一
義よし経つねはもろ肌を脱いで、小こか冠んじ者ゃに、背なかの灸きゅうをすえさせていた。 やや離れて、広縁をうしろにし、じっと、先さっ刻きから手をつかえているのは、夫おく人がたの静しずかの前まえであった。 八月の真昼である。 六条室むろ町まちの町中とは思えぬほど、館やかたは木々に囲まれている。照り映える青葉の色と匂いに室内も染りそうだった。 ――が、静しずかにとって、気になるのは、二十九という良人の若い肉体まで、そのせいか翡ひす翠いを削けずったように蒼あおく見えることだった。 ﹁…………﹂ 蝉せみの声ばかりであった。小冠者は細心に、主君の肌へ火を点じていた。 義経は、熱いともいわず、身もだえ一つしなかった。けれど、見ている静のほうが、その一ひと火ひ一ひと火ひに、骨のしんまで灸やかれるような怺こらえに締めつけられていた。 ︵――お熱くはないのかしら︶ と疑うように、小冠者はそっと、主君の肩ごしにその顔をのぞいてみた。 やはり彼とて熱いには違いない。義経は、眼をふさぎ、奥歯をかんで、鼻びこ腔うでつよい息をしていた。 ――と。ふいに、義経は、 ﹁静しずか﹂ と振向いて、さっきから返辞を待っている妻へ、こう云った。 ﹁通せ、景かげ季すえを。――会ってやろう﹂ ﹁えっ……。では、お心を取直して﹂ ﹁そなたにも、また家臣たちにも、そう心配かけてはすむまい。……今は何事も忍にんの一字が護ご符ふよ。この九郎さえ忍びきればお許ことらの心も休まろう。――通せ、ここでよい。義経が仮けび病ょうでないことも、景季の眼に見せてくりょう﹂二
宇治川の合戦に、名馬摺する墨すみに乗って聞えを取り、その後、頼より朝ともにもお覚おぼえのよい梶かじ原わら景かげ季すえであった。 その頃は、義経の幕下であったが、今日は、鎌倉殿の権力を、背に負っている使者で来たのである。 ﹁異いな臭い……。これはまた、何のけむりか﹂ 景季は、そこへ坐るなり、天井を見まわして、訊ねた。義経は、脇きょ息うそくに倚って、苦笑しながら、灸きゅうをやいていたところ故と答えると、 ﹁そうそう、先頃から、何度訪ね申しても、御病中とのみで、追い返されたが――時に、御容態はいかがでござりますな﹂ ﹁景季。おん身は、義経が会わぬのは、仮病ならんと、家けに人んへ云われたそうなが、篤とくと、この灸の痕あとを見られよ﹂ と、襟えりをはだけて示し、 ﹁兄頼朝へ、其方どものそうした邪推や偏見を、そのまま伝えてくるるなよ、先にも義経は、兄上のおひがみや誤解を解こうものと、病びょ躯うくを押して下ったが、腰こし越ごえにて阻はばめられ、遂に、鎌倉へ入るも許させ給わず、空しく京へ立ち戻って来たが……骨肉の兄と弟とが、かく心にもなく隔へだてられ、浅ましい相そう剋こくの火を散らすことよと、世間の眼にも見らるる辛つらさ。……景かげ季すえ、おぬしら、臣下の者にも分ろうが﹂ 義経は、彼の姿を見ると、云わずにいられなかった。情熱に生き情熱に戦って来た彼は今――平家の旧勢力を一掃して、源氏という、また、鎌倉幕府という新しい組織の段階に入ってくると、もうその役割のすんだ無用の破壊者の如く扱われて、ことごとに、兄頼朝からは疎うとんぜられ、幕府の一部からは曲解をうけた。 ――心外な! 彼はまたそれを、情熱の焔につつんで深刻に悩むのだった。武人の働きや武略を必要とした世情は一転して――新しい段階では、政略家が舞台にのぼり、政治的な整理や工作が、何もかも無視して働いているのだ――というふうに冷然と見ていることができなかった。 また、幕府を繞めぐる北条閥ばつや大江広元などの、いわゆる政治家肌な人たちの中では、義経が、戦時同様な威力をもって、京都守護の任にあることは、何かにつけ都合が悪かった。殊に、後白河法皇の御信任は日に厚く、九条兼かね実ざねなども、義経を無二の者としている傾きがある。――頼朝の心もまた、それには穏やかであり得なかった。 ﹁いや、お暑い折を、押してお目通りを願い、恐縮でした。幕府の使いとしてなれば、御ゆるしにあずかりたい﹂ 景季は、わざと、義経のことばをそらして、威い儀ぎ作った。 ﹁早速ですが、かねて頼より朝とも公から、貴方へ御内命のあった一儀、何故の御延引かと、お怒りでござる。一体、いつお討果しになるお心か、確しかと、その儀を伺いに参った。御返答を賜りたい﹂ ﹁新しん宮ぐうの十郎ろう行ゆき家いえどのを、討てとの、仰せつけのことであるか﹂ ﹁そうです﹂ ﹁行家どのは、兄頼朝にとっても、この義経にも、叔お父じ御ごにあたるお人であろうが﹂ ﹁おことばまでもありません﹂ ﹁しかも、平家追討の折には、河内より兵を引っ提さげられ、摂せっ津つでは、軍船や粮ろう米まいを奉行せられ、勲功もあるお人﹂ ﹁しかし、鎌倉殿には、忠誠でありません。頼朝公を甥おいと侮あなどられ、根が、木曾殿の幕下にあったお方だけに﹂ ﹁理窟は待て。兄上には、すでに、佐々木定綱に命じて、行家どのを討てとおいいつけなされたそうだが、義経は、情において、叔父御を討つに忍びない。――そういう兵馬は義経の旗き下かにはない﹂ ﹁噂には、あなたが、行家殿を匿かくまっておられるとも聞きますが﹂ ﹁知らぬ。あのお方とて、犬死はしとうあるまい。隠れるのは当り前じゃ﹂ ﹁では、鎌倉殿の仇を庇かくまわれて、御命に叛そむかるるお考えか﹂ ﹁たれが﹂ ﹁あなた様が﹂ ﹁ばかっ。――疾とく、帰れっ﹂三
物蔭に聞いていた家臣は胆きもを冷やした。簾の蔭に案じていた静しずかもハッとした。情熱の病人は、遂に、烈火のかたまりを、景かげ季すえへ吐きつけてしまった。 こんな結果になるなら、むしろ仮病と取られても、使者の景季にお会いさせなかったほうがましであったものをと、家臣たちは悔いたが、及ばなかった。憤然と立帰った景季は、即日、六条油小路の旅舎を引払って、鎌倉へ急ぎ帰って行ったという。 ﹁さばさばした。これで、一夕立そそいで来れば、なお、清すが々すがしかろう。――静、雑ぞう色しきに命じて、庭木へ水を打たせい。灯ともしたらまた、そなたの鼓つづみなど聞こうほどに﹂ 義経は、夕迫る縁に立って、崩れる雲の峰を見ていた。 ﹁はい﹂ 彼の妻は、まだ十九だった。 十五、神泉殿の舞楽の日に、初めて義経に想おもわれた。恋を知った十六の春と共に、眉を改めて、白しら拍びょ子うしの群れから去り、その細い腕かいなで養って来た母の磯いその禅ぜん師じと一緒に、この館やかたへ移った静であった。 晴れがましく輿入れした妻ではない。それだけに、妻たる女の真実を、彼女は、良人へも召使にも、無言の真心で示して来た。よしや鎌倉にある良人の兄君からは、まだ一片の便たよりにも﹁弟の妻﹂とゆるされた例ためしはなくても、彼女の心には、何の不足でもなかった。四
鎌倉に帰った梶かじ原わら景かげ季すえは、頼より朝ともへ、こう復命した。 ﹁判ほう官がん殿には、病中と仰せあって、なかなかお会い下さいません。遂に、強たって御威光を以て、お目通りしましたところ、灸きゅうなどすえておられ、御顔色も憔しょ忰うすいの態に見うけられましたが、一日食わず、一夜眠らず、灸などすえれば、病態は作られまする。――行ゆき家いえ追討の御ごじ諚ょうについては、耳もかされず、疾とく帰れとの御一言あったのみ、取りつく島もなく立戻りました﹂ それからまた、都での風ふう聞ぶんとして、義経の行装の豪奢、禁中の羽振り、日常の花かし奢ゃなど、問われないことまで告げた。 ﹁そんな態か﹂ 頼朝の顔いろは動いた。 ﹁仙せん洞とうの御みけ気し色きに諂へつらい、武功に誇り、頼朝にも計らわず、五位の尉じょうに昇るなど、身のほどを忘れた振舞、肉親とて、捨ておいては、覇業の障さわりになる。今のうちに、九郎冠者めを討って取れ﹂ 下げ知ちは、武府に伝えられた。 和田、三浦、千葉、佐々木など、誰もその討手は辞退した。土とさ佐のぼ房うし昌ょう俊しゅんに命が下った。昌俊は、部下の藍あい沢ざわ次じろ郎う、真まか門ど太郎など八十余騎をひいて、京都へ馳せ上った。 ︵――鎌倉殿の討手が京へ急がれた︶ 街道のうわさは、軍馬よりも先に、都へ聞えてきた。洛内の庶民は、もう家財を片づけ出した。義経はそれを、仙せん洞とう御所へ参院した戻り道に見て覚った。 ﹁あわれ、彼等もみな、この義経が、兄に弓引く者と思うているのか。天下、誰あって、この義経の心を知ってくれる者もない﹂ 彼は、牛くる車まの中で嘆じた。――そう淋しく思う時、ただひとり彼の胸には静しずかのすがたがあった。五
﹁京都守護の任にある義経を討たんとすれば、京都は当然兵火につつまれ、ひいては天下の大乱となろう。よろしく彼に先んじて、頼朝追討の院いん旨じを、義経へ下し給うべきである﹂ 大おお蔵くら卿きょ泰うや経すつねは、九条兼かね実ざねや左大臣経つね宗むねや、内大臣実さね定さだなどを説きまわった。後白河法皇のお心もそこに決しられてあるという。 誰も、誰も、義経の心を知らないのだ。 ﹁京へ、鎌倉の兵を入れるな。尾張美濃の境、墨すの股また河がわへ馳はせ下って、義経に、鎌倉討伐の第一箭せんを放たすがよい﹂ 同意は、多かった。 法皇を繞めぐって、活溌な策動が初まっていた。――が、何たることか、その頃もう土佐房昌俊らの手勢は、変装して洛内に入りこんでいたのである。 十月十七日の夜だった。 堀川べりの六条室むろ町まちの館やかたへ、どっと襲よせて、いきなり火を放かけた軍勢がある。義経は、元より何の備えもしていなかったし、その夜、郎党たちは、他の所用に出払って、あらかた留守だった。 ﹁殿っ。夜討ですっ﹂ 佐藤忠信と、四、五の家臣が、大声で広縁から呶鳴った。ばりばりと火のはぜる音がする。庭木へ螢のような火の粉が散っている。 ﹁今参る﹂ 義経はもう身を鎧よろっていた。静が、側にあって、太刀の革かわ、鎧よろいの緒おなど、結んでいた。 ﹁忠信っ、忠信っ﹂ 呼び返して、義経は、早口に命じた。 ﹁そちは、築つい土じを躍りこえて、御所へ急ぎ、火の手に、お案じあらぬよう、義経あらんかぎり、都は焦土とさせませぬと、お取次を以て、聞え上げて参れ。――その足で、出先の郎党どもを集合し、御所を守れ、また市中を警備せよ。義経は、京都守護の任にある者、私邸の火や、土とさ佐のぼ房うごとき小勢の襲撃は、何ものでもない。よいか、急げっ﹂ 云い終ると、静しずかの手から長なが巻まきを受け取って、義経は、わずかの家臣と共に、表門へ斬って出た。静は、良人を送ると、母の磯の禅師の部屋へ、 ﹁母かあ様さまっ――あっ母様、外へ出てはいけません﹂ 叫びながら馳けて行った。 矢も、火の粉も、家のなかまで飛んで来た。凄まじい表の武者声に、彼女の母は、耳をふさいだまま、室の外に俯うっ伏していた。六
外出していた郎党や、新宮十郎行家の兵などが、火の手を見て、馳けつけて来たため、土佐房昌しょ俊うしゅんたちの襲撃隊は、かえって挾はさみ討ちとなってしまった。 昌俊は、追われて、鞍くら馬まへ逃げこんだが、鞍馬の山僧に捕えられて、二十六日、都へ曳かれた。すぐ首斬られて、その首は、六条河原の秋風に黒ずむまで曝さらされていた。 十一月、洛内の動揺は、もう制しきれないものになっていた。鎌倉の大軍が上ると聞えて来たのである。義経も必ず反撃するものと見てか、頼朝自身、黄瀬川のあたりまで、兵馬を進ませて来たともいう。 ﹁……浅ましや﹂ 義経は、心で泣いた。 夜も寝られない容よう子すであった。その良人へ、静は、どんなに心をこめて侍かしずいても、慰めきれない思いだった。――果はては、共に手を取り合って、 ﹁天下の兵を敵とするも、怖ろしくはないが、肉親の兄へ引く弓はない。およそこの身ほど、骨肉に薄はく命めいな者があろうか。襁むつ褓きの中より父ちち兄はら弟からにわかれ、七ツの頃、母の手からもぎ去られ、ようやく、兄君とも会って、平家を討ったと思うも束つかの間、兄たる御方から兵をさし向けらるるとは﹂ ﹁そのお心が、どうして、鎌倉へは通じないものでしょうか。わたくしが兄君様から、弟の妻と、許されているものならば、身を捨てても、鎌倉へ下って、あなた様のお胸のほどを、お訴えいたしましょうものを……﹂ ふたりは身も心も一つに悶もだえ合って、もう大おお廂びさしに木の葉の雨も落ち尽した初冬の夜を泣き明かした。七
風評が風評を生み、今にも大乱と化すように、洛中の貴賤上下の騒ぎが濃こくなれば濃くなるほど、義経の心は、誰にも分らなくなっていた。 頼より朝とも追つい討とうの宣せん旨じは、もう朝議で決定していた。義経の手に下るばかりになっている。ここでも、彼の心を少しでも知ってくれる者は一人もなかった。 叔父の行家さえ、その策動に、夢中になっていた。義経を押立てて、一合戦のもくろみである。堂どう上じょう、世上の人々が、まったく義経の本心を見みう失しなって、ただ血ちま眼なこに騒いでいるのもむりなかった。 ﹁最さい期ごの日が近づいた。――静、そなただけは、確しかと、わしの心を見ておろうな﹂ ﹁仰せまでもございません﹂ ふたりは、密ひそかに誓っていた。犬死する気はないが、そうかと云って、戦う気も飽あくまでなかった。その間に処す身支度だった。 幸いにも、義経の望みは、法皇の御聴許となった。一先ず九州の地じと頭うとして、都を去ることになったのである。 ――が、人々はなお、彼のそんな柔順を信じなかった。彼をよく知る九条兼かね実ざねさえ、その日の日記に、 ︵如何ナル騒乱ニ立チ至ルラン。春カス日ガミ明ョウ神ジンニ祈念シテ、何イズ処コヘモ逃ゲズ、タダ運命ヲマカスノミ︶ と誌しるしているほどであるから、京都の市民が、かつての平家が都落ちの時のように、また、木きそ曾よし義な仲かが乱暴を働いたように、義経の兵も、存分な狼ろう藉ぜきを働いて行くであろうと、怖れ顫おののいていた。 ところが、十一月の霜しもの朝、義経は、赤あか地じに錦しきの直ひた垂たれに、萠もえ黄ぎお縅どしの鎧よろいをつけ、きょう西国へ下るとその邸を出て、妻の静、その老母、その他、足あし弱よわな者たちを、先へ立たせ、わずかの精兵を従えて、御所の門前に、粛しゅくとして整列した。 御みか墻きごしに、院の御所を遙拝して、彼は大地へ両手をつかえた。 ﹁義経、不徳のため、鎌倉どのの譴けん責せきをこうむり、今日、鎮ちん西ぜいに落ちて参りまする。思えば、きょうまでの御ごこ鴻うお恩んは海のごとく、微臣の奉公は一つぶの粟だにも足りません。今一度、龍顔を拝したくは存じますが、武装の甲かっ胄ちゅう、畏れ多く存じますれば、これにてお暇いと乞まごいをいたして立去りまする﹂ 従う人々には、佐藤忠ただ信のぶ、堀弥やた太ろ郎う、伊い勢せ三郎など二百余騎の家けに人ん、みな義経にならって拝をした。そして、粛しゅ然くぜんと、塵ちりも散らさず、都を後に去った。 ――が、摂せっ津つ、兵庫あたりには、早くも頼朝の軍令がまわっていた。諸国の地頭は、義経を討って、鎌倉殿の感賞にあずかろうものと争った。 行こう路ろの難は、そればかりでなかった。大だい物もつの浦から船に乗りこんだ夜、暴あら風しに襲われて、船は難破してしまった。郎党の多くは溺死し、義経は、壊こわれた船を引っ返したが、陸にはまた、執しつこい敵が猛襲してきた。かくて味方とも散ちり々ぢりにわかれて後、義経の足そく跡せきは、四天王寺までは見た者もあるが、そこを立たち退のいた先は、まったく踪そう跡せきを晦くらましてしまった。 伊豆左衛門有あり綱つなと、堀弥太郎景かげ光みつという武士二人。 それと、妻の静に、妻の母の磯いその禅ぜん師じと、わずか四人を連れたきりであったと、四天王寺の僧は、後で、取調べをうけた鎌倉の武士へ語った。八
彼は奈な良らに潜ひそんでいる――という噂うわさがあるかと思うと、 ︵いや、多と武うの峰みねで、それらしい落おち人ゅうどを見た︶ とも聞え、 ︵十津川の筋へ逃げた︶ とか、その他、紀州だ、いや、京都の中に潜伏しているのと、彼の足跡を繞めぐって、神出鬼没なうわさばかり乱れ飛んだ。 鎌倉勢は、その詮せん議ぎに、手をやいた。翻ほん弄ろうされているようだった。躍やっ起きになって、探しぬいたが、手てが懸かりもない。 その前後。北条時政の手勢は、何事か、確証をつかんだものらしく、雪ふる中を、吉野の峰へ馳かけ上って、何の前触れもせず、南なん院いん藤ふじ室むろの僧房を襲った。 ﹁九郎ろう判ほう官がんが、これに潜んでおろう﹂ ﹁存ぜぬ﹂ 白はく眉びの僧が、応答している間に、彼方の蔵ざお王うど堂うの方で、 ﹁いたっ﹂ という兵の声がした。 僧の中で、密告した者がいたとみえる。どやどやとそこへ押入った武むし者ゃば輩らの中に、その僧も立ち交じっていた。 ﹁やっ……。女と老母のみではないか﹂ ﹁これは、判官どのの愛あい妾しょう静しずかどのと、その母御の禅ぜん師じです﹂ 兵を導みちびき入れた僧は云った。 ﹁あ。……静しずかか﹂ 白しら拍びょ子うしの頃から麗名は高い。舞の上手、またなき容色の持主と、誰も聞いている。わけて、九郎判官が、天てん下かに身を容いれる尺せき地ちもなくなった後も、労苦を共にして、連れ歩いている麗人とは、いったいどんな女性かと、武むし者ゃば輩らは、眼を研とぎたてて、まわりに立った。 母おや子こ、ひしと抱き合っているので、一つの大きな繭まゆのように見えた。静しずかのふところに顫わなないているのは老母だった。静は、まわりの刀や槍を、黒い瞳ひとみで、まろまろと見つめながら、母の体のうえに蔽おおいかぶさっていた。 ﹁静っ。――こらっ静っ。……義経はどこへ落ちた。申さぬと、先ず見せしめに、その老おいぼれの首から斬り離すぞ﹂ ﹁知りません。……良人の行先は、何も聞いておりません﹂ ﹁うぬっ﹂ 雪まみれの土足を上げて、一人が蹴とばそうとすると、 ﹁まあ待て、そう怯おびえさせては、口もきけまい﹂ と、他の武者が押し止めて、宥なだめ賺すかしながら訊問した。 ﹁これまでは、良人と共に、辛くも辿たどって参りましたが、深みや山まの雪、母の持病、足手まといと思し召してか、この蔵王堂に四、五日いよ、やがて馬を送りて、迎えをよこすまで――と申されまして、良人とここで別れたまま、先のお行方は存じませぬ﹂ 静のことばは明めい晰せきであった。その落おち着ついた様を見すえて、 ﹁嘘うそでもないらしい﹂ と、武者たちは、麓ふもとの北条時政へ、使いを馳はせて、処置の命を待った。 馬の鞍くらに縛りつけて、すぐ鎌倉へ追い下せとあった。静は、武者の手に引っ立てられる母へ、自分の上うわ着ぎを脱いで老いの肩をつつみ、その耳もとへ、熱い息して囁ささやいた。 ﹁ゆるして下さい。不孝をおゆるし下さいませ。わたくしが、世の常の白しら拍びょ子うしのように、判官様へ無つれ情なくあれば、年老いたあなたに、こんな艱かん苦くはおかけしないでもよいのに……私の婦みさ道おのために……お母様までを、憂うき目めに追いやって﹂九
明けて文ぶん治じ二年の一月末には、静も母も、鎌倉幕府の罪人として、安あだ達ち新しん三郎ろう清きよ経つねの邸やしきに預けられていた。 氷のような吟ぎん味みの床に、静は、幾たびも、坐らせられた。 ﹁義経の行方を云え﹂ との厳問である。 清きよ経つねは、こう責めた。 ﹁そちのように、情じょうの細こまやかな者が、途中で義経と別れ去ったとは腑ふに落ちぬ。どこか、再会の場所を約しているのであろう﹂ 静は、余りに責められるので、幾分、しどろになって、 ﹁いえいえ、一度は私も、お別れするに耐たえかねて、峰みねの一の鳥居あたりまで、お後を慕したって行きましたが、女にょ人にんの入にゅ峰うぶは禁制とのことに、泣く泣く戻って参りました﹂ 吟ぎん味みの筆記が、やがて頼より朝ともの手もとへ上げられて来た。頼朝は、それを見て、 ﹁先に、吉野の蔵ざお王うど堂うで、時政が調べ取ったことばと相違がある。いよいよ、厳きびしく折せっ檻かんして、実を吐はかせい﹂ と、清きよ経つねに対して、不機嫌を示した。 清経は、恐きょ懼うくして、さらに、静を辛しん辣らつに責めた。余りに長い時間を冷たい板床にひき据すえられていたせいか、静は、急に眉をひそめ、蒼あお白じろくなって苦しげに俯うっ伏した。 驚いて、医師を呼び、薬を求めると、医師は云った。 ﹁病気ではない。この容体は陣じん痛つうじゃ﹂ ﹁えっ。陣痛?﹂ ﹁ひどく冷ひえこんだため、早めた容よう子すはあるが、はや八やつ月きは越えている﹂ ﹁さては、妊娠していたのか﹂ 清経は、息を嚥のんで、先頃から自分のした折せっ檻かんが、ひそかに今は自分を責めた。 何しても、騒ぎとなった。しかし、案外に産室へ入ってからは軽くすんだ。産れた子は、男であった。初うい産ざんだし早目でもあったせいか、ふつうの嬰あか児ごより小さかった。 ﹁お母様、見てください。似ておいで遊ばすことを……。このお眼、このお唇くち﹂ 彼女はこの邸が、獄ごく舎しゃであるのも忘れて、掻かき抱いだいては、欣よろこんだ。――お見せしたい、一目でも、かの君にと。 木々の芽めもふく春に向いて、嬰あか児ごの手足は、日ごとにまろくなって行った。父の血をうけて、この子も意志強い容かお貌だちしていた。 ﹁ああ、お目にかけたい。それにしても、わが夫つまは何処の野路を……?﹂ 思うにつけ、胸が傷む。すると怖ろしいほどすぐ乳ちちが止るのである。嬰あか児ごは泣く。――せめてこの啼なき声なと、良人の耳に届とどくすべもないかと、また、涙に溺おぼれてしまう。 ﹁ちッ……。うるさい餓が鬼きだ﹂ 昼夜、室の外に、番をしている詰つめ侍ざむらいが、時々、聞えよがしに、舌打ち鳴らした。 築つい地じの外の桜並木が、枝もたわむばかり咲き誇ってきた。夜も昼も、そこからチラチラ白いものが母おや子この室へ散り迷って来た。 嬰あか児ごは、眸ひとみをうごかしぬく。もうお目が見えるそうなと、老母は、その生いの命ちの育ちをむしろ儚はかなげに呟つぶやいた。静は、花の散るのを見ると、吉野の雪の日が思い出されてならなかった。――別れた人のうしろ姿に、霏ひ々ひと雪ふぶきの吹いていたその日の別離を。――幾たびも振ふり向むいては去った彼の君の眸ひとみを。遂には、雪の中へ泣き倒れて、雪に埋もれていた自分の姿を。十
四月の一日であった。 もう桜も若葉だった。散り消えた花の影が、何か遠い過去であったような心地のする朝。 ﹁折入って、静どのに﹂ と、いつになく丁てい寧ねいに、安あだ達ちき清よつ経ねがはなしに来た。 ﹁ほかでもないが、この四日、頼朝公には夫おく人がたの政まさ子この方と御一緒に、鶴ヶ岡に御参詣がある――﹂ そう前まえ提おきして、清経は、頼朝の命めいとして、次のような事を伝えた。かねて頼朝にも、弟の内縁の静が、神泉殿の雨あま乞ごいの舞楽に、九十九人の舞姫のうちでも優れた白しら拍びょ子うしであったということは聞き及んでいるところから、 ︵四日はちょうど参詣のついで、ぜひ社殿の廊ろうにおいてなと、隠れなき上手の舞をよそながら見たい︶ という熱望だというのである。 捕とらわれて、鎌倉へ送られて来たその当座にも、早速のように、舞を見せろという頼朝の下命はあったのである。――が、静しずかは、どうしても、かぶりを振って肯きかなかった。 手を焼いた前例があるし、こんどは、頼朝のいいつけも、厳重であったから、清経は、この下した話ばなしには、充分周しゅ到うとうな要意を胸に持って、彼女を説いた。 ﹁いちどお目にかかっておけば、お怒いかりの度もよほど和なごもう。舞だに終ったなれば、老母をつれて、京へ帰るもさしつかえないとまで仰せられてある。御老母のためにも……ここ忍しのぶべきところではないかな﹂ 母のために。 そう云われると、否いなむ言葉もなかった。また、良人の義経に対する鎌倉殿の感情が、すこしでも解けてくれたらと、静しずかは、そうした恃たのみも抱いて、 ﹁まだ、良人の生死も聞えず、別離の涙もかわかぬ今、恥かしい身を、鎌倉殿のおん前に曝さらすのは耐えられぬここちがしますが、あわれわが夫つまへの、故なきお怒りが少しでも解とかれたなら、どんなに欣うれしゅうございましょう。恥を忍んで舞に上がりましょう﹂ 恥、怨うらみ、無念――あらゆる胸むな揺ゆらを嚥のんで、きっと、決意をした唇から、静は、遂にそう答えた。十一
その日、清きよ経つねに伴ともなわれて、静は、頼より朝とも夫妻の前に出た。――初めて、実にきょう初めて、わが良人と血をわけている兄なる人と、嫂あによめの君とを見たのであった。
舞ぶで殿んの東ひが側しわきの一段高い席に、頼朝と政まさ子こは居いな並らんで彼女を見た。夫妻は、物珍しいものでも見るように、静のしとやかな礼儀を見まもっていた。
﹁思ったよりは、※やつ﹇#﹁宀/婁﹂、U+5BE0、342-4﹈れてもいない。なかなか気きじ丈ょうそうな女子ですこと。――何か、お言葉をかけておやりなさい﹂
政子に囁ささやかれて頼朝は初めて云った。
﹁静しずかというか﹂
﹁……はい﹂
﹁幾歳になった﹂
﹁二は十た歳ちになりました﹂
﹁二十歳……ほう﹂
夫妻は、顔を見あわせた。何の品しな評さだめをしているのか、静には、その心が酌くめなかった。
﹁愚おろかよのう。まだ年ばえも二十歳を越えず、世に隠れない舞の手も持ちながら、何で、九郎ろう冠かじ者ゃのような、埒らちもない男を恋い慕うぞ。……はははは、酔すい狂きょうな女子よ﹂
静は、水のように、冷やかな感情になった。この良人の肉親は、またその妻である人も、自分を、弟の妻とはまったく視みていないことがよく分った。飽くまで白拍子あがりの遊び女めと遇ぐうしているのである。
︵なんで、こんな人に憐あわれをすがろうぞ︶
彼女は、唇くちをかんだ。愍あわれを乞う者と誤られるのも無念である。涙もこぼすまい。頭も下げまい。
屹きっと、彼女は、胸を上げた。――そしてむしろ愍あわれむべき二個の人形よ! と頼朝夫妻を、その情熱の沸たぎりを持つ黒い瞳ひとみで、じいっと、眼も外らさず見つめていた。
﹁舞え。――起て﹂
頼朝は、急せいた。
﹁はい﹂
静は、きりっと答えた。水色の水すい干かん、真しん紅くの袴。――起って、頼朝の夫妻を、高くから見て微笑んだ。
﹁わたくしの、好きな歌舞でよろしゅうございますか﹂
﹁何なりと﹂
夫妻は共に頷うなずいた。
鼓つづみの上手、工くど藤うさ左えも衛んの門じょ尉うす祐けつ経ねは、はや一ひと拍びょ子うし入れて、此こな方たへ眼を向けた。銅どび拍ょう子しは、畠はた山けや庄まし司ょう重じし忠げただ。――静のすがたを、祐経と挾はさみ合って、床ゆかを取った。
遠く――遠く――静は眸ひとみをやって、なお、舞い出さなかった。恍うっ惚とりと、鶴ヶ岡のここの高さから空を見ていた。行く雲を見ていた。
﹁さっ!﹂
鼓、銅拍子、気を合せて、舞のきッかけを促うながした。――と、空ゆく雲のそれのように、静の水すい干かんの袖が瑤ゆら々ゆらとうごいた。美しい線を描いて舞い初めたのである。
よしの山 峰のしらゆき
ふみわけて
入りにし人の
あとぞ恋しき あとぞ恋しき
眼にはいっぱいな紅涙があった。けれどまた、その眼には頼朝もない鎌倉幕府のふみわけて
入りにし人の
あとぞ恋しき あとぞ恋しき
元より上手に舞おうなどとは、みじん思ってもみなかった。ただ祈るのは、この舞が、良人の恥辱にならないことであった。義経の妻として世の
しずやしず
賤 のおだまき くり返し
むかしを今に
なすよしもがな
――なすよしもがな
むかしを今に
なすよしもがな
――なすよしもがな
歌い終るのと一緒しょであった。彼かな方たの頼朝夫妻の席で、断きって落したように、ばらりッと、簾れんが落ちた。――その簾れん中ちゅうから洩れる怒りの声だった。
﹁八幡の御ごほ宝うぜ前ん、しかも頼朝が前なるも憚はばからず、叛はん逆ぎゃ人くにんの義経を、明らさまに、恋い慕って舞い歌うとは。――ゆるせぬ女、余よを、余を、小馬鹿にした舞ではある!﹂
﹁あなたの御ごふ不きょ興うは、お身勝手というものです﹂
そうたしなめているのは夫人であった。
﹁何が身勝手か﹂
﹁流るに人んとして、伊豆の配所においで遊ばした頃のことを考えてごらんなされませ。私は、静の歌を聞いて、女おな子ごはやはり女子よと、思わず眼がうるんで来ました。……私が、配所にあるあなた様をお慕したいして、闇の夜、雨風の夜も、通かようた頃の心を思い較くらべると、かの女おな子ごの今はさこそと察しやられます。このようなことに、席を蹴って、御不興のままお帰りなどなされたら、坂ばん東どう武者に、あなたの鼎かなえの軽けい重ちょうを問われましょうが﹂
政子は、かえって、機きげ嫌んよかった。静をさしまねいて、卯うの花重がさねの御おん衣ぞを、きょうの纒はな頭むけぞと云って与えた。
静は、舞が終るとすぐ、わき見もせず、清きょ経つねの邸へ帰った。――そして馳かけこむように、乳ちを待つわが子の部屋へ這入ったが、わが子は見えなかった。
﹁……和わ子こよ。和子よ﹂
老母の答えもない。いや、灯とも火しびもない一室の隅に、磯いその禅師は、喪心したようにすすり泣いていた。
﹁和子は、どうなさいましたか。――お母様、わたしの和子は﹂
﹁…………﹂
老母は、ただ泣いて、遠い海うみ鳴なりのする夜空を指さすばかりだった。
﹁――げっ。では……では和子さまを﹂
﹁武者たちが、海のほうへ、引っ攫さろうて行った。――鎌倉殿のおいいつけじゃと﹂