蜘蛛の糸
﹁今晩はまったくすばらしかったよ。愛ちゃんが、あんなにピアノがうまいとは夢にも思わなかったぜ。練習しているのを聴くと、ピアノというものは、うるさい楽器だからな﹂ ﹁まア、お兄さん、それじゃ褒ほめているんだか、くさしているんだか、わからないじゃありませんか﹂ 狩かり屋や三郎と妹の愛子は、日比谷音楽堂の帰り、まだおさまらぬ興奮を追って、電車にも乗らずに、番町の住すま居いまで、歩いて帰るところでした。 ﹁でも、演奏はまったく上出来さ、聴衆はみんなびっくりしていたよ。ベートーヴェンのソナタは少しこわいみたいだが、第二部のショパンがよかったんだ。ぼくの近所で聴いていた人たちは、まさかぼくを愛ちゃんの兄とは知らないから、――日本にもこんなに若くて、こんなにうまいピアニストがいたのかなア、多おお勢ぜいの外国人も来ているようだが、こんな芸術家を発見しただけでも、われわれの肩身が広い――と言っていたよ﹂ ﹁まア﹂ 愛子は少しきまり悪そうでした。妹にお世辞を言うような兄ではありませんが、面と向ってこう言われると、さすがに口がきけなかったのです。 狩屋愛子は十八になったばかり、新鮮で清潔で、ピンク色のコスモスの花のような少女でした。去年某新聞のコンクールを通って、一ぺんにその天才を認められ、日本楽団の大きな発見とまで言われましたが、年を越してようやく先輩や恩師の後援で、最初の独奏会を開き、新人のデビューとしては、まさに空前の成功を納めての帰りだったのです。 兄の三郎は二十才、大学では数学をやっていますが、頭がいい上に体力が非凡で、ラグビーの選手として、学生スポーツ界に知らない者はありません。五尺七寸余りのみごとな体格と、明朗闊達な気風は、優生学上の見本にして、将来の日本人の理想型にしたいような青年です。 ﹁お兄さんは、どうお思いになって? ほんとうに出来がよかったでしょうか、――私は新聞や音楽雑誌の批評が心配でたまらないんだけれど﹂ 愛子はさすがに娘らしく、そんな事を気に病んでいるようです。 ﹁そりゃ大丈夫さ、悪口を言う奴はピアノがほんとうにわからないんだよ、――ぼくは酒を呑まないけれど、酒に酔った心もちは、ちょうどあんなぐあいだろうな、ピアノを聴いているうちに、こうボーとなって﹂ ﹁まア大変ね、メチールでなきゃいいけど﹂ ﹁こいつめ﹂ ふたりはそんな事を言って、正月の夜空にわだかまりのない笑いを響かせました。 夜はもう十時過ぎでしょう、雪模様の空はドンよりと頭上に押し冠かぶさって、番町の往来は人の影もありません。 ﹁ちょいとお尋ねしますが――﹂ 不意に声を掛けられて、ふたりは大きいビルディングの下に立ち停りました。 ﹁この辺に塩谷さんというお宅はありませんか﹂ ﹁サア﹂ 相手は外コー套トの襟を立てて、中折の庇ひさしを目深におろし、色いろ眼めが鏡ねをかけた若い男です。 ﹁いや、ご存じがなきゃいいんです、その辺で聴いてみましょう――おや、おや、ちょっとお待ち下さい、お嬢さん、コートに何んか変なものがブラ下っていますが、たれかのいたずらかも知れませんね、この節は人の悪いのがいるから、――ビルティングの前の街灯の所へいらっしゃい、見て上げましょう﹂ ﹁――――﹂ 男の調子は親切そうで、何んの巧みもありませんでした。愛子は何心なくビルディングの前の街灯の下まで行くと、道行く男は後ろへ廻って愛子の外套の裾を払ったりしておりましたが、不意に、真に不意に、愛子の体は宙に浮いて、ハイヒールの踵が一寸、二寸、三寸と、ペーヴメントを離れて空中に浮き上るではありませんか。 ﹁お兄さん、た、大変ッ﹂ 愛子が思わず悲鳴をあげたのも無理はありません。この時愛子の体は、地上を離れて、一尺、二尺、三尺と急速に空に引き上げられているのです。 何心なく口笛などを吹きながら、一ひと足先きに行った兄の三郎は、妹の悲鳴に驚いて振り返った時は、愛子の体はもう五六尺上に釣られて、その銀ねずみ色のコートの下から、赤いドレスの裾が、火にあおられた焔のようにひるがえっているではありませんか。 ﹁あッ、待てッ﹂ 三郎はわけのわからぬ事を叫んで飛びつきました。が、手につかんだのは妹の左足の靴の踵だけ、それがスポリと脱ぬけて、舗道の上に尻餅をつく間に、愛子の体は蜘く蛛もの糸にかかった美しいトンボのように、街灯の上でキリキリと廻りながら、高く、高く宙に釣り上げられて行くのでした。 あまりの事に、三郎は大きい声で助けを呼ぶことさえ忘れておりました。助けを呼んだところで、この辺一帯にすさまじい焼跡で、十時過ぎはめったに通る人もなく、交番も遠い上に、近所には人の住みそうな家もありません。 ビルディングは三階の鉄筋コンクリート建焼けビルを修理したらしい、きわめてありふれたものですが、その屋上の突き出した庇から、一本のたくましい綱が、愛子の体を引き上げていることだけはわかりました。 引き上げられている愛子も、あまりの事に顛倒して、しばらくは悲鳴をあげることさえ忘れたのでしょう。 その間にも愛子の体は、キリキリと宙に廻って、真紅の裾が街灯の上に燃えます。が、それもほんのしばらくの間で、やがて庇からぬっと出た手が、愛子の襟髪をつかんで、何んの苦もなく屋上に引き上げ、それっきり、すべての事が終ってしまいました。 宙に舞った愛子のおもかげも、絶え絶えに挙げた驚きの声も消えて、正月の番町の夜は深々とふけて行くのです。 交番へ――と三郎はスタートしかけましたが、ここから一番近い交番までも三丁あまり、そこへ行ってくる間に、ビルディングの屋上に釣り上げられた愛子はどんな事になるかわからず、ともかくも、ビルディングの正面に近づいて、その盲ブラ扉インドを押してみましたが、これは又地獄の門のように厳重で、押せども突けどもビクともすることではありません。 三郎はフト気がついてあたりを見ました。さっき愛子に話しかけた、怪しの男がその辺にいたら――と思ったのです。が、そんな者は影も形もなく、その代りどこから這い出したか、蓑みの虫むしのような汚ない身なりをした少年がひとり、けげんな顔をして三郎の顔を見上げているのでした。みの虫少年姉弟
﹁君、さっきからここにいたのか﹂ ﹁うん﹂ 少年はうなずきました。街灯の光にすかして見ると、見なりこそひどくそまつですが、陽に焦やけた顔、五分刈り頭、クリクリとした眼、チンマリした鼻、年の頃はせいぜい十四五でしょうか、いかにも賢こそうな少年です。 ﹁このビルディングにはどんな人が住んでいるんだ?﹂ ﹁わからないよ、ギャング団かも知れないよ、人相の悪い奴が出入しているんだ﹂ ﹁君は?﹂ ﹁ぼくはこの隣さ――、これでも浮浪児じゃないよ、ちゃんとした家があるんだ﹂ 少年の指したのは、ビルディングの南側、虫の巣のような焼けトタンで片庇をこしらえた、見る影もない小屋でした。でも中には電灯がついており、少年のほかに女の人がひとり、外のようすを心配そうに覗いているのです。 ﹁ビルの屋上に引き上げられたのは、ぼくの妹なんだ。このビル中へはいる工夫はないかね、君?﹂ 三郎はこの少年を頼るほかはありません。 ﹁むつかしいが、やってみようよ、――このビルは元ぼくのお父さんの物だったんだ。戦争で逃げ廻っているうちに、お父さんは行くえがわからなくなるし、ビルは悪者たちに占領されるし、ぼくと姉さんは、しかたがないからこのビルの横っ腹に、ダニのように食いついて、お父さんの帰ってくるのを待っているんだ﹂ ﹁そいつは気の毒だね﹂ ﹁ぼくは小さくて何んにも知らなかったが、姉さんはこのビルで育ったから、脱ぬけ道ぐらい知ってるかも知れないよ、――待ってくれたまえ﹂ 少年はトタン小屋の中へはいって、何やら姉と話しておりましたが、やがて十七八の少女が懐中電灯を持って、弟の少年と一緒に出て来ました。 ﹁ぼくの姉さんだよ、波野幸子って言うんだ、ぼくはその弟の馬うま吉きちさ﹂ 忙しい中にも、馬吉少年は名乗りをあげます。 ﹁ぼくは狩屋三郎――ツイこの先きに住んでいるんです﹂ ﹁え、知っていますわ、ピアノのうまいお妹さんがおありでしょう、――お宅の前を通る度に、生け垣の外に立って聴くんですもの﹂ 元気そうな丸顔、無邪気だが聡明そうな眼、身なりのそまつなことは、弟の馬吉少年と負けず劣らずですが、そのかわいらしさもまた抜群でした。 ﹁妹の――そのピアノをひく妹の愛子が、ビルの屋上に釣り上げられたんです、何んとかして助けなきゃ﹂ ﹁そうですってね、悪い人たちですよ、――裏の方へ廻って見ましょう﹂ 少女――幸子は、狩屋三郎を案内して、ビルの裏に廻りました。焼けトタンと枯れた雑草と、石と煉瓦と、焼け残りの材木の山で、それは足の踏みどもありませんが、少女幸子は巧みにその間を縫って、裏口のそばの、蓋になった地下道にもぐり込むと、スティームの釜の燃料などを運び入れる口から、巧みにビルの中にはいるのでした。 ﹁さア、もう大丈夫です、屋上へ行って見ましょう﹂ 幸子は懐中電灯を照らしながら身軽に階段を踏んで、二階へ三階へ、そしてペント・ハウスから屋上庭園へ飛び出します。 ﹁いない﹂ 狩屋三郎は屋上を一と眼見て思わず絶望的な声をあげました。曇りてはいるものの、さして広くないビルの屋上は、たった一と眼で隅から隅までよく見えるのです。 そこにはペント・ハウスと、そして敷き詰めた砂利のほかには何んにもありません。いや、正面に突き出した庇の上に、恐ろしく丈夫な麻縄があり、その先きには、これも頑固な――ブルドッグの首でもつなくような、ニッケル鍍めっ金きのバネつきの鉤かぎが取りつけてありますが、この麻縄が引き上げた、天才少女、狩屋愛子の姿は見えなかったのです。 ﹁この鉤をバンドに引っかけて釣ったんだね、ひどい事をするじゃないか﹂ 馬吉少年はプンプン腹を立てますが、今さらどうすることもできません。 念のために、ビルの部屋部屋、三階から一階まで、十幾つの部屋を全部見ましたが、どの部屋にも鍵がかかっている上、どの部屋にも灯がなく、そしてどの部屋にも、生き物のいそうなけはいもなかったのです。 狩屋三郎は冷たい階段の上に腰をおろして両掌に自分の頭を抱き込みました。天才ピアニストとして、華やかにデビューした今夜、しかも大成功の五光を背負って、家路を急ぐ妹の愛子が、忽然として悪者にさらわれるということは、何んとした意地悪い運命でしょう。 ﹁狩屋さん、ここは冷えます、ともかくも私共の家へ引揚げましょう、汚ないところですけれど――﹂ 波野幸子は、遠慮しいしいこんな事を言うのでした。空っぽのビルの中で、石の階段に腰をかけていては、どんな頑強な人間でも風邪を引いてしまいます。 ﹁でも、万一――﹂ ﹁悪者はとうに逃げてしまったことでしょう。このビルには、不思議な脱ぬけ道があるんだそうです。それに私共の小屋はビルにピタリと食いついていますから、表でも裏でも、扉が開けばすぐわかります﹂ 幸子は一生懸命にそう言ってくれるのです。巨億の富
狩屋三郎はしぶしぶながら、波野姉弟の小屋に案内されました。五六枚の板と筵むしろと、そして焼けトタンで囲った、見るかげもない小屋ですが、中には古いながら畳も敷いてあり、電灯も一つ引いて、何んとなく小ぎれいに暮しているのは、幸子の人柄も偲ばれて床しいことでした。 水道はさいわいビルの外側に取りつけた、雑用のものをそのまま使い、怪しいながらストーヴまで備えて、この寒空にもどうにか凌げるようになっており、ビルの壁にはミレーの版画と油絵の道具が一式かけてあるのが、この貧しげな焼けトタンの小屋を、ひどく明るく、そして文化的なものにしております。 夜はもう十二時を過ぎたでしょう。馬吉少年を走らせて、ここにくることを自宅へ知らせた狩屋三郎は、幸子にすすめられるまま、しばらくここで見張って、長い夜を明かそうと決心したのでした。 不安と焦燥のうちにも、三人の話は次第にほぐれて行きます。それは若さと純情さのおかげでしょうが、一つは波野幸子のうちとけた親切と、その見なりにも生活にも似ぬ、理解や品のよさや、行きとどいた注意などが、すっかり三郎を安心させたのです。 ﹁どうして、悪者がお妹さんをさらったんでしょう、何んか、心当りはありません?﹂ 幸子は熱い茶を一杯すすめながら、屈託しきった狩屋三郎をうながします。何んか話でもしていたら、少しは心もちもまぎれるだろうと思ったようです。 ﹁心当りはあるんですよ、――悪者共は、大変なものを狙っているんです﹂ ﹁大変なもの――?﹂ 幸子は膝をすすめました。十七ぐらいでしょうか、こう灯ひに近く、話などをしているところを見ると、かわいらしさ以上に、この少女の聡明さに引きつけられます。 ﹁これは有名な話なんです、――多勢の人の知っていることですから、今さら隠す必要もありません、実はぼく、三十年前に九州で炭鉱王と言われた、狩屋三右衛門の孫なんです﹂ ﹁まア﹂ 幸子も驚きの眼を見張りました。狩屋三右衛門という大炭鉱家のあったことは、三井三菱を知らない者がないと同様に、老いも若きも、日本中で知らないものはありません。 ﹁私の両親は早く亡くなって、祖父の三右衛門だけ、戦争の終った年まで七十才を越して生きておりました。炭鉱は十五六年も前、父が亡くなった時人に譲って、祖父は全財産を宝石と純金に換え、それを東京のさるところに隠しておいたのです﹂ ﹁――――﹂ ﹁祖父は軍閥政治の先きを見通して、このようすでは日本が一度ひどい破局に落込むに相違ない、その時はこの宝石と純金を持ち出して、日本を救うように、その手段はあくまで平和的でなければならない。救われる人たちは、老人と不具者と病人を優先的に扱い、まず大きい養老院と慈善病院を建てるのだ、それ以外の目的のためには、一銭も費つかってはならぬ――と、厳重に遺言をしたのです﹂ 狩屋三郎の話は奇怪でしたが、そんな噂は波野幸子も小耳に挟まないではありません。その隠された財宝のために、老狩屋三右衛門は牢獄につながれたり、或る種の暴漢に襲われたり、ずいぶん散々の目に逢った話まで伝わっていたのです。 ﹁もっとも、祖父も頑固一徹にしていたわけではなく、純金の大部分は、時の政府に寄付しましたが、何分の巨額で、まだその三分の一ぐらいと、おびただしい宝石の全部が、手つかずに、秘密の倉庫の中に眠っているはずです﹂ ﹁――――﹂ ﹁思い出しても恐ろしい事ですが、戦争の末期――ちょうど今から四年前に、祖父は私の妹をつれて、九州の阿蘇の麓に疎開して、静かに戦火を避けておりました。その家は土地の豪家を借りて、非常に広かったので、戦争のために家を失って困っている人のうち、紹介や縁故のある、信用のできる人たちを九人までも集めて、一年余りもそこで共同生活をしていたのです﹂ ﹁――――﹂ ﹁不自由なうちにも、それはまことに楽しい生活だったそうです。ぼくはまだ学校があったので、東京の家に残って、学校へ通っておりましたが――﹂ ﹁――――﹂ 幸子と馬吉は吸い入るように聴いております。これはまことに驚くべき話です。 ﹁ところが、その祖父の隠した巨億の宝に目をつけたのが、人もあろうに、私には大叔父に当る、祖父の義弟の鬼きと頭う九八郎という人間でした。それほどの宝を地中に埋めておくのももったいないが、それで養老院や慈善病院を建てるというのは、宝をドブに投ほうり込むようなものだ、おれに運用を任せてくれれば、国家のため、人類のため、眼のさめるような大きな仕事をして見せる――というのです。山師、千三ツ屋などという人たちは、みんなこんな大ボラを吹いて、人の金を引き出そうとすることを、百も千も承知の祖父は、そんな甘い話に乗るはずもありません﹂ ﹁――――﹂ ﹁祖父はその宝をさる秘密の場所に隠し、そこに行くまでの道に九つの錠をおろして、九つの鍵を作らせました。第一号の鍵では、さる大銀行の保管箱を開けて、そこにはいっている、秘密の金庫の所在地を知り、第二の鍵で、その金庫に行く道の入口の扉を開け、第三の鍵で、その金庫室を開き――というぐあいに﹂ ﹁――――﹂ 三郎の話はまさに佳境です。波野幸子と馬吉は息をつくのも忘れたように、一生懸命に聴き入りました。 ﹁だが、鬼頭九八郎は悪者の仲間をかり集めて、一つの大きいギャング団を作り、戦争中の混乱を利用して、阿蘇山麓の祖父の隠れ家を襲って九つの鍵を奪い取ろうとしました。――祖父三右衛門は、七十を越しておりましたが、なかなか元気で達者でした。妹の愛子に助けられて、真夜中の阿蘇山に逃げ登り、裏山を越して、何んとかして東京へ引揚げようとしたのですが、その時もう悪者の手が廻って、祖父と妹は、阿蘇山の噴火口の前で、数十人の悪者の包囲に陥ってしまいました﹂ ﹁チェッ、ひどい事をするじゃないか﹂ 馬吉少年はたまりかねて、吐き出すように口を容れます。 ﹁それは忘れもしない、今から四年前、八月十五日の暁方でした。悪者の包囲に陥った祖父は、生いの命ちか、九つの鍵か、と言われた時、――喜んでおれは生いの命ちを投げ出そう、七十才を越した老いぼれの年は少しも惜しくはないが、孫娘の愛子はまだ十四だ、これをむざむざと死なせてはならぬ――が、九つの鍵はお前たちに渡されない、宝はいつの日か、たれかに取り出されて、おれの志を継いでくれるだろう、――見るがいい、九つの鍵は、謹つつしんで阿蘇の神霊に献ずるぞ、それッ――祖父の手が空に挙がると、九つの鍵を連ねた銀の輪が、暁の最初の光を浴びて、キラキラと光りながら、阿蘇の噴火口の赤錆色をした熱鉄の中へ、落ち込んでしまったのだそうです﹂ 狩屋三郎の話は終りました。眠りの城
十八才の天才洋ピア琴ニス家ト狩屋愛子は、その独リサ奏イタ会ルの帰途、兄三郎の眼の前で、番町のあるビルディングの屋上から下った鉤縄に引っかけられ、夜の空へスルスルと引き揚げられたっきり、行くえ知れずになってしまったのです。 その大胆不敵な誘拐の裏には、三郎愛子兄妹の祖父で、一時は日本の炭鉱王と言われた、狩屋三右衛門翁の隠した、純金の大量と、おびただしい宝玉をめぐる大秘密があり、その巨億の宝を封じた九つの鍵は、祖父三右衛門翁が、悪者に追い詰められて、阿蘇の噴火口の中に投ほうり込んでしまいました――と。 これは三郎青年が、波野幸子、馬吉姉弟に説明した、事件の荒筋でした。 その話のうちに、さっき馬吉少年の急を告げた報告が、交番から麹こう町じまち署へ、麹町署から警視庁へと伝達され、十数名の警官が時を移さず駆けつけてくれました。狩屋三右衛門翁の孫娘で、その晩は日比谷音楽堂にリサイタルを開いた、天才少女狩屋愛子の失踪には、容易ならぬ大事件の匂いがしたのでしょう。 狩屋三郎と波野馬吉少年は、警官隊を案内して、ビルディングの内外を、残るくまなく探索しましたが、もとより人っ子ひとりいそうもなく、ビルディングの管理人と称する山裏金司という中年男を、夜中ながら四谷の自宅から探し出して来て、建物中の部屋を全部空けさせて調べましたが、そこにも何の変りもなく、天才少女狩屋愛子が、蜘蛛の糸に釣られた美しい揚羽の蝶のように、ビルの屋上にスルスルと引上げられたというのが、愛子の兄の三郎の幻想でなければ、愛子はビルディングの中で、煙の如く消えてしまったとでも思うほかはありません。 明方までそこで頑張った狩屋三郎は、夜の明けると共に自分の家へ引揚げました。同じ番町でも、半蔵門寄りのビルから、九段寄りの狩屋邸までは、十分ぐらいの距離はあり、馬吉を走らせて、一応の報告はしましたが、あとは連絡の方法もなく、たった一夜の留守ですが、三年も旅をしていたような心持ちで、自分の家の門をはいったのです。 ﹁おや?﹂ 幸いに焼け残った狩屋家の番町邸は、小規模ではあるにしても、大炭鉱王の昔の栄華を偲ばせて、何んとなくまとまった美しさと、趣味の高い清潔さを思わせる家でしたが、それが今朝は何んという変りようでしょう。 門を一歩はいった三郎は、背筋を走る不気味さと、言うに言われぬ不安を感じたのです。 襲われたような気持ちで門番小屋を覗くと、入口の扉とは開いたまま、中にいる佐五平老人は、昼の事務服を着て、テーブルにもたれたなり、昏こん々こんと泥に酔ったフナのように、半醒半眠のありさまで泡を吹いているではありませんか。 ﹁爺や、爺や﹂ 三郎は飛びつくように振ゆり動かしましたが、麻酔剤を呑まされたのか、急病を起したのか、容易のことでは覚めそうもありません。 三郎はさすがに驚きましたが、自分で自分の心を鎮めながら、ともかくも家の者に急を告げるつもりで、幸い空け放ったままの玄関から怒鳴りました。 ﹁だれかいる? 爺やが大変だよ﹂ 兄妹ふたりのほかは、同居している従いと弟この植野誠一という、三郎よりは一つ歳下の十九の青年と、あとは奉公人ばかり、もとより遠慮のある家ではありませんが、家の中は粛として、三郎の声に応ずる者もありません。 ﹁しようがないなア、玄関を空けッ放したまま、まだ皆んな寝ているのかえ﹂ 主人らしいこごとを言いながら、三郎は奥へはいって行きました。が、玄関の隣りの応接間もその奥の書生部屋も、つづく食堂も、部屋中の物を引っくり返して、花瓶や皿小鉢までめちゃめちゃに叩き割り、床をはがし、天井を突き破り、壁紙を引きはがし、テーブルまでも引っくり返した上に、あらゆるイスの皮を切り破って、中のスプリングまで取り出し、クッションというクッションの縫目をほぐして、部屋一パイに羽毛を振りまくという実に徹底した荒らしようです。 三郎は驚いて三階へ飛上りました。が、そこにある四つの部屋――ことに自分と妹の愛子の部屋などは、イスの足までヘシ折って、スタンドの台の大理石を叩き割るほどの恐ろしいありさまでした。 相手の悪者共は、昨夜奇抜な方法で愛子を誘拐し、兄の三郎をそこに釘づけにして、留守番を襲ってこんなにまでも荒し抜いたのでしょう。 青年狩屋三郎は、智力体力共に万人に優れた、世にも珍らしい男で、悪者共もこれと正面から衝突して、四つに組んで争うことを恐れ、卑怯な詭きけ計いを設けて、ビルディングに引きつけその留守を狙って徹底的に家を荒して行ったのでしょう。 その目的は何んであったか、狩屋三郎にはよくわかります。 ﹁やったな﹂ 三郎は思わず唇をかんで、拳固を振りましたが、それにしても従弟の植野誠一をはじめ、奉公人がひとりも姿を見せないのは心配でなりません。 念のために、食堂の隣りの洋風の居間――いつもそこで団らんの半夜を過ごす十畳ほどの部屋を覗いて見ると、いるいる、そこにはまん中の大テーブルを囲んで、植野誠一とひとりの書生とふたりの女中が、おとぎばなしの﹁眠り姫﹂の家来共のように、めいめいの姿態で、真に千年も眠りこけた姿で、昏こん々こんとして深い眠りにおちているのです。 狩屋三郎は、もう一度門を飛び出して、警官とお医者をつれて来るほかはありません。照国の誠一
町の噂を聞いて、波野幸子と馬吉の姉弟がお見舞に来てくれたのは、その日の昼近い頃でした。 麻酔剤で眠らされた奉公人たちは、どうやらこうやら眠りからさめて、――でもまッ青な顔をしたまま、まだろくに片づけもしない応接にふたりを通しました。 もっとも、こうひどい打ぶち壊しの後でなかったら、幸子馬吉姉弟は、この豪壮な応接間に通ることを脅えたかも知れませんが、壊し屋が気がふれたような、悪者共がひどい乱暴を働いた後で、足の踏みどもないありさまの中では、馬吉少年の風態も、そんなに不似合ではありません。 ﹁大変でしたね﹂ 姉の幸子は四方の惨憺たるありさまに眉をひそめました。至って粗末な、名前ばかりの洋服――木もめ綿ん物の手縫いのワンピース、女学生時代の品らしいこれも木もめ綿んの靴下に下げ駄たを突っかけて来た十八娘ですが、白おし粉ろいも紅も知らぬ顔は、小麦色で健康そうで、純潔さと叡知とそれにかわいらしさが溢れます。 ﹁ひどい事をするね、狩屋さん、たれが一体こんないたずらをしたんだ﹂ 馬吉少年はクリクリした眼を見張りました。きょうは姉の丹精らしく、さすがにみの虫の浅ましい風態ではなく、つぎだらけの学生服に、大徳帽をボロきれのようにおもちゃにしております。 ﹁ぼくもまだおちついて聴いていないんだ、けさ帰った時はちょうどおとぎばなしの﹃眠りの城﹄にはいったような心持ちだったよ、従いと弟この誠一君もようやく元気になったようだから、くわしくゆうべの話を聴いてみよう﹂ 三郎はそう言って、書生に言いつけて、植野誠一を呼ばせました。 やがてはいって来たのは、まだ青い顔はしているが、それでもなかなかの元気者らしい植野誠一でした。十九というにしては背の低い、子供子供した感じの、よく肥った色白で、皆んなから照てる国くにというあだ名で呼ばれている青年です。 ﹁どうだい、誠ちゃん、元気は?﹂ 三郎はシンのハミ出した長イスを半分わけて、いたわるように掛けさせました。﹁もう大丈夫だ、――ひどい眼に逢ったよ、胸が悪くて頭痛がして困ったが﹂ 誠一はそう言って、愛嬌者らしい眼を細めて、子供が苦い薬でも飲まされた時のような渋い顔をするのでした。 ﹁その時のようすをくわしく話してくれないか、気分が大して悪くなかったら﹂ ﹁いいとも――でも、つまらない事なんだ、あんな餌に引っかかったのが悪かったんだ﹂ ﹁餌?﹂ ﹁三郎君から使いがあったすぐ後さ、ぼくも応援に飛び出そうとして支度をしていると、若い西洋料理屋のコックのような男が、シュークリームを十七八詰めたボール箱を持って来て、――若旦那からのお使いですが、たいくつだろうから、これを皆んなで食べて下さい、こさえ立てだから、なるべくすぐ召上るように――という口上だ、ぼくもそれじゃせっかくだからシュークリームをごちそうになってから出かけようと、家中の者を皆んな居間に呼んで、お茶を入れさしてそいつを平らげたんだ、門番の佐五平爺やのところへは、皿に入れて三つだけとどけさしたよ﹂ ﹁ひとりで三つもやったのか﹂ ﹁こんな時でなきゃ、存分にシュークリームが食べられないからな、皆も大喜びさ、――でもあとで考えると、変なことがあったよ﹂ ﹁変なこと?﹂ ﹁シュークリームは少し苦かったし、使いの者の口上も変じゃないか、三郎君のことを、若旦那なんてそんな封建的な呼び方をする者はありゃしないよ。三さぶちゃんとか三さぶ公ならわかっているが﹂ 青い顔をしているくせに、口ではなかなか威勢のいいことを言う照国の誠一です。 ﹁それに気がつかなかったのか﹂ と狩屋三郎のサブちゃんは少しばかりおもしろそうでした。 ﹁口く惜やしいが、気がつく前に昏々と麻睡させられてしまったよ、夢も見なかったぜ﹂ 照国の誠一はますますのんきです。こののんきさがこの場合の三郎にとってはどんなに心強かったでしょう。予備の鍵
﹁ところで、シュークリームの麻薬は一体何を狙ったんだ?﹂
照国の誠一は改めて聴きました。
﹁わかっているじゃないか、九つの鍵だよ﹂
﹁九つの鍵? そいつは祖おじ父いさ様まが阿蘇の噴火口に投げ込んでしまったじゃないか﹂
﹁君もほんとうのことは知らなかったんだね、――敵と戦うために、君にもほんとうのことを知っておいてもらいたいな、このさいくわしく話しておこうよ﹂
狩屋三郎はそう言いながら、席を起って入口の扉ドアから廊下を見渡し、それから窓の外に首を出して、冬の日が美しく射している真昼の庭をながめて、元のイスに帰りました。
﹁もうお昼よ、私たちはお暇いとましましょう、馬ちゃん﹂
幸子はつつましく立ち上りました。従いと兄こ同士の内緒話に、遠慮をしようという心持ちでしょう。
﹁いや、いいんです。幸子さんも馬吉くんも聴いて下さい、どうせこのはなしは、悪者たちも知っていることで、秘密でも何んでもありません、新聞記者を呼んで新聞に書いてもらってもさしつかえないことです、――ぼくはうっかり廊下や窓のそとを気にしましたが、それはこの話を秘密にしておきたいためではなく、どんな人間がぼくらを監視しているか、悪者の正体がたしかめたかっただけなんです﹂
﹁でも﹂
幸子はまだモジモジしております、が、
﹁かまいません、ぼくはそれより、幸子さんや馬吉君にも聴いてもらって、――はなはだ勝手だけれど、力を添えて欲しいんです﹂
狩屋三郎にそうまで言われると、幸子もツイ踏みとどまって、この事件の渦中に飛び込むほかはありません。
﹁では﹂
幸子と馬吉は、ようやく安楽イスの上に落着きました。
﹁聴いて下さい、――祖父の三右衛門は九つの鍵を阿蘇の噴火口に投げ込んだには違いないが、それは悪者共の気をそらせる詭計で、九つの鍵はそれっきりではなく、別にもう一つそろいがあったことは、たれにでもすぐ考えつくことだろうと思います。どんな鍵でも、二つずつあるのが常識で、一度はだまされた悪者共も――もう一と組鍵があるはずではないか――と気のついたのも無理のないことでした﹂
﹁――――﹂
﹁祖父は一代に巨億の富を積んだだけに至って考えのち密な人で、この上もなく物事に行届きました。義弟鬼頭九八郎の性格から、まもなくこの事あるを予見して、悪者共に追われて命からがら阿蘇山に逃げ登る前、予備の九つの鍵をバラバラにして、とっさの間に、どんな人も想像のできない方法で隠してしまいました。妹の愛子も一つ持っているし、ぼくの身の廻りにも一つ隠されているはずです。いや、それどころではなく、ここにいる植野誠一君――照国の誠ちゃんの身辺にも、一つの鍵が隠されているに違いないのです﹂
﹁――――﹂
それは実に奇ッ怪な話ですが、千万人に優れた智恵者の狩屋三右衛門が、精一杯の智恵を絞って、九つの鍵を隠したとしたら、それは実に凡人の凡慮ではどうすることもできないに違いありません。
﹁九つの鍵は九人の身辺に、その当人も知らない方法で隠されました。愛子のハンドバッグや、ぼくのシースなどではなく、もっともっと不思議な場所に、きわめて不思議な方法で隠されているに違いない﹂
﹁――――﹂
三人は思わず顔を見合せました。それは余りにも奇ッ怪な話です。
﹁こう言っただけでは信用しないかも知れない、が、悪者共は早くも、予備の九つの鍵がどこかに隠されてあることを知って、妹を誘拐したり、この家を探し抜いたり、いろいろの事をたくらんでいる。こうなると一歩の立ち遅れは、千里の開きだ。巨億の富が悪者共の手に落ちてその遊蕩とぜいたくのために費つかわれたら、戦後インフレに悩む日本にとってはゆゆしき大事だ。その財宝はあくまで祖父三右衛門の遺志に従って、老いたるもの病めるもの、弱きものの救済施設を作るために費つかわれ、余力があれば人類文化のために、世界平和のために、ノーベル賞の設定のようなことに向けられなければならない。それは私の祖父三右衛門が、いろいろの暴力と闘い抜きながら、命を賭けて果そうとした一生の念願だった――﹂
狩屋三郎はそう言って静かに皆んなの顔を見渡したのです。悪者共の暴行のために一朝にして廃墟のように荒された、狩屋三郎の豪華な応接間でそれは何んという力強い宣言でしょう。
﹁おもしろいぞ三さブちゃん、ぼくの身の廻りにそんな鍵なんかあろうとは思われないが、ともかくも、巨億の富を賭けた九つの鍵を探し、それを正しい費途に向けるのは、すばらしい冒険じゃないか。相手はなんであろうとぼくは敢然として挑戦に応ずるよ﹂
照国の誠一は、愛嬌のいい顔を出しこわばらせ、小さい身から体だをまりのようにはずませながら、テーブルの上をドンと叩いた時でした。
﹁あッ﹂
ガチャンと窓ガラスを叩き割った野球ボールほどの石が、誠一の拳固のそばに恐ろしい勢いで落ちて、二つ三つバウンドして、床の上に転がりました。
﹁何んだ、白いものが付いているじゃないか﹂
三郎が拾い上げると、石はヒョータン形にくびれた長目のもので、その中ほどにひもで結ゆわえたのは、ノートをちぎったらしい一枚の紙片です。
﹁手紙じゃないか﹂
誠一も馬吉も幸子も、好奇心でハチ切れそうになって覗くと、文句は万年筆で書いたたった三行、
愛子の命を助けたかったら、九つの鍵をそろえて渡せ、期限は一週間、返事は居間の窓にはり出せ
K
と書いてあるではありませんか。
妹の命
﹁どうする? 君﹂ 照国の誠一は、心配そうな顔を挙げました。 ﹁どうしようもないよ、九つの鍵の隠し場所はこっちも知らないのだ﹂ ﹁すると?﹂ ﹁先に見つけた者が勝つことになるだろう﹂ 一代の傑物、狩屋三右衛門翁が、智恵を絞って隠した九つの鍵が、そう簡単に見つかるはずもありません。 ﹁相手がしゃくだが、競争となればフェアー・プレーで行こう﹂ 照国の誠一は、悪者と四つに組む気でいるのです。 ﹁よしよし、ともかくこっちの態度を明かにしておこう、――愛子の命だけは護らなければならない﹂ 狩屋三郎は製図用のケント紙を一枚持ち出して、毛筆にインクを一パイに含ませ、
九つの鍵は祖父が智恵を傾けて隠したのだ、ぼくも愛子もその隠し場所を知っているはずはない、そっちで探しているようにこっちでも探しているのだ、卑怯なことは止せ
こう書いて、画鋲で窓へはり出したのです。
﹁悪者共は、望遠鏡か何んかで、どっからか見ているんだろう﹂
﹁ところで、その九つの鍵はどこにあるだろう、こうなると一刻――いや一分一秒を争う競争だが﹂
誠一は相変らず張り切ります。
﹁待ち給え誠ちゃん、巨億の富も大事には違いないが、ぼくにとっても、妹の愛子の命がもっともっと大事なのだ﹂
狩屋三郎はそんな事を考えているのでした。天才ピアニストで、天使のようにかわいらしい愛子、――その命は兄の三郎にとっては、世界の富全部よりも貴いのでした。
﹁その通りだ、愛ちゃんの命は、どんな事をしても助けなきゃならない﹂
照国の誠一も、愛子の命の尊さは、兄の三郎以上に感じております。
﹁愛子は、あるビルディングの中で姿を隠してしまった、ぼくはもう一度あのビルディングを研究する必要があると思う﹂
三郎はようやくその冷静な思考力を取りもどしました。
﹁行こうや、ぼくが案内するぜ、あのビルディングのことなら、ネズミの穴一つだって、ぼくの知らないものはないんだ﹂
馬吉少年は飛び上ります。
こうして狩屋三郎の一行四人は、もう一度ビルディングに引返すことになったのです。その時は麻薬でやられた人たちもどうやら元気を取りもどし、警察からさっそく警官を派遣して、調査や保護に当ってくれたので、狩屋邸のほうはまず心配はありません。
﹁ちょっとちょっと、ポストに何かはいっているようだ﹂
門を出る時、三郎はポストを覗いて、一通の手紙を取り出しました。平凡な西洋封筒で、狩屋三郎殿と書いてあり、封もしてありませんが、中から出たのは、さっき窓から投ほうり込まれたと同じ紙片に書いた三行、
愛子は九つの鍵が手にはいるまでこっちに留めおく、ただし警察に訴えると、愛子の命はないぞ
K
こう読めるのです。
﹁相手は警察がこわいのだ、――ともかく、こっちはこっちだ﹂
狩屋三郎はその手紙を門前にいる警官に渡して、悪魔への挑戦の第一歩を踏み出したのです。
続く照国の誠一、波野幸子、馬吉少年、冬の陽は、赤々とこの一行を照しておりました。