一
﹁――お待ちかねでいらっしゃる。何、そのままの支度でさし支つかえありますまい。すぐ庭口へ﹂ と、近きん習じゅ番うばんに促うながされると、棟むな方かた与よ右え衛も門んは、よけいに足も進まず、気も晦くらくなってしまう。 案のじょうである。 大書院へ出ていた君侯の面おもてには、焦しょ躁うそうのすじが立っていた。与右衛門が土へ手をつくとすぐ、 ﹁討ったか﹂ と、頭から云い、そして与右衛門が顔を上げずにいるとまた、 ﹁主もん水どめの首をこれへ見せい﹂ と云うのだった。 出羽守の立腹も、藩の士気を正すためには、当然そうなるべきで、ただの癇かん癪しゃくではないのである。 家臣の福原主水が、女の意趣とか何とか、言語道断な沙汰で、同僚の者を暗殺した上、藩用を詐さし称ょうして、城下の町人から急場の金を借り、それを持って、今暁、津軽領から逐ちく電てんしてしまった。 追手討ち! 勿論、棟方与右衛門だけが、君命をうけたわけではないが、生あい憎にくと、足あし軽がる頭がしらである与右衛門は、その朝、組下を連れてこの弘ひろ前さき城じょうの二の丸へ早くから出ていたので、出羽守の眼にとまって、 ︵そちも行って手てが功らをして来い︶ と吩いい咐つけられたものであった。 これは君恩と云っていい。こういう折でもなければ、十石の扶ふ持ちでも上げられる時勢ではないし、一藩に認められるのもこんな時こそ侍の働はたらき効がいというものだった。 与右衛門は勇躍して、主もん水どを追跡した。そして南部領へ落ちて行こうとする彼を、出羽街道の碇いかりヶ関せきの山中で見つけ、 ︵君命であるぞ、主水! 首を所望︶ とまでは、名乗りかけたし、また討って帰るつもりだった。二
碇ヶ関まではずいぶん山道を歩く。人にも会わない道が何里とあった。主水と出会った山中も、仏ぶっ法ぽう僧そうの声しか聞えない樹立の間だった。 兇悪な――上ずった眼でもしているかと想像していた主水は、案外、落着いていて、悪わるびれたふうもなく、 ︵騒がしてすまなかった︶ と最初に云った。 それから彼は、同僚を斬った理わ由けを語り、藩用と詐さし称ょうして借りた金を、実は自分の身に帯びて来たわけでなく、同役は今みんな喰えなくなっている。扶ふ持ちでは実際に食えない実状なのだから仕方がない。それに起因して、自暴自棄になりかかっている輩てあいがかなりある。自分もその一人なので、こんな時だと考えたから、大町人の金を借出して、そっと喰えない仲間へ置いて来てやったのだとも云うのである。 ――そんな話を聞いてしまうと、与右衛門は、主水を斬る気を失ってしまった。主水はまた、与右衛門に対して害意を抱いている気色など少しもない。むしろ懐かしげに現在の藩の困窮だの、武士道と実生活の矛むじ盾ゅんだのそこから起る弊へい風ふうだの……つい与右衛門も頷いてしまうし、彼も話しやめようとしない。 人気もない山中の禽とりの声を聞きながらであった。 ――藩へ帰って来てから、しまったと後では思い、今また、君侯の顔を仰ぐと、いよいよ、 ︵不覚をした︶ という自覚にふるえが出て来る程だったが、もう追いつかない事だった。 それについて、まるっきり嘘もいえないので、碇ヶ関の附近で主水の姿を見かけたが、力及ばず﹇#﹁力及ばず﹂は底本では﹁力及ばす﹂﹈討ち洩らしたと答えたので、津軽出羽守は、よけいにその腑ふ甲が斐いなさを怒って、 ﹁ものの役に立たぬ奴じゃ、恬てんとして、恥とも思わぬ面つらよな。祖先以来、事なき日にも、禄を与えておくのはなんのためと思う。そちはそれでも米を喰って生きている武士か﹂ 殿が蔑さげすむと、側にいた老臣や近習までが共に罵ばと倒うして、 ︵自分が上意をうけて行ったなら︶ と云わないばかりに、侍らしい顔をした。 勿論この後、棟方与右衛門は五十日の閉門になった。軽いほうだとみな云った。三
﹁……初めて聞きました。お父様にそんな事があったんですか﹂ 炉ろの炎ほのおにも熱くなっていた瞼まぶたを、傷いたましそうに、父の顔へ上げると、お珠たまの涙は赤く光って、膝の先にこぼれた。 ﹁おまえがまだ、十か十一頃の時の話じゃよ﹂ 棟方与右衛門は、わが娘この感傷を見て、これは益もない話を聞かせたと悔いるように、薪を取って、炉へさしくべた。 大きな炉だった。ふつうの家の二倍もある。それに夜も昼も火を焚たきづめにしているので、この小屋の木材は脂やにを沸き出して煤すすは漆うるしみたいに光っていた。 どうっ――と、強い風圧がぶつかって来て、時折小屋の木材が軋きしむ。ちょうど船底で怒どと濤うを聞いているような感じだった。 こうした外そ戸との吹雪は冬のあいだ毎日のように続いていた。 ﹁可哀そうなのはおまえだ。母ももういないしなあ……娘ざかりをこんな山小屋に送らせ、冬は吹雪、夏は土仕事﹂ ﹁お父様、もう仰っしゃらないで……。私などより、お父様こそ、山へ来てからずいぶんお老ふけになりました﹂ ﹁やめよう。自分から望んでここへ移って来たのだ。若い娘も犠に牲えにするのを承知でわしは就じゅ役やくして来たのだ﹂ ﹁いいえ、お父様は、私を犠牲にしたと仰っしゃいますが、私にだって、今のお仕事は大きな張合いでございます。たとえ何年かかろうと、働いていれば、やはりお父様と同じように、大きな楽しみとなっておりますから﹂ ﹁いやいや、男のわしでさえ、時には泣きたい思いもする。まして女のそなた、苦しいだろう。……山へ来てからもう四年だ、おまえも今年は二十五じゃろうが﹂ ﹁ええ、いつの間にか﹂ ﹁嫁よめ入いり期どきもすぎてしまう。ゆるしてくれなあ﹂ ﹁お父様、鯡にしんでも焼きますから、お酒でもすこし上がって、またいつもの素うた謡いでも﹂ ﹁あるか﹂ ﹁ございます﹂ ﹁じゃあ少し燗つけてくれ。……そしてわしの机のうえに積んである絵図面と書類をここへかしてくれ﹂ 拡げると、畳二枚分もあるような大きな図面やら、小図面やら、幾いく帖じょうも出来ていた。それも書類も、すべてこの中津軽と南津軽との間を横断している五所川原の治水工事に関するものばかりだった。 棟方与右衛門は、それへ見入りながら、頬ほお杖づえを膝に突いて、苦念していた。――お珠は一人の下男を相手に、小屋の流し元で、氷を割りながら、その父を慰めるために、これも夕ゆう餉げの菜に心をくだくのだった。四
領土の面積からすれば、佐竹と南部の国境以北、津軽半島だけの広さでも
わずかに、居城のある
津軽貧乏見され
わしが貧乏はらくよ
水の苦もない
扶持減 らしもお座らない
わしが貧乏はらくよ
水の苦もない
隣藩の佐竹や南部で、こんな唄さえ唄われたほどだった。
藩主が、粗服を着たり朝夕の食膳の菜を減らしたりして範を示してみせる事も、何の効かいもない。
家臣は皆、減げん俸ぽうに甘んじ、領民は祭礼の行事まで見あわせて、税を稼いだ。
けれど、一夏、岩木川の氾はん濫らんがあると、全民は打ちのめされて、また二年か三年は、火あぶりになっても税も脂あぶ気らけも出ないという領民がたくさん出来た。
反対に、士風も民風も、人間はますます悪くなるのである。人斬り沙汰、女沙汰、盗難沙汰、つまらない家中の葛かっ藤とう、そんな事が絶えない。
――そんな風潮の中で、棟方与右衛門は、長年笑われ者になって来たのである。
﹁あれは、福原主もん水どの一件で、殿から、米を喰っているか、と訊かれたという無類の能なしだ。米喰い武士でのうて、米喰い虫だ﹂
穀ごくつぶしという名称は、穀物の極端に尊たっとばれている時勢にあって、最大な侮辱であった。
――米喰い虫の与右衛門とよばれながら与右衛門は何年も飯を噛む間はなおさら考えた。
︵何か御奉公したい︶
ある年、検け見み役人に尾ついて、岩木川の水害を検分に行った時、彼は後に残って、なお旅をつづけ、一つの決心を抱いて帰った。
家老の邸へ行って、与右衛門は悲壮な眉をして云った。
﹁どうぞ、これを殿へ御ごひ披ろ露うしてください。曲げて、お許しのあるよう、あなた様からも何とぞ﹂
と、一通の献けん策さく書しょをさし出した。
岩木川の主しゅ水すいを中心とする津軽平野の治水策であった。彼が寝ずに書いた献言書は、半紙七十枚綴とじで四冊もあった。
所要の延人員何千人、総費用いくら、完成の期日はおよそどのくらい――という数字も彼の計画も残らずそれに尽してあった。
だが、用いられる筈もない。
︵能なしが無念がりを起して、邸やしきへ日参して閉口じゃ︶
取次した家老さえが、そんな程度で、城内の笑い話にしていた。
だが、与右衛門の熱心は熄やまなかった。その熱心がやや買われたのであろう、翌年は正式に、検見役人の一人として、出張を任命され、やがて、二年も経ってから後、殿が彼の献言書を見たという沙汰で、与右衛門の宿望が、半分ほどかなえられた。
彼の献策した計画では、余りに大き過ぎるというのである。――で、その計画を三分の一程度に縮小して、五所川原地方の一部の開かい墾こん役やくを任命するということになった。
﹁何があいつに﹂
﹁米喰い虫が、百姓の中に交じったら、百姓は嘆き限きれまい﹂
一人娘のお珠たまをつれて、不毛の奥地へ出発した与右衛門の旅装の背へも、やはりそんな嘲ちょ笑うしょうのみしか送られなかった。
五
五所川原の宿場から一里ほど南の山――御月山の中腹に、彼は、小屋を作って住んだ。 治水工事を督励する開墾役所は、そこの麓ふもとに置いたが、そこさえ、低地であるため、遽にわ雨かあめとなると水の危険があった。で、大事な図面や書類は、なるべく寝小屋のほうへ置くようにしていた。 ﹁――広いなあ。この広い平地に、これだけ稲の種が実みのったら!﹂ ここへ寝小屋を建てる時に、彼が一番に叫んだ言葉はそれだった。 だが、この高地からながめても、その広い天てん賦ぷの平地も、まるで人間の静脈のように大小無数の河水が奔ほん馳ちしていて、人力の痕こん跡せきらしいものは殆ど見えないのである。 それからの彼は一人の下僕をつれ矢立と紙を持って、毎日、この荒こう蕪ぶな平野を実地に踏査してみることだった。そして、各村の庄屋を訪ねたり、老農について、体験を聞いてみる事だった。 その人々は、口を揃そろえて云った。 ﹁それやあまあ、旦那様のお考えは結構じゃが、どんなに人間と金をつかったって、一反の田だって、出ける事じゃごわせんぞい。わしら、山つなみだの、洪水だのと、水に悩まされていることは先祖代々からのこって、その先祖たちも、どれほど今日までにゃあ力を協あわせてやったかも知んねえし、御領主様だって、御奉行所や開墾役所を置いた事も以前にゃああったが、みんな金を水へ捨てに来るようなもんでの、役所を払って四十年も抛ったらかしになっているくれえなもので……。旦那様あまた、えらい目におあいなさるだけのこッちゃで﹂ 体験の多い老農ほどそう云うし、五所川原の代官などは、口を極めてその無謀を諫いさめて、 ﹁まあせっかく、殿にも御意がうごいたところ、今さら、御中止にもなれまいが、御病態を作って、藩のほうへも、延のび々のびにしておかれたがよろしゅうござるぞ。藩政御困窮の折ゆえ、溺れるもの藁わらをもつかむで、殿にも、僥ぎょ倖うこうをのぞまれるのであろうが、心ある老臣方は、たださえお手許の不ふに如ょ意いなところへ、莫大な失費。そこもとが病態を作られれば、重役方は、かえって眉をひらこうというものでござる﹂ と、云った。 しかし、与右衛門は断だん乎ことして、その年から治水工事に着手した。 同時に、あらかじめ藩庁の許可をうけてある令をもって、津軽平野を囲む一帯の村落百十余ヵ村へ対して、人税を課した。 人税というのは、一戸当り幾人という労力を、月割に徴ちょ発うはつすることで、勿論、無報酬の労働なのである。六
﹁飛んでもねえ事になって来たぞい﹂ ﹁何じゃああの棟方与右衛門ちゅう奉行は、あんでもえ、足あし軽がる頭がしらだったというでねえか、足軽に百姓のことが分ってたまるもんでねえ﹂ ﹁稗ひえすら食いかねるっちゅうに、この上、人税などと、おらたちの血までしぼる気か﹂ 百姓たちは、俄然、不平を鳴らし出した。 それでも、一夏から秋までは、各村の庄屋や年寄の慰い撫ぶで、渋々ながら、課せられた人員は仕事に出た。 だが、渺びょ茫うぼうたる大自然の下には、蟻が穴を穿うがったほどの工事の跡も見えない。多少、予定工事が進んだかと思えば、一日の豪雨で洗い消されてしまう。 冬は、仕事が出来ない地方である。予定の二ヵ年はとくに過ぎて、藩地のほうでも囂ごう々ごうと、非難の声があがっていた。 ︵この御困窮の折から、あのような無能者を奉行にして、莫大な金子や物資をこう送ってどうするんだ!︶ という意味である。 云う者もまた、切実なのだ。自分たちの口も減らされ、家族は生活を極端に切り詰められ、皆顔いろがわるい。そういう場合なのである。藩の金でも、自分たちの金をられる気がするのであろう。 ――だが、殿の出羽守は、近頃になってよけいに、与右衛門の信念に引きずられている形であった。 老臣が、折を見て、 ︵御中止になられては︶ と、家中の怨えん嗟さをそれとなく訴えてみても、 ︵やらしておけ、今やめるも、なおすすませてみるも、藩の財政が困窮は同じことじゃ︶ 同じではない理由を云っても君侯の事だった、君言をもって、やらせておけというのでは老臣も匙さじを投げて拱きょ手うしゅしているほかはない。 ︵あいつめ、案外ぬかりのない奴じゃ。絶えず、殿へ報告をよこしおる。この文書に、殿は惑わされてござるにちがいない︶ 五所川原開墾役所という角かく判はんの飛脚が、藩庁へ届くたびに、藩の者は、米喰い虫の与右衛門を罵倒するのを茶話にしていた。 そうして、最初の二ヵ年計画は、工事の進しん捗ちょ上くじょう、三ヵ年計画に変り、後にまた、棟方与右衛門が自身、殿へ実情の報告に来てから、再度、五ヵ年計画という事に変更された。 当然、津軽家の経済は、骨と皮ばかりになってしまった。城下の大町人からは、借上げられるだけ借りてしまい、町人といわず百姓といわず、関所さえなければ、みなこの餓が鬼きの領地から逃ちょ散うさんするであろうと思われた。 藩では、江戸、京都、大坂あたりの商人からも、負債を求め、そして一半を急場に当て、一半は治水開墾事業のほうへ送った。 藩庁へ打合せのことがあって与右衛門が弘前の城下へ、出て来た折、与右衛門は、何者とも知れない武士から暗やみ討うちをうけた。倖いに、危険はのがれて帰任したが、もうその頃から、 ︵あいつを殺してしまうのも、藩の御困窮を開く一つの途だ︶ と云って激する者が出始めていたのであった。七
︵おれは能なしだ、米喰い虫にちがいなかった、せめてこのくらいな事を仕遂げねば︶ と、与右衛門は、自然の暴威にも、人間の迫害にも屈しなかった。 また、つくづく思うには、 ︵幕府の御制度の中にある藩地である。藩の制度の下にある経済である。お上かみには、どんな御失費も滞たい渋じゅうができぬように、下の者も、どんな事をしても、苛かぜ税いに骨を削らなければならぬ。下ほどそれは辛くなる。出ないものを絞しぼり出す苦悩なのだ。――ところで、そういうお上と下のあいだに立っているのは誰だ? 武士というもの達だ――この際、武士のすることは何か?︶ それを痛切に彼は考える。 ︵打開と云っても、御制度の中での打開だ。津軽領以外へ何の策も施す途はない。自己の持つ土の上に打開を求めるほかないではないか。――また武士は、自己の為すことを、自己の分の中から、今こそ求め探して、奉公にさし出す時ではないか。――元和、寛永の武士道をそのまま習慣にして、刀にかけてものをいうだけが士道だと心得ている時機ではなかろうが︶ 結論において、彼はこう極めている。 ︵世の中は、生きてゆく。殖ふえてゆく、進んでゆく。粗衣粗食の御節約も結構だが、絶対に、消極策というものは、どんな飢きき饉んの地でも適合しない。つまりこの世の中というものの本質に適合しない︶ それから彼は覚悟を極めた。 ︵鬼になれ。――鬼になってやらねば出来ない!︶ お珠が見ても、父の人相がこの頃変って来たと思う。土や水と闘うので、気はあらく猛たけ々だけしくなった。 仕事場に出る時の身支度を見ても、厳いかめしさと云ったらない。晒さら布しの襦じゆ袢ばんだけは毎日洗ったものを着せてくれとお珠へ云ったのでも分る。――出る朝をいつも死ぬ日と心に決めているらしい。 もうやがて五十に近い体を、山支度に厳しく固め、手には寒竹の鞭むちを持って出かけ、工事場で彼のことばに渋る者があったり、惰だみ眠んを偸ぬすむ者があると、 ﹁こやつッ!﹂ 耳まで裂いたような口を見せて、大喝の下に撲なぐりつけた。 ある時は、夏の泥土や草いきれの中で、怪我をした百姓や、痢りび病ょうに罹かかった者などを、眼に涙をたたえながら手当している彼の姿を見る事もあるが、仕事に直面すると、まるで仕事の権ごん化げだった。 一刻も、ただぼんやりしている事などはない。自分も土を担ぐ、石を運ぶ。 お珠ですら、ここへ来て、百姓たちと交じって働いている程だった。 ﹁――お珠さん、少し休んだがいい。わしが土へっ竈ついの火も見ていてやるし、薪も割っといてやるで﹂ 十川村の郷士の息子だという安太郎が、いつも彼女を傷いた々いたしがって、湯わ沸かし場ばへ慰めに来た。 湯沸し場仕事もたいへんだった。もっともここ一ヵ所ではないが、ここへだけでも三百人ぐらいな者が、昼飯時には殺到してくる。炎天の下で、薪を割り、土竈に火を焚たき、水を汲んでくる。 初めは川水を飲んで仕事していたが、鉱毒にあたって、何十人か一度に罹りび病ょうしたことがあるので、 ――この水はのむな という高札を立ててある川と、 ――この水はのめる という立札の立っている川とがあった。それは勿論、与右衛門の字だった。八
半島の東西の山岳地帯から集落して、この平野を縦走してる川は主な川だけでも十幾つかあった。それが各、秩序なく、打ぶつかる所でぶつかり、分れては幾いく条すじにもなり、水と石と高低の多い土地とが、噛みあい、奔ほん激げきし合って、やや落着いている所はまた、身を没しるような茅かやの沼地というような原始的な姿だった。その水の自然性に、秩序を与えまた、狂暴性を取り除けようとする与右衛門の事業は、第一年から三年目の半ばまで、殆ど徒労であった。 だが、屈しない彼の頭脳は、こういう事に気づいた。 ︵おれは今日まで、断崖には石をたたみ、平地には堤どてを築き、水をこうやろうとすれば堰せきを固め、人間の力で水を虐いじめ込もうとして来たが、これは拙劣だ。――だから水に勝ったと思うと、何百間の堤も、一夜の暴雨に蹴くずされ、仇をとられる事になってしまう。――これからは、水を自分が動かすと思わないで、水の性能に従ってみよう︶ 彼は、今までの基礎を捨て、根本から工事方針をそれから建て直してかかった。 その間にも、百何十ヵ村の不平と非難は、彼の一身に集まって、幾たびか、暴動が起りかけ、幾度か、ふくろ叩きに会いかけたり、河の中へ故意に突き落されたり、さまざまな迫害はあったが、工事の大変更に、百姓たちの抑えていた憤りはまた火を呼んで爆発した。 ﹁おら達がこうやって働くのを、あの奉行めは、遊び事だと思っているのだぞ﹂ ﹁何年間も、銭一文もはらわねえで、牛や馬よりこッぴでえ使い方しさらして、それをまたうッちゃって、他のほうへかかるたあ何事だ﹂ ﹁もう、仕事に出るな、死んでも出るな﹂ ﹁いッそ、ぶっ殺せ﹂ ﹁そうだ、ぶっ殺せ、あいつを﹂ 険悪な晩が、幾晩もつづいた。夜になると、御月山の小屋に坐っていてもそれがわかる。遠い山さん麓ろくに点在する部落部落で、火を焚いたり、鐘を撞ついたりしているもようが、赤い空に映って見えるからだった。 その早鐘は、お珠の胸をさわがして、眠らせなかった。 ﹁――お珠さん、お珠さん……。もうお寝みかい、安太郎だよ。心配になるからやって来たんだが、ちょっと顔をかしてくれないか﹂ 小屋の窓の戸をコツコツ叩きながら、低こご声えを弾はずませて云う声がする。――お珠は身を起しかけたが、父の寝息をながめてから、そっと外へ出て行った。九
大きな月が半島の山の骨をあざやかに見せていた。 津軽灘なだの海らしい果てに、蝦え夷ぞまでみえるかと思われるように冴えた夜である。 ﹁……だめかい? だめかい? ……お珠さん。どうしても、お父っさんにこの事しご業とを思い止まらせる事はできないかい﹂ ﹁白骨にならないうちは止めそうもありません﹂ ﹁――ああ困ったなあ﹂ ﹁安太郎さんっ……﹂ お珠は突然、握りあっていた手を解いて、より強い力でしがみついた。 ﹁後生ですっ。……これから方々の村々へあなたが廻状して、もいちど、みんなを宥なだめてくださいませ。……あなたのお父さん、郷士でもあるし、学者だともいう事です。あなたのお父さんにもお頼みして﹂ ﹁ところが、その父が、与右衛門殿のする事を、頭から悪く云っているんだよ。この下の開墾役所に打ぶッ壊こわしが始まれば、先に立って来るほうだ﹂ ﹁……でも! 安太郎さん、あなたのお力で、縋すがってください。……ね、安太郎さん、お珠が一生のおねがいでございます﹂ 青じろい月の下に、白い襟えりくびが泣きふるえていた。安太郎は着物を透してくる女の涙の温かさを肌に受け取っていた。 ﹁よしっ、やってみるよ! ……泣かないでもいいよ。これから夜明けにかけて、廻状をまわし、何とか父も説き伏せてみる。……そのかわりお珠さん、おれの気持も忘れずにいてくれるだろうな﹂ ﹁ありがとうございます。安太郎さん、この御恩忘れはいたしません﹂ ﹁だけど、結局、この事業は物にはならないぜ。……。もう手も足も出ない所まで行けば、与右衛門殿は元よりの事、わし達の運命もどうなるか﹂ ﹁そういう凶わるい行末が見えていても、安太郎さんは私を……﹂ ﹁わしは、だからこの恋には、生いの命ちを賭けているんだぜ﹂ ﹁どうしよう! ……す、すみません、安太郎さん﹂ 欣うれし泣きに嗚おえ咽つするお珠の顔を、酷むごいような力でいきなり抱きしめると、安太郎は、彼女の唇に情熱の迸ほとばしるままに甘い窒ちっ息そくを与えた。十
七沢、砂沢、十とこ腰しざ沢わ、そういった麓の地帯で、地の利を利用して、周囲何十町もある大おお溜ため池いけの開かい鑿さく工事がはじまった。 掘った土は、低地の茅かや原はらや沼地をどんどん埋立てて行った。一ヵ所の溜池ができると、附近の川の性能がまるで違って来た。なぜならば廻り堰せきを巡ってここへ集まった水は、任意に休息して、新川堤に添って柔順に出てゆくからである。 豪雨が出ても、その附近だけは、もう水は吾わが儘ままでなかった。 与右衛門は思わず、 ﹁――見えたっ。先が見えたっ﹂ と、雀こお躍どりしてさけんだ。 予定の五年目の春頃には、その大溜池が、何ヵ所となく竣工した。そこの竣工はまた、堤防工事、護岸工事、すべての仕事のほうに基調を与えて、彼はふたたび藩侯へ、延期の願いを出す必要がなくなった。 支流的な川すじの工事はほぼ終ったので、彼はこの夏、最後の仕上げ仕事としている岩木川の上流の主脈に、全力をかけていた。毎日の人税徴発は、百十余ヵ村から二千名近くの人員が狩り出されていた。 この平野を吹く風が汗くさく思えるほど、泥と汗にまみれた百姓が、上流の渓流を、平地へ出さずに、それを大おお溜ため池いけへ導いて、徐おもむろに新川堤からほかの川へ放出する工事に向っていた。 ﹁もうひと息だぞ! この秋までだ!﹂ 寒竹の鞭むちは、撲る者を見つけてあるいた。 その鞭で、皮膚をやぶられた百姓は、何十人か何百人かわからないほど今日までにはあったのである。 あまり与右衛門が焦あ心せって督励し過ぎたため、渓流の護岸工事で仕事をしていた者が、そこの崖崩れに合って、十何人かいちどに生埋めになって死んだ。 それを炎天の下で聞いた時も与右衛門は一言、 ﹁そうか﹂ と云ったきりだった。 そしてすぐ、小頭を呼びつけ、 ﹁死体を掘り出したら、死体はひとまず、日蔭の草の上にでも並べておけ。始末は晩のことでいい。――やむを得ない! ここは戦場だ。人ひと死じにに驚いて、戦いくさがなるものか、工事もすぐ続けろ﹂ こんな犠牲者も、今年ばかりあったのではなく、無数にあったといっていい。それに対しての与右衛門の態度も、この頃は極めて冷淡になってきた。 ﹁人ひと非でな人しっ﹂ ﹁鬼め﹂ 石をたたみ、鍬くわをふるい、汗を眼にながして働いている人々は、皆、彼の残忍を口のうちで呪のろった。十一
汗の下に咲いた可かれ憐んな龍りん胆どうの花が、見られもせず、草わら鞋じで踏まれる秋になった。 湯沸し場に、人立ちがしていた。 ﹁何だ、何があったんだ――﹂ 近くの者が、わらわらとそこへ駈けてゆく。 案のじょう、また、与右衛門の鞭で打ちすえられている者があったのだ。けれど、今日は百姓ではなかった。彼の子であるお珠だった。 ﹁――かにして下さい、悪うございましたっ。お父様っ﹂ 鞭むちの下に泣きさけぶと、 ﹁父とは何だッ、工事場では、父おや娘このけじめはないと云ってあるぞっ﹂ と云いながら、またも打つのだった。 鬼のような顔の父へ、手を合せてわびていたのに、その手を鞭で撲られて、彼女の指から血が走った。 ――ひいっ! と泣き伏すと、 ﹁心にこたえて置けよ! おのれっ、おのれっ﹂ 背を打つ。かよわい腕の根へ打ち下ろす。 見るまに、彼女の皮膚は斑ぶちになった。 すると、その後に、もう一人俯うッ伏していた若い男が、いきなり草くさ埃ぼこりと一緒に刎はね起きて、 ﹁あんまりだッ。いくら親でも!﹂ と、与右衛門へ組みついて来た。 与右衛門は、一気に振り払って、 ﹁そちもだッ﹂ と、鞭に唸うなりをくれた。 ﹁わっ﹂ と、若者は顔をかかえてよろめいた。安太郎なのである。 男ふた女りが、わずかな間を偸ぬすんで、湯沸し場の裏の日蔭で、楽しげに囁ささやき合っていた所を、与右衛門に見つけられたのだと、見ている百姓たちが話していた。 ﹁――な、撲ったな、畜生っ﹂ ﹁まだ足らん、それへ直れ﹂ ﹁わ、わしを、凡ただの人足扱いにしやがったな。わしはこれでも、十川の郷士だぞ﹂ ﹁郷士が何じゃ、この与右衛門の眼からは郷士であろうと、子であろうと、何者でも皆、一日いくらの土が担げるかと思う、一箇の人足に過ぎないのだ。たとえ、御領主様がここへお出いであろうともその心底に変りはないっ﹂ ﹁お珠さんが、可哀そうだと思えばこそ、おれは自分の父も説いたり、こうして働きに来てもいるんだ。……て、てめえのような奴の為なら﹂ すると与右衛門は、かつて、いくら怒ってもこれ程な形ぎょ相うそうは見せなかったものを眼気から燃やして、 ﹁わしの為に? ……。ばッ、馬鹿者っ﹂ と、呶鳴りつけた。 ﹁わしは君侯と領民のあいだに在って、自分のする事の為にしているだけだ。津軽家の為とも考えていない。百姓達の為ともべつに考えていない。――しかしわし自身の為にでない事だけは天地に云い得るのだ﹂ ﹁なななに云ってやがるんでッ。……てめえは今さら、夜逃げもできず、藩へも帰れねえからやっているのだ。こうやって、不平を云いながらも、百姓達が働いて来たのは、汝てめえが恐いからじゃねえぞ、殿様が恐いからだ。もっと分りよく云やあ、磔はり刑つけや縛り首になっちゃ堪たまらねえから、涙をのんで、食えねえ中を、一いっ揆きも起こさずにやって来たんだ﹂ ﹁だまれっ、わしはこの事業だけには、三軍を率ひきいる将軍だっ。絶対にわしに従え、わしに従えん奴は来るなっ﹂ ﹁オオ、誰が来てやるっ﹂ と捨てぜりふを投げて、安太郎は走りかけたが、赤く腫はれた眼を振向けて、 ﹁おれは来ねえが、そのうちに、二百十日が襲くるぞっ、覚えておけっ﹂十二
安太郎の見えない日から、工事場の人数が目立って減った。 ﹁十川村とその近村の者は、一人も来ねえが?﹂ と、来ている者にも、動揺があらわれた。 秘密裡に廻状がまわってゆくらしく、日ごとに人員は減るばかりだった。夜になれば、空は赤く村々を焦がした。 当然――これに対して五所川原代官所が、与右衛門の役所と協力して、処置にあたるのがほんとだが、その代官は、大溜池の竣しゅ工んこうをながめても、欣ぶ色のなかった人物である。 ﹁安太郎の仕しわ業ざだな、気の小さい奴っ﹂ 父がそう唸うめいているのを見て、お珠は、自分の身の置き場のないような気がした。 しかし――一人になってもおれはこの冬までに最後の工事を仕遂げると与右衛門は云うのだった。 ひと頃の十分の一にも人手は減ったが、ふしぎな事には、その一ひと屯たむろの人数には、何の動揺も見えないのみでなく、かえって、孜し々しとして夕方も暗くなるまで働いている様子があった。 ﹁無智な百姓どものうちにも、やはり少しは、自分の懸命さを分ってくれる者もあるとみえる……﹂ 彼はそこへ、感謝を云いに行った。みんな仕事が終って、星の落ちている暗い川べりで手足の泥を洗っていた。 ﹁――おや?﹂ その中に一人、法ころ衣もを着ている男があった。変に思って、顔をのぞいてみると、姿も皮膚の色もまるで変ってしまっているが、それは十数年前に碇いかりヶ関せきの山中でわかれた福原主もん水どのなれの果てであった。 ﹁あっ? ……おうっ……主水殿……どうしてここへ来ているのか﹂ ﹁とうとう、気づかれたな﹂ 福原主水は、笑って云うのだった。 ﹁去年も来ていた……今年もまた来た……だが貴公がこの事業を成し遂げるまでは、名乗り合いたくなかった﹂ ﹁じゃあ、わしの事しご業とに、力をかす気で来てくれたのか﹂ ﹁それくらいなことはせずば……﹂と、しばらく黙って、自分の法ころ衣もの袖を示しながら、 ﹁こういう物を着ている身だ。ここで働くのも修行になるしなあ﹂ ﹁かたじけない﹂ ﹁棟方殿、弱気を出すなよ﹂ ﹁とにかく、小屋へおいで下さい﹂ ﹁行くまい。この津軽平野に、青田の風が吹くようになったら行こう。……もいちど云っておくぞ、弱気を出すな。……碇ヶ関で、わしを逃がしてくれたなどは、弱気というものだ。助けられたわしも至らない人間だったが、おぬしとしても、あれはやはり賞められない事だと思う。弱気を出されるなよ﹂ 切れ草わら鞋じをぶら下げて、何処へ帰るのか、福原主水は夕闇へ去った。 与右衛門は見送って、 ﹁そうか……あの主水が働きながら傍の百姓達に、説教していてくれたのだな、それで、今残っている人数だけは、黙々と仕事に就いていてくれるのだ。……主水、ありがたい﹂ 涙をうかべながら、彼は、そこにまだ相手がいるように頭を下げた。十三
ひどい暴あ風れ雨であった。二百十日も来ないうちに来たのだ。 小屋の屋根の石も飛びそうに思える。 ﹁棟方っ、棟方どのっ、すぐ来いッ大変だ﹂ 青田を見ないうちは来ないと云った福原主水の声なのだ。破れるように戸を叩く。 与右衛門も、お珠も、土砂降りの雨を衝いて、麓ふもとへ駈けて行った。 この暴あ風ら雨しに乗じて、何物か悪わる戯さした者があるらしい。最難工事としていた岩木川の上流の石垣がくずれ、続いて山崩れを招いていた。 ﹁ウウム……﹂ 手の下しようもないのである。泣きたいような皺しわの痙けい攣れんが瞬間、与右衛門の顔をかすめたが、すぐ、 ﹁これくらいな事はあっていい。何事にも、も一歩という手前にはやってくる奴だ。よしっ――﹂ 発狂したのではないかとお珠は父の動作にびっくりした。与右衛門は簑みの笠かさのまま、渓流のふちへ崩れ落ちた石を一箇一箇、上の小道へ上げ始めた。 福原主水も、その意こころを怪しんで、 ﹁どうするのだ、この暴風雨の中で﹂ ﹁これを見ては、休んでいるわけにはゆかぬ。たとえ石の一つでも、今からやればそれだけ違う﹂ ﹁ウム、わしも行って来る﹂ 福原主水も、開墾役所の馬をひっぱり出して、暴風雨の中を、それへ乗ってどこかへ飛ばして行った。 狩り出されて来た百人程の者が、協力して、第二の山崩れを防いだ。大溜池の決けっ潰かいも事なく済んだ。 僧衣の人足と、鞭を持った奉行との必死は、翌日の仕事からまるで血みどろになった。二人の意念は、この大事業の完成が近づくと共に白熱化して、まったく土と汗とに同化してしまった鬼そのものに見えてきた。十四
一おと昨と年しあたりの事は夢のようにしか考えられない。 御月山の小屋の窓から眺めてみるがいい。今――そこには何もかも忘れて欣よろこんでいるかのような明るい顔が二つ並んで、飽かずに、視野を楽しんでいた。 お珠と与右衛門の父おや娘こである。 五月の晴れ澄んだ空よりも、地はもっともっと青いではないか。五所川原の宿場などは、青田の中に浮いているようなものだ。遥か、向う側になる山岳の裾すそまでも、その青い苗の波つづきである。 ﹁田植が済んだなあ﹂ ﹁あしたは、百十ヵ村で、お祭りするんだと云っています。そのお祭りをするために、気を揃そろえて、何処の村もみんな今日までに植付けを済ましたんだという事でした﹂ ﹁ほう……そうか﹂ ﹁うれしいでしょう……お父様﹂ ﹁お珠……おればかりが欣しそうだな﹂ お珠はドキッとして慌てて、 ﹁そ、そんな事あるもんですか。……私は何も考えてやしません﹂ ﹁じゃあ、云わして貰おうか。欣しいぞお珠、おれは欣しくて、じっとしていられない気がするんじゃ。アア早く明日になれ、百十ヵ村で吹きたたく笛太鼓をおれは聞きたい﹂ ﹁お父様の力で、今までの洪でみ水ずも出なくなり、沼や河原ばかりだったこれだけの広い地面から、苗の青い風がそよそよ吹くようになりました﹂ ﹁わしの力。……そうでない、やっぱりみんなの力だ。ただそれに鞭を打つ鬼があっただけだよ﹂ ﹁もう、鬼なんて、一人だって云ってる人はありません。百十ヵ村の救いの神様だと云ったりして、明日は、この山へ笛や太鼓を担いで来て、お父様をみんなが慰めるんだと云っておりました﹂ ﹁そうだ、お珠。……百姓達はまだ、あの田から、まだこの秋にならなければ、ほんとの米を収と穫ることは出来ないのだ。祭りをしても、それは随分苦しい中の才覚だろう。多年疲れきっている懐ふと中ころへ、少しでも、費ついえをかけては済まん。……お前は、そこの鍵を持って行って、麓の役所に残っている藩のお金をみんな出して、五所川原から酒を買え、有りたけの金で酒や肴さかなを買いあつめてくれ﹂ ﹁えっ、藩のお金ですか﹂ ﹁殿様へ申しわけは、わしが立派にする。恐らく殿様も、お怒いかりはなされまい。――心配せんでいい。この秋には、新田から少なくも一万石の米が収と穫れるだろう。年ごとにもっと収と穫れてゆくぞ。なぜならば、わしの信念が、百姓たちの信念になったからのう﹂ ﹁じゃあ、行って来ます。……いいんですか、ほんとに﹂ ﹁ウム! 今から五所川原まで行けば、夜になる、買物も揃そろうまい、久しぶりでおまえも、町の中で泊って来い﹂ ﹁ことによると、そうなるかも分りませんが、明日の朝は、買物を馬に着けて戻って参ります﹂ 小屋を出て行ったと思うと、お珠は、また駈け戻って来て、 ﹁お父様、福原主水様がいらっしゃいました﹂ と告げた。――その後にすぐ、新しい草鞋をはいた主水の雲うん水すい姿が立った。十五
﹁おわかれに来た。――棟方殿、お欣びはこの間云ったから、今日は、御健在を祈って去る﹂ ﹁ええ旅へか。――まあ上がらんか﹂ ﹁交友は水の如く淡々たるをよしとする――と誰やら云った。そのうちにまた、この地方へ来たら寄ろう﹂ ﹁急だなあ﹂ ﹁ちっとも急な事はないが、これは、坊主の本来の相すがたなのだ。それよりも貴公は体に気をつけてくれ。大望の事業を達成した後というものは、誰しも落がっ胆かりするものだ。髪の毛にも白いものが急に殖えて見えるからなあ﹂ 窓の外で、立話をしたきりで、主水は飄ひょ然うぜんと先の旅へ去った。 ――翌る朝は、夜の明けないうちから、津つが軽るだ平いらの何十里に、笛太鼓の音が流れていた。初夏の薫くん風ぷうに白いつばさを拡げて、青田の上を白しら鷺さぎが群游していた。 五頭の荷駄に十樽の酒をつけ、一頭の馬には肴を負わせ、他にも町の者や百姓達が、手車に何やら積んだり担いだりして、五所川原から朝風の中を急いで来るのがやがて見える―― 祭り囃ばや子しの一組が、それに交じって、景気をつけた。馬の鈴までがすばらしくりんりんと今朝はよく鳴るのだ。 ﹁お珠さんを乗せてゆけ、与右衛門様のお嬢様をここからお祭りしてゆけ﹂ 群衆は、御ごへ幣いを立てて曳ひいていた飾り馬の背へ、無理に彼女を乗せて囃はやし立てた。 麓の役所には、ほかの村々からも、もう何百人もの人々が集まっていて、 ﹁わしら与右衛門様の前へ、何と云って出る面つらあるべえ。あんなお方を怨うらんだり悪く云ったり、面目のうて、仮め面んでもかぶらずば小屋へ行けぬわい﹂ 口々に同じ事を云っていた。 馬の背のお珠を迎えると、彼等は、 ﹁お嬢様あっ……与右衛門様のお嬢様あ……﹂ ただそれだけの事しか云えなかったが、手を振り足を踊らせて歓呼した。 ﹁与右衛門様が、酒下さった、さあ飲めや。おゆるしを待たいでも、与右衛門様はおら達の親じゃ、親の酒じゃ、いただいて一ひと囃はや子しここで囃して登ろうぞ﹂ 狂喜の人々の上に、薫かんばしい酒の香がながれ、踊り出す者を見ると、笛は笛を吹き、太鼓は太鼓をたたき――その者達もまた吹きながら叩きながら踊り出した。 ﹁――変だぞ、お嬢さあん! 早く御ご座ざらっしゃれ﹂ 上の方で、突然誰か叫んだ。見ると、道化面をかぶって先に登って行った者が、それを抛り捨てて、 ﹁小屋の戸が閉まっているままでねえか。――今頃まで、与右衛門様にないこっちゃ﹂ 誰よりも早かったのは、お珠の転ぶように駈けてゆく姿だった。それに続いて、群衆の中からも幾人か蹴つまずきながら飛んで行った。 慌ただしく戸を外された小屋の中へ、きょうも澄みきった空の光と青田一万石を越えてくる風がさっと入った。 ﹁――あれっ、お父さまっ! ……お、おとう様あッ﹂ お珠は、父の体にしがみついて、声かぎりの泣き声を投げつけた。十六
棟方与右衛門は、一室の中央に、何もかも覚悟の上らしく、整然と片づけた中に腹を切って俯うっ伏ぷしていた。
――彼はかすかに顔を揺るがした。苦しげな息とも聞えないがもう弱々しかった。
﹁……お珠、た、たれか。百姓衆のうち、主立った者に、そこまで、来てもらってくれ﹂
﹁来ております。……お父様、縁先にも……うしろにも、村々の年とし寄よりたちが﹂
﹁そうか。……各おの、百十ヵ村の百姓衆に代って、聞いてくれ。遺書にも認したためておいたが、五ヵ年の年月、さだめしこの与右衛門の苛かこ酷くを怨んでいたであろう。鞭で人の子を打った、人の親を打った。また敢えなく幾多の精せい霊れいを犠牲にいたした。この与右衛門の罪は大きい、何で、その村々の者からわしがきょうの祭りの馳走になれよう。……それは御領主にさしあげてくれ。またおぬし達の氏神様へさし上げてくれ。あとは、おまえ達自身を欣よろこべ﹂
弱い息づかいが炎のように急せいて来た。
﹁人をさんざん鞭打ったわしは、最後に、その鞭を自分へ打つ日が来た。……当りまえなことだ。……済まなかったのうみんな、わしは泣きながらおまえ達の子や親を鞭で打って来たが、謝るぞ……謝るぞ……わしの為にしたのじゃない、勘弁してくれい﹂
それで、彼の気持は尽したらしかったが、まだ、微かに何か悶もだえていたと思うと、膝の下から一通の遺書を出して、
﹁お珠……お珠……﹂と、二度云った。
彼女が、やっと答えると、その遺書を手に握らせて、
﹁これを持って、おまえは、安太郎殿のところへ使いにゆけ。……ここにいる村々の年寄に連れて行ってもらうがいい……。よいか、おまえには、ただ、こ、これだ……﹂
血しおの手から、その遺書をポロリと落して、わが娘へ掌てを合せると、がくりっと棟方与右衛門はそのままとなった。
遺書の宛名は、十川安太郎父子殿――
お殊と安太郎の婚礼の式は、与右衛門の喪中であるに拘らず、その秋、新田一万石の初はつ刈かり入いれが済むとすぐ、大きな民衆の力で執り行われ、三日三晩、真実そのものの慶賀を送られた。