござりまいた。――まことに、仏ぶっ天てんの冥みょ護うごならんと、その折も、孔くじ雀ゃく明みょ王うおうの御みだ壇んに、われら、いかばかり謝し奉ったことかしれませぬ﹂
﹁…………﹂
答えないでも、山伏の方はいくらでも、問わず語りにしゃべりつづける。といって、耳もふさげず、弁ノ殿とよばれていた日野俊基も、ついには、藺いが笠さの翳かげからキラとその眼を彼の額ひたいに射むけた。
﹁山伏﹂
﹁は﹂
﹁そちの行ぎょ場うばは、大おお峰みねか葛かつ城らぎか、または羽黒か﹂
﹁入にゅ峰うぶ三度の大峰の修しゅ験げん者じゃにござりまするが、月のうち十日は、当たい麻まで寺らの行ぎょ院ういんへ参ッて、役僧座に勤めておりまする﹂
﹁名は﹂
﹁当麻寺の八はっ荒こう坊ぼうと申す者﹂
﹁八荒坊か。覚えておこう﹂
﹁して、あなた様には、東大寺行みゆ幸きの御帰洛にも供ぐ奉ぶなされず、軽いお身みな装りで、そもいずこへ﹂
﹁わしか。わしは絵所の絵師だからの﹂
﹁へへへへへ﹂
﹁身まま気ままよ。みかどの供奉にも及ばんのさ。ところで、八荒坊とやら、ちょっと待て。そこに立って、わしを見ておれ﹂
﹁な、なんの御用で?﹂
﹁よい面つらがまえだ。その面、似に絵え︵似顔︶に描いてつかわそう。しばし、うごくまいぞ﹂
腰の筆ふで苞づとから絵筆を抜き、料紙綴とじを片手にして立ち対むかうと、何と考えたか、八荒坊は、燕返りに飛びすさッて、
﹁いや、今日はちと急ぎまする。いずれまた。――ごめん﹂
とばかり、一目散に逃げ去ってしまった。
﹁あ。うさんな山伏﹂
﹁追うな。菊王﹂
﹁でも、みすみす﹂
﹁放ほッとけ、放っとけ﹂
俊基はただ笑って見送っていた。もう彼方だった八荒坊の影は、たちまち、王寺の辻の辺りで見えなくなった。
菊王はいまいましげに。
﹁何もかも、おあるじの御本身をば、知り抜いていたような彼きゃ奴つの口くち吻ぶり。ただの山伏とも思えませぬ。そもあれや、何者でございましょうか﹂
﹁知れたこと。――偽にせ宮みや方かたと申すものだ﹂
﹁偽宮方﹂
﹁六波羅の放免︵密偵︶どもも、次第に、賢うなって来たわ――宮方の密使や説客などが、まま山伏すがたを仮かりて往来することあるを知り、近ごろは、彼らの仲間が山伏の皮をかぶって、幕府に反意あるものを、頻りに嗅ぎ歩いているものらしい﹂
﹁すれや、一大事だ﹂
﹁何が一大事?﹂
﹁なにがと仰せられますが、これよりは長のお旅路、しかも、ゆゆしき御秘命を持たれるのに、この先、何となされますか﹂
﹁なんともせぬ。行こう雲うん流りゅ水うすい﹂
﹁はて。ここだけは、蝶もうららな道ではございますが﹂
菊王としては、行くての空へ、眉をくもらせずにいられなかった。
ことしは、元げん徳とく二年。
その三月十二日だ。
すぐる三日間にわたる天皇の南都行幸は、聖しょ武うむの帝みかどの御ぎょ願がんいらいな車駕の盛事といわれ、奈良の霞かすみも、埃ほこりに黄ばんだ程だった。もちろん、供奉の公卿百官から滝たき口ぐち︵近衛兵︶の甲かっ冑ちゅうまで、洩るるはなき鹵ろ簿ぼであったが、俊基朝臣だけは、天皇のお還かえ幸りを仰いだ後も、あとの残務にとどまるものと見せて、じつは飄然、絵所の一絵師と名のって、その旅姿を、ひとり河内路へそれて来たものだった。
もっとも、正中ノ変で、いちどは鎌倉表まで、さしたてられた経歴さえある日野俊基は、これを幕府側から見れば、野に放ッておくにしても、つねに眼の離せぬ前科者であり、注意人物だったのはいうまでもない。
また、朝廷でも、幕府をはばかッて、以後は彼の蔵人の職を罷やめさせ、前の右うし少ょう弁べんにもどして、その官籍も、政事にかかわりのない絵所の一員に移す――とはしていたのである。
が、絵所の弁べん殿どのの志士的な気概は、昂たかまりこそすれ、怯ひるんでなどいなかった。鎌倉の喚問に遭って帰った後は、むしろ一ばい、その反幕精神は、熾しれ烈つなものになっている。
その点、従者の菊王もまた、しかりだった。
彼は、俊基が鎌倉へ曳かれた折、主から見込まれて、河内の楠くす木のき正まさ成しげ宛あての一書を托され、それは首尾よく、その人の手へとどけていた。
けれど、そのときの内容、それ以後の正成と俊基との交渉などは、何も聞くところはない。
おそらくは、六波羅の眼にはばめられ、あれきり途絶えているのではなかろうか。
﹁……とすれば、これから河内へ入るのだし、途中、楠木殿との御対面なども、お胸の予定にあるのではないか﹂
菊王は、そんな察しも抱いてみたが、それにつけ、偽宮方の八荒坊が、何か、不吉な白昼の魔の影みたいに、思い返さずにいられなかった。
終日、生駒山を右に見つつ歩いた奈良街道は、やがて、河内平野の無数な川すじと、川に拠よって営みしている部落部落の灯やら野の灯を、しずかな夕ゆう霞がすみの下に見出だす。
さっきから人待ち顔に、安福寺の下に佇たたずんでいた地じざ侍むらい風の男がある。――いま、眼のまえの街道へ見えた二人づれの影へ、なつかしげに、呼びかけて行ったと思うと、ふた言こと三言、すぐ木蔭の馬を曳き寄せていた。
﹁弁殿。――馬を用意してまいりました。どうぞ、ここよりは馬の背にて﹂
﹁オオ、頼より春はる。わざわざ出迎えに来ていてくれたか﹂
﹁お報らせをいただいてより、太たゆ夫うにも数日来、しきりと、お待ちうけにござりまする﹂
﹁息そく災さいかな、散さん所じょノ太たゆ夫うも﹂
﹁は。まずは事なく﹂
﹁久しゅう会わんので、儂みもこんどの機会にはと、たのしみに立ち寄るわけだが……。そうそう、菊王はまだ、頼春を見知っておるまいな﹂
﹁ぞんじおりませぬ﹂
と、菊王は、その人へむかって、会釈をしながら。
﹁侍じど童うの頃より、弁ノ殿に長く仕えてまいった雑ぞう色しきの菊王にござりまする﹂
﹁申しおくれた、それがしは船木頼春……﹂
と、いいかけて彼は、ちらと、右うし少ょう弁べん俊とし基もとの顔を見たが、俊基がゆるしている風なので、
﹁じつ、お恥かしい次第だが、わが妻の嫉妬が因もととなって、かの正中の禍わざわいをひき起し、宮方御一同へ、言いようなき破はた綻んの厄やくをおかけしたので、この身も、死しておわびすべきを、弁ノ殿から、やれ待て、死ぬなら、よい死に場所をほかに求めよと、お諭さとしうけて、いまだにこの地で、のめのめ生き長らえている者でおざる﹂
と、彼はいった。
それは、つねに自じち嘲ょうを抱いて生きている人の声のようだった。
彼の述じゅ懐っかいに。
俊基も共に、思い出さずにいられないものがある。――その頼春が自分へ近づいて来たのは、自分の身とて、生きて帰ることなどは、ゆめ考えられなかった鎌倉護送となって行く日の途中であった。
深夜。――宿所の床下へ忍んで来て、男泣きに詫びる頼春をさとし﹁……妻の科とがに代って腹切るほどなら、ここは生き長らえて、よい死に場所をほかに問え。もし、河内の楠くす木のき多たも聞んび兵ょう衛えに会わば、そちに、よい死に場所を与えてくれよう﹂と、そのとき、たしかに言った覚えもある。
ところが、その後、俊基が都返りしてから知ッた頼春の消息によると、教えられたとおり、頼春は楠木家を訪ねて行ったが、正成は会ってもくれず、また、家族を通じて、じぶんの赤まご心ころを訴えてみても、﹁――さような儀は、とんと正成のあずかり知るところにあらず、人に、よい死に場所を与えよなどと申すおたのみは、迷惑至極﹂と、ニベもない挨拶で追われたということだった。
俊基は気の毒に思い、頼春のために再度、おなじ河内石川の住人散さん所じょノ太たゆ夫う義よし辰たつという人物を紹ひき介あわせてやった。で、以後はそこに身を寄せている船木頼春だったのである。
﹁いざ、ご案内を﹂
頼春は、一別以来の恩人のために、馬の口輪を取って行く。
玉手や古ふる市ちの巷ちまたの灯を見て過ぎると、駒はほどなく、石川郷ごうの散所屋敷の門前についていた。
﹁やあ、ようこそ﹂
宏大な住居である。
散所屋敷とよぶよりは、むしろ、石川城といった方がふさわしい。
あるじの散所ノ太夫義辰は、みずから大玄関に出迎えていた。よくある土とこ地ろの長者とは、こんな態ていの人物をいうのだろう。――五十がらみの、でっぷり肥えた体も、唐から物ものずくめの衣服や身かざり派手派手と、毘びし沙ゃも門んて天んの像でも歩いて出て来たようだった。
眉は植えたものみたいに硬こわく、色の黒さも、乾かん漆しつの仏像肌を想像させる。――それに、もひとつの特徴は、左の顎のあたりに瘤こぶがある。しかし妙なもので、散所ノ長者の顔にあると、瘤までが、この豪勢なお大だい尽じんの福相には、あっておかしくないもののように見える。
﹁太夫。いつもお旺さかんだな﹂
日野俊基は、客殿のしとねに、くつろぐやいな。
﹁久々だが、会うたび、お若うなって見ゆるの。御子息の豊とよ麻ま呂ろどのにも変りないか﹂
﹁はっ。お引立てのおかげを以て……﹂
と、義辰は、折るのにもくるしそうな体を曲げて、客へ、貴人の礼をとった。
﹁かくのごとく、一家皆、息そく災さいに暮らしおりますが、平常はつい、洛中のお館やかたへも、心ならず、ご不沙汰のみを﹂
﹁いやいや、それがよいのだ。……この身も、知っての通り、鎌倉喚かん問もんの厄に遭って、あやうく死をまぬがれて都へは返ったものの、あれ以後は、わが家の門を十歩も出れば、はや背うし後ろには、放免︵密偵︶臭い男が尾ついて来おるような有様でな――。わざと、諸方いずれへも、一切の往来を絶ッてまいった﹂
﹁が。このたびは?﹂
﹁されば。どうしても、この俊基ならでは、ほかに堂上人では、御みつ使かいに立つべき、ふさわしい人もないとの集議で、ぜひなく、また隠れ蓑みのを着て忍びの旅に出てまいった次第だが。――ま、申さば、陽春の気と共に、蛇も穴を出るとやらのことか﹂
﹁では……﹂と、義辰は俄に、その猪いく首びと声をひくめて。
﹁いよいよ、禁中のおしたくも調ととのい、大事御決行の時節も近くにせまりましたかな?﹂
﹁いや、なかなか。一朝には、そこまでのお運びにはいたらぬ。この河内はもとより近畿一帯、ひでりの雨を待つように、世の世直しを望む風は下しも々じもにまで見えてはおるが﹂
﹁して、こんどの御使命は﹂
﹁特に、太夫にだけは明かすが﹂
俊基はあらたまって、その目的を、うちあけた。
先日の南都行幸も、次いで予定されている叡山行幸も、すべては、朝廷お旗上げの御準備にほかならない。
まず僧団勢力を、味方にひきいれておくことは、対関東の作戦上には、欠くことのできない策である。――で、天皇行みゆ幸きとあわせて、紀州の高野山、播はり磨まの大たい山せん寺じ、伯ほう耆きの大社、越前の平泉寺――この地方四大社寺へたいしても、一朝のさいには、王事に協力あるべしと、懇こん諭ゆの密勅がくだされることになったという。
﹁その密使として、これから高野をはじめ、諸山へ経へめ巡ぐる道すがらじゃ。太夫、まだ話したいことは、一夜に尽くせぬほど、山々あるぞ﹂
天皇御ごむ謀ほ反ん
ということばは、初めは雲の上の咒じゅ文もんのごとく、また、ごく一部の幕府主脳の秘語としてしかかれていなかったが、正中ノ変このかた、表沙汰となり、今日では、たれの口にもつかわれている。
だが、天皇御むほん?
どうもおかしいではないか。こんな語は、ことばの意味をなしていないと、いう者もあるにはあった。
武家もなく、幕府もなく、また院政だの、公卿の専横もなかった以前の世は、政まつ治りごとは天子が統すべ給うものときまっていた。天子御一人のほかは、何者といえ、天子の親政を補たす佐けるものにすぎないと、連れん綿めん、さだめられて来た国家である。
その天皇。――今とて一天万乗の君と仰がれて九ここ重のえに宮みや居いし給うお方が、御謀反とは、たれへたいしての御謀反なのか。――しいて解せば、御自身が御自身へむかってする御謀反か? それ以外に謀反の相手は世にないはずの大君ではあるまいか。
こういう、一部の見解へ。
いや、それは現実を知らなすぎる。
武家幕府が興おこってからは、兵馬の権はもとより、政治は一切、朝廷を骨ヌキにして奪われ去り、全国の土地、貢こう税ぜいなども、武家支配下の守しゅ護ご地じと頭うにおさえられて、みかどの御料や公卿、社寺の荘しょ園うえんなども、年々、侵しん蝕しょくされてゆくばかり……。どうかすると、その貢みつぎの運上すらも、土地土地の地頭や悪党どもに掠かすめられて、満足に朝家へ収まらないような実状である。
そのほか、現幕府の悪をかぞえたら、かぞえきれまい。
次の皇太子に、どなたを立てるか。そんな皇統の世嗣ぎにまで容よう喙かいする。
また反鎌倉の公卿には、あらゆる監視と迫害をおこたらず、いつかは、その地位から追放せずにおかないとする、たてまえをもとっているのだ。
いや公卿はおろか。
天皇後醍醐の退位すらも、今では、時機の問題と、観みられているではないか。
北条幕府から観て、好ましからぬ皇太子は、皇太子にもなれず、また危険視される天皇は天皇の御みく座らからも追われるというような超権力の存在を、みかどとして、どうして坐視していられようか。――とりわけ、近世の歴代中でも、比類なき英えい邁まいな質をもってお生れあったという今きん上じょう後醍醐とすれば、切せっ歯しのおちかいも、当然なわけで、
天皇御むほん
と、聞えるのも、ご無理はなく、その思おぼし召し立ちは、ありうることと拝察される。また、それは決して﹁――御自身が御自身へ謀反するようなものだ﹂などと、その地位になき下しも々じもが、あげつろうていられるような実状でない深刻さをも示しているものであろうが――という反説も、一方にはある。
どっちも、時の声だった。
いずれにせよ、今はもう、朝廷にそのおしたくがあることだけは、極秘極秘といいつつも、自然、半公然となっている。
なればこそ、右少弁日野俊基は、みずから笑って――蛇が穴を出る日が来たので――といったのであろう。
そして、密偵の八荒坊に出会っても驚かず、散所ノ太夫義辰を訪ねても、すべてを平然と、打明けていたものにちがいない。
﹁弁ノ殿。……はやお目ざめにござりまするか﹂
朝。
春眠暁ヲ覚エズ――というほどな今なのに、俊基の寝所では、小鳥と共に、はや、かすかな物音がもれていた。
﹁オオ、御子息の豊麻呂か。……入るがよい﹂
﹁豊麻呂です。ゆうべは、父や頼春や御従者も交じえて、深更までのおん物語り。それなのに、こうお早いのは、何かお寝苦しいことでもございましたか﹂
﹁いや、この俊基は、家にあっても、常々、人の半分も眠れば足りる性分。それに夜やぜ前んは、つい大酒したゆえ、早暁の気を吸って、酒しゅ腸ちょうを醒まそうと思うてな﹂
﹁では、あなたの書院へおわたりなさいませぬか。そこの亭は、四望、眺めもよろしゅうございますから﹂
豊麻呂は、妻戸の外に出て待った。そして着がえや朝の嗽うがいをすまして見えた俊基を、別の亭へ案内して行った。
﹁よい息子だ。よい武者として、行く末御用に立てられよう﹂
逞しい豊麻呂の後ろ姿にも、日野俊基は、すぐそう思う。――それは彼が、親の散所ノ太夫義辰にも増して、多年、至しし嘱ょくしているものだった。
﹁なるほど、ここはよい眺めよの。――葛かつ城らぎの峰々、河内平野の水、えもいわれぬ﹂
﹁すぐ下の流れは、石川です。彼方の屋根は古ふる市ちや道明寺。その辺から無数の水をあわせて、大和川になりまする﹂
﹁思い出した。“古今六帖”のうちに﹂
と、俊基は微吟する、
河内野や
片敷山 の片山に
ゆきか花かと
波ぞよせくる
ゆきか花かと
波ぞよせくる
﹁……ごぞんじか﹂
﹁いえ、文事はとんと﹂
﹁むりもない、由来、武門のお家柄だ﹂
﹁ところが、ここ数代のわが家は、本来の面目を次第に失って、あらぬ家職に変ってまいりました。散所ノ長者とか、散所ノ太夫などと、土とこ地ろの民からは、領主のごとくあがめられ、富財も積んでまいりましたが、祖先に河内源氏石川ノ義よし基もとを持つ武門のほこりは色褪あせてしまい、これでよいのかと、折には、みずから問うて悩みまする﹂
﹁そのお悩みはもっともだ。まことの生命は、財宝などで生きがいを覚えられるものではない。まして和殿のごとく、生れながら財宝の中にあれば、なおのこと﹂
俊基は、彼の悩みを愛するような口調であった。
その純情と若さへ、さらに、油をそそいで。
﹁そもそも、御先祖といえば、源ノ義基公よりずんとお古い家といえよう。仁にん徳とく帝の御代のころ、高こう麗らい人びと数千をひきいてこの地に土着された彼かの国くにの王族のお末す裔えであり、八幡殿の奥州の役えきに武功をあげて、かくれなき名誉のお家柄となったもの……。いや、嘆くことはない。時節は、和殿に幸いしておる。和殿御自身が、やがて、河内源氏の中興の武将となられればよいであろう﹂
志しそ操うり凛んり々んとみえるこの若公卿の熱情的なことばに、豊麻呂は十七歳の頃からすでに魅せられていた。そして彼はいま、二十五歳の長者息むす子こで、それには満足できない若者だった。
﹁折入って、弁ノ殿へお願い事がございますが﹂
今朝の豊麻呂の用ありげな容子は、さてはこれだナと、俊基は微笑をみせた。
﹁ほ。何を﹂
﹁うけたまわれば、弁ノ殿には、これより紀きし州ゅう高こう野や、播はり磨ま大たい山せん寺じ、伯ほう耆きの大たい社しゃ、越前の平泉寺などへ、内々の綸りん旨じをおびて、忍びやかに御廻国のよし。私をも、従者の一人として、お連れしていただけますまいか﹂
﹁そりゃ、何の為に﹂
﹁昨夜のお話には、宮方お旗上げの機も熟せりとのこと、一日も早く、この豊麻呂も身を国事にささげたい一念に駆られまする﹂
﹁や、あっぱれな﹂
俊基はその意気を愛めでて言ったが、しかし、ちとムチのききすぎた若駒の逸はやりを締めるように、それは抑えた。
﹁お心はうれしいが、いざ一いっ朝ちょうのせつは、この河内、大和は王軍にとってたいせつな穀倉の地、また後うし詰ろまきのお味方の地。……その河内においても、内々とくに頼みと思おぼし召めされておる武門は三家しかない。――一は水みく分まりの楠木、二は錦にし織ごりの判ほう官がん代だい、三は御当家ぞ。わけてここ石川ノ郷は要かなめの地だ。このさい和殿が不在となっては心もとない﹂
﹁お諭さとし、よう分りまいた﹂
﹁ご合点かの﹂
﹁父に逆ろうてもとまで、思い極きわめておりましたが﹂
﹁それよ、その誠意だにお失いなくば、ゆく末、御奉公の場所はいくらでもあろう。父の太夫以上にも、俊基としては、和殿を頼もしゅうぞんじておる。くれぐれ自重していただきたい﹂
豊麻呂は、感激した。こうまで、この貴人は自分を信じ、また朝廷でさえも、わが家を、頼みと思し召しているのだろうか。彼は、俊基とこう対しているだけでも、若さに燃え、生きがいに漲みなぎるのだった。
いつか、散所屋敷の大家族も、みな起き出た様子だった。――この朝、出立を前にして、俊基とあるじの太夫義辰は、もいちど一室に入って、何やら長々と密談していた。そして、話のさいごに、
﹁……では、立寄るのは見合せよう。しばらく、様子を見た上の他日としても遅くはあるまい﹂
といったのは俊基のようだった。その一語を打切りに、二人は密談の座から外へ出て来た。
おそらく、彼はここで、水みく分まりの楠木家の近状をただしたものと思われる。
正成にたいしては、近ごろ、俊基も少なからぬ疑問をいだかせられていた。
すでに自分が鎌倉から生還したことは、河内赤坂の僻地にいる正成といえ、聞きおよんでいるに違いないのだ。――さるを、かつて菊王に托してやった自分の遺書同様な書状にも、以後なんの返しもないし、また船木頼春が訪ねて行っても、それにも、素そッ気けない門前払いをくわせたという。
﹁楠木の本心、はたしてどうなのか。石川を訪うた足で、遠くもない水分へも、ちょっと立ち寄って、彼の真意をたたいてみようか?﹂
まだこの朝までは、そう考えていた俊基だった。けれど太夫の義辰の今朝の意見を聞いて、まずこんどのところは素通りしようと、急に考え直したものらしい。
やがて、別辞を交わして、主客共に、そこの座を立ちかけたときである。
﹁まずい!﹂
先に大玄関へ出ていた豊麻呂が、あわただしく駈け戻って来た。そして父の義辰へ、
﹁父上、弁ノ殿の御出立を、ちとお待ち願って下さいませぬか﹂
と、あとは片隅で、きあっている様子が、俊基の眼にも、ただ事でなく映った。
﹁太夫、何事ですかな?﹂
﹁いや、驚くには足りませんが、いま、せがれが下しも部べの者から聞いたところによると、早朝より坂下ノ辻に、六波羅くさいうさんな山伏が、うろついておるとか。――せっかくなお立ち際なるに、不吉な影がと、苦慮いたしおるわけでございますが﹂
﹁ははあ、それは六波羅の放免で、仮けみ名ょうを当麻の八荒坊ととなえている者でしょう﹂
﹁や。御存知なので﹂
﹁きのうすでに、奈良街道にて、後になり先になりしていた白犬があった。その偽山伏にちがいあるまい﹂
﹁てッきり其そや奴つです。とすれば昨夜中に、手配をめぐらし、これからのお行き先に、つき纒まとう惧おそれもある。……はて、どうしたものだろうな、せがれ﹂
﹁父上、一案がございまする﹂
﹁それは﹂
﹁弁ノ殿のお身なりを、そのまま船木頼春に拝借させ、供の菊王をつれて、そのお方になりすまし、ともかくここは立つのです﹂
﹁高こう野や路じへか﹂
﹁はい﹂
﹁いい考えだが、当のお方かたの身はどうする?﹂
﹁まず私自身が、家の下しも部べどもをひきつれ、その中に弁ノ殿を紛まぎれ籠めて、一たん古ふる市ちの出でや屋し敷きの方へ移って行きます。……その間に、頼春と菊王は、高野街道の人なきあたりまで行き、八荒坊を斬りすてて、しかる後に、二人も出屋敷の方へ引っ返して来たらどんなものでしょうか﹂
﹁さ。うまくゆくかな?﹂
太夫は慎重で、なお決断には迷う風だった。それを、かたわらで聞いていた頼春は、すすんでその役を買って出た。
﹁ご名案です。弁ノ殿さえ、御異存でなくば、八荒坊を打果すなど何の造作でもありません。御意、いかがでございましょうや﹂
﹁いや、六波羅蠅は、旅の付き物だが、きのう見た一匹は、放免どものうちでも、頭かし立らだった曲しれ者ものと思われた。ここはみなの申すごとく、大事とならぬまえに、禍いを絶っておくか﹂
俊基の同意に、豊麻呂の案は、たちどころに実行された。
藺いが笠さの旅姿となった船木頼春が、菊王をつれて門を出ると、それは背かっこうまで、日野俊基そっくりに見えた。
そして、その二人が、坂下ノ辻を南へ折れて、高野街道を歩き出すと、果たして偽山伏の八荒坊が、ひたむきな様子で、先の二人を尾つけて行くのが見送られた。
﹁ははは。釣られ山伏﹂
物蔭で俊基の笑う声がながれた。
﹁いざ、この隙に﹂
と、豊麻呂はすぐうながした。散所屋敷の岡には、平常、何百人もの部下が住んでいたが、今その二十名ほどな仲間内に、俊基の竹ノ子笠の顔もまぎれ込んでいた。そしてこの一団は、高野路とは逆に、北の方へ急いで行った。古市の宿場は、早い足なら一と息のまであった。
古市の出屋敷とは、つまり出で張ばり所じょのことだ。
散所ノ太夫自身の居館は石川の岡なので、古市は彼の城下町勢力というものだろう。とにかく南河内、北河内きっての繁昌な大部落だった。出屋敷は、そのまン中にある。
﹁どんな諜い者ぬも、ここへは紛まぎれ込めません。分れば散さん所じょ民みんの袋だたきにあい、骨まで消されてしまいますから﹂
豊麻呂は説明する。
赤土の破れ土塀は三町四方もあるという。建物はおおむね土倉か、ほッ建て小屋にすぎぬが、棟むね数かずは何十戸かわからない。また、構内の掘割には、荷揚げ場もあり、船倉もあった。
﹁なるほど、盛んなもの﹂
俊基は、彼と共に一ト棟の縁に腰かけた。そこが主要建物らしいが、古びた田舎役所に似た程度のもの。――存外に気らくであった。
﹁お方かたを弁ノ殿とは、誰一人存じてはおりません。……これにて、お待ちあるうち、やがて高野街道より、頼春と菊王が、首尾を果たして、引っ返して来ましょう。その上で御思案をさだめ、和いず泉み路じから紀州高野へ出れば、なんのお障さわりもございますまい﹂
豊麻呂のそんな気苦労を聞くよりも、俊基には、はからずもここで見られる散所の民の生態やら、また、彼らの手によって運輸されたり、商あきなわれてゆく物資集散の盛んな光景が、なんとも珍しく眺められた。
各地にある“散所”というのは、貢こう税ぜいのかからない無税の地のことである。河原、芦原、瓦がれ礫きの巷など、不毛の土地には税がない。
ところが、その不毛を好んで集まり住む人間が、年々多くなっている。――苛酷な地頭に反そむいて去った流民やら、各階級にわたる失業者だ。怠け者、勤勉な者、不平の徒、楽天の徒。――総じていえることは、どこに寝ても何を喰べても腹をこわすことなどない旺盛な野性の生命力だった。それが集合して、わんわんと“不毛を食う”強力な営みをなしているのが散所の民だった。
散所と、散所民は国々にある。
わけて、ここ古市は、和いず泉み野のの流れや、葛かつ城らぎ、生いこ駒まの水が落ち合い、曠野の水郷をなしていた。不毛の地だらけだし、散所民の大天地でもある。そして自然、無秩序な彼らの中にも秩序が生れ、無君主のはずなのに、領主でない領主が上にできていた。
散所ノ太夫は、すなわち、それだ。
もっとも、五位相当の太夫の官名は勝かっ手てど称なえの自称ではない。日野俊基のあっせんで、官からゆるされたものである。
理由は、散所民には、公共労働の奉仕や、供く御ごの御用には、その狩り出しに応じる義務があったからである。
いや、もっと重要な任としては、摂せっ関かん家けの荘園からあがる収穫物を運上したり、余った物は、これを都市で交換するとか、売うり捌さばくとか、とまれ、公卿の台所との関係が密接だった。
俊基の才は、早くから、ここに目をつけていた。将来における宮方の軍需の一端を散所の人力と経済力にも結んでおくため、夙つとに、散所ノ太夫父子をも手なずけて、自家薬籠中の物としようと計っていたわけだった。
散所者は、気が荒い。
これは例の、婆ばさ娑ら羅も者のの荒さとはちがう荒さなのである。
見栄、風流なんて、余地のある生き方ではない。食うか食われるかの職業から来たものだ。
陸上の運輸、水上の舟行、どこでも喧嘩ッ早いわめきの中で生きていた。
職とする仕事も、運輸だけではなく、魚貝の売買、塩の仲次ぎ、小酒屋、石切り、鍛冶、車造り、馬子、輿こし丁かき、瓦焼き、木こ挽びき、船大工。――または酢す売り、白おし粉ろい売り、麹こうじ売りなどの販ひさぎ女めから、一服一銭の茶売り媼おうなまでが“不毛を食う”散所民のうちだった。
まだまだ職目をあげれば、きりもないが。
瘡そう家けとよばれる田舎医者、あやしげな祈祷師、遊芸人の放ほう下かや、暮ぼ露ろ︵虚無僧︶、曲くせ舞まい、猿さる楽がく師しといったようなものもある。
散所ノ太夫の出屋敷では、これらの散所民に、保護と制裁と、また公の交渉を代行してやっている代りに、地じし子せ銭んを取り、鑑札料を徴している。
さらには、公卿や寺院の荘園の運輸は請負っているし、鎌倉方の地頭の運搬へも手は貸すが、なかなかただでは通さない。相手の足もと次第では、まま掠りゃ奪くだつもやりかねなかった。
必然、散所民なかまの小喧嘩などとは型のちがう集団の大喧嘩も、しばしば起った。――喧嘩のもとは、おおむね武力のない公卿が、武家の地頭に土地を蝕くわれて、領米が都へ入らなかったり、寺院と寺院の訴訟だったりだが、なにしろ、朝廷の記録所も、鎌倉の裁きも、いまや訴訟などは、まるきり頼りにならない現状なので、いつのばあいも、
﹁よし。この上は﹂
と、集団の暴力となり、地方紛争の小合戦と化すのであった。
そんなさいも、散所民の結束はつよかった。
元々、地頭の鎖くさりをきらって、散所住民となった彼らだし、官家の余剰物資を市へ出して、それぞれの販路へながす商人たちの商売まで、すべて公卿経済との結びつきの上にある彼らなので、
﹁鎌倉。鎌倉たアどこだい﹂
といった風な反骨はどこかにあり、何かといえば、
﹁おれたちは、宮方だ﹂
とも、公言して憚はばからない。
それはいいが、彼らの気負いと結束力では、つい衆の勢い、相当あくどいこともやってのける。平時の荷抜き、喧嘩まぎれの掠奪、放火、暴行、私刑のやりくちなど、やはり不ふ羈きの民たることは争えない。――だから、これを呼ぶに、時の人は、
悪党
と、なしていた。
だから、この不毛を食う不毛の民を支配している石川の散所ノ太夫義辰も、時の呼とな称えに従えば、悪党だった。
さらには、おなじような土豪的勢力をこの河内の山野にもっている錦部郷の錦にし織ごりの判ほう官がん代だい、また金剛山のふもと赤坂の水みく分まりに住む楠木正成といえ、その意味ではみな、相似たる
悪党の族
にほかならなかった。
いや、世はまさに、悪党時代といえなくもない。――武力と政治をにぎり、或いは、格式と典礼だけをもって、民へ臨んでいる幕府人と朝廷人だけが、ひとり悪党の名称をまぬがれているのも、何だか不合理で、おかしく思われるほどな世相であった。