野草雑記・野鳥雑記

野草雑記

柳田國男







 ()()()()()()()()()西()()()()()()()※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)()()()
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 ()()()退()()()()()()()()()()()()()※(「くさかんむり/(楫のつくり+戈)」、第3水準1-91-28)()()
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 ()※(「石+角」、第3水準1-89-6)()()()()



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男やもめとクジナの花は盛り過ぎれば御坊ごぼとなる
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津の国の鼓の滝を来て見れば川べに咲けりたんぽぽの花
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 ()()()()※(「木+(言+睹のつくり)」、第3水準1-86-25)
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 記録保存の意味において、煩わしいけれどもやや多数の実例を挙げて置きたい。ずイタドリについていうならば、その北方の限界は越後であり、南端は土佐の海に及んで、中間にタチヒの領域を包み、九州にはわずかなる浸潤しんじゅんの痕を見るのみである。関東平原の例はなお乏しいが、少なくとも武蔵にはもうこの名は知られている。
イタンドリ        武蔵秩父ちちぶ
イタンドリ        同 西多摩郡氷川ひかわ
イタドリ         伊豆神津こうづ
イタンドリ        駿河するが梅ヶ島
イタンドリ        遠江とおとうみ御前崎おまえざきその他
イタンドリ        三河長篠ながしの
イタンドリ(エドズイコ) 信州諏訪すわ以南
イタンドリ        飛騨ひだ吉城よしき
エダドル(エダロベ)   越中上新川かみにいかわ
イタンドリ        志摩船越
イッタンドリ       伊賀比自岐ひじき
イッタンドリ(スカンポ) 大和やまと月ヶ瀬
イタズロ(ゴンパチ)   同 吉野北山
イッタンドリ       山城伏見
イッタンドリ(イタイトリ)丹波福知山ふくちやまその他
エッタンドリ       同 多紀たき
エタンドリ        播磨はりま加東かとう
イタズリ         淡路沼島
イタズリ(イタンポ)   阿波一宇いちうその他
イタンドリ        周防すおう田島
イタンドリ        石見いわみ那賀なか
イタイドリ        同 太田町
イタズリ(スイジ)    伊予今治いまばり
イタズル(イタンポ)   同 喜多郡
イタズリ         土佐幡多はた
イタズリ         同 沖ノ島
イタドイ         薩摩さつま長島
 以上の区域外にもイタドリといって通ずる土地はなお弘いが、それが在来の語か、はた新たなる匡正きょうせいもとづくものかを、確かめ得ざる場合が多い。信州北部などはこれに反して、幾分著しい転訛があり、また何とかしてこれを解しやすい語に、改めようとする傾向は他の地方にも見られる。実際むつかしい名前には相違ないのである。
イタンドロ(イタンダラ) 信濃東筑摩ひがしちくま
イタンドコロ       同 松本市
イタコン         同 小県ちいさがた郡一部
イタズイコ        同 下水内しもみのち郡等
イッタンダラケ      飛騨高山
エッタスイスイ      近江おうみ一部
エッタノゾウリ(スカンポ)大和五位堂ごいどう
イタロウ         石見波子はし
 これ以外に特に注意するのは、阿波あわの山村や伊予・土佐の各地に、これをイタンポまたはイタンボという例の多いことである。信州の下水内郡のイタズイコなども、スイコは東京でいうスッパグサ即ち酸模すいばのことであるらしいから、イタドリのイタは元来独立して、この植物を意味していたのかも知れぬ。イタンポの後半はスカンポなども同じように、もと小児の間に行われた一種の愛称らしい。虎杖をスカンポと呼ぶ区域も相応に広く、北は越後東は上総、西は瀬戸内海の沿岸に及んでいる。京都郊外の村でスッポン、佐渡の外海府そとかいふでスッポンポンまたはポンポンスイカ、豊前ぶぜん宇佐うさ郡でもスッポンポンというのを見ると、山でこの植物を折取る時の興味が、スカンポという語の人望を助けたかと思うが、それは必ずしも最初からの意味ではなかったようで、上総・下総などで単にスカンポというのは、本来はスカナ即ち酸模のことであった。
 少なくともスカンポのスカは酸いということで、人は先ず里近くに多いスカナからこれを経験し、後に山中の同類にまでその名を推及おしおよぼしたのであった。多分は近世になっての改称であろうか。信州下水内郡のイタズイコなどは、ほぼその変化の過程を推測せしめる。これ以外になお同じ地方には次のような類例がある。
ヤマズイコ          信濃下水内郡等
ウマズイコ          同 更級さらしな
ボウズイコ          同 埴科はにしな
タカズイコ          同 北佐久きたさく
キズイコ           同上
オイランスイコ(スイコンボウ)同 南佐久郡
カラスッパ          同 北安曇きたあづみ
 ()※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)()()()()



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ダンジ        播磨神崎かんざき郡以西
ダイジ        同 加西かさい
ダイジンバ      丹後中郡
ダケダンジ      同 竹野たけの
ダンジ        但馬たじま一部
ダンジ        因幡いなば岩美郡
ダンジ        美作みまさか英田あいだ
タヂナ        備中びっちゅう北木きたぎ
タジンコ       備後びんご深安ふかやす
タジナ(カンポン)  安芸あき賀茂かも
タシッパ       伊予西条
タシッポ(ゴーザ)  同 大保木おおふき
タジナ(ハアタナ)  同 弓削ゆげ
 なおずっとけ離れて、伊勢の度会わたらい郡にもこれをタンバという土地がある。これ等のもろもろの例の中でも、タジナなどはこれを転訛ということさえ出来ぬ。野外で採取する食用品をナと呼ぶことは、殊勝千万なる昔風であって、とても近世人の思い付くべき名称でない。察するところこれ等の地方のみはむしろやや怠慢で、特にこの植物をもてはやして新名を案出しようとしなかったために、古いものが偶然に保存せられたのである。
 そんならこのタチヒの領域に介在して、現在異を立てている方言はどうあるかというと、それにも二通りあって必ずしもすべてのものが、スカンポや竹スイコの如く、後に出来たとも認め難い。その中でもことに自分が心をひかれるのは、次のような一系統の方言である。
サイジ        備前びぜん邑久おく
サイジンコ      美作苫田とまた
サジッポ       備中川上郡
サシッポ       同 小田・浅口郡
サジッポウ(イタドリ)出雲いずも仁多にた
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ハイタ        讃岐さぬき豊島てしま
ハイタ        伊予安居あい
ハアタナ(タジナ)  同 弓削島
ハエタネ       同 伯方はかた
ハイタナ(イタズリ) 安芸倉橋島
サイタナ       周防大島
 これがことごとく虎杖の土地称呼であるということは、比較をして見ぬ人には信じ難いことかも知れぬが、一たび古人の歌詠の中にも現れたるサイタヅマという不思議な語を思い起すならば、それはむしろ語音が時と共に、いかに移り変って行くかを示すべき好個の一例ということが出来る。サイタツマはあるいは単に若々しい春の草のことといい、また虎杖をいうとの口伝もあった。例の『和訓栞わくんのしおり』の増補語林には、「先たつ妻」の義であろうなどと説いている。つまり古人も確かなことは知らず、ただその言の葉の珍しさを興じたのである。そういう部分にはかえって作り事が少ないかと思う。ゆえに自分などは以前ある田舎に、虎杖をサイタヅマという例があって、偶然にそれが京人に面白がられたとしても、少しも意外には考えぬのであるが、今の所ではまだ確かにそうであったとも言われぬ。むしろこれから以後の新らしい調査によって、逆にこの語のかつて存在したことを、推定する方が早路のようである。
 サイタヅマは見た所複合の形で、かつその中にはイタドリのイタを含んでいる。しかし自分の想像では、はたしてこれが虎杖の方言なりとすれば、むしろタジナのタジという語に、前と後とが附加したものだろうと考える。単なる几上きじょうの論としては、本来長かった語が分解して、タジまたはイタを生じたものと言い得るであろうが、それでは私たちの切に求めている変化の理由というものがなお一層不明になる。その上に次に述べるような他の地方の実際ともいよいよ喰いちがうのである。

国の両端の方言


 日本の中央部、全版図の約半分の虎杖方言はこれで一先ひとまず分ったとして、他の半分を占める国の端々が、いかなる異同を示すかをこの次には考えて見る。それが自分には言語成長の歴史を辿たどるべき、最初の手懸てがかりと信ぜられるからである。
 この中でも九州の方面は比較的簡単で、まれにイタドリの浸潤を受けた以外、一二の異称の極めて限地的のものを交うるのみで、大体はサドという語をもって一貫している。
カワタケ       肥前ひぜん南高来みなみたかき
パッパ        対馬つしま豊崎村
ギシギシ       筑前戸畑とばた
カワタケ       豊後ぶんご東国東ひがしくにさき
サトガラ       同 速見はやみ
サド         同 保戸ほと
サトガラ       同 玖珠くす
サド         肥後下益城しもましき
サドガラ       同 八代やつしろ
サド         同 球磨くま
サド         日向ひゅうが東西臼杵うすき
 鹿児島県のみは現在はイタドリで、サドという語が知られておらぬ村が多いかと思う。サドガラのガラは恐らく稈であって、この植物が成長してしまって、茎になって後の名であろうと思うのは、北の方にもそれと同じような例があるからである。
 ギシギシという名はまた紀州の有田ありだ郡などにも飛び離れて存在する。これは虎杖の歯に当る感覚で、あれを愛食する者のあどけない形容のようである。この地方の今一つの方言には、熊野から大和の十津川とつかわまで掛けて、ゴンパチというのがあって系統が不明である。吉野の北山でもゴンパチはイタズロと併存しているから、これもいたって仮初かりそめなる流行に始まるものと見てよかろうと思う。
 それからずっと離れて東北の諸県であるが、こちらは九州のサドと対立して、サシという語を以て一貫している。例は多いからただ要処だけを挙げて置くが、
サシトリ(スカッパ) 津軽
サシトリ(シカンコ) 下北佐井浜
サシトリ(スカンコ) 野辺地のへじ
サシドリ       南部八戸はちのへ
サシドリ       鹿角かづの
サシドロ       南秋田郡
サセドリ(トゴエ)  同郡 男鹿おが半島
サスドリ       羽後亀田
サスガラ       由利郡笹子じねご
サシボコ       同郡 うら
サスドリ       同 田沢湖岸
サシドリ       同 雄勝おがち
シカドリ       同 飽海あくみ郡飛島
 この最終のシカドリは、前に見えるシカンコ・スカンコと共に、もと酸いという点から出たことが想像せられる。そうすればサシドリもまたイタドリと同様に、サシとドリとの複合であって、そのサシは下野の那須、伊勢の一部などのサジッポ、備後のサジナ(『本草啓蒙』による)と一つであるはもちろん、なお九州のサドとも関係があるのかも知れぬ。
 次には南秋田の一部で聴いたトゴエである。土地では近頃北海道の方から、入って来た語のように思っている者もあるが、それは少なくとも半分の誤りである。半分というのは他の一方に、別にこんな語の存立を許す下地のあることを心付かぬからである。同じ東北でもやや手前の方に来ると、他に今一種の名詞がより多く用いられている。
ドンガラ(ドンガメ) 岩代大江郡
ドンゴイガラ     陸前柴田郡
ドンゴロ       越後岩船郡
ドンゴロ       同 粟生あわ
トントンガラ     信濃しなの下水内郡
『静岡県方言辞典』に、この県にもトトクサという区域があるというのは、事によるとこの系統かもしれぬ。北の方の境としては、羽後の横手町のドンガランボ、同仙北せんぼく郡横沢村でもドンガラである。ただし別になおサシドリがあって、葉が出て後はサシドリといい、若いときをドンガラというと報告せられているが、同郡大曲おおまがりではサシドリまたはサシボッコは若芽、そうでない場合がドンガラだという。いずれか一方が思いちがいで、恐らくは大曲の方が正しいのではないかと思っている。土地で確かめてもらえば、わけもなく知れることである故、この点はかの地方の篤志家に一任する。



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ヅクヅクシ      摂津せっつ田辺町
ヅクシ(ヅク)    尾張西春日井郡
ヅンヅクシ      遠江浜名郡
ヅクシ        同 森町
ヅクヅクシ(ヅクシ) 佐渡外海府
ヅクヅクス      盛岡市
 この通り多くの例は、いずれも殊更ことさらにツクの音を濁っている。これは自分にとっては無意味な訛謬かびゅうとは思われぬ。即ち単に「突く衝石つくし」という以外に、更に第二の系統に属する「ぐ」という趣旨が添加していたからだと信ずる。多くの読者はあるいは自分の郷里ばかりの一些事さじなりと考えられるか知らぬが、小児が土筆をはかまの部分から二つに折って、そっと元の通りにして置いて、どこで続いだかをてさせる遊戯は、古いと見えてほとんど全国に行われている。そのためには唄もありまた唱えごともあったので、ヅクヅクは即ちその常用の語として発育したらしいのである。この事を知るには今少しく精細なる比較が入用である。
ヅクヅク       津軽
ヅクヅク       陸中釜石
ヅクヅク       陸前気仙沼けせんぬま
ツギノコ       陸中平泉
ツギグサ       仙台附近
ツギナンボ      野州やしゅう北部
ツゲノコ       下総しもうさ猿島さしま
ツツンギノコ     上野こうずけ邑楽おうら
ツギツギ       越後柏崎かしわざき
ドコドコ       同 西頸城にしくびき
モトモト       越中某地
ドコドコグサ     加賀能美のみ
ツギツギグサ     紀州那賀なが
ツギマツ       土佐
 加賀では別にヘビノロウソク、もしくは蝋燭草ろうそくぐさという名があるのに、これをドコドコ草というのは、次のような童詞があるからである。
どこどこ継いだどこ続いだ
あたまの天井まで皆ついだ
 越後の姫川流域のドコドコにも、
どこどこどこから続いだ
という言葉があり、紀州の有田郡でも
つぎつぎぐさどこ続いだ
というそうである。即ちツクシという語は由緒正しくとも、これ一つからツクツクという名は成長しなかった。誤りにもせよ確かなる根拠はあった。そうしてイズコ(何処)をドコというようになったのは近世だとすれば、その頃以前の世の小児遊戯にも、なおその中間の同じ類の語があったことが知れる。

語義の推移と感化


 同じ「どこどこ続いだ」の遊戯も、土地によって土筆即ち花茎かけいもって行うところもあれば、また杉菜すぎな即ち葉茎ようけいを以てするところもあった。紀州有田郡のツギツギグサなどは杉菜であり、土佐でツギマツというものも杉菜を意味し、土筆はこれをツギノコといえば杉菜の方が前らしい。常陸ひたち那珂なか郡の山村ではツギノコといえば杉菜を意味し、土筆はこれをツギノコノハナと呼んでいる。能登の鹿島かしま郡でスギナノトー、越中上新川郡ではスギナコート、コートはふきなどのとうのことだから、これも杉菜の方を主にしたのである。それから考えて行くと、杉菜はなるほど適切なしかもい名ではあるが、似よった針葉樹も色々ある中に、特にスギという名が弘く行われたのは、やはりまた「継ぎ継ぎ」の遊戯が、この音を耳に親しからしめた結果ではなかろうか。
 その杉菜の方言を調べて見ると、土佐のツギマツという以外に、松にたとえたものも二三ある。例えば
マツナ        肥前南高来みなみたかき
マツナ        筑前
マツブキ       播磨
 この二つは『本草啓蒙』に出ている。今も果してそういうかどうかを知らない。その他
スギナ        遠江竜川村
シギナ        越後粟生島
スイナ        陸中種市たねいち
スギグサ       陸前田代島
ツギグサ       岩代伊達郡
ツギナ        新潟県一部
などが皆杉菜の方言である。越後には草をツギナ、花茎をツギツギという土地があるのではなかろうか。尋ねてたしかめて見たいものと思っている。
 とにかくに特にツギナという語の発生しやすかった事情はあるので、仮に杉菜という方言が独立に始まったとしても、これもツギツギがツクシと連携したように、久しからずして二種の趣旨を混同することになったかと思う。久しく実地を省みなかった人たちには、あるいは信じにくい話であるかも知らぬが、同様の例は弘く捜索するまでもなく、土筆一つについてもなおたやすく次のものを挙げることが出来る。たとえば私の郷里の播磨神崎郡では、杉菜をオスギといい、土筆をホウシといい、そうして次のような童詞があった。
お杉だれの子、ほうしの子
ほうしだれの子、お杉の子
 ()※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)()姿
 
ホウシコ       播磨宍粟しそう
ホウシ        美作久米くめ郡等
ホウシ        備中上房じょうぼう郡等
ホウシ        但馬
ホウシ        鳥取県約一円
ホウシサン      出雲美保関みほのせき
ホシサン、ホーシ   同 松江市
ホシコ        石見太田町
ホウシ        備後深安ふかやす沼隈ぬまくま
ホウシ        安芸賀茂郡
ホウシコ       同 大崎下島
ホウシャヨミノコ   同 倉橋島
ホウシャ       周防大島群島
ホウシコ       讃岐高松その他
ホウシコ       伊予松山・西条等
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ゴボウ        上総望陀もうだ地方
ホトケンボウ     常陸稲敷いなしき
ボウズ        加賀河北かほく
デンボウシ      備前下津井しもつい
ヒガンボウズ     安芸佐伯さえき
ヒガンボウズ     周防玖珂くが
ヒガンボウ      石見大森
ヒガンボウズ     同 那賀なか鹿足かのあし
ヒガンボウズ     長門ながと阿武あぶ
ヒガンボ       伊予喜多郡
ヒガンボシ      同 北宇和郡九島
ヒガンボウズ     土佐幡多はた
ヒガンムウズ     同 安芸郡
ヒガンボウズ     豊前ぶぜん一部
ヒガンボウズ     肥後阿蘇小国あそおぐに
ヒガンボイボイ    日向宮崎郡
 即ち飛び離れた東国の例は別にして、ホウシ区域は西隣では一様に、春の彼岸にもてはやされる法師になぞらえて、随分と気の利いた可笑味おかしみのある方言を採用しているのである。この中でも石見の浜田方面には、
彼岸坊主は誰の子
すぎなのかかあのおとむすこ
という童詞があって、言葉は変っても心持だけは、こんな遠くまでも走り廻っているのである。

隔地共通の例


 ここまで進んで来ると、東京附近や信州などのツクシンボが、二つの方言の複合であることは、最早もはや討論を要せぬと思う。しかもその例は決してある小地域に限られておらず、これも西は九州の端々と、東は奥州の各地とに、看過すべからざる共通を見出すのである。
ヅクボ        筑前戸畑とばた
ヅクボウ       筑後三潴みずま
ツクボンサン     同 柳河やながわ
ツクボウ       佐賀県一部
ヅクボウ       対馬豆酘つつ
ツクボウ       豊後日田ひた
ツクボウシ      肥後鹿本かもと
ツキボシ       同 玉名たまな宇土うと
ツクボシ       同 下益城郡
 これと最もよく似た例は先ず中部日本において見出される
ヅクボ        美濃みの養老ようろう
ヅクボウ       同 根尾谷
ヅキボ        越前大野郡
ヅクンボ、ヅクボシ  三河額田ぬかた
ヅクンボウシ     同 宝飯ほい
ヅクンボ       遠江袋井その他
ツクボウシ      信濃下伊那郡
ヅクンボーシ     同 諏訪郡
 即ち何でもない差別のようだが、ボウまたはホウシという語の、附加したものにも劃然かくぜんたる領域があって、互いに入交ってはおらぬのを見ると、土筆を見て法師の姿を聯想れんそうする習わしは、少なくとも近畿その他のツクシ・ツクツク区域等には、行われていなかったと同時に、ツクシンボというが如き単なる一音節の添加にも、なおそれ相応の意識のあったことは認められる。前田林外君の『民謡全集続篇』に、東京府下の子供唄として、次のような一つが挙げてある。
つくしんぼうやどうしんぼう
彼岸の入りには袴はいて出やれ
 即ちヒガンボウズという方言の領分から、これだけ隔絶した東国のはてにおいてさえも、小児はなお土筆を坊主として待遇することを忘れなかったのである。
 忘れなかったということは、当然に「いつ覚えたか」及び「どうして学んだか」の問題を連れて来る。春の彼岸の頃に里に現れるツクツクボウシと、夏もややおわりに傾いてから庭の樹に来て啼く蝉の声とを、一つの言葉で呼ぶということは、驚くべき無頓著むとんちゃくには相違ないが、とにかくに誤解と称すべきものではない。二つの地方語の間には明らかに関係があり、しかもいずれか一方が正しく他方はこれを濫用したのではないばかりか、むしろ相手がなかったら双方とも、こういう変化は見なかったかも知れぬのである。土筆のツクツクホウシは既に九州に始まり、北は奥州の一端に及んで、その隣のヅクボウと聯絡れんらくを保っている。
ツクツクボウズ    豊前宇佐郡
ツクツクホウシ    大和一部
ツクツクホウシ    紀伊有田郡
ツクツクボウ     同 南牟婁みなみむろ
ツクツクボウシ    伊勢山田等
ツクツクボウシ    近江おうみ八幡はちまん
チュクチュクボン   同 仰木おうぎ
ヂクヂクボウズ    飛騨吉城よしき
ツクツンボ      能登珠洲すず
ツキツッボ      越後一部
ヅヅボウシ      静岡県一部
ツウツンボ      安房あわ千歳ちとせ
ツクツクボウ     磐城いわき石城いわき
 ()()退()()()()()()()()()()()()()()()()()
ヅクヅクホウシ     肥前一部
ヅクヅクッショウ    同上
ツクッショウ      肥後各郡
ツクンビョウシ     近江神崎郡
チュクチュクオイシ   同 仰木村
ツクツクシ       加賀金沢
ツクツクエンヨウシ   越後一部
カタカタキンヨウス   同上
コチョコチョキーヨウス 同 西蒲原にしかんばら
ツクツクヨウス     仙台
ツクンヨン       下野河内郡
ゴトゴトゴイシ     常陸稲敷郡
キタカタゴンズ     下総北相馬きたそうま
ホウセンツクツク    上総夷隅いすみ
ホウエンツクツク    同 長生ちょうせい郡等
などといっている。自分も少年の日に下総北相馬郡にいて、右のキタカタゴンズを聴いた。何か隣の北方という村に、むかし権助ごんすけとでもいう男がいたのではないかと思っていた。最後のホウエンツクツクも法師のことであろうから、とにかくに坊主の聯想は蝉のツクツクの方にも、早くからあったのである。播州ばんしゅう印南いんなみ郡の土筆採りの童詞として、郡誌には次のような唄が載せてある。
つくつく法師出やらんか
親はないか子はないか
たった一人の娘の子
なこどに取られて泣きなさる……
 これは※(「毬」の「求」に代えて「鞠のつくり」、第4水準2-78-13)てまりうたなどになって今も諸国に弘く行わるるもので、本来は雉子きじの歌であった。
山のけんけんきじや何を泣くね
親がないか子がないか
親もあるが子もあるが
たった一人の男の子
鷹匠たかじょうに捕られてきょう七日
七日と思うたら十五日……
というのであったが、土地によってはげんげの花といい、更に転じては「つくつくぼんさん何泣くね」とも歌っていた。それが寒蝉の哀話からまた移って、土筆を見つける際の呪文のようにまでなったのである。これを要するに多くの言語は、興味がこれを培養ばいようして次々に今の形まで成長せしめたので、その久しい前後の伝記を切離きりはなし、単なる一時代の横断面のみをもって、その本質を説こうとするは心得違いなことでなければならぬ。

方言区域の論


 またまた話が長くなったから、もう一隅の残った部分だけを記述して、自分の結論に急ぎたいと思う。東北地方の土筆も太平洋側の半面には、前に引例したごとく自分のいう第一第二の系統、すなわちツクシとツギツギとの交錯にとどまっているらしいが、他の半面の日本海側にはまたやや異様なる変化が認められる。
ヅクベ        秋田市
ヅクベ(ボウズ)   南秋田郡
ヂックビ       仙北せんぼく郡横沢
ヅックベ       同 大曲等
ヅクンベ       河辺郡
ヂクベ        由利郡亀田町
ヅクベ        同 笹子じねご
グウヅベ       飽海あくみ本楯もとたて
 山形県下は大体にほぼ中央部と一致している。さてこのヅクベが単なるヅクボウの音訛であるか、はたまた新種の協定にして、さらに第五の系統を暗示するものであるかは、容易には決し兼ねる。そういう理由は今までに列挙した以外に、なお幾つかの興味ある新称呼が、ことにこの方面に多くかつ成長しつつあるからである。讃岐や豊後の一角に存在するタウナまたはトウナ、越中高岡辺のヅンベラコウの如き異例は除き、他のやや普遍的なる方言は一つには筆にたとえたもの、
フデクサ(ツクツク) 大和十津川
フデバナ       信濃北佐久
キツネノフデ     越後東蒲原
フデノホコ      奥州野辺地のへじ
 二つには蝋燭ろうそくにたとえたもの、
ヘビノロウソク    加賀能美のみ
キツネロウソク    能登鹿島郡
キツネノロウソク   越中入善にゅうぜん
 筆も蝋燭も田舎に知られたのは古いことでないから、この名を使い始めた人々は恐らくは在来のものを見棄てたのである。第二種は少しばかり説明に困るが、ず次のようなものである。
イノノチンボ     信州一部
ネコノチョンボ    越後三川村など
ンマノスッコ     羽後由利郡
ダンベコ       北秋田小阿仁こあに
ヅヅコ        鹿角郡
ヂコババ       津軽小泊こどまり
ヂヂババ       下北佐井浜
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 そこで差当さしあたって自分が分担している方面、即ち物の名の附け方と小児の生活、それから歌というものがどういう風にして口ずさまれるかなどの問題を、雑然としてお話して見ようかと思います。涼しい樹の蔭などがあるならば、立ち止まってしばらくこの顧みられなかった旧事を考えて見て下さい。
 私はすみれという草の地方の名称を比べて見ました。この植物の命名法は、全国を通じてず三種類に分れております。それは最初から三通りあったわけではなく、多分ある年代を隔てて順次に出来たのが、採用されたりされなかったり、したものだと思います。その中で一番古いのはもちろんスミレでありましょうが、古いだけにどうしてそう名づけられたかわかりません。しかし今に知れることと思っています。
 第二にはあの紫の花の形を、こまの顔に見立てた命名であります。この微小なる花に、あの大きな馬の顔をもって来て比べることは、小児の想像力でなければ出来ぬことです。『本草啓蒙』に採集してあるのは、
トノウマ           薩摩
コマヒキグサ         筑後
キョウノウマトトノウマ    筑前
などですが、今もそう言うかどうかわかりません。
 近頃になって知ったのは、
ウシンコッコ、ウンマンコッコ 薩摩
チンチノコマ         駿河駿東すんとう
ベコノツノツキ        羽後秋田郡
殿
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カゲピコ       秋田市
カギヒッパリ     羽後仙北せんぼく
カゲヒキ       陸前登米とめ
カギトリバナ     仙台
カギヒキバナ     同上
アゴカキバナ     越後
ヒッカケ       同 西蒲原
カギバナ       讃岐・伊予
 カギというのはうたがいもなくこの花の馬のあごにたとえられた部分で、現に私たちもこれを引掛け合って、首のむしれた方をまけとして角力を取らせたものであります。
 角力取草という名は車前おおばこその他色々の草に付与せられていますが、菫をそう呼ぶ地方が一番に広い。京大阪を中心として、北陸関東から磐城いわきの一部まで、西南は中国四国にも及んでいます。即ちどうして学んだかこの遊戯が、これだけの間に行われていたのであります。関東の方では大抵スモウトリバナというのは、恐らくは別になお相撲を取らせる草もあったからでしょう。


 次にめずらしい菫の異名は、三河の宝飯ほい郡などでタロンボージロンボーというので、これは俳人等が早くから注意して、太郎坊次郎坊と歳時記類にも出ているそうです。同じ例は近国に多く、
ジロウタロウ     志摩磯郡
ジロヤサブロウ    伊勢相可おうか
ジロウタロウ     美濃恵那えな
 美濃の苗木なえぎなどでは普通にはスモトリバナで、白花の菫をジロバナ、これに対して紫色のをタロバナと呼んでいます。即ち菫に相撲を取らせる場合に、一方を次郎、他の一方を太郎と呼んでいた名残で、『狂言記』の八幡大名はちまんだいみょうなどを聯想れんそうせずにはいられません。
 菫をこの遊戯に使用したのは、多分はこれ等の名前よりもさらに前からでしょう。今一種の異名の、
オソメバナ      信州下水内しもみのち
オソメンバナ     越後中魚沼なかうおぬま
の如きは、今はまだ名の起りが想像しにくいが、
ジンジイバンバア   遠州竜川村
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 秋田県の北部では、杉菜を馬の砂糖という。馬が非常にうまがって食べるからの名らしく、すなわち小児等が砂糖にあり付くようになった頃の新語で、今ならば馬のキャラメルとでもいう所であろう。富士山の南麓なんろく地方には、これをまたウマノゴック、あるいはウマノオコワ(馬の強飯こわめし)という名もある。ゴックは御供ごくうで神に供える飯、即ちまた強飯のことだという。この種の命名の動機が既に古く、いかに祝日の飯がうまかったかもこれでよくわかる。この草の地方名も非常に数が多く、また大抵たいていの人は今でも忘れずにいる。奇抜な例を挙げると信州の北安曇きたあづみ郡でこれを雷のへそ、これただ一つでは何故なにゆえかを知るに苦しむが、他のと比べて見ると意味は「取りにくいもの」というにあったらしい。すなわちこれなどは一つの謎であって、童児の考案とは見られぬのである。杉菜がはたけに入ると農夫は皆困るのは、その根がどこまでも深くて手ではとても抜き切れぬからで、それでまた地獄の鉦紐かねひも(伊豆賀茂)、地獄の釣鉤つりかぎ(駿河庵原いはら)、地獄の鉤つるし(同志太しだ)、あるいは地獄の自在鉤じざいかぎ大隅肝属おおすみきもつき)などの名も各地にあって、地底の国の炉の鉤の紐だなどと、困りながらも農夫がしゃれたのである。
 スギナという名称はこの草の形からと解せられている。九州では筑後久留米、肥前の島原半島などでマツナグサ、または松菜ともいう例があり、杉または松に似た菜という意味で、使っている人も多いのだが、それにも今一つ以前の理由があって変遷したものとも考えられぬ事はない。たとえば淡路の浦村では杉菜でなくツギナ、磐城の相馬ではツギグサ、紀州の有田郡ではツギツギグサ、その他ツギノコ・ツンギノコなどと、呼んでいる村は関東にも多い。こういえば誰でも心付くことであろう。この草は茎のふしやわらかで、はかまの所からちょっと引けば切れる。それを元の通りに袴にさし込んで、「どこ継いだ」と言って相手の児に当てさせる遊戯は、今も東京の郊外をあるいても見られる。それ故にまた信州北部から越後頸城くびき地方にかけてこれをドコドコグサといい、飛騨の高山では直接にドコドコツイダを以てこの草の名としている。仮にスギナという語が前に出来ていたにしても、子供はなおこれをツギナと呼ばずにはいられなかったのである。
 私などの幼少の頃には、この草をオスギと呼んでいた。そうして野に出て土筆つくしを採る際には
ホウシ誰の子 お杉の子
お杉たれの子 ホウシの子
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ことし始めてあわの草取ったけや
粟とハゴジャのわけ知らの(ぬ)
 このハゴジャも中国のとうとうと同様に、「早うごじゃれ」を粗末にいった語で、すなわちこの地方では今はとにかく、前にはえのころをハゴジャと喚んでいたので、それがこの粟とよく似た草の名にもなったのかも知れない。ハグサという標準語は合理化とも考えられるが、この盆踊唄は無論恋の歌であり、これを歌ったのは少女よりも男たちだったかも知れぬが、とにかく彼等は忠実に小児の発明した適切なる草の名を、大人になってからまで守っていたのである。



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カマクラぬ花や手のさきに染めろ
親のゆしごとや胸にそめろ
 即ちこの島でもまた鳳仙花は爪を染める花として、娘たちに知られていたのである。鳳仙花という名をそのままに用いている土地でも、爪を染める子供遊びはまだ多く残っているが、これが成人の化粧でもあったという痕跡はもう見出し得ない。ただ富山県の中部でこの花をケイセバナ、島根県の西端でこれをビジンソウまたはミヤコワスレという名を存するを知るのみである。これ等はもちろん児童の命名でなくて、あるいはただ単に花の色のくれないが、ひなまれなることをめでてつけたのかも知れぬ。



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   19361141
    
   193052555
    
   1928371
    
   1927271
    
   1939141151101
5-86

 
194015
Nana ohbe

201355

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