一
﹁親分、面白い話があるんだが――﹂ ガラッ八の八五郎は、木戸を開けて、長なんがい顔をバアと出しました。 ﹁あ、驚いた。俺は糸へち瓜まが物を言ったかと思ったよ。いきなり長い顔なんか出しゃがって﹂ 銭形平次は大おお尻しり端ばし折ょりの植木の世話を焼く恰かっ好こうで、さして驚いた様子もなく、こんな馬鹿なことを言うのです。それが一の子分ガラッ八に対する、何よりの好意であり、最上等の歓迎の辞であることは、ガラッ八自身もよく心得ておりました。 ﹁ジョ、冗談でしょう。糸瓜が物を言や、唐とう茄な子すが浄じょ瑠うる璃りを語る﹂ ﹁面白い話てえのはそれかい、八﹂ ﹁混ぜっ返しちゃいけませんよ。親分が糸瓜に物を言わせるから、あっしは南かぼ瓜ちゃに浄瑠璃を語らせたんで――﹂ ﹁大層こんがらがりゃがったな、――ところでその面白い話てエのは何だい﹂ 平次は縁側に腰をおろすと、煙きせ管るの雁がん首くびで煙草盆を引寄せました。 あまり結構でない煙草の煙が、風のない庭にスーッと棚引くと、形ばかりの糸瓜の棚に、一いち朶だの雲がゆらゆらとかかる風情でした。 ﹁狐の嫁入なんですがね、親分﹂ ﹁狐の嫁入?――娘のおチュウを番頭の忠吉に嫁めあ合わせるというお伽とぎ話ばなしの筋なら知っている﹂ ﹁そんな馬鹿馬鹿しい話じゃありませんよ。何しろ町中の物持が大概やられたんだから、この筋書は容易じゃありませんよ﹂ ﹁独りで呑み込まずに、さっさとブチまけてしまいな。狐の嫁入がどうしたんだ﹂ 平次も少し乗気になりました。この話はどうやら筋になりそうです。 ﹁ツイ十日ばかり前から、荒あら川かわ堤づつみで狐の嫁入がチョイチョイおこなわれるんですよ﹂ ﹁おこなわれるは変だね﹂ ﹁最初はちょうどこの月の始め、雨のショボショボ降る晩でした。戌いつ刻つ半︵九時︶ごろ小台の方から堤の上に提ちょ灯うちんが六つ出て、そいつが行儀よく千せん住じゅの方へ土手を練ったんで、川向うの尾お久ぐは祭のような騒ぎだったそうですよ﹂ ﹁川向うが騒いで、小台の方じゃ騒がなかったのかい﹂ 平次は早くもガラッ八の話の中から疑問をたぐりました。 ﹁そこですよ親分。尾久の方からは、川向うの土手を、提灯が六つゆらりゆらりと練って行くのが見えるが、土手下の小台の方からは、たった一つもそんなものが見えなかったというから不思議じゃありませんか﹂ ﹁フーム、器用なことをするおコンコン様だね﹂ ﹁王子が近いから、いずれ装しょ束うぞ稲くい荷なりの眷けん族ぞくが、千住あたりの同類へ嫁入するんだろうてえことでその晩は済んだが、驚いたことにそれから三日目の晩、また雨のショボショボ降る日、こんどは先のよりでっかい狐の嫁入があったんです﹂ ﹁どうしてでっかいと解った﹂ ﹁その時は提灯が倍の十二でさ、土手を十二の提灯が行儀よく練るのが川に映ってそりゃ綺麗でしたよ﹂ ﹁お前はそれを見ていたのかい﹂ ﹁あっしが見たのは三度目ので﹂ ﹁三度もあったのかい﹂ ﹁だからお話になりますよ。――それから五日目の昨夜、昼頃から誂あつらえたようなショボショボ雨になったでしょう﹂ ﹁フーム﹂ ﹁尾久の友達が前から、打合せてあったんで、大急ぎで出かけました。こんな晩はまた狐の嫁入があるかも知れない、なかったら向う川岸を眺めながら、夜っぴて飲もう――てえ寸法で﹂ ﹁呆あきれた野郎だな。その友達というのは誰だい﹂ ﹁尾久の喜八で、いい年をしているくせにろくな捕物をしたことはないが、酒は滅法強い﹂ ﹁なんて口をきくんだ。それからどうした﹂ 平次はこの狐の嫁入話が、すっかり気に入った様子です。 ﹁待つほどに酔うほどに﹂ ﹁気取らずに筋を通しな﹂ ﹁何しろ日が暮れる前からやっているでしょう。亥よ刻つ︵十時︶近くなって、好いかげんトロリとしていると、川向うにチラと明るいものが出て来た――﹂ ﹁…………﹂ ﹁喜八の家は坐っていて釣つりの出来るのが自慢で、川向うの狐の嫁入見物には、これほど結構な桟さじ敷きはない﹂ ﹁それからどうした﹂ ﹁ショボショボ雨の向う川岸へ出た提灯の数は、なんと今度は三倍の十八じゃありませんか。それが六つずつ三つになって、行儀よく千住の方へ練るから見みも物のでさ﹂ ﹁お前はそれを黙って見ていたのか﹂ ﹁その辺に舟はなし、川へ飛込んだところで、親分が知ってなさる通り徳利でしょう。仕方がないから指をくわえて、喜八と二人であれよあれよ﹂ ﹁間抜けだなアー、なんだって宵のうちから向う川岸に廻って、狐の嫁入を見極めなかったんだ﹂ ﹁向う川岸の小台の方からは、提灯が一つも見えなかったというから不思議じゃありませんか。――小台の衆は、尾久の奴等は臆病だから、そんな物を見るんだろうと言うと、尾久の手合は口く惜やしがって、何を小台の寝ね呆ぼけ野郎――という騒ぎで、こいつはいつまで噛み合せても埒らちはあきませんよ。幸いあっしがこの眼で見たんだから、狐の嫁入が本当に通ることには間違いありません﹂ ﹁話はちょいと面白いが、それっきりじゃ仕様がない。お狐にしちゃ手数がかかるから、いずれは誰かの悪いた戯ずらだろう。提灯屋が喜ぶだけの事さ﹂ 平次は軽く片付けて、もとの植木の方へ、注意が外れてしまいそうです。 ﹁親分、話はこれからですよ﹂ ガラッ八は乗出しました。低い鼻が少しばかり蠢うごめきます。二
﹁たいそう手数のかかる話じゃないか。早く筋をブチまけてしまいな﹂ 平次は不ふし承ょう不ぶし承ょうの顔をネジ向けました。 ﹁狐の嫁入見物で、どの家も空っぽになったところへ、空あき巣すね狙らいが入ったんで﹂ ﹁なんだ、そんな事か﹂ ﹁物持と思われる家は、大抵やられましたよ。もっとも動けない老人や病人が仕様事なしに留守番をしている家は助かりましたがね﹂ ﹁たいそう手数のかかる空巣だが、よっぽど盗とられたのか﹂ ﹁盗られた家は七八軒。金は田舎のことだから、五両か十両でしょうが、品物は随分やられましたよ﹂ ﹁三代前から伝わった紋付といったような品だろう﹂ ﹁それから生物――﹂ ﹁牛かい、馬かい﹂ ﹁人間なんで﹂ ﹁人間?﹂ ﹁清水和助という町一番の大地主で、苗みょ字うじまで名乗る家の掛かかり人うど、お夏という十八になる娘が盗まれましたよ﹂ ﹁フーム﹂ ﹁あっしが見たわけじゃありませんが、綺麗な娘だったそうですよ﹂ ﹁それから﹂ ﹁それっきりで、尾久の喜八も、――こいつはこちとらの手におえないから、銭形の親分にお願いするようにって﹂ ﹁それで尾久から飛んで来たのか﹂ ﹁ヘエ――﹂ ﹁馬鹿だなア、そんな事は尾久で調べ上げれば、半日で解るのに﹂ ﹁半日や一日じゃ解りませんよ﹂ ﹁急所を外れるからいけないんだ。例えばあの辺から江戸へかけて質屋を張らせるとか、提灯屋を当ってみるとか﹂ ﹁喜八の子分が暗いうちに手を廻しましたよ﹂ ﹁提灯を十八も揃えるには、一人で二つずつ持っても、九人の手が要るだろう。多勢組んでいる悪者を捜し出せば、思いの外早く埒があくじゃないか﹂ ﹁九人組なんて大おお袈げ裟さなのはありませんよ﹂ ﹁他に手の付けようがあるものか。――尾久の喜八兄あに哥いがいいようにするだろう。放っておくがいい﹂ 銭形の平次はあまり相手になりたくない様子です。 ﹁でも、親分。喜八は飲みっ振りも、気前も良い男ですよ﹂ ﹁呆れた野郎だ。いやに喜八兄哥の肩を持ってると思ったら、そんな事なのか﹂ ﹁頼みますよ、親分。せっかく喜八があんなに言うんだから﹂ ﹁じゃ手前だけ行ってみるがいい。どうしても手におえなきゃ、その時俺が行ってやろう﹂ 尾久まで乗出すのは、さすがに気がさしたか、平次は容易に御みこ輿しをあげようともしません。 ガラッ八は強たってとも言い兼ねた様子で、そのまま引返しました。 それから二日、紛まぎれるともなく御用にかまけて紛れていると、 ﹁た、大変ッ、親分﹂ ガラッ八の大変が髷まげ節ぶしを先に立てて舞い込んだのです。 ﹁何をあわてるんだ。――尾久から大変の百万遍をやって来たんじゃあるまいな﹂ ﹁親分、落着いていちゃいけませんよ。大変な事が始まったんだ。あっ喉のどが涸かわく、水を一杯――﹂ ﹁お静、八が水を欲しいとよ。そんな小さい茶碗で間に合うものか、手てお桶けごと持って来るがいい。――さア、いったい何が大変なんだ、話してみるがいい﹂ ﹁人間が二人やられて、その上清水の息子が行ゆく方え知れずになりましたよ﹂ ﹁なるほどそいつは大変だ。詳くわしく話してみろ﹂ ﹁詳しくにもざつにも、これっきりですよ。村のあぶれ者で、小こば博く奕ちと強ゆす請りを渡世のようにしている照吉と伊太郎というのが、尾久の土手で斬られて、ひどい死に様で――﹂ ﹁フーム﹂ ﹁その晩、地主の清水和助の一人息子、清次郎という粉しんこで拵こさえたような息子が行方知れずになったんで﹂ ﹁ゆうべは狐の嫁入はなかったのか﹂ ﹁あいにく雨が降らなかったせいか何にもありません。もっとも狐の方でも三人娘を嫁にやってあとは品切れになったのかも知れませんがね﹂ ﹁無駄を言うな、とにかく行ってみようか、少し遠いが﹂ ﹁有あり難がてえ、そう来なくちゃ――﹂ ガラッ八の八五郎は、額を叩いて先に立ちました。神田から尾久まで二里に余る道ですが、こう調子づくと、八五郎は調法なことにほとんど疲れを知らぬ人間です。三
尾久の土手へ行ってみて、さすがに平次も驚きました。田舎のことで、検けん屍しの手が廻らないのか、二人の死骸は筵むしろを掛けたまま、土地の御用聞の喜八が頑張って、一生懸命野次馬を追っ払っておりますが、まだ八州の役人も顔を見せず、江戸の御用聞の平次が来ても、遠慮しなければならぬほどの人間は一人もおりません。 ﹁お、銭形の﹂ 喜八の顔には、救われた者の喜びが漲みなぎりました。 ﹁尾久の兄あに哥き、久し振りだったな。相変らず達者で良いね﹂ ﹁達者なのは口と酒ばかりだ。見てくれ、この通り血の海だが、俺じゃ手の付けようはねエ。八州の役人が来ないうちに目鼻を付けなきゃ、またうんと小言を言われるだろう。それに他の御用聞に嗅ぎ出されて、馬鹿にされるのも業ごう腹はらだ。銭形の兄哥なら――﹂ 喜八がそう言うのも無理はありません。千住の先は江戸の町奉行の管かん轄かつでなく、いわば平次は縄張違いですが、この老御用聞を救ってくれるのは、功名に恬てん淡たんな平次の外にはありそうもなかったのです。 尾久の喜八は土地に根を生はやした良い顔には相違ありませんが、喧嘩の仲裁、もめ事の調停なら知らず、むずかしい捕物となると全くの苦手で、血を見るともう手も足も出ないような、御用聞離れのした男でした。八五郎を拝んで、平次を引出したのは、土地の仲間にこの功名を渫さらって行かれたくないばかりの苦くさ策くだったのです。 ﹁それじゃ、ちょいと覗かして貰おうか。なるほどこいつは?﹂ 平次は筵むしろを剥はいでみて驚きました。照吉と伊太郎はどっちも三十五六、典型的な安やくざですが、実に眼も当てられぬ凄すさまじい死にようをしているのでした。 わけても伊太郎は全身数十ヶ所の傷を受け、最後に左の胸を突かれたのが致命傷で、膾なますのようになってこと切れ、照吉はほんの二三ヶ所のかすり傷を受けただけ、その代り見事な袈裟掛けに斬られて死んでおります。 ﹁銭形の兄哥、もうお役人の見える頃だ。この場の恰かっ好こうだけでも付かないものだろうか﹂ 喜八は独りで気を揉もんでおりました。 ﹁待ってくれ、――この場の恰好だけなら、なんとか付くだろう。その代り後で様子が違っても構わないだろうな﹂ ﹁構わないとも﹂ ﹁もう一つ、念のために二人の懐を洗ってくれ。金は持っていないだろうと思うが――﹂ ﹁不断百も持っていない人間だが、この二三日馬鹿に景気がよくて、伊太郎などは近在の賭と場ばを門かど並なみ荒らして歩いたそうだよ。――なんでも金の実なる木を植えたとか言って﹂ ﹁ところが、伊太郎は財布も紙入も持っちゃいねエ﹂ ﹁おや、変なことがあるものだね、銭形の﹂ ﹁大方そんな事だろうと思ったよ﹂ ﹁…………﹂ そんな事を話しているところへ、土地の御用聞に案内させて、検屍の役人が乗込んで来ました。 ﹁ひどい事をするな。――下手人の目星は付いたのか、喜八﹂ 役人も現場の虐むごたらしさに、ひどくタジタジとなっております。 ﹁ヘエー、大概見当は付いた心つも算りでございます﹂ 喜八は平次に教えられた通り、ひどく簡単に答えました。 ﹁どう付いたんだ﹂ ﹁伊太郎と照吉は無二の仲でしたが、近ごろ伊太郎が何かで儲もうけた様子で、パッパしておりました。多分ゆうべここで出っくわして、照吉が無心を吹っ掛け、それを聴かなかったので喧嘩になったのでございましょう﹂ ﹁フーム﹂ 喜八の鑑定の要領のよさに、役人も、役人と一緒に来た御用聞たちも釣り込まれてしまいました。 ﹁二人はここで、人交えもせずに斬り合っているうち、伊太郎の斬った刀と、照吉の突いた刀とが一緒になり、相討ちになって死んだものでございましょう。その証拠には、二人の長脇差はこの通り血だらけで、一間とは離れずに死んでおります﹂ ﹁フム﹂ ﹁もし、誰か他の者が、この二人を斬ったとすれば、これだけの傷をつけたんですから、うんと返り血を浴びたことでしょう。その辺にマゴマゴしておればすぐ知れてしまいます。土地者には、この二人のあぶれ者を一緒に相手にして、見事に斬り伏せるような、そんな腕の立つ人間はありません﹂ 喜八の説明はいかにもよく行届きます。それを口移しに教えた平次は、八五郎と一緒に役人達に背を見せて、群がる野次馬を追っ払っております。四
﹁有難え。これで俺も坊主にならずに済んだよ、銭形の﹂ 役人と、役人について来た二三人の御用聞の後ろ姿を見送って、尾久の喜八はホッとしました。 ﹁その代り、これからが大変だよ、喜八兄哥﹂ 平次は引返してもういちど二つの死骸を検あらためております。 ﹁大変というと?﹂ ﹁下げし手ゅに人んを捜すんだよ。――それから狐の嫁入を仕組んだ野郎と、泥棒と、人さらいと﹂ ﹁二人は相討ちで死んだんじゃないのか﹂ 喜八の鼻はキナ臭く動きました。 ﹁それは兄哥の顔をつぶさないようにこの場のがれの言い訳さ。相討ちなんかじゃない、立派な下手人があったんだ﹂ ﹁誰だい、そいつは﹂ ﹁あわてちゃいけない。俺は江戸の町方の御用聞だから、八州の役人が頑張っていちゃ、いくら兄哥の手伝いでも仕事が出来ない。こう追っ払っておいて、それから仕事をはじめるのさ﹂ ﹁ヘエ――﹂ 平次の話の意外さ、喜八はすっかり胆きもをつぶしてしまいました。 ﹁第一、昨日まで恐ろしく景気のよかったという、伊太郎が百も持っちゃいないだろう﹂ ﹁フーム﹂ ﹁小判はおろか鐚びた銭せん一枚入った財布を持っちゃいない。照吉の方は財布は持っているが一文なしだ﹂ ﹁…………﹂ ﹁二人が死んだ後で、誰か伊太郎の懐を抜いたに違えねえ。が、こんな虐むごたらしい死骸から財布を抜くのは通りすがりの人間でない事は確かだ﹂ ﹁なるほど﹂ ﹁それに、伊太郎の傷は前から突いた傷だが、照吉は後ろから大おお袈げ裟さに斬られている。背の方が深く斬り下げられているし、前は刃先が浅いから、こいつは間違いはない。こんな具合に前から斬るためには、踏台でもしなきゃなるまい﹂ ﹁フーム﹂ ﹁伊太郎は自分の胸を突かれながら、踏台をして照吉の肩先を斬り下げたか。――照吉が大地に坐って肩先を大袈裟に斬られながら、伊太郎の胸を突いたか﹂ ﹁すると、どんな事になるんだ、銭形の﹂ 喜八はすっかり圧倒されてしまいました。 ﹁照吉は伊太郎より、ぐんと腕が上だろう﹂ ﹁その通りだ。二人が相討ちになったと聞いて、照吉の野郎よっぽど運が悪かったろうと思ったよ﹂ と喜八。 ﹁照吉はほんのかすり傷を受けただけだが、伊太郎は滅茶滅茶に斬られている。たぶん照吉は伊太郎の胸を一と突き、――首尾よく片付けてしまってほッとしたところを、誰かに後ろから袈裟掛けに斬られたんだろう﹂ ﹁なるほどその通りだ﹂ 平次の説明は痒かゆいところへ手の届くようでした。 ﹁それだけは解ったが、照吉を殺して財布を抜いたのは誰か。それをこれから捜さなきゃなるまい﹂ ﹁?﹂ ﹁掛り人の娘を誘かど拐わかされた上、息子が行方不明になったという、地主の清水のところへ行ってみようか。――八、お前は喜八兄哥の身内の衆に案内して貰って、土地の質屋と両替屋を片っ端から調べてくれ。品物は隠しておくかも知れないが、空巣稼ぎで金を盗んだ奴は、三日と費つかわずにいる気遣いはねエ﹂ ﹁ヘエ――﹂ 八五郎は喜八の子分を二三人駆り出して、八方に散りました。二つの死骸はもう検屍が済んで、町役人に引渡したのです。五
清水和助というのは、尾久の半分ほども持っていると言われた大地主で、先代は苗みょ字うじ帯たい刀とうを許されたほどの大百姓ですが、和助は養子で、早く女房に死に別れた上、なんの因果か子供運がなく、たった一人の男の子で、二十三になる清次郎というのを、杖とも柱とも頼む贅ぜい沢たくなうちにも淋しい生活でした。 もっとも親類から預かったお房という二十歳の娘があり、世間ではそれを清次郎に娶めあ合わせることとばかり思い込んでおりましたが、どうしたことかそんな様子もなく、半年ほど前から清水家に掛り人になっている、お夏という十八になる娘と、この秋は祝言させるということに話が決っているのでした。 ﹁江戸の町方のお方?――そうですか。私は和助、倅の行方を突き止めて下すって、無事に戻りさえすれば、お礼はどんなにでもします。どうぞ、一と骨折ってみて下さい﹂ 主人の和助は、喜八、平次の二人を迎えてこんな事を言うのです。五十前後の脂あぶらの乗った中老人で、物欲の旺おう盛せいらしいのと、何事も金で始末の出来ないものはないと思い込んでいる様子で、ひどく平次の癇かんにさわります。 ﹁養い娘のお房さんというのがあるのに、どうして、そのお夏さんというのを嫁にすることになったんです﹂ 平次の最初の問いはこういったものでした。 ﹁お夏の父親は私の昔の友達で、恩がありますよ。それに、倅がお夏でなきゃと言うので――﹂ 和助の顔には苦くじ渋ゅうの色がアリアリと刻きざみ付けられました。 ﹁そのお房さんとやらに逢わせて下さい﹂ 平次はこの欲の深そうな主人と長く話しているのが鬱うっ陶とうしくなった様子です。 お房というのは二十歳というにしては少し老けた方で、決して綺麗ではありませんが、なんとなく智的な感じのする娘でした。 ﹁お前さんはお房さんというんだね﹂ ﹁ハイ﹂ お房は淋しく俯うつ向むきました。 ﹁この家とどんな係り合いがあるんだ﹂ ﹁私は旦那様の甥おいの娘で、遠い親類ですが小さい時両親に別れて、ここに引取られました﹂ ﹁主人はよくしてくれるだろうね﹂ ﹁それはもう﹂ 弁解するような調子のうちに、何かしら悲しい語気が潜ひそみます。髪形も着ているものも、至って質素で、若いにしては智的に見えるのは、そのためだったかも知れません。 ﹁お前さんはここの嫁になるはずじゃなかったのか﹂ 喜八は遠慮のない事を言いました。 ﹁いえ、とんでもない﹂ ﹁すると、お夏が嫁になっても、不服はないわけだね﹂ ﹁…………﹂ お房はうなずきました。 それから平次は主人の部屋、お夏の部屋、倅の部屋などを見せて貰い、物置と納戸と土蔵まで念入りに調べさせて貰いました。 ﹁まさか土蔵に隠れているような事はあるまい﹂ と喜八。 ﹁人間は隠れちゃいないが、――俺は提灯の数を勘定したんだ﹂ 平次は変なことを言います。 ﹁提灯がどうしたというんだ﹂ ﹁これほどの大家に提灯が二つしかないのを変だとは思わないか、兄哥﹂ ﹁そういえばその通りだが――﹂ ﹁狐が持出したかも知れない。とにかく、提灯を掛ける釘が十三遊んでいるよ﹂ 二人は雇やと人いにんたちに逢って、お夏の身の上のことを訊きましたが、誰も詳しく知ってる者はありません。 ﹁親分﹂ 清水の門を出ると、不意に声を掛けた者があります。 ﹁あ、与よさ三ま松つか﹂ 喜八は鷹おう揚ように挨拶しました。相手は四十年輩の堅気ともやくざ者ともつかぬ男。 ﹁ちょいとお耳に入れたいことがありますが﹂ ﹁ここで言うがいい。――この人は俺の友達だよ。構わないとも﹂ 喜八は平次を友達にしてしまいました。幸い江戸を離れると、神田の銭形平次もあまり顔を知られてはいません。 ﹁外じゃございませんが、――行方知れずになった清水さんの掛り人のお夏という娘のことを、どうかしたら、浪人者の大井半之助さんが御存じじゃありませんか﹂ ﹁それはどういうわけだ﹂ ﹁親分は御存じじゃありませんか、――大井さんというのは、あの娘の後を慕って、ここへ来た人ですよ﹂ ﹁…………﹂ ﹁お夏さんの父親は清水の旦那の若い時分の友達で、昔は江戸で一緒に仕事をしたが、清水の旦那はすっかり残して尾久に引込んであの身しん上しょうを拵こしらえ、お夏さんの父親は、商売の縮しく尻じりから、二三年前首を吊って死んだという話ですよ﹂ ﹁フーム﹂ ﹁その娘を清水の旦那が引取ると、浪人者の大井半之助さんが付いて来て、近所に家を借りて見張っているんです。大変な執しゅ心うしんですよ﹂ ﹁有難う。それだけ訊くと大変役に立つ、――一つその大井とかいう人に逢ってみようか、兄哥﹂ 平次はさっそく新しい手掛りをたぐりました。 ﹁無駄だろうと思うよ。浪人者といっても、生っ白い弱そうな武家で、朝から晩まで本を読んだり歌を作ったり、女のするような事ばかりしている男だ。若い娘を誘かど拐わかしたり、腕っ節の強いやくざを二人殺したりするような、そんなことの出来る柄じゃない﹂ 喜八は頭から相手にしません。 ﹁でも、武家は心得がありますよ。弱いようでも、いざとなれば、こちとらの二人や三人はどうにでもなりまさア﹂ 与三松もなかなか主張がありそうです。 ﹁じゃ行ってみるとしようか﹂ 平次はその弱い武家に興味を持ち始めた様子です。六
二人はすぐ近所にささやかな借屋住いをしている、浪人大井半之助を訪ねました。﹁弱い武家﹂で通っているだけに、二十五六の良い男ですが、華きゃ奢しゃで柔和で、どう見ても人間を誘かど拐わかしたり、やくざ者を斬ったりする柄とは思われません。 ﹁お聞きでしょうが、清水屋敷のお夏さんが行方知れずになりました。旦那は前からお夏さんを御存じのようですが、お心当りはございませんか﹂ 喜八の言葉は丁寧ですが、抜き差しならぬ言質を掴つかもうとする意気込みだけは猛烈です。 ﹁知らない。――何にも知らない。それで実は私も心配しているのだが――﹂ 読みさしの本も手に付かない様子、腕を拱こまぬいて、青々した月さか代やきを見せます。 ﹁お夏さんと、清水の旦那はどんな係り合いになっておりましょう﹂ ﹁その事ならよく知っている﹂ 大井半之助の説明は長いものでしたが、一と口に言うと、今から二十五六年も前お夏の父石崎金次という浪人者と、今は清水の主人になっている和助が、江戸で落合って懇こん意いになり、木き曽その御おと留めや山まを伐きり出して巨万の暴富を積みました。 その後和助は尾久に帰って清水の養子になり、持参金で財産を整理して、今日の大地主になりましたが、石崎金次はその後も清水和助の資本でいろいろの仕事をつづけ、二三年前旧悪が露見して、千住の宿で自殺して相果てました。 石崎金次の死には、かなり疑わしいものがありましたが、日蔭者の悲しさは、それを発あばき立てるわけにも行かず、娘のお夏はまもなく清水和助に引取られ、尾久の屋敷につれて来られて、和助の倅の清次郎が望むままに、嫁にすることになった様子です。 大井半之助は石崎金次の悪事を憎みながらも、その娘のお夏の美しさに引かされ、子供の時から親しくしておりましたが、お夏が尾久に引取られてからは、浪人者の気楽さ、後を慕ってここへ移り住み、蔭ながらお夏の安否を見みま護もっていたのです。 ﹁こんなわけだ。――これ以上の事は何にも知らない。お夏が逃げ出したものなら、自うぬ惚ぼれのようだが、この私のところより外に行く場所はない。ここへ姿を見せないところを見ると、たぶん悪者に攫さらわれたのであろう﹂ 半之助はそう言って暗然と頭を垂れるのです。 平次と喜八は浪宅を出て二三十歩行きましたが、フト平次は立止まって、 ﹁どうかすると、あの家にいるかも知れない。行ってみようか、兄哥﹂ ﹁なんだい﹂ ﹁まア、見付けてからの事だ。この八はっ卦けは当らないかも知れないから﹂ 二人はもとの大井半之助の家へ引返すと、一応断って、裏の物置を開けて貰いました。 ﹁この物置は滅多に使うことはあるまいね﹂ 平次は案内の婆やさんに訊きます。 ﹁もと百姓家で使った物置だから、あんまり広くて役に立たねえよ。近頃は三月も開けたことがねえだ﹂ ﹁そうだろう﹂ そう言いながら中へ入った二人、 ﹁あっ﹂ 喜八は思わず声をあげました。広い物置の隅に、各種各様の提灯が十七八、蝋ろう燭そくも抜かずに滅茶滅茶に積んであるではありませんか。 ﹁こんな事だろうと思ったよ。狐の嫁入の道具が、やはり川のこっちにあったんだ﹂ 平次はそれを予期した様子で一向驚く色もありません。 ﹁縛ってしまおうか﹂ 喜八は犇ひしめきます。 ﹁誰を?﹂ ﹁知れたこと、あの弱い浪人者だよ﹂ ﹁冗談じゃない。自分が細さい工くした狐の嫁入道具なら、自分の物置へ隠しておくものか、あの浪人者を縛ると、とんだ事になる﹂ ﹁それじゃ?﹂ ﹁もう少しあちこち歩いてみよう﹂ 二人はまた川岸っぷちの方に取って返すと、八五郎と下っ引二三人が勝ち誇った様子で飛んで来ました。 ﹁親分﹂ ﹁両替した奴が判ったか﹂ ﹁みんな判りましたよ。それから蝋燭を買った野郎も――﹂ ガラッ八はすっかり弾はずみきっております。 ﹁なるほど、そこまで気が付けば大したものだ。ところで、そいつは、伊太郎か照吉か﹂ ﹁あッ、親分も訊いて歩いたんで?﹂ ﹁歩きはしないが、見当だけは付いているのさ﹂ ﹁そんなによく解っているなら、あっしが汗を掻くまでもないでしょう﹂ ﹁まア怨うらむな。足で取った証拠でなきゃ、真実の証拠にならない﹂ 平次は八五郎を撫なだめながら、次第に川岸っぷちを遡さか上のぼって行きます。 ﹁何を捜すんだ、兄哥﹂ と喜八。 ﹁あれだよ﹂ ﹁こいつは、清水屋敷の舟だが?﹂ 平次の指さしたのはこの辺の川を渡すのに使う舟で、何の変哲もなく、岸の杭くいに繋つないであるのでした。 ﹁この舟で渡って、川向うの土手で狐の嫁入をやったのさ﹂ ﹁この小さい舟に九人も乗ったかい﹂ 喜八はまだ狐の嫁入行列を九人以下ではないと信じている様子です。 ﹁いや、たった三人さ。その舟の中に三間以上の棹さおが三本もあるのは不思議だと思わないか﹂ ﹁?﹂ ﹁川舟の棹は大抵二本に決ったものさ。一本では流したとき困るが、三本は多すぎるよ﹂ ﹁その棹一本に提灯を六つずつブラ下げられるだろう。――最初の晩は一人でやったから提灯が六つさ。二度目は二人でやって、三度目は三人でやった。三人の人間が銘々提灯を六つずつブラ下げた棹を持って川向うの土手を歩いたから、こっちから見る人間は驚いたわけだ。――それも雨のショボショボ降る晩に限った。川向うの人達に見付けられたくないからだ﹂ 平次の絵解きは奇抜ですが、今はもう何の疑いもありません。 ﹁そう言えば提灯は六つずつ三つ別々に揃っていたような気がする﹂ ガラッ八もその晩のことを思い出します。 ﹁こっちからだけ提灯が見えて、川向うの小台の方からは何にも見えなかったのはどういうわけだろう﹂ と喜八。 ﹁俺には見当だけは付いているが、これも証拠がないからはっきりは言えない。――たぶん提灯一つに菅すげ笠がさ一つずつ下げて、向う側へ灯あかりの見えないようにしたんではないかと思う。どこかに菅笠を十八積んであるよ﹂ 平次はそんな事まで考えているのです。七
ここまで突き止めて、これから先はハタと行詰りました。
相変らずお夏と清次郎の行方は解らず、伊太郎と照吉の相棒の見当も付きません。
日が暮れると、一応喜八の家へ引揚げて、平次と八五郎と三人、額を鳩あつめましたが、こうなると平次にもなかなか良い智恵が浮かばなかったのです。
﹁たった一つ術てがあるんだが――﹂
平次は言いたくないことを言う様子でした。
﹁何でもやってみようじゃないか、銭形の。考えがあるなら言ってくれ﹂
喜八は膝を乗出します。
﹁変なことを訊くようだが、この辺で俺の名前を知ってる者はあるだろうか﹂
平次は恐る恐るこんな事を言うのです。
﹁神田の銭形平次兄哥を知らない者があるものか。顔を知らなくとも、名前だけは子供でも知っているよ。身に覚えのある野郎は、銭形と聴いただけでも身みぶ顫るいする﹂
気の良い喜八は立てつづけにこんな事を言うのです。
﹁そんなに煽おだてちゃいけない。じゃ――喜八兄哥の言うのを半分に聞いて、いよいよたった一つの術に取りかかってみよう。――ここに居るだけの人数で、尾久一杯に触れ廻して貰いたいんだ﹂
﹁何を触れるんだ﹂
﹁――神田の平次が来て、下手人の目星が付いたそうだから、明日は伊太郎照吉殺しも、お夏と清次郎の誘かど拐わかし野郎も縛られるに違いないとこう言うんだ﹂
﹁本当かい、そいつは﹂
﹁まア、本当にしておいてくれ。――髪結床、居酒屋、出来ることなら村中の者皆んなに聴かせたい﹂
﹁そんな事ならわけがあるもんか。サアもう一度皆んなで行ってくれ﹂
﹁合点だ﹂
子分達はゾロゾロと出動して行きました。
﹁あっしは? 親分﹂
残ったのは八五郎と喜八だけ。
﹁さて、一番怪しいと思うのは誰だろう﹂
平次は妙な事を言い出しました。
﹁浪人者の大井半之助だ﹂
喜八は言下に応えます。
﹁川向うで嫁入行列をやったのは三人、その間に空巣狙いをやったのと、お夏を誘かど拐わかしたのが一人か二人あるはずだ。――そのうち伊太郎と照吉は死んでしまった﹂
と平次。
﹁あと二人あるわけだね、親分﹂
﹁三人かも知れない。が、もう尾久には居ないだろう。一と晩五両十両の仕事になれば、江戸から稼ぎに来るのはいくらでもある﹂
と平次。
﹁じゃ皆んな逃げたかもしれないというんで?﹂
八五郎は少しがっかりしました。
﹁いや一人だけは残っている。大事の仕事が残っているはずだ。――そろそろ出かけてみようか﹂
﹁どこへ――﹂
﹁ツイそこだ﹂
平次は八五郎と喜八を誘って闇の中へブラリと出ました。
五六丁行くと、清水屋敷の前へ出ます。
﹁八と喜八兄哥はここで待っていてくれ。入る奴を縛っちゃいけない、出る奴を縛るんだ。誰でも構わない﹂
﹁親分は?﹂
﹁裏にいるよ。手てご剛わいから、怪我をしないように気をつけろ﹂
三人は二た手に分れました。
それから一いっ刻とき︵二時間︶あまり。
闇の中から湧いたような男が一人、清水屋敷の表からそっと入って行って、四しは半んと刻き︵三十分︶ほど経つと、もとの表口から四あた方りを忍ぶ様子でスルリと滑り出しました。
﹁御用ッ﹂
前後から飛び付いた喜八と八五郎。
﹁何をッ﹂
曲くせ者ものは身を翻ひるがえすと、匕あい首くちを抜いて、猛然と反撃して来ました。
平次の注意がなかったら、二人のうち一人は間違いなくやられたことでしょう。
﹁神妙にせいッ﹂
危うくかわして、二人は呼吸を揃えて打ってかかりました。
揉もみに揉んで、漸ようやく縛り上げたとき、平次は家の中から、
﹁どうだ、無事に捕ったか﹂
暢のん気きそうに顔を出したのです。
﹁親分は﹂
﹁俺も一人縛ったよ、見るがいい﹂
雨戸を一枚繰ると、部屋の中に、主人の和助を縛って引ひき据すえているではありませんか。
﹁そいつは、親分﹂
﹁曲者の一人さ。――お前たちの縛ったのは和助の子分の与三松だ。高飛びの路用を強ゆ請すったはずだから、懐には二百や三百の金を持っているだろうよ﹂
﹁ヘエ――﹂
八五郎も喜八も開いた口が閉ふさがりません。
与三松を責めて、お夏は川向うの百姓家に隠していることが判り、清次郎は千住の与三松の仲間のところに隠してあることが判りました。
すぐさま川向うの百姓家へ行って、窶やつれ果てながらも、透すき徹とおるように美しいお夏を救い出した時、念のために物置を見ると、どこから盗み溜めたか、菅すげ笠がさが十八。
﹁あ、こいつだ﹂
ガラッ八は平次の慧眼にお辞儀をしてしまいました。
その晩のうちにお夏を浪人大井半之助に手渡してその保護に委ゆだね、千住から和助の倅清次郎を救い出して、留守を預かるお房に引渡し、平次とガラッ八は尾久を去ることになったのです。
*
﹁親分、あの浪人者は喜んでいましたぜ﹂
帰る路々、ガラッ八はまた絵解きの緒いと口ぐちをつくるのでした。
﹁お房も喜んでいるだろうよ﹂
平次は別の事を考えている様子です。
﹁清水和助は、何だって与三松なんかに強ゆ請すられたんでしょう﹂
ガラッ八にはまだ何にも解ってはいなかったのです。
﹁お夏を与三松に誘かど拐わかさせたのさ﹂
﹁ヘエ――﹂
﹁こうだよ、詳しく話そう。和助はお夏の父親の石崎金次と一緒によからぬ事をして金を溜めたが、悪事が露見しそうになって、今から三年前、与三松の手を借りて石崎金次を殺し、自殺と見せかけてお上の目を誤ご魔ま化かした――それはいずれお白しら洲すで解ることだが。その後、自分の殺した石崎金次の娘お夏を引取って、罪ほろぼしの心つも算りで養っていると、あの通りの縹きり緻ょうだから、倅の清次郎が夢中になった。これは我わが儘ままいっぱいに育った馬鹿息子で、なんとしても親の言うことを聴かない﹂
﹁ヘエ――﹂
﹁和助は悪党の癖に気が弱いから、倅の言いなり放題に、お夏を嫁にすることを承知したが、自分の殺した石崎金次の娘を、倅の嫁にするのは何としても気が進まない。が、倅の清次郎はお夏の側にへばり付いて半刻も眼を離さないから、どうすることも出来なかったのだ﹂
﹁…………﹂
﹁ちょうどそのとき、狐の嫁入騒ぎが始まった。悪党同士の推量で、あれは与三松の悪いた戯ずらに相違ないと睨んだ和助は、与三松に提灯を貸してやって、狐の嫁入をうんと大きなものにし、空巣狙いと一緒に、お夏を攫さらわせることを思い付いた。あれだけの狐の嫁入が始まると、清次郎もジッと女の番人はしていられない﹂
﹁なるほどね﹂
﹁清次郎が狐の嫁入を見物に出た後、お夏を首尾よくさらった与三松は、今度は、お夏の隠れ家を教えてやるからと、和助の倅の清次郎をおびき出し、千住の仲間のところに隠して、和助を強ゆ請すったのさ。金を出さなきゃ清次郎を殺すとでも言ったんだろう﹂
﹁…………﹂
﹁俺の名をエラそうに触れるのはイヤだが、うっかりするとどんな事になるかも知れないと思ったからあんな術てを使って与三松を和助のところへやったのさ。大方見当は付いていても、証拠のないのを縛るわけには行かないし、責めさいなむのはイヤだからなア﹂
平次はいつでもそんな事を考えているのでした。
﹁伊太郎と照吉が殺されたのは?﹂
﹁与三松の細工さ。――お夏を誘かど拐わかした礼に清水和助から貰った金が五十や三十あったはずだ。それを与三松は腕っ節が弱いくせに欲の深い伊太郎にやった。照吉は伊太郎から取上げようとし、伊太郎はやるまいとして斬りあいになり、照吉は伊太郎を突き殺したところを、与三松は後ろから照吉を斬って、懐の金を抜いた﹂
﹁いやアな事だね。――ところで清水の身しん上しょうはどうなるでしょう﹂
とガラッ八。
﹁いずれはお上で没収さ。だが、あのお房という娘は思いの外確しっかり者だから、結構清次郎を立てて行くだろうよ﹂
﹁お夏はあの弱い浪人と一緒ですかえ﹂
﹁妬ねたむな妬むな、お前にはまだ良いのがあるよ﹂
平次はカラカラと笑いました。
江戸の街へ入るとすっかり夜が明けて、すがすがしい夏の朝風が頬を撫でます。