一
﹁親分、あっしは、気になってならねえことがあるんだが﹂ ﹁何だい、八、先さっ刻きから見ていりゃ、すっかり考え込んで火鉢へ雲ふ脂けをくべているようだが、俺はその方がよっぽど気になるぜ﹂ 捕物の名人銭形の平次は、その子分で、少々クサビは足りないが、岡っ引には勿もっ体たいないほど人のいい八五郎の話を、こうからかい気味に聞いてやっておりました。 遅々たる春の日、妙に生暖かさが睡ねむりを誘って、陽ひが西に廻ると、義理にも我慢の出来なくなるような薄うす霞がすんだ空そら合あいでした。 ﹁ね、親分、あっしは、あの話を、親分が知らずにいなさるはずはねえと思うんだが――﹂ ﹁何だい一体、その話てえのは? 横町の乾物屋のお時坊が嫁に行って、ガラッ八ががっかりしているって話ならとうに探索が届いているが、あの娘この事なら、器用にあきらめた方がいいよ、町内の良い娘いが一人ずつ片付いて行くのを心しん配ぺえしていた日にゃ、命が続かねえぜ﹂ ﹁冗、冗談でしょう、親分、誰がそんな馬鹿なことを言いました﹂ ﹁誰も言わなくたって、銭形の平次だ、それくらいのことに目が届かなくちゃ、十手捕縄を預かっていられるかい﹂ ﹁そんな馬鹿なことじゃねえんで――あっしが気にしているのは、親分も薄々聞いていなさるでしょうが、近頃大騒ぎになっている本所の泥棒――、三日に一度、五日に一度、選よりに選って大たい家けの雨戸を切り破る手口は、どう見ても人間業わざじゃねえ。石原の親分じゃ心もとないから、いずれは、銭形の親分に出て貰って、何とかしなきゃア納まりが付くめえ――って、先刻も銭湯で言っていましたが、あっしもそりゃアその通りだ、うちの親分なら――﹂ ﹁馬鹿野郎ッ﹂ みなまで言わせず、平次はとぐろをほぐして日ひな向たへ起き直りました。 ﹁へえ――﹂ ﹁へえ――じゃないよ、世間様の言うのは勝手だが、手てめ前えまでそんな事を言やがると承知しねえよ﹂ ﹁相済みません﹂ ﹁本所は石原の兄あに哥きの縄張だ、頼まれたって俺の出る幕じゃねえ。それに、石原の兄哥にケチなんぞ付けやがって﹂ ﹁――ヘエ、面目次第もございません﹂ ﹁馬鹿だなお前は、なんて恰好だい、借金の言い訳じゃあるまいし、そう二つも三つも、立て続けにお辞儀をしなくたってよかろう。それに、膝ひざっ小僧なんか出してさ。一体お前なんか、そんな身幅の狭い袷あわせを着る柄じゃないよ――ウ、フ﹂ 平次もとうとう吹出してしまいました。こうなると、何の小言を言っていたか、自分でも判らなくなってしまいます。 ﹁御免下さい﹂ 折から、入口の格子の外で、若い女の声。 ﹁八、ちょいと行って見ておくれ、どうせお静の客だろうが、生あい憎にく買物に出たようだ﹂ ﹁ヘエ――﹂ ガラッ八の八五郎は、それでも素直に立上がって今叱られたばかりの狭い袷の前を引っ張りながら縁側から入口を覗きましたが、何を見たか、弾き返されたように戻って来て、 ﹁親分、た、大変﹂ 日本一の酸すっぱい顔をします。 ﹁何だ、騒々しい﹂ ﹁石原のが来ましたぜ﹂ ﹁利りす助け兄哥か﹂ ﹁いえ、娘のお品しなさんの方で――﹂ ﹁何だ、早くそう言えばいいのに、丁寧にこっちへお通しするんだ。それから、お茶を入れる支度をしてくれ、――いつまでもそんなところに突っ立ってる奴があるかよ、坐って取次ぐんだぜ、膝っ小僧に気を付けな、お品さんに笑われるじゃないか﹂ 平次は小言を言いながらも、この面喰らった正直者を、庇かばうような眼差しで見送りました。二
お品というのは、石原の利助――平次と事ごとに張合った、本所の御用聞――の一人娘で、この時二十二三だったでしょう。二三年前一度縁付いて、夫に死なれて父親の許へ帰って来ましたが、若後家というよりは、いかにも娘々した、水の滴したたりそうな美しい女振りでした。 襟えりの掛った黄きは八ちじ丈ょう、妙に地味な繻しゅ子すの帯を狭く締めて、髪形もひどく世帯染みてますが、美しさはかえって一ひと入しおで、土みや産げも物のの小風呂敷を、後ろの方へ慎ましく隠して、平次の前へ心持俯うつ向むいた姿は、傲ごう慢まんで利かん気で、苦虫を噛かみ潰つぶしたような顔を看板にしている親の利助とは、似も付かぬ優しさのある娘です。 ﹁お品さんが来てくれるとは珍しいネ、お静は折悪しく買物に出かけたが、どうせすぐ帰るだろう、ゆっくり話していって構わないだろうネ﹂ 小さい時から知っている平次は、ツイこういった、わけ隔てのない心持で、渋い茶などを入れてやりました。 ﹁有難うございます。そうもしてはいられませんが、――実は折入ってお願いがあって伺いました﹂ 娘はモジモジして、何やら言い兼ねている様子です。 ﹁お品さんが、私に? ヘエ――どんな話かは知らないが、私に出来ることなら何なとして上げよう――何、人が居ちゃ言いにくい話? 大丈夫、お品さんも知っている八五郎が一人居るだけで、あとは皆んな出払っている。八なんざ馬みたいなもので、何を聞かしたって構やしない――あッ、そこに居たのか、ハッハッハッハッ、こいつは大笑いだ﹂ 平次の高笑いに吹飛ばされたように、ガラッ八は納まりの悪い顔を、次の間へ引込めてしまいました。 ﹁実は親分、お聞きでしょうが、あの本所の押込み騒ぎ――、昨ゆう夜べは六軒目で、番場町の両りょ替うが渡えと世せい井いづ筒つや屋せ清い兵べ衛えがやられました﹂ ﹁そうだってね、利助兄哥もさぞ心配だろう﹂ ﹁それが親分、困ったことになってしまいました。なにぶん入られたのは六軒とも大きい家ばかりで、盗とられた金も少なくない上、昨夜はとうとう人まで害あやめるようなことになったのでございます﹂ ﹁ほう、それは大変﹂ ﹁井筒屋の旦那が、折悪しく目を覚して、縁側まで出たところを、脇差で袈けさ裟が掛けに斬られたのだそうでございます﹂ ﹁フム﹂ ﹁そうでなくてさえ、石原のも年を取ったとか何とか、世間ではうるさく言いますし、お上の方でもこの間から、何かとやかましくおっしゃいます。石原の利助が、五十近くなって、十手捕縄を召上げられるような事があっては、世間へ合せる顔もないと言って、夜よの目も寝ずに飛廻りましたが、今度ばかりは何としても手掛りがありません。あの負けん気の父が、すっかり気を腐らして、三日前からとうとう寝込んでしまうような始末でございます﹂ ﹁それは気の毒な﹂ ﹁今日も、平ふだ常んお世話になっている、井筒屋の旦那が殺されたというのに、行ってみることも出来ません。子分衆に任せて、一人で気を揉もんでおりますが、御存じの通り、身内にもあまり役に立つのもありませんので、はたで見ている私の方が気が詰まるようでございます﹂ お品は涙ぐましい眼を落して、しばらく声を呑みました。 ﹁それは、さぞお困りだろう、私に出来ることなら、して上げたいが――﹂ ﹁親分、私は親に隠れて、お願いに伺いました。このまま放っておけば、石原の利助の一代の名折れ、十手捕縄を召上げられないものとも限りません﹂ ﹁…………﹂ ﹁日頃は親分との間に、面白くない事もあるように聞かないではありませんが、親分は江戸中で評判の腕利き、それに、人の難儀を黙って見ていらっしゃる性分でないことも存じております。どうぞ、親子を助けると思召して、一と肌脱いでは下さいませんでしょうか、親分、お願いでございます﹂ お品はいつの間にやら、畳の上へ、水仕事で少し荒れているが、娘らしく光つ沢やのある、美しい手を落して、そっと袖口を瞼まぶたに当てました。 若々しいと言っても、御用聞の娘に育って、一度は縁付いたこともあるお品は、こう話をさせると、筋も通り情理も立って、隣の部屋で黙って聞いているガラッ八などよりは、余程性根の確しっかりしたところがあります。 ﹁お品さん、よく判った。実は兄哥にすまないから、遠慮していただけの事で、そんな事に骨惜しみをする俺ではない、何とか角の立たないように、蔭から目鼻を開けて見よう――そう言うと、この平次はひどく器量がいいようだが、決してそんな自うぬ惚ぼれの沙汰じゃない。人が変ると見みよ様うも変って、とんだ手柄をすることがあるものだ﹂ ﹁有難うございます、親分﹂ ﹁まだ礼を言うには早いよ。ところで、縄張違いの私では飛込んで行っても何かと困ることがあるだろう、お品さんにも少しは手伝って貰えるだろうネ﹂ ﹁それはもう﹂ ﹁女御用聞もしゃれているだろう、ハッハッハッ、これは冗談だ﹂ 平次は蟠わだかまりない調子でこう言うと、お品もツイ誘われたように、濡れた顔を挙げて、淋しくニッコリしました。 その時ちょうど、お静も帰って来た様子。 ﹁それじゃ、あまり遅くならないうちに、一と走り番場町の井筒屋まで行ってみてくるとしよう。お品さんは大した用事もあるまいから、お静を相手に、ゆっくり遊んで行きなさるがいい﹂ 平次はガラッ八を促し立てながら、お静と入れ違いに、怪盗の跡を尋ねて、本所へ馳はせ向いました。三
﹁銭形の親分、有難うございました。親分がお出で下されば曲くせ者ものは捕まったも同じことで――﹂ 井筒屋の番頭の言葉は、追つい従しょうとばかりは聞えません。土地でともかく、怖い者に思われている石原の利助さえ来てくれないのですから、主人の命と、二三百両の有あり金がねをやられた井筒屋にしては、その頃評判の御用聞、銭形の平次の顔を見るのは、全く救いの神のようなものだったのです。 ﹁検けん屍しは済んだのかい、番頭さん﹂ と平次。 ﹁ヘエ、昼前に済んで、主人の死体も始末いたしました。人間業らしくない泥棒が、本所中の大たい家けを荒し廻るとは聞きましたが、まさか、人を害あやめるとは思いませんでした﹂ ﹁とんだ災難だったネ﹂ ﹁ヘエ、有難うございます。こんな事と知ったら、場所柄で、関取衆でもお願いしておくのでございました﹂ 平次は番頭の愚痴に追っ掛けられながら、何かと見て廻りました。家族はかなり多おお勢ぜいですが、打ちのめされたように、悲嘆の床の中に居る女房、まだ小さい子供達、奉公人、いずれも疑わしい者は一人もなく、泥棒は明らかにこの間から噂うわさに上っている本所荒らしで、もう六軒も押入ってることですから、家の中では、何にも探しようがあろうとは思われません。 ﹁済まないが番頭さん、雨戸をすっかり締めて、昨夜泥棒が入った時と同じようにして貰えまいか﹂ ﹁ヘエヘエそれは、わけもないことで﹂ 井筒屋の雨戸をすっかり締め切ると、平次は一応外へ出て縁側を一と廻りしました。泥棒の入ったのは、南の縁側、僅わずかばかりの隙すきから鋸のこぎりを入れて、かなり大きい穴を二つまで開けた上、輪わか鍵ぎも桟さんも易やす々やすと外したことはよくわかります。 平次は有合せの鋸を借りて、 ﹁八、手てめ前えこれで外から雨戸を引いてみな、泥棒になったつもりで、出来るだけ静かにやるんだよ﹂ と平次。 ﹁そんな事はやりつけないから、うまく行かないかも知れませんよ、親分﹂ ﹁馬鹿野郎、そんな事をちょいちょいやられてたまるものか﹂ 平次は冗談を言いながら、家の中へ入って、主人の寝部屋に陣取りました。 ﹁ようがすか、親分﹂ ﹁黙ってゴシゴシやりな、いちいち断る泥棒なんてものはないよ﹂ ﹁…………﹂ ガラッ八は、泥棒の鋸引きにした雨戸へ、廻し鋸を入れて少しずつ、少しずつ引いております。 白昼、四方は相当やかましい時ですが、それでも、鋸の音は手に取るよう、両替屋の主人や番頭――日頃窃盗や押込に敏感になっている者が、どんなによく睡ねむっていたにしても、これだけの細工を知らずにいるはずはありません。 ﹁泥棒の入ったのは暁あけ方がただと言ったね、番頭さん﹂ と平次。 ﹁ヘエ――かれこれ、寅なな刻つ︵四時︶過ぎでございましたか、旦那様の声に驚いて、駆け付けた時は、雨戸は一枚開けっ放しになって、薄明りが外から射しておりました﹂ ﹁月はなかったはずだね、昨夜は?﹂ ﹁四月の七日でございます。お月様は夜半にはなくなります﹂ 平次は、薄暗い中で、そのまま腕を拱こまぬきました。 ﹁八﹂ ﹁ヘエ﹂ ﹁もうたくさんだよ﹂ ﹁そう言わずにもう少し、あとちょっとで框かまちに届きますよ﹂ ﹁馬鹿だな、そんな事をしたら雨戸は台なしだ、泥棒ごっこはもうたくさんだよ﹂ ﹁そうですかね、こんなお手伝いならいつでもやりますよ﹂ ﹁呆あきれた奴だネ﹂四
﹁ところで番頭さん、あれだけの鋸引きが、聞えなかったのはどういうわけだろう。あんな大穴を二つもあけるには、どうしたって半はん刻とき︵一時間︶はかかるが﹂ 平次には腑ふに落ちないことばかりです。 ﹁それがネ親分、昨ゆう夜べは狸たぬ囃きば子やしがひどくて、どうしても寝付かれなくって弱ったくらいですから、暁あけ方がたになってぐっすり寝込んだのでございましょう。あんな大穴を開けるのを、目めざ敏といのが自慢の私が知らないはずはありません﹂ 番頭は妙な事を言い出します。 ﹁狸囃子――?﹂ ﹁え、本所七不思議の一つの狸囃子でございますよ。こんな場所ですから、狐や狸のいるに不思議はありませんが、近頃はそれも毎晩のようで、うっかりすると寝そびれて、暁方になってウトウトすることがございます﹂ ﹁それは変った話を聞くものだな、本所の狸囃子というのは話の種にはなっているが、真ほん当とうにそんなものがあるとは思わなかったよ﹂ ﹁知らない方は皆んなそうおっしゃいますが、一度本物を聞くと、不気味でなかなか寝付かれるものではございません﹂ ﹁やはり狸が腹鼓でも打つといったことかネ﹂ と平次。 ﹁そんな手軽なもんじゃございません。太鼓と笛で、馬鹿囃子そっくりですが、それが、遠いような近いような、陰いんに籠こもったような、口ではちょいと申し上げにくいような不思議なものでございます﹂ 番頭はすっかり怯おびえているものと見えて、この話になると妙に眼が据すわって真剣になります。 ﹁笛まで入るのは念入りだネ、どこの森でやっているとか、どこの木立でやっているとか、おおよその見当ぐらいは付くだろう﹂ ﹁それが親分、不思議なんで、ずいぶん腕に覚えのある方が、狸退治をやるんだと言って、囃子の音に見当を付けて、出かけてみるんだそうでございますが、東かと思って出かけると、西の方から聞え、南の方のつもりで探していると、北に移るんだそうでございます﹂ ﹁ヘエ、それは面白いな﹂ ﹁ちっとも面白くはございません。私どもが聞いたんでも、吾あづ妻まば橋しの佐竹様のお屋敷の辺あたりかと思うと、松まつ倉くらの方に変り、原はら庭にわの松しょ厳うげ寺んじの空地かと思うと、急に荒井町の方角に変ったりいたします。狸囃子というものは一体こうしたものなんだそうで、大概の方は狸退治どころか、ヘトヘトになって帰ってしまいます﹂ ﹁いよいよ面白いな、泥棒が狸だとすると、フン捉づかまえると狸汁が出来るだろう。ガラッ八、一杯飲めそうだぜ﹂ 平次はすっかり悦に入って、呆あっ気けにとられているガラッ八を顧みました。 ﹁親分、狸が雨戸を破ったり、人を斬ったりするでしょうか﹂ ﹁そこだよ、俺にも解らなくって弱っているのは﹂ 平次はこんな気楽な事を言いながら、一度締め切った雨戸を開けさせて、今度は、斬られた主人清兵衛の死体を、一応見せて貰いました。 右の肩から胸へかけて、たった一と太た刀ち、袈けさ裟が掛けに斬った手口は、恐ろしい腕前で、とても狸や狐の仕業とは思われません。 ﹁親分、こいつは狸にしちゃ器用すぎますぜ﹂ とガラッ八。 ﹁馬鹿、世の中には、どんな狸がいるか、手前なんかに解ってたまるものか﹂ ﹁そうですかねえ、親分﹂ ﹁ところで番頭さん、その狸囃子は、何なん刻どきほど続くんだネ﹂ ﹁宵から始まって、夜中まで、いやどうかしたら、暁あけ方がたまで続くでしょう。遠くなったり近くなったり、あれが始まった晩は、とても睡ねむられるこっちゃございません﹂ ﹁根気のいい狸だネ﹂ 平次はそれっきり黙ってしまいました。狸に興味を失ったのでしょう。 ﹁八、この泥棒狸の手口は、もう少し見なきゃア解らないようだ。この間から入られた家を、一軒残らず歩くとしよう﹂ ﹁ヘエ――大変ですネ、そいつは﹂ ﹁骨惜しみしちゃ、いい御用聞にはなれないよ。まず黙って伴ついて来な、帰りは石原の利助兄哥のところを覗いて見舞でも言って行こう﹂五
平次とガラッ八は、それから日取りを逆に取って、泥棒に入られた家を六軒、すっかり見てしまいました。 井筒屋の前に入られたのは、原庭の物持ち後ご家けで、お紺こんという四十年配の金貸し、これは幸い怪け我がはありませんが、用よう箪だん笥すごと庭に持出されて、有あり金がね三十両ばかり盗とられたのを、夢にも知らなかったという話、手口は井筒屋と同じこと、雨戸を切り開いた鋸のこ目ぎりめから、宵のうちから、狸囃子が聞えたことまで、そっくりその通りです。家族はお紺の外に用心棒とも手代ともなく使っている嘉かし七ちという三十男と、下女が一人。 その前に入られたのは、中なかの郷ごうの長ちょ源うげ寺んじという寺、これも手口は同じことですが、奪とられたのはほんの二三両、住職がつましいので、金があるという評判に釣られた泥棒の失しく敗じりとわかりました。庫く裡りの雨戸の鋸目から、狸囃子が宵から聞えたことまで型の通りです。 その前は旗本、瀬せが川わ壱い岐き、松倉町の大きい屋敷ですが、身分に恥じて届出もしなかったということで、平次も入って見るわけには行きませんが、手口にも狸囃子にも変りがなかったことは、近所の人が証明しております。 その前は表おも町てちょうの酒屋、和いず泉みや屋とく徳じ次ろ郎う、これも、型の通り、ところで、一番最初に入られたのは、中の郷で、裕福に暮している石いし上がみ左さで伝ん次じという浪人者、二三年前まではさる大藩に仕えましたが病身なのと、殿様が無法なので自分から退転したという五十年配の人物です。家族は内儀と娘が一人、雇人は昔の草履取りであったという四十男が一人。 こう調べ上げて石原の利助のところへ寄ったのは、もう夜でした。 ﹁兄あに哥き、加減が悪いそうだな、どんな塩あん梅ばいだ﹂ ﹁お、銭形のか、遠いところを、わざわざ気の毒だったな、なアに大した事じゃねえが、風邪を引いたのに、疲れが出たんだろう、明日あたりから、仕事の方に取りかかろうかと思っている﹂ 利助は褞どて袍らを引っかけて、長火鉢の前へ出て来ましたが、何となく勝すぐれない顔をしております。 ﹁まア、大事にするがいい、無理をしちゃ後へ悪かろう﹂ ﹁お品の奴が心配して、医者を呼べの、お詣まいりをするのと言うが、この年まで、薬というものを嫌いで通した利助だ、今さらそんな事をしたって、何の足しになるものじゃねえ﹂ 顔色は悪いが、相変らずの利かん気で、平次もすっかり、今日の始末を打明けそびれてしまいました。 そのうちに、お品は、晩の用意をして一本つけて参ります。 ﹁何にもございませんが、有合せで﹂ といったような取りなし、これは馴れ合いずくですから、平次も遠慮するようなしないような、ズルズルベッタリ盃さかずきを嘗なめていると、やがて戌いつ刻つ︵八時︶という頃。 ﹁おや、ありゃ何だい――﹂ 遠くの方から節面白く、太鼓と笛の音ねが聞こえて来たのです。 ﹁あ、また始まりやがった﹂ 石原の利助はあまり気にする様子もありません。 ﹁何だいありゃ、兄哥﹂ ﹁狸囃子さ、馬鹿馬鹿しい﹂ ﹁押込の入った晩には、必ず狸囃子が宵から聞えるっていうが、あの音なんだネ﹂ ﹁世間じゃそんな事を言うが、まさか狸が泥棒と共ぐ謀るになっているわけじゃあるめえ﹂ ﹁いや、そうでもないよ兄哥、俺は一つ、明日は狸狩りをやろうと思うんだが、若い者を少し貸して貰えるだろうネ﹂ ﹁構わないとも、どうせ遊んでいるようなものだ。あの泥棒ときた日には、若い者なんかの手に負える代しろ物ものじゃねえ﹂ 平次は間もなく暇いと乞まごいをして出ました。が、門かど口ぐちへお品を呼んで、何やら耳打ちするとそのままガラッ八をつれて、神田の家とは方角違いの、原庭の方へ道を急ぎます。 ﹁親分、どこへ行きなさるんで﹂ とガラッ八。 ﹁黙ってついて来るがいい、狸のお宿を探すんだ﹂ ﹁ヘエ――﹂ ガラッ八は渋々ながら、平次の後から、影のようにピタリとひっ付いて、やって行きました。 井筒屋の番頭が言ったように、馬鹿囃子はしばらく原庭の方から響いておりましたが、平次が原庭へ行った頃は、いつの間にやら方角が変って、それが松倉の方になっております。 ﹁親分、あまりいい気味じゃないネ﹂ とガラッ八。 ﹁何をつまらない、狸の方でガラッ八さんが怖いって言ってるぜ、黙ってついて来な﹂ 平次は昼一度歩いた通り、原庭の金貸し後家のお紺の家から逆に取って、中の郷の石上左伝次の家まで五軒をいちいち調べて廻りましたが、さて何の掴つかみどころもありません。相変らず狸囃子は、どこからともなく、人を馬鹿にしたような長のど閑かさで聞こえております。 ﹁今晩もまた、どこかへ入られるだろうが、困ったことに防ぎようがない、ガラッ八、帰ろうよ﹂ ﹁ヘエ――﹂ 二人はいつの間にやら大おお川かわ端ばたに出ておりました。 ﹁明日は一つ狸退治だ。畜生ッ、その時こそ逃しはしねえぞ﹂六
翌あくる日の狸狩りは、本所中の物笑いの種になりました。 銭形の平次は、子分のガラッ八を伴つれて神田からわざわざやって来ると、利助の子分を十人ばかり駆り集めて、西は大川、東は業なり平ひら橋ばし、南は北割下水、北は枕橋の間を、富士の巻狩りほどの騒ぎで狩り出したものです。 平次は脚きゃ絆はんに草わら鞋じといった装束で、手槍を担かつぎ、子分達はさすがにそれほど大おお袈げ裟さには用意しませんが、それでもいい若い者が、百姓一揆みたいに、竹槍まで提ひっさげて押し廻したのですから、本所中はお祭のような騒ぎ。 朝から始まって夕刻まで、藪やぶという藪、林という林、墓地から田たん圃ぼから、町家の裏、軒の下、下水の中まで探し廻りましたが、狸はおろか狐も狢むじなも飛出しはしません。見かけたのは野良犬とドブ鼠ねずみがせいぜい、野次馬がゾロゾロついて歩いて、江戸っ子特有の辛しん辣らつな皮肉を浴びせるので、子分達は顔を赤くするような有様です。 陽が暮れて引揚げる時、利助の子分に一分ぶずつはずんだので、その方の悪あっ口こうは封じましたが、世間の噂うわさはまことにさんざん。 ﹁見や、銭形とか何とか言ったって、あの態ざまは何だい。石原の親分が病気でなきゃア、あんな馬鹿なことを黙って見ちゃいめえ﹂ ﹁全くだよ、狸が泥棒したって話は、開かい闢びゃく以来だ。猫に小判ならわかるが、狸に小判じゃ洒しゃ落れにもならねえ。神田からわざわざ本所まで恥をかきに来たようなものさ﹂ いやもう滅茶滅茶です。 平次はしかし驚く様子もなく、一向平気な顔をして、予期した幕切れを待っておりました。 それから三日目、とうとうその日が来ました。 ﹁親分、お品さんが見えましたよ﹂ 取次ぐガラッ八をかき退のけるように、平次は待っていましたと言わぬばかりに飛出しました。 ﹁お品さん、挨拶は抜きだ、あれはどうなった?﹂ ﹁親分、とうとう出かけましたよ﹂ ﹁そいつはしめたッ﹂ ﹁親分に言い付かった通り、押おし上あげの笛ふえ辰たつの家を三日見張っていると、今日昼頃どこかの小僧が使いに来ました﹂ ﹁フムフム﹂ ﹁すると笛辰は夕方からブラリと出掛けたんです。よっぽど後をつけようと思いましたが、万一覚さとられると藪やぶ蛇へびだと思って、とりあえず駕か籠ごでここまで駆け付けました﹂ 駕籠で来たくせに、あまりの緊張にお品は息を切っております。 ﹁それで何もかも片付くだろう。平次の狸狩りにも、見る人が見れば理りく窟つがあるってわけさね、お品さん﹂ ﹁有難うございます。この上はどうか、お出かけ下すって、手配をお願いします﹂ ﹁いや、本所は石原の利助親分の縄張内だ、大急ぎで家へ帰って、どこまでもお品さんが思い付いた事にして、原庭の大だい法ほう寺じ︿あの無住になっている荒寺﹀の経きょ蔵うぞうに手を入れさせるがいい、狸の巣はそこだ﹂ ﹁…………﹂ ﹁狸は弱いから、手先が二人も行けばたくさんだが、金貸し後家のお紺の家には凄すごいのが居るぜ。そこへは利助兄哥と、子分の者十人ぐらいで、すっかり用意をして踏込むがいい、こっちには手強いのが要いる﹂ ﹁親分は﹂ ﹁俺は行くまでもないだろう、狸はもう罠わなに落ちているんだ﹂ ﹁でも﹂ お品はひどく心許ない様子でしたが平次に追い立てられて、石原の家へ駕籠で帰りました。七
その夜の捕物は、平次の狸狩りにもまして本所の人達を驚かしました。
大法寺の経蔵に向った二人の手先は、何の造ぞう作さもなく、その中で馬鹿囃子をやっている、押上の笛辰と、その弟子で太鼓の上手と言われた、三さん吉きちを縛って来ました。
同時に金貸し後家のお紺の家に向った一隊は、そんな手軽なわけに行きませんでしたが、お紺を始め、その手代の嘉かし七ち、下女のお松を、どうやら、こうやら大骨折で縛り上げました。後で聞くと、手代の嘉七は武家上がりだそうで、腕がなかなか確しっかりしていたので、利助の子分に二三人怪我人を拵こしらえましたが、幸いそれも大したことでなくて済みました。
本所を荒し廻った大泥棒、――井筒屋の主人まで殺した曲くせ者ものは、言うまでもなくお紺とその手代の嘉七で、狸囃子は、世せじ人んを惑わして、嘉七お紺の仕事を助ける、笛辰と三吉の仕事だったのです。その後、与より力き笹野新三郎の調べに対して、嘉七は、
﹁ヘエ、誠に恐れ入りました。狸囃子を使ったのは、本所の七不思議をもじったに相違ありませんが、実は貸本の﹃絵えほ本んた太いこ閤う記き﹄から思い付いたことで、日ひよ吉しま丸るが、蜂はち須すか賀こ小ろ六くのところから、刀を盗み出すのに、三晩も続けて笠を雨あま落おちに置き、小六の心を疲らせて、暁あけ方がたウトウトとしたところへ入って首尾よく取ったという術てを用いたのでございます。雨落の笠代りに狸囃子を使ったまででございますが、もう一つ、狸囃子を聞かせたわけは、あの囃子の音に合せて、鋸を引くと、目の覚めているものでも、ちょっと気が付かないからでございます﹂
と言っております。
この手柄を一人占めにして、石原の利助はどんなに面目をほどこしたかわかりません。近頃は利助に愛あい想そを尽かしていた笹野新三郎も、口を極めてその頭のよさを褒ほめました。
が、利助にしては、これほど見当の違ったことはありません。自分が何にも知らないうちに、大手柄をしていたのですから、まるで夢のような心持です。
娘のお品を責めてみると、これはもう、言いたくて待ち構えていたところですから、何もかも平次の指金だったことを一いち毫ごうの隠すところなく言ってしまいました。
薄々平次の息が掛っているとは思いましたが、そう判はっ然きりわかってしまうと、利助もジッとしてはいられません。手てみ土や産げを用意して、神田まで一と走り。
﹁平次兄あに哥き、面目次第もない。何もかもお品から聞いたが、狸囃子の曲者を挙げさせた指金は、兄哥がやってくれたんだってネ﹂
日頃面白くない仲だけに、利助も我慢の角つのを折って、畳に手を突きたい心持になります。
﹁兄哥、冗談じゃない、俺は何を知るものか、狸狩りをやって物笑いの種を拵こしらえただけさ。曲者の巣を突き止めたのはやはりお品さんに相違はないよ﹂
平次はなかなか真ほん実とうの事を言おうとしません。
﹁まアいい、せっかくそう言ってくれるなら、強たって聞くまい。俺の心の中だけで、兄哥の親切を忘れなきゃア――﹂
利助はこんな事を言って、後は、お静の手料理で酒になりました。
*
﹁親分、あっしには腑ふに落ちない事だらけだ、利助親分に手柄をさせた心持はまあ判るが、どうしてあの曲者がお紺の家に居ると解ったんです。後学のために教えておくんなさい﹂
とガラッ八は、利助の帰って行く姿を見送りながら、平次に向いました。
﹁何でもないよ、六軒の雨戸を調べると、あとの五軒は、いかにも狸囃子に合せて、半刻も一刻もかかって引き切ったように、鋸目が細かくなっているが、お紺の家の雨戸だけは、鋸目が荒くて、一気に引っ切ったことが判ったんだ﹂
﹁なるほど﹂
﹁五軒も六軒も荒らした曲者が、物持で通ったお紺の家へ入らないのはおかしいと思われるから、自分の家へも入ったように、嘉七とお紺が細工をしたんだよ﹂
平次の観察は精せい緻ちを極めます。
﹁ところで、大法寺の経蔵でやった馬鹿囃子が、どうしてあんなに近くなったり、遠くなったり、東に聞えたり、西に聞えたりしたでしょう﹂
とガラッ八。
﹁尤もっともな疑いだが、太鼓は風呂敷を被せると音が鈍くなって遠くの方で叩くように聞えるし、笛は上手になると、強くも弱くも自由に吹けるだろう﹂
﹁なるほどね﹂
﹁それから、あの経蔵には、入口が一つと、窓が二つある、その一つ一つを開けたり閉めたりして囃はやすと、音は酒井様のお邸やしきに響いたり、佐竹様の木立に響いたり、どうかすると、大川の方へ抜けたり、いろいろの方角に聞えるんだ。今度一つ試してみるがいい﹂
﹁ヘエ――そんな事もありますかねえ﹂
﹁まだ判らない事があるかい﹂
﹁あの日、昼一度廻ったのに、夜もう一度六軒の家を廻ったのは?﹂
﹁あれは大おお失しく策じりさ、昼は鋸目にばかり気を取られたので、夜もう一度狸囃子をやった場所を探しに行ったんだが、暗くて何にも判らなかったんだ﹂
﹁狸狩りは?﹂
﹁そこで、翌る日狸狩りということにして、土蔵か、穴蔵かともかく、どの方角へも自由に囃子の音を響かせるにいい場所を探したんだ。お蔭で銭形の平次は間抜けになって、石原利助が器量を上げたのよ﹂
﹁つまらない事になったものですね﹂
﹁利助兄哥も、これで引込みが付き、俺もお品さんへの義理が済んだというわけさ﹂
平次はそう言って豊かにガラッ八を顧みました。頭の鈍いガラッ八にも、何となく失しく策じり平次の尊さがわかったような気がしました。