駱駝の瘤にまたがつて

三好達治




























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槿

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 谿
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)
 
 
 ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)
 



 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 












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薄の枯れたうらさみしい野みちだ
むかふの方に堤防があつて 盜びとのやうにいやな奴が
そのくせおれのなつかしい河が流れてゐる
(それはもうさういふ羽目の辻占だ……)
さうしてそいつはいつもかもしのび音に堤防の下の方を流れてゐる
そこにはつまらぬ舟が浮んでつまらぬ漁師が日がな一日
河底の泥をすくつてゐる
ありもしない獲もののかげをさがしもとめて
鴎もそこらにちらばつてゐる
そのまたむかふの書割にはうすぼんやりと靄がかかつて
こはれかかつた煙突が三本半ほどならんでゐる
何といふ腑拔けながらんどうの風景だらう
どこに音樂のこゑがきこえるでもなし
河蒸汽一つ見えはしない
こんな地方にまぎれこんできたおれの運命はいつたい何を考へることができるだらう
ああいつさいが快活に眼ざめはしない
空想はしりからしりから消えてゆく階段のやうだし
そこいらをうろついてゐるのは駱駝のやうな雲ばかりだ
そいつもしりから消えてゆく
消えてゆく
ほんたうに今日は陰氣ないやな日の暮れだ
かうしてこいつはどこかへおれの運命をつれてゆくつもりでゐるのにちがひない
盜びとのやうに忍びあしで
かうしてこの河が遠く遠く
枯れ枯れにす枯れてしまつた薄野を曲りくねつてゐるかぎり
こんな風景のとりこでゐるかぎり
おれはもう手摺のない暗い底ぬけの階段を

しかたなく降りてゆくばかりだ



二重の眺望



ああこの夏のまつ晝まのあまりに明るい炎天の遠い方角
えたいの知れない遠くの方から聞えてくるもの音と靜けさと
さみしく流れる煙のやうな一つのこゑをきいてゐるのは私の影
そこらあたりの燃えたつやうな岱赭の丘を眺めてゐるのは 私とさうして私の影
ああこの二重にさみしい眺望
けれども何だかふしぎに心のうきたつやうなこれは都會の路ばただ
朝からそいつをかついできた私の肩に太陽は重たくまた輕い
どこにも私の見知りごしの建物はなく私のけふの棲家もない
過去と未來のこんがらがつたこれはたしかにもう一つの東京
でこでことした岱赭の丘の塊りだ
そいつが海に浮んで そいつが空に浮んでゐる そいつを蟋蟀きりぎりすが支へてゐる
ものの遠音をとりまぜた 靜かな靜かなまつ晝まだ




だからあの夢のやうなまつ白な建築 遠く空に浮んだ無數の窓のうへに
その尖塔のてつぺんにひるがへる旗を見よ
高く高く細くまつすぐにささげられた旗竿のさき
ああそこにも一つの海を見る
海のやうにひるがへる旗を見る
ああその氣流の流れるところに 波は無數に立ちあがり
ゆるやかにあとからあとから 無限に沖の方からおし寄せてくる
そこらあたりの山脈から 空の奧からけふもまたおし寄せてくる
天空高くおし上げた彼らの夢を追つてくる無數の生きもの
あはれにすなほな鵞鳥の群 山羊や仔山羊や緬羊や仔牛をつれた乳牛や
何を目あてにいそぐのか彼らの肩は波うつて押しあひへしあひ
天上のそんなところで(――あるものは叫びながら)あとからあとから彼らの希望を死んでゆく ああその陰氣な仕切りのうち 無數の豚が死んでゆく屠殺場
そんな風にも見えないかい
今日の綺麗に晴れあがつた空のあすこに つめたく凍つて動かないうろこ雲と
夢のやうにそそりたつまつ白な建築の尖塔のてつぺんに
高く高くあんなに小さく見えるまで高くかかげられてゆるやかに流れる旗と

ああいつもさういふ一つの歴史の旗が人間の住む都會の空にひるがへつてゐる



晩夏



ダーリアの垣根ではダーリアを見た
まつ赤に燃えるダーリアの花
また日まはりの垣根では日まはりを見た
重たく眩ゆくきな臭い 中華民國の勳章だ
熱くやきつく砂の上で あそこでおれはいつまでも
遠くむかふの三里濱の方を眺めてゐた
あとからあとからあとから
沖のうねりがうねつてきて高くうちあげる三里濱
のつぺらぼうの砂濱にひよろひよろ松がけむつてゐる
ひよろひよろ松の梢を越えて
遠くずつとむかふの方に霞んで見えるつまらぬ山々
そんなさみしい岬の風景
また沖の島――
沖の沖の ぼんやり視界を消えてゆく影繪のやうな沖の島かげ
おれはまた女の子らがするやうに綺麗な石や貝殼を拾ひあつめて眺めてゐた
(をかしければ嗤ひたまへ)
おれの醜い手の上に美しいものを眺めてゐた
天には鴉がばらまかれ
そろそろ西がもえだしてまつ赤にそれがもえたつたから
そこらの砂にひきあげた小舟のへりに腰をかけて
おれはまたつくねんとしていつまでも
神の宮居が燒け落ちて――火消しもポンプもちりぢりにどこかへ歸つてしまふまで
(ローマも燒けた 長安も またベルリンも 東京も)
空の奧を眺めてゐた
沖のうねりにひるがへる

舟のともにもきらきらと貧しげなの見えるまで


  一羽とぶ鳥は
  友おふ鳥ぞ

  荒磯ありそ


  一羽とぶ鳥は
  頸長し鳥

  臀重し鳥


  一羽とぶ鳥は
  日暮れてとぶぞ

  荒磯


荒磯になびく煙のやうな海藻のうねりと
水を出てくる蜑女あまの群れ
網のもつれる網干し場
おれはそこらをうろついてつまらぬ蟲の走るのも
横つ倒れに轉んでゐる老朽船の船底も
一つ一つ見てまはつた
おひおひあたりは薄暗く
疲れて飢ゑた感情からそこらのものを見てまはつた
かくして夏はすぎてゆく
そんな季節の後ろ姿をけれどもおれは見送つてゐたわけではない
ああさうではなかつた
岩のつき出た斷崖きりぎしのとつさきの小徑にたつて
うちかへす波の轟くこゑのうへで すでにすでにおれの喪つたもののいつさいを

遠い彼方の方角におれは知つてゐたのだから――



遠くの方は海の空



遠くの方は海の空
そこらのつまらぬ水たまりで小僧が鮒など釣つてゐる
さみしい退屈な奴らだよ
いつもこんなところの木かげにかくれて油を賣つてゐるのだよ
崩れかかつた堤防がぼんやりあたりを霞ませて
そこいらいちめんすくすくと蘆の角がのぞいてゐる
くされた都會の場末から一里も遠い埋立地だ
なるほど奴らがふらふらとこんな陽氣に浮かされて
考へもなくやつてきて水のほとりにしやがんでゐる
垢まみれの帽子のかげにも
時にまたついと沈む浮標うきのやうなたよりなげな感情はなやんでゐるのだ
時はこれ一九四九年 ゆく春のまつ晝ま
空しい風がたはむれて弓なりに吹きたわめては飜へすかすかな釣絲
正午だからぼおうとどこかで汽笛も鳴る
遠くの方は海の空


なつかしい斜面



なつかしい斜面だ
おれはこんな枯草の斜面にひとりで坐つてゐるのが好きだ
電車の音を遠くききながら
さみしいいぢけた冬の雲でも眺めてゐよう
ああ遠くおれの運んできたいつさいのもの思ひ
疲れたやくざなおれの希望なら そこらの枯草にはふり出してしまへ
かうして疲れた貧しい男が疲れた貧しい心をいたはつてゐるのは
何といふあてどのないおだやかな幸福だらう
けれどもおれの病氣の心は それでもまだ知らない世界を考へてゐる
無限に遠く 夢のやうに遠くどこかへひろがつてゆかうとする
意志を感ずる
意志を感ずる
ああその意志を不幸なながえから解き放してやれ そいつは愚かな驢馬なんだよ
病氣の愚かな驢馬なんだから向ふの方の松の木にでも繋いでやれ
彼をしてしづかに彼の夢を見しめよ……
さうしてそこらの黄いろく枯れた枯草でも彼の食らふにまかしておけ
遠い斜面の底の方は腐れた都會の水溜りで何だかそこらは薄暗い幾何學圖形の堀割が
晝間もぐつすり寢こんでゐる
そいつの向ふを遠まはりして
電車の音はあとからあとから忙がしい都會の人口を運んでゐるが

まつ晝間だつて何だつてぐつすり寢こんでゐる奴がゐるものだ


おれにしたつてさうかもしれぬ さうだらう
そんなことならおれにしたつてもうとつくの昔に悟つてゐることだ
このぼろ船はいつになつたつて港につかぬ
港は遠く見失はれて 波は高く 海は廣い
機關はやぶれて燃料はつきてしまつたのだ
かまはず積荷をはふり投げて
こいつはかうしてここまでどうやらやつて來たのだ
燒け野つ原の都會の空をいぢけた雲が飛んでゐる
愚かな驢馬は向ふの方で
それでもあいつの性分だから 耳だけひくひくやつてゐる

すてておけ 仕方もないことだ



けれども情緒は



けれども情緒は春のやうだ
一人の老人がかう呟いた
燒け野つ原のみぎりの上で
孤獨な膝をだいてゐる一つの運命がさう呟いた
妻もなく家庭もなく隣人もなく
名譽も希望も職業も 歸るべき故郷もなく
貧しい襤褸らんるにつつまれて 語られ終つたわびしい一つの物語り
谿間をへだてた向ふから呼びかへしてくる谺のやうな 老人がさう呟いた
かひがひしい妻 やさしい家族 暮しなれた習慣と隣人と
そのささやかな幸福のすべてがかつてそこにあつた
燒け野つ原のみぎりの上で
薄暮の雨に消えてゆく直線圖形の堀割のむかふの方
みづがね色の遠景に畸型に歪んでおびえてゐる戰災ビルの肩を越えて
病氣の貧しい子供らが歌ひはじめる唱歌のこゑ――
それはまばらにさむざむと またたのしげに 瞬きはじめた都會の
ああその薔薇いろのひとみとほく輝きはじめた眼くばせが
しかしいま私に何のかかはりがあらう
そのまたずつとむかふの空に重たく暗く沈んでゆく山脈に
けふの私の一日が遮ぎり斷たれ つひには虚無にしまひこまれて消えてゆく黄昏時に
いつまでもいつまでも
空しく風にゆれてゐる柳のかげをたち去らぬこのおだやかな このつかれた この孤獨な情緒は 情緒はまるで春のやうだ……
一人の老人が額をふせてさう呟いた
けれども情緒は 情緒はまるで春のやうだ
しのしのとのび放題に生ひ繁つた草つ原
――その枯れ枯れにうら枯れはてたそこらあたりに
おもたく澱んだ堀割の水がくされてゐる
そこいらいちめん崩れかかつた煉瓦塀の間から 雀の群れが飛びたつた
氣まぐれな思出のやうに 一つ一つ弱い翼を羽ばたいて
巷の小鳥も飛び去つてゆく夕暮れだ
霧のやうに降つてくるしめつぽい冬の雨の中で
けれども情緒は 情緒はいまこの男に
朧ろにかすんだ遠い日の櫻日和を思はせた
遠い沙漠の砂の上でひもじく飢ゑて死んでゆく蝗のやうな感情に
とぼしい光の落ちかかるうすぼんやりした内景から聽き手もなく老人はひとり呟いた

けれども情緒は 情緒はまるで春のやうだ



ここは東京



私はあなたに教へてあげたい
ここは東京 燒け野つ原のお濠端です
こんなに霧のかかつた夜ですが 女のひとよ
ここは北京ではありません また巴里でもありません
あなたはどちらへゆかれるのでせう
あなたは路にまよはれたのです
私はあなたに教へてあげたい
あなたはそんなにもの思はしげに外套の襟に顎をうづめて
うすらつめたいこんな夜霧にぬれながら
どちらへお歸りのおつもりでせう
まあ一度額をあげてごらんなさい
その鈴懸の並木のぐあひをごらんなさい
枯木のままの骸骨どもをごらんになつてはどうでせう
幾年ぶりで昔の主人にめぐり會つた飼犬のやうな直感で
またその家畜のやうなもどかしさで
私はあなたにあなたの見うしなはれた遠いお住ひを教へてあげたい
あなたはいちづな性分です
あなたは路をいそがれます
霧の中に消えてゆくあなたの跫音をききながら
私はかうして街燈のかげにひそんでゐるつまらぬ祕密探偵ですが
考へてもごらんなさい
追剥どもの待伏せするこんな夜路をあなたはごぞんじのはずはない
はやく夢からおさめなさい 女のひとよ
その外套のかくしの中で あなたの手はかたくかたく
つめたく握りしめられてゐる
實はたぶんそれがあなたの夢なんですよ
ふしぎに淋しく遠ざかつてゆくあなたのうしろ姿にむかつて
私は警笛でも吹いてあげたい
ああそらあなたはまたそんな街角を一つ曲つてどちらへゆかれるおつもりでせう
こんなに霧のふかい夜ふけですが 女のひとよ ここは東京
燒け野つ原のお濠端です
あなたは路にまよはれたのです
女のひとよ


いただきに煙をあげて



いただきに煙をあげて――
いただきに煙をあげて走つてくる大きな波
ああこの沖の方から惡夢のやうに額をおしつけてくる獸ものたち
起ち上り起ち上り 起ち上り
まつ暗な重たい空の重壓から無限におしよせてくる意志 厖大な獸ものの頭蓋
さうしてその碎け飛ぶ幻影まぼろし
束の間の丘陵とまたその谿間と
遠く遠くはてしない闇黒の四方に飜り揉みあふこゑ
いただきに煙をあげて 煙をあげて走つてくる大きな波
起ち上り起ち上り 起ち上る
まつしろなその穗がしら――
ながい時間のあひだ私の見つめてゐた幻影まぼろし
ああこの一つの展望から さやうなら 今はもう私のたち去る時だ
私の精神の上に 苦しく懷しい季節はかくして通りすぎた ――然り私はもうこの岩礁の上からたち去るだらう
ふたたびここに歸る時なく
飛沫にぬれた外套の中に凍りながら
彼方に促されてたち去るだらう
心ももと 自由ではない
――駒鳥も冬はうたはぬ
かくして彼方に遠のいてゆく遠雷のやうな海鳴りの上に

私はふたたび人の名を呼ばないでせう



行人よ靴いだせ



行人よ靴いだせ
行人よ靴いだせ
脂ぬり刷毛はかん
ひぢはらひ釘うたん
鋲うたん
革うたん
靴いだせ行人よ
行人よ靴いだせ
故郷の柳水にうなだれ
塵たかくジープは走れ
堀割にゆく舟を見ず
街衢みな平蕪
ボイラー赤く錆び
蛇管だくわんは草に渇きたり
ここにして※(「筑」の「凡」に代えて「おおざと」、第3水準1-89-61)つゑつきつな
巷路暮春の風
いかなれば聽くを須ゐん
天ひろく
眼はむなし
つばくらら肱をめぐりて
地にしける甍をかすむ
路はただ水に隨ひ
直としてすゑは青めり
わが昔中學に通ひし路なり
ゆくところ麥の穗はうれ
大根の花こぼれ散り
月見草あるは晝咲く
ああこれ狹斜の地歌舞の跡
綺語臙脂沈麝の薫り
婀娜たりや夢も亦…… 智慧の環の
見ればつとほぐれて走るくちなはのうせてのち――
日は蝕と
日は蝕と人よぶ聲す
襤褸らんるの子ものかげに天をあふげり
されどまた路傍の石にかしましく
行人よ靴いだせ
行人よ靴いだせ
脂ぬり刷毛はかん
絲かがり針ぬはん
鋲うたん
革うたん
靴いだせ行人よ
行人よ靴いだせ
あはれまたここも闇市
あてどなき喪家の犬か
えうもなきすゑの世をわれはゆきゆけ
ありとなし思出も亦
ジープただ北し南す
ふるさとの暮春の巷
………………………
行人よ靴いだせ
行人よ靴いだせ


霜の聲



冬の寒い夜ふけにあつて
人はみなともし火を消して睡つてゐる
起伏の多い丘や谷間
環状道路がガードをくぐる向ふの方
毀れかかつた街燈や變に歪んだ病院の窓
あるひは夜霧の中に瞬く航空燈臺
――そちらの方角もやつぱりまつ暗な港の方では
それでも何か機關の音が軋つてゐる
ああこの都會の到るところにキャベツ畠が凍りつき
煉瓦塀ばかりの屋敷跡に土藏の屋根が傾いて
そこらの堀割に毀れた橋がかかつてゐる
ねえお巡りさん この道をずんずんまつ直ぐ參りますと 私はどこへ行くでせう
さうさね あすこに低く光つて見えるのは ……あれは君 火星だよ
とんでもない どうして私がそんなに遠くへ行けませう
私は生れてこの方この地球の住人でこの燒跡の市民です
さうして僕は 泥棒どもを見張つてゐる君らの公僕
ありがたうお巡りさん 私どもはあすこの星へは參れません なつかしい隣人よ 月が出た
握手をしよう さやうなら
時はいま二十世紀のただ中を
のぼりつめた峠の空に半輪の月がかかつて
時刻はづれの鷄が鳴く 遠い向ふの地平線
すべての悔恨はこんぐらがつて後ろの方にうすれてゆく そこらあたりの道の上に
――だが冬だから春はま近だ

さくさくと踏めば碎ける霜の聲さへ……



さやうなら日本東京



ぼつぼつ櫻もふくらんだ
旅立たうわれらの仲間
名にしおふ都どり
追風だ 北をさせ
さやうなら吾妻橋
言問 白髯
さやうなら日本東京
さやうなら闇市
さやうなら鳩の街
新宿上野のお孃さん
一萬人の靴磨き
さやうなら日本東京
さやうならカストリ屋臺
さやうなら平澤畫伯
さやうならさやうなら
二十の扉 のど自慢
さやうならJOAK
八木節と森の石松
さやうなら日本東京
さやうならエノケン
さやうならバンツマ
さやうなら元氣でゐたまへ
丸の内お濠の松
さやうなら象徴さん
さやうならその御夫人
數寄屋橋畔アルバイト
南京豆と寶くじ
インフルエンザとストライキ
さやうなら日本東京
ポンポン蒸汽の煙の輪
なつかしい隅田川
さやうなら日本東京


ちつぽけな象がやつて來た



颱風が來て水が出た
日本東京に秋が來て
ちつぽけな象がやつて來た
誕生二年六ヶ月
百貫でぶだが赤んぼだ

象は可愛い動物だ
赤ん坊ならなほさらだ
貨車の臥藁ねわらにねそべつて
さつやバナナをたべながら
晝寢をしながらやつて來た

ちつぽけな象がやつて來た
牙のないのは牝だから
即ちエレファス・マキシムス
もちろんそれや象だから
鼻で握手もするだらう

バンコックから神戸まで
八重の潮路のつれづれに
無邪氣な鼻をゆりながら
なにを夢みて來ただらう
ちつぽけな象がやつて來た

ちつぽけな象がやつて來た
いただきものといふからは
輕いつづらもよけれども
それかあらぬか身にしみる
日本東京秋の風
ちつぽけな象がやつて來た

* アジア象とて、この種のものには牝に牙がない。去る年泰國商賈某氏上野動物園に贈り來るもの即ちこれなり。因にいふ、そのバンコックを發するや日日新聞紙上に報道あり、その都門に入るや銀座街頭に行進して滿都の歡呼を浴ぶ。今の同園の「花子さん」即ちこれなり。


王孫不歸

王孫遊兮不歸 春草緑兮萋萋――楚辭


かげろふもゆる砂の上に
草履がぬいであつたとさ

海は日ごとに青けれど
家出息子の影もなし

國は亡びて山河の存する如く
父母はおはして待てど

住の江の 住の江の
太郎冠者こそ本意ほいなけれ

鴎は愁ひ
鳶は啼き

若菜は萌ゆれ春ごとに
うら若草は野に萌ゆれ

王孫は
つひに歸らず

山に入り木をる翁
家に居て機織るおうな

こともなく明けて暮る
古への住の江の

浦囘うらわ
想へ

後の人
耳をかせ

丁東ていとう 丁東
東東

きりはたり きりはたり
きりはたり はたり ちやう


加佐里だより



KOREAの緑の切手(白い翼と小さな地球
なるほど航空便だから……
消印は83・3・2)
朝鮮慶尚南道晋陽郡
井村面加佐里のさとの姜淑香
そんな振出人から包みがとどいた

音書に曰く
私は岐阜市の生れです
十八まではそちらで育つた
母の國は日本
父の國はこちらです
だから戰爭がすむとこちらに歸つた
こちらもひどく暮しにくい
朝夕かなしく詩を書いた
この帳面を見て下さい

その詩の一つ――
  むされるやうな砂煙り
  晝のやけつく路の上
  うつむいて 年とつた 旅人の 影一つ
  包みを背負つて重たげに
  遠く來た足重たげに
  過ぎゆきぬ

その詩の二つ――
  もの貰ひの
  爪のびてよごれた指さき
  襤褸つづれの袖をかいさぐり
  おづおづとその手をののく
  七つばかりの女の子
  睫毛黒く
  瞳ぬれ
  小さき頭 下げまた下げて
  村をゆく足音あはれ
  秋の風

やつぱりさうか さうだらう
君の田舍も……
この帳面はぼつぼつ讀まう
ありがたう姜淑香
君の田舍の臭ひがするよこの帳面は
野蒜の強い臭ひがするね 姜淑香!


秋だから



秋だから 彼方の窓に鎧扉が下り
秋だから 並木もやがて裸になる
秋だから 秋だから
噴水の聲が高くなり
秋だから 葡萄は熟れ 梨は熟れたが
何かしらおれは愚かなもの忘れ……
鋪石に 街角に 辻の廣場に
斑々はんはんと何かまぶしい白金光
秋だから雲はいそいで都の空を飛んでゆく
飛んでゆくのは雲ばかりか
落葉ばかりか
落葉まじりによろけて墜ちる蝶の羽 沈默しじま
何かしらこの靜かな世界に
耳をゆるがす野兎か ――いや
秋だから 秋だから
何かしらおれの愚かなもの忘れ……


驢馬



耳たてよ
驢馬

嘶け
驢馬

尾をふれ
驢馬

驅けだせ
驢馬

草をくへ
驢馬

影をみろよ
驢馬


驢馬よ!


すずしく青き



すずしく青き蘆の間に鳥の卵はかへりたり
はや小さなる嘴に八月の光をついばむ
われこの高き堤にたちて彼方に水を渡らんとす
なべて空しき江上によしなきまみを放つかな
ただ※(「水/(水+水)」、第3水準1-86-86)々とゆく水はゆるやかにして煤煙は飛びてあとなし
そは一つらの曳船の船脚重く工場の裏を過ぎゆく
のびらかにひろがる水脈みをのひろがりてやがて消えゆく
そはかくも憂愁の深くこゑなきと思出のあとなきとを悟れとや
八月にして脆げなる殼を碎きて鳥のひひなはかへりたり
そは彼ら沖べの水脈をかきわけてはやかづきもやまず波に光るを


水光微茫



堤遠く
水光ほのかなり
城ありてこれに臨めり
歳晩れて日の落つはやく
扁舟人を渡すもの一たび
艪のこゑしめやかに稜廓にしたがひ去りぬ
水ゆらぎ蘆動き
水禽出づ
松老いて傾きたる
天低うしてその影黒くさしいでぬ
かくありて雲沈み
萬象あまねく墨を溶いて
沈默して語らざるのみ
我れは薄暮の客たまたまここによぎるもの
問ふなかれ何の心と
かの一兩羽うちて天にあがる……
叱叱しつしつ しばらく人語を假らざれとなり


かなたの梢に――



かなたの梢に憩ふものあり
日は南 木は枯れて 空青し
またこの冬のかばかりもさまかへし
田のおもてものもなく人を見ず
山低き野のすゑに憩ふもの
こころみになが指に數ふべし
稚な兒よときの間のつれづれの汽車の窓
よごれたる玻璃の陽ざしに
さらばわれらがを指にもかがなべてみん
人の世の途すがら次々に遠くわが失ひしものの數
かの緇衣しえのひと群れの言もなき
團欒のその數の
やすらふと似たらずや
雪ふらん 明日はこの野に雪はふらんとも
けふ空青し
よきかな 眼路めぢのはて
何の木か しらじらと枝高し
その枝に黒きものみな翼ををさめ
參差として 彼らの數をつくしたり
この空や 明日はかぐろに雪はふらんとも――


すずしき甕



天澄み 地涸き
ものみな磊塊
一つ一つに嘆息す
土壘くづたひらぎ
石みな天を仰げり
寂たるかな
三旬雨ふらず
されば羊も跪づき
ともしき夢を反芻す
風塵しばらく小止をや
畑つものなほ廣葉圓葉まろばのさゆらぐを見る
かかる時桔槹きつかうかしこに動き
再び動きてきしり止みぬ
いとけなき起居たちゐのさまや
貧しき乙女の半裸なるしばしはのほとりにくぐもりゐしが
――まことに彼女は時劫に祷るさまなりしが
歩どりはやくひたひたとしたたる甕を運び去るなり
我は見る
かの乙女子のかくて彼方に
片なびく柳がくれにひたひたとすずしき甕をその胸に
重たげにはたは輕げに人の世の無限の時を運びて去るを





底本:「三好達治全集第三卷」筑摩書房
   1965(昭和40)年12月10日発行
底本の親本:「定本三好達治全詩集」筑摩書房
   1962(昭和37)年3月30日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「間人斷章」は底本では「[#「燗のつくり」、U+9592]人斷章」となっています。
入力:榎木
校正:尚乃
2020年7月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

「燗のつくり」    U+9592


●図書カード