比較科学論

中谷宇吉郎





 


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「著者は過去の歴史に徴しまた現在の物理学を詮議せんぎして見た時に、少くも今のままの姿でそれ(註、物理学の進歩の経路)が必然だという説明は存しないと思うものである。もしはたしてしからば物理学の所得たる電子等もいまだ決して絶対的確実な実在の意味を持たぬものであって、これに関する観念が全然改造さるる日もあるであろうと信じている」
と断言されている。
 今から考えてみれば、世界中の物理学者がかかって、電子の二次的な性質について、煩瑣哲学的な研究を積み重ねるべく、無駄な努力を払っていたわけである。こういう趨勢すうせいって来たるところは、電子の粒子性の実験結果に誘導されて、いつの間にか、誰もが電子を、野球のボールを極端に小さくしたものというふうに、思い込んでいたからである。電子をそういう「実在」と思い込んでしまえば、それにいろいろな物性を賦与ふよするのも自然の勢いである。まして、昔から物質の第一性質と考えられていた不可入性などについては、疑問をもった人は、ほとんどなかった。しかし先生は、その点までも、はっきりと指摘しておられる。
「もし今日電子の色を黒いとか赤いとかいえば学者は笑うに相違ないが電子が剛体であるとか弾性であるとかいうのはそれほど怪しまない。まして電子の不可入という事について疑う人は極めてまれだといってよい。しかし著者はこの如き仮定の必然性を何処にも認め得ない」といっておられる。これは非常な卓見であって、哲学的考察が物理学においても、如何に必要であるかを物語っている、珍しい例の一つである。
 先生のこの言から数年にして、ド・ブローイによって電子の物性は除外され、シュレーディンガーの式によって規定されるところの形も不可入性もない数学的表現が電子である、ということになった。そしてこの基礎から出発した量子力学が、今日遂に原子力の秘密を解放するまでに発達したのである。


 


 
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底本:「中谷宇吉郎随筆集」岩波文庫、岩波書店
   1988(昭和63)年9月16日第1刷発行
   2011(平成23)年1月6日第26刷発行
底本の親本:「寺田寅彦――比較科学論」新潮社
   1959(昭和34)年4月25日
初出:「寺田寅彦――比較科学論」新潮社
   1959(昭和34)年4月25日
入力:門田裕志
校正:川山隆
2013年1月4日作成
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