第一回
何にする積りかこの間学校で担任の先生が皆みんなのお父さんの職業を取調べた。級長から席順に官吏大蔵省技師とか、実業白木屋店員とかと答えて、僕の番が近づいた時、僕は尠すくなからず当惑した、僕のお父さんは商売なしだ。今に何かやるよと言うのは口先ばかりで、僕を長男に五人の子供の親になってまだ一定の職業がない。四十にして惑わずというからイヨ〳〵最も早う惑わずに無職業と度胸を据えたのらしい。何にもしないで生きているのを徒とし食ょくというと先日読書の時間に習ったが、まさか徒食業と答える次わ第けにも行かず困っていると、僕の前の奴がすっくと立ち上って、 ﹁無職!﹂ と元気好く答えた。おや。仲間があったか、と思ったら、僕は急に心丈夫になった。しかし先生は、 ﹁無職! 実はその無職というのに困るのですが、全然無職という人は滅多にありません。何かしていらっしゃるでしょう?﹂ と森下君を追究した。 ﹁何にもしていません﹂ ﹁それなら金持で唯遊んでいらっしゃるのですか?﹂ ﹁否いいえ、金持じゃありません﹂ と森下君は否定した。 ﹁それでは生活は何どうしてなさるのですか?﹂ と先生が立ち入った。世せち智が辛らい時勢だ。中学一年生が生活問題の解答をしなければならない。 ﹁家やち賃んが入ります﹂ ﹁それなら家いえ主ぬしじゃありませんか。家かさ作くは沢山ありますか?﹂ ﹁沢山あるようです﹂ ﹁そうして御自分の地面でしょう?﹂ ﹁そうです。地代も入ります﹂ というような問答のあった末、森下君のお父さんは地主という判決を受けた。そうして次は僕の番だった。 ﹁無職です﹂ と答えて、僕はこれは矢張り簡単には済むまいと思ったから、立った儘でいた。果して先生は浮ふろ浪うぶ無ら頼いでは納得せず、家作や地所の有無を確めてから、お宅へ物を頼みに出では入いりする人はありませんか等と言って、高利貸の嫌疑まで掛けた後、 ﹁全然の無職には困りましたな。それならばお父さんは主に何をなすって一日をお送りですか?﹂ と訊いた。 ﹁大抵本を読んでいます﹂ と僕は有りの儘を答えた。 ﹁何ういう御本ですか?﹂ ﹁さあ、文学の本が主です﹂ ﹁それなら文学者ということにして置きましょう。全然無職では困る﹂ と先生は奥さんまで職業婦人の所せ為いか無職を良りょ民うみんと思っていない。 調査はなお次から次へと進んだ。結局四十何名かの父兄の中で純粋に徒食を業としているものは僕のお父さんだけだった。皆何か彼かして、稼かせいでいる。僕の一席置いて隣りには海軍中将がいた。それから五六人飛んで三井銀行の支店長というのがあった。職業に貴賤なしと態わざ修身で教えるのは事実に於て動かし難い高下の差別が因襲的に附き纒っているからだ。近道があればこそ、﹁通り抜け無用﹂と書いて置く。今四十何名かの生徒が父兄の職業を申立てた場合でも得意らしいものと失意らしいものがあった。殊に腰弁や会社員の如き一種の雇人で無産無識階級に属するものが相応に豪い積りで尊大に構えているのに一方独立の生業を営んでいる商家が兎角自ら卑ひ下げする傾向のあったのは僕の腑に落ちないところだった。就なか中んずく哀れを止めたのは末ばっ席せきを汚している土つち屋やく君んで、この生徒は最はじ初め、 ﹁陸軍御用!﹂ と言って、直ぐに又、 ﹁陸軍衛えい戍じゅ病院御用です﹂ と訂正した。 ﹁御用商人ですか? 商業ですね?﹂ と先生は念を押して書き留めようとした。この時土屋君は﹁はい﹂と答えればそれで済んでしまったのに、 ﹁否いいえ、商業じゃありません。品物を拵えて衛戍病院へ納めるのです﹂ と説明を加えた。 ﹁それでは製造業ですね?﹂ と先生は最も早うお仕舞い際だったから早く片付けたがって又万年筆を持ち直した。しかし土屋君は製造業でも満足せず、 ﹁否、そうでもありません。やはり陸軍衛戍病院御用です﹂ と何処までも家業を官辺に結びつけようと努めた。 ﹁病院へ納めると……成程、分りました。薬やく種しゅ商しょうですね?﹂ ﹁否、薬種じゃありません。もっと反対のものです﹂ ﹁反対のもの? 一体何ですか?﹂ ﹁拵えて病院へ納めるのです……棺かん桶おけです﹂ ﹁あ、分りました。宜しい〳〵。もう宜しい﹂ と先生は妙に慌てゝ土屋君を坐らせた。皆はクス〳〵笑い出した。 僕は土屋君の努力を甚だ面白いと思った。葬そう具ぐ店は必要欠き難いこと米屋同様だ。否いや、パン食をやっていて米屋のお世話にならない連中でも葬儀社の御厄介には早そう晩ばんならざるを得ないのだから、白米商よりも更に一層正業だといって差支ない。土屋君だってこの辺の道理は充分弁えているのだが、何分縁起の好くない商売柄で、等しく正業でも此こっ方ちから催促的に御用を伺うべき筋のものでない。﹁今こん日ちは、葬儀社でござい﹂等と言えば叩きされる危険がある。そこで土屋君も露骨には答え兼ねて旁かた多少の箔はくをつけるために、日頃取引関係のある陸軍を担ぎ出したのだ。唯迷惑なのは衛戍病院で、彼あす処こでは患者が毎日コロ〳〵死ぬとしか受取れない。しかし問題の如何に拘らず無暗に官憲の力を藉りたがるのは日本人の通有性だから、軍医諸賢の思惑は兎に角、土屋君ばかりを咎とがめるのは無理だろう。 さて、余談は措おいてお父さんの無職業の件だが、僕は土屋君が葬具商を持て余した以上にお父さんの徒食に肩身の狭い思いをした。全くの商売なしでは陸軍へも海軍へも持ち込みようがない。労働が神聖なら不労働は不神聖に定きまっている。何かやってくれると宜いのだが、真ほん正とうに困ってしまう。お母さんもこの点は僕と同感と見えて、 ﹁三輪さんがあんなに仰有ってお勧め下さるのですから、その学校へ御おつ勤と務めになったら如何です? 謙一もダン〳〵成人しますから、親の毎日のらくらしているところを見せるのも何んなものかと存じます﹂ とつい先せん達だっ而ても稍強硬に説いていたが、お父さんは例の調子で、 ﹁今に何かやるよ。屹度やる。まあ〳〵然そう急せき立てないでお呉れ――食うに困るという次わ第けでもないんだからね﹂ と気休めを言っただけで矢張りその儘になってしまったらしい。 お父さんに定職を望むのは僕よりもお母さんの方が急だ。殊に此こと年しに入ってからはお母さんの急せっ付つき方が頻ひん繁ぱんになった。絶えず機会を覗っているらしい。次のような問答は僕の度々洩れ聞くところだ。 ﹁あなたは最も早う四十じゃございませんか?﹂ ﹁それは分っているよ﹂ ﹁分っていらっしゃるなら、何かなすって戴きたいものですね﹂ ﹁今にやると言っているじゃないか﹂ ﹁あなたの、﹃今に﹄はこれで最も早う十五年続きますから恐れ入りますわ。そう億おっ劫くうがらないで、何でも宜うございますから……﹂ ﹁学校でも新聞でもだろう? そうして若もしお厭でなければ会社でもだろう?﹂ ﹁そう暗あん誦しょうしていらっしゃる程まで申上げているのですから一つ本気になってお考え下さいよ。何でも宜ようございますが、この間申上げたように里の方を助けて下されば一番結構ですわ﹂ ﹁乃お公れに商売のことが分るもんかね。第一算盤が皆かい目もく出来ない。一体彼の鬼瓦は乃公に何をさせると言うのだい?﹂ ﹁何にもさせますまいよ。図体が大きいから鹿爪らしい顔をして店に坐っていて呉れゝばそれで宜いと仰有っていましたわ。家で書斎のお机に坐っていらっしゃるのも店へ行って支配人の椅子に坐っていらっしゃるのも同じことじゃありませんか?﹂ ﹁同じことだから家にいるのさ。そう〳〵急き立てるな。今に何かやる﹂ ﹁私、あなたが何時までも商売なしでいらっしゃると里へ帰っても肩身が狭うございますわ。秋子のところでは自動車を買い入れるという勢ですもの。芳江のところでは博士になりましたしね。私、黙っていても実際気が気じゃありませんよ。それをお父さんは少しもお察しなく、私の顔を見ると何時も、﹃愚ぐ迂う多た羅ら兵べ衛えは相変らずのらくらしているかい?﹄とお訊きになるじゃありませんか?﹂ お父さんはお母さんと話をする時には里のお祖父さんのことを鬼瓦々々と言う。その返報かお祖父さんの方では僕のお父さんを愚迂多羅兵衛と呼んでいるらしい。こう綽あだ名なをつけて茶化し合っていてもお父さんとお祖父さんはお互を能く理解している。現に婿の中では謙一の親父が一番話相手になると言ったことが二度あるとか三度あるとか、お母さんが指を折って数えていた。それは兎も角、鬼瓦の方から碁の客が来ているからと小僧を寄越すこともあれば句会があるからと言って愚迂多羅兵衛の方から僕が使つか者いに行くこともある。囲碁では外しゅ舅うと殿どのがお師匠さんで、俳句ではお婿さんが宗そう匠しょうらしい。まず以て申分ない舅婿の関係を保っている。なお筆の序だから説明して置くが、自動車の秋子叔母さんと博士の芳江叔母さんというのはお母さんの妹だ。妹思いのお母さんはこの二人の配つれ偶あいがそれ〴〵発展成功して行くのを喜ぶと同時に、兄弟は他人の初まりといって自然競争心があるから、お父さんの煮え切らないのを歯はが痒ゆがるけれども、お父さんは相変らず晏あん如じょとして愚ぐ迂う多た羅ら兵べ衛えを極め込んでいる。 もう一つお父さんの無職のためにお母さんが困るのは、客来の殆ど絶えないことだ。主人公が相手欲しやの閑人だから、友達が入り替り立ち替り押し寄せる。そうしてそれが愚迂多羅兵衛と肝胆相照らす手合ばかりだから、皆多少愚迂多羅気分を具ぐ備びしていて、談論に興が湧いて来ると日の暮れるのも夜の更けるのも忘れてしまう。中には、 ﹁君のところへ来るのは一挙両得だね。必ず誰か仲間のものに会えるから、友達に御無沙汰ということがなくなる。調ちょ法うほうで好いよ﹂ とか、 ﹁何うです――正月は此処で会うのを年賀と見做して面倒な形式は一切廃そうじゃないか?﹂ とかと言って、家の客間を倶楽部と心得ているのがある。実に能く人が来る。去年町内が毎晩のように泥棒に襲われて両隣りまで難に遭った時僕のところだけ免れたのは余り人の出入が繁いので泥棒の方で怪しい家だと思ったのかも知れない。お父さんはこんな風でも平気だが、お母さんは忙しくて堪まらない。それに子供が多いから女中や婆やは手一杯で頻に愚痴を零こぼす。他よ所その家では主人は少くとも日中は勤めに出るから主婦はその間息がつける。凡そ細君は良りょ人うじんの見ていない時までもそう〳〵働くものでない。大将御帰館という頃合を見計らって襷をかける。僕の家にしても稀たまにお父さんのいない時にはお母さんは子供が泣いても知らん顔をして雑誌を読んでいる。これは決して横着でも陰かげ日ひな向たでもない。細君当然の権利だ。主人は朝から夕刻まで外で働き、主婦は主人が帰ってから夜寝るまで内で働く。主人が働く間は主婦が休み、主婦が働く間は主人が休む。かくて男女共に働くと称する時間が略公定相場の八時間になるのだが、家ではお父さんが終日在宅だから、お母さんは十六時間労働に服さなければならない。 こういう次第で僕はお父さんに早く何か始めて貰いたいと思っていたところへ、先生に﹁全然無職では困る﹂と言われたのだから、感銘が至って痛切だった。尤も先生は無職業では自分の調査の上から差支えると言うので、何も人間として不都合だという意味ではなかったのらしい。それにしてもやはり僕はその日は始終お父さんの職業問題が気になって、これを機会に一つ僕から諫めて見ようかと思いながら、学校の門を出た。電車道から家の方角へ折れた時、 ﹁君のお父さんは文士なのかい?﹂ と道連れの森下君が突然尋ねた。 ﹁否、文学者だよ﹂ と僕は答えた。 ﹁文士と文学者とは違うのかい?﹂ と森下君は怪けげ訝んな顔をした。 ﹁それは違うさ。文学を玩がん味みする能力のあるものは文章を書く書かないに拘らず皆文学者さ。そうして文章を書いて食っているものは文学を玩味する能力の有る無しに論なく皆文士さ﹂ と僕はお父さんの受売をした。実は文士だと言いたかったのだが、愚ぐ迂う多た羅らは理窟を捏こねるばかりで少しも書かないから仕方がない。 ﹁それじゃ君のお父さんはその書かない方の口だね?﹂ ﹁そうさ﹂ ﹁それじゃ僕のところも文学者と言うと宜かったにな。親父は始終講談本を読んでいる﹂ と森下君は残念がった。 家に着くと例によって客が来ていた。平ふだ常んは誰が来ていようと一切無頓着だが、今日はお父さんに関係あることゝいえば何でも注意を惹ひく。僕は机に坐った儘何時の間にか客間の談はな話しに聞耳を立てゝいた。お客さんは三輪さんだった。又学校へ出るように勧めに来て呉れたのなら天の与え、僕も及ばずながら加勢をしよう等と考えていると、 ﹁僕もイヨ〳〵何かやらなくちゃならない。今に〳〵と思っている中に年が寄ってしまうね﹂ とお父さんが言った。時の経つと共に年の殖ふえることを初めて悟ったような口こう吻ふんだった。それにしても悪い傾向ではない。 ﹁何か感ずるところあったのかね﹂ と三輪さんが訊いた。 ﹁別に発憤した次わ第けでもないが、この四五日の中に君は最も早う青年じゃないという判決を思いがけない人から二度までも言渡されて、少々慌て出したのさ﹂ とお父さんが答えた。五人の子供があるのに青年の積りでいられてはお母さんが堪らない。三輪さんも稍驚いて、 ﹁ふうむ、君は青年だと思っていたのかい?﹂ と笑った。 ﹁無論青年だとは思わないが、誰かの小説に最も早う正確にはヤング・マンと呼べない年輩でという形容のあったのを見た時、丁度僕の年恰好だと思ったことがある。西洋では三十五六、否、七八まではまだ青年だからね。ところがこの間靴を誂えに行って、﹃今度は一つ編あみ上あげにして見ようか?﹄と僕が言うと、番頭の奴め、﹃矢張り深ゴムが宜しゅうございますよ。お年を召したお方は皆様深ゴムでございます﹄と来た。そうしてその語調が如何にも自然で、迚とても咄嗟の間の判断じゃなかったね。僕は一ちょ寸っと面めん喰くらったよ﹂ ﹁小っぴどくやられたね。自ら任ずるところ余り若過ぎるからさ。そうして註文は見合せて来たね?﹂ ﹁否、一も二もなく深ゴムということにして尻尾を捲いて逃げて来た。ところがその翌日のことだ。母の眼鏡の度が合わなくなったと言うから、僕が出た序に眼鏡屋へ寄ったと思い給え。﹃これより一二度強いのと入れ替えて貰いたいが﹄と頼むと、番頭は玉を検あらためてから仮かり枠わくに老眼鏡を箝はめて、﹃これくらいでは如何でしょうか? 一寸お掛けになって御覧下さい﹄と又来たね。僕の眼鏡だと確信している。それが靴屋と昨日の今日だったからね。僕はイヨ〳〵最早青年を諦めた﹂ ﹁当あた然りまえさ。しかし迷いが晴れて宜よかったよ。毎日のように顔を合せていると分らないが、純然たる第三者が見ると君もこれで最早相応の年輩なんだね。そこで僕はもう一遍君に勧めるが……﹂ ﹁学校は御免だよ。時間で縛られる商売は迚とても僕のようなものには勤まらない。推薦者の君に迷惑をかけるばかりだ。しかし僕も青年じゃないと相場が定きまった以上は斯うしちゃいられない。イヨ〳〵やるよ﹂ ﹁何をやるんだい?﹂ ﹁何だか分らないが、兎に角やる﹂ ﹁到頭隠居から苦情が出たんだね?﹂ ﹁否、子を見ること親に若しかずで、親父は決して僕に就職を勧めない。お前がうっかり商売に手を出そうものならこんななけなしの身しん上しょうは瞬く間に飛んでしまうよと言って、却って現状維持に賛意を表しているのさ。しかしやるよ。屹度やる﹂ とお父さんは唯やる〳〵とばかり言って、何をやるのだかまだ見当がついていないらしい。けれども先頃までは、﹁やる﹂という動詞には必ず﹁今に﹂という未来の副詞を冠かぶせたものだが、今日はそれを省はぶいている。何だか分らないが、もう直ぐやる気らしい。お父さんは靴屋と眼鏡屋の番頭のお蔭で発憤したと見える。少くとも﹁今に﹂という言葉を靴屋か眼鏡屋へ落して来た。 ﹁時に君は熊本だったが、熊本は余程まだ人文の進まないところだね﹂ と少しば時らくしてからお父さんが話を全く別の方面へ持って行った。 ﹁何どうして?﹂ と三輪さんは直ぐに釣り込まれた。 ﹁水道もない。電車もない。都会というよりも森の中に家が沢山寄り集まっているようなところじゃないか?﹂ とお父さんは見て来たようなことを言った。 ﹁能く知っているね﹂ と三輪さんは案外の感を語調に表した。 ﹁日本にいて日本のことを知らなくて何うするものか。君は横手の五郎が木きや山まだ弾んじ正ょうの生れ更かわりだという話を知っているかい?﹂ ﹁横手の五郎? 知っているさ。しかし君は妙に熊本のことが明るいね!﹂ ﹁然そう見みく括びったものじゃないよ。﹃嫁入りしたこたしたばってん。権ごん左じ衛ゃ門あどんの痘ぐじ痕ゃっ面ぺだっけん、まあだ盃やせんじゃった。村役、捕役、肝きも煎いりどん、あん人ふと達たちの居おらすけんで、後は何どうなと、きゃあ、なろたい﹄と何うだね?﹂ ﹁豪いことを知っているね。何処で覚えて来たんだろう?﹂ ﹁恐れ入ったもんだろう? まだ沢山あるんだが、蘊うん蓄ちくを一々披ひれ瀝きしていると果しがないから、この辺で止めにして置く﹂ ﹁その辺で恐らく種切れと認めるが、一寸驚いたよ。僕は子供の時に此方へ来てしまったから、今の﹃おてもやん﹄の歌なんか全くうろ覚えだ。誰から聞いたね?﹂ ﹁実は必要があって最近に調査したのさ﹂ ﹁熊本のことなら僕の親父が詳しいから、何でも訊いてやる。しかし何にするんだい?﹂ ﹁書く支度さ。別に熊本に重きを置くんじゃない。今のは偶たま君が熊本だから、研究の一端を発表して度胆を抜いたまでの話さ。僕はピックウィック・ペーパーズ見たいなものを書きたいと以前から思っているが、それには書斎にばかり引っ込んでいちゃ駄目だ。世間が些ちっとも分らないからね。そこで一つ広く人情風俗に通じるため近々孤こえ影い飄ひょ然うぜん日本全国遊覧の旅りょ途とに上のぼる積りだ。先さっ刻きからイヨ〳〵やると言っているのはこの旅行のことさ﹂ とお父さんは高が名所見物か何かを北極探検のように大おお形ぎょうに言った。それでも三輪さんは、 ﹁ふうむ、大奮発だね﹂ と十何年かの躄いざりが立ち上ったように感服して、 ﹁好いい思いつきだよ。屹度面白いものが出来る。ピックウィックとは考えたね。君のところは一種のピックウィック倶楽部だ。何なら僕がお供をしてタップマン君やウインクル君の役を務めても宜いい﹂ ﹁道連れがあればこの上なしだ。実を言うと孤影飄然は少し心細いからね。しかし君は閑がないだろう?﹂ ﹁休暇の時なら何うにでも都合をつける。それに例の神経衰弱で医者から保養を薦すすめられているから旅行は持って来いさ﹂ ﹁それじゃ君の春休みを待つかな﹂ そこでお父さんと三輪さんの間に一緒に旅行に出掛ける約束が忽ち成り立った。お父さんは余程以前からこういう目もく論ろ見みをしていたと見えて、旅行日程の書いてある手帳を持って来た。そうして二人がなお話しているところへ団だんさんがノソッと姿を現した。 ﹁団君、珍らしいことがあるぜ。村岡君がイヨ〳〵発ほっ心しんしたよ。ピックウィック・ペーパーズを書くそうだ﹂ と三輪さんは直ぐ吹ふい聴ちょうした。 ﹁ピックウィック・ペーパーズ? 何だい。ピックウィックてのは?﹂ と団さんは文学者でなくて建築の技師だ。 ﹁君はヂッケンズを知らないのかい?﹂ と英文学専門の三輪さんは呆れたように言った。 ﹁ヂッケンズ? 知らないね。そんな建築学者は少くとも英米にはないよ﹂ と団さんは眼中に小説家がない。 ﹁然う〳〵、アインホーを自転車の積りでいたのは団君だったね﹂ と三輪さんはヂッケンズは沙汰止みにして、お父さんの旅行の趣意を平明な言葉で説明した。しかし工学士は、 ﹁それなら要するに遊覧旅行じゃないか? ピックウィックでもヂッケンズでもない。何うも君達は言うことが大袈裟でいけないよ﹂ と貶けなしつけたばかりで、一向驚かない。 ﹁相変らず愛嬌がないね﹂ とお父さんが笑った。 ﹁野郎共を相手に愛嬌を振り蒔いても始まらないさ。しかし君は真ほん正とうに旅行に出掛けるのかい?﹂ と団さんが訊いた。 ﹁真正さ。三輪君も行くから君も来ないか?﹂ ﹁まあ、御免蒙ろうよ﹂ ﹁何故? 忙しいのかい?﹂ ﹁否いや、商売は不景気以来全く閑だ。無理にやれば損をするばかりだから、万事手控えという形だけれどもね﹂ ﹁それなら丁度誂え向きじゃないか? 行こうよ。君の郷里へも寄るよ。君は名古屋辺だったね﹂ ﹁名古屋さ。名古屋も市まち中なかだ﹂ ﹁それじゃ﹃笹島駅から三丁目﹄かい? ﹃一軒置いて二軒置いて三軒目﹄だろう? ﹃名古屋へ入りゃあたら寄て頂ちょ戴うでゃあも﹄は何うだい?﹂ とお父さんが節をつけて言うと、 ﹁おや、妙なことを知ってるぜ!﹂ と団さんは怪んだ。 ﹁行きゃあすか、置きゃあすか、何うしゃあすか? 一寸も埓だち明ゃあかんとぐざるぜも。行こうよ﹂ ﹁聊か驚いたね。何処で修業して来たい﹂ ﹁君、こんなことは朝飯前だよ。僕等は建築家と違って、居ながらにして名所を知る組だ。方々珍しいところを見せて上げるから黙って跟いて来給え﹂ とお父さんは大きく出た。 ﹁さあねえ、僕も生命は惜しいからね﹂ と団さんは相手にならない。 ﹁アフリカへでも行きはしまいし、何の危険なことがあるもんか﹂ ﹁否、アフリカなら案内人を頼むけれど、なまじ言葉の通じる日本だけに、却って始末が悪い。考えても見給え。数理の観念のない君と方角の観念のない三輪君に引き廻されるんじゃ、何処へ行くか何時帰れるか分ったもんじゃないよ﹂ ﹁僕に数理の観念がないとは聞き捨てにならないね。何か証拠があるのかい?﹂ とお父さんは不服を唱えた。 ﹁あるさ。君は数理どころか数そのものゝ読み方さえ怪しいぜ。御希望ならこの場で証明して上げても宜い﹂ と団さんは確信のあるように言った。 ﹁参考のため一つ願いたいもんだね﹂ ﹁お安い御用さ。それじゃ、村岡君、十万円が十で何円だい?﹂ ﹁百万円さ﹂ ﹁百万円が十なら?﹂ ﹁千万円さ。人を馬鹿にするなよ﹂ ﹁千万円が十では?﹂ ﹁一億万円さ﹂ ﹁夫れ見給え﹂ ﹁何だい? 千万円が十なら一億万円に相違ないじゃないか?﹂ ﹁億万という単位はないよ﹂ ﹁ふむ、一億円か? 占しまったな! 一寸言い間違えたんだ﹂ ﹁否、君は何時でも然う言っている。誤魔化しても駄目だ﹂ ﹁僕に方角の観念がないという証拠があるなら見せて貰おうか?﹂ と三輪さんも団さんの手の明くのを待っていて苦情を持ち込んだ。誰でも自分のことは分らないと見える。 ﹁君のは村岡君のよりも更に甚だしいぜ。君は去年の正月僕の家へ来てからその後一度も顔を見せないね?﹂ ﹁そうさ。しかしそれは此処で度々会うからで、お互いじゃないか?﹂ ﹁そんなことを訊いているのじゃない。君は彼あの時僕の書斎に掛けてあった大きな建物の写真を見たろう?﹂ ﹁見たとも。あの上シャ海ンハイの何とかいう独ドイ逸ツし商ょう館かんのことだろう?﹂ ﹁感心に記憶力だけはあるね。しかしあれは上海でも独逸商館でもない。丸ノ内ノ海上ビルデングだぜ。海上ビルデングと左から右へ書いてあるのを君は逆にグンデルビ上海と読んで、﹃上海には海上ビルデングに能く似た建物があるね。独逸商館か知ら?﹄と言ったじゃないか?﹂ ﹁成程、それは大おお失しく敗じりだったね。しかし考え違いということは誰にでもある。詰まらないことを何時までも根に持っている男だな﹂ ﹁根に持つ次わ第けでも先刻のアインホーの仇討でもないが、証明して呉れと頼むから実例に利用したばかりさ。左から読むものを右から読んで一年も平気でいるようでは西へ行く積りで東へ行く汽車に乗るよ。上海のグンデルビと一億万円に日本中を引っ張り廻されるんじゃ何んなに丈夫な生命でも別状なしでは済むまいと言うのさ。ハッハヽヽヽヽヽ﹂ と団さんは哄笑一番痛快を極めた。 ﹁それじゃ一つ団君に引き廻して貰おうじゃないか? ねえ、三輪君﹂ ﹁それが宜い。団君、僕等がお供をしよう﹂ と二人は又勧誘に努めた。何んな形式でも道連れが出来さえすれば宜いという肚だ。 ﹁然う出て来れば又考えようがある。尤も無職業や教員と違って、僕は事務所の方の都合があるから、確答は少しば時らく待って貰わなければならない。しかし冗談は偖さて措おいて或は君達のお供をするかも知れないよ。斯ういう閑なときでないと保養なんか出来ないからね﹂ と団さんは到頭本音を吹いた。 ﹁然う来なくちゃ嘘だ。一も二もなく賛成したんじゃ勿体がつかないからね﹂ ﹁役人時代の出張旅行で方々を歩いているんだから一緒だと心丈夫だ。実際好いものが引っかゝったよ﹂ と二人は最も早う約束が出来た積りでいる。第二回
僕はお父さんには失望した。今に今にと言っていたのが、イヨ〳〵やるとなったから、何んな事業を始めるのかと思って力瘤を入れていれば、これから支度にかゝるのだそうだ。そうしてその支度も旅行だそうだ。それも欧米視察とでもいうのなら又考え様もあるが、高の知れた日本国内を保養がてらの友達と一緒に見物して歩くとあっては、僕もお父さんの心しん底ていを疑わずにはいられない。三輪さんはピックウィックだと言って大騒ぎをするけれども、あの人は猫が産気づいたといって学校を休んだくらいの苦労性だから、団さんも言った通り、話が大袈裟なのだ。実際ピックウィックでもヂッケンズでもない。閑人のやる遊覧旅行だ。お母さんの責め立て方が追々厳しくなったので一寸気を抜く為めに、世態人情の探究に託かこつけて少しば時らく家を明ける魂胆としか受取れない。清一郎は何でも支度に念を入れ過ぎるから、肝心の仕事にかゝらない中に倦きが来てしまうと仰有って、お祖父さんは笑っている。今仮りに本気で何か書く積りでいるとしても、それは思い立った当座だけのことで、日本中歩いてしまう頃には又御意が変るに相違ない。矢張りお飾りの数を余計潜っただけあって、お祖父さんは家のも里のも目が利いている。お父さんは到底愚ぐ迂う多た羅ら兵べ衛えだ。 僕はこんな風に考えて、お父さんに世間並のことを期待するのを諦めてしまい、もう何うでも構わないと思っていたが、不ふ図と或日のこと、お父さんの遊覧旅行に切実な興味を持たなければならないような立場になった。掌てのひらを翻かえしたようで可お笑かしいが、僕は今はお父さんに日本中の面白いところを是非隈なく歩いて戴かなければならない。その次わ第けは先ず斯うだ。 僕が学校から帰ったのを見かけて、妹の愛子と歌子がニコ〳〵しながら僕の部屋へ入って来た。 ﹁兄さん、お父さんは御旅行なさるんですってね?﹂ と愛子が真先に注進に及んだ。 ﹁然うだってね。けれどもまだ何時出掛けるとも定きまったんじゃないだろう?﹂ と僕はそんなことは何うでも宜いという風で答えた。 ﹁あら、兄さんは狡ずるいわねえ!﹂ と今度は歌子が言った。 ﹁何故さ?﹂ と僕は実際意味が分らなかった。 ﹁何故って、兄さんもお父さんと一緒にいらっしゃるんじゃありませんか? 先刻お父さんとお母さんがそう仰有っていましたよ。兄さんは私達が行きたがるといけないと思って黙っていたんでしょう?﹂ と愛子が説明してくれた。 ﹁然そうよ〳〵。真ほん正とうに狡いわ!﹂ と歌子も勝ち誇ったように口を添えた。 僕は思いがけない吉報に何とも言いようがなく覚えず相そう好ごうを崩したらしい。笑うまいとしても頬の筋肉が緩んで仕方がない。 ﹁それ御覧なさい!﹂ ﹁匿かくしていて!﹂ と二人は一ひと角かど僕を遣り込めた積りで凱歌を揚げた。実は僕は藪から棒で、もう少し消息の内容を確めたかったから、 ﹁けれども愛ちゃん……歌ちゃん……まあお待ちよ……﹂ と言って訊こうとしたが、余り嬉しいと力が抜けるものだ。妙にニタ〳〵して言葉が途切れてしまう。それを先むこ方うは弁解の努力と取り違えて、 ﹁やあい、詰つうまった〳〵!﹂ ﹁一升徳利詰まった!﹂ と囃はやし立てながら、悠々と茶の間の方へ引き揚げた。 しかし僕は間もなく疑問が起った。何うやらこれは話が余り甘うま過すぎる。お父さんが何故僕を連れて行くのだろうか! 散歩に出掛けるにも子供は煩いといって独りで行く人が長い旅行のお供を僕に仰せつけるとは理窟に合わない。或は妹達が何か早合点をしてあんなことを言ったのかも知れない。いっそお母さんのところへ行って確めて見ようかと思ったが、僕は性せっ急かちで遠足や運動会の折には前の日から騒ぎ立てる癖があるから、イヨ〳〵となるまで知らせずに置く積りかも分らない。然うなら訊いても駄目だ。こんな風に僕はなお種いろ々いろと憶測を逞たくましゅうしたが、要するに成行を待つ外はないという極めて平凡な結論に達した。 晩御飯が済むと間もなく、一番お代官様の圭けい二じが睡くなった。四つや五つの子供はまだ労を厭うことを知らない。朝早くから及ぶ限り骨の折れるようにと心掛けて遊ぶから疲れると見えて、晩は案外早い。尤もこの活動家にいつまでも起きていられたらお母さんは息をつく間がなかろう。僕達でも圭二の寝た後は何か物忘れをしたような心持がする。さて、続いて文子がコックリ〳〵やり始めた。 ﹁おい、文子が睡いよ﹂ と火鉢の側に坐っていたお父さんがお母さんを呼んだ。漸く圭二を寝せつけたお母さんは又文子を連れて行った。尤も文子の方は寝ねま衣きに着替えてやれば独りで寝るから然う手はかゝらない。 ﹁おい〳〵、愛子と歌子が喧嘩をしているようだよ﹂ と少しば時らくしてからお父さんがまたお母さんを呼んだ。お母さんは実に忙しい。全く応接に遑いとまがない。然るにお父さんの方は至って楽だ。火鉢の側そばに坐って煙草を吸いながら、目で見、耳で聞きつけたところを、 ﹁おい〳〵、鉄瓶が吹いているよ﹂ という風に口に出して大して間違いないように報告すればそれで用が足りる。 お母さんは勉強部屋の喧嘩を仲裁して来て火鉢の向う側に坐った。これで先ず一日の仕事が片付いたのだ。お父さんが立とうとすると、お母さんは、 ﹁あなたは私がこゝに坐ると、お立ちになりますのね?﹂ と有りの儘を記述した。 ﹁そういう次わ第けでもないが﹂ とお父さんはそれを批難と解釈して、その儘腰を落ち着けた。 ﹁こんなに大勢の子供と年寄を預かっていて、あなたの居所が判はっ然きりと分らないような御旅行なら、私はお留守番は御免蒙りますよ﹂ とお母さんが急に言い出した。 ﹁それは大丈夫だよ。予定を拵えて、何日に何処へ泊るぐらいは分るようにして置くからね﹂ とお父さんが直ぐに答えたところを見ると、この談はな話しは以ま前えからの続きに相違ない。僕は兎に角形勢が分ると思って、一生懸命に夕刊を睨んでいた。 ﹁予定は無論整ちゃ然んと拵えて置いて戴かなければなりませんが、あなたは迚とても几帳面にお手紙を下さるような方じゃありませんからね﹂ ﹁書くさ。手紙ぐらい﹂ ﹁否いいえ、迚とても当てになりませんよ。それですから、家のものに安心させる為め、この間から申上げています通り、是非謙一をお供に連れて行って下さいましな﹂ とお母さんが言った時、僕は覚えず伸び上った。 ﹁それは連れて行っても宜いが、足手纒いだからね﹂ とお父さんは遠慮がない。 ﹁足手纒いなことがあるものですか。もう中学生ですもの、自分のことは何でも自分で出来ますよ。謙一に毎日欠かさず通信して貰えば私も安心していられますわ﹂ とお母さんは極めて有もっ理ともなことを主張した。 ﹁それもそうだな。一つ連れて行くか。しかし謙一は学校があるよ﹂ とお父さんは動ややともすると、僕に難癖をつけたがる。 ﹁三輪さんが御一緒なら何うせお休みの時でしょう? 学校のお休みは何処も同じですわ﹂ とお母さんは僕のために弁じてくれた。実際それに相違ない。 ﹁謙一、お前一緒に行くかい? 大人と一緒に歩いても詰まらないだろうね?﹂ とお父さんは、今度は直接に僕の意向を求めた。余あんまり不意だったので、僕は即座に返答が出なかった。 ﹁毎日汽車に乗るんでは、子供は倦きてしまうからね﹂ とお父さんはなおお為めごかしにしようとした。僕はもうこの時には悉すっ皆かり落ち着いて莞にっ爾こりと笑ってやった。 ﹁謙一は無論喜んでお供を致しますよ。旅行は好きですもの﹂ とお母さんが註解してくれた。 ﹁連れて行こう。大たい勢せいが然うなっているようだから敵かなわない。三輪君の家でも細君が謙一の同伴を三輪君の出発条件のように話していた。謙さんが御一緒なら私も安心ですと頻りに言っている。瘤がついて行くと通信以外に何か安心なことがあると見えるね﹂ とお父さんは冷かすように言った。 ﹁そんなことを想像なさるほど男というものは自尊心がないのでしょうかね?﹂ とお母さんは逆さか捻ねじを食わせて、 ﹁けれども団さんが御一緒ですから、三輪さんの奥さんも多少警戒なすったのでしょうよ﹂ と悉すっ皆かり三輪夫人に託かこつけてしまった。 ﹁団君こそ好い面の皮だ。しかしそれは然うとして、先刻隠居でもお父さんとお母さんが謙一を是非連れて行くようにと言っていた。尤もこの方は謙一は我儘者だから男親がいないと手に余るだろうというのが表向きの理由だったけれどもね。要するに皆の懇こん望もうだから、原動力は何どの辺にあるか知らないが、連れて行くことにしようよ﹂ と言って、お父さんは到頭僕に随行を仰せつけることになった。 さあ、斯う局面が開展して来ると僕も今までのように呑気に構えてはいられない。殊に自分のことが自分で出来ないようならお供はお母さんから願って帳消しにして貰うからと言い渡されている。嚇おどかしとは思うけれども油断がならない。そこで床も毎朝自分で上げなければ愛子や歌子がいつ何んな言いつけ口をするかも知れない。靴もお蔦つたにばかり磨かせていると見つかる虞おそれがある。取り分けて心配なのは気きま紛ぐれなお父さんがひょっとして旅行を思い止まりはしまいかということだ。計画と実行を全く別問題にしている人だから実際心許ない。就いては僕は団さんの来るのが待ち遠しかった。お父さんも三輪さんもあの人を当てにしているから万一工事の都合で手が抜けない等と言われると何う変ずるかも分らない。中止とまで行かなくても延期ぐらいにはなり兼ねない。 斯ういう次わ第けだったから、日曜の朝、団さんを客間へ取次いだ時には僕は吉か凶かと気が気でなかった。しかし僕が案じるまでもなくお父さんは団さんが坐るか坐らないに、 ﹁何うだね? この間の話は?﹂ と約束通り確答を要求した。 ﹁今日見てやる。しかし余り期待しちゃ困るよ﹂ と団さんは答えた。 ﹁それじゃ駄目かい?﹂ とお父さんは失望したようだった。確答を聞くまでと思ってその場に坐り込んだ僕も全く当が外れてしまった。 ﹁駄目なこともないが、日本家屋で完全な戸締りということは到底出来ない相談だからね﹂ ﹁何を言っているんだい? 君は﹂ ﹁何をって、君は旅行するから戸締りを一つ見てくれとこの間頼んだじゃないか?﹂ と団さんは戸締りのことを言っているのだ。まだ脈がある。 ﹁成程、それもあるが、君は一緒に行くか否どうかと訊いているのさ﹂ ﹁それは無論行くさ。そのことも報告しようと思って来たのさ﹂ ﹁それなら然うと早く言えば宜いいに﹂ とお父さんは焦じらされたものゝ満足のようだった。僕の安心したことは言うまでもない。 ﹁旅行は交際関係で第二の問題さ。戸締りの依頼は事務関係で第一の問題さ。第二から第一へ移らないと順当らしくないかね? 何うも君達はその通り頭あた脳まが杜ずさ撰んだから危いよ。そこで友情として迚とても黙って見ていられないから、僕は万障繰り合せて君達を引き廻してやることに定きめて来た。お礼を言い給え﹂ と団さんは相変らず理窟っぽい。 ﹁それは有難い。それさえ聞けば戸締りの方は又今度でも宜い﹂ ﹁否いや、お供をするとなると片付けて置かなければならない仕事があるから、もうそう度々は来られない。今日序に見てやろう。しかし君のように絶対に泥棒の入れないようにという註文は無理だぜ。日本家屋は入ろうと思えば素しろ人うとにでも結構入れるのだから、まず泥棒を誘惑しないぐらいの程度にしか出来ない﹂ ﹁君に似合わない消極的なことを言うね。建築を商売にしている人に完全な戸締りが出来なくちゃ仕方がないじゃないか?﹂ ﹁実は戸締りのことではこの間赤っ恥をかいたんだよ。以も前と大臣をしていた人が洋行するので、僕に屋敷の用心のことを相談した。僕はその人の考案も多少参さん酌しゃくして、要所々々を可なり厳重に固めてやったが、財政家だけに頗る念入りの男でね、自分で方々をコチ〳〵試めして見た末、﹃君、誰か泥棒の心得のあるものを一人紹介して貰えまいかね﹄という註文さ﹂ ﹁泥棒を紹介してくれは気に入ったね。矢っ張り君は人相が好くないと見える﹂ ﹁人相の問題じゃないよ。戸締りの試験をしようと言うのさ。ところで僕は有らゆる階級に知人があって交際は決して狭い方じゃないが、生あい憎にくと泥棒には一人も懇意なのがない。そこで持て余した結果警視庁へ行って井口君を引っ張り出した﹂ ﹁巧いところに気がついたね。彼あのシャロック・ホームズなら確かに泥棒以上だよ﹂ とお父さんは少し変った話になると無暗に嬉しがって小説の人物を引き合いに出す。この点は三輪さんと共通だ。 ﹁西洋人じゃないぜ。君の知っている彼の井口君さ。僕は彼の男に感服したのは今度ばかりじゃないが、実に豪いもんだね。種いろ々いろと泥棒の道具を持って来て、此処は斯うして明ける彼あす処こはあゝして外はずすと説明しながら、三十九箇所から入って見せたぜ。商売となると友達も親類も見境がなくなる男だから始末に負えない。僕は大いに面目を失しっしたね。主人公も驚いたが、大工は呆れ返って、﹃彼の人は何ものですえ?﹄と訊いた。﹃警視庁の鑑識課長さ﹄と教えてやると、棟とう梁りょうめツク〴〵井口君の顔を眺めていたが、到頭、﹃俺は悪いことは言わない。あなたは警視庁を止めて泥棒になった方が早うごすぜ﹄と忠告したので、皆大笑いさ。要するに井口君は泥棒の方で入ろうとしたら迚とても防げるものでないということを実地に就いて説明してくれたんだね﹂ ﹁それはあの男のやりそうなことだけれど、職掌上怪しからんな。徒いたずらに泥棒のために気焔を吐いたようなもんじゃないか?﹂ ﹁然そうじゃないよ。却って警視庁の為めに気焔を吐いたのさ﹂ ﹁しかし戸締りは全然無効だという結論になるじゃないか?﹂ ﹁否、然うじゃない。戸締りは火の用心同様警視庁でも始終宣伝している。いくら旋つむ毛じま曲がりの井口君でもそれに反対はないさ。しかしあの男は犯罪を専門に研究しているんだから、頭あた脳まの中に石川五右衛門以来の知識が醗はっ酵こうしている。彼奴ぐらい巧こう者しゃな泥棒はまず絶無の筈だ。そのオーソリチーが白昼公然入って見せるぞと断って入るのだから仕事は至って楽さ。ところが真暗闇の晩に無断で見つからないようにという条件をつけられたら鑑識課長だって手も足も出やしない。自分でも然そう言っていたよ。そうして、﹃泥棒の仕しに難くくなる条件は戸締り以外に沢山あるのですから、厳重にして戴くのは至極結構ですが、余り神経を起す必要はありませんな。研究して見ると泥棒ぐらい愚な商売はありません。一ヵ月の稼ぎ高が平均十八円五十銭です。僅かこれだけの収入を得るために多大の危険を冒すのですから、損益さえ分らない低てい能のう児じばかりです。決して恐れるに及びません。家屋相応な戸締りを施して余あ他とは悉く私達警察官に信頼することですな﹄と大臣に説法したぜ。何んな場合にでも警察力の宣伝を忘れないのには感心した。面白い男さ﹂ と団さんは語り終って、 ﹁時に今日は三輪君は来ないかね?﹂ と第二の問題に移る予定と見えた。 ﹁今呼びにやるよ﹂ と答えて、お父さんは僕を顧みた。言葉を待たずに僕は立ち上った。斯ういう風でなければ秘書役は勤まらない。 三輪さんの家はつい目と鼻の間だ。物の五分とはかゝらない。僕が玄関の呼鈴を鳴らすと、女中ではなくて、奥さんが出て来て格子戸を明けて呉れた。 ﹁お使いですか? 御苦労さまですね。今床屋へ行っていますから、帰り次第上らせましょう﹂ と毎度だから僕の顔さえ見れば御主人を無心に来たものと認めてしまう。これでは途中で言い方を考えるにも及ばなかったと思った。そこでその儘一つお辞儀をして引返す積りだったが、奥さんは僕を呼び入れて、 ﹁謙さん、圭ちゃんがお風邪だそうですが、如何ですか?﹂ と訊いた。 ﹁最も早う悉すっ皆かり快いいんです﹂ と僕は初めて口を利いた。 ﹁それは宜しゅうございましたね﹂ と奥さんは安心したように言って、 ﹁謙さん、あなたは嬉しいでしょうね――お父さんの御旅行のお供をすることになって﹂ と最早知っている。お母さんと万事打ち合せが出来ているのだ。 ﹁その旅行の御相談に団さんが見えていますから、何どう卒ぞお早くと仰有って下さい﹂ と僕はニコ〳〵しながら答えた。 ﹁団さんも御一緒のようでしたか?﹂ ﹁えゝ、御一緒です。団さんが面白いところへ方々案内して下さるそうです﹂ ﹁羨ましいわね。私もお供したいくらいですわ。何れ後から改めてお頼み致しますが、能く宅の主人の面倒を見てやって下さいね。それからあなたはお父さんの腰巾着ですからね。何処へお出でになってもお父さんに固く縋すがりついているのですよ﹂ ﹁大丈夫ですよ。旅で迷子になっちゃ大変ですからね﹂ ﹁宅の主人は年を取った子供のようなものですから、旅行は真ほん正とうに心配でございますわ。それに謙さんのお父さんも、然う言っちゃ何ですけれど、気が合って仲が好い丈けに宅と似たり寄ったりの方ですからね。実際心細いんですよ。けれども謙さんは悧巧な子供というよりも、年を取らない大人のようですって、私、この間も奥さんにそう申上げたくらいですから、何どう卒ぞ年を取った子供の面倒を見て戴きたいと存じましてね……﹂ と奥さんはナカ〳〵僕を放さない。此方が相手にならなくってもこの通りだから、お母さんが来ると半日仕事になるのも道もっ理ともだと思った。幸いそこへ三輪さんが帰って来たので、僕は助かった。 ﹁あなた帽子が違っていやしませんの? 又﹂ と奥さんは早速咎めた。細君によっては第三者のいるところで、良おっ人とを扱こき下すのを得意としないまでも情愛の移っている証明と心得ている。 ﹁然うかな? 少し大きいような気がしたけれど、髪を刈った所せ為いだと思っていた。見てお呉れ﹂ と三輪さんは帽子を脱いで奥さんに渡した。この通り最初から諦めて自分の持ち物の識別を他ひとに頼むぐらいの頓着なしだから、奥さんも世話が焼ける。尤も他よ所そとは家風が異って帽子でもネクタイでも皆奥さんが買って当てがうのだそうだから、自分で撰よって来る人ほど見覚えのないのも無理はない。 ﹁矢っ張りあなたのですわ。この紺は何うして斯う早く褪さめたのでしょう?﹂ と奥さんが和製で間に合わせて置いたのに思い当っても、 ﹁へゝん、乃お公れだってそう毎日間違えて来るもんか。それに考えて見れば今日は早かったから乃公一人だった﹂ と三輪さんは自慢にもならない説明を添えて威張っている。僕はこの間に、 ﹁それではお早く。左様なら﹂ と言って駈け戻った。 間もなく三輪さんが来た。奥さんから聞いたと見えて、団さんと顔を合わせると、 ﹁行くってね﹂ と嬉しそうだ。 ﹁行くさ﹂ と団さんは相変らず落ちつき払っている。 ﹁君が味方について呉れゝば百人力だ﹂ と三輪さんは例によって言うことが大袈裟だ。 ﹁宛まる然でお家騒動でも起すようだね﹂ とお父さんが笑った。 ﹁お二ふた方かたがお揃いになったからソロ〳〵用談に移りますかな。しかしその前に僕は一つ、お二方の御承知を願って置かなければならないことがある﹂ と団さんは妙に改まった口調で切り出した。 ﹁何でも承知するよ。ねえ、三輪君﹂ ﹁宜いとも。余り話がトン〳〵拍子だから条件をつけられるのは覚悟の前だ﹂ とお二方は唯いい々だく諾だ々くという体ていを示した。 ﹁実は僕は娘を連れて行かなければならない。妻さいが是非とも然うして呉れと言うので、到頭首を縦に振ってしまったんだが、君達はそれでも差支ないかい?﹂ と団さんは平いつ常もに似ず元気のない口調で言った。 ﹁そんなことなら些ちっとも遠慮は要らない。君は案外律りち義ぎだね。僕も実はその縦に振った方だよ﹂ とお父さんが答えた。 ﹁何だい? 君も子供を連れて行くのかい?﹂ ﹁然そうさ。この小僧が何うしてもついて来ると言うから仕方がない﹂ ﹁案外君も信用がないんだね。三輪君は何うだね?﹂ ﹁僕は縦も横もない。子供がないんだからね。うっかり振ろうもんなら妻さいがついて来る﹂ と三輪さんが零こぼしたのには僕も可お笑かしくなった。 ﹁子供のないのは分っている。その口吻じゃ矢っ張り信用のない組だね﹂ と団さんは皆自分の組に入れてしまう。 ﹁何故さ?﹂ と三輪さんが訊くと、 ﹁何故って、子供をつけて出そうというのは嬶かかあに魂胆があるからさ﹂ ﹁君は酒を飲むし、特に端正を以て鳴る方でもないようだからそれは当然だが、僕のは違うよ。僕と三輪君のは……﹂ とお父さんが、自分達の立場を説明しようとしても、 ﹁違うもんか。程度の問題だ。それは表面からは無論そうは言わなかろうさ。君のところでは大方家との連絡を保つためとか何とかいう触れ込みだったろう?﹂ ﹁能く知っているね﹂ ﹁それぐらいのことが分らなくて女房の操縦が出来るもんか。文学者というものは案外人情に迂うえ遠んだね﹂ と団さんは一寸気焔を揚げて、 ﹁僕のところでも矢っ張りその手さ。﹃田た鶴ず子こはイヨ〳〵女学校を卒業しますが、お嫁に行ってしまうと、私を御覧になってもお分りの通り、全く家庭の奴どれ隷いに成り下り果てまして、世間は絶対に見られませんからね﹄と序ついでながら厭いや味みが出て、﹃今の中ですもの、何どう卒ぞお供をさせてやって下さいまし。もう十八ですから、お役にこそ立て、決して足手纒いにはなりますまい﹄と妻の曰くさ。見す〳〵敵てき本ほんと分っていても、理の当然で何うも仕方がない。同じことならばと思って、到頭快く引き受けてやった。稀たまには先むこ方うの言い分を易やす々やすと通して置かないと後から口を利けないからね﹂ ﹁厭に駈引があるんだね。君は平素が悪いから然う曲解して僕達まで不信用のように思うんだよ。しかし子供の為めから言っても旅行は無益のことじゃないから、それで細君が満足するなら一挙両得さ﹂ ﹁謙さんも話相手があると退屈しなくて宜い。益トン〳〵拍子だ。僕も着物ぐらい畳んで貰えるだろうからね﹂ と三輪さんは最も早う田鶴子さんを当あてにしている。 それから三人はイヨ〳〵本題に移った。僕はお父さんの書斎から地図を持って来て客間の唐とう机づくえの上に広げた。平ふだ常んはお客さんがあると引っ込んでいなければならないのだが、今日は僕が出ていないと用が足りない。斯うやって大人の仲間に入って稍や一人前の待遇を受けるのは恐ろしく肩身の広いものだ。真ほん正とうの職掌は瘤役でも名義は秘書係だから決して冗じょ員ういんではない。現に最近の旅行案内を買いに雑誌屋まで飛んで行って来た。団さんは大分方々を歩いているようだが、三輪さんは御郷里の熊本へ両三回行った丈けで、それも途中は少しも見ていないらしい。お父さんに至っては子供の時の修学旅行以外一切東京を離れたことがないから箱根から彼むこ方うには生せい蕃ばんがいると心得ている。 ﹁君、熊本には散髪屋があるかい?﹂ と言った調子だ。 ﹁あるとも。しかし剃刀を持って行く方が宜いよ――彼あす処こは丹たん毒どくが名物だからね。何しろ長い旅行だから僕は持って行くものが多くて仕方がない。鞄二個では迚とても間に合いそうもない﹂ と三輪さんが考え込む。 ﹁馬鹿なことを言っちゃ困るぜ。長い旅行だから携帯品は成るべく簡略にするんだ。一体君達は持ち物の相談をするのか旅程の打ち合せをするのか!﹂ と団さんは二人の注意を地図の方へ呼び戻した。 ﹁兎に角、日曜から土曜へかけて行けるようなところは、原則として、一切省くことにしようじゃないか?﹂ と三輪さんが言った。 ﹁土曜から日曜だろう? 宜しい。然そう定める。何うせ日本中歩くのだから何処から始めても同じようなもんだけれど、この旅行の発ほっ起きに人んは村岡君だから、多少村岡君の意向を重んじる必要がある。そこでピックウィック君の予定に則のっとって先ず箱根の彼むこ方うから始めて二週間で行けるところまで行くというのを大体の方針としようじゃないか? 残あ余とは暑中休暇にまた継ぎ足すとしてね﹂ と団さんは議事の進しん捗ちょくを期した。 ﹁宜かろう﹂ と三輪さんが賛成した。 ﹁何の辺まで行けるだろう?﹂ とこれはお父さんで、 ﹁それは歩きようさ。しかし飛脚旅行じゃ保養にならない。汽車は一日精々五時間ぐらいにして、ゆっくり見物しながら行けるところまで行くのさ。尤も君達のように家庭奉仕の念に篤い連中は先ず一直線に目的地まで行ってしまって、チビ〳〵見物しながら引き返す方が宜いかも知れない。日一日と女房子の方へ近くなるから心丈夫だろう?﹂ と団さんはナカ〳〵穿うがったことを言う。 ﹁矢っ張り帰るとなったら一直線の方が宜いよ。チビ〳〵は待遠しい﹂ と三輪さんは出かけない中から、帰ることを考えている。 ﹁大体の方針を然う定めて、詳しい日程は団君に一任しようじゃないか? 種いろ々いろと工夫して見たが、僕には何うも纒まとまりがつかない﹂ とお父さんは無ぶし精ょうばかりでもなく、実際手に余していたのだ。 ﹁その方が早い。団君、頼むよ﹂ と三輪さんが応じた。 ﹁宜し、引き受けよう。村岡君のこの手帳を拝見したが、これは迚とても一日を二十四時間と見て拵えた予定じゃない。こんなに活動したら丈夫な僕でも二三日でヘト〳〵になってしまう﹂ と団さんは手帳を繙はぐりながら言った。 ﹁それは理想に過ぎないのさ﹂ とお父さんは澄ましている。 ﹁道理で昼飯を食う時間が些ちっとも勘定に入っていないし、毎日晴天の積になっている。しかし名所古蹟の名前丈けは随分能く集めたもんだね。そうしてこの名物の表が振っている。一々片っ端から食って行く予定になっているが、これも人間の消化官能の測定を誤っている。君はイヨ〳〵やるとなると思いの外過激だね。宜いよ、僕がもっと実際的の予定を拵えよう。この手帳は借りて行って及ぶ限り君の希望に副うように計らおう﹂ ﹁それは余り重きを置かないで適宜に取しゅ捨しゃして呉れ給え。宜しく頼むぜ﹂ ﹁成る可く楽に拵えて呉れ給えよ。村岡君の予定はそんなに猛烈だったかね。危い〳〵。若もし君が一行に加わって呉れなかろうものなら、僕は村岡君に彼方此方引っ張り廻されて神経衰弱が重くなるところだったね﹂ と三輪さんは呆れたように言った。 擦すったの揉んだのと言ってナカ〳〵手間がかゝる。出発までにはもう一遍寄り合って相談をするのだそうだ。待ち遠いことだなあ。尤も僕は未だ学校が休やす暇みにならない。第三回
団さんから戴いた謄写版刷りの旅行日程と毎日のように首っ引きをして待っていた甲斐があって、イヨ〳〵出発の日が来た。僕は朝の八時前にお父さんと三輪さんのお供をして東京駅へ俥くるまで駆けつけた。家からはお母さんが子供を悉すっ皆かり引き具して、三輪さんからは奥さんが無い袖は振られぬとばかりに拠よんどころなく独りぽっちで、いずれも見送りに出て来た。お父さんは水盃をした昔の癖の抜け切らない日本人は一ちょ寸っとのことにも見送りか出迎えが大袈裟で困ると言って平ふだ常んこそ貶けなしているが、自分が旅行をする段になると妻子挙って見送りに来ても一向困らない。圭二を抱いたりして却って喜んでいる。大抵の人がお父さんのように理論と実行の間に厳然たる区別を立てゝいるから、東京駅は随分雑ざっ沓とうする。僕達は早速待合室に陣取った。 間もなく田口さんがキョト〳〵しながら、画家に似合わない彼の大きな図体を運び込んで来た。強度の近眼鏡で少しば時らく物色した後、僕達の姿を認めると直ぐに急ぎ寄って、 ﹁間に合った。間に合った。や、奥さん、先日は失礼致しました。村岡君、これだ。三輪君、よろしく頼むよ﹂ とお父さんに何だか妙に嵩かさ張ばった新聞包を渡した。 ﹁大きなものを持って来たね。此奴は驚いたな﹂ とお父さんは委托物の目方を量はかるようにしながら歎息した。 ﹁嵩の割に軽いよ。僕が持っていよう﹂ と田口さんは平気でいる。 ﹁此奴が千里を跋ばっ渉しょうするんだね?﹂ と三輪さんが言った。 ﹁まあ約束だから仕方がない。しかしこんなに大きいとは思わなかったよ﹂ とお父さんは又零こぼした。 ﹁こんな大きなのはナカ〳〵なくて方々探したんだよ。大切にしてやって呉れ給え。そうして景色の好いところへ行ったら見せてやって呉れ給え。三輪君にも頼んで置くぜ。団君にも……団君は何うしたんだろう? 遅いじゃないか?﹂ と田口さんは周あた囲りを見廻した。 実際団さんと田鶴子さんは約束の洋服姿を容易に見せなかった。出納の事務は一切団さんが引受ているから、僕達は切符も買わずに追々不安を催しながら待っていた。その間も三輪夫人は幾度か僕に寄り添って、御ごり良ょう人じんの面倒を頼んだ。僕は大人の世話をするのかと思うと頗る得意でズボンのポケットに手を入れながら急に丈が高くなったように感じた。平常は兄さんを長者として扱わない妹達も、今日は右左から縋りついてお土産の約束の念を押した。それはそうと最も早うソロ〳〵改札口が開く時分だと思って、 ﹁団さんは何うしたんでしょうね?﹂ と五回目繰り返した刹那、噂の主ある人じと田鶴子さんが悠々として入って来た。 ﹁待ったぜ〳〵﹂ とお父さんと三輪さんが言った。 ﹁まだ十二分あるよ﹂ と団さんは相変らず落ち着き払ったもので、田口さん初め見送りの連中に挨拶してから、田鶴子さんを未だ面ちか識づきのなかった三輪夫人に紹介した。僕も相役と思うと疎おろそかにならず、宜しくお引き廻しを願う為めに、特に念を入れて敬意を表した。お母さんと三輪夫人は、 ﹁何どう卒ぞ御面倒を願います﹂ と繰り返し〳〵頼んだ。 ﹁君、切符を早く買い給え﹂ と三輪さんが促すと、団さんは、 ﹁今赤帽が持って来る﹂ と答えて、 ﹁皆洋装で、荷物は一つ二つ三つと。感心に約束を守ったね﹂ 高が日本内国の周遊で、それも今回は間もなく帰ってくるのだが、いざお別れとなると、矢っ張り好くないものだ。僕は汽車に乗り込んでから妹達や弟と幾度も握手の交換をした。お母さんも、 ﹁謙一や、能く気をつけてね、毎日お手紙を下さいよ﹂ と言って窓を離れない。三輪さんの奥さんも三輪さんに何か言っている。田口さんも、 ﹁諸君、何どう卒ぞ大だい切じに頼むぜ﹂ と叫んだが、これは僕達の身の上よりも新聞包のことだったかも知れない。間もなく鈴ベルが鳴って汽車は動き出した。 ﹁左さ様よなら!﹂ ﹁左様なら!﹂ 僕は初めて第三者の地位に立って自分の生れ故郷の東京を眺める機会に接した。品川までは省線の電車に度々乗ったことがあるが、それは東京にいる時の話で、当然東京が頭あた脳まの中に入っているから、自分の家で自分の家の人の顔を見るのと同じ関係だ。お母さんの目は右が左よりも小さい。それを僕は十何年も知らずにいたが、この間三越へ行って階段を昇る時鏡に映ったお母さんによって初めて発見した。今斯うして旅たび人びとになって既に東京を離れた心持で見渡すに、僕の生れたところは決して日頃受けている印象ほど汚い市まちでない。殊に今朝は雨上りの所せ為いか空は拭ったようで、遠あち近こちに聳そびえ立っている大建築は形ながら色ながら瞭くっ然きりとして頗る壮観だ。田鶴子さんも同感だったと見えて、 ﹁綺麗ですわね、東京も、ナカ〳〵﹂ と眺め入っている。 ﹁綺麗ですね、あら、鳶が追っ駈けっこしていますよ﹂ と僕は宮城の空を指さした。 ﹁おやまあ。沢山いること!﹂ ﹁沢山いますね!﹂ と僕達はこれが皮切になってお互に澄ましていることは止めにした。 大人連中は最はじ初めから話し続けていたが、汽車が新橋で停った時、三輪さんは窓から首を出して見て、 ﹁僕は一大発見をしたよ﹂ と言った。 ﹁何だい?﹂ とお父さんが訊くと、 ﹁東京駅で人を見送ると何時も汽車が反あべ対こべの方角へ出て行くような気がするが、矢っ張りこれでも宜いんだね。彼あす処こでは何うして那あ様あなるんだろう?﹂ ﹁相変らずグンデルビ上海をやっているね﹂ と団さんが笑った。 ﹁僕も東京駅のプラットフォームへ出ると西東を取り違えるよ。矢っ張り方角の観念が不正確なんだね。門から玄関までの長い家へ行くと帰かえ途りには出て来てから屹度反あべ対こべの方角へ向う。子供の時分の話だが、自分の学校が分らなくなって巡査に訊いたことさえあるんだからね﹂ とお父さんは方角を諦めている。 ﹁あの時は僕も一緒だったよ。巡査に怒られたろう?﹂ と三輪さんが言った。 ﹁一緒だったかね。兎に角この謙一ぐらいの頃で中学へ入りたてだった。昼休みに散歩に出掛けたが、そう〳〵一緒だったね、入ったばかりだから他に友達はなかった筈だ﹂ とお父さんは二十五六年前に遡さかのぼって、 ﹁散歩に出掛けたが、帰りに道が分らなくなってしまった。幸い交番があったから、﹃学院は何処ですか?﹄と訊くと、巡査は怖い顔をして睨むばかりで教えて呉れない。又訊くと、﹃こら、人を馬鹿にするな! お前達は学院の徽きし章ょうをつけているじゃないか?﹄と来た。吃驚して半町ばかり逃げたが、ひょっと見るとそこが学校の裏門さ。ねえ、三輪君、あれは巡査の怒ったのも有もっ理ともだよ﹂ ﹁その時分から好い相棒だったんだね。然ういう西も東も分らないのが二人ぎりで出掛けようとしたんだから、度胸が好いさ﹂ と団さんは最も早う相手にならずに新聞を拡げて読み始めた。 少しば時らくするとお父さんは不図思い出したように先刻田口さんから頼まれた新聞包を網棚から取り下した。僕は何が入っているのだろうかと種いろ々いろ臆測していた矢先だから、覚えず乗り出した。内なかからは張子の虎が一匹現れた。可なり大きい。頻りに首を振っている。近辺の旅客の注意は忽ちこの異様な携帯品に集まった。 ﹁何だい、君、それは?﹂ と団さんも新聞を措いて目を円くした。 ﹁田口君に一杯食わされたのさ﹂ とお父さんが答えた。 ﹁餞別かい?﹂ ﹁否いや、餞別なら処分の仕様があるが、道中を持って歩いて呉れという甚だ厄介な註文だ﹂ ﹁そんなものは荷になって困るよ。断れば宜かったのにね﹂ と団さんは荷を恐れること夥おびただしい。団さんの説によると文明の程度は旅行者の荷物の多た寡かによって定きまる。日本でも米を持って歩いた時代があった。軍隊は封建文化の遺物だから今日でも道どう明みょ寺うじを携帯して歩く。未開のアフリカには家まで背負って歩く連中があるそうだ。この標準に照して、先刻から僕は真向いにある中年の夫婦を西チベ蔵ット辺へんの上流社会と鑑定していた。奥さんだけでも大きな信玄袋二個と同じく大きな籐とうの籠で自分の身体とも約三人前の席を占領している。この両人がやはりお父さんの虎の大きさを笑ったのだから驚く。荷物はその儘にして自分達を棚に上げている。否、その虎の問題だが、 ﹁つい引き受けてしまったから仕方がない。君も承知の通り彼の男は虎が大好きで、画室へ入って見ると宛まる然で虎の置物の展覧会だ。この間来たから今度の旅行の計画を話すと、先生膝を打って、﹃それは又とない好都合だから一つ頼みがある﹄と言う。﹃虎でも買ってくるのかい?﹄と訊くと、﹃否、一匹持って行って貰いたいんだ。虎は千里の藪を越すというし、又千里突いて千里帰るともいう。僕は虎を随分持っているが、まだ千里歩いたのが一匹もないから、日本中歩くなら是非一匹持って行って呉れ給え。後から君に箱書をして貰って、千里の虎として子孫に伝える。何うだね?﹄と頻りに頼むじゃないか。﹃重いものじゃ困る﹄と僕も彼あの男には度々担かつがれているから、多少警戒したんだが、﹃軽いものだ﹄と言うから、引き受けてしまった。実際軽いけれどこんな嵩かさ張ばるものとは思いがけなかった。巧く一杯食わされたよ﹂ とお父さんが説明した。 ﹁実際最も軽い性質のものだと言うから、僕もポケットへ入るぐらいの品だろうと思っていたよ。酷ひどい奴だなあ!﹂ と三輪さんもツク〴〵頼まれ物を見詰めながら呟いた。 ﹁何と言っても最も早う駄目だよ。見給え。あの通り平気で首を振っている。此奴まで君達を馬鹿にしているようだ。君達は重量と容積を同一視しているんだね。綿一貫目よりも鉄一貫目の方が重いという組だからこんな目に遭うのさ﹂ と団さんは相談相手にならずに、又新聞を見始めた。 ﹁打棄って了おうか?﹂ とお父さんが言うと、 ﹁然そうさね﹂ と三輪さんが生なま返へん辞じをした。 ﹁約束をした以上は日本中持って歩くより外はないよ。田口君に相談なしで処分出来るもんか。僕は一向知らないことだから、君達二人で責任を負い給え﹂ と団さんは内心面白がっている。 虎が再び棚に納まってしまうと、僕は鶴見辺りまでは花月園に来て知っているから余り興味がないので、旅行日程と旅行案内の対照に没頭した。田鶴子さんはナカ〳〵勉強家で終始トルストイか何かを手にしていた。横浜に着いた時、客が大分乗り込んで、僕達の近辺では西蔵婦人がボーイの注意によって信玄袋を棚へ上げた跡に、子供を抱いた若い奥さんが坐った。こゝまでは東京の場末の延長のようなもので別に目新しいこともなかったが、程ヶ谷からは景色が急に田舎風になった。道筋の藁わら葺ぶきの家が並んでいる。それが皆申合せたように屋根という屋根に天てっ辺ぺんに草を生やし、中には何か花の咲きかけているのもあった。 ﹁謙さん、これが昔の東海道ですよ﹂ と団さんが僕に教えて呉れた。 ﹁成程、この藁屋と並木の様子はいかにも街道筋らしいね。広重の絵にそっくりだ﹂ とお父さんが言うと、 ﹁景色が好いかい? 好ければ一寸虎に見せてやろう﹂ と三輪さんは立ち上って棚から虎を下した。広重と聞いて景色と合点し、景色から田口さんの依頼を思い出したのらしかった。 ﹁どうも巫ふ山ざ戯け切きっているね。好い耻はじ曝さらしだよ﹂ とお父さんが零こぼした。 ﹁一寸拝借﹂ と田鶴子さんも矢張り虎が気がかりだったと見えて手を伸した。厄介物は三輪さんのところから団さんとお父さんを経て僕の手許へ来た。 ﹁そら、東海道を見せてやるぞ﹂ と僕は窓から一寸外を覗かせて田鶴子さんに渡した。 ﹁まあ、大きいのねえ! 首を振ってるわ。お前も日本中歩くの? 然そう?﹂ と田鶴子さんは表情たっぷりに言って僕を笑わせた。 虎は少しば時らくの間は僕と田鶴子さんの手を幾度か往復した。こんな簡単な玩具も相応退屈凌しのぎになった。僕達は何時の間にか大船に着いた。しかしその中に向う側の坊ちゃんが遊び倦きて然も羨うらやましそうに此方を見詰めながら、 ﹁母ちゃん、よう。母ちゃんようってば!﹂ を始めたのには少からず弱った。これが家だったら、子供にそんな欲しがりそうなものを見せるから悪いと頭から極めつけられて一も二もなくお代官様に献上してしまうところだ。何なら奉納しても宜いのだけれど、現に大人連中の間にも責任問題の持ち上っている代しろ物ものだから、何うも仕様がない。然うかといって急に仕舞い込もうものなら泣き出すに定きまっている。既に鼻を鳴らしているので、お母さんは蜜柑を籠ごと供えて只ひた管すらことなきを祈っていた。 ﹁君、そのピンはつい見かけたことがないようだが、新調かね?﹂ と団さんが稍や唐だし突ぬけにお父さんのネクタイのピンを問題にした。 ﹁何、このピンかい? 新調じゃないよ。僕は斯ういうものには没ぼつ趣しゅ味みだから唯たった一本あるばかりで年中これさ﹂ とお父さんが答えた。 ﹁しかし余程面白い意いし匠ょうだね。細工も凝ったものだ﹂ ﹁何なあに、有りふれたものさ﹂ ﹁虎の顔だね。口を開いているところが奇抜で宜い。田口君の好みとでもいいそうな品物だ﹂ ﹁これがかい? おや〳〵!﹂ ﹁何うした?﹂ と団さんが訊くと、お父さんは、 ﹁これは僕のじゃない。可怪しなことがあるもんだな﹂ とピンを指先に持ったまゝ首を傾げた。 ﹁それだからつい見かけないと言ったのさ。金きん無む垢くで目と歯が銀の、斑ぶちは赤しゃ銅くどうか。出来合にはこんな精巧なものはない。この歯は一本々々後から植えたもんだぜ﹂ ﹁どれ、見せ給え﹂ と首を伸していた三輪さんがお父さんの方へ手を伸すと、 ﹁おや、三輪君のカフス釦ボタンも虎だね﹂ と団さんが袖を捉えた。 ﹁成程ね。しかし妙だな。僕は何時こんなものを買って貰ったんだろう?﹂ と当人は無論覚えがない。 ﹁此奴も奇抜な意匠だ。左右少し面相の異かわっているのは牝めす牡おすの積りなんだろう。君、用心し給え。掏す摸りがいるぜ﹂ とお父さんが笑いながら言った。三輪さんは本気にしてポケットの蟇口を探って見た。 ﹁ピンだのカフス釦だのを掏り替えられて知らないでいれば後ごし生ょうは好い﹂ と団さんは他ひ人とのことだと思って嬉しがっている。 ところで僕の前の坊ちゃんは到頭本泣きになった。お母さんは真赤になって賺だましているが、手に負えない。此方の推察が悪いものだから、尋常では通じないと思って、 ﹁頂戴よう! 彼の虎、頂戴よう!﹂ と意のあるところを紛まぎれのないように発表し始めた。妹や弟のある僕は、斯ういう光景は迚とても坐視し難い。殆ど本能的に立ち上って、一時御用立てる積りで品物を差出した。するとお父さんは、 ﹁坊ちゃん、その虎、上げますよ。もう坊ちゃんのよ。持ってお遊びなさいよ﹂ と言葉を添えた。坊ちゃんは虎を抱くとすぐ黙ってしまった。現金のようだが、これが天真爛漫で好いところだ。体裁ということがないから、大人見たいに問題の片付いた後まで愚図々々言っていない。 ﹁何うも恐れ入ります。では少しば時らく拝借を﹂ と奥さんはいかにも申訳ないように言った。 ﹁否いや、坊ちゃんに差上げます。何卒御遠慮なく﹂ ﹁否、戴きましては済みません。何どう卒ぞ少時拝借を﹂ ﹁決して御遠慮には及びません。実はその品物は先刻から皆で持て余していたのですから、坊ちゃんが御懇望下さったのは何よりの好都合です﹂ ﹁然さよ様うでございますか? 何だかお強ねだ請り致したようで真ほん正とうに恐縮でございます。坊や、有難うを仰有い﹂ 張子の虎はこれで完全に処分がついたが、ピンの虎とカフス釦の虎はまだ疑問になっていた。 ﹁ピンなら兎に角両袖の釦を掏り替えられたとは考えて見ると有り得べからざることだ。これはやっぱり妻が今度の旅行に新調して呉れたのだろうと思うよ、僕は﹂ と三輪さんは両袖の釦を見較べている。 ﹁しかし虎だぜ。張子の虎を初めとして、斯う虎ばかり鉢合せをする理わけもなかろうじゃないか?﹂ と団さんは争い難い事実に注意を呼んだ。 ﹁それは偶然さ。暗コイ合ンシデンスということは随分あるもんだぜ。芝居には寅の年寅の月寅の日寅の刻に生れた女さえあるじゃないか?﹂ ﹁芝居の話で実世間の問題を解釈されちゃ張合が抜けるね。田口君も大いに趣向を凝らした積りだろうが、悲しい哉、相手を見損っているようだ﹂ ﹁趣向はちゃんと通じている。見給え。景物の方は今処分してしまったじゃないか? このピンのは息子で、カフス釦のは両親さ。落しっこない性質のものを三輪君の方へ廻した理わ由けも、我れ天てん眼がん通つうにはあらざれどもだ、ハッハヽヽ、分っているよ。何うだね。もう好い加減に逐一白状してしまい給え﹂ とお父さんは大きく出た。 ﹁おや〳〵、悪事露顕に及んだかな。まあ待って呉れ給え。この汽車には食堂がないからこゝで弁当を買わなければならない﹂ と団さんは折から国こ府う津ずに着いたので急いで出て行った。向いの奥さんはこゝで下りるとあって、頻りにお礼を言った後、坊ちゃんを抱き上げ、坊ちゃんは虎を抱いて、 ﹁はいちゃ〳〵﹂ と幾度もお辞儀をした。 弁当を喰べてしまうと、大人連中は煙草を喫いながら又話し始めた。 ﹁すぐに僕と目星をつけたところは案外慧けい眼がんだね﹂ と団さんは悪わるびれた様子もなく罪に服してしまった。 ﹁最初は田口君かとも思ったが、君の素振りでそれと覚さとったのさ。一体何時掏すり替えたね?﹂ とお父さんが訊くと、 ﹁東京駅で細君に別れを惜んでいる間にさ。同じやるなら、後日大きな口の利けない時をと思ってね﹂ ﹁人の悪い掏す摸りがあればあるもんだ。三輪君のは?﹂ ﹁三輪君のは箇とこ所ろが悪いから大骨を折ったよ。幾度も席を替えて貰って漸く田口君の註文を果した﹂ ﹁道理で彼あっ方ちへ行って呉れの此方へ来てくれのと、無暗に我儘をいうと思っていたよ。あんなに条件をつけて掏り替えるのなら僕にでも出来る﹂ と三輪さんが負け惜みを言った。いくら条件つきでもカフス釦を両方とも掏り替えられて知らずにいるとは能く〳〵だと僕は思った。 ﹁兎に角掏られて威張っていたところで始まらないから気をつけ給え。僕だから宜いようなものゝ、他ほかのものなら持って行ってしまうぜ﹂ と団さんは将来を戒めて、小こば筥こに入れた品物を二人に返した。田口さんの虎はその儘お父さんのネクタイと三輪さんの袖口から日本全国を遊覧することになった。 彼れ此れする中に汽車がトンネルへ入り始めた。出たかと思うとまた入る。窓を閉めたり開けたり、僕は天てん手て古こを舞った。 ﹁此処が箱根よ﹂ と田鶴子さんがハンカチを鼻へ当てたまゝ教えてくれた。大人連中の方に屈託していて田鶴子さんのことは余り書かなかったが、僕達はもうこの時には大分打ち解けて来た。 ﹁然う? 八里の山道だからこんなにトンネルがあるの?﹂ と僕は他よ所そゆきの言葉は疾とうに捨てゝしまった。 ﹁あの箱根は元箱根で蘆ノ湖のある方よ。真ほん正とうに八里の山道で迚とても汽車なんか通れないわ﹂ ﹁あなたお出いでになったことがあるの?﹂ ﹁えゝ。去年学校の修学旅行で﹂ ﹁随分遠くまで来るんですね。女学校でも﹂ ﹁女学校でもなんて酷ひどいわね。けれども箱根から彼むこ方うは知らないんですから楽みですわ。早く沼津に着きたいものね﹂ ﹁真ほん正とうに待ち遠しいなあ。僕は初めて宿屋に泊るのだから嬉しくって仕様がないんです﹂ その待ち構えていた沼津に着いたのは田鶴子さんが御殿場で凸凹した富士山を写キャ真メ機ラに収めてから少しば時らく後のちだった。お父さんのお友達の仙せん夢むさんがプラットフォームに出迎えていてくれた。簡単に紹介があってから、僕達はすぐに用意の自動車に乗り込んで、韋駄天走りに町を通り抜けたと思うと、もう海岸に着いて仙松閣ホテルで休憩していた。 ﹁今通ったのが目貫きの町筋で、こゝが千本浜公園です。沼津は先ずこれくらいのものですな﹂ と仙夢さんが言った。恐しく簡潔な案内役だ。停車場から此処まで物の十分とは経たっていない。東あず路まじに爰ここも名高き沼津の里も是でもう見物が済んでしまったのかと僕は全く拍子抜けがした。 ﹁お疲れでなければ直ぐに三島へ出掛けましょうか?﹂ と仙夢さんは動ややもすると立ち上りそうになる。余程性せっ急かちだ。休憩させた以上は疲労を認めている筈だのに、催促の積りか知ら? ﹁三島までは余程かゝるかね?﹂ とお父さんが訊くと、 ﹁急げば往復三十五分です﹂ と答えて、仙夢さんは矢張り今しがたの流儀で引き廻す料簡らしい。 ﹁まあ〳〵見物旅行だから、ゆっくりやろうじゃないか﹂ と団さんが若もし言わなかったら、僕達はすぐ三島へ連れて行かれてしまうところだった。 千本というだけあって浜伝いは見霞む限り松原だ。それも生やさしいものでなく、三抱えもありそうなのが、潮風に揉まれる為めか、あらゆる気きま紛ぐれな形をしている。田子浦辺まで続いていると仙夢さんが説明してくれた。のたり〳〵の波の長のど閑かな春の海うな面づらを愛あし鷹たか山やまの上から富士が覗いている。 ﹁好い景色だなあ!﹂ と僕達が見惚れていると、 ﹁此処だけは自慢です﹂ と仙夢さんも満足らしかった。そうして僕達を噴水のあるところへ引っ張って行った。 ﹁何だな! 時は春、瓢ひさごまくらに鼾いびきかな。成程、竹ちく冷れいだね﹂ と三輪さんが枝しお折りが形たの大きな句碑を読んだ。 ﹁角つの田ださんは此処の人だったか知ら?﹂ とお父さんが疑問を起すと、仙夢さんは、 ﹁さあ、兎に角此処で育って此処で弁護士をしていたという話ですよ。それは然そうともうソロ〳〵出掛けますかな﹂ と又催促した。 そこで僕達は再び自動車に鮨詰になって三島へ向った。相変らず目の廻るような速力だ。 ﹁君、自動車は儲かるかい?﹂ とお父さんが訊いた。 ﹁毎期欠損さ。しかし社会の為めだと思ってやっている﹂ と仙夢さんが答えた。 ﹁大きなことをいうぜ。君が社長かい?﹂ ﹁僕は専務だ﹂ ﹁然う〳〵。専務だから仙夢と号したという手紙だったね。句はやっているかい?﹂ ﹁社務多端、迚とても駄目さ﹂ ﹁人を轢いて三十円ぐらいで誤魔化そうとすると自然忙しいね﹂ ﹁外聞の悪いことを言ってくれるなよ。僕のところは事故は極く少い﹂ ﹁田舎は人通りが少いから運転手が楽でしょうね? しかしそれにしても、これは規定以上の速力じゃありませんか?﹂ と団さんが口を出した。 ﹁巡査さえ見ていなければ構いませんよ﹂ と仙夢さんは平気なものだ。 ﹁どうも危くて仕様がない。東京でこんなに速力を出したらすぐに捉りますよ﹂ と三輪さんも先刻から心配している。 ﹁此処が三さん枚まい橋ばしですよ﹂ と少時してから仙夢さんが言った。 ﹁三枚橋って?﹂ とお父さんが説明を求めた。 ﹁本海道は廻り道、三枚橋の浜伝い、勝手覚えし抜け道を……﹂ ﹁成程、あの三枚橋か。そうすると沼津の段は実説かね?﹂ ﹁此処では実説にして貰わないと都合が悪い。現に千本浜に平作の銅像を建てるといって騒いでいるからね﹂ ﹁それもよかろう。桃太郎の銅像さえ出来る世の中だ﹂ 折から右に大きな川を控えた松原へ差しかゝった。と見る間もなく車がガクリと止まって、僕は田鶴子さんと鉢合せをした。仙夢さんが慌てゝ下りようとすると、 ﹁大丈夫ですよ。つんったばっかです﹂ と運転手が言った。成程、山やま家がの爺さんらしいのが起き上って埃を叩いていた。 ﹁何どうさ、往来の真中で吸殻あ手の平やあ載けて悠々閑々と煙草を喫んでいるだあもの。気をつけなせやあよ、危あぶなやあに﹂ と運転手は説諭をしてから手帳を出して書き留めた。今度通行の邪魔をしたら引いん致ちする積りと見えた。箱根を越すとこれくらい世間が違って来るから面白い。それはそうと僕達は又動き始めた。 ﹁今運転手が何か帳面へつけていましたね?﹂ と団さんも不審を起した。 ﹁つける真似をしたんです。あれぐらいに嚇かして置かないと、田いな舎かも漢のは気をつけませんからね﹂ と仙夢さんは笑っていた。 ﹁好い気なもんさ――此方で転ばして置いて。この筆法で行くと怪我人から膏薬代を取兼ねないね﹂ とお父さんが感心した。 ﹁今のは形式は自動車と爺さんだったけれど、内容は新旧両思想の衝突だね。爺さんの煙草の喫い方は遺憾なく保守主義を代表していた。そうしてこの自動車は進取主義も少し過激の方だ。背景が東海道の松原だから殊に対コン照トラストが際きわ立だっている﹂ と言って三輪さんは嬉しがった。 ﹁仙夢君、事故は極く尠いと言う口の下からあゝいう事故が起るじゃないか。危険だからもう少しゆっくりやってくれ給え﹂ とお父さんが註文した。すると仙夢さんはその旨を運転手に伝えてから、 ﹁実は君の手紙に地方人士の野呂馬さ加減とお国自慢を見聞する為めの旅行だとあったから、その裏を掻く積りで大いに苦心しているのさ。田舎の自動車は遅のろいなんて悪口を書かれると早速営業に差し響くからね﹂ ﹁気を廻したもんだね。道理で一向お国自慢を言わないと思った。しかし折角見物に来たんだから、宜しく頼むよ﹂ ﹁そう話が分ればゆっくり引き廻してやる。一つ案内の練習をして見るかな。……坊ちゃん、今橋を渡ったでしょう? あれが黄きせ瀬が川わで、頼朝と義経が対面したところがこのすぐ彼むこ方うに残っています。それからお嬢さん、曽我兄弟の芝居を御存知でしょう? あれに出て来る亀鶴という綺麗な白しら拍びょ子うしの墓が今通ったところにありますよ。沼津の子守歌を教えて上げましょうか? ﹃坊やは好い子だ寝んねしな。この子の可愛さ限りない。天に昇れば星の数。七里が浜では砂の数。山には木の数草の数。沼津へ下りれば千せん本ぼは浜ま、千本松原小松原。松葉の数よりまだ可愛﹄というのです。何うです? この頃の詩人の拵える童謡よりは余程詩的に出来ているでしょう﹂第四回
﹁大社とも明神さんとも言いますよ。この辺の人は。伊豆一番の神社ですが、あの池の鯉が大きいくらいなもので、別に珍しいこともなかったでしょう?﹂
と仙夢さんは僕達が三島神社の境けい内だいを通り抜けた時に言った。
﹁御ごり利や益くは何ですか?﹂
と団さんが柄にないことを訊いた。
﹁万病に利きますな。神社仏閣は温泉と同じようです。頼朝が源家再興の祈願をかけた霊場ですから、立身出世にも験げんがありますよ﹂
と仙夢さんも抜からない答え方をして、
﹁これから一つこの町の奇蹟を御覧に入れましょう﹂
﹁まあ、綺麗な水だこと!﹂
と折から川に差しかゝって、田鶴子さんは忽ち石の上に佇んだ。
﹁随分深いなあ! あゝ、魚がいる!﹂
と僕も水みな底そこに眺めいった。
﹁これがその奇蹟ですよ。三島で珍しいのは水ばかりです﹂
と仙夢さんが紹介した。
﹁はゝあ、仙夢さんも自動車会社は少々方面違いですな。やっぱり文学者だと見えて、この連中同様仰有ることが大袈裟です。成程綺麗な水に相違ありませんが、これぐらいの川は何処の町にもありますよ﹂
と団さんはもう思った通りを口に出すほど仙夢さんと懇意になった。
﹁恐れ入ります。しかしこれだけ水みず嵩かさのある川が見る〳〵目の前で湧き上るのです。とても他わ所きには類がないと言って誰でも不思議がります﹂
﹁はゝあ、成程﹂
﹁三島は他所と違って川を輸入しません。川だけは憚はばかりながら自給自足です。この土地手製のこんな川が五六本あって、それが何れも町を横断しています。湧きたてですから冬は朝など湯気の立つほど温かく、夏は又冷たいこと氷のようです。この水の影響で三島は冬暖かく夏涼しい。避寒避暑二つながらの好適地ですから、東京からの客が四時踵きびすを接し、それが悉く諸君のように沼津で下りて旭自動車で此方へ来、又旭自動車で引返すようにと唯今も大社へ願をかけて参りました﹂
﹁何だい。水の説明だと思っていたら自動車の広告か? それにしても綺麗な川だ。﹃富士の白雪ゃ朝日で解ける、解けて流れて三島へ落ちる﹄という唄を君はよく歌っていたが、この水がまさかそれじゃあるまいね?﹂
とお父さんが交ぜっ返した。
﹁それさ。﹃三島女郎衆の化粧の水﹄さ。富士山に降った白雪が朝日で解けてこの辺の地じそ底こを流れていますから三島はこの通り水が豊富でかつ綺麗だという俗説です﹂
﹁面白いですな。然そう説明すると詩趣があっていゝですよ﹂
と三輪さんが喜んだ。
﹁場所によると底を抜いた酒樽を埋めて置いても水がコン〳〵と湧き出します。とても水の豊富なところで、俗説にも多少の根柢がありそうですよ﹂
﹁とても箆べら棒ぼうな俗説ですな。一体富士から此処までは何里ありますか?﹂
と団さんはとても俗ぞっ間かん有り合せの説明をそのまゝ受容れる人でない。
﹁五六里でしょうな。ところで此処が川の源もとです。何うです? 湧いた水がすぐに川になるところが奇蹟でしょう?﹂
﹁成程、湧いていますな。一杯になれば流れるのは当あた然りまえですが、量が多いだけに兎に角奇観ですな﹂
と団さんは奇蹟を奇観と訂正した上に兎に角という条件をつけた。ナカ〳〵勘定高い。
三島美人化粧の水の泉源は手頃な池で、藻もぐ草さの遊ぶの目玉さえ見えるくらい澄んでいる。水みな底そこの砂が彼方此方でムク〳〵と動いて、大小の菊の花のような形をしている。彼処から水が湧くのだそうだ。
﹁この辺ではこういう池を湧わき間まと言います。もっと大きいのがこの向うにありますが、小さいのに至っては数限りありません。彼の雲うん表ぴょうに聳える富士の白雪が……﹂
と仙夢さんは沼津で見た時よりも両脚の長くなっている富士山を指さして、
﹁……地底を潜ってこの湧き間に通じているという証拠は春から夏にかけて雪の解ける頃ほど三島の水が多くなることです。夏は冬の倍湧きますからね﹂
と説明した。
﹁ナカ〳〵巧いね。始終案内をしていると見えてお手に入ったものだ﹂
とお父さんが感心した。団さんは黙っていたが、三輪さんは何か言いたそうに唯ニヤ〳〵笑っていた。
間もなく僕達は又自動車に乗って三島の町を走り始めた。
﹁馬鹿にひょろ長い一本町だね﹂
とお父さんが悪口をいうと、団さんは、
﹁田舎町は大抵ひょろ長いさ。都会も人間と同じことで、栄養不良なのは君達みたいに横幅がない。仙夢さん、三島も未だ﹃今こん日にち牛ぎゅ肉うにくあり﹄の方ですか?﹂
﹁酷ひどく見みく括びりましたな。尤も僕等の子供の頃は静岡から牛肉の来た日には沼津でも﹃今日牛肉あり﹄という赤旗を出して祝したものですが、昨今は兵営も出来て、物価は東京よりも高いという評判です﹂
﹁三島の名物は何ですか?﹂
﹁やっぱり水ですな﹂
と仙夢さんは水の宣伝ばかりしている。
﹁水の好い割合にそう綺麗な人もいませんでしたわね﹂
と田鶴子さんが言った。
﹁富士の白雪も信あ拠てにならない﹂
とお父さんが言うと、仙夢さんは、
﹁美人は沼津さ。間もなく紹介するよ﹂
﹁私、参考の為めにあの池の水をこれだけ汲んで参りましたわ﹂
と田鶴子さんは手てさ提げの中から小さな壜を大だい切じそうに出して見せた。
﹁田鶴子さんは仙夢さんに瞞だまされましたね。それは富士の白雪じゃありませんよ﹂
と三輪さんが笑った。
﹁白雪ですとも。三島の水は皆富士の……﹂
﹁否いいえ、実は私の郷里の熊本にも水前寺公園といって先さっ刻きの池と同じような水の名所があるんです。冬暖く夏冷たくて、游いでいる魚まで寸分違いありません。そうして近辺に白雪の積む山のないのにやはり夏は冬の倍ほど水が湧きますよ﹂
﹁何うも退のっ引ぴきなりませんな。此奴は大おお失しく策じりだ﹂
と仙夢さんは頭を掻いて笑い出して、
﹁しかし世間体は矢張り富士の白雪ということにして置く方が詩的でいゝですよ。余り理詰めに説明してしまうと、この辺の繁栄策上面白くありません。あれが唯の野良水となった日には早速私の方の営業に差し響きますからな。それに私がこうやって三島の水の宣伝をするのには魂胆があるんです。私は将来あれを壜詰にして、﹃富士印白雪化粧水﹄とでもいうものを発売する積りです。何に、リスリンの一ひと滴たらしも落して虚こけ仮お威どしの綺麗なレッテルを貼れば羽が生えて飛んで行きまさあ。女という奴は馬鹿なものですよ。顔へつける液体となれば、何んな不合理なものでも買いますからね。おや、お嬢さんがいた。失礼々々!﹂
﹁随分ですわ!﹂
と睨んで田鶴子さんは白雪化粧水の見本を零こぼしてしまった。
黄昏に沼津へ戻ると、僕達は晩餐を認める為めに料理屋へ案内された。浮ふえ影いろ楼うという名前をその儘に、昼間なら狩野川の水みの面もに欄干から姿の映りそうな二階座敷に納まった。仙夢さんが手筈を極めて置いて呉れたと見えて、すぐにお膳が並んだ。僕は同じ一日も暮しようによっては随分長いものだと思った。今朝東京駅で家の人に別れたのが余程以ま前えのことの様に考えられる。あれから汽車で三十里も走り、千本浜から伊豆の三島を見物し、又引返して来て今漸く晩御飯か? 家にいれば学校でボールをして帰って来る刻限だ。圭二は何をしているだろう? まだ寝はしまい。一寸顔を見たいなあ。妹達も兄貴がいなくて淋しがっているだろう――なぞと思いながら、僕は田鶴子さんと並んでお箸を手にした。
﹁子供衆は草くた臥びれているでしょうね? 何なら御飯が済み次第荷物と一緒に三島館へ廻しましょうか?﹂
と皆に酒を薦めていた仙夢さんが少しば時らくしてから言った。荷物と同日に論じられるようでは田鶴子さんと僕は或は邪魔なのかも知れない。しかしお父さんに縋しがみついているようにお母さんから内命を受けて来た以上は中座をして宿へ引取ると親不孝になるし、かつ又三輪夫人再三再四の委嘱にも副わないことになる。
﹁大人衆も可なり疲れていますよ﹂
と神経衰弱の三輪さんは休息を急いだ。
﹁未だ日が暮たばかりだよ。今から宿屋へ行って寝るのも芸のない話だ。ゆっくり飲もうじゃないか?﹂
と団さんは落ちついている。
﹁お湯にでも入って御ゆっくりなさい。一つ沼津情調を味わって行かなくちゃ話の種になりません。此処へ御案内したのには聊か魂胆があるのです﹂
とこの主人役仙夢さんはよく魂胆のある男だ。
﹁仙夢君、楽隊は無用にして呉れ給えよ﹂
とお父さんは田鶴子さんと僕の存在を顎の先で相手に伝えながら言った。
﹁案外堅いんだね? 君達は﹂
﹁否、堅くないのもあるが……﹂
﹁おい〳〵、何を言うんだい?﹂
と団さんは故障を申立てた。
﹁お酌をするだけなら宜いだろう? 実はもう来ているんだ﹂
﹁困るよ、君﹂
﹁いゝさ﹂
﹁実際困る﹂
﹁然そうかね﹂
と仙夢さんが言った時、襖の蔭から女が顔を出した。恐ろしく大きな鼻だと思った刹那にもう消えてしまった。続いて二つ三つ現れたが、その都度仙夢さんが首を振ったもんだから、一人も入って来なかった。田鶴子さんはと見返ると唯さえ澄まし屋さんが殊更凛として他よ所そ行ゆきに構えていた。そこで僕も肩を聳やかして頻りに威儀を正した。
﹁芸者かね? あの連中は﹂
と三輪さんが一大発見でもしたように訊くと、団さんは、
﹁然うさ、そんなに伸び上るなよ﹂
と答えて、仙夢さんに、
﹁一番初めのはナカ〳〵美人でしたな。何処かで見たような顔ですが、名古屋産じゃありませんか?﹂
﹁否いいえ、あれは静岡産です。浜はま勇ゆうといってこの土地切っての流はや行りっ妓こですよ。お気に召しましたかな﹂
﹁大きな鼻でしたね﹂
と三輪さんさえあの鼻には気がついたと見える。但し偽善者のお父さんは何も言わなかった。
御飯が済むと仙夢さんが、
﹁それでは子供衆本位ということにして早目に宿へ引取りましょうかな﹂
と言って、僕達は又々自動車に乗った。何だか東京の場末みたいなところを通ると思っていたら、間もなく田圃へ出た。
﹁君、何処へ行くんだい?﹂
とお父さんが訊くと、
﹁三島館さ。飯は沼津で食って泊りは牛うし臥ぶせという寸法さ。短い時間の中に方々お目にかけようと思って、これでもナカ〳〵苦心しているんだよ﹂
と仙夢さんが答えた。なお大分走って松の大木の間を彼方此方縫い曲くねった末、僕達は漸く今夜の宿に着いた。
田鶴子さんと僕は家への第一信を認めるのに忙しかった。殊に僕は三輪さんの分まで書かなければならないから骨が折れる。尤も芸者撃退係以外に秘書役を兼ねて随行しているのだと思えば苦情も言えない。大人連中はもう湯に入って寝るばかりだから、至って呑気だ。
﹁東郷さんという人は思い切った悪あく筆ひつだね。こんな字を頼む奴も心得違いだが、書く方も余り芸術良心が無さ過ぎるね。尤もこれぐらい度胸が好ければこそバルチク艦隊を粉砕したんだろう﹂
とお父さんは床の間の掛物の批評をして、
﹁田いな舎かも漢のは無むや暗みに揮きご毫うを頼むからね。僕の親父なんかも時々書かせられるので六十の手習という奴をやっているよ﹂
と三輪さんがいった。東郷さんの書は東京でも珍重されている。元げん帥すいもこういう手合にかゝっては溜らない。
﹁これぐらいなら甲上だよ。僕も役人をしていた頃は地方へ行くと揮毫を頼まれたもんだが、ナカ〳〵こうまっすぐには行かない。そうしてすっかり自分の文句らしいから豪えらいもんさ﹂
と団さんは子供のお清書を標準にしている。
﹁君が書いたのかい?﹂
﹁然うさ。何もそんなに驚くことはないよ。地方には官かん尊そん民みん卑ぴの美びふ風うがあるから高等官三等ぐらいでも無暗に書かせられる﹂
﹁何を書いたい?﹂
﹁何をって、僕は憖なまじっか文学の分る連中よりも仕事が手っ取り早いよ。考える世話がないから簡単だ。前の晩に泊った宿屋の横額を手帳につけて置いてそれを利用する。横物なら大抵四字だから何うにか斯うにか書けるよ。尤も何う読みますかと訊かれると辟へき易えきするが、そこは御方便なもので、居合せた奴が必ず何とか読んで呉れる﹂
﹁豪い書家があったもんだ﹂
﹁支那へ出張した時には鞭声粛々をすっかり書いてやった。あれは書生の頃剣舞で覚えたんだが、一体誰の詩だい?﹂
﹁頼らい山さん陽ようさ﹂
﹁道理で支那人共大いに敬服したぜ。ところが漢ハン口カオでは大いに信用を堕おとしたよ。主人公が頻りに首を傾げているから通訳に訊いて見ると、この間来た日本の大官もこの詩を書いて行ったというのさ。悪いことは出来ないもんだね。尚その通訳の話によると日本人は支那で揮毫を頼まれると大抵鞭声粛々で間に合わせるから何か他のものを仕込んで行かなければ駄目だそうだ﹂
ところへ仙夢さんがこの家の主人世せ古こ六太だゆ夫うさんを案内して来て、少しば時らくの間沼津物語に花が咲いた。九太夫や三太夫の身内らしい旧弊な名前だけれど、六太夫さんは髪を綺麗に分けて縁無し眼鏡を掛けた少壮の文明紳士で、丁ちょ髷んまげの跡は蛙の尻尾ほども残っていない。この人の説明によると旧幕の頃には三島とか沼津とかという宿しゅくには本ほん陣じんといって、大名の泊る宿屋が必ず二軒あったそうだ。
﹁然うです。先々代まで三島の本陣をやっていました。兎に角参さん勤きん交こう代たいの折は大名方の御用を足す重要な機関でしたから、本陣は苗みょ字うじ帯たい刀とうを許され扶ふ持ちを賜わったもので、即ち政府の特別指定と奨励金の恩典に浴したものですから、今日の六太夫の如き貧弱なものじゃなかったのですな﹂
と六太夫十一世は悉すっ皆かり現代語で遣やって退けて、
﹁本陣時代の遺物が種いろ々いろありますから御覧に入れましょう﹂
と今しがた女中が持って来た行李を開いた。
﹁詫わび証じょ文うもんから御目にかけよう﹂
と仙夢さんは六太夫さんと親類だから始終来ていると見えて、中から表装のボロ〳〵になった軸を一本掴み出した。そうして、
﹁これが大おお高たか源げん吾ごの詫証文といって此こ家この家の宝ほう物もつです﹂
と紹介した。
一我等 今度 下向候処 其方 に対 し不束之筋有之 馬附之荷物積所 出来申候 に付 逸々 談志之旨 尤之次第 大 きに及迷惑申候 依 て御本陣衆 を以 詫入 酒代 差出申候 仍而件如
元禄十四年
大高源吾
国蔵どの
﹁成程、子葉先生余程口惜しかったと見えて相手の名を酷く低いところへ書きましたな﹂
とお父さんが言った。
﹁大高源吾ともあろう武さむ士らいが素すち町ょう人にんの馬子に酒さか代てと詫証文を取られたのですから、骨身に沁みて口惜しかったでしょうよ。ところが講談では大高源吾が神かん崎ざき与よ五郎ろう、国くに蔵ぞうが馬うま食くらいの丑うし五郎ろう、場所も遠州浜松となっています﹂
と六太夫さんが註ちゅ解うかいすると、
﹁忠臣蔵ですな。何うして詫証文を取られたんですか?﹂
と三輪さんも僕同様詳しい話は知らなかったらしい。
﹁勢いきおい神崎与五郎東あず下まくだりという一席になりますが、さてイヨ〳〵仇討の機運が熟して大石初め一味の者が江戸へ下ります。与五郎丈けは四五日後れて浜松へ差しかゝりますと、この人真まことに色の白い好男子で年輩も若かった所せ為いか旅役者と見誤まられ、立たて場ばぢ茶ゃ屋やに於きまして馬子の丑五郎というものに喧嘩を売りかけられます。丑五郎は馬に食いつかれながらも馬の腿の肉を咬かみ取ったという気きし象ょうっ張ぱり、この故に馬うま食くらいという綽あだ名ながついていました。一刀の下に斬捨てるは易いことですが、たとい素町人の馬子なりと雖いえども殺しては唯済みません。大事の前の小事、手間取って後おくれゝば今までの苦心も水の泡堪忍の成る堪忍は誰もする成らぬ堪忍するが堪忍とは此処だとばかり、刀の束にかけた手を……﹂
﹁巧いもんだね、六さんは。素しろ人うと跣はだ足しだ﹂
と仙夢さんが茶々を入れた。
﹁交ぜっ返しなさんなよ。腰が折れてしまうに﹂
と六太夫さん一寸沼津弁を出して、
﹁まあ要するにこんな次第でこの詫証文が出来たのですな。これは代々私の家に伝わって今日に及んだのですから確実な品です。しかし神崎与五郎で通っているものを今更大高源吾に改める必要もないと思いまして、講釈師には矢張りその本分に従って見て来たような嘘を吐かせて置きます﹂
﹁この本陣の絵図は実に好く引いてありますな。大工与左衛門と書いてありますが、矢張りその与五郎と関係があるんですか?﹂
と団さんは虫の食った古い図面の上に這ったまゝ尋ねた。
﹁否いいえ、神崎与五郎は播州赤穂浅あさ野のた内くみ匠のか頭みの浪人です﹂
﹁ふゝん、浪花節ですか?﹂
と建築家は鼻の先で扱った。団さんは文学は分らないと標榜している丈けあって、ピックウィック・ペーパーズどころか赤穂義士でさえ碌々御存知ない。忠ちゅ臣うし蔵んぐらといえば堅けん牢ろうな土蔵ぐらいに心得ているのだろう。
ポッ〳〵〳〵〳〵という自動車にしては気きぜ忙わしい物音に目を覚すと、家ではなくて宿屋の座敷だった。昨夜は皆の話を聞きながらお母さんに手紙を書いていたまゝ眠ってしまったのらしい。お父さんはまだ寝ている。他の連中は別の座敷に休んだと見えて誰もいない。僕は窃そっと起きて戸の隙間から明るい外を覗いた。すぐ鼻の先が海だ。ポッ〳〵〳〵というのは漁船の石油発動機だった。
立つ前に江の浦あたりまで行って来る筈だったが、皆宵よいっ張ぱりが祟たゝって殊に三輪さんが寝つきの悪い程度で床離れが悪かった為めに、僕達は朝御飯もソコ〳〵に沼津駅へ駆けつけた。
﹁もう少し時間の余裕があると伊豆の方をもっと紹介するのだが、無暗に急ぐから仕様がない。一日や半日でこの辺の特徴を究めようというのは些ちっと押しが太いよ﹂
と仙夢さんが汽車の中まで僕達を送り込んで来て言った。
﹁否、お蔭様で最も有効に見物したよ。お宅へも上らなくちゃ悪いんだが、この通りの大連中だから、何卒奥さんに宜しく言っておいて呉れ給え﹂
とお父さんが人並に挨拶をした。
﹁妻さいもお見立てするのだが、又太いからね﹂
﹁何人あるんだい? 一体﹂
﹁今度で六人目だ﹂
﹁君、君、汽車が出るぜ﹂
﹁何に、まだ大丈夫だよ﹂
﹁出ますよ、仙夢さん、何うも種いろ々いろ有難うございました﹂
と三輪さんが催促の積りか慌てゝお礼を言い始めた。
﹁否、何う致しまして。実は余あんまり呆気ないので、日曜を幸い今日一日お供を致すことに定きめました﹂
﹁恐れ入りますな。道理で落ちついていると思いましたよ﹂
と団さんが言った時、汽車が動き出した。
﹁まあ、綺麗だこと!﹂
と間もなく田鶴子さんが感歎の声を洩らした。成程、桃の花が咲いている。それも十本二十本ではない。見渡す限り桃畑だ。
﹁惜しいなあ! こんなところでもドン〳〵行ってしまうんだもの﹂
と僕が言った。しかし目の覚めるような紅の霞は、千本松原を背景に可なり長い間、棚引き続けた。
﹁元来静岡県は人材物資二つながら貧弱で有名なところですが、この頃は発憤して種いろ々いろと画策しています。この桃畑もその一例で、近頃の努力です。しかし人材に至っては如何とも仕方ありませんな。小しょ成うせいに安んじるのがお国くに風ふうですから、金持にしても百万以上のは片手の指を折るほどしかありません。殊に伊豆からこの辺へかけて薄はく志しじ弱ゃっ行こうの本場です。早い話が東京へ修業に出掛けても物になって帰るのは極く少数です。僕も到頭卒業しないでしまったが、これが静岡県人としては代表的資格で、将来代議士になる時の足しになるだろうと思っているくらいですよ﹂
と仙夢さんは桃畑から静岡県人の性格に説き及び、
﹁名所にしても人物払底の跡が歴然として現われていますな。伊豆方面は頼朝と義経で持ち切っています。これから静岡へ行くと家康公でなければ夜が明けません。舞台は此方のものでも役者は悉すっ皆かり輸入候補です。情けない話じゃありませんか? 千本浜に平作の銅像を建てようという発案も実はこの人物払底から来た悲鳴の一種です。日露戦争で死んだ一等卒の記念碑ばかりじゃ心細いですからね﹂
と歎息した。
余程経って海が見え始めた時、僕は窓から乗り出して石炭の燃え滓かすを目に入れた。頻りに擦こすっていると、
﹁謙さん、擦っちゃ駄目よ。少しば時らく凝っと瞑つぶっていて御覧なさい。涙で自然と目頭のところへ出て来ます﹂
と田鶴子さんが教えてくれた。僕は凝っと目を閉じていたが、涙がポロ〳〵零こぼれた。
﹁もう快よくて?﹂
﹁未だです﹂
﹁あら、擦っちゃいけませんよ﹂
﹁でも涙が出て困るんです﹂
﹁この綿で拭いて御覧なさい﹂
﹁少し快くなったようです﹂
﹁あら、軍艦々々!﹂
﹁どれ? あゝ、軍艦です﹂
﹁もう快くて?﹂
﹁まだ少し……﹂
﹁あら、潜航艇!﹂
﹁どれ、何処に? 嘘ばかり!﹂
﹁もう快いでしょう?﹂
﹁えゝ、もう﹂
と僕は田鶴子さんには自由自在に操縦される。昨日もこの手を食った。目に埃の入った時、それを取ろうとして専心に擦ると益悪くなるから、今のような具合に目の構造の自然に委せて待っているに限るのだそうだ。それにしても僕の目にはよく物が入る。無暗に窓から乗り出す所せ為いだろうか、それとも石炭の燃え滓かすという奴は特に子供の目が好きなのだろうか?
﹁謙さん、銅像が見えてよ。井上侯爵よ﹂
と田鶴子さんは今度は真ほん正とうを言った。潮風に吹かれてお色が真青になっている。
﹁これも輸入人物です﹂
と仙夢さんはまだ人物を問題にしていた。
江尻で下りて、俥で清しみ水ずみ港なとを通った時も仙夢さんは、
﹁こゝには次郎長というこの土地生え抜きの侠客がいましたよ。稀たまに豪いものが出れば博奕打の親分と来ています﹂
と矢張り人物を気にした。間もなく僕達は鉄てっ舟しゅ寺うじでこの次郎長さんの木像を見た。斬ったり撲はったりを商売とする侠客とは思えないほどの好々爺だった。
﹁晴れてよし曇りてもよし富士の山、もとの姿は変らざりけり。鉄舟か?﹂
と団さんは境内の石に刻ってある歌を読んで、
﹁何とか言っているぜ。我輩に分るくらいだから大したもんじゃない。第一曇ったら姿が見えない筈だ﹂
その隣りの龍りゅ華うげ寺じでは僕達は蘇そて鉄つの大きいのに驚いた。一株から五十何本とか出ていると車屋が力説した。
﹁此処にも輸入人物の墓があります﹂
と言って、仙夢さんは僕達を庭の山の上へ案内して西洋式の立派な墓を紹介した。
﹁吾ごじ人んは須すべからく現代を超越せざるべからず……か。仁じん丹たんの広告見たいだね。樗ちょ牛ぎゅうという人は自家広告が上手だった丈けに景色の好いところへ持って来たよ。何だか物欲しそうで一向超越していない﹂
とお父さんは不平らしかった。
﹁成程ね。今車屋も高山博士の墓がございますと手柄顔に言っていたよ。博士ぐらいで石塔が名所になっているのはこの人ぐらいなものだ。よく目的を達している﹂
と三輪さんも同感だった。
﹁文科かい? この男は。工科は損だね﹂
と団さんまで不足を言った。
﹁兎に角好い眺望でしょう? こう晴れて富士に全く雲のない日は滅多にありません。あの海に突き出しているのが三保の松原です。おい、車屋さん、黙っていないで少し助太刀をしてくれないか?﹂
と庭へ下りてから仙夢さんが促した。すると僕の車屋がバットの火を消して耳に挾み、二三歩進み出て、
﹁あの岬はあの通り鼻が三本に分れているので三保と申します。一村になっておりまして、渡米労働者を出すこと県下一番という評判でございます。謡曲の﹃羽はご衣ろも﹄でお馴染の松は沖合の鼻にありまして、富士山の眺望は全国一、日本新三景の一つとして元帥東郷閣下様御自筆の碑が立っております。中央の鼻に見えるお城のようなのは最さい勝しょ閣うかくと申して日蓮宗の学校、田たな中かち智が学くさんが毎夏衛生講話を致します……﹂
という具合に滔とう々とうと弁じ立てた。
間もなく僕達は久くの能うざ山んへと志した。左手に海が見えた時、僕の車屋は前の俥の団さんに話をしかけた。
﹁旦那、あの一本マストのは皆遠洋漁業船でございます。遠州から伊豆の漁業船が残らず寄りますから、魚の集まること清水港は蛙の小便じゃないが田たえしたもんですよ﹂
﹁それじゃ魚は安いだろうね?﹂
と団さんは彼むこ方う向むきのまゝで応じた。
﹁ところがその魚が目っくり玉の飛び出すくらい高いです﹂
﹁何故ね?﹂
﹁皆東京へ出てしまいまさあ。去年の冬は鰤ぶりが三万本捕れました。旦那、三万本ですぜ!﹂
﹁捕れたもんだなあ﹂
﹁斯ういう大漁なら好ええ加かげ減ん此こっ方ちの口にも入るだろうと思っていましたが、何のことやれ、料理屋でちいっとばかり使ったぐらいのもので、皆みんな他わ所きへ出てしまいました。土地で捕れた魚が土地の者の口へ入らないのですから情ない話ですよ﹂
と車屋は余程鰤が食いたかったらしい。少しば時らくすると又、
﹁旦那、この山の石垣に赤いものが見えるでしょう?﹂
﹁成程、苺いちごかね? 早いね﹂
と団さんは山の腹を見上げた。
﹁早いどころか、これは晩お種くでございます。早わ種せは正月から出始めます。寒の中でもあの通り石垣に日が当りますから苺は石の温うん気きを夏だと思って途とて轍つもない時に熟します﹂
﹁冬料理屋でくれる苺はこれだね?﹂
﹁そうでございます。石垣苺と申して皆東京や横浜へ出ます。あんな口も碌に利けない草木を瞞だまして毎年二千三千という金を揚げる家が幾いく程らもありますよ﹂
﹁矢っ張り高かろうね?﹂
﹁走はしりは一粒五銭から七八銭という相場ですから、貰いでもしなければ迚とても此方の口へは入りません。他わ所きの品物をこの土地で預かっているようなものです﹂
と車屋は苺にも未練を持っている。そうして、
﹁胡きゅ瓜うりや莢さや豌えん豆どうの類も早作りをして寒の中に出します。此奴も銀の利くもので……﹂
﹁矢っ張り土地の人の口には入るまいね?﹂
と今度は団さんの方で先廻りをした。
第五回
一昨日の夜更かしで懲りていたから、僕達は昨日はあれから久能山丈けで切り上げて、清水から電車で静岡に着くとすぐに宿を取った。それでも夕飯後沼津へ帰る仙夢さんを見送ったり家へ通信を認めたりして床に就いたのは八時過ぎだった。 ﹁御飯は旦那様のお座敷で皆さん御一緒でございますか?﹂ と朝起きると間もなく女中が姿を現して訊いた。 ﹁然う、昨夜の通りで宜いいよ﹂ とお父さんが答えた。僕は少しば時らくの間皆の来るのを待っていたが、一向音沙汰がなかったから、隣とな室りの三輪さんを覗いて見た。寝坊にも似合わず最も早うキチンとして新聞を読みながら却って此方を待っているようだった。もう一つ隣りの団さんの部屋では田鶴子さんが人待ち顔をしていた。しかもお膳が五人前並んで、お給仕の女中が二人控えている。そこで僕は三輪さんとお父さんを促して団さんの部屋に入った。 ﹁驚いたね。旦那様のお座敷というのは此処のことかい?﹂ とお父さんは座蒲団に坐るとすぐに言った。 ﹁僕も自分の部屋の積りで今まで待っていたんだよ﹂ と三輪さんも案外のようだった。 ﹁やっぱり旦那様に見えるかね? 恐ろしいもんさ。悪いことは出来ないよ。姐さん達は商売柄で流さす石がに目が高い﹂ と団さんはそのまゝ旦那様に成り澄ました。 ﹁狂言をお書きになっても駄目でございますわ。この坊ちゃんがこの旦那のことを旦那さん〳〵と仰有るじゃありませんか?﹂ と女中の一人が退のっ引ぴきさせないという態度を示した。 ﹁はゝあ、団さんが旦那さんに通じたんだね﹂ とお父さんは思い当った。 ﹁否いや、破ばれたら破れたでもう宜いよ。時に三輪、君は昨夜の電報は打ったろうね?﹂ と団さんは調子に乗って益旦那風を吹かせた。 ﹁電報なんか打ちゃしないよ﹂ と三輪さんが否定しても駄目だった。女中共は太って恰かっ幅ぷくの好い一番年配の団さんを主人と思い、痩せた三輪さんとお父さんをお取り巻きの店員と信じ切っている。その証拠には何等の躊躇もなく先ず団さんからお給仕を始めた。 ﹁昨日の久能山には俺わしも弱ったよ。何しろ千五十何段という石段だから、脂肪質のものには応こたえるさ。今日は山登りをすると承知しないぜ﹂ と団さんは万更冗談でもないようなことを大おお束たばに言った。 ﹁時に姐さん、この大東館は本陣かい?﹂ と三輪さんは一昨日の晩覚えた本陣という言葉を応用した。 ﹁然そうでございます。昔は町まち中なかにあって、﹃大おお万よろず﹄と申しました。このステンショ近辺は汽車が出来てから開けたので、以前は田圃だったそうでございますからね﹂ と女中が答えた。 ﹁能く本陣へ泊り合せるね。矢っ張り大名旅行だ。此処は三島館とは段が違うから、大石内蔵助の詫証文があるだろうね?﹂ とお父さんが訊いた。しかし女中共はお取り巻きは余り相手にせず、専ら旦那様の質問に対して、 ﹁然うでございます。駿河半紙も名産でございます。この辺ではその駿河半紙のことを半紙といって他わ所きの半紙のことを倉くら半はん紙しといいます﹂ ﹁成程、昨日も車屋が富士山のことをお山〳〵と言っていた。駿河の国に来ればお山というと富士山、半紙というと駿河半紙か。それでは美濃へゆくと美濃紙のことを紙というね? 大いに感服した﹂ と旦那様は詰まらないことを感服している。 御飯が済むと間もなく僕達は見物に出掛けた。団さんは何処までも旦那様と崇あがめられて一番先の俥に乗った。田鶴子さんは旦那様のお嬢様とあって二番だった。僕はお供の又お供と認められて当然臀しん後がりを承った。 ﹁此処が昔のお城の外濠であります﹂ と言う団さんの車屋の案内が微かすかに聞える。甚だ心細い。兵営や県庁の前を通ったが、解説は矢張り聴き取り兼ねた。城内を駈け抜けた時、車屋達は一斉に足を止めて、団さんのが、 ﹁この外濠は湧くでありますからこの通り水が綺麗であります。此処で山わさ葵びを作りましたが、蟹が喰べるので生長しません﹂ と説明をして呉れた。 ﹁山葵はこんなところで出来るもんかね?﹂ と団さんが言うと、 ﹁水の綺麗な沢で出来ます。静岡は滅めっ法ぽう界かいもなく水の好いところで、大東館のあの水も掘抜であります。水に不自由がありませんから、人口七万、県下一番の大都会ですが、水道の必要がありません﹂ ﹁やはり富士の白雪かな﹂ ﹁然ようであります。能く御存知でありますな﹂ とこの車屋は何うも兵隊上りらしかった。そうして、 ﹁これから通ります西にし草くさ深ぶか町ちょうは役人町でありまして、静岡の高位高官の方々が住まっておられます﹂ と言って轅かじ棒ぼうを上げた。 浅せん間げん神じん社じゃは後廻しにして僕達は町外れの大岩の臨りん済ざい寺じというのへ行った。苟いやしくも由来のある神社仏閣といえば必ず宝物と銘を打って古道具を沢山陳列して置く。元来宝物の古道具だから見に来る人が多いのだか、見に来る人が多いから古道具が宝物になったのだか、その辺は一寸判定に苦しむ。鶏が玉子を生むとも言えるし玉子が鶏を生むとも言えないことはない。兎に角今日も宝物を拝観した。今川義元の菩ぼだ提いし所ょに家康が幼時人ひと質じちに来ていたという因縁が絡からんでいる丈けに道具の品目が夥おびただしい。義元公自画自讃という掛物があった。蝉せみ丸まるの法ほう師しす姿がたを描いて、上に﹁これやこの行くも帰るも分れては……﹂が認したためてある。 ﹁団君、今川義元も君のように他ひ人とのもので間に合せているよ。鞭声粛々は昔から流は行やったものと見えるね﹂ とお父さんが冷かした。 ﹁専門家は建築屋に限らず忙しくて文学なんかやっている暇がないのさ﹂ と団さんは今川公の弁護をした。 古道具が済んでから義元公の墓へ来た。昨日の久能山の家康公の神しん廟びょうに較くらべると全まる然でお話にならない。辻堂のような粗末なものがある丈けで、石塔は一向見えなかった。 ﹁車屋さん、この軍いく人さにんは駿河の人だろうね?﹂ と三輪さんが訊いた。 ﹁はい、今川義元公は静岡県人であります﹂ と例の兵隊上りが答えた。 ﹁道理で成功しなかったんだね。仙夢さんの説はナカ〳〵事実を穿うがっている﹂ ﹁今川焼は兎に角この寺の建築が気に入ったね。狭い地面を最も有効に利用してあるところが多少参考になる。地盤は殆ど岩らしい。それで大岩というのだろう。庭の石段なんかは岩にその儘刻みつけたもんだ。それからこの石段を見給え。古いもんだが、寸分の狂いも出ていない。君達のような明あき盲めく目らにも分るだろう?﹂ と団さんは酷いことを言う。 間もなく僕達は浅間神社へ引き返して、賤しず機はた山やま公園へ登った。桜の蕾が大分赤くなっていた。団さんは昨日の久能山に懲りて、 ﹁まだあるのかい? 僕はこの辺で待っていよう﹂ と途中で無精を極めようとしたが、﹁日本一富士の眺めこの上にあり﹂という立札に再び勇気を鼓した。 ﹁旦那様の御体格では山路は骨が折れます。然ういうのを脂肪過多と申して軍隊では大層厭きらいます。脂肪過多は屹度扁へん平ぺい足そくでありますからな﹂ と車屋が言った。 ﹁僕は目方が重いから、どこへ行っても車屋さんには受けが悪い。しかし扁平足というのは何だい?﹂ ﹁土踏まずのない足のことであります。足がのっぺらぼうでありますから遠とお路みちが叶いません﹂ ﹁益評判が悪いね﹂ ﹁少し後を押しましょうか?﹂ ﹁それにも及ばない。しかし流石に田舎だね。公園といっても生易しいことじゃない﹂ と団さんは苦し紛れに悪口を言った。 静岡は可なりの都会だ。賤機山の上から見晴らした時も随分横幅があると思ったが、俥で通り抜けても町外れの安あべ倍か川わまでは大分乗りでがある。 ﹁俺わしも東京へ行きましたが、静岡を見ているだあもの、些ちっとも怯おじにゃあでがんしたよ﹂ とお父さんの車屋が気焔を吐き始めた。 ﹁ナカ〳〵繁華だね﹂ とお父さんが相槌を打った。 ﹁繁華でがんすとも。銀座でも日本橋でも早はやあ話が此処の呉服町を広くして家を大いかくしたようなもんさ。賑かなは人通りが繁しげいからでがんすよ。些っとも驚くことじゃねやあ﹂ とこの車屋は頗る愛郷心が強い。この論法でゆけば実際天下に恐れるものはなかろう。 ﹁これが安倍川だね?﹂ とお父さんが訊いた時、 ﹁然そうでがんす。藁あん科すい橋ばしでがん﹂ と語尾を略して、 ﹁野崎尾崎宮崎というのが当市指折りの金持でがん。あの今の宮崎さんの先代はこの橋の袂で安倍川餅を売ってあれ丈けの身上を拵こさえたそうでがん。人間、俥を曳いて坂を上る如し。成る辛抱は誰もする、成らぬ辛抱駿する河がの辛抱といいましてな、辛抱が肝心でがんすよ﹂ と修身講話もどきになった。府中丈けあって車屋まで徳川家康のようなことを言う。 三輪さんの車屋もやはりお国自慢に力瘤を入れていた。何でも灸の話らしく、手てご越しは万病に利き、桜さく井らい戸どは瘍よう疔ちょうと来ると天下一品だとか言った。 ﹁面めん疔ちょうは一刻を争うと申しますからね。愚図々々していて東京の病院で手てお後くれになる間に此方へ駆けつけることですよ。彼あす処この敷居を跨いだ丈けでも利くといったくらいのもんです。屹度直して差上げます﹂ と自分のお手のものゝように未だ罹りもしない病気の安請合をしている。 程なくいかにも東海道らしい松並木へ差しかゝり、丸まり子この宿しゅくを通り抜けて、僕達は吐とげ月っぽ峯うに着いた。最初日程を見た時僕は吐月峯とはどこかで見たような名だと思った。しかしいくら考えても灰はい吹ふきの焼印しか頭あた脳まに浮んで来なかったから、矢張り山だろうと解釈した。ところが今着いて見ると吐月峯柴さい屋おく寺じという僧そう庵あんだった。尤も煙草盆に関係があったには案外のような又案内のような感がした。坊さんが手内職に灰吹を拵えていた。僕達は早速猫の額ほどのお庭と古道具を拝見した。 ﹁吐月峯が沢山できていますな。日本中の吐月峯を此処で供給するのですか?﹂ と団さんが訊いた。 ﹁否いいえ、俺わし一人の道楽仕事ですから、何なにっぽも出来ません。この寺では初代宗長以来片手間に灰吹を拵えて売りました。それに吐月峯と銘を打って出しましたので、今日では吐月峯がこの寺の名前よりも灰吹として世間に広まってしまいました﹂ ﹁一つ本場の吐月峯を戴いて参りますかな﹂ と三輪さんは棚から大きなのを下してきた。 ﹁君、それは筆立だよ﹂ とお父さんが注意した。 ﹁道理で馬鹿に太いと思った。しかし吐月峯としてある﹂ ﹁此処で出来るものは何でも吐月峯さ。しかし物を知らない奴は大きな灰吹だと思って唾をするぜ﹂ と団さんは最早吐月峯通を振り廻した。 引き返して静岡へ近づいた時、 ﹁しまったなあ! 丸子のとろゝ汁を食わないでしまった﹂ とお父さんが残念がった。 ﹁君は種いろ々いろのものを喰わせるという約束をして置きながら出発以来一向履行しないね﹂ と三輪さんが振り返って言った。 ﹁汚い家で迚とても東京の旦那方のお口には向きませんよ。宿から茶わんと箸とを用意して行かなければ駄目です﹂ と車屋が三輪さんを慰めた。 ﹁家丈けでも見て来ると宜かったが﹂ とお父さんは名物に執着が多い。そうして、 ﹁もう何か見るものはないかね?﹂ ﹁さあ、由井正雪公の墓ぐらいなもんでがんすな﹂ とお父さんの車屋が答えた。 ﹁それは是非見たいもんだ。ねお﹇#﹁ねお﹂はママ﹈、三輪君、昨日は大成功者の廟へ詣ったんだから今日は大失敗者の墓を弔おうじゃないか?﹂ ﹁由井正雪は駿河の人かね?﹂ と三輪さんは失敗者といえば必ずこの土地の人だと思っている。 ﹁正雪公は県人であります﹂ と団さんの車屋が答えた。そうして、 ﹁丸橋殿が東京で失敗せられたと気がつくとすぐに此処の梅屋町で自殺をせられました。警官が向った時には既に物の美事に気管を掻き切っておられたそうであります。それ以来毎年この市へ由井殿の亡霊が現れます﹂ ﹁ふうむ、幽霊が出るのかい?﹂ と団さんが言った。 ﹁然うであります。毎年四五月になりますと、夥おびただしい数の蚊かと蜻ん蛉ぼが湧くであります。湧くも〳〵浅間さんのお宮が軒も柱も見えなくなりますくらい密集致します。そうしてそれが他わ所きには全く類のない蚊蜻蛉だそうであります﹂ ﹁蚊蜻蛉って何だね?﹂ と三輪さんが疑問を起した。 ﹁君達のような細っこいのさ﹂ と団さんは昨日の久能山がまだ余程応こたえていると見えた。 大井川を越すと間もなく僕達は金谷で下りた。静岡から一時間と少しだったけれどもう遠州だ。そうして言葉が大分変っている。 ﹁丸石まで甚ひどい山道だで、旦那んような方じゃ俥ん利ききませんわ﹂ と駅下の車屋が言った。団さんの図体に恐れをなしたらしい。 ﹁二人曳きに後押しをつけちゃ何うだね?﹂ と山道となると意気地のない団さんは俥を唯一の頼みとした。 ﹁何うだろうな、丸石まで二人曳きの後押しでやってくりょうと言うが?﹂ と車屋は仲間のものに相談をかけた。しかし川越の子孫共は、乞食小屋のような溜りに坐ったまゝ、 ﹁この通り出払っているだで、何にしても好い体格だでな﹂ と団さんの体格を褒めるばかりだった。実際俥は三台しかなかった。尤も悉すっ皆かり揃っていても十台とありそうな町ではない。 ﹁そんなに道が悪いのかね。それなら歩いて行くから誰か一つ夜よな泣きい石しまで案内をして呉れまいか?﹂ とお父さんが言った。 間もなく僕達は車屋の後に跟ついて山路に差しかゝった。田鶴子さんと僕は斯ういう真ほん正とうの山登りが珍しくて一向苦にならなかったが、大人連中は動ややもすると不平を言った。 ﹁酷いところだね。成程、これじゃ俥は通れない﹂ と三輪さんが喘あえいだ。 ﹁否いいや、俥ん通る道は彼方にあるだが、これが近路だで﹂ と車屋が言った。 ﹁小さ夜よの中なか山やまというからには彼むこ方うも山に相違ない。この次に予定を拵える時には山という字のつくところは一切抜きにしてやる。毎日こうじゃ生命が続かない﹂ と団さんは汗を拭いていた。 ﹁何という山だね? これは﹂ とお父さんが訊いた時、僕達は頂上の平坦な大おお道みちへ出た。 ﹁城山といいます。馬ばば場みの美ん濃か守みさんのお城んあったとこで、これが石垣の跡です。戦争でこの城ん落ちた時に御殿女中が大勢堀へ身を投げて死んだというので、この辺の蛇は唇が赤いです﹂ と車屋が説明した。 ﹁何故ね?﹂ ﹁御殿女中が蛇になったので、やっぱり口紅を差さいているです﹂ ﹁好い道だね。これなら楽なもんだ﹂ と団さんも元気が出た。 菊きく川がわの里というのを谷底に望んでから、道が爪先下りになると程なく僕達は夜泣石のある茶屋に着いた。石は真まん円まるで、極く大きな雪達磨の胴ぐらいだ。驚いたことにはこんな淋しい山中へ若い女連れの見物人が来ていた。二人とも品の好い奥さんで、茶屋の爺さんの講釈を謹聴している。 ﹁……轟とど郷ろき右ごう衛えも門んは一刀の下に小こい石しひ姫めを斬り捨てました。その折切先がこの石に当って刃が少々こぼれたのでございます。小石姫は当時丁度臨りん月げつでございましたで、秋の夜露と消えました身の胎たい内ないから男の子が丸々と生れ出ました。ところへ観かん音のん寺でらの住職が通りかゝりまして、泣いている赤子を拾い上げ、この山の上の池で産うぶ湯ゆを使わせてその儘寺へ引き取りました。乳がありませんでしたで、日毎に門前の飴屋から飴を求めて養い育てたと申すのが、今日手前の店で売りまする小夜の中山名物夜泣飴の由来でございます﹂ と爺さんは毎日のことで淀みなく喋り立てる。 ﹁お姫さまが殺された時にこの石が泣いたのでございますか?﹂ と奥さんの一人が尋ねた。 ﹁否いいや、小石姫が殺されまして以来毎晩この石が泣くようになったと申します。姫の怨おん念ねんが石に罩こもったのでございます。弘法大師さまがこの地をお通りになった時、それは哀れのことじゃと仰有って、この石に御覧の通り﹃南無阿弥﹄と四字お認したためになりました。これで姫も浮んだものと見えまして、最も早う泣きません。斯ういう因縁がありますでこの石の下の砂を皆さんが持ってお帰りになります。夜泣をする子の枕の下へ入れておきますと、ぴったり止まりますこと真まことに不思議でございます﹂ ﹁それじゃ却って夜泣かず石じゃないか?﹂ と団さんが口を出した。 ﹁その泣かないではこの石が大失敗を演じています。明治十年頃に土地の人達が一儲けしようという肚でこの石を東京の浅草へ見世物に出す相談を致しました。ところが生いき馬うまの目を抜くという東京の野や師しがこの評判を聞きつけまして、中へ人が入って泣けるような張子の石を拵えました。汽車のない時分でしたで、此方が箱根を越えて東京へ着く間に偽物の方はおとましく大きな儲けをしていました。先せんを越されました上に泣かないので一向入りもなく連中這う〳〵の体で戻って参り、石を此処へ引っぽかした儘姿を匿かくしてしまいました。以も前とはこの山の上にあったのですが、彼処まで上げるには費用がかゝるでこの通り誰も手をつけません﹂ ﹁大おお失しく策じりだったね。それでこそ静岡県人の名を辱めないというもんさ。しかし交通不便の時代にこんな大きなものを東京まで持っていったんだから、確信は豪いもんだ﹂ と三輪さんが感心した。 ﹁さて、観音寺の住職に育てられました男の子は十五歳の折に母親の仇を討ちたいと志ました。すると或晩観音さまが夢枕にお立ちになって、﹃音おと八、音八、仇を討ちたいとあらば磨とぎ師しとなって時節を待て﹄と申す有難いお告げがございました。そこで音八は大和へ参って、刀磨ぎの店に住み込みます。光陰矢の如く、十年の月日が過ぎました。或日のこと年の頃六十ばかりの武さむ士らいが刀の手入れを頼みに参りましたで、音八が鞘を払って見ますと、切先に少々刃こぼれがありました。﹃業わざ物ものではございますが、惜しいところに疵がありますな﹄と申しますと、武士は、﹃指折り数えれば早二十五年の昔、小夜の中山で女を斬ったことがあるが、これはその折石に当っての刃こぼれじゃ﹄と答えました。残あ余とは最早他愛ないです。音八は何食わぬ顔で刀の手入れを引受けました。そうして磨ぎの上る約束の日に武士が来た時捉えてその刀で仇討を果しました。この刀はこの上の観音寺に今でも飾ってあります﹂ と爺さんは物語を終った。 僕達は茶屋に休んで夜泣飴を喰べた。奥さん達は何時の間にか田鶴子さんと話を始めて、 ﹁おや、本ほん郷ごうでございますの? 私達は池いけ之のは端たでございますわ﹂ と一人が嬉しがると、もう一人が、 ﹁本郷は何どの辺でございますの?﹂ ﹁弥やよ生いち町ょうでございます。お近いわね﹂ と田鶴子さんは二人を相手にしている。 ﹁あらまあ、弥生町? 真ほん正とうにお近いのね。それでは東京でお目にかゝったことがあるのでございましょうよ。何だかお見かけ申したお方のように存じましたもの﹂ ﹁世の中も割合に狭いものですわね。こんな山の中へ参ってもつい目と鼻の間のお方に遭うのでございますもの﹂ ﹁それだから悪いことは出来ませんわ。お嬢さんは此処からもうお引き返しなさるのでございますか?﹂ ﹁さあ、確か然うでございましょうよ。馬鹿ね、私も随分。自分で自分のことが分らないのですもの﹂ と田鶴子さんは表情たっぷりに笑った。 ﹁折角好いお連れが出来たと思いましたのに惜しゅうございますわ。私達は夜泣石は附けたりで此処の観音さまへ心願に参るのですが、お序に如何でございますか?﹂ ﹁真正に二度とお出いでになるようなところじゃございませんから、一つお父さんにお願い申して御覧なさいませ﹂ と奥さん達は勧誘に努めた。 女どうしの会話はこの夜泣石同様聞き物というよりも見物だ。一言一句に精密な表情を伴わせる。﹁おや﹂とか﹁まあ﹂とか言う時には眉毛を動かして及ぶ限り目を見張ることに申し合わせてあるのらしい。そうして聞く方でも一々表情で相槌を打ち言葉の内容通りの顔をするから、女と女の話は聾つんぼが見ていても筋だけは分るそうだ。然るに男は怒ってゞもいない限りは有らゆることを少しも顔面の筋肉を動かさずに言える。お父さんは僕が口笛を吹くと、﹁こら、こら、謙一、やかましいぞ﹂と本から目を放さずに一本調子で窘たしなめる。 ﹁お爺さん、此処の観音さんは何ういう御ごり利や益くがあるんだね?﹂ とお父さんは手帳に何か認したためながら訊いた。 ﹁子供衆のない方が参詣致すと不思議にも覿てき面めんに授かりますで、東京や京大阪から遙々とお出いでになります﹂ とお爺さんが答えた。 ﹁此処から余程あるかね?﹂ と三輪さんがこれも水飴を頬張ったまゝ、外そっ方ぽを見ながら尋ねた。 ﹁すぐこの上の山でございます。旧道をお帰りになると通り道ですから御参詣なさいませ﹂ ﹁それなら序だから寄っていこうじゃないか? ねえ、村岡君﹂ ﹁さあ、団君が何うだろうかね? 車屋さんに酷く嚇かされているから矢っ張り新道を引き返すと言うかも知れないぜ。団君、旧道を通って田舎箱根を越す勇気はないかね?﹂ とお父さんが相談を持ちかけると、 ﹁田舎箱根豈あに辞じさんやだ。三輪君に子こさ授ずけ観音へ参詣させる為めにはだね﹂ と団さんは案外容易に賛成した。 ﹁美人の道連れがあると思ってすぐに承知したよ。現金な男さ﹂ とお父さんは小さな声で三輪さんに言った。そうして車屋に、 ﹁それじゃ車屋さん、来た序だから観音さんへ詣って旧道を帰ることにするよ﹂ ﹁それが本当です。道は悪くても此処へ来て菊川を通らないじゃお話になりませんからね﹂ と車屋が答えた。 なお少しば時らく休んでから奥さん達が出掛ける仕度を始めて、その車屋が此こっ方ちのを、 ﹁行かずう!﹂ と促した。僕達もいつまでも油を売ってはいられないから、それを機きっ会かけにお神みこ輿しを上げた。 ﹁馬鹿なものを沢山買い込んだぜ。昨日はあんなに灰吹を買うし、何でも見た物が買いたい病気だから仕方がない﹂ と団さんは飴のお土産を夥したたか提げている三輪さんとお父さんに小言を言った。 奥さん達は観音堂で御祈祷を捧あげた。田鶴子さんが社交振りを発揮して一緒に坐り込んでしまったものだから、僕達は待っていなければならなかった。その間に例によって宝物を拝観したが、此処のは蛇じゃ身しん鳥ちょうの牙だの石や鐘の破かけ片らだので古道具とまでも行っていない。品が粗末なだけに縁先の蓙ござの上に列べてあった。 ﹁迷信も有害なのは些っと官憲の手で抑圧しなければならないね。あの女連中は観音堂を婦人科の病院と間違えている。子供を授かりたいというくらいならまだいゝが、病気を直したいという積極的の問題だったら手てお後くれになるぜ﹂ と余り手間が取れるので団さんは不平を鳴らし始めた。 ﹁出来ないものは婦人科へ行っても出来やしない。お経で後こう屈くつ矯きょ正うせいや掻そう爬はじ術ゅつが出来て溜るもんか。見す〳〵効能のない御祈祷を平気で捧あげているんだから坊主という奴は済さい度どし難いよ﹂ と子供のないのには経験上特に同情している三輪さんさえ憤慨した。 ﹁相応な家の奥さんらしいが、浅はかなもんさ。これだから新聞の三面に女の問題が絶えないんだね。こんなところまで参詣に寄越す亭主野郎の気が知れないよ。大方実業家か何かだろう﹂ とお父さんも悪口を言った。この三人は観音さまへお詣りに来たのでなく、苦情を言いに来たのらしい。 住職はこんなに評判が悪いとも知らず、長い御祈祷を弥いやが上にも長くしてから、 ﹁旦那方、何うもお待たせ申しました﹂ と一揖ゆうし、 ﹁昔、この辺に蛇じゃ身しん鳥ちょう刃やいばの雉きじという怪物が出没いたしました。何がさて蛇体に刃の羽を生やした怪鳥でございますから……﹂ と頼政の鵺ぬえ退治を焼き直したような物語を始め、それが無間の鐘から夜泣石へと移って行った。 ﹁あの坊主は実に無学だね﹂ と寺を出て旧道を辿りながらお父さんが呟いた。 ﹁無学さ、何うせ坊主だもの﹂ と下り坂だから団さんも元気が好い。 ﹁山賊や猟師の娘に月つき小さ夜よだの小石姫だのがあって溜るもんか。月小夜姫は菊川で殺された俊とし基もと朝あそ臣んの娘さ。蛇身鳥だってあの坊主のは間違っている。猟師の女房じゃなくてやはり俊基朝臣の怨霊さ﹂ ﹁詰まらないことを知っているね﹂ ﹁月小夜姫はおとましく綺麗な女子だったとあのお坊さんが申しましたね。その月小夜姫からこの小夜の中山という名前がついたんでしょうね?﹂ と奥さんの一人が説を立てると、 ﹁そうでございましょうよ。切り通しや広小路なんかよりも好い名前ね。趣味があって﹂ ともう一人が受けて、それを田鶴子さんが、 ﹁物語から取った名前には何うしてもロマンチックな余よい韻んがありますわ。殊に月小夜姫といえば何んな鈍感なものでも透き通るような美しい人を連想します。その小夜子さんの小夜ですもの詩的ですわ﹂ と至って学者らしく結論した。 坂を下り切ると菊川の里だった。鉄道開通のお蔭で東海道筋には却ってこの通り淋れてしまって、昔の格式を保ってゆけなくなった町が往々あるそうだ。山又山の谷底で、余り要害が好いものだから、文明の交通機関に全く敬遠されているのらしい。僕達はこの里の名所中ちゅ納うな言ごん宗むね行ゆき卿きょうの墓を見た。 ﹁これも昔こゝで殺されたお公く卿げさまです。この人の亡霊が俊基朝臣の亡霊を教きょ唆うさして蛇身鳥刃の雉に化けさしたのですから、この石いし塊っころ見たいな墓が謂わばこの辺の名所旧蹟一体の築ちく源げん地ちです﹂ とお父さんは真面目な顔をして奥さん達に説明して聞かせた。 田舎箱根は車屋の誇張通り嶮しい坂道だった。しかし団さんは何とも言わずに辛抱した。或は口を利く余裕がなかったのかも知れない。 ﹁団君に山を登らせるには美人を連れて来るに限るね﹂ とお父さんが三輪さんの耳許で囁いていた。 金谷へ戻った時僕達は停車場の側そばでこの山里には珍らしく立派な銅像を見つけた。 ﹁これは誰の銅像だね?﹂ とお父さんが訊くと、車屋は、 ﹁作十さんといってこの土地の金持です﹂ ﹁妙に横の方を向いて悄しょげているじゃないか?﹂ ﹁はい。以も前とは駅の方を向いていましたが、金を溜めたばかりだでという県庁のお達たっ示しで、この通り横の方を向かせました﹂ ﹁金を溜めちゃ駅の方へ向けないのかい?﹂ ﹁否いえ、高貴の方々が汽車の中からあれは誰かとお尋ねになると返答に困るというで﹂ ﹁成程ね。静岡県人だから﹂ と三輪さんが横から口を出した。第六回
浜松の花屋本店で夜が明けた。雨あま滴だれの音が聞える。昨夜はあんなに晴れていたにと思って耳を澄したが、確に降っている。僕は落がっ胆かりしてしまった。そうして、 ﹁お父さん、雨が降っていますよ﹂ と枕から頭を擡もたげて言った。 ﹁うむ、大分降っているね﹂ とお父さんは最も早う度胸を据えていた。 他ほかの連中も諦めよく朝寝をしたから、今日一日案内をしてくれる筈の村田さんが来た時には未だ御飯が済んでいなかった。 ﹁兎に角この雨じゃ仕様がありません。測候所へ電話をかけたら、昼から晴れると言っていましたから、まあゆっくり話しましょう﹂ と村田さんが言った。村田さんは団さんの友人で昨夜も僕達を停車場に出迎えてこの宿屋へ案内して来て呉れた。 ﹁君、宜いいのかい? いくら藪やぶでも昼前は患者の一人や二人は来るだろうにね?﹂ と団さんは十年ぶりに会った人にも遠慮ということが更にない。 ﹁人聞の悪いことを言うなよ。この花屋にしてもこれで僕の病家範囲だ。田舎の医者でも先生が診察室からすぐ早替りで薬局へ廻る奴とは違うぜ﹂ と村田さんも早速売言葉に買言葉になった。 ﹁筍たけのこが何人いるね﹂ ﹁助アシ手スタントと言って貰いたいね。看護婦以外に四人いるよ。それでも間に合い兼ねるくらいだ。眼科は内科と違って身体そのものはピン〳〵しているから患者が遠方から来るんでね﹂ ﹁ふん、眼科だったね。眼科とは考えたな。罷り間違っても殺しっこないし、一つ潰してもまだ一つ残っているしね﹂ ﹁おい〳〵、好い加減にして呉れよ。お上かみさんが来たぜ﹂ 成程、女中とは違う人が入って来て、 ﹁何どうもお粗末さまでございます。折角の御見物を生あい憎にくの雨でお困りでございましょう﹂ と愛相好く挨拶をした。 ﹁甚じん句くは歌わないのかね?﹂ と村田さんが言うと、 ﹁まあ、真ほん正とうにお口の悪い先生!﹂ とお上さんは村田さんの肩を叩いた。 ﹁だって土俵入りだと思ったんだもの﹂ と村田さんが註釈した通り、このお上さんは太っている。僕は田鶴子さんが昨夜縁側の暗いところでお相撲に行き当ったと言っていたのを思い出した。 ﹁それは然うとお上さん、何か一つ浜松の話をお客さん達にしてやって呉れないか?﹂ ﹁然そうでございますねえ……﹂ ﹁一体浜松の名物は何だろう?﹂ ﹁浜はま納なっ豆とうに空っ風ぐらいなものですわ﹂ ﹁成程、沼津でも静岡でも西の風が名物だと言っていましたよ。あれが此方まで来るのと見える﹂ と三輪さんが思い当ったように言った。 ﹁此方から行くんだよ。相変らずグンデルビ上シャ海ンハ式イしきだね﹂ と団さんが揚げ足を取った。 ﹁その空っ風と私の商売との間に緊密な関係があるから面白いでしょう。空っ風も東京のとは較べものになりません。冬になると橋から馬力が馬ぐるみ吹き落されるくらいですから、人間にも応こたえます。一ひと風かぜ毎ごとに結けつ膜まく炎えんの患者が殖ふえて私の病院へ泣き込みます。眼科の病人は皆目を赤くしたりハンカチで押えたりしていますから、殊勝です。まず冬分は空っ風が病件を吹き寄せて呉れるといった形ですよ﹂ と村田さんが説明した。 ﹁成程、面白い影響があるもんですな。あなたは元もと来もと此処ですか?﹂ とお父さんが訊くと、村田さんは、 ﹁否いや、違います。しかし私がこの遠州浜松で眼科を開業しているには立志伝中の物語があるんです。雨もまだ止まないようですから、坊ちゃんの御参考までに申上げましょうかね? 私の父は君公の御馬前で討死をするのを理想と心得ていた律りち義ぎもの、﹃忠臣の亀かが鑑みとは唐もろ土こしの予よじ譲ょう﹂﹇#﹁予譲﹂﹂はママ﹈という文句を聞く度に私は父の顔を思い浮べます。三代だい相そう恩おんの旧藩主の為めに命を捨てる機会のなかったのを残念と感じ、せめて息子をお役に立てたいと言って、私に医学を勧めました。私が又孝子の亀鑑と来ているでしょう。それで……﹂ ﹁何うだかね﹂ ﹁まあ、黙っていたまえ。当時旧藩主が不ふ治じの蓄ちく膿のう症しょうに罹っていられたので、私は早速鼻科の研究に独逸へ参りました。一年半ばかり耳鼻咽喉科を専門に修めていますと、﹃眼科へ転ぜよ、委あ細と書ふ面み﹄という電報が父から届きました。直すぐ様さま転科の手続を済ませて待っていますと、父の書面が着きました。﹃お殿様御おん事こと年来御放蕩の結果お鼻御落滅。同時に御失明の虞おそれ有之候間片へん時じも早う眼科へ転学可しか然るべく﹄とありました。それから新規蒔き直しに眼科の専攻を卒おえて二年後に帰朝の途につきましたが、私はよく〳〵不忠に生れついていると見えまして、船が神戸に着かない中に殿様には病毒が脳に上って、御発狂次いで薨こう去きょと事が捗はかどりました。これが昔の戦場なら兎に角君公御最期の間に合わなかったのですから差詰め切腹です。しかし開明の今日の有難さ、少しば時らく謹慎ということで父も納得して呉れ、当地へ来て試みに眼科を開業しました。ところが今の空っ風で病院が無暗に流は行やるでしょう。到頭此方で女房を貰う。子供が続々出来る。最も早う悉すっ皆かり土着してしまいましたよ。旧藩主の鼻さえ落滅しなかったら私は花の都で鼻専門に開業しているのだがと時折思いますが、何も彼も廻り合せで仕方ありません。あの低能児の鼻が、それも人並よりは余程低い鼻が私の一生にこういう大影響を及ぼしたかと考えると、転うたた感慨に堪えないものがありますよ﹂ と村田さんは身の上話を終った。 ﹁面白いですな。すると此処にこうして坐っていらっしゃるのも全然旧藩公のお鼻の然らしむるところですね﹂ とお父さんが嬉しがった。 ﹁まあ、そんなもんですね﹂ ﹁馬鹿なことばかり言っている。それより天気は何うだろう? 止みそうもないね﹂ と団さんは大おお欠あく伸びをした。 ﹁謙さん、朝四つの足で歩いて昼二つの足で歩いて晩三つの足で歩くもの何なあに? そうして足の多い時ほど弱いんですよ﹂ と少しば時らくしてから田鶴子さんは退屈紛れに考え物を持ち出した。 ﹁さあ、四つの足で歩いて……﹂ と僕は田鶴子さんの言った通りを繰り返して見たが、何うもそんなものは思い当らなかった。団さんも釣り込まれて、 ﹁一番最しま後いは三つの足だね? よし﹂ と考え込んだ。 田鶴子さんは散々僕を焦らした後、 ﹁人間よ﹂ と教えて呉れた。這う頃は四本足だが、立つようになれば二本足で、年が寄ると杖を持つから三本足だそうだ。 ﹁うむ、成程、巧いことを言ったもんだ﹂ と団さんは横手を拍うって感歎した。団さんは数理の方が敏さとい代りに洒落と来ると余程血の廻りが遅いようだ。二三日前に聞いたのが不図分ってきて、﹁うん、成程﹂と突拍子もない声を出すことが往々ある。 ﹁団君、今のはスフィンクスの謎だよ。スフィンクスは往来に立っていて通る人にこの謎をかけた。それも解けなければ食ってしまうという条件つきだから敵かなわない。君も希ギリ臘シャにいたら食われたろうね﹂ と三輪さんが笑った。 ﹁スフィンクスなら僕だって彫刻の方で知っているよ。流さす石がにスフィンクスだ。足の多いほど弱いというところが穿うがっている﹂ と団さんはまだ感心している。 ﹁稀たまに分ると大得意だね。アメリカ人の悪口に、地獄から時々陽気な声が聞えるから問い合せて見たら英国人の笑い声だったというのがある。英国人はこの世で聞いた洒落があの世へいって漸く分るんだってね。君のは兎に角今生で分るから豪えらいよ﹂ とお父さんも冷かした。 ﹁朝を赤ん坊に譬たとえたところが面白い。君、スフィンクスは世界の七不思議だろう?﹂ と団さんはスフィンクスが馬鹿に気に入ってしまった。 ﹁七不思議はピラミッドさ﹂ とお父さんが言うと、 ﹁七不思議で思い出しましたが、この遠州にも七不思議がありますよ﹂ と村田さんが案内の役目を思い出して、 ﹁昨日御覧になった夜泣石もその一つです﹂ ﹁それは是非承って置きたいもんですね﹂ とお父さんは忽ち乗り出した。 ﹁夜泣石に佐倉の池に遠州灘の浪の音に……片葉の蘆と天狗の火と……﹂ と村田さんは行き詰まってしまい、 ﹁おい〳〵、お上さんを一寸呼んで来てお呉れ﹂ と折から縁側を拭いていた女中に頼んで、 ﹁天狗の火というのは燐か何かでしょうな。大井川へ時とき稀たま現れるそうです。龍りゅ燈うとうだという説もありますが、何どっ方ちにしても好い加減なもんですよ。片葉の蘆というのは実際不思議で、葉が片一方丈けへ出ます。浜名湖の確か北岸に生えると聞いています。それから遠州灘の浪の音ですが、これも実際で弁天島へ行くと能く聞えます。大砲か遠雷のような音が絶えずしているんで、一寸凄味がありますよ﹂ お上さんは再び大きな体躯を持ち込んで、村田さんのまた言う通りを数え立てた後、 ﹁京丸の牡丹と井戸の土ですわ﹂ と二不思議を附け加えた。 ﹁然う〳〵。井戸の土か? 思い出せない筈だよ。これは僕も理わ由けを知らないんだもの﹂ ﹁この遠州では井戸を掘って埋めて見ますと屹度土が足りなくなっています。掘った丈けの土では埋まらないから不思議だと申すのでございます﹂ ﹁掘って埋めて見る奴があるもんかね﹂ と建築を商売としている団さんは黙っていられなかった。実際家を拵えて壊して見る馬鹿はない筈だ。 ﹁井戸でなくてもこれは分ります。この遠州ではお葬式の時墓穴を掘って棺を埋めますが……﹂ ﹁遠州でなくても葬式は大概穴を掘って埋めるに相場の定きまったもんさ﹂ と村田さんが弥次った。 ﹁沢たん山と仰有いよ。棺を埋めますと土が丁度一杯々々でございます。若もし土が減らないなら棺桶丈けの分が余りそうなもんじゃございませんか?﹂ ﹁おや〳〵、アルキミィジスの法則で論ろん証しょうするぜ﹂ と村田さんは無暗に口を出す。 ﹁覚えていらっしゃいよ、人が知らないと思って病院の符ふち牒ょうなんか使って﹂ とお上さんは睨んだ。 ﹁アルキミィジスは結構だが、前提が間違っている。何うしても減るという理窟がない﹂ と団さんは何処までも真面目だ。 ﹁理窟のないことがあればこそ七不思議さ。困った男だね﹂ と三輪さんが言った。 ﹁元来土から出た人間だから常に地面の下に棺桶だけの空虚が待っていると解釈したら何うだい? 土も減らなくて済むし、この不思議も宗教的色彩がついて生きて来る﹂ とお父さんが折せっ衷ちゅ説うせつを出した。 ﹁何うも旦那様方はお話が六むずかしくて迚とても私にはお相手が出来ませんわ﹂ とお上さんは逃げ腰になった。全く朝からこんな閑ひま人じんにかゝりあっていては商売にならないのだろう。 ﹁まあ〳〵。そうお冠かんむりを曲げないで佐倉の池の説明をしてお呉れ。彼あす処こにはお鉢に赤飯を入れて沈めるお祭まつ典りがあったね?﹂ と村田さんが水を向けても、お上さんは、 ﹁あのお池の底が信州の諏訪湖へ通じていると言わせて又私を笑うお積りなのでしょう。最も早う御免でございますよ﹂ ﹁もう一つ京丸の牡丹だ﹂ ﹁あれも何どうだか分りませんわ。平家の残党の匿かくれていたところだと申しますが、矢張り証拠がございませんもの﹂ といった具合で至って手短に片付けてしまった。 お昼近くになっても雨は止まなかった。今日の予定は弁天島も岡崎も悉すっ皆かり流れてしまいそうだ。お上さんの勧誘によると弁天島は静岡名古屋間唯一の遊覧地だから、もう一日逗留しても見て行く価ねう値ちがあるそうだ。それよりも尚お僕の興味を惹くのは藤吉郎の昔を偲ぶ岡崎の矢やは矧ぎば橋しだ。がこの天気では何も彼も諦めなければならない。 ﹁三河の土を少しも踏まないでしまうのは残念だね﹂ とお父さんは甚だ不本意らしかった。 ﹁三河には別に見るものはありませんよ。豊とよ川かわ稲いな荷りという迷信の本場と岡崎の八丁味噌が多少知れているぐらいのもんです﹂ と村田さんは畳の上で浜松の案内を終って最も早う三州へ入っていた。そうして、 ﹁名古屋の勢力範囲ですから三河の人は皆我がり利がり々も々う亡じ者ゃです﹂ ﹁酷ひどいことを言うなよ﹂ と団さんが故障を申立てた。 ﹁成程、君は名古屋だったね。名古屋人同様皆勤きん倹けん力りっ行こうの精神に富んでいます。人物は家康公という大智者が出てしまったから、もう末うら実なりという姿で、余り豪いものは生れません。毎年正月お馴染の万まん歳ざいが先ず三州の代表的人物です﹂ ﹁然うでしたね。権現さまと万歳の発祥地でしたね﹂ とお父さんが言った。 ﹁万歳村というのがありまして、村中万歳ですから、悉すっ皆かりでは何億歳という頭数でしょうな。これが年の暮になると鋤鍬を捨てゝ日本中へ散らばります。そうして初日の影の映さすと共に鼓を鳴らして、三河の国のために大いにメートルを揚げるのです﹂ と村田さんはナカ〳〵話が面白い。 ﹁相変らず詰まらないことを言って嬉しがっているね。それよりも天気だ。田舎の天気予報を信あ拠てにして待っていても始まらない。もう晴れないと諦めて、今日は第二予定によることゝしようじゃないか?﹂ と団さんは旅行日程と手帳を見較べながら言い出した。 ﹁いきなり名古屋へ行ってしまうのかい?﹂ と三輪さんが訊いた。 ﹁然うさ。何うせ降るものなら汽車の中で降られる方が時間経済だからね﹂ ﹁まあ〳〵然う急ぐことはないよ。しかし降るね。一つ度胸を据えてもう一晩泊って行かないか? 珍客をこの儘逸してしまっては惜しい。浜松美人を紹介するぜ。此処の家は料理屋も兼ねている﹂ と村田さんが誘惑を試みた。大人社会では珍客は必ず芸者で遇することに申合が出来ているのらしい。 ﹁そんな下等な趣味はこの偽善者が反対だよ﹂ と団さんはお父さんに当てつけて沼津以来の溜飲を下げた。 ﹁まあ兎に角もう少しば時らくはいゝだろう? 村田という男は何処も見せてくれなかったと末代までも言われるのは僕だって心苦しいから、何処か一箇所御案内しよう。お嬢さんは西洋音楽がお好きでしょう? 浜松は楽器が名産です。一つ山やま葉はオ風ルガ琴ンの製作所を見ていらっしゃい。しかし団君、名古屋で降られるのも此処で降られるのも同じことじゃないか? 落つきたまえよ﹂ と言って村田さんはなお引き止めようと努めた。 有難い! 昨日とは打って代った日本晴れだ。名古屋では団さんの兄さんの家に泊るのが出発前からの条件だったので、昨夜は総勢五人御厄介になった。団さんの兄さんは団さん其そっ儘くりで、 ﹁兄は僕の相そう似じけ形いの稍年の寄ったのです﹂ という団さんの説明通り、うっかりしていると間違うくらいだ。兄さん丈けに、 ﹁常々仙吉がお世話になりまして……仙吉、お寛ぎなさるようにお前からも申上げてな……﹂ という風で全く呼び捨てだ。 ﹁兄さん、案内は私がしますから、何うか御心配なしに願いますよ﹂ と団さんも分ぶん際ざいを守って、弟の礼を執る。兄さんと弟だからこれは何の不思議もない話だけれど、双方とも額の少々禿上る年配なので、一寸異様の感がする。田鶴子さんもお母さんの名前の呼び捨ては毎日聞いているが、お父さんのは初めてと見えて、 ﹁痛快ね。家で威張っているお父さんも此処へ来ると唯の仙吉なんですもの。何だかお父さんの名前を初めて聞いたような気がしますわ﹂ と僕に言った。 さて﹁名古屋へいりゃあたら寄よって頂ちょ戴うでやあも﹂という註文は果したが、団さんの発祥地は、﹁笹島駅から三丁目、一軒置いて二軒置いて三軒目﹂よりはもっと遠く、碁盤割の本ほん町まち通どおり、木綿問屋が軒を並べているところだった。店には小僧がウヨ〳〵している。子供も男女取り交ぜて十人という大おお家がな内い、僕と同年の息子さんや田鶴子さんの従姉が相手をしてくれるので一向退屈を感じない。 ﹁あんた、大おお須すの観音さんは賑かでなも。東京なら浅草のようだも。活動写真が仰ぎょ山うさんあって、店の小僧が毎晩行って困るわえも﹂ といった具合に語ご尾びを必ず﹁も﹂の字で終らせる。 ﹁旦那、やっとかめでなも。この前は大変御厄介になりまして、有難うございます﹂ と団さんに挨拶した番頭さんの案内で僕達は近廻りを見物に出かけた。お城の方へ一直線に進んで、中を電車の通っている外濠のところへ来ると、番頭さんは、 ﹁この電車が瀬せ戸とまで参ります。瀬戸物のできる瀬戸です﹂ と説明を始めた。 ﹁徳さん、名古屋弁でやっておくれよ﹂ と団さんが註文した。 ﹁否いいえ、標準語でないと分りません﹂ ﹁然そう〳〵、君は二度も東京へ逃げて行ったから標準語を研究して来たろうね﹂ ﹁冗談言っては困るわえも﹂ 兵営のあるところを通ってお城の前へ出た。遙に天守閣が見える。成程、金の鯱しゃちほこが朝日を受けて燦さん爛らんとしている。僕が頻に伸び上ると、徳さんは、 ﹁今にあのすぐ近くへ参ります﹂ と言って、間もなく又、 ﹁これが東京の馬場先御門です。明治四十三年にこの離宮へ移したのです﹂ ﹁はゝあ、馬場先門が何時の間にか見えなくなったと思っていたら此こっ方ちへ来ているんですか? 成程、確に馬場先門ですよ﹂ と三輪さんは旧知の人に会ったようなことをいった。 ﹁明治四十三年じゃなかろう?﹂ と団さんが例の癖を出すと、徳さんは、 ﹁否、確に四十三年です。私が初めて東京へ……﹂ ﹁……逃げた年かい?﹂ ﹁鯱が益大きくなって来たぜ。﹃伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ﹄というが、城全体があの鍍めっ金きの鯱で持っているようだね﹂ とお父さんがいうと、団さんは又、 ﹁馬鹿なことをいうと笑われるよ﹂ ﹁鍍金じゃないのかい?﹂ ﹁否、鯱の問題でなくて、歌のことさ。その歌は伊勢の歌でも名古屋の歌でもない。﹃石は釣って持つ釣って持つ石は、尾張名古屋の城へ持つ﹄といって、石の運搬法を説明した昔の歌だ﹂ ﹁面白いね。﹃石は釣って持つ釣って持つ石は﹄か。妙なことを知っているね。君も﹂ ﹁余り見みく括びって貰うまいぜ。建築家の読んだ歌は流さす石がに実がある。夙つとに起クレ重ー機ンの原理を説いているところが豪いさ﹂ ﹁同時に名古屋の築城当時の光景を歌っているじゃないか?﹂ ﹁否、名古屋に関係はないさ。石が主題になっているもの。附録の方は﹃肥後の熊本の城へ持つ﹄と直してもその儘通用する。物理の原則を歌っているんだからね。﹃独逸ヴィッチンベルグの城へ持つ﹄としても同じことさ﹂ ﹁恐れ入った解釈だね。すると﹃伊勢は津で持つ﹄という歌はこの土地じゃ謡わないんだね?﹂ ﹁否いいえ、謡いますよ。あの方が矢っ張り真ほん正とうです。現に昨夜も魚うおの棚たなで……﹂ と徳さんがうっかり口を辷らすと、 ﹁魚の棚だって? 困るぜ、徳さん。もうあすこへは足踏みをしないという条件で僕が詫びてやったんじゃないか﹂ と団さんは眉毛を顰しかめた。 間もなく僕達は濠を距てゝ真正面に天守の見えるところへ来た。 ﹁鯱が眩ひどるいようでしょう?﹂ と徳さんは指さしながら、 ﹁昔柿の木金助というものが大きな凧に乗ってあの鯱の鱗を一枚剥ぎ取ったことがあります。それ以来あの通り金網を張って警戒し、半紙百枚以上の凧は御ごは法っ度とになりました。金助の剥はがしたのは右の雌めじ鯱ゃちで、その遠眼鏡で御覧になると一枚足らなくなっているところがよく分ります﹂ と説明してくれた。 ﹁成程、見える。右の奴の口元だ﹂ とお父さんは逸早くお茶屋の遠眼鏡を覗いていた。つゞいて皆代り〴〵に鯱の魚に見参している間も、 ﹁この鯱を鋳いるに慶長大判を千九百四十枚潰しました。鱗一枚でも一ひと身しん上しょうですから、金助が悪心を起したのも無理はありません。名古屋の人は今日でも金に詰まるとこの鯱のことを考えます。目は径さしわたし一尺の銀むく、これだけでも一ちょ寸っと凌しのげますな。そうして瞳が赤銅です。何しろ三十六大名が仰せつかって、人足二十万、工事監督が加藤清正と来ていますから、全くの金城鉄壁で、三百余年の間瓦一枚も落ちません﹂ と徳さんは案内役に身を入れた。 お城を一周して練兵の坂というのを上った。名古屋は完全に平坦な市まちで坂というほどのは此処ばかりだそうだ。再び碁盤割の市街に入ったが、古着屋ばかり並んでいるところを通った時は驚いた。 ﹁此処は東京なら日ひか蔭げち町ょうか柳やな原ぎわらです﹂ と徳さんが言った。度々逃げて行っただけに東京のことをよく知っている。 こんな風で僕達は徳さんの案内に委せてお昼前に中村公園と鶴舞公園を見物した。前者は小さいが太閤が呱々の声を揚げたところで猿さる面めん冠かじ者ゃ産うぶ湯ゆの井戸というのが残っている。後者は近代式の大公園、何かというと市民が此処に集まること丁度日比谷公園の格だけれど、田舎だから警視庁はない。尤も一足飛びに監獄がすぐ近辺にあるそうだ。 ﹁名古屋人を軽薄だというが、それは中京の真相を知らないものゝ説だね﹂ と団さんは池の畔ほとりのベンチにかけて煙を吐きながら語りだした。 ﹁日本中で実力競争の最も赤裸々に行われているところは恐らく名古屋だろうと僕は思っている。万事実力即ち金力で情実が些ちっともない。看板よりも内容だ。それだから旧藩公だとか御家老だとかいう連中が案外無勢力で、充分活動の資力を持って入ってくる他よ所そのものが却って幅を利かす。実に痛快なところだよ﹂ ﹁物価の廉やすいのも此処の一特徴だと昨夜御賢兄が言っていたね﹂ とお父さんが言った。 ﹁それも実力競争の賜たまものさ。女の子が生れると赤飯を炊いて祝うというくらい勘定高い連中だから、高いと思えば一切買わない。自然物価が廉くならざるを得ないじゃないか? 東京みたいに高い〳〵と言いながら買っているのとは違うのさ﹂ ﹁女の子が生れると赤飯を炊たくのは何ういう次わ第けだね?﹂ と三輪さんが訊いた。 ﹁芸者に売れるからさ。此処は芸者の産地としては日本一だぜ。おきゃあせ種だねは名古屋コーチンと共にその名天下に鳴ると日本地理の教科書に載せても宜いくらいのもんさ﹂ ﹁おきゃあせとは何ういう意味だい?﹂ と三輪さんは一々訊く。 ﹁置きなさいさ。お止しなさいさ。略して﹃おきゃあ!﹄ともいう。先刻電車の中で女学生が連発していたじゃないか﹂ ﹁名古屋言葉の特徴ですよ。おきゃあせ〳〵というものに、おきゃあせんもんだでそれ見ゃあせ﹂ と徳さんが低い声で唄いだした。 ﹁労働賃銀も此処は他よ所そより廉い。随って方々から工場を持ってくる。砲兵工廠の如きは東京からも大阪からも此処へ支庁を置いて現にこの間までは向い合って仕事をしていたよ。こんな具合で人口が益殖えるもんだから、十里平方の都市計画も一概に無謀だとはいえないようだ﹂ ﹁御賢兄も然ういう説だったね﹂ ﹁御賢兄々々と言うなよ。僕が如何にも愚ぐて弟いのように聞えるじゃないか﹂ と団さんは少々憤慨したが、又、 ﹁名古屋人の勘定高いのはこれだけの大都会でいながらこの頃漸く電車賃の均一制が行われる様になった一事でも分る。以前は一区二銭で、最長限が三区だった。三区たっぷり乗る場合には文句もないが、二区半ぐらいの場合には二区で下りて残あ余との半区を歩くのが名古屋気かた質ぎだから、五銭均一には極力反対したそうだよ。一区や半区乗って二区半払うという道理は迚とても頭あた脳まに描けないんだね﹂ ﹁三銭なら均一でも我慢してやるという論が盛んでなも。浮か〳〵していると電車は焼打を食うところでしたよ。あゝいう正義人道の問題が起りますと、名古屋中の人がこの公園に集まります﹂ と徳さんも生きっ粋すいの名古屋人だ。五銭均一を不義非道と心得ている。 僕達は再びその均一電車に乗った。気の所せ為いか余り込んでいなかった。殊に僕の前に坐っていた商人らしい男は怏おう々おうとして幾度か溜息を吐いた。行き詰まって金の鯱の鱗を剥がす策略を廻めぐらしているのか、それとも一区で五銭払うのは馬と鹿ろくさいと考えているのか、僕には一寸判断がつき兼ねた。ところへ停留場で又一人の商しょ人うに体んていが乗り込んだ。見知り越しの間柄らしく、 ﹁おや、何処へ﹂ と頷くと、僕が鯱泥棒の嫌疑を半ばかけていた男は、 ﹁病院へ行って来ました。末のが疾はや風てに罹かかってなも。一寸も埓だち明ゃあかんでなも﹂ ﹁然うきゃも。疾風はおぞぎゃあぎゃあも﹂ ﹁村岡君、疾風というのは疫えき痢りのことだよ﹂ と隣にいた団さんがお父さんに通訳した。 ﹁疫痢が流は行やると見えるね?﹂ ﹁此処の名物さ。恐らく此処が本場だろうよ。此処のは特に悪性で勝負が早いから土地の人は疾風と言っている﹂ ﹁灌かん腸ちょ器うきと箆ひ麻ま子し油ゆの宣伝が必要だね﹂ とお父さんが言った時、僕達はもう新しん栄さか町えちょうに着いていた。 ﹁栄町までブラ〳〵歩こう。何も見物だ﹂ という団さんの発ほっ起きで僕達は賑かな町筋を歩き始めた。 ﹁こういう時には均一が特別癪に障りますね。唯たった二停留場で五銭ですもの﹂ と徳さんが憤慨した。 ﹁いゝさ。昼から熱田へ行くから埋め合せがつくよ﹂ と団さんが慰めても、 ﹁熱田までは以前なら三区ですもの、唯一銭しか開きがありません﹂ と徳さんは一銭の儲けでは不満足らしかった。電車に乗って儲けようというのだから始末に負えない。 ﹁この辺が名古屋の銀座なんでしょうね? ナカ〳〵賑かだわ﹂ と田鶴子さんが喜んだ。 ﹁栄町が銀座でございます。この向うが伊藤松坂屋のあるところでございます﹂ と徳さんが教えてくれた。 ﹁あら、名古屋にも松坂屋があるの?﹂ と僕が訊くと、 ﹁松坂屋は此方が本店よ﹂ と田鶴子さんは能よく知っていた。 ﹁此処の名物は一体何と何だね?﹂ と栄町から本ほん町まちへ折れると間もなく三輪さんが訊いた。 ﹁先刻の﹃おきゃあせ﹄とコーチン……﹂ と団さんが数え切らない中に、 ﹁動物は困るよ﹂ ﹁……尾張大根と……﹂ ﹁植物も困る。菓子か何か家へ送れるものはないかね?﹂ ﹁菓子なら納なや屋ばし橋まん饅じゅ頭うと鯱おこしが代表的だね。此処では値が廉くて嵩かさのあるものが万能さ。万事実質主義で押し通す。鯱おこしと来たら兵営の残飯で拵えるそうだから甚だ実サブ質スタ的ンシャルだ。昼には姪達が名古屋特有のものばかり差上げる積りで仕度をしているよ﹂ ﹁御賢兄のお宅へ種いろ々いろと御厄介を掛けるね﹂ とお父さんが言った時、大きな午ど砲んが鳴った。流石に団さんの引き廻しだ。予定通り十二時きっかりに帰り着いたには感服した。第七回
﹁大きな川だなあ! 何川でしょう?﹂ と僕が言った。 ﹁木曽川よ﹂ と先刻から地図を見ていた田鶴子さんが教えてくれた。 ﹁御参宮でございますか?﹂ と品の良い老人が三輪さんに話しかけた。すべて汽車の中の交際は行先地の質問から始まる。 ﹁えゝ、あなたも矢張り?﹂ と三輪さんが応じた。 ﹁はい。伊勢路はお初めてでございますか?﹂ ﹁えゝ﹂ ﹁然そうですか。私は四十何年振です。何しろ二十一か二の時で、明治十四年か十五年でしたからね。随分古いことですよ﹂ ﹁はゝあ、私が漸く生れたか生れない頃ですな﹂ 若もし数学に多少の真理があるとすればこの老人は﹁これでも年だけは人並に取ります。もう六十三ですよ﹂と喞かこち、三輪さんは﹁当年四十一の青二才でございます﹂と謙遜したことになる。斯ういう具合に先むこ方うが打ち明ける程度で此こっ方ちも胸襟を開いている中には必ずそれとはなしに自分の出所を口から辷すべらせる。すると相手も一騎打の精神に従って遠からん席にも聞えるぐらいの声で、東京市日本橋区の住人という風に屹度名乗りを揚げる。 ﹁日本橋は何どの辺でございますか?﹂ とお父さんは火事とでも聞きつけたように向う側から乗り出した。 ﹁本ほん町ちょう三丁ちょ目うめでございます﹂ と老人が答えた。 ﹁そうでございますか。実は妻さいの里も本町三丁目でございまして﹂ ﹁奥さんのお里が? はゝあ、三丁目は何どな誰たさ様までございます﹂ ﹁木きも本とと申します﹂ ﹁はゝあ、木本さんでございますか? 木本さんなら何どっ方ちも生え抜きで若い時分から御ごべ別っこ懇んに願っております。木本さんの御親類で、あなたが、はゝあ﹂ 話し合っている中に不図共通の知人が出て来たり、商売や道楽の同じなことが分ったりしても直ぐに肝胆相照らして名刺の交換に及び、別れる時には窓から鞄を出してやってそれっ限きりになるものだが、里の鬼おに瓦がわらの相棒と素性が知れて見ると、お父さんはこの老人に特別の敬意を表さなければならなかった。 ﹁然うでございましたか。木本君の、はゝあ、御長女の、はゝあ、御婿さんで、はゝあ﹂ と老人は額に掛けていた眼鏡を鼻の先へ下してお父さんの名刺を見ながら言った。 ﹁村岡君、大分鼻の下が伸びているぜ﹂ と団さんが冷かした。 ﹁田鶴子さん、早く写真機をお出しなさい﹂ と三輪さんまで諢からかった。 ﹁四十何年か前に私を抜け詣りに誘ったのが木本君ですよ。今しがたもその頃のことを考えていたところです。何しろまだ汽車が横浜までしかなかった時分でしたから随分困難しました。しかし伊勢詣りは能く〳〵深い御縁ですなあ。こう頭の禿げた今日又こゝで昔一緒に逃げてきた木本君の御長女のお婿さんと道連れになるのですもの﹂ と老人は感慨無量という体であった。 ﹁木本の親父もそんな時代があったんですか? 人を誘い出したりしてナカ〳〵悪友でしたね?﹂ とお父さんは嬉しそうに言った。 ﹁否いや、何方が悪友だか分りませんよ。約束は前以てしてあったのですからね。何方か路銀を盗み出し次第という手筈になっていたので、木本君が親父さんの留守か何かで成功して私を誘ったのでしたよ﹂ と老人が説明した時、僕達は再び大きな川へ差しかゝった。 ﹁あの折は何でもこの川を舟で下りて桑名へ着きましたよ。然う〳〵、津つし島まから乗り込んだのです。この辺は一帯に人にん気きの悪いところでしてね、旅の者と見ると随分酷いことをしたものです。宿屋と船頭が共ぐ謀るになっていて、宿屋では煮えづくしの飯を出し、船頭は﹃舟が出ますよ。舟が出ますよ﹄と火のつくように呼ぶでしょう。迚とても喉へ通ったものじゃありません。後から聞きましたが、彼あす処この宿屋は何処もあゝいう風にして飯を食わせない仕掛になっているのだそうでした﹂ 間もなく遙に玩具のような城が見えて、桑名に着いた。成程、 ﹁名物しぐれ蛤はまぐり!﹂ と売子が呼んでいた。 ﹁一の鳥居は桑名にあると申してな、跛びっ足こを引き〳〵こゝまで来ると、ホッと一息ついたものですよ﹂ と当年の抜け詣りは汽車が動き出すと共に又話し始めた。 ﹁一の鳥居から本殿まで三日も四日もかゝるんですね?﹂ とお父さんが訊いた。実に調法な道連れが出来たものだ。僕達はこの老人のお蔭で車窓に現場を控えながら半世紀前の伊勢詣りの模様を詳つまびらかにすることが叶う。 ﹁こゝから二晩、足の弱いものは三晩泊りでしたな。昔は伊勢参宮が冠婚葬祭に次ぐ大だい切じの行事になっていましたから男は一遍は是非来たものです。一つはこれで若い者が世間を見るという仕掛になっていたのですな。こゝまで旅をする中には東海道の目ぼしいところに一々泊りますし、奥州のズウ〳〵関東のダンベイ北陸の権助共とも一緒になります。そうして関から彼むこ方うでは京大阪は無論中国西国の連中が交りますから、確に見聞は広くなりましたな。昔の人も巧いことを考えたものですよ。お伊勢さんに託かこつけて一種の国民教育をやっていたのです﹂ ﹁成程、御一説ですな。然う承ればこの頃は交通が便利になった割合に伊勢を知らない者が多いようですよ。現に私達も皆初めてですからね﹂ と団さんが半ば同感を述べた。 ﹁然うですとも。交通機関が完備したり新聞が発達したりした丈けに遙々出掛けて来る必要がなくなったのです﹂ ﹁全く然うですなあ。私わた等しなども神経衰弱だものだからつい誘われて出て来る気になったんです﹂ と三輪さんは黙っていれば宜いのにと思うようなことまで発表して老人の説を全然確認した。 ﹁何なあに、便利になったものだからいつでも来られると思って皆横着を構えているんですよ。私の友達には今に大臣になればどうせ報告参拝に出掛けるんだからと言っている奴が三人もあります﹂ とお父さんは自分の無精から意見を割り出した。 亀山を通ったとき老人は、 ﹁坊ちゃん〳〵、この宿はお祖父さんの古戦場ですよ。坊ちゃんは雲助というものを御存知でしょう? 私達の来た時分には車屋がまだその雲助気かた質ぎで、悪く強しいたものです。何でも木本君のことを奥ん坊と言ったのが原も因とで車屋と大喧嘩をしましたよ﹂ と少しば時らく途切れていた思出語りを続けた。 ﹁奥ん坊って何です?﹂ と僕が訊くと、 ﹁奥州者のことです。彼あっ方ちの人は赤あか毛ゲッ布トを着て風呂敷包を担いで田いな舎かも漢の丸出しですから、奥さんとか奥ん坊とかいって馬鹿にされます。車屋が煩うるさく勧めた末、﹃何だ、この奥ん坊め﹄と言ったのです。此方は東京も日本橋の出身でしょう? 黙っちゃいませんや。﹃人を見損うな﹄と言い返しますと、﹃汝うぬ等こそ人を見損うな。亀山の勘六さんを知らないか?﹄と来ました。﹃そんな田舎漢を誰が知るものか﹄と答えた時先むこ方うが打ってかゝったことになっていますが、実は然ういいながら木本君が蝙蝠傘で撲ったのです。﹃汝うぬ!﹄と俥を置いて組みついて来ましたが、此方は機先を制しています。私も加勢をして到頭叩き倒してしまい、行きがけの駄賃に踏んだり蹴けたりしてやりました﹂ ﹁大いに江戸っ子の為めに気を吐いたのですな﹂ とお父さんが喜んだ。 ﹁ところがそれから先がいけないのです。町まち中なかでしたから忽ち人ひと立だちがして、勘六の仲間も駈けつけて来ました。勘六は腰が抜けたと言って往来の真中へ胡あぐ坐らをかいたまゝ動きません。﹃さあ、この怪我人を何うして下さる﹄というような次わ第けで、今度は車屋仲間が私達を取り巻きました。江戸っ子も斯うなると全か然ら意気地がありません﹂ ﹁膏薬代を取られましたね?﹂ ﹁膏薬代丈けで済めば結構だと思いましてね、木本君は、﹃おい車屋さん、お前さんは真ほん正とうに腰が立たないのかい?﹄と和解的態度に出ました。しかし勘六は、﹃散々踏んだり蹴たりして置いて、へん、今更何だいな? 抜けた腰が立つものかいな﹄と尻捲りをして威張っています。その間も車屋仲間は穏かならぬ権幕をしていましたから、私達は実際何うなることかと心細くなりましたよ。ところへ﹃一寸御免よ﹄と言いながら弥次馬を押し退けて入って来た二人連れがありました。﹃何だ彼だと言っても結つま局りこの男の腰さえ立てば文句はないんだろう?﹄とその一人が言いました。﹃はい、立つようにさえして貰えば何も申しません﹄と勘六は最も早う何いく程らにかなったと思ったようでした。するともう一人が側そばの豆腐屋か何かの店から十能のうへ火を一杯掬ってきて、突いき然なり勘六の尻へ当てがいました。忽ち勘六は弾ば機ね仕掛けのように立ち上ったばかりか火と見ると一二間飛び退きました。﹃巫ふ山ざ戯けやがると真正に足腰の立たないようにしてやるぞ!﹄と仲裁人は車屋達を睨みつけました。結局、木本君と私は撲り徳ということになったのです﹂ ﹁危いところでしたね。しかし好い仲裁人があって結構でしたよ﹂ とお父さんも安心したが、僕も胸を撫で下した。 ﹁私達はその二人と一緒に関の地蔵さんに参詣して別れました。参宮でなくて大阪へ行くのだそうでした。危難を救って貰ったのですから後日の為めにと思って名を訊いても﹃私達は堅気のものじゃありませんから﹄と言って笑っていました。博ばく奕ち打うちだそうです。何も縁だからと言って私達に昼飯の御馳走をした上に、この道中では特に喧嘩口論を慎むようにと懇々説諭をしてくれました。私達は感心しましたね。博奕打ちも決して悪いものじゃありませんな。私はあの事件以来遊び人と聞くと妙に懐しいような気がしますよ﹂ と老人は話し終って笑った。 ﹁木本の鬼瓦が博奕打ちに説諭をされたとは好いことを承りました﹂ とお父さんも笑い出した。そうして、 ﹁面白い。実際面白いですな。関ですね、舞台は? 喧嘩は道中亀山噺の亀山で、説諭は関の小万のあの関ですね?﹂ と場面を能く記憶に留めて置いて他日鬼瓦に当って見る積りらしかった。 ﹁然うです。地蔵さんのある関です。﹃関の地蔵に振袖着せて奈良の大仏婿に取る﹄という歌がありますよ。浅草の観音様同様小さいので評判の地蔵様のあるところです﹂ ﹁こゝは何んなところでしょう? 下りて見る価値がありましょうかね?﹂ と団さんは津に着いた時訊いた。﹁つ﹂と唯一字停車場に書いてある。凝っと見ていると余り簡単で何だか馬鹿にされたような気がする。縦も横もないから団さんも自然内容の価値を疑ったのだろう。 ﹁さあ、その折泊りましたが、一向覚えがありませんな。何でも馬鹿にひょろ長い町でしたよ。津の宿は七十五町といって名前の割に長いとかと詰まらないことを自慢にしていましたよ﹂ と老人は余り好い推薦をしなかった。 ﹁津う、津うって、唾でもするようで駅夫も呼び悪にくそうね﹂ と田鶴子さんも言った。 ﹁損な名前ですな。一寸した公園がある丈けで他には何も見るものがないそうですよ﹂ と三輪さんは誰に聞いて来たのか能く知っていた。兎に角こう不評判では津は帰かえ途りも素通りだろうと僕は思った。 しかし松坂では、 ﹁こゝは三井家の発祥地で有名な金持町です。取引先の木綿問屋がありますから、私も帰途に寄って見る積りです。﹃伊勢の松坂女郎衆の名所迷わさんすな帰らんせ﹄といって、こゝは昔から繁昌なところです﹂ と無暗に力瘤を入れた。 ﹁その折お泊りでしたね?﹂ と団さんが言った時、田鶴子さんが、 ﹁鈴すずの屋や翁おうの書斎もその儘に残っているそうでございますよ﹂ ﹁鈴の屋? まさか待合じゃあるまいね?﹂ ﹁厭なお父さんね。本もと居おり宣のり長ながを御存知ないの?﹂ ﹁知らないね。織田信長なら少し懇意だけれども﹂ と団さんは悪い癖で文学者となると必ず茶化してかゝる。 ﹁有名な歌人ですわ。﹃敷島の大和心を人問わば﹄なら何ぼお父さんでも御存知でしょう?﹂ と田鶴子さんも好くない傾向でお父さんを悉すっ皆かり見みく括びっている。 ﹁あれならお父さんも知っているさ。ふん、あの人かい? 専せん売ばい局きょくの嘱しょ託くたくだろう? 安煙草の名を読み込んだ手際は秀しゅ逸ういつだと思って常々敬服しているよ﹂ と団さんは益田鶴子さんを焦らした。 ﹁時に今晩は何うしてもやはり古ふる市いち泊りでございますか?﹂ とお父さんが遺憾そうに老人に尋ねた。 ﹁はい。古市へ泊って伊勢音頭を見なければ話になりませんからな。あなた方は何うでもやはり鳥と羽ばでございますか?﹂ と老人は憐れむように訊き返した。 ﹁鳥羽は朝の海が何とも言えないそうで、伊勢へ行ったら鳥羽に限ると教えられて参りましてね、宿屋まで最も早う定きめてあります﹂ ﹁海の景色は二見の日の出が好いそうで、私は今夜は古市明晩は二見と定めてあります。伊勢音頭と日の出を御覧にならないのは惜しうございますよ﹂ 見物客の予定は信仰箇条のようなものだ。各自我が仏ほとけ貴とうとしで、自分のが一番本式だと思い込んでいるから可お笑かしい。先輩から聞いた聊かの知識を根拠として絶対的の断定を下し、相手に選択の自由を許さないところは全く宗教に似ている。団さんの御賢兄の如きは、 ﹁仙吉や、参宮を先に済ましてから鳥羽の皆かい春しゅ楼んろうに泊って、二見の浦は翌日廻しにすると一番手順が宜いよ。伊賀の上野へは未だ日の高い中に着くから町を見物しても友とも忠ちゅうでゆっくり出来る。月つき瀬がせへは翌朝九時頃に自動車が出るから……﹂ という調子でもう疾とうに梅が散っているにも頓着なく自分の過去の日程を時間さえその儘僕達に踏とう襲しゅうさせようとした。すべて斯ういう理窟のものだから老人は不思議の御縁と喜びながらも予定の変更は思いも寄らず、山田に着いた時、 ﹁それでは外げぐ宮うから古市まで是非御一緒に願いましょう。四十年前でも曽そう遊ゆうの地でございますから私が案内役を勤めますよ﹂ と言って真先に俥に乗った。 お父さんと顔を洗いに行くと、団さんがもう冷れい水すい摩まさ擦つをしていた。 ﹁お早う。相変らず几帳面にやっているね﹂ とお父さんが褒めた。 ﹁相変らずって、僕はこれでもう二十二三年続けているよ﹂ と団さんは棒手拭で背中をグイ〳〵やりながら答えた。 ﹁些っとは効能があるのかい?﹂ ﹁風邪をひかないこと不思議だね。君も一つ始めちゃ何うだい?﹂ ﹁真平だ。毎朝そんなに一生懸命になって資も本とを入れるよりも時とき稀たま風邪をひいて済なし崩くずしにする方が楽だよ﹂ ﹁無精な男さね。時に三輪君は真ほん正とうに弱ったのか知ら?﹂ ﹁何に、チョク〳〵細君の顔が見たくなるのさ﹂ 田鶴子さんは疾とうに身仕舞を済ませて縁側から海の景色を見晴らしていた。その傍の籐椅子に陣取った三輪さんは毎朝の常例として首を傾げながら脈を数えている。 ﹁何うだね? 脈はあるかい?﹂ と団さんはお父さんと一緒に上って来ると直ぐに冷かした。 ﹁実は感心しているところさ。毎日の過労が未だ一向影響していない。家で学校へ行っている時よりも忙しいのだから身体具合は悪くなって宜い筈だけれどもね﹂ と三輪さんは健康を損ねるのが目的のように答えた。 ﹁冥みょ利うりを知らない男さね。同じ忙しいんでも遊ぶのと働くのは違うよ。余程豪い仕事をしている積りだから驚いてしまう﹂ と団さんが言った。 ﹁兎に角身体具合の好いのは結構だよ。時々里心を起すのは君の癖だから何とも思わないけれどもね﹂ とお父さんも安心したようだった。 御飯が済むと宿の亭主が出頭して挨拶を述べてから、 ﹁今こん日にちはこれから御参詣でございますか?﹂ と尋ねた。 ﹁否いいや、外げっ宮くさんも内ない宮くさんも昨日済んで、今日はこの辺と二見さ﹂ と団さんが答えた。 ﹁左様でございますか。お早いことで。鳥羽もこの附近の島めぐりをなさいますと丁度よろしい一日のお慰みになります。八十五島ございまして、すぐそこの坂手や桃もも取とりのようなのは一島が一村で、役場も小学校もございます﹂ ﹁昨日登る時には大骨を折ったが、高いところ丈けに眺望は好いね﹂ とお父さんは島だらけの海を見渡しながら言った。 ﹁この樋ひの山やまからの眺望は東洋第一だと申します﹂ と亭主は忽ち大きく出て、 ﹁今朝は生憎と霞んでいますが、好く晴れた日には富士山が一間半に見えます﹂ ﹁一間半とは何うして測定したのだろう?﹂ と団さんは数字が出るとすぐに理窟っぽくなる。しかし亭主は、 ﹁丁度一間半ございますな﹂ と物指を当てたように繰り返して、説明の必要を認めなかった。鳥羽の人は日の山公園は東洋一、富士山は一間半と確信している。 ﹁兄貴め、僕の山登りの下手なのを知っていて、態わざこんな素すて天っぺ辺んの宿屋へ指して寄越しやがった。以後脚の弱いものに必ずこゝを推薦してやることだね﹂ と団さんは景色には余り興味を持っていない。 ﹁東京も結構でございましょうが、男としては何と申してもやはりこの辺の島へ生れて来るのが一番の果報でございますな﹂ と少しば時らくしてから亭主はツク〴〵感じたように言い出した。 ﹁何故ね?﹂ と今度は三輪さんが相手になった。 ﹁女房が皆海あ女までございますからな。亭主は些ちっとも稼ぎません。亭主一人養えないようなら女の屑だと申すことになっていますから、この辺の島ぐらい男の楽なところはありません﹂ ﹁それは耳よりな話だね﹂ と団さんが喜んだ。 ﹁亭主は女房が海の中でセッセと稼いでいる間くわえ煙管で浄瑠璃を語りながら櫓を押していればそれでもう申分ないのでございます。それに海女ほど貞操の堅いものはありません。裸はだ体かし商ょう売ばいだから風儀が悪かろうと思うと大間違でございます。亭主を大だい切じにすること迚とても類がありませんな﹂ ﹁食わせて大切にするんだから感心なものだね。お互のところ見たいに食わせてくれるから亭主が大切と言うのとは段が違う﹂ と団さんは益嬉しがった。 ﹁海へ入って鮑あわびだの心とこ太ろて草んぐさだの真珠だのを採るばかりでなく、畑の仕事まで一手に引き受けて決して亭主に迷惑を掛けません。それですから私も女房に申すのでございます――﹃海女を見なさい、海女を﹄とね﹂ ﹁何うだね、海女は、器量は?﹂ ﹁左様な、何分水につかるので大概ふやけていますが、時には相応綺麗なのもございます﹂ ﹁器量が好くて、亭主を大切にして、裸体商売だから無論着物は欲しがらなくて……﹂ と団さんが長所を数え立てると、 ﹁要するにお互の女房とは全く反対の美点を具備している﹂ と三輪さんが言い、お父さんも、 ﹁僕達は今更仕方がないけれど、若い人にはこゝの島へ婿に来るように勧めてやるんだね。好いことを聞いたよ。もう何か他に珍しい話はありませんか?﹂ ﹁左様でございますな。昨日相の山でお杉とお玉の踊りを御覧になりましたか?﹂ ﹁彼あれは見たが、昔から名物になっている程のものでもないようだね﹂ ﹁あれにまず伊勢音頭でございますな、御覧になるものは﹂ ﹁伊勢音頭で思い出したが、芝居でやる彼の古市の油屋は今はもうないようだね﹂ ﹁有りますとも、相の山から古市へ入ると右側に油屋旅館というのがございましたろう? あれでございますよ﹂ ﹁あれかい? しまった。昨日彼あす処こで昼飯を喰べて連れの人に別れたんだが、唯の宿屋じゃないか?﹂ ﹁今は宿屋でございますが、あれがその﹃伊勢音頭﹄の油屋で、お紺の使った品物や貢みつぎの刀痕のついた襖や衝立が現に残っております。折角お寄りになって惜しいことを致しましたな﹂ ﹁つい宿屋だとばかり思っていたもんだからね。道理で彼の老人も古市へきて油屋へ泊らなくちゃと頻に言っていた。実際惜しいことをしたよ﹂ ﹁又黴ばい菌きん趣味か。古道具の疵物なんか何うでも宜いじゃないか﹂ と団さんは海女の話ほどに力を入れない。しかし亭主は、 ﹁油屋の白井さんはナカ〳〵の豪えら物ぶつでございますよ。先代が亡くなると直ぐに抱えの女郎衆を悉すっ皆かり親元へ帰してやって旅館に商売替を致しました。思かん想がえの進んでいる人はすることが違いますな。迚とても私共には真似の出来ない芸当でございます﹂ と古市の話を続けた。 ﹁一美談ですな﹂ と三輪さんが感心した。 ﹁白井何といいますか?﹂ とお父さんは手帳を取り出した。こんなことを時々書き留めたりするところを見ると、ピックウィック・ペーパーズも満更口ばかりじゃないのか知らと僕は思った。尤も団さんは、 ﹁救世軍へでも報告するのかい?﹂ と冷かしてやはり信用していなかった。 ﹁もう何か他に面白い話はないかね?﹂ ﹁左様でございますな﹂ と亭主はこういう閑ひま人じんにかゝり合っては困るのだろうが、 ﹁お木き曳ひきが一ちょ寸っと見みも物のでございますな﹂ ﹁お木曳きというと?﹂ とお父さんは言葉の意味から訊いてかゝった。予備知識の全くない連中だから先生も並大抵でない。一々根本から説明しなければならない。 ﹁内ない宮くさんも外げっ宮くさんも二十一年目には必ず御改築になりますが、その折土地の者が総出になって材木を曳くのでございます。﹃伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ、あれやいせ、これやいせ﹄と歌いながら町を練って歩くところはナカ〳〵景気のよろしいものでございます﹂ ﹁成程、名古屋の城の石を運ぶ歌を借用するんだね﹂ と三輪さんは団さんの曲きょ解っかいを鵜呑みにして学がく殖しょくを衒てらった。 ﹁否いや、此こっ方ちの木を曳く歌でございます﹂ と亭主は稍驚いたようで、 ﹁そうして﹃あれやいせ、これやいせ﹄と申すのも﹃あれはお伊勢様の御利益、これはお伊勢様の御利益、何も彼も一切万事お伊勢様の御利益、有難いことじゃ﹄という意味でございますからな﹂ といかにも道もっ理ともらしい解釈を施した。 上り下りに馬鹿骨が折れる丈けに樋の山はいながらにして城しろ址あとでも日ひよ和りや山までも一目に見えるから一々足を運ぶ手間が省はぶける。そこで見物はもう済んだことにして、僕達は山を下りるとすぐに停車場へ志した。 ﹁鳥羽は真珠の名産地だよ。嵩かさ張ばらない物だから何いく程らでも買って行き給え﹂ と団さんは町中へきた時買い物好きのお父さんと三輪さんに諢からかった。 ﹁田鶴子さん、真珠を買ってお貰いなさいな。こゝは真珠が名産だそうですから好い記念になりますよ﹂ とお父さんは復讐の積りか早速田鶴子さんに意地をつけた。 ﹁買ってやるとも。しかし真珠で候とお呪まじ禁ないぐらいの小粒は物欲しそうで厭なものさ。拳ほどのがあったら買ってやるよ﹂ ﹁田鶴子さん、宜いですか? 大きいのを買って貰うんですよ﹂ と三輪さんも入れ智慧をした。 こんな冗談を言い合っている中に僕達は土産物の売店へ入ったのだか呼び込まれたのだかしてしまった。番頭が頻に品物を並べる。田鶴子さんがそれを一々手に取って検あらためる。三輪さんやお父さんまで種いろ々いろと漁あさり始めた。 ﹁田鶴子、この辺のは何うだね?﹂ と団さんは幾度か田鶴子さんの御機嫌を伺ったが駄目だった。 僕は待っている間に先頃お母さんと天てん賞しょ堂うどうへいった時のことを思い出した。夫婦だか兄妹だか兎に角若い男女が女持ちの金時計を買いに来ていた。男の人が品物を吟ぎん味みして相談を掛ける度に女の人は横を向いた。参考のために僕が回数を勘定し始めた頃には婦人殿下は首をあべこべに箝すげたお雛様のようになっていた。そうして一番好いのを差しつけられた時漸く旧もとに戻った女優髷の栽培地が初めて頷いた。あれが夫婦なら家へ帰ってから一波瀾あったろう。若もし兄妹だったら兄さんは懲り〳〵したに相違ない。田鶴子さんも子供ながら、この辺の呼吸を相応に心得ていると見えて、幾度か外そっ向ぽを向いた末、大きな真珠の入った襟ブロ留ーチを買って貰った。 ﹁うっかり口は利くもんじゃないね。ひどい目に遭ったよ﹂ と団さんが零こぼした。 間もなく停車場に着いた。水兵が大勢参宮にでも出掛けるところと見えて整列していた。 ﹁軍港かね? こゝは﹂ とお父さんが訊いた。 ﹁軍港じゃないけれど軍艦が始終来るらしいね。先刻も二三艘見えたろう? 水兵と鉄工所の職工で持っているとあの亭主も言ったじゃないか?﹂ と団さんが答えた。 ﹁水兵は陸軍の兵隊と違っていかにも愉快そうだね。皆みんなニコ〳〵している。服が子供のようだから可愛らしい﹂ と三輪さんは整列のすぐ側そばで言った。僕は水兵が怒りはしまいかと心配した。 ﹁それは練兵や行軍の時とは違うさ。斯うやって勢揃いをして遊びに出掛けるんだもの。尤も陸軍は強制だけれどもこの連中は皆志願だから、その辺の関係もあるだろうね。実際愉快そうにやっているね﹂ と団さんも青ジャケツ達を打うち目ま戍もった。 ﹁以前は兵隊が叔父さんのように見えたもんだが、この頃は若くなったね。将校にもこんな子供に戦争が出来るか知らと思うようなのがあるが、それ丈け此方の年が寄ったんだね﹂ とお父さんも海兵を材料にして感想を述べた。 二見が浦で下りて夫めお婦とい岩わへ行く途中、海岸へ出ると、軒並に壺焼屋が葭よし簀ず小屋を構えている。 ﹁お嬢さん、栄さざ螺えの壺焼をお喰あがりなしていらっしゃい。名物でございます﹂ ﹁坊ちゃん、栄螺の壺焼をお喰りなしていらっしゃい。理科の参考にもなります﹂ と一々名を指して呼びかける。 ﹁田鶴子も謙さんも余程喰べたそうな顔をしていると見えるよ。一つ喰べて行こうか?﹂ と団さんは僕達に託けて、割合に綺麗な店へ差しかゝった時腰を下した。 ﹁不ふし消ょう化かぶ物つらしいね﹂ と躊躇した三輪さんも一人前平げて、 ﹁この尻尾のような青いところも喰べられるのかい?﹂ と念を押し、 ﹁尻は胃病の薬ですよ﹂ と女中に教えられて殻丈けは残した。 夫婦岩は甚だ評判が悪かった。 ﹁これは一ちょ寸っと詐さ欺ぎにかゝったような気持がするね。これぐらいの岩なら大抵の海岸にある﹂ とお父さんが言うと、団さんも、 ﹁写真では彼の玩具の鳥居が真ほん物ものに見えるから余程巨大な岩だと思い込む。比スケ例ー尺ルを普通の鳥居の現アク寸チュ大アルサイズと考えさせるところが手だ﹂ ﹁この石垣が又俗悪だね。宛まる然で江の島で売っている介細工の筆立見たいだ﹂ と三輪さんに至っては側そばの石垣まで貶けなした。第八回
予定の時刻に伊賀の上野に着いたが、迎えに出てくれる筈だった三輪さんのお弟子の姿が見えない。電報は相あい役やくの田鶴子さんの文案通り僕が認したためて昨夜の中に鳥羽から打って貰ったのだが、何どうしたのだろう? ﹁君が平ふだ常ん時間通りに学校へ出ないもんだから今日も一汽車や二汽車は後れると思っているんじゃないかい?﹂ とお父さんが言った。 ﹁まさか。僕もこれで学校の時間丈けは几きち帳ょう面めんだよ。ことによると電文が不明瞭だったのじゃなかろうか?﹂ と三輪さんはお弟子の責任を田鶴子さんと僕に転てん嫁かしようとした。 ﹁斯うやって待っていても始まらない。兎に角上野へ行って宿屋へ落ちつくとしようじゃないか?﹂ と団さんは赤帽に切符を買いにやった。 ﹁上野へ行くって、此処が上野だろう? 伊賀上野とちゃんと書いてある﹂ ﹁否いや、真ほん正とうの上野はもっと先だ。此処で乗り替えるんだよ﹂ 間もなく僕達は玩具のような汽車に押し込められた。軽けい便べん鉄てつ道どうというのだそうだが、狭くて遅のろい上にガタ〳〵して一向便利でない。 ﹁英語では軽ライ鉄トレ道イルウェイだね。便の字は些とも入っていない。これを軽便鉄道というのは君達のやる誤訳の一例だね﹂ と団さんが悪口を言った。 ﹁今の上野は偽物の上野かね?﹂ と三輪さんはまだ上野を気にしていた。 ﹁偽物という次わ第けでもないけれど、上野の町はこの先さ。駅が田圃の中にあって町は一里も二里も奥に引っ込んでいるようなところがよくあるよ。然そういう地方に限って発展が後おくれている。自分達の頑がん冥めい不ふれ霊いがいつまでも祟たたるんだから今更他ひとを怨みようもないのさ﹂ ﹁何うして?﹂ ﹁鉄道の出来初めには陸おか蒸じょ汽うきが通ると泥棒が入り込むとか物産を悉すっ皆かり持って行かれてしまうとか妙に消極的なことばかり考えて、田舎は大抵二の足を踏んだものだそうだよ。その中でも分別のある地方は何うせ通るものなら仕方がないから、駅を成るべく町から離してくれるようにと政府へ運動して成功したんだね。駅から大分遠いところを見ると、上野もこの頃になって後悔している組だぜ﹂ ﹁成程ね。山の中で人智の進まないところだろうからね。それで今更軽便鉄道でつぎ足して騒ぎを入れているのかも知れない﹂ と二人は土地の人達が乗っているのに勝手な熱を吹いている。 ﹁はい、友とも忠ちゅうというのですが、下りてから余程ございますか?﹂ とお父さんは隣席の商しょ人うに体んていと話を始めた。 ﹁友忠さんなら東大手でお下りなされ﹂ と商人が教えてくれた。 ﹁否いいや、西大手が近うあす。三町ぐらいであす﹂ と商人の連れの中老が口を出した。 ﹁三町ということはありませんよ。東大手から五町台、西大手からは七町ありますよ﹂ ﹁否、西大手から三町であす。私はつい筋向うであすから始終試していますが、東大手よりは煙草を一服喫すってお茶を一杯飲むほど早うあす﹂ と双方執とって譲らず、結果中老が僕達を宿屋まで案内してくれることになった。伊賀の人は親切で強情だと僕は思った。何うでも宜い問題だけれど物好きに道みち程のりを測はかりながら歩いたら、確に七町はあった。それでも中老は、 ﹁何うです? 近うあしょう?﹂ と確信的に言って別れた。 ﹁まあ〳〵、一服やってお茶を飲むほど儲かったんだから﹂ とその儘神輿を据えてしまいたがる団さんを促して、僕達はまず見物を果すために宿屋を出た。 俥に乗るほどのこともなかろうと高を括くくってブラ〳〵歩き始めたが、伊賀の上野はそのお手本の東京の上野よりか余程広い。成り上りのひょろ長町ではなくて、人間同様栄養の好いのは必ず横幅があるという団さんの都会の定義にしっくり合っている。芭ばし蕉ょう翁おうの故郷塚を尋ね当てゝ木像に拝面するまでに、 ﹁もし〳〵、愛あい染ぜんはんは此方へ参りますか?﹂ とお父さんは訊き方を呑み込んでしまったくらいだった。芭蕉翁と言っても通りがかりの人には通じない。続いて蓑みの虫むし庵あんへ向った折にも、 ﹁一寸お尋ね致しますが、この辺に蓑虫庵というのはありませんか?﹂ ﹁知りまへんなあ、そんなものは﹂ ﹁芭蕉はんのいたところで、この見当だと聞いて参りましたが……﹂ ﹁芭蕉はん? そんな人存じまへんなあ﹂ といった調子だった。 ﹁驚いたね。誰も知らない。翁も案外人気がないんだね。矢張り予言者は故郷に尊ばれないのか知ら?﹂ とお父さんは頻しきりに首を傾げていた。 ﹁君、相手が悪いんだよ。先刻から選りに選って女子供やヨボ〳〵爺さんにばかり訊いているからさ﹂ と三輪さんが注意した。 ﹁要するに発ほっ句くなんてものは現代生活に没交渉だという証明さ。あゝ、腹が空へった﹂ と団さんは芭蕉が俳人だということ丈けは知っているようだった。 漸く探し当てた揚句の果が、庵は今では個人の別荘とあって門が閉っていた。 ﹁これでは町の人も知らない筈だよ。住宅になっているんだもの﹂ とお父さんは翁のために弁じたが、拝見させて戴くのに又少しば時らく手間を取ったので、 ﹁何うも君達は物見高くて困る。こんな安普請がそんなに有難いのかなあ﹂ と腹のへった団さんは頗る不平らしかった。 ﹁僕も大分草くた臥びれた。今度は鍵屋の辻だが、案内者がいないから、嘸さぞ又またまごつくことだろう。今日こそは久しぶりで少し楽が出来ると思っていたら、電報が間違ったばかりにとんだ目に遭う﹂ と三輪さんも零こぼした。 ﹁厭な人ねえ! 皆私達の所せ為いにして﹂ と田鶴子さんは僕に目くばせをして三輪さんを睨んだ。 ﹁もう洋服を着る時にお手伝いをしてやらない方が宜いいですよ﹂ と僕も朋輩の好よしみで意地をつけてやった。 ﹁君、蓑虫庵が妙に現代的に頭あた脳まに沁み込んでいると思っていたら、彼処は根上君の旧居だったよ﹂ とお父さんは他の思惑には頓着なく、矢張り翁の遺跡を問題にして振り返りながら言った。 ﹁然そう〳〵。根上君は芭蕉の研究がてらこの辺の中学へ来ていたことがあったね﹂ と三輪さんは古いことを思い出したように答えた。 ﹁一つ葉書を出してやるかな。あの蓑虫庵で初めて世帯を持ったと言っていたよ。そうしてそれがナカ〳〵お安くないんだぜ。中学校に運動会があった時若い綺麗な女学校の先生が生徒を引率して見物に来たんだとさ。すると先生忽ち見惚れてしまって、茫然自失、運動会は其そっ方ち除のけで唯々……﹂ ﹁何方の先生だい?﹂ ﹁何方も先生さ。生徒なら差詰め退学処分だね﹂ ﹁否、何方の先生が見み惚とれたと言うのさ?﹂ ﹁それは無論男の方が女の方に見惚れたのさ。女が男に見惚れてしまってゝパッタリと扇せん子すを落す拍子に木の入るのは遺憾ながら芝居の舞台だけだよ﹂ ﹁何だって? 見惚れているところを写真に撮られたって?﹂ と団さんが寄って来た。 ﹁否いや、安心し給え。君のあの話じゃないよ。しかし君は根上君は知らないね。ところで側そばにいた校長がそれと察して、﹃お気に召しましたかな? 何なら媒ばい妁しゃくの労を取りましょうか?﹄と冗談を言ったそうだ。すると根上君は何処までも真剣で、﹃何うぞお願い致します。私の家は今は東京で商売をやっていますが、先祖は代々近江にいて、清せい和わげ源ん氏じの末まつ裔えいでございます﹄とかと、系図まで曝さらけ出して血相を変えていた。斯ういうところは如何にも天ナ真イ爛ー漫ブで、俳人気質丸出しだね。あの人の句に、﹃蝸でで牛むしや清和源氏が鼻の下﹄というのがあるが、恐らくこの時の感想を現したものだろう。細君を貰ったり、句を読んだり、根上君もこゝでは大分活動したらしい﹂ ﹁何ういう意味だろう? その鼻の下というのは﹂ と三輪さんが解釈に苦しんだ。 ﹁あの瞬間の鼻の下は蓋けだし蝸牛を宿すに足ったろうという述じゅ懐っかいさ。まいまいつぶろという奴は鈍のろ間まの表象だからこの際調和が好い。それに一つところに凝っとしていないから、これで鼻の下の寸法が可なり長く現れている﹂ とお父さんは真面目になって説明した。 ﹁下らないことを言っているぜ﹂ と団さんが早足になると、 ﹁団君の話と言うのは何うしたんだい?﹂ と又三輪さんが訊いた。 ﹁あれは証しょ跡うせきが天下に発表されてしまったんだから今更匿すにも及ばなかろう。団君、あの事件はいつの花の日会だったかね?﹂ ﹁馬鹿ばかり言っていると日が暮れてしまうぜ﹂ と言った団さんは田鶴子さんを麾さしまねいた。 ﹁二三年前の花の日に団君が銀座で何処かの若い令夫人から造花を買ったと思い給え。するとその場を新聞記者が写真に撮って夕刊に出したんだね。団君は決して見惚れたんじゃないと言うが、誰が判定しても凛りん然ぜんとはしていない。殊に細君は﹃こんな器量も好くない方に花をして貰ってニタ〳〵しているところは不見識というものですよ﹄と手酷しく団君を極めつけたそうだ。兎に角可なり間が伸びていて何うしても物議の種になる写真だね。参考のために切り抜いて置いたから御希望なら今度お目にかけよう﹂ ﹁それは団君も退のっ引ぴきならないね。僕の学校にも丁度そんなかゝり合いに遭った男がいるよ﹂ と三輪さんは草くた臥びれたとは言いながらも早く帰って休もうという分別がない。そうして、 ﹁去年から婦人の聴講を許したところが、数名の志望者があった。そのうち一人が水際立った美人だったので、学生の注目を惹ひくばかりか、時折教員室の話題に上っていたんだね。すると或日のこと新聞の学校記者というのが来て、その美人の登校姿をキャメラに納めたところが、教師が一人一緒に写ってしまった。新聞は社会の縮図だというから、斯ういうものが出ると真まことに具合が悪い。見惚れたのではなくて見つめたのだと当人は主張しているが、要するに五十歩百歩さ。矢張り団君式に余程間が伸びていたよ。そうしてその男が生憎独身者だったので、尚お〳〵話に花が咲いた。人の悪い奴がその新聞の写真に題して、曰く、﹃独身主義者の悲哀﹄さ。穿うがち得て妙だろう?﹂ ﹁成程、巧いね。その先生といい団君といいまた根上君といい、揃いも揃ったもんさ。して見るとポープの名句も The proper study of mankind is woman と訂正しなければならないことになるね﹂ とお父さんが嬉しがった。西洋人の言葉を引合に出すときは悦に入った絶頂だ。 トボ〳〵頃宿へ戻ってお湯に入り御飯を喰べ始めたが、土地の知人がいないと一向話がはずまない。女中方はお給仕が本務だから、一々質問に答える責任はないと信じているらしく、何を訊いても﹁はい﹂とか﹁いゝえ﹂とか唯の一口で片付けてしまう。お父さんは余程努めたが、 ﹁はい、藤堂様であす、こゝの殿様は﹂ ﹁伯爵だねえ?﹂ ﹁はい﹂ ﹁子爵だったかな?﹂ ﹁さあ﹂ ﹁やっぱり伯爵かい?﹂ ﹁以も前とは伯爵であしたが、いまは何をしていますかしら﹂ というぐらいが関の山で全く取りつく島もなかった。ところへバタ〳〵〳〵と階段を踏み鳴らして入ってきた青年紳士があった。 ﹁先生、皆さん、何うも飛んだ失礼を致しました﹂ という挨拶で、これが三輪さんの遅刻のお弟子松本さんとすぐ知れた。 ﹁電報が間違ったろう? 子供委せにして置いたもんだから﹂ と三輪先生が大きく出た。尤もお弟子さんの手前、このお子さん達が身の辺まわりの世話をしてくれるので、漸くこゝまで出て来ましたとは告白しかねたろう。 ﹁否、電報は昨晩確に戴きましたが、気を利かして亀山までお迎えに出掛けたのがソモ〳〵間違の因もとでした﹂ と答えて、松本さんは、 ﹁姐さん、私にも御飯を持ってきてお呉れ。御一緒に失礼することにしましょう。早速で済まないが、急いでね﹂ と命じた。物のしこなしや言い廻しが先生より余程世間慣れている。 ﹁謙さん、電報が着いて宜ようございましたね﹂ と田鶴子さんが態わざとらしく僕を顧りみた。 ﹁真ほん正とうに宜うございましたね﹂ と僕も意を体して応じた。しかし三輪さんは、 ﹁それは打った電報ですもの、着かなけりゃ間違です﹂ と今更のように教えてくれた。些とも手答がない。 ﹁皆私の失しく策じりですよ。その次わ第けは後刻ゆっくり申上げますが、要するに伊賀の国こく風ふうが悪いのですな﹂ と却ってお弟子さんの方へ響いたのは気の毒でならなかった。 食事が済むと、田鶴子さんと僕は例によってそれ〴〵家への通信事務に従った。必要は発明の母なりという通り、毎日手紙を書かされると自然種いろ々いろな簡便法を思いつく。昨日は筆紙に尽し難いという句を応用してみた。此奴は頗る調法だ。好い景色は大抵これで間に合う。今日は余は後便にてというのを利用した。これは草臥れた時に至って便利だ。﹁今日伊賀の上野見物、余は後便にて﹂で充分用が足りる。殊に絵ハガキを使うと余白が少いから労を省はぶいた形跡は些ちっとも見えない。大抵の約束には履行の責任が伴うけれど、後便丈けは催促を受けて裁判沙汰になったという例ためしを聞かない。後便なる哉後便なる哉! お母さんへも三輪さんの家へも発明序に日本橋の鬼瓦のところへも後便で御機嫌を伺って、後便は最良の方法だと思っていると、松本さんが小便の話を始めた。 ﹁尾びろ籠うなことを申して甚だ恐れ入りますが、この伊賀の国ほど小便の出るところは天下にありませんな。実は今日もその小便で思わぬ不覚を取ったのです。亀山までお出迎えに参りましたが、時間があったので一寸親戚へ寄りました。つい話し込んでしまって、停車場へ駈けつける途中伊賀名物の小しょ用うようを催しましてな、又知合の家へ飛び込むという騒ぎです。その結果出迎える積りの先生方の汽車を蔭ながら御見送りしたような始末になってしまいまして、馬鹿々々しくてお話になりません﹂ ﹁何ういう次わ第けだろうね? 小スト便ラン滴グリ瀝イといって出の悪い方の病気はあるようだが、然う無暗に出るのは聞いたことがない。しかしやっぱり一種の地方病だろうね?﹂ と三輪さんが訊いた。神経衰弱は何でも病気で釈明しようと努める。 ﹁否いや、病気じゃありません。この地方では少くとも一日に一回は粥を喰べるのが昔から不ふぶ文んり律つになっていますから、自然尿にょ利うりが好くなり過ぎるのですな﹂ ﹁はゝあ、お粥を喰べますか?﹂ とお父さんがその後を促した。 ﹁朝とか晩とか又は朝晩二回とかと貧乏人でも金持でも必ず粥を喰べて米の節約をすることになっています。これは昔饑饉のあった時お布ふ令れが出たのをその儘守っているのだと申します。そこで彼処の家では顔の映るような茶粥を喰べているという形容が起って来ますが、お分りですか?﹂ ﹁さあ、東京の下宿屋の味噌汁と同じ関係ですかね?﹂ と団さんは書生時代の経験から柄になく正せい鵠こうを得た。 ﹁然うです。彼あす処この家は貧乏だということをそう申します﹂ ﹁芭蕉の句の﹃馬に寝いねて残夢月遠し茶の烟けむり﹄というのがその茶粥を炊く煙だそうですが、一体何んなもんですか?﹂ とお父さんが六ヶ敷く出た。 ﹁何でもありませんよ。たゞ茶を入れて煮た粥です。それに麦を交ぜたのを麦茶粥といいます。小あず豆きを入れたのが小豆茶粥、芋を入れゝば芋茶粥です﹂ ﹁麦茶粥に小豆茶粥に芋茶粥と。ナカ〳〵種類がありますな﹂ ﹁まだ餅茶粥というのがあります。これは主に冬分寒さ凌しのぎに喰べます﹂ ﹁餅茶粥と。これで五つになりますな。お待ち下さいよ。餅茶粥は寒さ凌ぎと。冬は矢張り寒いですか?﹂ ﹁寒いの何のと申して、﹃伊賀の上野は高たか丘くで寒い﹄と昔から歌にもなっているくらいで、随分底冷えがします。そこへ持って来て皆天井の映るような粥腹でしょう。小便が出ざるを得ませんや。関東の連れ小便といいますが、実は伊賀の連れ小便です。中学生等も登校の途中、﹃おい、小便しようか?﹄と言い出すのが一種の礼節になっています﹂ と松本さんはお粥から又本題へ戻ったが、 ﹁いや、遅参の申訳からとんだ尾籠な話になってしまって恐縮です。これからはもっと綺麗なところを申上げましょう。伊勢からお出いでになると何どな誰たもまず此方の人の色の白いのに驚くそうですが、実際伊賀はこれで美人系ですからね。この町にも随分綺麗な女がいます﹂ ﹁然うですかな。ついうっかりしていて気がつきませんでしたよ﹂ と団さんが言った。 ﹁それで根上君も見惚れたんだね。しかし君は美人系らしくもないじゃないか。第一色が黒い。原則を証明する例外という組かね?﹂ と三輪さんは思う通りを口に出す。 ﹁私のは東京の影響です。これでも伊勢の人よりは白いのです。私の姉婿は伊勢から来ましたが、私ほどの色になるのに五年かゝりましたよ。彼あっ方ちの人は潮風に吹かれるから実に黒いです﹂ ﹁小便系と美人系ですな﹂ とお父さんは手帳に認めた。 ﹁その美人系もこの上野が中心です。妙なお話ばかりするようですが、この土地は有名な妾宅地です。伊賀では上野に妾宅を構えていないものは紳士といえないことになっています﹂ ﹁成程、東京でも結局其処へ帰着しますね。あなたは未だ紳士の資格がありませんか?﹂ と団さんが笑いながら訊いた。 ﹁前途遼遠ですな。親父の脛すねを齧って銀行へ出ているんですもの、迚とてもあかんです﹂ と松本さんは然さも心細そうに言った。 田鶴子さんは未だ手紙を書いていたが、この時、 ﹁謙さん、あなたは今日も絵ハガキで済ましてしまって真ほん正とうに狡ずるいわね。私、鍵屋の辻で未だ手間を取っているのよ、彼処は、﹃ひだり奈良道﹄でしたかね?﹂ と僕に確めた。 ﹁ひだり奈良道ですよ﹂ と松本さんが答えた。そうして、 ﹁彼処は上野一番の名所です。白はく鳳ほう城じょうを知らなくても鍵屋の辻を知らないものはありません。伊賀越は忠臣蔵や曽我物語と共に日本の三大仇討になっていますからな。尚おその大立者の荒木又右衛門が矢張り伊賀の人ですから、鍵屋の辻は、純国産の旧蹟で私達も鼻が高いのです﹂ と約三百年前の経いき緯さつを子供の時分に目撃した出来事のように物語り始めた。例たとえば、 ﹁又五郎の一行を待ち受けている間に又右衛門は数馬その他二名のものとあの辻の飲食店で腹拵えを致しました。伊賀の人でしたが、この日は特に茶粥を控えました。切合最中に差支えては困ると思ったのでしょう。何を喰べたかと申すと蕎麦と鰯だったそうです。蕎麦は側に通じ、鰯は当地の方言の果いわすに似ています。蕎麦で鰯、即ちその場でやっつけてしまうと縁起を祝ったのです。小便の用心をしたところは私よりも先見の明がありますが、矢張り迷信家だったと見えますな。この飲食店もつい先年まで残っていましたよ﹂ といった行き方でこれが尠からず興を添えた。鰯いわされた連中の後始末から松本さんは白鳳城の紹介へ移って、 ﹁若もし竣しゅ成んせいしたら確に日本一の名城になるところでした﹂ と残念がった。天神さまのお祭まつ典りに就いても、 ﹁この山だ車しが皆徳川時代のものばかりです。近郷近在から雲くも霞かすみと人が出てその盛んなこと京都の祇園祭を除のければ恐らく日本一です﹂ と言った。この筆法に従うと伊賀の上野もそれより大きな町を悉すっ皆かり除ければ間違いなく日本一の都会になる。物産論に入っては米を首位とした。そうして、 ﹁伊賀の﹃関せき取とり﹄と来たら何しろ東京の鮨屋がこれでないと夜も明けない日も暮れないと言うのですから、全く天下無敵です﹂ と今度は又右衛門と共に無条件だった。 ﹁姐さん、お茶を一杯いたゞこ。余り喋って喉が乾いた。熱いのをいたゞこ﹂ と少しば時らくしてから松本さんが言った。 ﹁いたゞこは一寸変っていますね。当地の方言ですか?﹂ とお父さんが訊ねた。 ﹁然うです。略して﹃だあこ﹄とも言います。﹃その煙草取ってだあこ﹄とやります。伊勢の﹃お母かさん﹄伊賀の﹃いたゞこ﹄といって有名なものです﹂ と松本さんはお国訛まで有名にしてしまう。 朝は池に飼ってある白鳥の鳴き声で目が覚めた。松本さんの指さし金がねか、女中はニヤ〳〵笑いながら茶粥のお給仕をした。間もなくその松本さんも見えて、僕達はがた〳〵と汽車に乗り込んだ。それから本線で別れる時、 ﹁昨日休んでいないと今日は何うにか都合をつけて奈良までお供をするのですがね﹂ と銀行員は如何にも残り惜おしそうだった。 ﹁まあ〳〵、紳士の資格を得るまでは辛抱して勉強することだね﹂ と三輪さんは先生らしい訓諭をした。 ﹁何うも種々有難うございました。お蔭で上野は頗る材料豊富になりました﹂ とお父さんは真ほん正とうに何か書く積りのようなことを言って謝意を表した。 ﹁東京で鮨を喰べるときには必ずあなたのことを思い出しますよ。何卒御健在で﹂ と団さんもお礼を述べ、それに和して田鶴子さんと僕が幾度もお辞儀をした。 緩ゆるやかな渓流伝いの笠置辺は何となく長のど閑かで春の旅という感を深からしめた。ところ〴〵にマンモスのような巨岩が寝そべっている為めかその間に浮んでいる川舟や男女の人達が馬鹿に小さく見える。皆遊ゆさ山んの客らしく、中には僕達の汽車を目がけて喝采を揚げるくらい酔っているのもあった。 ﹁鮎の捕れそうなところだね﹂ とお父さんが言った。 鮎の話は先刻から二人連れの乗客が始めていた。 ﹁この辺の鮎は昔の座ざと頭うと同じように京へ上りますが、品の好い丈けに弱い魚ですから、生かして持って行くのに大骨を折ります。あれでは値の高い道理ですよ﹂ と甲が言った。 ﹁はゝあ、私は乾からびたのしか見たことがありませんが、あれでも元も来とは生きているものですかね?﹂ と乙は剽ひょ軽うきんな受け答えをした。斯ういう時には得て話のはずむものだ。 ﹁去年の夏伊勢へ商用で参りましたが、帰かえ途りに阿あこ漕ぎから桶を担いだ男が乗りました。客車の入口のところに立ったまゝ絶えず天てん秤びん棒ぼうを揺ゆすっている様子が如何にも狂きち気がい染じみていましたから念の為めに訊いて見ますと、鮎だと言うのです﹂ ﹁動ど悸きっとしましたね? あんたは、鮎というと目も鼻もない﹂ ﹁雲くも出ずが川わの鮎を京都へ持って行くのだそうでした。鮎という奴は家つきの娘ぐらい気むずかしいものです。桶の水が川の瀬ほどに動かないと承知しません。それも死ぬの生きるのと言わずに突いき如なり上ってしまうから溜まりません。そこでその男は笠置に待っている相棒に渡すまで荷を揺り通しです。笠置から新手がまた京都まで揺って行きます。昔なら早駕籠というところですな。阿漕からも参りますが、笠置からが主だと言っていました﹂ ﹁そんなにして京都まで行ったら嘸高いものにつきましょうな?﹂ ﹁二十銭の鮎が京都に着くと一円五十銭になるそうです。全くそれぐらい取らなければ引き合いますまいて﹂ ﹁そんなものを食ったら口が曲りますぜ﹂ ﹁一桶二十五尾ひきで一いっ荷か五十尾一日五荷は運べると言っていましたよ。五荷というと五々二百五十尾、大変な儲けですな。しかし二人がかりだし、死ぬのも余程あるだろうし、汽車賃も往復五回で……﹂ と甲は頻りに指を折って首を傾げた。 ﹁何いく程ら儲かるにしても唯成金共の用足しを勤めるだけのことで決して正業じゃありませんな﹂ と乙は余り感心しなかった。 ﹁私もその折然う思いましたよ。二時間も三時間も立ち続けてあの重い桶を揺っているのは大抵の仕事じゃありません。これが病人に薬を持って行くとでもいうのなら兎に角、全く金持の口腹の慾を満たす為めだと考えたら私も何だか不愉快の心持になりました。あゝいう風に徒労に骨を折る商売が多いから社会は案外進歩しないですな﹂ と甲が慨がい歎たんすると、乙は、 ﹁御説の通りです。日本人は少くとも三分の一は大骨を折って徒労をしています﹂ と立ち上って僕達の方へ歩み寄った。多分お父さんの反省を促すのだろうと思ったら、煙草の吸すい殻がらを棄てに来たのだった。 ﹁しかし此処の鮎は実際好いですよ。この辺では何といってもこの木津川と吉野川ですな。吉野川では一尺からのが釣れます﹂ と甲は又鮎の問題に立ち帰った。 ﹁そんな大きなのがありますかな?﹂ ﹁ありますとも。去年私は一尺からのを四五十尾釣りました﹂ ﹁あんたは大漁のお話をよくなさるが、現物を私のところへ御覧に入れたことは根っからありませんな﹂ ﹁何どうも恐れ入ります。今度は必ず御覧に入れましょう﹂ ﹁否、冗談ですよ﹂ と乙は制するように言って、 ﹁一体餌は何ですか?﹂ ﹁鮎の餌をお訊ねになるようでは心細いですな。鮎は蚊かば鉤りというので釣ります。毛で拵えた蚊の形の中に鉤が仕込んであります﹂ ﹁成程、二重の詐さ欺ぎですな﹂ ﹁然うです。しかし普通の詐欺では先さき様さまが承知しないから仕方ありません。蚊鉤の数が三百種からあるほど鮎は気むずかしいものです﹂ ﹁三百種? 一々形でも違うのですか?﹂ ﹁形は大同小異ですが、毛の色合が一つ〳〵違います。この三百余種類から天気の模様や水流の具合に鑑みて一番鮎の御機嫌に叶いそうなのを撰えり当てるか否どうかゞ上手と下手の分れるところです。鉤が合えばパクリときます。するとピリ〳〵ッという震動が糸から竿に伝って脳天まで達します。これが好い心持です。電気治療以上ですな。レウマチスなんか即座に癒なおってしまいます。他の魚では迚とても斯う骨身に沁み渡るほどの手答はありません﹂ ﹁それは魚のかゝったときは嬉しいものです。私も子供の頃釣堀の緋鯉を引っかけたことがありますが、胸がドキ〳〵しましたよ﹂ ﹁釣堀と一緒にされちゃ張合がありませんな。ところで鉤が合えば面白いように釣れますが、合わないと来た日にはこれくらい悲みじ惨めなことはありません。隣の人が矢継早に釣り上げるのに此方は盥の中へ糸を下していると同様です。そういう時には﹃あなたは何んな鉤を使っていらっしゃいますか?﹄と訊いて見ます。しかし鮎釣りは皆商売敵で意地の悪いものです。﹃赤いようなのでやっています﹄と答えますが、嘘を言っている証拠には赤いようなのに変えても矢っ張り釣れません。そこで此方は偶つ然いしたようにして実は態と先むこ方うの糸へ引っ絡からめてやります。そうして、﹃これは失礼﹄と手早く手繰り寄せて鉤の色を見届けてしまいます﹂ ﹁ナカ〳〵人が悪いですな﹂ ﹁否いいえ、此方が釣れる時は先むこ方うも定きまって然そうしますからお互っこですよ。鮎釣りぐらい排外思想の旺盛なものはありませんな。他ひ人とが何いく程ら釣っても決して褒めないこと不思議です。﹃あの人の鉤は妙に能く合う鉤だ﹄とか、﹃あの人のは場が好いんで﹄とか言って、道具や場所の所せ為いにしてしまいます。皆天狗なのですな。釣れなかった日のことは棚へ上げて、吉野川で一尺からのを四十釣ったの五十釣ったのと時とき稀たまの成功だけを吹ふい聴ちょうしています﹂ ﹁吉野川は唯今承りましたよ﹂ ﹁いや、これは大おお失しく策じりでした。ハッハヽヽヽ﹂ ﹁ハッハヽヽヽ﹂ と長い顔にも短い顔にも春の光が隈なく照っている。 程なく奈良に着いた。田鶴子さんのお友達の清瀬さんがプラットホームに出迎えていてくれた。田鶴子さんと僕は夕刻ホテルで皆に落ち合うまで清瀬さんのお引き廻しに委せることになった。大人連中は差当り子供の圧迫を遁れて自由行動を執とるに異存もなく、僕達も久しぶりで若いもの同志の世界に戻るのを嬉しく思った。 清瀬さんはお父さんの転任と共に東京から当地の女学校へ転じ、田鶴子さん同様つい先月卒業したのらしい。何方も現代婦人の雛っ子だけに表情頗る逞く、殆ど相擁して、 ﹁私、随分吃驚したわ。真ほん正とうに丈がお高くなってね、あなた﹂ ﹁あなたこそ。見違えるくらいですわ。でも二年足掛け三年目ですからね。無理もないわ。あの頃同おな年いどしでしたから今でも矢っ張り同年なんでしょうねえ?﹂ ﹁面白い清瀬さんねえ。そんなことを仰有るところは些っとも変っていないわ。けれどもいつかお別れする時には此処でお目にかゝれるとは思いませんでしたわね﹂ ﹁だから矢っ張り長生はするものでしょう? 私真ほん正とうにこんな嬉しいことないわ!﹂ ﹁私も。この胸が一杯で何からお話して宜いか分らないの﹂ という風で、僕は寧むしろお父さん達と一緒に行った方がお邪魔にならなくて宜かったろうと思うくらいだった。しかし続いて、 ﹁謙さん、それではソロ〳〵御案内して戴きましょうかね?﹂ と僕も漸く田鶴子さんの認めるところとなって停車場前の大通りを辿り始めた。 ﹁これが皆見物客よ。天気さえ好ければ毎日この通りです。田舎もなか〳〵馬鹿にならないでしょう?﹂ と清瀬さんは僕達の前の団体を指さした。両側から宿引が大声を揚げて頻に招いている。と見ると蝙蝠傘を担いだお爺さんと信玄袋を提げたお婆さんが往来の真中で立ち止まった。左右からの引力が全く均等の場合には前進は当然遮られる。宿引は得たり賢しと小腰を屈めながら、 ﹁もし〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵……﹂ とばかり息もつかずに両方から招き寄った。その真剣なこと、 ﹁何うしたんでしょう?﹂ と田鶴子さんが怪しむぐらいだった。 ﹁宿引の競争よ。何方が勝つでしょうね?﹂ と清瀬さんも興味を催した。 ﹁もし〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵……﹂ とその間も血相を変えて競争者がジリ〳〵と獲物に迫った。鶏とりを鳥と屋やへ追い込むときの手加減で双方から等分に詰めかけないと、大だい切じのところでパッと舞い立ってしまうのらしい。老夫婦は顔を見合せて少しば時らく宙に迷った末、右の方の宿引が一寸息をつき左の方が一段声を高めた刹那、忽ちそれに荷物を渡した。僅かの気合で勝負がつくものと見える。それにしても負けた方があれだけの努力に然う執着も置かず極めて事務的に引き退ったのには僕も感心した。 ﹁開化天皇の御ごり陵ょうでございます。人にん皇おう九代にわたらせられます﹂ と間もなく清瀬さんが左手を指さして言った。そうして、 ﹁奈良の案内は此処から始めるのよ。遊覧地ですから毎月のようにお客さまが見えます。その都度御案内を言いつかるもんですからもう悉すっ皆かり覚えてしまったの﹂ 猿さる沢さわの池へ来た時も衣きぬ掛かけの柳の下で、 ﹁采うね女めはこの柳に着物を掛けて身を投げました。面つら当あてですわね﹂ ﹁采女って誰?﹂ と田鶴子さんが訊くと、 ﹁昔の美人よ。君くん寵ちょうが薄らいだので世を果は敢かなんだのですって﹂ ﹁まあ、可哀そうに! 愛情問題の犠牲ですね?﹂ ﹁然そうよ。それに身分が高い上に評判の美人でしたから、今なら好い新聞記事ですわ。きっと器量を鼻にかけた我儘な女でしたろうよ。その証拠には後からあのお宮に祀ったのですが、池を見るのが厭だと言って勝手にぐるりと向きを変えてしまったのですって﹂ と清瀬さんが説明した。成程采女の社というのは鳥居だけが池に面して御本尊はツンと外そっ方ぽを向いている。 奈良には鹿がいると聞いて来たが、実に沢山いる。最はじ初めは珍らしくて鹿煎餅を振舞ってやったけれど、斯う到るところで鉢合せをしては応接に遑いとまがない。 ﹁あなた方は鹿に紅葉の来いわ歴れを御存知?﹂ と清瀬さんが花の松のところで訊いた。 ﹁否いいえ﹂ と田鶴子さんが僕の分まで答えてくれた。 ﹁それなら石こづめの遺あ跡とを見て参りましょう﹂ と清瀬さんは僕達を十三鐘かねへ案内して行った。 ﹁昔、十三になる興福寺のお小僧さんが春日様の鹿を殺して、鹿の死骸と一緒に此処で石こづめにされたのですとさ﹂ ﹁石こづめって、何うするんです?﹂ と僕が尋ねた。 ﹁穴へ入れて石で詰めるのです。けれどもこれは嘘よ。その証拠にはこのお堂が十三鐘でしょう。子供の年が十三でしょう。それから石こづめの穴の深さが一丈三尺というのですもの。そう十三という数ばかり揃う理わ由けはないわ﹂ ﹁けれども十三という不吉な数ばかり揃えて動物愛護の精神を表した伝説と見れば宜いでしょう?﹂ と田鶴子さんが註解を試みた。 ﹁人間虐待の精神も表れていますね﹂ と僕は不服を唱えた。 ﹁真ほん正とうに然うですよ。兎に角その小僧さんのお母さんが手向けの為めに此処へ紅葉を植えたのが鹿に紅葉の起おこ原りだというのですから益心細いわ﹂ と伝説を出来合のまゝで受け容れないところは田鶴子さんよりも清瀬さんの方が団さんに似ている。 春日様は一の鳥居から二の鳥居まで随分長道だった。この間も其処此処で鹿に行き会うものだから、田鶴子さんは記念の為めにと言って、まさか今しがたの竹しっ箆ぺい返がえしでもあるまいが、清瀬さんと僕と数頭の鹿を一視同仁にキャメラに収めた。折から見物客を乗せて来た俥が立ち止まって、 ﹁鹿は悉すっ皆かりで三千から居ります。夕方の五時にこの辺でラッパを吹いて呼び集め、﹃お定きまり﹄といって豆腐殻だの菜葉の切れ端だの餡あん粕かすだのを喰べさせます﹂ と説明を始めた。 ﹁毎年十月半ばの土曜から日曜へかけて鹿の角きり祭りがございます。これが又珍らしい見みも物ので、大変な人出が致します。切りました角は一週間の角祭りを済ました後春日様の出入商人へ払い下げられ、お土産の角つの細ざい工くになって皆様の御調法を致します。御承知でもございましょうが、鹿は至ってお産の軽いものでありまして、産気がつきますとこの辺の路みち傍ばたに寝転んで生み落します。そうして物の一時間と経たない中にもう親も子もノコ〳〵歩いて行ってしまいます。産婆も何も要いったものでございません。なお人間と一つも変らず母の胎内に十月居りますところから鹿の角は安産のお守りとして珍重されます。それでこの地方では女の子にお鹿という名をよくつけますし、又臨月になりますと髪飾りを悉すっ皆かり鹿の角細工のものに更える習慣がございます﹂ 車屋さんの安産論が身に沁みたのか、春日様の境内にあった寄やどり木神社というのが特に僕の注目を惹いた。柞いす、藤、椿、南天、陸にわ英とこ、桜、楓の七種が一本になって覚束なく生えている。石せき婦ふせ石きろ郎うもこの木の枝に紙こよ撚りを結びつけて祈願すれば子宝を授かるとある。尤も片手で結ばないと御利益がないそうだから多少難なん行ぎょうに属する。しかもこのお呪まじ禁ないを根気好く果してなお配達の間違のないように番地入りの名刺を添えた入念の向き〳〵が尠からず認められた。斯ういう連中は序に鹿の角細工を買って行くほど気が早いに相違ない。兎に角奈良は調法だと思った。一箇所で悉すっ皆かり用が足りてしまうところはデパートメント・ストアを連想される。 ところ〴〵に伊勢の内ない宮くさんのに劣らない杉の大木が生えている。春日杉と言ってこの山のは特に名材だそうだ。現に先年倒れたのは大阪の商人が四万六千五百十二円に入札したと先刻から僕達の前になったり後になったりしている連中が話し合っていた。材木としての価値は兎に角立木として実に崇高なものだ。三輪さんは大木崇拝家だから伊勢では大喜びをして、﹁忝なさに涙こぼるゝ﹂というのはこの千古の神杉から受ける催眠術的暗示だろうとさえ解釈した。こんなことを思い出しながら手たむ向けや山ま八幡へ辿りつくと、何があるのか人ひと群だかりがしていた。 ﹁喧嘩だ!﹂ と僕達の前の連中が駈け出した。成程、喧嘩も喧嘩、朱塗りの社殿を背景に一人の武士と二人の娘が斬合をして、尚お助太刀が二人抜刀で控えていた。 ﹁活動の実写ですよ﹂ と清瀬さんが僕達に安心させてくれた。 武士はナカ〳〵強かったが、助太刀が手出しを始めたので受け身になり、間もなく妹娘に一刀浴せられて倒れると、姉娘が走り寄って止めを刺した。﹁親の仇、思い知れや!﹂とでも言うのだろうが、口を動かす丈けで聞き取れなかった。台せり詞ふは写らないから言う必要がない。写真だから見えるところ丈けで足りる。この辺がカラーさえあればシャツは要らないという現代思潮に投合するので活動写真は爾しかく歓迎されるのだろうと思った。第九回
聊いささか疲れて清瀬さんの家へ着いたのは三時近くだった。 ﹁お二人とも嘸さぞお腹がお空すきでございましょうね、こんなに刻限も考えずにお引き廻しをして﹂ と待ちあぐんでいたお母さんは清瀬さんに小言を仰有って、直ぐにお昼の支度のしてあるお茶の間へ案内してくれた。距離から言うと伊賀の上野の茶粥以来大和の奈良まで一口も喰べないのだから実際空腹だったが、お蔭であれから二月堂三月堂大仏と目ぼしいところは大抵見てしまって、土地のお話を聞く下拵えが悉すっ皆かり出来ていた。 御飯が済むと間もなく清瀬さんのお父さんがお役所からお帰りになって、 ﹁何うです? 公園でも御見物になりましたか?﹂ と仰有った。 ﹁公園どころじゃありませんよ。十一時から今しがたまで常子が立て続けに御案内申上げたのですって﹂ とお母さんが笑いながら答えた。 ﹁それは〳〵。お草くた臥びれでしょう。常子は性せっ急かちだからね。大抵のお客さまは辟へき易えきするよ﹂ とお父さんも笑い出した。 常子さんは一人娘だ。万事独占で我儘が利きいて好かろうと思うが、喧嘩相手がないと淋しくていけないそうだ。田鶴子さんにも僕にも下が大勢あると聞いて、 ﹁真ほん正とうに結構でございますね。お姉さんお兄さん丈けに何処となくキチンとしていらっしゃる﹂ とお母さんが羨ましがった。 ﹁私だって他よ所そさんへ上れば一時間や二時間はキチンとしていますわ﹂ と清瀬さんは黙ってはいなかった。 ﹁この通りですからね。一人娘は親の見境がありません﹂ とお父さんが諢からかった。 ﹁宅では代々一人だそうです。遺伝でしょうかね?﹂ とお母さんが訊いた。 ﹁悪い事は何処でも皆遺伝へ持って行く。隣とな家りの吉田さんでも遺伝の所せ為いにしているよ﹂ とお父さんが言った。 ﹁でもお隣では一人もないじゃありませんか。一人もないのが遺伝なら御本人達の生れてくる筈がないわ﹂ と常子さんが揚げ足を取ると、 ﹁それさ。それが可お笑かしいのさ﹂ とお父さんが笑い出した。一人娘は僕達のような十把一からげの数ものとは違うようだ。一寸こんなことを言ってもお父さんに笑って貰える。一人だから余計に存在を認められるのか、家庭の一員として充分の権利と尊敬を享有しているのらしく、却って此こっ方ちが羨ましかった。 談はな話しは当然の順序でお互の身の上から奈良のことに移った。常子さんのお父さんはお役人で始終県下へ出張するから、この地方のことに頗る明るい。駒場出だと言ったから、産業の方の技師だろうと推測していた通り、 ﹁地方は何処も大抵然うですが、こゝは殊に旧きゅ弊うへいのようですよ。何でも昔の通りでないと承知しません。それですから田舎へ行くと百姓が私達を洋服を着て靴を穿いた浮う塵ん子かだといって唯々厄介者扱いにします﹂ と折に触れて愚痴になった。 ﹁浮塵子って何のことですか?﹂ と僕は少しでもお父さんの参考になりそうなことは覚えて置こうと思って訊いてみた。 ﹁成程、東京からでは浮塵子から説明を要しますね? 浮塵子というのは稲につく害虫ですよ。私達が農作について種いろ々いろと六ヶ敷い註文をするものですから百姓が煩さがって悪口を言うのです﹂ ﹁すると農学士は皆浮塵子ですわね?﹂ と田鶴子さんが言った。 ﹁まあ然うですな――百姓に言わせますとね。そうして憖なまじの学問が祟って実際浮塵子同様の成績を挙げることもあるのですよ。百姓々々って決して馬鹿になりません。現にこの頃頻に宣伝している内ない米まいの消費節約ですね。あれをこの地方の百姓は疾とうの昔から実行しています。旧弊どころか、この点は余程時勢に先んじていると言っても差支ありません﹂ ﹁この辺では皆お粥を喰べるのですよ﹂ と常子さんが説明してくれた。 ﹁茶ちゃ粥がゆでしょう?﹂ と田鶴子さんが昨夜仕込んだばかりの知識を披瀝した。 ﹁然うです。茶粥も……﹂ ﹁豆茶粥でございましょう?﹂ ﹁よく御存知ですな?﹂ と眼鏡をかけた浮塵子は稍驚いて、 ﹁その豆茶粥の稀薄なのをこゝの百姓は日に四度も五度も啜すすります。尤も過ぎたるは尚お及ばざるが如しで、内米の消費節約は代々組織的にやっている結果、奈良県は一般に壮そう丁ていの体格が悪いという評判です。何うもこゝの人は妙に遠慮深くて困りますよ。自分で汗水流して作った米ですもの、栄養に要る丈けはキナ〳〵思わずに喰べるが宜いです。斯う人間よりも米俵を大だい切じにする地方ですから、浮塵子も一つ方針を変えて、寧ろ内米の浪費宣伝をする必要がありますよ﹂ その中に常子さんは突然問題を千百余年の昔に戻して、 ﹁田鶴子さん、今の奈良市をその頃の都と思っていらっしゃると大間違よ。私、講義をして差上げますわ。昔の奈良は今の停車場の彼むこ方うから郡山の一角へかゝっていて、京都に劣らないくらいの大都会でございましたのよ﹂ と地図を拡げて説明を始めた。 ﹁常子は何時も見ていたように言うね﹂ とお父さんがニコ〳〵した。 ﹁見ていましたとも。その頃この辺は全くの田圃続きで、春先になりますと都の人達が先刻御案内申上げた嫩わか草くさ山やまの摘つみ草くさや興福寺東大寺への参詣がてら三々五々郊外散歩に来たものですわ。そうして都が京へ遷うつって跡が畑になってしまっても、この辺のお寺丈けはその儘残っていましたから、日曜から土曜へかけて……あら、間違った……土曜から日曜へかけて京から役人や会社員が息抜きに来る、大阪神戸辺から女学校の修学旅行も来るという有様でした﹂ ﹁常子さん、時じだ代いさ錯く誤ごはいけませんよ﹂ と田鶴子さんが故障を申入れた。新婦人の雛っ子は時々こんな六ヶ敷い口の利き方をする。しかし清瀬さんは頓着なく、 ﹁そこで遷せん都とと共に労働のなくなった里人達はその頃のことですから失業問題を起すでもなく、この見物客を目的に興福寺や東大寺の周囲に巣を食いましたが、これが追々発達して今日の奈良市になったのでございます。斯ういう風に先祖代々観光客のお賽銭の零こぼれを目あ的てにして生計を立てゝいますから、奈良の人はそれは〳〵消極的ですわ。多少企業心のあるのは遷都の折、皆京へついて行ってしまったのですもの。今でも何かしようと思う積極的の人は晩おそ蒔まきながら京阪へ出て行きますから、自然春日様の棟むな木ぎで奈良人形を刻んだりする躄いざりのようなものばかり居残るのだと申します。よくて? これは皆先生の請うけ売うりよ﹂ と手品の種明しにまで及んだ。 ﹁ひどいことを教える先生ね。土地の方ではないのでしょう?﹂ とお母さんが驚いた。 ﹁宮崎県とか仰有っていましたよ﹂ ﹁宮崎あたりから来ると、こゝは物価が高いからね。日ひゅ向うがの炭焼先生土地に反感を持っているのだろう﹂ とお父さんが同情した。すべて官吏教員の如き水すい草そうを追って生活する階級には物価の高低によってその土地の人気に善悪の判定を与える復讐的の傾向がある。 ﹁田鶴子さんはお茶をお習いでございますか?﹂ とお母さんは一寸談はな話しの途切れ間に尋ねた。 ﹁はい……学校で……真ほんの少しばかり﹂ と田鶴子さんはチビ〳〵継ぎ足しながら答えたところを見ると、お手前を御覧に入れられるのを恐れたらしい。お茶のお稽古初めは人の顔を見ると無暗に立てゝ飲ませるものだそうだから、僕もそんなことにならなければ宜いがと思っていたが、 ﹁奈良は常子の悪口通り引っ込み思案が勝っていて活動的でない所せ為いか、茶の湯がこゝで源みなもとを発しました。利休の先生が紹しょ鴎うおう、紹鴎の先生が珠しゅ光こう、その珠光が当地で茶さど道うを開いたのでございます。こゝのお坊さんでしたが、後に義政公に召されて京へ上りました。そうして銀閣寺で例の茶さほ法うど道うを立てたのだそうでございます﹂ と来たので、判らないながらも安心した。 ﹁例のって、俺わしは知らないよ。口さえあれば飲めるのに薬やく袋たいもないものを発明する坊主さね﹂ とお父さんも僕と同感だった。 ﹁その通りですもの。あなたのような人には茶の湯の趣味は迚とても分りませんわ。お茶といえばビールのように唯飲む丈けのものと思っていらっしゃるのですからね。田鶴子さんや坊っちゃんに笑われますよ。昔から仏道歌道茶道は三道一味、三味一道と申しまして……﹂ ﹁三位一体説か。降参々々﹂ ﹁田鶴子さん、もう一日延ばせなくて? まだ桜井畝うね傍び吉野と御覧になるところが沢山ありますのよ。折角お出いでになってこゝだけじゃ惜しいわ﹂ と常子さんは勧誘を始めた。 ﹁それからもっと奥へ入って十津川までお出になると山又山で一寸別世界の観がありますよ。何しろ医者が草鞋穿きで病家廻りをするところですからね。山林の好いのがありますぜ。玉たま置きや山まの杉と来たら春日杉以上です。大和や紀州は山林を見ないと真ほん正とうの風俗人情が分りません。山林即ち財産ですから、金持といわずに山やま持もちといいます。そうして山を矢張り紙さ幣つか銀貨と心得ている証拠には一枚二枚と枚数で勘定しますよ。﹃器量が好いばかりに一枚無しの家から伐きり木のある山の七十枚もあるところへ嫁に行った﹄なぞと言っています。伐り木というのは伐り出せる立木のことです﹂ と浮う塵ん子かは動ややもすると話題を自分の畑へもって行ってしまう。 ﹁奈良へ行ったら南君を担かついでやろう﹂ とはお父さんと三輪さんが予かねて相談していたところだった。十七八年全く会わないのだから不意打ちを食わせたら嘸さぞ驚くだろうと頻りに肝胆を砕いていたが、今朝京都へ立つ前に愈その神算鬼謀を実行することになった。団さんは南さんとは面識のない所せ為いか、 ﹁僕は雲助や六尺の子孫でないから人を担ぐお手伝いは御免蒙る。博物館でも見て停車場で落ち合うことゝしよう﹂ と何時になく君子然と構えていた。田鶴子さんは昨夜からの約束でもう清瀬さんが迎えに来て、 ﹁十一時までに屹度停車場へお届け致しますから﹂ と引っ攫さらうように連れて行ってしまった。斯ういう次わ第けで僕達三人はホテルを出ると直ぐに団さんと別れた。 昨日とは方面が違う。これで奈良の両側が見られると思っていると、俥はところ〴〵に崩れかゝった土塀のある場末町へ差しかゝった。 ﹁この土塀は随分古いようだが、昔のが残っているのかね?﹂ とお父さんが訊いた。 ﹁はい。昔の築つい墻じでございます。これで千年からたっています﹂ と車屋さんが教えてくれた。そうして、 ﹁南さんと仰有いましたな?﹂ ﹁然そう。南という医者だ。高畑としてあるからこの辺だろうね?﹂ ﹁お医者の南さんならこの外はずれです﹂ と僕の車屋が知っていた。間もなく、 ﹁成程、南医院とある。こゝだ。案外大きいね﹂ とお父さんが言うと、三輪さんは看板を見詰めて、 ﹁内科婦人科小児科か。何でもやるんだね﹂ ﹁目ぼしい科は皆書いて置くんだよ。何か引っかゝるからね﹂ 僕達は早速玄関へ上り込んだ。患者は一人も来ていなかった。 ﹁御診察を願いたいので﹂ と三輪さんは出て来た書生に申入れた。 ﹁少しば時らくお待ちを﹂ といって青年が引っ込んだ後、 ﹁先生余り流は行やらないようだね﹂ とお父さんが小さい声でいった。 ﹁しかし履物が大分あるから診察中なんだろう﹂ と三輪さんは伸び上って土間を見渡した。 ﹁履物って、下駄は今の書生っぽうので、あの靴は皆僕達のだぜ﹂ とお父さんも土間を覗くようにして相手の誤ごび謬ゅうを指摘した。 ﹁成程、然うだね。或は未だ時刻が早過ぎるからかも知れない﹂ と三輪さんは時計を出して見た。捲き忘れたから例によって止まっている。﹁一週間捲きのを細君に買って貰い給え﹂とは先日団さんから受けた説諭だった。兎に角今脱いだ自分の靴をもう他ひとのものと思っている放うっ心かり者ものが、深く敵地に入って御大将を担ごうというのだから少し押しが太い。 お父さんと三輪さんは硝子障子の隙間から診察室を覗き始めた。 ﹁いないね﹂ ﹁まだ寝ているのか知ら?﹂ ﹁門もん前ぜん雀じゃ羅くらさ﹂ ﹁爆弾を置いても危険はない﹂ 患者がいないにしては馬鹿に待たせる。何のことはない。三輪さんとお父さんは東京から奈良の高畑くんだりまで空しく医者の玄関に坐りに来ているのだと僕が歯痒く思った頃、先刻の書生が再び姿を現わした。 ﹁何うぞ此こち方らへ﹂ という案内につれて三輪さんは診察室へ入って行った。必ず障子を締め残す人丈けにこの際は隙見をするに調法だった。代診らしいのがペンを手にして型の如く姓名宿所から容よう態だいを尋ね始めた。 ところへ御大将が悠然として出て来た。三輪さんやお父さんと同年輩だというのに頭のツルリと禿げた老成人だった。三輪さんも案外だったのか、直ぐに名乗りを揚げてアッといわせる仕組を忘れてしまい、その儘従順に脈を取らせた。 ﹁これはいけない。親父さんだ。謙一や、門に標札が二枚出ていたかい?﹂ とお父さんが僕に囁いた。 ﹁否いいえ、一枚のようでしたよ。一寸見て参りましょう﹂ と僕も確める必要を認めるほど好奇心を起して窃そっと門まで行って来た。 再び診察室を覗くと三輪さんは吊し亀のようになって白シャツを脱いでいた。上り込んでしまっては今更人違いだとも言えず、乗りかけた船と度胸を据えて、序に悉すっ皆かり診て貰う気になったのらしい。老先生は患者の胸部と背部に少しば時らくの間聴診器を当てた末、 ﹁何処にも異常はありません。全く健全です﹂ と判定を下した。 ﹁若い頃から神経衰弱があるのですが……﹂ と三輪さんは不服らしかった。 ﹁否、立派な健康体です。強しいて名をつければ仮けび病ょうですな。これは学生時代からの痼こし疾つだから、もう快かい癒ゆの見込はありません﹂ と国こく手しゅは喝かっ破ぱして、 ﹁ヒッヒヽヽヽ、何うだい? 三輪君!﹂ ﹁や、矢っ張り南か?﹂ とばかり、アッと言わせる筈の三輪さんは見事一杯食わされてシャツを着る方角もなかった。 ﹁十七年目にめぐり会い、裸はだ体かで御挨拶は相変らず粗そそ忽っかしいね。おい〳〵、村岡君、そんなところに覗いていないで入って来給えよ﹂ と図星を指されて、お父さんも、 ﹁や、悉すっ皆かり返討を食ってしまった。しかし久しぶりだね﹂ とノコ〳〵と入っていった。 僕達は来患から珍客に栄進して客間へ通った。主人公は、 ﹁兎に角能よく寄ってくれたよ﹂ とこの気紛れな訪問の形式に拘らず唯々大喜びだった。 ﹁君は年が寄ったね﹂ とお父さんは南さんの頭をツク〴〵と打うち目ま戍もった。 ﹁大分来たよ﹂ とお医者さんは頭を撫でた。 ﹁顔は君だけれど頭がその通りだから、僕はお父さんが出て来たのだと思って、何うも策の施しようがなかったのさ。斯うして顔丈け見ていると然う老人でもないようだね﹂ とお父さんは今度は顔ばかり眺めた。 ﹁馬鹿を言っちゃいけない。君達とおっつかっつだ。君達だって相応に老ふけているぜ﹂ ﹁変ったね、実際、君は。青年で別れて再び顔を合わせると頭の毛がなくなっているんだもの﹂ と三輪さんも主人公の頭あた顱まを久きゅ濶うかつの叙じょ述じゅつに利用した。 ﹁何も不思議はないよ。同窓の中にこの十七年間に死んだ奴さえ可なりあるじゃないか。頭の毛ぐらい無くなるさ﹂ と南さんは毛髪に超越して、 ﹁しかし忍びで入り込んで来た君をまんまと裸体にしたのは聊かお手際だろう?﹂ と得意がった。 ﹁僕も必てっ定きり君のお父さんと思ったものだから、今更厭とも言えず診察を受けたのさ。親子は斯うも似るものかと感心していたが、似ている筈さ、当人だもの﹂ ﹁家まで来て主人公を見違えるところは何うしても、三輪式だね﹂ ﹁往来で会えば却って分るよ。帽子を被かぶっているだろうからね﹂ ﹁兎に角今日は痛快だった﹂ ﹁しかし健康体は誤ごし診んだよ﹂ ﹁否、神経衰弱は仮けび病ょうだよ﹂ ﹁しかし匿かくれていた僕まで知っていたところを見るとこれには確かに有力な内ない通つう者しゃがあるんだね﹂ とお父さんは疑い出した。 ﹁実は君達が奇襲を謀たくらんでいるという密告が或筋から来た。それで手ぐすねひいて待っていたところさ﹂ ﹁誰だろう?﹂ ﹁それは天てん機き洩もらすべからずさ﹂ ﹁団君か知ら?﹂ ﹁そんな人は知らないよ﹂ それから談はな話しは一別以来のことに移って果しなく弾はずんだが、追々出発の時刻が迫るので、僕達はお暇をしなければならなかった。南さんは大変残念がって、 ﹁君達は幾いく歳つになっても子供だから困るよ。こんなくだらない狂言を書かずに前もって知らせてくれゝば案内のしようもあったのに﹂ と恨んだ。 ﹁実は昨日の昼過に来る積りでホテルから電話をかけたんだが、京都へ往診に出て帰かえ宅りは晩おそいというもんだから、ついこう出発間際になったのさ﹂ とお父さんは弁解した。 ﹁京都へ都踊りを見に行ったのさ。尤も京都や大阪へは何の用で行っても病家へは往診と触れ込む。繁栄策さ﹂ ﹁流は行やるかい?﹂ ﹁流行らない。門前雀羅さ。爆弾を置いても危険はないよ﹂ ﹁おや、聞いていたのかい?﹂ ﹁聞いていたとも。襖の蔭でね﹂ ﹁悉すっ皆かり失しく策じってしまったね。木ミ乃イ伊ラが木乃伊取になるという奴さ﹂ と三輪さんが言うと、南さんは、 ﹁木乃伊取が木乃伊になるんだよ。例によって頓珍漢だね。道中気をつけて自動車にでも轢かれないようにし給えよ﹂ と窘たしなめて、 ﹁ところで坊ちゃんに何かお土産を差上げたいのですが、あゝいうものは何うですか?﹂ と床の間に置いてあった瓦を指さした。 ﹁大だい極ごく殿でんのかね?﹂ とお父さんが訊くと、 ﹁然そうさ、真ほん正とうの掘り出し物さ﹂ と南さんは戸棚の中から夥した多たか撰えり出して来て、 ﹁坊ちゃん、こんな断かけ片らばかりですけれど、これでも東京へ持って帰ってその道の人に見せると涎よだれを流しますよ。﹃お土産に瓦﹄は洒落ているでしょう? 舌切雀だ。重いですよ﹂ 折から車屋からもう余り時間がないという注進が来た。患者も何うやら二三人溜ったらしかった。 ﹁こんな厄介なものを真ほん正とうに御迷惑でしょうにね﹂ と奥さんが瓦の断片を新聞紙に包んでくれる間も南さんは、 ﹁京都まで案内ながら行きたいんだが、生憎丁度今夜あたり危い患者が一人あるんでね﹂ といかにも本意ないようだった。 ﹁また会うさ。東京へ診察に来た時には是非寄り給え﹂ とお父さんは一矢し酬むくいたが、緋ひお縅どしの鎧には通らなかった。 日程によると宇治を見物する筈だが、秘書役二人の不在中に何う模様が変ったのか、僕達は驀まっ地しぐらに京都へと志した。 ﹁都踊りを見れば伊勢音頭なんか何うでも宜いって南君が言っていたね﹂ とお父さんが妙に意気込んで言うと、 ﹁しかしそんなに方々を見物してからで間に合うか知ら? 後おくれて満員とでも来るとことだぜ﹂ と三輪さんも魂はもう祇ぎお園んの空へ飛んでいる。 ﹁大丈夫だよ。その為めに宇治を犠牲にするじゃないか? しかしそんなにしてまで見るほどのものじゃないぜ﹂ と団さんは余り期待していない。 宇治川へ差しかゝった時、お父さんは、 ﹁案外小さいね。昔の人はこんなものを渡って宇治川の先陣なんて威張ったんだね﹂ と貶けなした。すると三輪さんも、 ﹁平びょ等うど院ういんだったね? 扇の芝は? ﹃椎を拾いて世を送るかな﹄なんて生きている中から位一級を進めて貰いたがるところは頼より政まさも俗ぞく物ぶつだね﹂ と悪口を言った。見たいのに都合で素通りをしてしまう名所は何とか難癖をつけて軽視しないと気が済まないのだろう。高たか綱つなも源げん三ざん位みも都踊りの飛とば沫っちりを受けた。 京都に着くと自動車が待っている――柊ひい屋らぎやへ乗りつける――支度の出来ていた昼食を認したためて直ぐ見物に出掛ける。こう少しの無駄もなく目まぐるしいほどグイ〳〵と事の運ぶのは、皆柴さんの肝きも煎いりだった。こゝは大都会だけに一同共通の友達が柴さんの外にもまだあるそうだ。 綺麗な川だとばかり思っていた鴨川は案外だった。それに量も至って少ない。 ﹁けれども隅田川のようなことはないわ﹂ と田鶴子さんは懐しそうに伸び上った。 ﹁しかし富士の白雪には迚とても較べものにはならないでしょう?﹂ と僕が言うと、 ﹁でもこゝのは綺麗で有名じゃないのよ。質が好いのよ﹂ 間もなく知ちお恩んい院んに着いた。本堂は見上げるほど大きなものだ。田舎から来たらしい善男善女の一団が口を開いて見上げている。 ﹁春先だからお上りさんが多いよ﹂ と柴さんが言った。 ﹁狂きち人がいかい?﹂ と三輪さんは春先と聞いて早合点をした。尤も団長らしいのは日清戦争時代の軍服を着て勲章を二つ三つ下げていた。 ﹁地方から見物に来る人のことさ。東京なら田いな舎かも漢のといって馬鹿にするところだけれど、京都の人は打算的だから大だい切じにする。お上りさんは大財源だからね。こんな風な体りをしていても中には本願寺へ五円十円のお賽さい銭せんを上げて行くのがあるそうだよ﹂ と柴さんが説明した。 ﹁何を見ているんだろうね? 未だ口を開いているぜ﹂ ﹁左ひだ甚りじ五んご郎ろうの傘からかささ。そら、﹃からかさはこの上にあり﹄と書いてあるだろう。この建築が出来上った時左甚五郎が彼あす処こへ傘を置き忘れて来たのさ﹂ ﹁何うして置き忘れたんだろう?﹂ と三輪さんは訊き始めると無暗に訊く。 ﹁其処までは知らないよ﹂ ﹁余り完全に出来たもんだから魔がさゝないように一ちょ寸っと瑕きずをつけたという伝説になっている﹂ と団さんは商売柄御存知だった。そうして、 ﹁名工は矢張り人そのものとして豪いところがある。天工を凌りょ駕うがしては済まないと思ったんだね。人間の分を弁えている。神は強し人は弱しということを自ら悟っている。傘の由来の真偽は兎に角、名人は皆真ほん正とうの人間さ﹂ と何時になく真面目なことを言い出した。 ﹁然ういえばこの頃の建築で蝙蝠傘の置いてあるのは見受けない。団君、あれは出来上るまでに結構狂ってしまうから態わざ瑕をつける世話もないんだろうね?﹂ とお父さんが癖を出した。 内なかに入って、袴を穿はいた案内者の手にかゝった時、僕達は如何にもお上りさん気分になった。 ﹁廊下は残らず鶯うぐ張いすばりイ!﹂ とお爺さん滅法大きな声だ。成程、廊下の板は踏む度にホウホケキョ、ケキョ〳〵〳〵、法華経と鳴く。浄土宗の本山としては聊いささか釣り合いが悪いが、何んな僻ひが耳みみで聞いても確かに鶯の声だ。 ﹁吃どもりの又平の作ウ、奈良朝御所の図ウ!﹂ ﹁ケキョ〳〵〳〵﹂ ﹁梅の間ア! 狩かの野うさ定だの信ぶの筆ひつウ!﹂ ﹁ケキョ〳〵〳〵﹂ ﹁松の間ア! 狩かの野うな直おの信ぶの筆ウ!﹂ ﹁ケキョ〳〵〳〵﹂ ﹁鶴の間ア! 狩野直信の筆ウ!﹂ ﹁ケキョ〳〵〳〵﹂ と案内人は何処のも同じことだが、早く片付けて了う積りか、決して仔細に検分する余裕を与えない。その中に庭の見えるところへ来ると一段声を高めて、 ﹁この山が華かち頂ょう山ざん! 小こぼ堀りえ遠んし州ゅう好ごのみの庭ア! 三代将軍手植の松ウ! 姫小松です﹂ ﹁ケキョ〳〵〳〵﹂ と何処まで行っても鶯張りだ。そうして間もなく、 ﹁当山総坪数七万三千百四十二坪、当山総棟数百六軒、当山総畳枚数五千八百枚、鶯張廊下総間数三百間、ケキョ〳〵〳〵﹂ とあって僕達は一同放免になった。 ﹁鶯張は今の人が何いく程ら工夫しても出来ないというが、建築家の意見は何うだね? 矢張り埃エジ及プトの木ミ乃イ伊ラ見たいに堙いん滅めつした技術かしら?﹂ と長廊下を通りながら柴さんが尋ねた。 ﹁そんなことはない。日本は残念ながら堙ロス滅トア技ー術トの出るほど進歩していなかった。縁側を張り損うと丁度あんな音がする。それを鶯の声と思うのは思う方の勝手さ﹂ と団さんは答えた。 ﹁でも近頃直したところは鳴らないぜ﹂ と柴さんは新しい板を踏んでみせた。成程、鳴らない。 ﹁それは売まい僧すの巧たくみ凡ぼんならずさ。対コン照トラストのために態わざ鳴らないところを拵えて置いてお上りさんに有難がらせるのさ﹂ とお父さんは人の悪い解釈をした。 円まる山やま公園へ出て名高い糸桜の咲きかけを見物し、又真ほんの少しば時らく自動車のお世話になってから僕達は清水のダラ〳〵坂を登り始めた。京都の名所は初対面でも皆古馴染のような気がする。この清水の観音様が妙に頭あた脳まに沁み込んでいると思ったら、 ﹁謙さん、唱歌の一寸法師がお姫様と一緒に参詣したのは此処ね﹂ と田鶴子さんが言ったので、成程と合点が行った。 ﹁清水の坂のぼり行く日傘哉か。子し規きはやっぱり巧いところを覗ねらったよ﹂ とお父さんも何かの連想で悦に入っていた。 店並に清水焼を売っている。妹達の飯まま事ごと道どう具ぐになりそうなのが殊に目を惹く。 ﹁三輪君、あの金の定紋入りの湯呑を買って行かないか?﹂ と柴さんが笑いながら云った。 ﹁買って行こう。僕の紋のがあるかしら﹂ と買いもの好きの三輪さんは勧められるまでもなく左右を物色していた。 ﹁ところが僕は此処へ着任の当座あの茶碗で失しく策じったんだよ﹂ ﹁何うして?﹂ ﹁僕の紋がついていたから買って来て使っていると或日友達が来て、君、是は仏様の茶碗だってさ﹂ ﹁あれがかい? 然う聞かないと買うところだった。団君、あの虎はどうだろう? 田口君が喜びそうだぜ﹂ ﹁いけない〳〵、あんな大きな重いものは﹂ と団さんは例によって荷を恐れた。 登りつめて本堂に着くと、 ﹁これが所謂清水の舞台だよ。町が大おお略かた見えるだろう?﹂ と柴さんが紹介した。 ﹁成程高い。一寸飛び下りる決心はつかないね﹂ とお父さんが言った。 ﹁これから桃山の血ちて天んじ井ょうに大仏に三十三間堂か。大仏の鐘は坊ちゃんもお嬢さんも御存知でしょうが、国家安康で家康が因いん縁ねんをつけた代しろ物ものですよ。京都にいると始終斯ういうお相手を勤めるから案内の順序をすっかり覚えてしまう。さあ、お上のぼりさん、ソロ〳〵出掛けましょう﹂ と柴さんが促した。 三十三間堂では薄闇の中に金きん色しょく燦さん爛らんとして何列にも立ち並んでいる千せん手じゅ観かん音のんの数に驚いた。 ﹁随分いるね。しかし千頭は掛値だろう﹂ と三輪さんが呟いた。 ﹁千体だよ。馬じゃあるまいし﹂ と柴さんが訂正した。 ﹁千手観音といっても手はそんなにないわ﹂ と田鶴子さんが念の為めに勘定して見たら四十二本あった。 ﹁たった四十二本かい? それでも生きているのよりか余程多い﹂ と団さんが言った。 ﹁千体もその筆法ですよ。百や千という字は何処の国でも沢山という意味に使いますからね﹂ と柴さんは如何にも語学の先生らしい註釈をしてくれた。 ﹁そんな法ほ螺らを吹かないで四十二手観音といっても、無い御利益に変りはないじゃないか。宗教や文学はどうも鯖さばを読むから気に入らない﹂ ﹁相変らずだね。兎に角参詣者はこの千体の観音像の中で必ずどれか亡い親兄弟に似たのに会えるという伝説さ。迷信というよりも一種悲痛な人間苦が脈を打っている詩的空想だね﹂ ﹁その詩的空想という奴がごく気に食わない﹂ ﹁どうも手がつけられないね。それじゃ気に入る都踊りへ早く案内しよう。僕も何どっ方ちかといえば生きた菩ぼさ薩つの方が有難い﹂ ﹁然う願おうかね。団君の御機嫌が好くなるように﹂ とお父さんは人に託かこつけたが、三輪さんは、 ﹁イヨ〳〵都踊りだね﹂ と勇み立った。 丁度刻限だったので今度は何処へも寄らず一気に宿屋まで駈けつけた。家ではお湯は一日か二日置くのに旅行に出てからは一晩も欠かしたことがない。無精なお父さんは、時には入らないでしまう癖に、 ﹁謙一、お湯に入っておいで﹂ と僕には命令的に来る。毎日のことなので僕は風呂場の凝り方によって宿屋の格式を判定するようになった。柊ひい屋らぎやのは大理石に色硝子ずくめの素晴らしいものだ。 ﹁京都は何うだね? 住み心地は﹂ と御飯を食べながらお父さんが訊いた。 ﹁落ちついていて好いそうだよ﹂ と柴さんが答えた。 ﹁好いそうだなんて他ひ人とごとのようだね。君は何うだい?﹂ ﹁僕は東京で生れて東京で育ったんだから、東京以外の生活は生活の模まが倣いのような気がして些っとも身に沁みないね﹂ ﹁極端なことを言うぜ。朝鮮満洲とでもいうなら兎に角内地なら何処でも同じことじゃないか?﹂ ﹁同じことさ――東京以外ならね﹂ ﹁それ程までに思うなら早く東京へ帰って来ることだね﹂ ﹁もう間もなく帰るよ。そうして教員の足を洗う﹂ ﹁何だ〳〵? 不平かい?﹂ と団さんは盃を置いて乗り出した。 ﹁不平も大いに手伝っている。しかし個人としての不平でなくて階級としての不平だ﹂ ﹁同情するよ。僕も行政官と技術官の待遇に兎角甲乙のあるのが不平でね、到頭官を辞したんだよ。恩給に漕ぎつけるのを待っていて局長と大喧嘩をしてやった。﹃おれだって法科をやっていればとうに局長になっていらあ。大きな面つらをするねえ﹄ってね﹂ ﹁僕は迚とても恩給まで待っていられない﹂ ﹁一体何うしたんだい? 高等学校の教員は待遇が好いっていうじゃないか?﹂ ﹁まあ、後からゆっくり話そう﹂ と柴さんは食事中不平談でもなかろうと思ったらしい。 ﹁店並は東京と異かわらないが、住宅が妙だね。入口が馬鹿に小さい。君の家もあんな鈴すず虫むし籠かごのような細い格子構えかい?﹂ とお父さんは依然京都の住み心地を気にしていた。 ﹁此処は皆みんなあれだよ。戸の潜りや格子の目が大きいと金が逃げて行くといって無暗に小さくする﹂ と柴さんが言った時、 ﹁あら、そんなことあらしまへんで。格子が大けえとお日様が沢山入って畳がえら早くいたむからどす﹂ と給仕の女中が説明してくれた。 ﹁何方にしても消極的だね、そうして衛生上好くないだろう?﹂ ﹁衛生よりも畳の方が大だい切じさ。日光の入らないところへは医者が入るという通り、京都は肺病が多いよ﹂ 食後団さんは、 ﹁さあ、柴君の不平を承ろう﹂ と不平を専らの話題にした。柴さんの主張は要するに教育全体が政府の詐さ欺ぎにかゝっているということだった。 ﹁君、技師には一級俸の人があるだろう!﹂ と柴さんが訊いた。 ﹁あるとも、僕の同輩は最も早う大抵一級になっている﹂ と団さんが答えた。 ﹁ところが高等学校には一高から八高またこの頃できた模まが倣いのを通じて一級俸は一人もいない。俸級表にはあるけれど事実は絶無だよ﹂ ﹁酷ひどいね、それは! 羊よう頭とう狗くに肉くだね﹂ ﹁死んで一級になった人が神武天皇以来たった一人あるばかりさ。事実三級が特別の異例で四級が行き止りだ﹂ ﹁一級俸は正一位だね。生きている中には貰えない﹂ と三輪さんが言った。 ﹁見せる丈けでくれない。福引の箪たん笥すか?﹂ とお父さんが言った。 ﹁福引の箪笥はくれるぜ。去年の暮に僕のところの女中が引いてきた。して見ると高等学校の教員は丹たん波ばの篠ささ山やま出身の女中よりも馬鹿にされているんだね﹂ と柴さんは憤慨した。 ﹁君は今何級だい?﹂ と団さんが訊いた。 ﹁この間漸く五級になったと思ったら、見給え、この通り白髪がポツ〳〵生えて来た﹂ と柴さんは頭を指さして、 ﹁僕は念のために専門学校の方を調べて見たが一級俸は矢張り絶無だ。尤も校長はペテン省の棒先丈けに何処でも無む為いにして一級俸を貪むさぼっている﹂ ﹁ナカ〳〵辛しん辣らつだね﹂ ﹁それから中学小学の教員にも機会の許す限り会って実状を探ったが、この連中は妙に諦めが好い。一級俸は理想で到底現実世界の問題でないと観念している。ペテンにかゝっていながら少しも気がつかないから可哀そうなもんだよ﹂ ﹁益手厳しいな﹂ ﹁正にペテンだね。国家的大ペテンだ。僕は東京へ帰って新聞社へ入る。然そうしてこのペテンを広く天下に訴える積りだ。生きた一級俸が続々出来るのを見るまでは決して教員になるなと言って有為の青年の間を説いて歩く。教育者になったばかりに自分の子弟の教育に差支えている人が現在随分あるからね﹂ ﹁大いにやるべしだよ。社会の為めだ﹂ ﹁僕もペテンにかゝっているのか知ら?﹂ と同じく先生の三輪さんが考え込んだ。 ﹁然うさね。私立は都合の好いところ丈け官立を標準にするから、矢っ張り間接ペテンだろうね﹂ と柴さんは断定して、 ﹁未だ早いけれど新京極でも見ながらブラ〳〵出掛けようか﹂ 麩ふや屋ま町ちから新京極は目と鼻の間だった。うっかりしているとすぐ足を踏まれそうな人出で、こゝは毎晩斯うだそうだ。活動写真館の前で柴さんは孫の手を引いた白髭の老紳士に行きあって挨拶を交した。 ﹁同僚だね?﹂ と団さんが尋ねた。 ﹁然そうだ。あの人は頭の毛の色しき素そがなくなるまで勤続してこの頃漸く三級になった。それでも異数の昇進として羨せん望ぼうの的になっているぜ﹂ と柴さんはまだ文部省のペテンを問題にしていた。僕は振り返って老紳士を目もく送そうしながら、教員には決してなるまいと決心した。 日本橋通りのような四条へ出て大橋を渡り、祇園へ折れて歌かぶ舞れん練じょ場うへ入った。待っている間に白おし粉ろいをコテ〳〵と塗ったお凸の舞子が薄茶とお菓子を持って来た。 ﹁この串団子の模様が祇園の表シン象ボルですよ。これは持って帰って宜いいのです﹂ と柴さんが土かわ器らけの菓子皿を指して教えてくれた。成程、団子の絵が描いてある。 ﹁戴いて行きますわ﹂ と田鶴子さんはお菓子諸共粗末な皿を紙に包んだ。 やがて踊りが始まった。三十名に余る妙齢の女が着飾って舞うのだから綺麗には相違ないが、要するに同じことばかりなので、僕は間もなく倦きてしまった。背景丈けは他に類がない。何処の風光でも宛まる然で実物に接する感を催させる。日本一の美人市場と聞き及んだが、両側の囃し方と正面の舞子が幾度代っても、生菩薩らしいものは一人も見当らなかった。 ﹁案外つまらないもんだね﹂ とお父さんも退屈したようだった。 ﹁好いさ。綺麗じゃないか﹂ と三輪さんは嬉しがっていた。 ﹁もっと大きなのが裸体で踊らなければ駄目だ﹂ と団さんは欠あく伸びをした。第十回
朝起きようの遅かった所せ為いもあるが、雨の止むのを待ちながら話し込んでいる中にお昼近くになってしまった。昨夜都踊りから帰るか帰らないに大たい雨うは沛いぜ然んと来た時、 ﹁間一髪だったね。世の中は万事斯う行かなくちゃ嘘だ﹂ と得意がった団さんも今日は然そう甘くは問屋で卸して呉れないものだから、﹃雨﹄とある天気予報を又翻はぐって見ながら、 ﹁要するに程度問題さ。晴れたって完全に湿気のないことはない。殊に低気圧の蟠わだかまっている時は上から落ちて来なくても前後左右一種の雨に取り巻かれているんだからね﹂ と言って、余り意気が揚らなかった。程度問題を担かつぎ出すのは大抵思わしくない時だ。 ﹁降っても構わないさ。張子じゃあるまいし﹂ とお父さんも負け惜しみは強い。困り切っていながら困るとはナカ〳〵言わない。独り三輪さん丈けは、 ﹁困ったなあ。僕は蝙蝠傘を掏すられてしまった﹂ と率直に歎息した。 ﹁剛情だね。いくら言っても分らない。蝙蝠傘なんか掏る奴があるもんか。あれは君が奈良の停車場の待合室へ置き忘れて来たんだよ﹂ と団さんが言い聞かせた。 ﹁そんなに場所までちゃんと知っていながら君は黙っていたのかい?﹂ と三輪さんは逆さか撚ねじに出た。 ﹁理窟を言うぜ。承知で黙っていた次わ第けでもないが、実は君の蝙蝠傘には東京駅以来尠すくなからず辟へき易えきしていたのさ。だって君は田いな舎かも漢ののように蝙蝠傘を担かつぐ癖があるだろう。そうして改札口では吃度僕を押し退けて先へ出るから目を突かれそうで危くて仕方がない。奈良以来不思議に苦労がなくなったと思っていたら品物がなくなっていたんだね﹂ ﹁結果だけに満足して原因を究めなかったんだね。ぼんやりしているぜ﹂ ﹁恐れ入った。斯ういう先生にかゝっちゃ迚とても敵かなわない﹂ と団さんはもう相手にならなかった。 ﹁蝙蝠傘は掏られる。万年筆を掏られる。一ダース持って来たハンカチもこれ一枚になってしまった。旅行は実際油断がならない﹂ と三輪さんは忘れたり落したりして失なくした物を悉すっ皆かり掏す摸りの所せ為いにした。 ﹁時に何うするね? 雨を冒して嵐山へでも出掛けるか? 待っていたって何うせ止まないぜ﹂ と今日の案内役の星野牧師が欠あく伸びをした。 ﹁然うさね。能く降る雨だなあ﹂ とお父さんは煮にえ切らない。 ﹁大人連中は馬鹿ばかり言っているから宜いけれど、子供衆が退屈だぜ﹂ ﹁何なら一つモーセの話でもしてやって呉れ給え﹂ ﹁イヨ〳〵晴れる見込がないから予定を変えて芝居へでも行こうじゃないか? 星野君、牧師だって芝居ぐらいは差支ないだろう?﹂ と三輪さんが言った。 ﹁僕は芝居へでも活動へでも行く。職業柄却って世俗に遠ざからないように努めている。南みな座みざには今鴈がん治じろ郎うが来ているよ﹂ とこの牧師さんは案外話せる。 ﹁芝居は感服しないね。やることが悉すっ皆かり八百長だから退屈してしまう﹂ と団さんは早速故障を唱えた。 ﹁団君は芝居は駄目だよ。一度引っ張って行ったことがあるが、あれじゃ実際退屈するだろうと思う。相撲を見る気でいるから皆目分らないんだね。そうして大道具の立たて付つけを始終気にしている。但し、﹃先代萩﹄の御殿か何かには大いに感服したぜ。﹃あの大勢並んでいる若い女は無論男だろうが、一体何ものだい?﹄と訊くから、﹃御殿女中さ﹄と答えると、﹃ふうむ、皆女中か? 流さす石がに封建時代は女中払底じゃなかったんだね。感心した﹄と固かた唾ずを呑んでいた。何うも力瘤の入れどころが違う。余程感激したと見えて幕になって弁当を食べ始めても矢張り御殿女中のことばかり言っている。僕は外聞が悪くなって、もうこの男と一緒に芝居へ来るもんじゃないとツク〴〵思ったよ﹂ とお父さんが紹介に及んだ。 ﹁女中に逃げられて難なん渋じゅうしていた矢先だもの、つい身につまされたのさ﹂ と団さんが弁解のように言うと、田鶴子さんも、 ﹁あの折は余程感心なすったと見えて、あゝいう教育的の芝居なら子供を連れて行っても差支ないからお前も見て来ると宜いなとお母さんに仰有っていましたよ﹂ とその時のことを思い出した。 ﹁それは感心するさ。桂けい庵あんへ歎願しても一人も寄越して呉れないのに十八人もずらりと並んでそれが皆揃いも揃って別嬪だったからね。トラホームや腋わき臭がらしいのは一人もいない。あゝいう光景は雇人払底に苦しむ現代人には確かに目の薬だね。少くともあの芝居を見ている間は女中問題を忘れているから有難いじゃないか。こんな風に考えると劇なんてものも案外無用の長ちょ物うぶつじゃないかも知れないよ﹂ ﹁御高説恐れ入るよ。しかし一番身につまされるところが御殿女中の数だと聞いたら、﹃先代萩﹄の作者は確かに泣くぜ。星野君、世間には斯ういう先生があるんだから君も説教には随分苦心するだろうね?﹂ ﹁否いや、芝居の分らないのが団君の好いところさ。ダルウィンは中年から音楽が全く分らなくなってしまったと言っている。実務家は兎に角、思想の世界に住むものは或程度まで片輪にならなくちゃ駄目だよ﹂ と星野さんは団さんの為めに弁じた。 ﹁僕も大いに同感だ。十日も旅行をして何一つ持物をなくなさないようじゃ余あんまり実務的で人間としての余よい韻んがない﹂ と三輪さんが未まだ蝙蝠傘を惜しがっていた。 ﹁今日は方々から名論卓説が出るね。しかし好い気なもんさ。君は先刻から団君の煙草を喫すっているぜ﹂ とお父さんが注意した。 ﹁敷島なら誰のだって同じことさ。僕は余り自他の差別を設けない﹂ と三輪さんは平気で言った。 ﹁流石に余韻がある﹂ と団さんが笑った。 こんな太たい平へい楽らくを並べている中に、 ﹁坊ちゃん、あれが京都のドンですよ﹂ と星野さんが教えて呉れた。成程ピューウというような汽笛が尻上りに喧しく鳴り渡っている。 ﹁あれがかい? ドンまで間が伸びているね﹂ と団さんが貶けなした。 ﹁うむ。未だ鳴っている。あゝ長くちゃ聞いても痛切に腹が空らないね﹂ とお父さんも言った。 ﹁ドンといえば大砲に限ると思っているところが浅ましい。君達は考えないから困るよ。口では軍国主義を否定しても、国民挙げて時計の針を陸軍の大砲の音に合せているんじゃ、外国人が本気にしない。ところが流石に平へい安あん城じょ都うとのドンは違ったものだろう? 全然平和の音だからね﹂ ﹁然う来られると一言もない。矢っ張り牧師は着眼点が違うね﹂ と三輪さんが感心した。 ﹁日本の大都会で軍隊に時間を支配されていないところは独り我が京都あるばかりさ。この点丈けでも洛らく陽ようは誇るに足りるよ﹂ と星野さんは京都に帰き化かしたと言っている丈けに頗る西さい京きょ贔うび負いきだ。 ﹁何うも宗教家は解釈が我がで田んい引んす水いだから気に入らない。あのドンにそんな国際人道的の意味があるもんか。仮りに東山あたりで、毎日大砲を打つとして見給え。折角の保護建造物が皆ガタ〳〵に狂ってしまうぜ。そこで骨こっ董とう大だい切じの窮きゅ策うさくがあんな妙な悲鳴を挙げているのさ。間が伸びていて而も実用的のところは表向き丈け悠長で肚の中の悪ごすい西京人の特性を遺憾なく現している﹂ と団さんは遠慮のないことを言った。 ﹁矢っ張り商売柄建造物の保護とすぐ分るんだね。実際然うさ。便宜上の問題だけれど、結果から言うと京都では芸術の権威が武力を沮はばみ止めていることになるだろう﹂ と星野さんは主張した。 間もなく女中がお膳を運んで来た。 ﹁あんなドンでも矢っ張りお昼御飯が出るのね﹂ と田鶴子さんが内証で僕に言った。これだから躾けは大だい切じだ。子供は何でも親の真似をする。 ﹁京都は鱧はもが名物と見えるね? 鱧ばかり食わせる﹂ と団さんはそんな事情には頓着なく大おお胡あぐ坐らをかいたまゝ箸を執った。尤もきちんと坐っているものは一人もいない。星野さんまで立膝をして爪先に貧乏揺りという奴を演じさせている。礼儀作法は不公平なものだ。女と子供丈けに正座を要求する。 ﹁魚の不便なところだから不し漁けの時の用心に鱧を囲って置くのさ。此奴はこんなに骨っぽい丈けに寿命が強いそうだからね﹂ と星野さんが答えた。 ﹁叡えい山ざんに鱧はもを献けんずというから京都人は昔から鱧を利用したもんだね﹂ とお父さんが言うと、団さんは、 ﹁坊主が鱧を食うのかい?﹂ ﹁否、漢字の覚え悪にくいという例に持ち出す文句さ。﹃叡山に鱧を献ず﹄と即座に書ける人は滅多にない﹂ ﹁成程ね、僕にしても確信のあるのは山という字ぐらいなものだ。閑人丈けに君は妙なことを知っているね﹂ ﹁鱧はこれでナカ〳〵うまいよ。しかし京都の名物は一体何だい?﹂ と三輪さんが訊いた。 ﹁さあ、余り名物もないね。﹃京の着倒れ大阪の食い倒れ﹄というほどだから、此処へ来たら食う方は諦めるんだね。八ツ橋に五色豆、蕪の千枚漬にすぐき漬ぐらいのものさ﹂ と霊の糧を扱う星野さんは肉体の栄養物に興味を持っていないらしい。停車場の売子の呼声をその儘取次いで呉れた。 見限っていた天候が昼から恢復し始めたのは何よりの仕合せだった。空模様ぐらい人間の無定見を暴露するものはない。傘からかさを持たないで出掛けた場合一寸怪しくなって来ると一生取り返しのつかない大失敗をしたように思い、又晴れそうになると今度は元来自分に先見の明があったように感じる。先刻まで一日丸潰れと覚悟を定きめていた僕達も、雲うん間かん二三尺の青せい空くうに恐ろしく慾の皮が突っ張って来た。昼前の損失までも償おうという意気込みで団さんが自動車を急がせたこと! 北野の天満宮へ差しかゝっても、 ﹁京都へ来てこんなものに一々敬意を表していた日には一月かゝっても足りないよ﹂ と断って素通りをしてしまった。 間もなく金閣寺に着いた。大木好きの三輪さんは一いち位いの木というのに感心して、僕達が上り込んでも未だ空を仰いでいた。案内人は早速庭石や古道具の名前を朗ろう吟ぎんし始めたが、例によって見せるよりは通り抜けるのが目的だから、舟形の松と、昔塔の上にあったという鳳ほう凰おうの像ぐらいしか頭あた脳まに残っていない。 一面池になっている庭の景色丈けは閣かくの二階からゆっくりと見晴らした。雨上りの若葉がキラ〳〵と光っていて眩まぶしいほどだった。 ﹁好いところね。あら、大きな鯉がいるわ﹂ と田鶴子さんが言った時には三輪さんは最も早う麩ふを買って投げていた。緋鯉や真鯉が押し合ってパク〳〵食べる。 ﹁もっと大けなのがいたんどすが、四五年前に鯉取りが入って皆持って参じました﹂ と番人も僕達の仲間入りをして欄干に凭もたれた。いくら金閣でも朝から此処に坐り続けていたら退屈するのだろう。 ﹁鯉取りって泥棒かね?﹂ とお父さんが訊いた。物取りは泥棒、月給取りは無産階級、塵取りは勝手道具と心得ているが、何の取りに属するのか僕も多少疑問があった。 ﹁他ひ人とのものを取って行くさかい盗人や﹂ ﹁矢っ張り鯉泥棒だね。此奴は面白い﹂ ﹁一寸も面白いことあらしまへんで﹂ ﹁それにしても池の中の生物を悉そっ皆くり取られるとは油断だったね﹂ ﹁油断って、あんた、鯉を盗むもんがあろた思いまへんわ。それに家の中の品物と違ちごて、野放しどすさかいに、取ろと思うたら困わ難けあらしまへん。この向う側は直きに往来どっせ。夜分あの辺から入って来て何か毒を撒いたんどす。そして鯉の弱ったところを揚げて行きました。魚は口が利きけまへんやろ。﹃泥棒﹄とも何とも言いません。楽なもんや﹂ ﹁そうして鯉取りは捕ったのかね?﹂ ﹁捕りました。三人がかりで荷車に二台取ったんどすて。皆三尺からのばかりどす。何と好い商売じゃおへんか。生いき物ものじゃて長く置けんに売り急いださかい足がついて……﹂ と番人は僕達が歩き出しても未だ池を相手に話していた。 嵐らん山ざんへの途中太うず秦まさ寺でらというのに寄った。 ﹁こんな門がこれで保護建造物だからね﹂ と星野さんが古い山門を指ゆびさして言った。 ﹁これが蚕かいこの社やしろでございますか?﹂ と田鶴子さんが尋ねた。蚕の社へ詣れば絹物に不自由しないと今しがた聞いたので、お賽銭を上げる積りらしかった。女は大陸文学の誤訳を愛読して新しがっても、問題が美容のことになると一ひと溜たまりもない。鼠の天麩羅の香を嗅がされた狐のように忽ち理性を失ってしまう。 ﹁否、これは太秦の広こう隆りゅ寺うじといって、何でも支那の帰化人に関係のあるところですよ。昔支那から各種の職工が大勢渡って来てこの辺に落ちついたそうです。太秦という名が何となく日本らしくないでしょう?﹂ ﹁然そうでございますね﹂ ﹁日本らしくないこともないさ﹂ と団さんが口を出して、 ﹁しかし秦はたという字だね。秦という男が自分の苗字は支那から来たと言っていたぜ。矢っ張り工学士だから、彼奴はその支那の職人の子孫か知ら?﹂ ﹁然うかも知れないよ。しかし其支那人の中にイスラエル人が交っていたと聞いたら驚くだろう?﹂ ﹁驚いてやろう。それから何うしたい?﹂ ﹁何うもしないが、此処に其そのイスラエル人の掘った井戸が残っているんだよ。序だから見て行こう﹂ と星野さんは僕達を附近の百姓家へ案内して、大きな井戸を紹介した。好い水が湧いている。 ﹁成程、来いわ歴れのありそうな井戸だね﹂ とお父さんが言った。四角な石の井戸側に﹃井いさ浚らい井いど﹄と深く彫ってある。 ﹁井浚い井では名前として何うも意味を為さない。昔の人はイスラエルなんて固有名詞を知らなかったから、苦し紛まぎれにこんな宛あて字じを使ったんだね﹂ と星野さんはイスラエル人の輸入に努めた。 ﹁面白いね。一発見だよ﹂ と三輪さんは共鳴したが、団さんは、 ﹁井浚いがイスラエルか? 東京には伊いさ皿ら子ごというところがあるぜ。始終説教をやっている丈けあって、こじつけの巧いこと驚いてしまう﹂ と約束通り驚いた。 太秦から嵐山までは間もなかった。途みちすがら、 ﹁京都もこの辺は草深いね。竹藪ばかりじゃないか?﹂ と三輪さんが外を覗きながら言った。 ﹁此処らは最も早う在ざい所しょだもの。竹藪は多い筈さ――京都は団うち扇わや扇おう子ぎの産額が日本一だからね。藪が大財源だから枯らさないように竹専門の産業技師を置いてある﹂ と星野さんが説明した。 ﹁これをこそ藪医者となんいうめれさ。竹たけ取とりの翁おきなの舎しゃ弟ていの子孫で竹内直太郎という人だろう?﹂ とお父さんが交まぜ返した。 ﹁否、実際だよ。竹では世界的の学者だそうだ﹂ と星野さんが本気に主張すると、 ﹁世界的じゃない。東洋的さ。竹は西洋にはないよ﹂ と団さんが訂正した。斯う臆おく面めんなしに物を言う連中にかゝっては案内者も全く容易でない。 雨上りにも拘らず嵐山には最も早う大分人出がしていた。渡とげ月つき橋ょうへ差しかゝった時星野さんは、 ﹁これはいけない。水が濁っている。平ふだ常んは清流で底が能く見えるんだけれどもね﹂ と予め苦情を封じる積りらしく言った。向う岸へ着いても、 ﹁此処の桜は晩いからね。漸く綻ほころび始めたばかりだ。これが満開になると素晴らしいもんだぜ﹂ と条件をつけ、川端を辿たどってブラ〳〵上りながらも、 ﹁此処を舟で少し上らないと嵐らん峡きょうの真価は分らないんだが、生憎今日は水が増しているから駄目だ﹂ と残念がった。 ﹁八方ぽう塞ふさがりだね﹂ とお父さんがソロ〳〵始めた。 ﹁桜の満開も好いそうだが、紅葉の時が又格別だってね。雪景色は天下一品だというし、雨なら雨で一ひと入しおの風ふぜ情いがあるそうだ。万まん能のう膏こうは唯自分の病気に丈けに利かない。それにしても悪い眺なが望めじゃないね﹂ と団さんは妙な褒め方をした。 ﹁好いところさ。東京市内には迚とてもこんなところはない。しかし厭いやに寒いね。京都は底そこ冷びえがするといったが真ほん正とうだ﹂ と三輪さんが言った。 戸と灘な瀬せの滝まで行って引き返し、田鶴子さんの御ごし所ょも望うに従って小こご督うの塚というのに寄った。容姿を全幅とするものには死は絶対に万事の終おわ焉りと見える。可哀そうに、石いし塊ころが三つ四つ蓊こん欝もりとした立木の下に積んであるばかりだった。 月にも花にも好いというが、やはり花で人を呼ぶ積りらしく、嵐山では桜の花を塩漬にして売っている。三輪さんがそれをしたゝか買い込むと、星野さんは、 ﹁君、そんなに沢山何うするんだい?﹂ ﹁大阪へ土産に持って行くのさ﹂ ﹁其奴は思いつきだ﹂ とお父さんも買った。 ﹁この塩漬では僕は失敗したことがあるよ。未だ来たばかりの頃教会の青年から貰ったが、飲むものとは知らないから、悉すっ皆かりムシャ〳〵食べてしまってね﹂ と星野さんは自動車に乗り込んでからクス〳〵笑い出した。そうして、 ﹁それも黙っていれば宜いいのに、お礼の序に、﹃しかしあれは案外鹹からいものだね﹄と正直なところを言ったので、今に逸話が残っている﹂ ﹁宜いさ。それぐらい度胸が据っていないと両本願寺の膝元で基キリ督スト教きょうの伝道は出来なかろうからね﹂ とお父さんが言った。 昨日は雨で見す〳〵半日潰れたからその分の取り返しをする為め今日はナカ〳〵忙しかった。朝早く宿屋を引き払い午後大阪へ立つまでの時間を最も有効に利用しようとあって、案内役も星野さんと柴さんの二人がかりだった。まず手近から片付けることゝ御ごし所ょを堺町御門から何とか御門へ通り抜けた。停留場で電車を待っている間に、 ﹁学校騒動と財政困難で有名な同志社は直ぐこの向うで相しょ国うこ寺くじの隣りです﹂ と柴教授が特に僕に教えて呉れた。 ﹁この案内人は碌なことは言わない﹂ と星野牧師が笑った時、若い夫婦が歩み寄って丁寧にお辞儀をして行った。星野さんがその後姿を見送りながら頻りに小首を傾げていると、 ﹁何うしたい?﹂ とお父さんが訊いた。 ﹁驚いたよ。彼奴等は二三日前に喧嘩をして別れるの何のと騒いでいたんだが、最も早う仲が直って二人で花見にでも出掛けるところらしい﹂ ﹁結構じゃないか﹂ ﹁無論結構さ。しかし僕のところへ何とも言って来ないのは不都合だよ﹂ ﹁君の方の教会員かい? 夫婦喧嘩は一々顛てん末まつを牧師さんのところへ届け出る規則なんだね?﹂ ﹁そんなこともないが、あの二人ほど喧嘩をする夫婦は珍しいぜ。一年の半分は何とか彼とか競せり合っている。然うしてそれが大きくなると必ず僕のところへ持って来るから厄介さ。一度は亭主が何うしても離縁すると言い出した。僕は余り煩いから、﹃よろしい。離縁し給え。あんな虚栄の強い女は僕も嫌いだ。僕が仲人と談判してやる﹄と強く出てやった。するとその晩またやって来て、﹃先生、離縁は最も早う見合せました﹄と最早ニコ〳〵している。﹃何うせそんなことだろうと思っていたよ﹄と吐き出すように言ってやっても、﹃しかし、先生、若い婦人の悔い改めたのは実際美しいもんですね﹄と頗るお芽出度い。﹃そんなでれ助だから君は駄目だよ﹄と突き飛ばしてやっても突つんったまゝ矢っ張りニコ〳〵していた。彼奴は余っ程馬鹿だよ﹂ ﹁乱暴な牧師があったもんだ。しかし説教ばかりでなくそんな家庭の問題まで引き受けるんじゃナカ〳〵骨が折れるね﹂ ﹁骨が折れるよ。然そうして夫婦喧嘩の裁判くらい危険なものはないね。うっかりしたことを言うと後に責任が残る。今の夫婦にしても仲が直れば亭主が細君に、﹃先生はお前は虚栄心が強いから嫌いだと言っていたよ﹄ぐらいなことを言う。﹃あなたも然う仰有ったんでしょう?﹄と細君が訊けば、﹃否いや、俺わしは言わん。妻さいの悪口を他わきへ行って言う奴があるもんか?﹄﹃一体牧師さんが教会員の蔭口を利くって法があるんでしょうか?﹄﹃そんな法はないさ。何うもあの牧師は少し不謹慎だよ﹄というような結論になる。骨を折って怨まれるんだから実際馬鹿気切っている﹂ ﹁信者でも夫婦喧嘩をするのかなあ。しかし京都の電車はナカ〳〵来ないね﹂ と団さんが待ちあぐんだ。 ﹁来たよ〳〵。込んでいるぜ﹂ と殆ど同時に三輪さんが言った。 ﹁東京と同じさ。従業員に碌な俸給を呉れていないからね﹂ と柴さんは今日も一級俸問題を論じる積りと見えた。 御所の内なかが案外長かったに反して、余程遠いのだろうと思っていた岡崎公園は乗ると間もなかった。地図は持っているが、田た鶴ず子こさんにしても僕にしてもそれを人ひと中なかで拡げて見て態わざお上りさんの広告をする気になれないから不便だ。直ぐに物産陳列館へ入ったけれど、鳥と羽ばの真珠で懲りている団さんは西陣織や友禅染の並べてあるところは成る可く早足で通り、 ﹁京都にも三輪君のような人がいて、﹃安全地帯﹄を﹃帯おび地じ全まったく安やすし﹄と読んだそうだが、此処で田鶴子にそんな読み方をされるとことだからね﹂ と内証でお父さんに言った。その代りに仏具のような強ね請だられっこない品物は特に入にゅ念うねんに吟ぎん味みして、 ﹁この仏壇の九百五十円は安いよ。﹃万寿寺通仏具屋町角、仏屋善右衛門製作﹄とある。善右衛門にしても悪右衛門にしても兎に角安いもんだ﹂ と大安心で褒めていた。 ﹁仏屋善右衛門は面白いね。抹まっ香こう臭くさい商売に能く調和している。それに仏具屋町が有難い﹂ と詰まらないことに感心するお父さんは手帳に書き留めた。 ﹁動物園は何うです? 此処のは東京のよりも設備が好くて獅子が子を産みますよ﹂ と星野さんが勧めて呉れたが、今更お猿さんでもなかろうと思って辞退した。 疏そす水い伝いにインクラインへ着くと、 ﹁船頭動かずして舟山に登るというのは此処ですよ﹂ と柴さんが言った。 ﹁御覧なさい。舟が鋼ケー条ブルで坂を登って行くでしょう? 下りて来るのもあります。あゝやって坂の向うの川へ取り次ぐのです。舟が山越をして山城近江を往来すると思うと面白いでしょう?﹂ と星野さんが具体的説明の労を執った。 南なん禅ぜん寺じを一見して黒くろ谷だにまで歩いた。あの山門に匿れていたという縁故で途中の話題は石川五右衛門が壟ろう断だんした。 ﹁兎に角三十人力あったというから体格丈けでも豪い奴さ。石川五右衛門というと盗賊とは承知していながら何となく悪い感じがしない。日本のロビン・フッドだね﹂ と柴さんは懐しがった。 ﹁義ぎぞ賊く侠きょ客うかく謀むほ反んに人んの類はそれとなく柴君の弥次馬性に訴えるところがあるんだね。君は自分の家さえ焼けなければ火事は面白いという組だろう?﹂ と流さす石がに星野さんは五右衛門に共鳴しなかった。すべて聖書に載っていない人物の価値は認めないことにしている。 黒谷では、﹁熊くま谷がい鎧よろ掛いかけの松まつ﹂というのが枯れていた。妙に強いのが鉢合せをする。直なお実ざねは何人力だったか知らないが、出しゅ家っけをしても、﹁熊くま谷がい法ほう力りき坊ぼう入にゅ道うど蓮うれ生んし法ょう師ほうし﹂といって未だ鉄の棒でも振り廻しそうだ。 ﹁強そうな坊主だね。これでは軍馬の蹄の音に聞き惚れていて覚えず木魚を叩き破わったという話も真ほん正とうらしい﹂ とお父さんは石塔を見上げた。路を距てゝ向き合いに、 ﹁大たゆ夫うあ敦つも盛りく空うが顔んり隣んし荘ょう大だい居こ士じ﹂というのが立っていた。 間もなく星野さんが、 ﹁これから吉田山へ登って一段落かな﹂ と独言のように言うと、団さんは、 ﹁大だい文もん字じなんか何うでも宜いよ。この連中は打棄って置いても好い加減物見高い上に、時間と空間の観念が全くないんだから、詰まらない入知恵は余りしないことだね。蟻の観音詣りじゃあるまいし、然う一々寄って歩いちゃ果しがないよ﹂ と注意した。山と聞いて例の通り恐れを為したのらしい。 ﹁大文字って何?﹂ と田鶴子さんが僕に訊くと、 ﹁今の話じゃないんですよ﹂ と星野さんも山登りは嫌いらしく、 ﹁盆に如にょ意いが岳たけで大の字形に焚たく送り火のことで、吉田山へ登ったらその跡が見えるだろうって言うんです﹂ と暈ぼかしてしまった。燃え盛ると大の字が明あか々あかと中空に浮いているようで頗る壮観だぜと、先さっ刻きは頻りに提燈を持っていたのに。 ﹁時に僕の模もぎ擬か家て庭いはこの直ぐ先だから一寸寄って行って呉れ給え﹂ と柴さんが藪から棒に招待した。この辺は住宅地と見えて同じような黒門構えが並んでいる。僕達はその一軒へゾロ〳〵と入った。何しろ大人数なので、 ﹁お嬢さんも坊ちゃんも何卒お敷き下さい。模擬布団を﹂ 等と柴さんは斡旋に努めて、奥さんを紹介した。 ﹁夫人丈けは模擬夫人じゃない。最愛の細君だぜ﹂ と星野さんが註を入れた。 ﹁星野君には始終笑われるが、実際模擬生活だよ。東京へ帰ろう〳〵と思っているもんだから、世帯道具にしても永久的のものは買う気にならないからね﹂ と柴さんは支那まがいの大きな瀬戸火鉢を撫ぜながら言った。 ﹁それも確かに然そうだろうね。朝鮮や台湾へ行っている友達も始終そんなことを言って来るよ﹂ とお父さんが同情した。いくら東京贔負でも京都を植民地と一緒にするのは酷ひどい。 ﹁不平は人一倍言う上にそんな腰掛主義でいられたんじゃ学校で困るだろうね?﹂ と団さんは学校に同情した。 ﹁腰掛主義よりも齧りつき主義の方が困るようだよ。しかし不思議なもんだね。こんな模擬家庭でこんな模擬生活をしていても子供がもう四人出来たぜ。これ丈けは模擬じゃない。真ほん物ものの証拠に一番小さいのが一昨日から病気になって模擬看護婦に来て貰っている﹂ ﹁冗談は兎に角経過は真ほん正とうに好いのかい?﹂ と星野さんが尋ねた。 ﹁有難う。危険はないらしい。少し慌て過ぎたんだね﹂ ﹁子供が四人は羨うらやましいなあ。動物園の獅子さえ子を生むそうだから僕のところも京都へ越して来ようか知ら﹂ と少しば時らくしてから三輪さんが然さも好ましそうに言った。 ﹁京都は実際子供が能く出来る。星野君のところなんかは信者の出来ない年はあっても子供の出来ない年はないようだ﹂ と柴さんが素すっ破ぱ抜ぬくと、星野さんは、 ﹁手てき厳びしく来たね。一言もないよ。実は八人目が近々生れるのさ﹂ と告白に及んだ。 ﹁それはお目出度い。それじゃ少くとも八人丈けは信者を拵えたことになるじゃないか。決して悪い成績じゃないよ﹂ と三輪さんが真面目になって慰めたので奥さんまで大笑いをした。 病人のあるのにお気の毒だからと柴さんをその模擬家庭に残したまゝ僕達は間もなくお暇をした。八ツ橋は生に限ると今がた味を覚えたその生なまのを沢山買い込んで、熊野神社前の停留場へ来ると人ひと群だかりがしていた。 ﹁車掌と学生の喧嘩だ。これは面白い﹂ と星野さんは掘り出し物でもしたように言った。牧師さんで納まり返っていても時々野性を発露する。尚お驚いたことには最も物見高くない筈の団さんが忽ち人を押し退けて論判の現場へ割り込んだ。丁度その折一紳士が、 ﹁この方は下りない中に私の肩越しに手を伸して確かに渡しましたよ﹂ と仲裁に入った。 ﹁否、受取らいまへん﹂ と車掌は第三者は相手にせず、 ﹁あんた、渡したいう証拠がありまっか?﹂ と何処までも当事者を追求して腕のところへ手を掛けた。これが東京なら本人は素もとより傍はたの者が黙っていない。然るに大学生は険悪な色を示しながらも切符の二重払いをして穏便に問題を解決してしまった。流石に京都は悠長だと思った刹那、車掌がその場へ地響きのするほど叩き倒されたのには僕も吃驚した。 ﹁何で人を叩く?﹂ と車掌はヨロ〳〵しながら敦いき圉まいたが、大学生は、 ﹁叩いたいう証拠がありまっか?﹂ と反問して悠々と歩み去った。 ﹁痛快だったね﹂ と団さんが溜息を吐いた。 ﹁京都の学生はナカ〳〵荒っぽいね﹂ と三輪さんは喜ばなかった。 ﹁荒っぽいよ。学生に限らず車掌でもあの通りだ。演説会なんかでも京都ぐらい弥次の多いところはない﹂ と星野さんが言った。 ﹁兎に角今のは車掌が少し附け上っていたね﹂ とこれはお父さんで、 ﹁車掌ぐらい不都合なものはないよ﹂ と未だ憤慨していたのは団さんだった。 新京極で電車を下りて牛肉屋へ上り込んだ。此処でお昼を食べるのが昨日から予定になっていたところを見ると、﹁すき焼﹂は京都の名物らしい。こんな大仕掛の店構えが何軒となく単に牛の肉を食う為めに出来ていると思うと、何も知らずにいる牛に気の毒な心持がする。 ﹁この玉子は何うするんだね?﹂ とお父さんが柄になく鍋の番を勤めながら訊くと、 ﹁斯う皿に割わって肉を受けて食べる﹂ と星野さんが未だ生なま煮にえらしいのを挾んで実地例証をした。 ﹁関西では皆斯うさ。これ丈けは東京でも真似をすると宜いね﹂ と隣りの鍋を引受けている団さんが言った。 ﹁時に先刻の喧嘩には大いに力瘤を入れていたね。僕は君が手を出さなければ宜いがと心配していたよ﹂ と星野さんが言うと、 ﹁手は出さないが、前後の関係が能く分らないので口を出せないのに弱ったよ。電車の車掌ぐらい不都合なものはない﹂ と団さんは余程車掌が嫌いらしい。 ﹁妙に車掌に反感を持っているね﹂ ﹁実は僕のところの助手がこの間車掌に撲られたのさ。尤も仇は早速討たせたが、妙なもので、それ以来相手が車掌だと他ひ人とのことでもつい黙って見ていられなくなる﹂ ﹁ふうむ、大分念入りだね。何うしたんだい? 一体﹂ ﹁助手が丁度先刻のようなことで先むこ方うを撲ったんだね。先に手を出したんだから悪いには相違ないが、終点の車庫前だったので車掌仲間に取巻かれてしまった。可哀そうに袋叩きに遇ったそうだよ。僕は憤慨したね﹂ ﹁君のことだから黙っちゃいなかったろう?﹂ ﹁大いに将来を戒いましめてやったよ。﹃君は日本の最高学府で教育を受けて而もボートの選チャ手ンだったじゃないか? 田でん夫ぷや野じ人んの車掌に打ちされて口惜しくはないか?﹄ってね﹂ ﹁豪えらい説諭があったもんだ﹂ ﹁すると助手は﹃何分衆しゅ寡うか敵てきせずで不覚を取りました﹄と言うから僕は一策を授けてやった。星野君、君は一人で大勢を相手にする場合の秘訣を知っているかい?﹂ ﹁牧師が喧嘩の秘伝なんか心得ているもんか﹂ とお父さんが横から口を出した。 ﹁牧師だから特に多少研究して置く必要があるのさ。教会で始終大勢に接しているからね﹂ と団さんは教会を議会ぐらいに考えているらしく、 ﹁僕達は同時に二個の空間を占めることは出来ない。考えて見ると自由や平等なんかよりもこの原則の方が遙かに深く社会生活の根本義を為している。此奴が崩れた日には、この煮にえ滾たぎった牛鍋が何時僕達の頭の上で宙返りをするかも知れない。同時に二個の空間を占め得ないという原則から推すと、格闘のように相互の接触面積の多い喧嘩では、三人以上の数で同時に一人を有効に撲るということは全く不可能になる。それだから大勢だからって恐れる必要は少しもない。何人いても一人と闘う精神でやる。十人も刹せつ那なて的きには一人だからその一人々々を手近から片付けて行く。衆寡敵せずというのは多い方の頭数よりは少い方の体力の問題さ。又芝居の悪口を言うようだけれど、日いつ外か見たあの丸橋忠弥の立廻りは全然この法式に背そむいている。数十名の捕手が同時に同一の空間を占めようとするものだから、ワイ〳〵いう丈けで一向埓らちが明かない。忠弥の方でも狼狽の余り、数十人実は刹那的唯ただ一いち人にんと認め得ないところが不覚で、無むこ効うの労力に疲れた結果到頭動きが取れなくなってしまう﹂ ﹁成程一理ある。君は劇げき評ひょうを書くと宜いいぜ﹂ とお父さんが又横槍を入れた。 ﹁ところで僕の家の助手は僕の忠告を服ふく膺ようしたから大成功を博した﹂ ﹁又やったんだね?﹂ と星野さんが嬉しがった。 ﹁やったとも。翌日同じ終点で前の日と殆んど同じ刻限に何もしない車掌の頭をポカリと叩いて下りて、追い縋すがると突っ転ばした。昨日の奴だとばかりに他の車掌共は直ぐに又取り巻こうとしたが、今日は撲られに来たんじゃないから、接触面積を及ぶ限り狭める為めに塀を背中にして身構えた。何人いても一騎討と覚って見れば此こっ方ちはボートで鍛えた腕っ節だからね。忽ち六人まで撲り倒したは宜かったが、巡査に捕まってしまった。馬鹿だよ。要するにね。喧嘩一つ器用に出来ないんだから、仕事を委せて置いても不安心で仕様がない﹂ と話し終って団さんは頻りに食べ始めた。 ﹁斯ういう大将じゃ助手もナカ〳〵勤め悪にくかろうね﹂ と少しば時らくしてから星野さんが言った。 ﹁案外単純で好い男だぜ。人間は建築で儲けて株で損をして団仙吉と名乗るのが一番本式だと信じ切っているんだからね。この辺の手心さえ分っていれば却って機嫌が取り宜いよ﹂ と三輪さんが言った。 ﹁早く言えば土どか方たの親分見たいなものだから、一遍の喧嘩で有らゆる車掌が憎くなるくらい子分が可愛いのさ。これで些ちっとは好いところもあるよ﹂ とお父さんが言った。 ﹁おい〳〵、子供の聞いているところで勝手な棚下しをするなよ。それだから田鶴子が親の言うことを聞かなくなる﹂ と団さんは笑っていた。 停車場へ一時間も早く着いたので、又引返して東本願寺に寄った。遠えん国ごくから態わざ参詣に来るのに偶然時間が余ったから入って見るとは、心掛の悪い連中ばかり能く揃ったものだ。 ﹁君達は一体西かね東かね?﹂ と星野牧師は説教の材料にでもするのか宗しゅ旨うしの審問に取りかゝった。三輪さんは素より西も東も分らない。 ﹁盆になると坊主がお箸を持って年始に来るから兎に角仏教に相違ない﹂ と他ひ人とごと見たいに言った。 ﹁僕は君の方の傾向だが、家の宗旨は門徒だと言った。門徒って東本願寺かね西本願寺かね?﹂ とお父さんも甚だ要領を得ない。団さんに至っては、 ﹁僕のところは無宗教で、耶蘇も坊主も寄せつけない。うっかり来ると打ぶちすぜ﹂ と旗き幟し頗る鮮明だった。何にしても次の日曜に星野さんが、 ﹁日本人の宗教心﹂ と題してこの三人の無頓着を憐れみ、基督教の把はじ持りょ力くを高調することは疑いもなかった。 本堂を拝見して廊下へ出た時、 ﹁お嬢さん、これを御覧なさい﹂ と星野さんが田鶴子さんの注意を惹いた。 ﹁あらまあ、髪の毛ね!﹂ と田鶴子さんは恐ろしそうな表情をした。成程、髪の毛で拵えた太縄が蜷とぐ局ろを巻いている。﹁越エチ後ゴノ国クニ新ニイ潟ガタ信シン徒ト献ケン納ノウ、長サ二十二丈八尺、廻リ一尺一寸、コノ外ニ五十二房アリ﹂と札が立てゝある。 ﹁何うです? 宗教の力は偉大なものでしょう?﹂ と星野さんは円えん転てん滑かつ脱だつだ。他ひ人との褌で相撲を取ることを忘れない。 ﹁新潟ではこんなに大勢尼さんになったのでしょうかね?﹂ と田鶴子さんは心配そうに訊いた。 ﹁否、この髪の毛は此処の建築の時材木を曳く綱に婦人信徒が寄進したのですよ。女の髪の毛には大だい象ぞうも繋つながるとか言って、髪で撚った綱は大変丈夫なものだそうです﹂ ﹁宗教も程度問題だね、斯ういうことになると官憲の取締を要するよ﹂ と団さんは不承知だった。 ﹁地方から来る善男善女の中には宿賃を踏み倒してもお賽銭を余計上げたがるのがある。お前達の上げるお賽銭で坊主が道楽をするんだと言って聞かせれば、生仏様に御道楽をして戴くのなら尚更のことゝ又財布の口を開ける。始末に負えない。しかし代々日本人が斯うまで打ち込んでいるには確かに何かあるんだね。僕等門外漢でも懐かしい気がするよ﹂ ﹁何があるもんか、少しのお賽銭で自然法を自分の都合の好い方へ抂まげようという横着な料簡があるばかりさ﹂第十一回
満員の電車が喧けたたましい警笛を鳴らして頻ひん繁ぱんに通る。大阪は郊外生活が東京よりも早く発達したと小川さんが力説したが、成程盛んなものだ。殆ど軒の並んでしまった阪神間は論じるまでもなく、此こっ方ちが側わ丈だけでも斯ういう風に田園と都会を繋ぐ線路が三四本あると言った。今この慌しい鈴すず実なり連中も大阪発展の一縮図だ。彼等は皆金さえあれば何処も住すみ吉よしとばかりに巣を郊外に食っていて、夜の明けるのを合図に、ぼろいことを探しにワイ〳〵押し合って市内へ繰り込む。 ﹁何どうだ? 何かぼろいことおまへんか?﹂ ﹁この頃てんとあきまへん。何かぼろいことおましたら、わたいも仲間へ入れておくなはらんか?﹂ ﹁時にえゝお天気だんな。あんた、えろお早うおまんな﹂ ﹁へえ、ほんまに早うおまっしゃろ。お日さんがよう照ってはるさかいこれがほんまの日本晴れだっしゃろ。時に皆はん変りおまへんか?﹂ ﹁へえ、わたいとこもお蔭で皆達者だす。あんたはんとこかて、皆達者だっか? あんたかてぼろいことおましたら聞かしておくんなはれ。ほんまに頼んまっせ﹂ ﹁え、よろしおま。この頃てんとあきまへんけど、あったら電話かけまっさ﹂ といった調子で、大阪会話篇は必ずぼろいことで始まってぼろいことで終る。随って全く金の欲しくない人は大阪には居たゝまれない。尤も今のところ然ういう篤志家は滅多にないから、このぼろいこと本位の大都会は市内に収容し切れないほど有うぞ象うむ無ぞ象うを惹きつける。小川さんもその有象か無象の一人だ。 さて、昨日の夕方梅田に着くと、一行は予定通り散り〴〵になった。団さんは道どし修ょう町まちに御賢弟がいるので、田鶴子さん共々に其処へ引き取った。三輪さんは弁護士をしている叔父さんの家がお宿で、 ﹁近いとも、地図を見ると一寸五分はない。大丈夫だよ﹂ とばかりに﹁左様なら﹂と言うのを忘れて行ってしまった。何か忘物をしないと気が済まない。それから上かみ方がたに縁の薄いお父さんと僕に至っては小川さんの案内で又汽車に揺られ電車に乗り換えてこの東ひが天して下んか茶じゃ屋やのお宅へ厄介になった。 朝御飯を戴いてから、二階の縁側で鈴実り電車の数に郊外生活の繁昌を卜ぼくしていると、 ﹁坊ちゃん、お電話でございますよ。田鶴子さんと仰有います﹂ と奥さんが取次いで呉れた。直ぐに下りて行って、 ﹁もし〳〵、田鶴子さんですか?﹂ とやると、 ﹁はあ。謙さんね? お早うおます﹂ と田鶴子さんが笑った。別に要件があったのではない。明日はお目にかゝらないから朝お早うを電話で掛けましょうという約束を果したに過ぎなかったが、尚お、 ﹁お子さんのあるお家?﹂ ﹁否いいえ。子供の代りに動物がいます。何だか分る?﹂ ﹁猫でしょう?﹂ ﹁狆ちんですよ。狆!﹂ ﹁然そう。此方は大変よ﹂ ﹁何がいるの?﹂ ﹁子供のことよ。宛まる然で玩具箱を引っくり覆かえしたようだわ。今朝は最も早う慣れてしまったけれど、昨日は頭痛がしてよ﹂ ﹁そんなに暴れるの﹂ ﹁否いいえ。だって何処へ行っても薬の香においがするんですもの。家も生きぐ薬すり屋やですけれど、向う三軒両隣り皆生薬屋よ。神田の古本屋よりも激しいわ。全く軒並みよ。道修町って妙なところでしょう?﹂ ﹁頭痛がしても家が生薬屋なら安心ね﹂ ﹁ところが然うでないのよ。お父さんが言っていましたわ――此処の家のは飲む薬でなくて売る薬だよ。何処か悪いようなら医者に見てお貰いってね。私、初めて売薬という意味が分ったの﹂ というような問答があった。 二階へ戻って見ると、お父さんは小川さんを相手に頻りに不器用な社交振りを発揮していた。 ﹁然うかね。日曜以外絶対に休日なしと来ちゃ勤まらない。ナカ〳〵慾が深いね。そんなに働いて面白いかい?﹂ ﹁面白くもないが、仕方がないさ。商売だもの﹂ ﹁住友さんだの鴻こう池のいけさんだのと金持を様さまづけにして然そう有難そうに言うところを見ると、最も早う大分出来ているね?﹂ ﹁否いや、一寸出来かけて又新規蒔直しというところさ﹂ ﹁この頃は儲からないかい?﹂ ﹁儲かる口もあるが、儲からない口もある。再び渾こん沌とん時代さ﹂ ﹁戦争では儲けたろうね?﹂ ﹁その話さ。儲かったが、丁度それぐらい又吐き出してしまったから旧もとの木もく阿あ弥みさ﹂ ﹁昨今は実際不景気だろうね?﹂ と宛まる然で訊問の形だ。 ﹁時に、君、家内の目は何うだね? 余程出ているだろう?﹂ と少しば時らくしてから小川さんは話頭を転じて、質問の方へ廻った。 ﹁え?﹂ とお父さんは解げし兼ねた。 ﹁僕のところの妻さいの目さ﹂ ﹁細君の目?﹂ ﹁然うさ。実はバセドウ氏病という厄介な奴に罹かかっているんだが、気がつかなかったかい? 朝鮮金魚のようだろう?﹂ ﹁然う言われゝば成程少し出目過ぎるようにも思ったが、病気かね?﹂ ﹁甲こう状じょ腺うせんが腫はれて目がダン〳〵繰り出して来るゴイトルという奴さ。殆んど女に限るところを見ると苦労性の病気だね。それに家の奴のはヒステリーが大分手伝っている。気むずかしくて困るよ﹂ ﹁それはいけないね。君が余り苦労をかけるからじゃないかい?﹂ ﹁その辺もあったかと思ってこの頃は身を持すること甚だ謹厳だよ。そうして万事御みだ台いど所ころ本位で御機嫌を取っている。妻め悉すっ皆かり増長してしまって宛まる然で女クイ王ーンだね。大きな目をして婆さん染みたところはトランプの女クイ王ーンに能く似ているだろう﹂ と小川さんは奥さんの棚下しに努めた。何だか何処かでお目にかゝった顔だと思ったらトランプだったか。然う言えば成程少し似ている。 ﹁圧迫を加えられると見えて酷ひどく反感を持っているね﹂ とお父さんもトランプの女王には微笑んだ。 ﹁圧迫されるよ。あの目にはね。あれ以上出て来られちゃ溜まらないから一も二もなく崇あがめ奉たてまつっているのさ﹂ ところへ当の奥さんが上って来て、 ﹁何うも失礼致しました﹂ と女王に似合わず淑かに挨拶をした。 ﹁嚏くしゃみが出やしなかったかい? 今お前の話をしていたんだよ﹂ と小川さんが言っても、 ﹁他ひ人との悪口も結構ですが、それよりは御自分の御用を早くお済ませになって御案内申上げたら如何でございますか﹂ ﹁はい〳〵、早速行って参じましょう。しかし何の用だろうなあ? 一体﹂ ﹁何うせ好いことじゃありませんよ、警察なんか﹂ ﹁警察へ行くのかね?﹂ とお父さんが驚いた。 ﹁この間から警察から頻りに呼び出しが参るのでございますよ。忙しいので打うっ棄ちゃり放しにして置きましたが、昨日又巡査が見えて、今朝九時過ぎに是非とも出頭するようにと呉れ〴〵も申して行きました。何でございましょうかね?﹂ と奥さんも流さす石がに心配そうだ。 ﹁何か身に覚えはないかと此奴まで僕を罪人扱いにするが、これでも未だ警察へ引っ張られるようなことはしていない。余り謹直なものだから、或は女房孝行という廉かどで表彰して呉れるのかも知れないよ﹂ ﹁何だろうね? 実際。盗難品でも出たのかな﹂ とお父さんが考え込んだ。 ﹁最近泥棒に入られたこともなし、入ったことは無論なし、物を拾ったこともなし、落したこともなしと……全く良民だから一向見当がつかない﹂ と小川さん自らも持て余していた。 ﹁何時までもそんなことを仰有っていらっしゃるより、直ぐお出いでになって何をなすったのか伺って見る方が早うございますわ﹂ と奥さんが又促した。 ﹁警察へ自分の操行点を問合せに出頭するのかい? 坊ちゃんが笑っている。妙なことになって来た。これは些ちっと天てん王のう寺じゆ行きだね﹂ ﹁天王寺行って何だね?﹂ ﹁天王寺に狂きち人がい病院があるのさ﹂ ﹁ふうむ、東京なら松まつ沢ざわ行ゆきだね。然う〳〵、京都は岩いわ倉くら行ゆきだった。大阪は天王寺行か。こいつは面白い﹂ とお父さんは早速手帳を出して認したためた。狂人には余程興味を持っているらしい。 ﹁何が面白いもんかね。稀たまに遊びに来て僕が警察へ呼ばれたことなんか材料に使っちゃ困るよ﹂ と小川さんは間もなく用件を果しに出掛けた。 その後で奥さんは、 ﹁有難うございます。電気治療や何やらで昨今は殆んど健康体に戻りました﹂ とお父さんのお見舞の言葉に答えて、 ﹁可お笑かしいんでございますよ。最初主人は私が睨むと申すのでございます。私は睨みも何も致しませんのにね﹂ と病気の起り初めから話し出した。 ﹁成程、大将幾分身に暗いところがあったんですな﹂ とお父さんは笑いながら相槌を打った。 ﹁然さよ様うでございますよ。その翌晩も亦私が睨むと申すのです。昨夜は自分が悪かったが、今夜は交際で晩おそくなったんだから、そんなに怖い顔をしないでお呉れと申すのです。けれどもその実私は睨んだのでも不機嫌だったのでもございません﹂ ﹁面白いですな﹂ ﹁今考えて見ますと最も早うその頃には目が大分出て来ていたのでございますね。けれども私も気がつかず主人も唯睨む〳〵と思い込んでいますから、﹃お前はこの頃は朝から機嫌が悪いね。何か腑に落ちないことでもあるなら腹蔵なく言ってお呉れ﹄と申すのでございました。そうして終しまいには店が引けると直ぐに帰って参るようになりました。お蔭で意見一つ申上げないのに主人の身持が直ったのでございます﹂ ﹁大成功でしたな﹂ ﹁けれども同時に私は二階へも上れないほど息切れがするようになりました。余り苦しいのでお医者さまに見て戴きますと、この通りの病気でそれも最も早う大分嵩こうじているとのことでございました﹂ ﹁それは〳〵、しかし小川君が早まって改かい悛しゅんしたのは案外の副産物でしたね﹂ ﹁過あやまちの功こう名みょうでございますわね。しかし随分危険な病気ですから、それぐらいのことでもなければ埋め合せがつきませんわ。尤も小川はそれが口惜しいと見えて、この頃では何かと申すと謹直を恩に着せますよ﹂ ﹁兎に角早くお宜しくて結構でした﹂ ﹁それでも根治は矢張り困難と見えまして、少し何か心配事がありますと、覿てき面めんに相そう好ごうが変って、自分ながら恐ろしいような顔になるのでございますよ。斯ういう確かな晴雨計が出来ますと、小川も然う〳〵私に苦労ばかり掛けられませんわね﹂ と言って奥さんは笑った。貞女は良人の素行さえ修まれば少々の病気ぐらいは苦にならないらしい。 ﹁天王寺は此処から直ぐのようでしたね?﹂ と少しば時らくしてからお父さんが訊いた。 ﹁直ぐでございます。彼処の公園と新世界それにお城と千日前が坊ちゃんを連れてお出になるのには一番よろしゅうございましょうよ﹂ と奥さんは逆さかさ竹だの飛ばない雀だのという天王寺の七不思議からお城の濠の底にある丸石のことを話し始めた。 ﹁……その大きな丸い石に淀君の亡霊が籠っていて今でも時々人を引き込むのでございます。御器量の好かったお方丈けに、呼ばれますと随分道心堅固な男でも退っ引きの叶わなくなるようなそれは〳〵優しい声を出すそうでございますよ﹂ ﹁昨今の小川君のようなら大丈夫でしょうがね﹂ とお父さんが調子を合わせた。 ﹁何う致しまして。小川などは一声で真っ逆さまに飛び込んでしまう組でございますよ。ところがその重役の方は予かねてこの話を承知して居りました。そこで帰かえ宅りの晩い時には彼あす処こは通らないで、廻り道をすることにしていましたのに、主人なぞにも能くあります。あの交際とか申すのが、矢張り身の破滅の因もとでございました。或晩のことその交際とかで夜を更かして酒の勢でつい彼処へ差しかゝったのでございました﹂ ﹁一声で飛び込んでしまったんですね﹂ ﹁否いいえ、直ぐに逃げ出したのでございました。けれども淀君の声が脳あた裡まに深く沁み込んで翌朝から発熱致しました。医者は何かに怯おびえたのらしいと申す丈けで治療の方針が立ちません。イヨ〳〵息を引き取る間際になってお濠端で呼ばれたことが分りました。尚おお濠に縁のないところへ越すようにと申すその折の遺言に従いまして遺族の方はその後島の内へ移ったそうでございます﹂ それは然うと小川さんは大分待たせた。或はその儘拘こう留りゅうになってしまったのではなかろうかと奥さんの目の為めに聊いささか不安を感じ始めた頃、元気好く帰って来て、 ﹁や、失敬々々。馬鹿な話さ﹂ ﹁何どうなさいましたの?﹂ と奥さんは早速尋ねた。 ﹁でも無事に帰って来て宜かったよ﹂ とお父さんが冗談を言った。 ﹁矢っ張り柄にない文学書なんか註文するもんじゃないね。散々油を取られて来たよ。彼奴は巡査部長か知ら? いやに威張っていやがる。﹃おいこら﹄なんて全く罪人扱いだ﹂ と小川さんは憤慨していた。 ﹁妙でございますわね。実業家が文学書を註文しちゃ悪いのでございましょうか?﹂ と奥さんが聞き咎めた。 ﹁否いや、それがさ、徳川時代の文学の積りで註文したんだが、案外好くない本でね、まあ詐さ欺ぎに罹かかったようなものさ﹂ と小川さんが頻りに取り繕っているのに、 ﹁徳川時代の何だね――物は?﹂ とお父さんは一向察しがない。 ﹁去年のことで名は最も早う忘れてしまったよ﹂ ﹁うまく言っているぜ。風ふう俗ぞく壊かい乱らんだから註文したんだろう? 何うも当てにならない謹厳だと思っていた﹂ ﹁まあそんなに言うなよ﹂ ﹁しかし知恵がないね。学術研究上の参考にするんだと言って、逆捻じを食わしてやれば宜かったのに﹂ ﹁ところが突然で何も考えて行かなかったもんだから、酷ひどく叱られてしまった。忌いま々いましくて仕方がない﹂ ﹁真ほん正とうに不見識な人ね。矢っ張り平ふだ常んが平常ですから、そんなことになるのでございますよ﹂ と奥さんはお手のもので、成程最も早う睨み始めた。 ﹁はい〳〵、一言もございません。版はん元もとが検挙されたんで申込人の名が知れたんだね。好い面の皮さ。巡査め得意になって懇々説諭をするから横を向いていてやったら、﹃おい、宜いいかね? ソロ〳〵頭の禿げる年をしていて詰まらないものを買うんじゃないぜ﹄と言って、申込金を返して寄越した。詐さ偽ぎ師しの手から良民へ金を取り返して呉れるのは感心したが、頭の批評なんか余計なお世話じゃないか。実際失敬な奴だよ﹂ と小川さんは又憤慨して、袂の中から紙さ幣つを二枚無造作に掴み出した。そうして、 ﹁この金を受取るにも、生憎認印を持っていないと言ったら、拇ぼい印んを捺して行きなさいだってさ。僕は拇印なんか捺したことは初めてだ﹂ ﹁後ごじ日つの為めに指紋を取って置いたのさ――それとなくね﹂ とお父さんは決して好いことは言わない。 ﹁これに懲りて些ちっとお気をつけなさいませよ。あなたからそんなことじゃ店のものに示しが利きませんわ。そうしてこの不ふじ浄ょう金きんは私がお預りして置きますよ﹂ と奥さんは問題の十円紙幣二枚を手早く帯の間に納めて、キッと主人を睨んだ。バセドウ氏はナカ〳〵辛しん辣らつだ。 ﹁あの通りで実際困るよ﹂ と間もなく小川さんはお父さんと僕を案内して家を出た時に零こぼした。 ﹁困るって、君が悪いんじゃないか。細君から種いろ々いろ聞かされたぜ﹂ とお父さんは同情しなかった。 ﹁女中や番頭を買収して僕の監視をさせるんだから叶わない。今日も君がいたから罰金ぐらいで事済みになったんだよ。この間なんか大騒ぎだったぜ﹂ ﹁謹厳の君子チョク〳〵尻尾を出すと見えるね?﹂ ﹁否いや、今日のような退っ引きならない口とは違う。全く嫌疑さ。二個連れで生いこ駒まの聖しょ天うてんさまへ参詣に出掛けたという嫌疑がかゝったのさ﹂ ﹁二個連れというと?﹂ ﹁家内以外の異性、即ち主として芸者だね。然ういうのを連れて一日の清遊をするのが二個連れさ。それから家内、即ち嚊かかあ同伴でノメ〳〵出掛けるのが鋳いか掛け連づれさ﹂ ﹁妙な実じつ語ごがあるんだね﹂ ﹁鋳掛連れは別称鋳掛けて歩くともいう。夫婦仲の好い鋳掛屋から来た言葉で、差詰め二本棒さ。後ごし生ょう大だい切じに家内のお供をして歩くんだから芸のない野暮天の骨頂だよ。然るに二個連れは社会的勢力の表シン象ボルで、大阪紳士の理想といっても過言でない﹂ ﹁馬鹿に力瘤を入れるぜ。それが悪いんだよ。矢っ張り子供がないと何時までも呑気でいけないね。ソロ〳〵頭の禿げる年をしていて﹂ ﹁何なに彼かと言うと頭の問題になる。そんなに薄くなったかなあ﹂ と小川さんは慨歎して、 ﹁ところで何処へ行くんだね?﹂ と甚だ覚束ない案内者だ。 ﹁何処でも宜いさ。大阪らしい気分さえ味わえればね﹂ と此方にも別段の註文がない。 西さい門もん前まえで下りて直ぐに天王寺へ折れ込んだ。流石に大日本仏法最初という折紙つき丈けあって平常でも縁日のような賑かさだ。石川県能のみ美ごお郡り川北の出身地を蜻とん蛉ぼが笠さに被かぶった男が、 ﹁俺わし等らが郷里では県税を一円十三銭出せば漁とり放題ですからの、大負けにして上げます。一本四十八銭のところが三十銭じゃ。実に利くものですぞ。のう。千ち切ぎりにして味噌汁に入れる。身が溶けて油丈けになる﹂ と鳥とり目めの薬の八やつ目めう鰻なぎを売っていると思えば、その向いには、 ﹁……次の食が直ぐ進む。咳なら二日目で止まる。婦人病には猿の頭が利くが、これも利く。他わきでは二円五十銭ですが、此処では一円五十銭……﹂ と蝮まむ蛇し屋やが蜷とぐ局ろを巻いている。すべて大阪では廉くて利きが早いとなれば蛇や鰻の干ひも物のが斯ういう霊場でも売れる。 此処へ来たら五重の塔へ登るものだとあって、埃だらけの材木の間を息の切れるほど攀よじ潜くぐった末、天てっ辺ぺんから花曇りと煤煙に鬱うっ陶とうしそうな大都会を見渡した。 ﹁謙一や、危いよ﹂ と険けん難のん性しょうのお父さんが注意した。 ﹁大丈夫だよ。金網が張ってある――時々命の惜しくない連中が此処から飛び下り自殺をやるんでね﹂ と小川さんが説明した。 亀の池だの大鐘だのを見て西門へ戻った時、 ﹁合がっ邦ぽう辻がつじはこの近所だろうね?﹂ とお父さんが訊いた。 ﹁この直ぐ彼むこ方うだよ。しかし妙なところを知っているね?﹂ ﹁西門通り一筋に……と義ぎだ太ゆ夫うの文句で思い出したのさ﹂ ﹁義太夫が分るのかい? これは話せる﹂ と小川さんは喜んで、 ﹁生憎と文楽座が開いていないから……﹂ ﹁休みかい?﹂ ﹁休みだから今夜僕が語って聞かせよう。合邦は殊に得意だよ﹂ ﹁何時頃から習い始めたんだい?﹂ ﹁去年からさ。津つだ太ゆ夫う張ばりで渋いぜ﹂ ﹁未熟の果物と生なま水みずは道中特に慎むように言われて来たんでね﹂ ﹁酷いことを言やがる。しかし合邦辻を見ようか? ※えん魔まど堂う﹇#﹁門<焔のつくり﹂、285-下-16﹈が残っているよ﹂ ﹁まあ止そうよ。後が怖いからね﹂ とお父さんは唯々小川さんの浄じょ瑠うる璃りを恐れた。 又電車に乗ってお城へ向った時、 ﹁途中に高こう津ずの宮があるけれども、民の竈かまどは今塔の上から見たばかりだから最も早う宜いいだろう?﹂ と小川さんは無精を言った。 ﹁宜いとも。しかし込むねえ、此方の電車も﹂ ﹁込むとも。東京のよりも込む。東京よりも賑かだと言うと妙だけれど実際此方の方が人口稠ちゅ密うみつだからね。往来が雑沓するんで市内電車にしても東京見たいに鈴ベルぐらいでは人が避けないから、そのポーッポーッと空気ラッパを使っている﹂ ﹁矢っ張りそれ丈け鈍どん感かんなんだろうね、人間が﹂ とお父さんはソロ〳〵悪口を言い始めた。 大阪城へは石を見に行ったようなものだった。尤も目ぼしいものは大抵焼けてしまって、場所によってはその石さえ焦げているという始末だ。門に入るのを待ち構えて、 ﹁大きいだろう?﹂ と小川さんが石垣の石を自分のものゝように紹介すると、 ﹁大きなもんだね、実際。何うして持って来たろう? ――こんなに大きなものを﹂ とお父さんが感服する。間もなく又素晴らしいのに行き当って、 ﹁此こっ方ちが振ふり袖そで石いし、振袖の形をしている。彼あっ方ちのが蛸たこ石いし。そら、下の隅のところに蛸の形の斑まだ点らが出ているだろう?﹂ と小川さんが説明する。 ﹁成程、振袖石が高さ二間半余横七間半、蛸石が高さ四間半横六間とある﹂ とお父さんは立札を読んで、 ﹁昔の軍いく人さにんも案外話せるね。蛸石というと何となく飄ひょ逸ういつだ。振袖石なんて如何にも優ゆう長ちょうな名前じゃないか?﹂ ﹁淀君がつけたんだろうぜ。ちょいと旦那、この石は振袖に似ているわね。あゝ私、何うしても朝鮮人参を飲んでもう一遍振袖を着る年に若返りたいわ。朝鮮征伐をしてよう。ようってば、よう、旦那……てな次わ第けでね﹂ ﹁旦那じゃなかろう﹂ ﹁それなら閣かっ下かか。あら、閣下、何んていけ好すかないんでしょうね。この石の斑点は坊ぼう主ずでしょうか? あら、蛸だわ! ねえ、ちょいと、閣下ってば……かね?﹂ ﹁閣下じゃない﹂ ﹁殿でん下かか? 太閤は。ちょいと殿下……﹂ と言いかけた刹せつ那な、ズドーンという大物音。 ﹁……えっ、吃驚した。午ど砲んだよ〳〵﹂ お城から天神橋まで歩いて、橋の中途から中之島公園へ下りた。此処は有り合せの地面を利用したのでなく、川の中流を埋めて拵えたのだから、広くなくても贅沢は言えないのだそうだ。尚お小川さんは、 ﹁坊ちゃん、この公園は余程進歩していますよ。男の子の遊ぶところと女の子の遊ぶところと別々になっていますからね﹂ と両方へ案内して呉れた。 ﹁風ふう儀ぎの悪いところでは子供の時からこれぐらい厳重にして置く必要があるんだろうね﹂ とお父さんが言った。 ﹁風儀が悪いと何うして断定するんだい?﹂ ﹁二個連れとかで出掛けるのが理想だと言ったじゃないか?﹂ ﹁それは紳士の場合さ。大阪にだって教育家はあるぜ﹂ と小川さんは教育家は紳士でないと思っている。 ﹁風儀は教育家に一任して、紳士は一意専心ぼろいことをするんだね﹂ ﹁まあ然そうさ。この地は何でも分業だ。先刻通った谷町が洋服屋、松屋町が駄菓子屋、それから会社銀行はこの向うの高こう麗らい橋ばし通どおり、呉服太ふと物ものなら本ほん町まち通どおりというような次わ第けでね﹂ ﹁美人は宗そう右えも衛んち門ょ町う、金持は船せん場ばと島の内かい?﹂ ﹁然う〳〵﹂ ﹁しかし案外美人の少いところだね。そうして出っ歯の女が多いと聞いたが真ほん正とうだ﹂ とお父さんは草くた臥びれたと見えて容易に立とうとしない。 ﹁誰に聞いたんだい? 妻さいだろう?﹂ ﹁然うさ。しかし歯科医の説だと言ったぜ﹂ ﹁家内のことばかり言うと家内を恐れているように誤解されるかも知れないが、実は先月一軒置いて隣とな家りへ囲いものが越して来たのさ。此奴が生きっ粋すいの大阪美人だから、僕が始終然う言って褒めると、家内は躍やっ起きになって、美人には美人だけれど出っ歯だと難癖をつける。女はわきの女の綺麗なのには余り同情しないね﹂ ﹁美人だけれど出っ歯だというのは矛むじ盾ゅんじゃないか?﹂ ﹁それが矛盾じゃないんだよ。女というものは皆自分は兎に角美人だと確信しているんだからね。家内なぞは自分は美人だけれども少し目が出て年が寄っているくらいに思っているらしい。それだから美人だけれども出っ歯だと言っても些っとも矛盾を感じない﹂ ﹁面白い観察だね﹂ ﹁自分は美人だけれど少し器量が悪いと思っているところに安あん心しん立りつ命めいがある。それでこそ鏡屋が立ち行くというものさ﹂ ﹁彼あす処こへ子供を連れて来る奥さんも美人と思っているんだろうね?﹂ ﹁然うさね。美人だけれど少し鼻が低い代りに額が高いと確信しているんだろう。然さもなくてあゝ白粉をコテ〳〵塗る理わ由けはない﹂ と公園で通行の婦人の品定めをするところは正に不良中年だ。 さて、中之島では御自慢の公会堂と市庁を拝見して四ツ橋で下りた。大阪は川と橋の都だそうだが、殊に此処は川が十文字に打っ違い橋四つ向き合って特徴を発揮している。 ﹁何だい? 涼しさに四ツ橋を四よっつ渡りけり……か。こんなものが此処にあったかなあ?﹂ と小川さんは来らい山ざんの句碑を見詰めて、 ﹁四ツ橋を四つというと四々十六度渡った勘定になるね。悉皆で﹂ ﹁否、つい四つ皆渡ってしまったという丈けの意味さ﹂ とお父さんが解釈した。 ﹁それじゃ当あた然りまえで発ほっ句くに読むほどのこともない。何うも僕には発句は分らない﹂ ﹁両方に鬚があるなり猫の恋……なら分るだろう? 矢っ張り来山だよ﹂ ﹁それなら分る。両方に鬚があるなり……か。成程、面白い。猫は確かに牝めすでも鬚がある﹂ ﹁それぐらいなら低能でもないよ﹂ ﹁恐れ入ります﹂ 間もなく心斎橋へ出て賑かな通とおりを歩き始めた。 ﹁実際人口稠ちゅ密うみつだろう? この筋が大阪では代表的さ。昔のまゝだから少し狭いけれどもね﹂ と小川さんが紹介した。 ﹁成程、人出は銀座や日本橋以上だ。この筋だね、榊原君の親父さんが若い時夏帽子を買って翻ほん然ぜんと基キリ督スト教きょうに帰き依えしたのは?﹂ とお父さんが言った。 ﹁榊原の親父が何うしたんだい?﹂ ﹁余程閑だったと見えて夏帽子を一つ買うのに心斎橋筋の唐物屋を端から端まで冷かして歩いたんだそうだ。何軒訊いても要するに値段は大だい同どう小しょ異ういだったが、一番始めの店のが矢っ張り一番好いように思えたので、又引き返して行ってそれを買ったんだそうだ。そうしてその間に年来の信仰問題が頭の中で最も早う美事解決出来ていたというから面白いのさ﹂ ﹁帽子と宗教と関係があるのかね?﹂ ﹁大いにあったのさ。宗教も要するに大同小異――唐物屋は軒並にあっても問屋は共通だと先ず大だい悟ごて徹って底いしたんだね。して見れば初めから多少聞き覚えのある基督教が一番手っ取り早いという次わ第けで洗礼を志願したのさ﹂ ﹁ふうむ、洒しゃ脱だつな親父だね。すると榊原君がアメリカまで神学専攻に出掛けたのもその夏帽子の影響だね﹂ ﹁それだから大いに関係があると言うのさ。現にあの男が伝でん道どうをやっているのもその麦藁帽子のお蔭だよ﹂ ﹁若もし割引の店でもあったら親父めそこで買ってしまって、矢っ張り日本人は仏教の方が好いなんて言い出したかも知れない。危いところだ﹂ ﹁そこさ。榊原君は心斎橋の唐物屋が一軒として割引もせず懸値も言わなかったのを今もって感謝しているだろうよ﹂ ﹁宗教も商取引も大同小異だね。妙なことが縁になるもんだ﹂ と二人は何時までも他愛もないことを論じている。尚お話によるとこの親父さんというのは現に堺市指折りの成功者だそうだ。そうして、或日息子の一人が木から落ちて腕を挫いた時、それをこの子には手の仕事よりも頭の仕事をさせろという神さまの思召と解し、本人を諭して今日ある通り伝道師になる決心をさせたとある。身を伝道に捧げている以上は或は多少社会を教化しないとも限らない。斯うなって来ると一個の麦藁帽子もその影響の及ぶところ実際広い。 然う歩きもしないが兎に角立ち詰めだったから道どう頓とん堀ぼりで休んだ時は寛くつろいだ。 ﹁坊ちゃん、お腹が空いたでしょう? しかし川料理はこの柴しば藤とうに限るんでね﹂ と小川さんは僕とお父さんに振り分けに言った。 ﹁舟ふね半はん家いえ半はんだね、この座敷は。惜しいことに水が汚い﹂ とお父さんが顔を出した。 ﹁風流というよりも実利が主しゅ意いさ。この辺は殊に土一升金一升だから川でも利用しなくちゃね。何しろ筋向いが宗右衛門町、背うし後ろが九郎右衛門町に難なん波ばし新ん地ちと来ている。君、この辺の夜景に親しまなくちゃ高級の大阪趣味が分らないよ﹂ と小川さんが力説した。 ﹁低級はどんなのだい?﹂ ﹁低級娯楽で満足するならこの道頓堀には芝居小屋が並んでいるし背中合せの千せん日にち前まえには楽天地なんていう興行物のデパートメント・ストアがある。低級高級ともにこの辺が大阪趣味の中心地だね﹂ ﹁君は何どっ方ちだね? 高級らしいね﹂ ﹁家内には低級に見せかけて芝居などへも僕の方から言い出して連れて行く。鴈治郎なんて凸助は嫌いだけれど、矢っ張り紙かみ治じは大だい文もん字じ屋やが天下一品だねなどと調子を合せる。しかしこれは策だよ。商売をしていると儲かれば景気がつくし、損をすれば自棄になるし、仕方がないさ。自然極ごく内ないで高級の方へも足を踏み込む﹂ ﹁矢っ張り監視を受ける丈けのことはしているんだね。君は若い時分から狂きちがい水みずが好きだったからなあ﹂ とお父さんは言ったが、少しば時らくしてからその狂い水を勧められるまゝにチビ〳〵嘗めながら、 ﹁成程、算盤が置いてある。此方の人は勘定高いから、食べながらもこれで当って見て心静かに勘つ定けの来るのを覚悟するんだってね?﹂ と思い出したように尋ねた。 ﹁それは悪口だよ。此方では商談は大抵斯ういうところか尚も一っ層と高級なところでやる。白しら面ふじゃ然そう〳〵思い通りのことは言えない。そこは狂い水の功徳、有難いものさ。取引は喧嘩と同じで大概酒の上だからね。随って算盤が座右の銘さ。家内なぞは這しゃ般はんの消息に通じない悲しさ、良おっ人とが一生懸命に算盤玉を弾いて公明正大の商売取引をしているのに角つのを生はやす。実際女子と小人養い難しだよ﹂ と小川さんは算盤の説明と一緒に自分の立場を弁明した。 ﹁細君が余程苦手と見えるね﹂ とお父さんが笑うと、 ﹁否いや、苦手のことはない﹂ と小川さんは強く言って、 ﹁唯あの目が怖いんでね。病勢を昂こう進しんさせまいと思って肝胆を砕いているのさ。今夜だって一杯食わせようと思えば困わ難けはない。例たとえば君は坊ちゃんを連れてこれから家へ帰る。そうして﹃小川さんは店へお寄りになったら若松から取引先の主人が来ていましたので今夜は晩くなるそうです﹄と言う。何うも少し拙いね。斯うしよう。此処から店へ電話をかけて小僧を呼んで君達を送らせる。そうして小僧に言わせる方が安全だ。ところが当の小川さんは商用でも何でもなく此処でチビリ〳〵やりながら待っている。君は小僧のいる中に急に思いついたように、﹃御主人のお留守の間に一二軒友人を訪問して参りましょう。来たのが知れて後から恨まれると困りますから﹄と言い出す。形式的訪問なら子供を連れて行かないからね。すると家内はまさか君が嘘を吐くとは思わないから、﹃お独りでお分りになりましょうか?﹄と心配して、﹃丁度好いわ。清吉、お前御案内申上げなさい﹄と来る。巧いだろう? 斯ういう具合で君は坊ちゃんを家へ置いて又小僧に連れられて此処へ引き返す。残あ余とは最も早う占しめたもんだ。僕が好いところを知っているから早速其処へしけ込んで、ドンチャン騒ぎなりしんねこなり百事意の如しさ﹂ ﹁ナカ〳〵悪知恵があるんだね﹂ ﹁これぐらいに立ち廻らないと息抜きは出来ない。十二時まで遊んでいても大丈夫だよ。自動車で急げば十分で家へ着く。しかし家へ着いてからが大事だ。二人一緒に入ると直ぐに感づかれてしまう。君が先に入って僕が外に待っている。否、僕が先の方が手順が宜いい﹂ ﹁泥棒でもするようだ﹂ ﹁嘘をつくんだから一種の泥棒には相違ない。家内は﹃お晩おそうございましたね?﹄と睨むに定きまっている。怖いから見ないようにして、﹃何時だね? 晩くまで引っ張られて、あゝ、肩が凝った﹄と言う。﹃もう十二時半でございますよ﹄と来る。﹃それじゃ村岡君は最も早う寝たろうね?﹄と受け流す。外で待っているんだから内なかに寝ている筈はない。続いて、﹃然うかい。それにしても晩いね。奴さん哲学者だから道でも間違えたのか知ら?﹄と心配そうに言う。斯ういう場合に嫌疑のかゝらないようにと思って、家内には君を世間のことは西も東も分らない哲学者だと紹介してある。用意周到なものだろう? そこへ君が﹃や、唯今﹄とか何とか言って平気な顔をして入って来る。﹃何うしたんだい? こんなに晩くなって?﹄と僕が咎める。﹃下りるところを忘れてしまって住吉まで行ったんだよ。それから一停留場毎に下りて探して来たもんだからこんなに晩くなった。もうソロ〳〵九時だろうね?﹄と答える。﹃こいつは大おお笑わらいだ。もう九時だろうは宜かったね。何うだい? 美代子。矢っ張り哲学者というものは時間と空間に超越しているだろう﹄と僕がゲラ〳〵笑う。君も笑う。家内も笑わざるを得ないやね。否いや応おうなしに笑わしてしまうんだ。尤もこれには坊ちゃんと小僧を予あらかじめ買収して置く必要がある。僕は小僧の買収費が毎月大分かゝるよ﹂ ﹁随分人知れぬ苦労があると見えるね﹂ とお父さんが笑うと、 ﹁苦労の多い丈け楽みさ。冗談は兎に角、この寸法を一つ実地問題にしようじゃないか? 稀たまに来たんだから宜いだろう?﹂ と小川さんは返答によっては理論を応用する積りらしかった。 ﹁御免だよ。僕は高級趣味は分らない﹂ ﹁話せないね﹂ 御飯が出るまでに小川さんは幾度もお酒を命じて大分赤くなった。酔うに連れて益気焔が高まる。眼中最も早う奥さんなしだ。 ﹁時に君、そんなに飲んでも宜いのかい?﹂ とお父さんがソロ〳〵案じ始めた。 ﹁宜いさ。酒丈けなら何等の掣せい肘ちゅうも受けない﹂ ﹁いやさ、少し呂ろれ律つが怪しくなって来たからさ﹂ ﹁大丈夫だよ。僕は少し酔っている方が能よく語れるんだから安心し給え﹂ と小川さんは家へ帰って義太夫を聞かせる料簡と見えた。 千日前は流さす石がに昔からの遊楽地丈けあって京都の新京極を凌しのぐ盛況だったが、案内者が高級だから悉すっ皆かり素通りをしてしまった。播はり重じゅ座うざの前ではお父さんが足を止めて、 ﹁大阪へ来て義太夫を聞かないでしまうのは残念だね﹂ と言った。しかし小川さんは、 ﹁此処のは女太夫ばかりだからね﹂ と答えた丈けで問題にしなかった。 楽天地の前では今度は僕が立ち止まった。小川さんは温良の君子で決して僕の存在を無視しない。先刻も単に理論としてだけれど僕の処分法に関する研究の結果を発表したくらい僕に重きを置いている。そこで早速僕の方へ摺り寄って来て、 ﹁坊ちゃん、新世界の方が此処よりも大規模です。大阪中の見える通つう天てん閣かくという素晴らしい塔がありますぜ。今夜家内が坊ちゃんを御案内すると言っていましたよ﹂ と条件をつけて急せき立てた。 ﹁宜いいさ。宝塚へ行けば少女歌劇を見るんだもの﹂ とお父さんも言った。 又電車に乗って帰る途中、 ﹁君、此処だよ。合がっ邦ぽうが辻つじ※﹇#﹁門<焔のつくり﹂、291-上-11﹈魔堂と書いてある﹂ と小川さんは窓から指さして、 ﹁君は合邦と寺てら子こ屋やと何どっ方ちが好きだい?﹂ ﹁圧迫的に来るね。何方が短いかな? まあ何方でも得意の方を聞こうよ﹂ とお父さんは諦めをつけた。 ﹁両方得意だ﹂ ﹁恐れ入るね﹂ 家へ着くと間もなくお父さんは、 ﹁謙一や、お前一つ三輪さんへ電話をかけて見てお呉れ﹂ と僕に頼んだ。小川さんの浄瑠璃を聞くので急に心細くなったのかも知れない。 ﹁何とかけます?﹂ と僕が太たろ郎うか冠じ者ゃどころを勤めると、 ﹁別に用もないが、お昼前に何とかいうところで自動車に弾ね飛ばされた人があったね。お前も電車の中から見ていたろう? 何うも様子が三輪君に似ていたから気がかりでならない﹂ 秘書役は手帳を繰って早速電話口に立ち、番号を呼び出して訊いて見ると、 ﹁へえ、東京の三輪さんだっか?﹂ ﹁然そうです。御丈夫ですか?﹂ ﹁へえ? もし〳〵﹂ ﹁お変りありませんか?﹂ ﹁へえ、お変りおまへん。東京の三輪さんだっしゃろ?﹂ ﹁自動車に轢かれやしませんか?﹂ ﹁一体あんたはん何どな誰たや?﹂ と稍や怒った声がした。第十二回
もう間もなく下関だと聞くと三輪さんは早手廻しにハンチングを麦藁帽子に被かぶり替えたのは宜かったが、忽ちそれを窓から吹き飛ばされてしまった。 ﹁惜しいことをしたね、折角のタスカンを!﹂ とお父さんが同情した。同時に半ば立ち上ったのは或は三輪さんが前後を忘却して飛び出すかも知れないと懸念したらしい。しかし御本人は、 ﹁否、惜しいことはない。お蔭で寿命が又一年延びたようなものだ﹂ と答えて泰然たるものだった。 ﹁相変らず妙なことを口走るね﹂ と団さんは退屈まぎれに冷かした。 ﹁でも僕は毎年夏帽子を一つしか被らないからね﹂ ﹁頭が二つあれば格別、一つしかない限り二つは被れないよ﹂ ﹁否、一夏に一つという意味さ。君だって然うだろう?﹂ ﹁それは然うさ。それなら初めから然う言えば宜い﹂ ﹁理窟っぽい男だ。そこで夏帽子を買う度に僕は感慨無量なものがある﹂ ﹁買って貰う度にだろう?﹂ ﹁一々咎とがめるね。妻さいが買って来ても金は僕が出すんだから何どっ方ちにしても同じことさ。毎年一つと定きめて置くと、これから被かぶる夏帽子の数とこれから生きる年の数と同じことになる﹂ ﹁数の観念がない筈だが、案外あるね﹂ ﹁大いにあるさ。昔から相場通り人生五十と仮定すると正当なら夏帽子は後九つしか被れないことまで勘定が出来ている。後九つとは考えて見ると心細いじゃないか? ところが、今年はこの旅行の為めに二度目を買い、それを今飛ばしてしまったから、又一つ買える。それで少くとも夏帽子という問題丈けでは二年寿命が延びたも同じことになるだろう? 最も有効な若返り法は旅行だという君の説も案外一理あるよ﹂ ﹁恐れ入った。帽子を吹き飛ばされて気焔を吐いていれば世話はない﹂ ﹁面白いね。汝の夏帽子数えらる。僕は後十か。冗談じゃないぜ﹂ とお父さんはこの問答を聞いて歎息した。 大阪から下関とは三輪さんの帽子諸共旅程が急に飛ぶようだが、僕達は前回の僕達でなくて又東京から出直して来た僕達だ。春の旅行は僕の不覚の為めに大阪でさゝほうさになってしまった。まさか小川さんの義太夫に中あてられたのでもあるまいが、丁度あの晩から熱が出て数日寝込んだ。三輪さんの面倒を見てやるどころか東京駅で三輪さんに迎えて貰うような始末。殊に小川さん御夫婦には一方ならぬ御迷惑をかけた。それで今度の九州旅行にはお供の出来た義理ではないのだが、病源の扁へん桃とう腺せん肥ひだ大いを取除いて最も早う大丈夫と保証がついたので、又また候ぞろ田鶴子さんの相役を承って罷り出た。朝特急で東京を立って春の旅行で見知り越しの土地丈けは日のある中に通り、神戸辺から寝て目が覚めると既に下関が近い。闇の間に走った中国筋は先ず九州を一周してから帰かえ途りにゆっくり拝見という寸法。団さんの設計は例によって無駄がない。今度はナカ〳〵の長道中だ。それで一日々々家へ遠くなると三輪さんが思ホー郷ムシ病ックになるかも知れないから、一応目的地へ驀進して、数泊後には一日一日と家へ近くなるという考案も入っている。 ﹁この前は君達が物見高い顔をしていた所せ為いか車屋と自動車屋に大分貪むさぼられたぜ。今度は兎に角余り田舎漢視されないように気をつけることだよ﹂ と団さんは何かの序に注意した。 ﹁中国や九州へ来て田いな舎かも漢の扱あつかいをされる次わ第けもなかろうじゃないか?﹂ とお父さんは服さなかった。 ﹁否、それがナカ〳〵然うじゃないんだよ。住めば都だからね。中国でも九州でも皆自分のところが世界の中心だと思っている。彼あす処こに田の草を取っている百姓でも太陽は毎朝自分の家の背せ戸どを照らす為めに東から昇ると信じているぜ﹂ ﹁そうして晩酌をやるように西に没して呉れると君は信じているんだろう﹂ と三輪さんは今しがたの竹しっ箆ぺい返がえしをした。 ﹁然そうさ。自分の家かな内いばかりが女だと信じている人もある。兎に角自分の周囲が世界の中心なんだから、他よ所その人は中央の消息に通じない田舎漢さ。例えば下関で大阪屋を知らないと言って見給え、撲られないまでも文明人としては扱われないよ﹂ ﹁大阪屋ってのは何だい?﹂ ﹁下関文化生活の中心さ﹂ ﹁三輪君。うっかり乗っちゃいけないよ﹂ とお父さんが警戒した。 ﹁兎に角東京から来たから敬意を表して貪るんだと思っていると大間違だぜ﹂ ﹁貪られたり馬鹿にされたりしたんじゃ間まし尺ゃくに合わないね﹂ と三輪さんは共鳴した。 ﹁しかし安心し給え。今度は自動車へでも俥へでも土地の相場で乗って見せる。金は惜しくないが、田舎漢に附け込まれるのは業ごう腹はらだからね﹂ と団さんは何か工夫のあるように言った。 漸く下関に着いた時、田鶴子さんと僕は例によって家への通信を果した。未だ何処も見物しないから至って簡単だ。それでも田鶴子さんのには、 ﹁……二十四時間も乗り続けると紳士淑女が遺憾なく動物性を現します。寝通しの人もあれば食べ通しの人もあります。列車全体が動物園で客車が一個々々檻のような観があります。檻ですからボーイさんが掃除に来る度に必ず食べ粕が一杯溜まっています。そうして動物ですから、掃除の都合の好いようにナカ〳〵退いてやらないのやうっかり足に触ると唸るのがあります﹂ というようなことが書いてあった。 駅前で俥に乗って少しば時らく走ってから団さんは、 ﹁この辺は一向変っていないね?﹂ と車屋に話しかけた。 ﹁へい、変りません﹂ と車屋が答えた。 ﹁市長は評判が好いかね?﹂ ﹁へえ? 李りの家えさんですか?﹂ ﹁然そうさ。李家君さ﹂ ﹁好いのやら悪いのやら私共には市長さんの評判は分りませんわ﹂ ﹁寄らないで行くと後で怒るかも知れないが、この通り同つ伴れがあるから仕方がない。それから警察署長は矢っ張り以も前との男がやっているだろうね?﹂ ﹁はい、やっておられます﹂ ﹁あの男も年を取ったろうね?﹂ ﹁はい、取りました﹂ 至って無難な問答だ。年を取らない奴はありっこない。而も傍はたで聞いていると、団さんが以前この土地に住んでいたように受け取られる。その中に車屋は、 ﹁御承知でございましょうが、此処が日清談判の春しゅ帆んぱ楼んろうでございます﹂ と狭い道の左側を指さした。石段に門構えは宿屋兼料理屋に似つかぬ厳いかめしさだ。 ﹁成程、此処だったね。此処へは能く河ふ豚ぐを食べに来たものさ﹂ と団さんは昔懐しそうに言った。 ﹁春帆楼だとさ、これが。講和談判を料理屋でやるところは所いわ謂ゆる樽そん爼そせ折っし衝ょうで如何にも東洋風だね﹂ とお父さんは後うし方ろの俥の三輪さんに紹介した。 ﹁河豚は何うしても下関さ。チリで一杯と来たら溜まらないからね﹂ と団さんは土地通を続けた。 ﹁結構なものでございます。第一酒の廻りが違いますからな﹂ と車屋が受けた。 ﹁故郷忘じ難しで、一つ食べて行くかな、久しぶりで﹂ ﹁唯今は駄目でございます﹂ ﹁休業かい?﹂ ﹁否いいえ、夏の河ふ豚ぐは中あたりますから一切食べません﹂ ﹁然そうかね。成程、然う〳〵。然うだったね。久しく来なかったもんだから、つい……﹂ と団さんは危く馬脚を露すところだった。 赤あか間まぐ宮うで下りた時、田鶴子さんは、 ﹁謙さん、好いものを見せて上げましょうか?﹂ と言って、ポケットから小さな蟹の乾し固めたのを出した。 ﹁平へい家けが蟹にでしょう? 何うしたの? 買ったの?﹂ と僕が欲しそうにすると、 ﹁あなたのも買って来てよ﹂ と一疋ぴき呉れた。名前を連ねて書く場合のように順次不同という奴で乗って来たものだから、殿しん後がりを勤めていた田鶴子さんは何時の間にか俥を止めて買物をしたのだった。 ﹁似ているなあ! 全く能く似ている。蟹二つだ﹂ ﹁何どな誰たに?﹂ ﹁僕の方の生徒監督に﹂ ﹁まあ! 先生に蟹二つなの? 謙さんもナカ〳〵お口が悪いわね﹂ ﹁だって平家蟹って綽あだ名ながついているんですもの。これを参考の為めに是非持って帰ります﹂ ﹁あなたのは男よ﹂ ﹁あなたのは女? 女でも矢っ張り怖い顔をしているんですね﹂ ﹁顔じゃないわ。甲こう羅らだわ﹂ 境内には壇だん浦のうらに沈んだ平家一門の墓があった。大木の下に小さな自然石の立ち並んだ様は如何にも没落した人達の奥おく津つ城きらしく、何とはなしに哀れを誘う。 ﹁錨を背負って飛び込んだ知とも盛もりまでいるね。死体捜索の結果不思議にも大将株の丈けが揚ったと見える﹂ とお父さんは立札を仰ぎながら言った。 ﹁雑兵は皆海の底に居残って蟹になってしまったのさ。負け戦さには実際雑兵で出るもんじゃないね﹂ と団さんは平家蟹に同情した。 ﹁墓ないものは、雑兵の身かね。田鶴子さん、その蟹をもう一遍見せて御覧なさい﹂ と三輪さんが言った。 ﹁此処のお祭まつ典りは何い時つだったかね? 大変賑かだったが、この頃でも盛んだろうね?﹂ と団さんは名誉恢復を心掛けて安全な質問をした。神社には必ずお祭典がある。そうしてお祭典は大抵賑かなものに定きまっている。 ﹁四月の二十三日でございます。女じょ郎ろうの参拝というのがありまして、これは福岡辺からは素もとより京阪から見物に参ります﹂ と車屋が答えた。団さんの車屋が一番弁べん者しゃで、他の連中は脚が本業だと言わないばかりの顔をしている。 ﹁然う〳〵、あれは他ほかに類がないね﹂ ﹁全く此処ばかりでございます﹂ ﹁下関中のが皆参詣に出るのかね?﹂ とお父さんが訊いた。 ﹁否いいえ、たった五人です。一番の流はや行りっ児こが選ばれて此処まで練って来るのです。斯ういう具合に若い衆が後うし方ろから日傘を翳しかけましてな。綺麗な禿かむろが供をしましてな。何しろ一人の衣裳が何千円というのですから、見みご答たえがありますよ﹂ ﹁花おい魁らん道どう中ちゅう見たいなものだね?﹂ ﹁否、そんなものじゃございません。矢っ張り女郎の参拝です。生き残った平家の女子達が今の稲荷町の基を開いたというので昔からの為しき来たりです﹂ 間もなく町を通り抜けて壇浦へ出た。海があるばかりで、他には何なんにもない。 ﹁此処こそ些ちっとも変らないね﹂ と団さんは安心して言うことが出来た。 ﹁何もございませんが、これが御みも裳すそ川がわです﹂ と団さんの車屋が、溝ぐらいの小川を指さした。 ﹁成程﹂ ﹁旦那は平家の一杯ぱい水みずの謂いわれを御存知でしょうな﹂ ﹁さあね、聞いたような気もするが、長らく洋行していたもんだから、日本のことは箸の持ち方まで忘れてしまったよ﹂ ﹁この川と海の境さか際いぎわに井戸がありまして、其処で平家の旦那方が末期の水を一杯宛召し上ったのだそうでございます。それからというものその井戸の水に不思議が起りました。誰が飲んでも初めの一口丈けは清水ですが、二口目から塩水になると申すのでございます﹂ ﹁成程、平家の一杯水か。然う言われゝば聞いたようだね。何しろ此処で皆沈んでしまったんだから浮ばれないのさ。昔は雨の晩にこの辺に鬼おに火びが出たもんだなんてことを君達の爺さん連中は言っているだろう﹂ と団さんが言った。 ﹁矢っ張り御存知ですな﹂ と車屋はつい口車に乗ったが、 ﹁旦那方は広島でございますか?﹂ ﹁まあその辺さ﹂ ﹁これから朝鮮へお帰りになりますね?﹂ ﹁これも図星だ﹂ 門司へは予定の刻限に渡った。狭い海峡を一つ距てゝいる丈けだから本土と異るところは些っともないが、宿引のような男が寄り添って、 ﹁大連へいらっしゃいますか?﹂ と訊いたのには、成程遠方へ来たという感じがした。停車場の二階で昼食を認したためた。 ﹁何うだったね? 俥賃は安かったかね?﹂ とお父さんは食べながら思い出したように尋ねた。 ﹁否、安くもなかったが、先ず土地相場だろう﹂ と団さんは答えた。 ﹁多少有効だったね﹂ ﹁あんなに嘘を吐いて漸く土地相場じゃ割に合わない﹂ と三輪さんは無た料だで乗る積りらしかった。 ﹁高い安いは兎に角田舎漢扱いを受けなかったからね﹂ と団さんは主張した。 ﹁田舎漢扱いさ。広島県人という判決じゃないか? ねえ、村岡君﹂ ﹁然うとも。そうして朝鮮へ出稼ぎと来ている。有難い仕合せさ。これじゃ無料で乗って少しお剰つ銭りを貰っても余り好いい心持はしないね﹂ ﹁馬鹿ばかり言っているよ。自分の土地が世界の中心だからね、隣県と見て呉れたのは絶大の好意だぜ。君達は世間を知らないから分るまいが、朝鮮へ行って産を為しているのは主として山口県人と対たい州しゅ人うじんだ。この故に下関で朝鮮へお帰りかと訊くのは彼あっ地ちで成功しているという意味で、これも最大の敬意さ。土地相場でこれぐらい優遇を受ければ又以って瞑めいすべしじゃないか?﹂ ﹁斯ういう人に会っちゃ敵かなわない。自分の頭が世界の中心だからね。骨を折って田舎漢扱いにされて、多大の優遇を受けたと思っていれば天下泰平さ﹂ とお父さんが笑った。 門司では何も見なかった。駅前に五六軒並んだ果物屋の仮店が一寸異国風で注意を惹いた。汽車に乗り込むと、ビール樽のような紳士が、 ﹁やあ!﹂と言って立ち上った。 ﹁やあ!﹂ と応じてお父さんが寄り進んだ。 ﹁これはお珍しい。一体何方へ?﹂ ﹁悪いことは出来ませんな。何うせ寄れないからと思って、無断乗り越しという積りでいましたが……﹂ ﹁それは酷ひどい。まあお掛け﹂ ﹁まあ〳〵﹂ と二人は挨拶に移った。 このビール樽はお父さんの従いと姉この配つれ偶あいで、川島さんという若松の石炭商だった。お父さんは一同に然るべく紹介を済ませてから、 ﹁偶然も斯うなると神秘に属しますね。九州で親戚といってはあなたのところ一軒きりなのに、そのあなたとこの玄関口でバッタリ行き当るのですもの﹂ ﹁私も門司へは滅多に来ないのですが、今日は全く偶然でした。矢っ張り神さまのお引き合せです。この上寄って行かないと罰が中りますぞ。冗談は兎に角何うですか?﹂ と川島さんは早速誘いをかけた。しかしお父さんは予定があるので何うも動きが取れず、百方陳謝して帰かえ途りには屹度都合をつけると約束した。川島さんはこれに納得して、幸い今日は山まで行く用があるからと落ちついて話し始めた。 ﹁何でしょう? あれは﹂ と田鶴子さんが見慣れない形の貨物列車を指さした。 ﹁石炭を搬ぶ汽車さ﹂ と団さんが振り返った。 ﹁成程、石炭だわ。卒そ塔と婆ば見たようなものが一箱々々に立てゝありますね﹂ ﹁あれは炭たん票ぴょうといって、炭車の内容を示すものです。今のは短かったですが、若松へは五六十台続きの炭車が日に何杯となく来ます﹂ と川島さんが教えて呉れた。 ﹁此方は石炭が名物だからね。田鶴子さんも謙一も叔父さんに石炭のことを伺って置きなさい﹂ とお父さんが言った。 ﹁石炭ならお手のものです。石炭即ち福岡県です。福岡県即ち工業動力です。日本の商業中心はこゝ十年の中に門司に移りますよ。豪えらいもんですぜ。門司から博多まで五十哩というもの殆ど町続きになりました﹂ と川島さんは福岡県の為めに気焔を揚げた。 ﹁矢っ張り中心説だろう?﹂ と団さんが囁き、 ﹁成程、中心説も案外根柢があるね﹂ と三輪さんが笑っても、川島さんは勘違いをして、 ﹁根柢が石炭ですから中心ですとも。そうして商工業の中心は国家の中心、国家の中心は世界の中心です。お嬢さんや坊ちゃんを此処まで運搬して来た汽車と連絡船も石炭あっての話でしょう? 電信電話電車電燈から百般の製造業、何一つ石炭のお蔭を蒙らないものはありません。石炭が日本を動かしています。そうしてその石炭は福岡県――と要するに斯うなるのです﹂ ﹁すると石炭屋が一番豪えらいということに帰着しますね﹂ とお父さんが冗談を言った。 ﹁然うです。そうしてこの叔父さんがその石炭屋です。御覧なさい。こんなに太っている﹂ と川島さんは布ほて袋いば腹らを叩いて見せた。 小倉を過ぎると右側は煙突の森林続きだ。煤煙で空が曇っている。 ﹁実際盛んなものですなあ!﹂ と団さんが感歎した。 ﹁此処は工業地として東洋一という評判です。その代り煤煙で家があんなに真黒になってしまいます。八幡は雀まで黒いと申しますからね。桜だって満足な色には咲きません。女にしても白粉を塗っている間に煤煙を受けますから折角のお化粧の出来上る頃には灰色になるそうです﹂ と川島さんの説明は形容に剽軽な誇張があるから印象が深い。 ﹁太っ腹な男さ。あんな風だから損をしても得をしてもケロリとしている。成功しているのか失敗しているのか分らない﹂ とお父さんは折尾で川島さんが下りてから批評した。 ﹁快活で好いね。不平や苦情は痩せた人の言うことさ﹂ と団さんが言った。 ﹁妙なところで当てつけるね﹂ と三輪さんは聞き捨てにしなかった。 ﹁そら、もう始まった﹂ 九州で大きいのは福岡、町の綺麗なのは長崎、繁華なのは博多――と昨夜散歩をしながら、三輪さんの甥の大学生が定義的に教えて呉れた通り、博多は実際賑かだ。 ﹁福岡と博多は違うんですか?﹂ とその時お父さんが訊いた。 ﹁さあ、まあ同じようなものですな。正確にいうと福岡市は福岡及び博多の両区より成り立ちます。この故に博多は福岡市の一部分です。然るに停車場は御承知の通り博多にありますから、鉄道方面からいうと博多即ち福岡市です﹂ と小三輪生は何でもないことを無暗に六ヶ敷く言う。医科だそうだから、卒業して脈を見る時の心得を今から練習しているのらしい。それは然うと博多も殊に僕達の宿の附近は芝居小屋等があって目貫のところと見えた。田舎銀座の呉服町まで行って、帰かえ途りは参考の為めとあって電車に乗ったが、実は博多織だの博多絞だのが動ややもすると田鶴子さんの足を止めるので、団さんが警戒したのだった。 ﹁博多人形を買って行くと宜いんだが、毀れてしまうだろうかね﹂ と団さんは娘にまで駈引をする。しかし田鶴子さんは、 ﹁店から直ぐ家へ送らせるから大丈夫だわ﹂ とその又上を行って、人形丈けは大きなのを買って貰った。 朝御飯が済むと直ぐに俥で見物に出掛けた。すべて小三輪生が引き廻しの労を執って呉れる。電車道を一直線に辿って左にお濠の蓮の花を賞しながら、 ﹁車屋さん、何連隊だったかね? 此処は﹂ と団さんはソロ〳〵釘を打ち始めた。 ﹁二十四連隊でござす﹂ と車屋が答えた。 ﹁連隊長は矢っ張りあの大佐がやっているだろうね?﹂ ﹁やっとります。旦那は御存知でござすな﹂ 間もなく西公園に着いた。 ﹁村岡君、太った人が苦情を言いそうな高いところだね﹂ と三輪さんが嬉しがった通り、この公園は平地じゃない。 ﹁高いとこじゃけん、眺望がよござすばい﹂ と言って車屋達も跟ついて来た。 ﹁此処はこの辺唯一の桜の名所です。春になると毎日ドンタク騒ぎをやりますよ﹂ と小三輪さんが説明した。 殿様を祀った神社があったが、そんなものに頓着する連中でない。山の上は成程海の眺めが佳かった。何とかという可愛い島も見える。風景にも余り屈託のない一同は直ぐに下りて来た。 ﹁車屋さん、君達は博奕を打つそうだね?﹂ と団さんは平野次郎の銅像の前で立ち止まった。 ﹁とっけもなか御冗談を仰有る﹂ と車屋は驚いた。 ﹁否いや、何、真ほんの老婆心さ。しかし用心し給えよ。昨夜警察署長に会ったら、此処の車屋は博奕を打って困るから近々手を入れると言っていたよ﹂ 引き返して東公園へ向った。九州第一の大都会丈けに、端から端まではナカ〳〵乗りでがある。 ﹁オヤ〳〵、松が枯れているじゃないか﹂ と千代ノ松原に差しかゝった時三輪さんが呟いた。 ﹁先年から何か病菌がついて、種いろ々いろと手当をしているようですが、最も早うこの辺は全滅ですな。人間だと内服が利きますけれど、植物は外がい用よう丈だけです。投薬の範囲の狭いものはそれ丈け快復が困難と見なければなりません﹂ と小三輪生が答えた。先頭の連中は最も早う下りて松原を歩き始めた。 日蓮上人の銅像は素晴らしいものだ。 ﹁大きな坊さんね!﹂ と田鶴子さんが感心した。 ﹁像も台座も三十五尺宛がてあるけん、日本一ちゅうてもよかとだすばい﹂ と車屋が説明して呉れた。 ﹁南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……﹂ とお婆さんが五六人頻りにお題目を唱えている。後うし方ろへ廻って見たが、此処でも台座の石を拳で叩きながら、 ﹁南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……﹂ と一心不乱だ。台座の石が手垢で黒くなっている。 筥崎八幡は東公園から目と鼻の間だった。入ると右側に楠の大木がある。﹁樹木を愛護せよ﹂という立札を読みながら、 ﹁樹木を礼拝せよと書いても宜いくらいなものだ。実に大きい。恐らく日本一だろう﹂ と大木好きの三輪さんは何時までも見上げていた。 ﹁この八幡さまといい亀山上皇といい、此処へ来ると何うやら遠い元げん寇こうの昔を偲びますね。もっと歴史に精しいと面白いんでしょうけれども﹂ とお父さんも多少、感慨を催したようだった。 ﹁然そうですよ。この辺一帯は元寇の旧蹟で持ち切っています。多た々だ良らノ浜はまがこの海岸伝いですから、此処らも矢っ張り古戦場かも知れませんね﹂ と小三輪生が応じた。 ﹁何うです? 此処の学生も京都の連中のように遊びますか?﹂ と団さんは現代にばかり興味を持っている。 ﹁京都の連中見たいにノートを質に入れたりその質しち札ふだを又抵てい当とうに置いたりはしませんが、随分遊びますね。殊に医科が激しいです。五千六千という借しゃ銭くせんを背負ってウン〳〵いっているのが大勢いますよ﹂ ﹁そんな連中と交際しちゃ困るぜ。君は兄に似て矢っ張り酒が好きだからね﹂ と三輪さんは叔父さんぶりを見せた。 ﹁私は大丈夫ですよ。借銭をして酒を飲んでも甘うまいことはありませんからね﹂ ﹁はゝあ、借銭と言いますか? 此こっ方ちでは。京阪や中国の人は借しゃ銀くぎんと言います。東京は絶対的に借しゃ金っきんです、借しゃっ金借しゃく銀借しゃく銭と中央から遠退くに従って相場が低下するのは自らその土地の文化の程度を示していて面白いですな﹂ とお父さんが大発明でもしたように言った。 海岸は松原を背後に控えて好い景色だった。高燈籠のところで、 ﹁多々良ノ浜はあの見当になります。海上で二百十日の台風を食ったのですから十万余騎の敵も溜りません。それにしても生存者が唯たった三人とは酷い死亡率です﹂ と小三輪生は科学的説明を下した。 帰途医科大学の前へ出るまでに納なっ豆との苞つ苴とのようなものを提げて行く人達を幾度も見かけた。 ﹁あれは何でしょうね?﹂ と田鶴子さんは俥の上から僕を顧みた。 ﹁箱崎の浜の砂でござす。あらたな砂じゃけん、あげんして大切に持ち帰りますばい﹂ と僕の車屋が教えて呉れた。 宿へ戻って昼御飯を食べると最も早う立ち支度だ。ナカ〳〵忙しい。 ﹁叔父さんは﹃わし国﹄別名﹃都名所﹄というのを御存知ですか?﹂ と小三輪生が訊いた。 ﹁知らないね。此処の名物のお菓子かい?﹂ と大三輪生は無学を告白しなければならなかった。 ﹁否いいえ、歌ですよ。此処のは斯ういうんです。﹃福博名所で見せたいものは……﹄﹂ と小三輪生はビールに酔ったのか、小声で謡い始めた。 ﹁﹃……九州大学潮湯晴心館、敵国降伏筥崎八幡、元寇記念碑日蓮銅像、荒津山から沖を眺むりゃ玄げん界かい……沖を眺むりゃ玄界……﹄さあ、忘れてしまった。﹃何が何とかで、外にないぞえ、千代ノ松原、しょんがいな﹄と、あゝ、骨が折れる﹂ ﹁本物ですな。これは大分資も本とが入っていますね﹂ と団さんは褒め、 ﹁面白いですな。その文句を後から一つ調べて置いて下さい﹂ とお父さんは頼んだが、 ﹁秀夫さん、そんな歌がそんなに上手じゃ余り信用出来ないぜ﹂ と三輪さんは稍や機嫌が悪かった。 ﹁大丈夫ですよ。兎に角今の歌の中の名所は悉すっ皆かり御覧に入れました。ところで最早ソロ〳〵時間でしょう﹂ と小三輪さんは手首の時計を見た。 夏の雨は馬の背を分けるというが、全くその通りだ。 ﹁又熊本でお目にかゝります﹂ と言って、博多駅で秀夫さんに別れた時には晴れていたようだったが、一停車場過ぎると大たい雨うは沛いぜ然んとして来た。それで太だざ宰い府ふは寄っても仕方あるまいとあって割かつ愛あいすることになり、降り込められる覚悟で大層早目に佐賀に着いてしまった。ところが佐賀は晴天で埃が立つほどだった。何だか狐にでも摘つままれたような気がする。あの夕立は単に僕達の旅程から菅かん公こうの配はい所しょを取り除のける為めの天意としか思われない。 ﹁選りに選って字の拙い人のお揃いですから、天神さまがお気に召さなくて態わざ降らせたのでしょうよ﹂ と田鶴子さんも遠慮のないことを言って笑ったくらいだった。 鉄道馬車というものはお父さんやお母さんの昔話に聞いてどんなものだろうかと思っていたが、佐賀にはその実物がノコ〳〵歩いている。旅行は確かに見聞を広める。 ﹁豪えらいところだね!﹂ とお父さんが驚いた。 ﹁悪口を言うなよ。此処は鎖さこ国く攘じょ夷ういの精神の盛んなところだから、うっかりすると打ん撲られるぜ﹂ と三輪さんが注意した。 ﹁車屋さん、警察署長は矢張りあの男がやっているかい?﹂ と団さんが又始めた。 ﹁ない!﹂ と車屋が答えた。 ﹁あの男も年を取ったろうね?﹂ ﹁ない!﹂ ﹁高等学校が出来たから以前よりは余計金が落ちるだろうね!﹂ ﹁ない〳〵! な!﹂ ﹁これは驚いた。てんで言葉が通じない﹂ と団さんが言った。間もなく博多の水野旅館から差して寄越した新馬場の松本屋というのに着いた。 田鶴子さんと僕は早くお湯に入って、夕御飯までの時間を家への通信に利用した。大人連中は責任がないから相変らず駄弁を弄ろうしている。 ﹁生きっ粋すいの佐賀っ子だと言ったが、皆あんな風なら佐賀の女も豪いものさ﹂ と団さんが女中のお芳よっさんを褒めた。 ﹁少し渋しぶ皮かわが剥むけているもんだから無暗に力瘤を入れるぜ﹂ とお父さんが冷かした。 ﹁否、器量は別問題としてあれぐらい要領を得たのは未だ出でっ会くわしたことがない﹂ ところへ女中が二人お膳を搬はこんで来た。 ﹁お芳さんもお峯さんも大変評判が好いですよ。器量は兎に角気転が利いているって﹂ と三輪さんが言った。 ﹁あらいやばんた﹂ とお芳さんが笑った。 ﹁冗談は措いて、僕達は佐賀のことを調べに態わざ東京からやって来たんだからね、お給仕をしながら一つゆっくりと話してお呉れ﹂ と団さんが頼んだ。 ﹁宜しゅうございます﹂ ﹁佐賀弁でね﹂ ﹁よかばんた﹂ ﹁毎日忙しいだろうね?﹂ と御飯が始まってからお父さんが同情するように言った。 ﹁忙しゅうして戦争のごッたばんた﹂ ﹁何でも番ばん太ただね﹂ ﹁佐賀人ぐらい郷きょ党うと心うしんの強いものはないね。君は北きた古こ賀がを知っているだろう?﹂ と三輪さんは何かを思い出した。 ﹁知っている。成程、彼奴は此処のものだったね﹂ とお父さんが応じた。 ﹁あの男なんか標本的佐賀人だろうね。未だに書生の時の通り左の肩を怒らして歩く。鹿児島人が右の肩を聳やかせるに対して佐賀人は左の肩を聳やかせるものだと言っていたぜ。犬の尻尾見たいに左巻き右巻きの区別が厳然として存しているんだね﹂ ﹁獣けだものじゃなかばんた﹂ とお芳さんが苦情を言った。 ﹁まあ〳〵待ってお呉れ。これから大いに鍋なべ島しま男だん子しを褒めるから宜いいだろう?﹂ ﹁いうなかばんた。佐賀の人の通った跡は草も生えんとでしょう?﹂ ﹁呆ふう気けでも佐賀のもん、腐っても鯛の魚いおでござッす﹂ とお峯さんが加勢に入った。 ﹁呆気は馬フー鹿ルだね。英語の方に余計似ている﹂ とお父さんが言った。 ﹁女も佐賀はお芳さんのような別嬪が多いんだろうね﹂ と団さんが油をかけると、 ﹁佐賀の女はマルボーロのごた味がするばんた﹂ ﹁マルボーロとは?﹂ お芳さんは菓子器を指さして、 ﹁おいしゅうございましたろうがな﹂ ﹁圧迫的だね﹂ ﹁佐賀の女はマルボーロのごたッばんた。情が深うして何い時つまでも飽かんとです﹂ ﹁恐れ入った﹂ と確信家の団さんも、この女中の確信には敬服した。 第一番に御飯を済ませた田鶴子さんは縁側の籐椅子にかけて、 ﹁あら凧が揚っていてよ﹂ と言った。 ﹁夏凧を揚げるのは佐賀ばかりでござッす﹂ とお峯さんが説明した。何でも他に類がない。 ﹁佐賀言葉を教えて上げましょうか? にゃごとこくきゃ、こんちくしょう、あらいやばん、こなたのそくしゃあか、ぞうだんしんさんな﹂ とお芳さんが一瀉しゃ千里りで言った。実際日本語とは思われない。 ﹁何だい、今のは。もっとゆっくり言って呉れないと皆かい目もく分らない﹂ とお父さんは辟へき易えきした。 ﹁何にゃ事ごと吐こくきゃ、此こん畜ちく生しょう! あら厭いやばん、此こな方たのそくしゃあか、冗ぞう談だんしんさんな﹂ ﹁成程、分る。肱鉄砲の時に使うんだね。冗談しんさんなは優しくて好い﹂ ﹁こなたのそくしゃあかとは何ういう意味だね?﹂ と団さんが訊くと、 ﹁この人の厚かましくて厭らしいこと、です。旦那のことよ。オホヽヽヽヽヽヽ﹂ とお芳さんはお膳を引き始めた。 夕食後未だ日ひあ脚しがあるので慾が出た。明日の足しに少しでも見物して置こうと宿の男衆を案内にソロ〳〵出掛けた。殿様を祀った松原神社というのは直ぐ向いだった。楠の大木が何本も生えている。 ﹁此処は楠の多いところですな﹂ と三輪さんは嬉しがった。 ﹁楠の木が多かけん﹂ と言いかけて、 ﹁楠の木が多いですから、蒟こん蒻にゃくの化物が出ると申します﹂ と男衆は標準語に改めた。 ﹁蒟蒻の化物? 何どういう因縁だね?﹂ とお父さんが訊いた。 ﹁さあ、次わ第けは存じませぬが、昔から然そう申します。現にこの間も私の朋ほう輩ばいが見たそうです。雨の晩でした。﹃昔はこぎゃんした晩には蒟蒻の化物が出おったばってんこの節は世の中が開けたけん﹄と言いながら、この向う通りを歩いていますと、﹃にゃごとこくきゃあ!﹄と楠の木の上から大声がして、一丈余りの蒟蒻がだらりとばかり雨傘の上へ。ハッハヽヽヽヽ。大の男が三人傘を捨て下駄を脱いで、命から〴〵……ハッハヽヽヽ﹂ と男衆は痛快に笑った。 ﹁何かね、その蒟蒻には目鼻でもついているのかね?﹂ とお父さんは化物の正体を突き止めたかったが、青年は、 ﹁否いいえ、蒟蒻じゃけん、目も鼻もござッせん。唯いきない頭の上へ……いきない頭の上へだあいと……ハッハッハヽヽヽヽ﹂ と未まだ腹を抱えていて呂ろれ律つが廻らない。何がそんなに可笑しいのだろう? 元来が蒟蒻で、それが化物と来ているのだから到底要領を得難かった。 ﹁蛮人のユウモアは粗そほ笨んな代りに自然で雄大なところがある。蒟蒻の化物は荒削りで面白い﹂ と言ってお父さん丈けは喜んだ。 公園へ出て銅像を見た。 ﹁閑かん叟そう公こうでございます。此こっ方ちのは公に殉じゅ死んしをなされた古ふる川かわ松しょ根うこ翁んおうです﹂ と男衆は改まって案内役を勤めた。 ﹁まあ、殉死!﹂ と田鶴子さんが暗い顔をした。無駄口の多い連中も流さす石がに黙りこくって、この葉隠れ武士の典型に深い敬意を表した。 江藤さんの記念碑に着いた頃トボ〳〵日が暮れ始めた。殉死をした人、謀反をして斬られた人、妙に陰気なところが続く。 ﹁旦那方は明日は川かわ上かみへいらっしゃいますか?﹂ と男衆が訊いた。 ﹁川上は好いところだと聞いているが、時間の都合が悪くてね﹂ と団さんが答えた。 ﹁是非いらっしゃいませ。軌道車で一時間です。困わ難けはござッせん。佐賀へお出いでになって川上を御覧にならなくてはお話になりませんぞ﹂ ﹁何か見るものがあるかね?﹂ ﹁水が綺麗で、風景が好くて、鮎の名所です。彼あす処このは鱗うろこが金きん色いろで、あぎゃんした甘か鮎は日本国中何処にもなかと申します。焼いて柚ゆずの酢すをかけてお上あがったら頬が落ちますぞ﹂ お城の門まで行ったが、もう暗いので、壁に残った戦乱の弾たま痕あとは見えなかった。今度は夜景とあって、賑かな町筋へ引き返した。 ﹁矢張り、昔からの都会だね。ナカ〳〵大きな店が並んでいる﹂ とお父さんが言えば、 ﹁間口の広いのは地価の廉い証拠さ。しかし今の店のマルボーロは一寸綺麗だったね﹂ と団さんは貶けなしたり褒めたりする。本屋で鍋島論語を尋ね当てゝ、 ﹁三輪君﹂ とお父さんが振り返った時、僕達は三輪さんのいないのに気がついた。考えて見ると先刻から姿が見えなかったようだ。 ﹁何うしたんだろう?﹂ と店並を一軒々々に覗いて歩いたが、見つからない。 ﹁子供さんじゃなかけん、案じることはござッせん﹂ と男衆が言った。しかし気になるのでその儘宿へ引き返すと、 ﹁此処は松本屋というんだってね﹂ と三輪さんは寝転んでお茶を飲んでいた。何か買物をして来たらしかった。 ﹁何を言っているんだい? 心配したぜ﹂ と団さんが詰なじった。 ﹁此処の家の名前を知らなかったから僕も一寸心配したよ。松原神社を覚えていなかろうものなら迷子になるところだった。何処へ行っても宿屋の名前丈けは知って置く必要があるね。今女中に訊いて漸くホッと一息ついたところさ﹂ ﹁もう家が分ったんだから、気き味びの悪いことを言わずに気を落ちつけ給え。氷で些ちっと頭を冷しちゃ何うだい?﹂ ﹁家の名を聞いて漸く安心したところが宜い。日本人で愛アイ蘭リッ式シュ失ブ言ルの名人だから豪いよ﹂ とお父さんが笑った。第十三回
左側に美しい山の眺なが望めが続く。家の床の間の掛物を思い出させるような岩石や竹林がところ〴〵に見える。 ﹁好い景色ですね。真ほん正とうに絵のようだ﹂ と僕が言った。 ﹁否いいえ、景色が絵に似ているんじゃなくて、絵が景色に似ているのよ﹂ と田鶴子さんは僕を凹ませた。団さんの娘丈けあって時々こんな小理窟を言う。 厳きゅ木うら駅ぎえきで﹁佐さよ容ひめ姫やし屋き敷あ跡と、東南一里︵徒歩約一時間︶﹂という案内標を見かけた時、 ﹁佐容姫って何だっけね?﹂ と団さんが訊いた。 ﹁良おっ人との後を恋こい慕したい、石になったる松まつ浦らが潟た、領ひれ巾ふる振や山まの悲かなしみも……﹂ とお父さんは浄じょ瑠うる璃りの文句をその儘に答えた。 ﹁石になった口かい? 僕は蛇になったんだと勘違いをしていた﹂ と三輪さんが言った。 ﹁蛇は清きよ姫ひめで日ひだ高かが川わよ﹂ と田鶴子さんは婦人として万一の場合の化け方を一々心得ている。 鬼おに塚づかへ来ると直ぐ右がその松浦川で次は唐から津つ、下りるが早く博多屋というのへ案内された。 ﹁暑い〳〵。斯う暑いと慾も徳もなくなってしまう﹂ と言って畳の上に落ちつくとその儘横になりたがる団さんを促して、僕達は暫ざん時じ休憩の後、例の通り俥を連ねて見物に出掛けた。 ﹁車屋さん、此処も鉄道馬車かい?﹂ と団さんは町中の線路へ差しかゝった時訊いた。 ﹁此処んとは軌道車でござす﹂ と車屋が答えた。折から真黒な機関車が漏じょ斗うご形がたの煙突から黒煙を吐きながらやって来た。トコ〳〵〳〵と十九世紀の音を立てゝ悠長なものだ。 ﹁あれでござす。あの通り煤すすを吐くけん、町中の店々は大迷惑でござす﹂ と車屋はこの交通機関に好意を持っていないらしい。 お城の跡が公園になっている。可なり高い丘で見晴らしはこの上もない。 ﹁唐津は丁度城公園級の都会だね﹂ と団さんが言った。団さんの説によると一番下は横幅のない褌ふん町どしまちで、その次は十万石以下の城下町、これには相そう応おう幅ふく員いんがあって、公園は必ず城跡だとある。 ﹁虹の松原と西の松原が両の翼で、彼あす処この鳥島が嘴、此処が咽喉で、城下が胴体に当ると申します﹂ と車屋の甲が舞鶴城の由来を説明して呉れた。 ﹁成程、大きな鶴だね。軍いく人さにんもナカ〳〵想イマ像ジネ力ーションが発達していたと見える﹂ と三輪さんが感心した。 ﹁あいです。あいが領ひえ巾ふう振や山まです﹂ と車屋の乙が虹の松原の彼むこ方うの山を指さした。九州は深く入るにつれてラ行の発音が怪しくなって来る。 ﹁ふうむ。あんな高いところから佐容姫さんがハンカチを振って別れを惜んだんだね﹂ とお父さんは眺め入った。 ﹁あいが松浦橋です。三百六十間あいます、あぎゃん長か橋は日本国中になかと申します﹂ と車屋の丙が紹介した。此処の車屋は芝居の腰元や武士のように順々に口を利く。 ﹁松浦橋に松浦川に松浦潟か? 此処は統一的で宜い﹂ と団さんが褒めた。 ﹁松浦橋の少し上に松浦石がございます﹂ と車屋の丁が教えて呉れた。 ﹁まあ、松浦姫の石が真ほん正とうに残っているんですか?﹂ と田鶴子さんが好奇心を動かした。 ﹁何と申しても虹の松原が一番の名所でございます﹂ と車屋の戊が言った。これで、 ﹁さあ、参りましょう﹂ と一同声を揃えれば全まる然で芝居だ。 松浦橋は実際長かったが、最も早う大分老朽と見えてユラ〳〵している。渡って右へ折れると間もなく松原へ出た。 ﹁この松原は虹の形をしていますので虹の松原と申します﹂ と三輪さんの車屋が説明を始めた。 ﹁好い松が揃っているね。千代の松原よりも此こっ方ちの方が好いようだ﹂ と三輪さんが褒めると、 ﹁何誰もそぎゃんにいわっしゃいます﹂ ところへ例の軌道車がポッ〳〵と喘あえぎながらやって来た。 ﹁あんなに煤煙を吹っかけちゃ松が枯れてしまうだろうね?﹂ と三輪さんが心配した。 ﹁松の為めにも好くないと申します﹂ と車屋は軌道車を目の敵にしている。 ﹁三輪君は名君だからね。始終草そう木もくのことまで苦労にしている﹂ と前の車からお父さんが振り返った。 ﹁こんな松は節が多くて余り好い材木にはならないよ﹂ と一番後うし方ろから団さんが交ぜっ返した。実利家は何でも潰しの値段で来るから敵かなわない。 ﹁坊ちゃん、この松原は蝉が多かろそなところですが、一つも鳴いて居らんでしょう?﹂ と僕の車屋は僕を小学生と認めた。 ﹁成程、鳴いていないね﹂ と僕は耳を澄ました。 ﹁これには面白い謂いわれがあります。昔太閤さんが此処をお通りになった時、蝉が鳴き居りましたのを﹃喧やかましか!﹄とお怒りになったと申します。それ以来虹の松原では夏の真盛りでも蝉は決して鳴きません﹂ ﹁面白いね。海が近いから蝉が来ないのか知ら?﹂ と三輪さんが言っても、 ﹁そんなことはございません。唐津公園では鳴き居りましたろうがな﹂ と車屋は何処までも関白の御威光の然らしめたところと信じ切っている。 ﹁それは然うと馬鹿に長いね、この松原は?﹂ と団さんはソロ〳〵退屈して来た。 ﹁長うございますとも。端から端までは一里八合ございます﹂ とこれは先刻松浦橋の長さを自慢した男だ。 ﹁一里八合? 八合とは切り刻んで面白い言い方だね﹂ ﹁九州では何処でも一里八合とか一里五合とかと言うよ。里りて程いひ標ょうにも然そう書くぜ﹂ と三輪さんは熊本生れ丈けにこの辺の消息に通じている。 ﹁一里八合は分ったが、そんなに松の木の間を歩いたって仕方がないじゃないか?﹂ ﹁最も早う其処が二軒茶屋でございます。遊園地まで参って引き返しましょう﹂ と車屋が言った。 ﹁何うだね? 少し休もうじゃないか?﹂ とお父さんが発ほっ起きして、僕達は二軒茶屋へ寄り込んだ。 ﹁お茶でしょうかね? これは﹂ と田鶴子さんは最初は躊躇したが、草くさ茶ちゃといって薬ですと聞くと、無暗に飲んだ。僕も名物のおこしを夥したたか食べた。 又少しば時らく行ってから、 ﹁坊ちゃん、太閤さんの御威光は素晴らしいものです。この辺の松は皆小さいでしょうがな?﹂ と僕の車屋が左側を頤あごでしゃくりながら話しかけた。 ﹁小松ばかり生えているね﹂ と僕は又太閤が叱ったのだろうと思った。 ﹁この辺を太閤睨みの松と申します。昔太閤さんが此処から朝鮮を睨みつけました。その御威光でこの辺の松ばかりはその頃の儘一向伸びません﹂ ﹁蝉も鳴けん、松の木も睨まえちゃう、真ほん正とじゃおか知あん﹂ と田鶴子さんの車屋の呂ろれ律つの廻らない男も感想を述べた。 遊園地から海岸へ出た。漁師が網を曳いていた。振り返ると松原の上から領巾振山が見下している。 ﹁矢っ張り女性的な山ね﹂ と田鶴子さんが懐しがった。 帰途橋のところから少し溯さかのぼって松浦岩に敬意を表した。潮の加減で側そばまで行けないのは遺憾だったが、案の外大きなもので、築山ぐらいある。幾つかは割れて、間から枝振の好い松が一本生えている。 ﹁大きな岩ね﹂ と田鶴子さんも驚いたようだった。 ﹁お前のお母さんぐらいな大女だったと見えるね﹂ と団さんが言った。 ﹁厭なお父さん! 佐容姫はこの辺で身を投げたんですわ﹂ ﹁そんなことが何かにあったかなあ?﹂ とお父さんが本気にした。 ﹁そうして死骸が海へ流れてしまって揚がらなかったもんですから、里人達は石になったと思い込んだんでしょう﹂ と田鶴子さんは新しい解釈を下した。 昨日は一日雨に降られた。唐津からこの長崎までの間車窓の景色さえも碌々楽むことが叶わなかった。物事が都合好く運ばないと他ひ人とに罪を着せたがるのが人情の常だ。僕は学校が後おくれると女中やお母さんの所せ為いにする。ところが天候が如何に思わしくなくても、苦情の持ち込みどころがない結果として、然ういう時には天気予報が兎角問題になる。平ふだ常んは全く無頓着でいるが、雨が降ると不快感の洩らし口を探す為めに新聞の欄外を検めるのだから性た質ちが悪い。 ﹁見給え。この大雨に晴れとあるんだからね。田舎の測候所は全く信あ拠てにならないよ﹂ と先ず団さんが貶けなし始めた。 ﹁東京の気象台だって中あたらない方が多いよ。而も的中率は世界の何処のにも遜色がないと言って力りきんでいるから好い気なものさ。天気予報そのものが未まだ成っていないんだね﹂ とお父さんが相槌を打った。 ﹁僕は早晩養子を貰うんだけれど、気象台へ勤めている人の子丈けは御免蒙ることにしている﹂ と三輪さんも悪意を表明した。 ﹁何故さ?﹂ とお父さんが訊くと、 ﹁何しろ嘘は親からして吐き放題だからね。家庭教育も何もあったもんじゃなかろうと思うよ﹂ ﹁然そうとも〳〵。こんな大雨の日に晴れると言えば嘘に相違ない。その嘘も官費で吐つく。僕達も嘘を吐かないことはないが、私し費ひで吐くんだから、他ひ人とに迷惑をかけない。官費で嘘を吐く商売は気象台丈けだろうね? 早い話が嘘は泥棒の始まり、親からして毎日人を瞞だましていたんじゃ迚とても善い子は出来ない﹂ と団さんが言えば、お父さんも、 ﹁官費で而も社会の木ぼく鐸たくを利用して天下国家を欺く。仕掛けが大きいや。僕は寧むしろ羨ましいくらいだよ﹂ ﹁親がその通りじゃ子供に向って、﹃お前方は嘘を吐いちゃいけない﹄とはよもや言えまい。﹃それなら伺いますが、お父さん、今日の予報は何うしたものでございますか?﹄と反問されゝばグウの音ねも出ないからね﹂ と三輪さんもナカ〳〵やる。 ﹁夫婦間の愛情も怪しいもんだぜ。七生しょうまでも変らないという口の下から空模様が変って来るんだから、細君も危い話さ。青天の霹へき靂れき、﹃さあ、出て行け!﹄と突き出されても、石垣島の低気圧が俄然方向を変えたんだと言われゝばそれ迄だからね。これは好いことを聞いたよ。僕も最も早うソロ〳〵娘を嫁にやるんだが、気象台関係者丈けは原則として御免蒙ることにしよう。田鶴子、お前も承知だろうね?﹂ と団さんが笑った。 ﹁私は何処へも行きませんわ﹂ と田鶴子さんは真まに受けた。女の子は大抵こんなことを言う。 さて、今日は昨日に引き換えた日本晴、一同の御機嫌も三国一だった。現金なものだ。朝御飯中団さんは長崎日日新聞というのを翻ひるがえしながら、 ﹁晴れとある。感心に今日のは中あたっているよ﹂ と言った。 ﹁豪いね。昨夜此処へ着いた時の塩あん梅ばいじゃ迚とても晴れる見込はなかったが、矢っ張り餅は餅屋さ﹂ とお父さんが敬意を表した。 ﹁天気にさえなれば予報なんか何どうでも宜いいよ﹂ と三輪さんは天真爛漫だ。 ﹁酷ひどい男だね。外はずれた時丈け問題にする。小局部の天気予報は寧ろ枝葉のことなんだが、気象台は生憎とそれ丈けで民衆に接しているから、好いところが見えなくて可哀そうだよ﹂ と団さんは自分のことは棚へ揚げた。 間もなく昨夜宿屋へ送り込んで呉れた渡辺さんが訪ねて来た。一礼を述べた後、 ﹁案内して貰えればこの上なしだが、忙しいだろうね?﹂ とお父さんが言った。 ﹁忙しいさ。しかし今日は日曜だよ。相変らず七曜ようを超越しているね﹂ と渡辺さんは遠慮がない。 ﹁次じせ席きって奴は忙しいってね。何日支店長になれるんだい?﹂ と団さんが訊いた。 ﹁前途遼遠だね。順番の廻って来るまでに頭が真白になりそうだよ﹂ ﹁成程、大分白くなったね。しかし髭丈けは不思議に真黒だ。髭の方は二十年若うございますからと言った奴があるそうだが、君も髭青年の組だね﹂ と三輪さんが批評した。 ﹁待てよ。この前会ったのは一おと昨と年しだったね。あの時はこんなじゃなかった。然そう〳〵、白髪は一本もないと言って自慢していたじゃないか?﹂ と団さんが怪んだ。 ﹁親父が死んだんでね﹂ ﹁然う〳〵、もう時じこ効うにかゝった積りでお悔くやみは略していたが……﹂ とお父さんは軽く頭を下げた。 ﹁白髪は心配すると急に生える。一晩の中に真白になるのが小説には能よくあるぜ﹂ と三輪さんは小説と現実の差別がない。 ﹁心配じゃない。安心さ﹂ ﹁安心して白髪が生えたのかい? 不思議なこともあるもんだ﹂ ﹁小説にもないだろう。親父が生きている間息子が余り白くなっちゃ死に急がせると思って染めていたのさ。諸君を瞞まん着ちゃくした形はあるが、事情止むを得ない﹂ と渡辺さんは悪びれた様子もなかった。 ﹁流さす石がに孝子は違ったものだ。こんな善い動機で白髪を染めるものは斎さい藤とう実さね盛もり以来稀まれだろうね﹂ とお父さんが褒めた。 ﹁当てつけるなよ﹂ と密ひそかに黒チックというのを利用して黒がっている団さんが笑った。 ﹁動機の悪いのが随分あるよ。此処の実業界の重じゅ鎮うちんには仮かつ髪らを被かぶっている禿はげ頭あたまがある。用意周到な男で、刈り立てのと十日伸びのと二十日伸びのを持っている。この三通りの仮髪を順繰りに十日毎に被り換えるから、長崎市全体が瞞着されている。独り僕丈けは蛇の道は蛇で大将がその仮髪を註文する大阪の店まで知っているから可お笑かしくて仕様がない﹂ と渡辺さんは長崎の消息にはこんな微細な人事にまで通じている。 ﹁巧いことを考えたもんだね。三段伸びなら容易に露ろけ顕んしまいて﹂ と団さんが感心した。 ﹁しかし被っている丈けじゃ気が咎めると見えて種いろ々いろと策を弄するからナカ〳〵骨が折れるようだよ。斯うやって話していても時々思い出したように頭を掻く。﹃君は雲ふ脂け取り香水は何を使っているかね?﹄なんて突然訊く。この間道で行き会ったら、﹃や、好いお天気ですね、これから一寸散髪屋へ参ります﹄と言ったのには僕も呆れてしまった﹂ ﹁何どういう動機だろうね?﹂ と三輪さんが訊くと、 ﹁要するに若く見えて芸者にでも好評を博そうというのさ。社会の為めに若返り法をやろうなんて奴は一人もないよ﹂ と渡辺さんはナカ〳〵手厳しい。 ﹁時にソロ〳〵お引き廻しを願おうか?﹂ とお父さんが言うと、渡辺さんは、 ﹁早く支度をし給え、自動車が待っている﹂ 長崎も居きょ留りゅ地うちを見なければ貿易港気分は味わえないとあって、先ず大浦へと志こころざした。電車道へ出ると間もなく洋館の並んだ海岸を一直線に走って、長崎ホテルのところから又直ぐに引き返した。 ﹁涼しいね。斯ういう風のないところへ来ては自動車で疾走するに限る﹂ と団さんは喜んでいたが、 ﹁余あんまり速いので何が何だか分らなかった。矢張り下りて見ないと駄目だよ﹂ と三輪さんは稍や不平だった。 ﹁それじゃもう一遍行こうか? 見物の程度が判はっ然きりしないものだから悪かったね﹂ と渡辺さんが気の毒がった。 ﹁結構だよ﹂ とお父さんが言った。 ﹁未だ裏の方に相応見るものがあったんだよ。そら、坊ちゃんもお嬢さんも御覧なさい。あの山の上のは海かい星せい学がっ校こうといって東京の暁ぎょ星うせいと同じような西洋人の学校です。あの辺から海岸までが一帯に居留地です﹂ と渡辺さんは説明の足し前をして呉れた。 大おお波は止とでは三輪さんの註文通り下りて見た。 ﹁船は此処から出ます。上シャ海ンハイまで三十六時間釜山まで十時間です﹂ と団さんは渡辺さんの口真似をした。 ﹁あの円い大砲の玉は何のお呪まじ禁ないだね?﹂ とお父さんは自動車が動き出してから訊いた。 ﹁あれが﹃玉はあれども大砲なし﹄という長崎七不思議の一つさ﹂ と渡辺さんが答えた。 ﹁七不思議ってのは何だね?﹂ ﹁さあ、然そう手帳を出されると責任観念が頭を擡もたげて来て困るが、此処の名所の歌だよ。斯ういうのさ。﹃長崎の七不思議、寺もないのに大だい徳とく寺じ、平ひら地ちなところを丸まる山やまと、古いお宮を若宮と、北にあるのを西山と、桜もないのに桜馬場、玉はあれども大砲なし、しゃんと立ったる松の木を、下さがり松とは、これで七不思議﹄さ。長いもんだろう?﹂ ﹁長崎の褌ふんどしという奴だね。もう一遍言って呉れ給え。途中で迷子になってしまった﹂ ﹁僕が書いてやろう﹂ ﹁七不思議じゃない。七なな矛むじ盾ゅんだ。長崎の七矛盾渡辺の親孝行、安心で毛が白い……﹂ と団さんが交まぜ返した。 ﹁上海まで一昼夜半とは近いもんだね。東京へ行くのと余り変らないじゃないか?﹂ と三輪さんが言った。 ﹁時間数は丁度同じだけれど、船に乗って寝てしまえば後は世話がないから、此こっ方ちでは上海よりも東京の方を外国と思っている。支那朝鮮への出稼人の多いこと、土地の人で彼あっ方ちに親類のないものは一人もいないと言って宜いいくらいだ﹂ と渡辺さんが応接した。 ﹁流さす石がに西の端はてだね。町の様子が何だか異国風だ。大変遠いところへ来たような気がするよ﹂ とお父さんが僕の感想まで述べて呉れた。 ﹁案外気が弱いんだね﹂ ﹁この二人は何かというと里さと心ごころを起すんでね、道々御機嫌を取るのが大骨折りさ。一日々々家へ近くなるような手順で旅をしたいという註文だから無理だろう? 随って此処から鹿児島までは全速力で行かなけりゃならない﹂ と団さんが話に輪をかけた。 ﹁それじゃ矢っ張り今夜立つんだね?﹂ ﹁僕はゆっくり異国情調を味わって行きたいんだが、何分聴き分けがないからね﹂ ﹁此処が停ステ車ーシ場ョンだね。ナカ〳〵立派だ。昨夜はどしゃ降りで碌すっぽ見なかったが……﹂ と三輪さんは頻りに首を伸した。 ﹁安心し給えよ。今夜此処から立つんだから﹂ と団さんは今日は無暗に活躍する。 ﹁そんなに家が恋しいんじゃ迚とても海外発展どころの沙汰じゃないね。些っと天あま草くさ女おんなの爪の垢あかでも煎せんじて飲むと宜い﹂ ﹁家庭発展党、嚊かかあ大明神と来ている﹂ ﹁然そう〳〵、此処は天草が近いんだね。天草なんて聞くと小学校の地理以来だから全く隔世の感があるよ﹂ とお父さんは又問題になりそうなことを言った。 ﹁この向う岸が稲いな佐さだよ。長崎は船着き場だから宜しくないところが発達しているが、稲佐は殊に宜しくないところさ﹂ と渡辺さんは対岸を擯ひん斥せきした。 少しば時らく談はな話しが途切れた後、 ﹁坊ちゃんは写真をおやりですね?﹂ と渡辺さんは僕の持っていた写真機に目を止めた。 ﹁否いいえ、田鶴子さんがおやりです﹂ と僕が答えた。 ﹁一つ御伝授を願いたいものですな。私もついこの間から道楽に始めましたが、何うもいけません。失しく策じってばかりいます。殊に先日は妻さいを卒倒させてしまいましてな﹂ ﹁危い写真師だね。何うしたんだい?﹂ と早速団さんが口を出した。 ﹁ピントの具合を考えて余あんまり長く炎天に立たせて置いたもんだから日に廻されたのさ。ところが女中は今の話の天草生れで岩乗な奴だから何いく程ら写しても平気だ。しかし面白いんだよ。折角焼いてやったら、こんな耳の片一方しか写っていない写真は郷里に送れませんだってさ。少し横向きなら誰でも斯うなると説明してやっても腑に落ちない﹂ ﹁面白いね。兎じゃあるまいし﹂ ﹁目が二つ写って耳丈け一つという法はあり得ないと確信している。子供の描いた絵にさえ耳は屹度二つある等と理窟を言う。要するに僕の技術を信じないからだろうが、天草というところは余程原げん始して的きらしいよ﹂ と言って渡辺さんは大笑いをした。 彼れ此れする中に田圃に出て間もなく浦上の天主堂に着いた。折から礼らい拝はいが終ったところで信徒がゾロ〳〵出て来る。 ﹁お嬢さん、あのお婆さん達の前掛を御覧なさい﹂ と渡辺さんが田鶴子さんの注意を呼んだ。 ﹁まあ、前掛でしょうか? 袴のようですわね﹂ と田鶴子さんが打うち目ま戍もった。 ﹁あれが三幅はば前まえ垂だれといって、昔からこの地方特有のものだそうです﹂ ﹁婆さん達が手を引き合って会堂から出て来るところは一寸奇観だね。爺さんも大勢いる。東京では教会といえば青年の行くところに定きまっているようだが﹂ と中年になってから教会へ御無沙汰をしているお父さんが感に入った。 ﹁此処のは東京辺の温室作りの教会員とは違うよ。命がけで信仰を持ち続けた連中の子孫ばかりだからね。この山やま里ざと村むらは七分通り信徒だそうだよ﹂ ﹁星野君が羨しがりそうなところだね﹂ ﹁何にしても大きなものだ。そうして未だ新しいようだね?﹂ と会堂へ入って耶ヤ蘇ソ一代記の油絵を仰ぎ見ながら団さんが言った。 ﹁然うだね。材料の寄附は勿論、運搬から組立まで悉すっ皆かり信徒ばかりの手でやったそうだよ﹂ ﹁おや〳〵、﹃婚姻の公告﹄とあるぜ﹂ と掲示場のところへ出た時三輪さんが立ち止まった。そうして、 ﹁お婿さんはペトロ深堀甚三郎二十一歳、父ルドウィコ善八か、面白い名前だね﹂ ﹁お嫁さんがマリヤ深堀初子十七歳。十七歳は些ちっと若過ぎる。早婚の嫌いがあるね。おや、お婿さんと同姓だぜ。して見ると血族結婚かも知れない﹂ とお父さんが余計な心配をした。 ﹁信徒以外のものと縁組をしないから自然そういうことにもなるのだろうさ﹂ と渡辺さんが言った。 ﹁苦情があるなら申し出て呉れと書いてあるよ﹂ と団さんも神妙に読んでいる。 ﹁父ミカエル黒助は好いね﹂ とお父さんは手帳に書き留め始めた。 ﹁如何にも切キリ支シタ丹ンらしい名前ばかりですね﹂ と田鶴子さんも珍しがった。 引き返してお諏す訪わさんへ向う途中、 ﹁村岡君は信者だったね?﹂ と渡辺さんが山里村から連想したのか不意に尋ねた。 ﹁まあ然うだね﹂ ﹁まあ然うだは旗き幟し鮮明を欠いているね﹂ と団さんが言った。 ﹁もう卒業してしまったんだね。昔なら転ころび切支丹というところか﹂ ﹁転び切支丹て何だい?﹂ とお父さんも気になると見えた。 ﹁何でも昔京都の四条河原とかで切支丹を刑に処した時のことだと言ったよ。信徒を俵の中に入れて置いて、﹃改宗して良民に戻るものは命を助けてやるから転げて来い﹄という申渡さ。信仰の固い俵は貧乏揺ぎもしなかったが、弱いのは河原をコロ〳〵と転げて来たそうだ。それで転び切支丹とか転び証文とかという言葉が極く普通になったらしい。邪じゃ宗しゅ門うもんころび家かし旨かい改ちょ帳うなんてのが此処の県立図書館に残っている。切支丹禁制時代の書類だの踏ふみ絵えだのが沢山あるから調べるなら寄って見ようか﹂ ﹁宜いいよ〳〵。転びぐらい常識でも分る。不みず見て転んという言葉もあるじゃないか?﹂ と団さんが遮った。 商品陳列所を一寸覗いてから諏訪神社の石段を登りながら、 ﹁お嬢さんやお坊ちゃんに此処のお祭まつ典りを御覧に入れたいですよ﹂ と渡辺さんは僕達の相手をして呉れた。そうして、 ﹁長崎三馬鹿の一つになっています。上海あたりから西洋人が態わざ見物に来るといったくらいのものです﹂ ﹁三馬鹿って何でございますの?﹂ と田鶴子さんが訊いた。 ﹁お諏訪さんのお祭典とお盆と凧揚げに馬鹿々々しい金を使うので、これを三馬鹿と申します﹂ ﹁何、三馬鹿だって? 僕達のことだろう? 子供に親の悪口を言って聞かせちゃ困るよ﹂ と坂となると意気地のない団さんが息をはずませながら追いついた。 山の上からは長崎中が一目に見える。 ﹁大分船が入っている。宿の三階からも見えたが、三越の造船所は大きなものだね﹂ と三輪さんは三みつ菱びしも三みつ井いも差別がない。 ﹁みどり屋は何どの辺だろう?﹂ とお父さんが頻りに物色した。 ﹁あの白い建物が県庁だから、先ずあの見当だね。狭いだろう? 何しろこの通り山を背負っているから最も早う発展の余地がない﹂ と渡辺さんは目ぼしいところを彼あっ方ちこ此っ方ち指さして教えて呉れた。 ﹁平地の乏しい関係からその辺の山腹は悉すっ皆かり墓地に利用してある。此処のお盆は陽気なものだぜ。墓地へ提燈を点ともすのは何処も同じだが、此処のは数が多い。大たい家けとなると二百三百と桁けたにして吊るすから山はイルミネーションのようで町まち中なかまで明るくなる。その提燈の下で一家眷けん属ぞくが、然そうだねえ、十時頃まで酒を飲む、御馳走を食べる、爆ばく竹ちくをやる。宛まる然でお祭り騒ぎさ。墓地を引き揚げると今度は燈籠流しというのをやる。これが又盛んなものでね。先刻寄ったあの大波止へ種いろ々いろの恰好に拵えた燈籠を持って此方からは勿論稲佐辺からもジャン〳〵銅ど鑼らを鳴らして集まって来る。此処から見ていると綺麗だぜ﹂ ﹁余程異かわっているね。支那の影響か知ら?﹂ とお父さんが言った。 ﹁然そうさね。銅鑼や爆竹は確かに支那のものだが﹂ 本殿の横に青銅の馬が立っている。この馬の為めにこの神社は馬ホー寺ス・テンプルという名前で外国の観光客社会に知られているそうだ。西洋人が能く来ると見えて、英文御みく籤じというのを社務所で売っている。 ﹁此処のお祭まつ典りは踊りが呼物だね﹂ と渡辺さんは順を追って三馬鹿を説き尽す積りと見えた。 ﹁町々で思しこ考うを凝らした踊りを奉納する。主に芸者が出るが、あゝいう宜しくないのが公共の為めに、寄附をする筈はないから、衣裳万端当該町民が負担しなければならない。これが大変な金きん高だかのようだよ。三馬鹿の三馬鹿たる所ゆえ以んさ﹂ ﹁酷評をするね。君は見たことがあるかい?﹂ と団さんは稍不服らしかった。 ﹁宜しくないものゝ舞踊を見物してやるのは間接援助を与えるようなものだからね。しかし蛇じゃ踊おどり等は罪がなくて好い﹂ ﹁蛇踊りってのは男ばかりかい?﹂ ﹁然うさ。龍が玉を取るところをやるんだよ。長さ二十何間とかあって顔は無論鱗や腹の具合が精巧を極めたものだよ。三馬鹿だからお祭典となると費用も時間も惜しまないからね。この龍が妙なお揃いの装束をした十数名の若い者に竿の先で支えられながら町を練り歩く。別に金の玉を矢張り竿の先につけた男がそれを或は高く或は低く翳かざしながら踊り廻る。すると龍の方の係りも竿を上げたり下したりする。巧く呼吸が合うと丁度龍が玉を狙って空中を飛躍するように見えて大喝采さ。あれ丈けは実際坊ちゃんやお嬢さんの御覧に入れたいですよ﹂ 自動車に戻ってカルルスへ行くまでに三馬鹿が完結した。 ﹁坊ちゃん、此処は凧揚げが名物です。凧といわずにはたといいます。四月の花時になると彼あっ方ちこ此っ方ちでやります。何日には金こん比ぴら羅や山まにはた揚げがある等と電車の中に広告が出ます。唯揚げるのでなくて切りっこですから見物が押しかけます。糸目から少し下のところへビードロヨマといって金こん剛ごう砂しゃ見みたようなものをつけて置きます。其処へ相手の糸を引っ絡からめて切り飛ばすんです﹂ ﹁そんな詰まらないことを見に行くものがあるのかね?﹂ と団さんが言った。 ﹁あるとも。合かっ戦せん場ばへ飲食店が出張して矢っ張りお祭まつ典り騒ぎさ。凧その物よりも大勢集まってワイ〳〵いうところが此処の人の弥次馬根性に投じるんだね。しかし勝負だから真剣になる。切られては買い切られては買い後を引くものと見えて、凧揚げのことをつぶらかしというくらいだ﹂ ﹁身しん上しょうを潰すのかい?﹂ ﹁然そうさ。切られた凧は絶対に拾しゅ得うと者くしゃのものになる。これは昔からの不文律だと見えて、取る方も取られる方も平気だから面白い。一つ切られると糸共に五円乃至十円飛んで行く勘定になるそうだから、季節中毎日二つも三つも切られて酒を飲んでいれば小さい身上は実際潰れてしまう。すべて勝負ごとは何に限らず悪い惰だせ性いを伴って本業を怠らせるから要するに皆つぶらかしに帰着する﹂ と渡辺さんは修身の先生のようなことを言った。 カルルス温泉に着くと直ぐお湯に入って汗を流した。渡辺さんが予あらかじめ命じて置いて呉れたと見えて待つ間もなくお昼御飯になった。豚の角煮という奴から長崎料理を初めとして此処の名物の話に花が咲いた。渡辺さんは長崎カステラを葡ポル萄トガ牙ルの語源まで引用して推すい奨しょうした。何処へ行っても堂々たる大人が食物の評論に力瘤を入れるのは可お笑かしい現象だ。 ﹁何だか湿っぽくて僕等は余り感心しない﹂ と団さんが貶けなせば、 ﹁彼あす処こが好いのさ。そうしてジャリッと粗ざら目めが歯に当るところは何ともいえないと此処の人は言っている。東京のはパク〳〵していて宛まる然で食パンのようだよ﹂ という調子だ。 ﹁食パンは好いのがあるかね?﹂ とお父さんが訊いた。 ﹁あるとも。居留地を控えているからパンはこの上なしだ﹂ ﹁それじゃ一等国だね。僕の友人には食パンがその土地の文化の物差だと主張する男がある。この男の説によると人口一万以下の町には食パンが全然ないそうだ。即ち文化がないということになる。一二万の町のは酸すっぱくて、二三万台で漸く形が出来、四五万から先ず食えるが、十万でないと真ほん正とうのにはありつけないと悉すっ皆かり統計を取っている。教員をして日本国中を流浪して歩くから精くわしいものさ。今は岡山にいるが、彼あす処こは十万と号してその実七八万しかない証拠に上等の食パンは神戸から取り寄せると言っていたよ﹂ ﹁確かに一説だね﹂ と渡辺さんが頷いた。 食事が済むと団さんは、 ﹁自動車のお蔭で大変時間が余ったね。今度は徒か歩ちで具つぶさに下情を視察するんだから、少し涼しくなるまで寛ろごうじゃないか?﹂ と模範を示す為めか脇息に頭を載せて寝転んでしまった。すると女中が枕を持って来て呉れた。 ﹁僕はもう一遍お湯に入って来よう﹂ と三輪さんは何う気が向いたのか手拭を提げて下りて行った。 少しば時らくすると一間隔てゝ三味線の音が聞え、次いで何か歌い出した。 ﹁嬌きょ音うおんが洩れるね﹂ ﹁鴨おう緑りょ江っこ節うぶしだよ﹂ とお父さんと団さんが耳を澄ました。 ﹁此処は料理屋だから兎角宜しくないものが出しゅ入つにゅうする。何どうです? もうソロ〳〵出掛けましょうか?﹂ と渡辺さんは僕と田鶴子さんの方を見て言った。 ﹁否、結構だよ。浴後一杯の酒、陶然として酔った﹂ と団さんは動こうともしない。 その中に奥座敷は益賑かになった。 ﹁……三みつ菱びしドックにお諏す訪わの月見、花はカルルス桜に菊人形、夜は丸山、寺もないのに大徳寺……﹂ と隔ての間が明けっ放しだから歌の文句が手に取るように聞える。 ﹁長崎名物だね。もう一遍歌わないか知ら﹂ とお父さんは手帳を取り出した。 ﹁此奴は調ちょ法うほうだ。他ひ人との揚げた芸者で用が足りる﹂ と団さんが笑った。 ﹁三輪君、三輪君。もう出掛けるぜ﹂ と渡辺さんは寝ている三輪さんを呼び起した。 馬うま町まちの停留場へ出る途中、 ﹁此方は町が何処も敷しき石いしになっているから歩き宜いわね。これでは雨が降っても足駄は要りますまい﹂ と田鶴子さんはイソ〳〵して歩いた。全く心持ちの好いところだ。 ﹁坂道は皆みんな石いし畳だたみになっています。初めて来た人は何よりもこれが目につくようです﹂ と渡辺さんが言った。 電車から下りて浜ノ町へ差しかゝった。此処が一番賑かな通とおりだそうだ。名物の※べっ甲こう細ざい工く﹇#﹁敝/縄のつくり﹂、315-下-27﹈を売っている店みせ頭さきで、 ﹁何だ、﹃長崎の山から出たる月はよか、こんげん月はえっとなかばい﹄か。蜀しょ山くさ人んじんとある﹂ とお父さんは※﹇#﹁敝/縄のつくり﹂、316-上-3﹈甲の盆というのに惹きつけられた。 ﹁蜀山は此処で役人をしていたんだよ。しかしこの歌は少し違っている。確か﹃彦ひこ山さんの峰から出たる﹄というんだが、彦山の峰では地方的で世間へ通じが悪いから長崎の山と改めたらしい﹂ と渡辺さんが註ちゅ釈うしゃくをした。団さんは最も早う店へ入って※﹇#﹁敝/縄のつくり﹂、316-上-8﹈甲の櫛を見ている。例にないことなので、 ﹁細君へお土産を買うのかい﹂ と三輪さんが驚いた。 ﹁然そうさ。稀たまには何か買ってやらないと喧嘩の時に口が利けないからね﹂ ﹁僕も喧嘩の時の用心に買って行くかな﹂ とお父さんも漁あさり始め、 ﹁僕のところだって平和時代ばかりはない﹂ と三輪さんも田鶴子さんを顧問として夫それ〴〵買物をした。 ﹁未まだ洗粉と針が此処の名産だから、戦闘準備の為めに些っと仕入れて行くと宜いよ﹂ と渡辺さんは笑っていた。 間もなく丸山へ出た。大たい廈かこ高うろ楼うが両側に立ち並んでいた。商品が人間だそうだからナカ〳〵以て牛肉屋や鰻屋の比でない。 ﹁此処も素通りかね?﹂ と団さんが言うと、 ﹁こんな宜しくないところで手間を取っちゃ大変だよ﹂ と渡辺さんは急いだ。 大徳寺で一休みした。稍高台だから見晴らしが好い。 ﹁頻りにばってんをやっているね﹂ とお父さんは隣りの卓テー子ブルで氷を飲んでいる連中に耳を傾けた。 ﹁長崎ばってん江戸べらぼうか。ばってんは英語の but and の詰つまったものだというが、巧い抉こじつけじゃないか?﹂ と渡辺さんが言った。 ﹁面白いね。外国の影響の強いところだから、事実その通りかも知れないよ﹂ と三輪さんは大抵の説は受け容れる。 ﹁銀行のことをバンコというしね﹂ ﹁江戸長崎の国々といったり江戸の仇を長崎で討つといったりするから、兎に角昔から日本の果だったんだね。実際遠いところへ来たものさ﹂ とお父さんが言った。 ﹁それじゃ君は迚とても洋行なんか出来ないね。横浜を立って神戸へ着くと最も早う下りたくなる方だろう﹂ ﹁洋行となれば又覚悟があるさ﹂ ﹁詰まらないことを言っていないで、早く宿へ帰ってゆっくりしようじゃないか?﹂ と団さんが促した。 ﹁未まだ支しな那で寺らが残っているよ。さあもう一息だ。片付けてしまおう﹂ と渡辺さんが先に立った。 南ナン京キン米まい支しな那ま米いといえば日本の三等米以下と相場が定きまっているが、お寺も然そういう関係だろうと思っていたら、崇そう福ふく寺じはナカ〳〵立派だった。天明の飢饉の折にお粥の炊き出しをしたという大釜の罅ひびの入ったのが残っている。 ﹁当時矢張り支那米を輸入したんでしょうね?﹂ と僕の頭の中では支那寺と支那米が未まだ一緒になっていた。 ﹁支那人は死骸をその儘朱しゅ詰づめにして本国へ持って帰りますから、此処に能よく置いてあります。今日は見えないようですね?﹂ と渡辺さんは本堂の暗い隅を覗いた。 ﹁まあ、厭いやなことだ﹂ と田鶴子さんが首を縮めた。 ﹁流さす石がに保護建造物だね﹂ と団さんは石段を下りて山門を顧みながら、 ﹁もうこれで年ねん明あけか。随分引っ張り廻したね﹂ と渡辺さんにお礼を言った。第十四回
早朝長崎を立って、一おと昨と日いは雨で見られなかった沿道の景色を賞しながら一時過に大おお牟む田たに着いた。直ぐに三池鉱業所へ行ったが、団さんの訪ねた人は上京中とのことだった。しかし炭坑見学は頭あた株まかぶの人が快こころよく取り計らって呉れた。それも事務員を一名つけて自動車を差し廻して貰ったのには甚だ恐縮だった。
万まん田だこ坑うに着いて、主任の松田さんから種いろ々いろと説明を聞いた。
﹁炭坑は山だと思っていましたが、平地なのは案外です﹂
とお父さんが有りの儘の感想を述べた時、
﹁この通りの連中ですから、何うかお手軟かに願います﹂
と団さんが口を添えた。団さんは松田さんとは同年輩の工科出だし、この鉱業所以外にも共通の知人があるので、最も早う打ち解けて話す。
﹁此処が万田ですが……﹂
と松田さんは卓テー子ブルの上に地図を拡げて、三池の七坑というのを一々名を挙げて指さし示しめして呉れた後、
﹁山崩れのした跡等には断面に地層が幾つも判はっ然きり現れているでしょう? あの一層を悉すっ皆かり石炭と想像して見ると丁度炭層です。然ういう炭層が大浦坑から四ツ山坑まで数里の間十分の一勾こう配ばいで地下を通っています﹂
﹁十分の一勾配と申しますと?﹂
と三輪さんは数字になると覚おぼ束つかない。
﹁十尺進む毎に一尺下るのです。それからです炭層の始まる大浦坑は斜しゃ坑こうです。地表から炭層傾斜に沿って掘くっ鑿さくして行きます﹂
﹁此処の炭層は余程厚いですか?﹂
と団さんが訊いた。
﹁五尺乃至二十五尺ですが、平均八尺ですから八尺炭層と申します。十分の一傾斜ですから大浦を遠ざかるに従って深くなります。宮浦からは皆竪たて坑こうで、宮浦坑が深さ百七十六尺、七浦坑が二百三十七尺、勝かつ立たて宮みや原はらと経過してこの万田坑へ来ると八百九十六尺、四ツ山坑へ行くと千三百七十尺になって海の下で作業をしている次わ第けです﹂
﹁千三百七十尺! 成程、深いものですな。何里あるでしょう?﹂
﹁何里とはありませんよ。約二十八町です﹂
﹁二十八町にしても深い﹂
とお父さんも数の分り悪にくいことは三輪さんに譲らない。続いて、
﹁深いことその物は然う苦労にもなりませんが、排水と通気が大仕事です。採炭より寧むしろこの方に骨を折ります。此処では毎分間の排水量千百五十五立方呎フィート、通気量三十万立方呎という有様ですからね﹂
と来た時には、
﹁成程、大変ですね﹂
と諦めてしまった。
﹁一立方呎は一斗五升、又水一立方呎は六十六封ポン度ド半の重量がありますから、水約三十六立方呎で一噸トンになります﹂
と解説して呉れても、
﹁実際大変です﹂
で押し通した。
長ちょ壁うへ法きほ残うざ柱んち式ゅうしき等という採炭の方式から後始末の土どし砂ゃて填んじ充ゅう法ほうまで極く平易に説明した後、松田さんは又別の図を拡げて、
﹁この坑の中はこの通り四通八達の市街になっていまして、丁度京都全体ぐらいの大きさです。太い線になっているのが謂いわば目めぬ貫きの往来で石炭を搬ぶ電車が通っています。地下九百尺に大都会のあるのは面白いでしょう?﹂
﹁面白いですな。何処も皆みんなこんなに大きいのですか?﹂
と三輪さんが絵図を見詰めた。
﹁否いや、此処が今のところ一番繁昌で、一昼夜に二千噸出ます。三池の産炭額の過半を占めていますからね。他の坑を合せると丁度大阪市ぐらいになります﹂
﹁何うも有難うございました。お蔭で一ひと角かどの炭坑通になりましたよ﹂
と団さんが謝意を表した通り、僕も大いに得るところがあった。
﹁少しその辺を案内させますが、坑へ下りて御覧になりますか?﹂
と松田さんが言うと、三輪さんは、
﹁是非一つ﹂
とお辞儀をした。
﹁入って見るのかい?﹂
とお父さんは案外のように訊いた。
﹁入るさ、君達は?﹂
﹁さあ、僕はね……﹂
﹁僕も君に見て来て貰おうよ﹂
そこで三輪さん丈け入坑することになった。坑こう内ない着ぎをつけ坑内帽を被かぶり坑内靴を穿はいて、ランプを提げさせられた時には余り仕度が仰々しいので少し後悔したようだったが、今更何とも仕様がない。同じ服装をした男が案内に立った。僕達も後に跟ついて行って種々の設備を見せて貰い、間もなく昇エレ降ベー機ターのところへ来た。
﹁炭なら四十五秒、人間なら一分です﹂
と案内者が言っている中にガラ〳〵〳〵と石炭が上って来た。この昇降機は天ビロ鵞ー絨ドの腰掛や化粧鏡のついた生やさしいものでない。
﹁石炭と間違えられはしますまいかね?﹂
と三輪さんも案じたくらいだ。
﹁合図をしますから大丈夫です。この棒に捉っていないと危いですよ﹂
と案内者が注意したところを見ると間違えられなくても油断はならないのらしい。
﹁よし〳〵﹂
と頷く間に三輪さんの姿は消えてしまった。
﹁直ぐは出て来ないぜ。祇園へでも寄ってサイダーの一杯も飲んで来る積りだろうから、彼あっ方ちへ行って待っていよう﹂
と団さんが言った。
まさか間違はあるまいと思ったが、僕は心配を始めた。余ほかの人なら兎に角地面の上にいても失しく策じりの多い三輪さんだ。電車の中で他ひ人との読んでいる本を翻はぐったという放心家だから、前後を忘却して何どんな危いものに手を出すかも知れない。止めれば宜かったと悔んでいるところへ、
﹁暑い〳〵、何うも﹂
と先生達者で帰って来た。泥どろ雫しずくが坑内着から滴したたっている。
﹁溜らん〳〵、カラーがこんなにへな〳〵になってしまった﹂
辞して大牟田へ引き返す途中、
﹁何うだったね? 地獄の底は﹂
と団さんが訊いた。
﹁全く地獄の釜の底だよ﹂
と三輪さんは未だ汗を拭きながら、
﹁あんな暑い思いをしたことはない。京都のようだと言うから入る気になったが、あの昇エレ降ベー機ターを見た時には落がっ胆かりしたよ。しかし今更厭とも言えないんでね﹂
﹁然そうらしかったよ﹂
﹁ゴーッと少しば時らく雨のように落ちる滴の中を下りると又上る様な気がしたが、最も早う底に着いていた。真暗で足元が悪くて心細いことゝいったら! おまけに天井の針金には電流が通っていますから成るべく屈こごんで歩いて下さい等と案内の男が驚かすんだもの。炭車と電線さえ避ければ大丈夫だと思っていたら、突いき然なり馬と鉢合せをしてもう少しで噛まれるところだった。妻さいが身体を大だい切じにするようにと言ったのは斯ういうことだろうと地面の底で思い当ったよ﹂
﹁実際初めては目が慣れませんから馬ま子ごつきますが、少しば時らくすると平気になります。見学のお方はそれ迄の御辛抱が出来ませんのでね﹂
と同乗の事務員は三輪さんの大袈裟な報告を笑っていた。
﹁宮崎県は論外として熊本県は万事立ち後おくれの観がありますよ﹂
と三輪さんの兄さんが言った。
﹁何をやっても不器用だから仕方ありません。この頃都市計画を実行しました結果、海かい抜ばつ一千尺の荒あら尾おや山まというのが市の中へ入りました。すべてこの調子ですからね﹂
と同郷人の大掴みなのを笑った後、
﹁荒尾山や金きん峰ぽう山ざんが海から来る風を扼やくしていますので、熊本はこの通り夏暑くて冬寒いのです。気候と交通を改善する第一着手としては金峰山あたりをダイナマイトで吹き飛ばすに限ります﹂
と矢張り大ざっぱな説を吐いた。
さて、昨夜から一同此処で厄介になっている。団さんは宿屋へ泊ったそうだったが、名古屋で御賢兄の家へ皆を引っ張り込んでいるから、強い主張は出来なかった。宿屋ほど勝手の利かない欠点はあるが、土地の事情に通じるには家庭に限る。お蔭で熊本の話は三輪さんの叔父さんが神じん風ぷう連れんに加わったことまで承うけたまわった。
﹁叔父は変りものでした。そうして当時の分らず屋の標本でした。或時風かざ気けで医者の診察を受けましたところが、インフルエンザだと言われました。血相を変えて戻って来るが早いか、﹃母上、申訳ございません。夷いて狄きの病気に犯されました﹄と言って切腹しようとしたそうです。要するに神風連というのはこんな豪えら物ぶつの揃いでした。ところが面白いことには哲彦がこの叔父に容貌性格とも生いき写うつしです﹂
と兄さんは三輪さんを指さした。
﹁似ちゃいませんよ﹂
﹁否いや、似ているよ。随分わからないことを言うでしょう? 友達方に迷惑をかけ通しだろうと陰ながら常々お察し申していますよ﹂
﹁はゝあ、成程、矢っ張り叔父の遺伝があるんですかね?﹂
と団さんは人の悪い相槌を打った。
例によって見物に出掛けたが、博多で懇意になった秀夫さんと下男の徳さんが案内に立って呉れた。
﹁福岡が元寇で持っているように熊本は清せい正しょ公うこうと西せい南なんの役えきで持っています。斯う見えても徳さんは十年戦争の頃は二十何歳かの青年で彼あっ方ちこ此っ方ちを逃げ廻ったものです﹂
と秀夫さんが紹介した。
池田からは順路とあって先ず本ほん妙みょ寺うじに参詣した。
﹁妙にケバ〳〵しい仁にお王うも門んが出来たね。鉄てっ筋きんコンクリートか知ら?﹂
と三輪さんが言った。それから大だい本ほん堂どうまでは倦き〳〵するほど長い。
﹁肥後の本妙寺は朝から晩迄トヽカチ法ほれ蓮んぎ経ょトヽカチ法蓮経、皆みな人ひと詣まいるばい。そら、キンキラキン﹂
と秀夫さんは石段を登りながら上機嫌で歌い出した。
﹁何です、それは?﹂
とお父さんが訊いても、
﹁……そら、キンキラキン、金かねの手ちょ洗うず鉢ばち、胸突ガンギに桜馬場、それも然そうたい、キンキラキン、キンキラキンのガネマサどん、ガネマサどんの横よこ這びゃあ這びゃあ﹂
﹁此処のキンキラキン節の真似ごとの積りでございます﹂
と徳さんが笑った。
﹁真似ごとの積りは厳しいね﹂
﹁節が違っとるけん﹂
﹁面白いですな。ガネマサどんというのは清正公のことですか?﹂
とお父さんが興を催した。
﹁ガネマサどんは蟹かにさ。清正が横に這って溜まるもんか﹂
と三輪さんが言った。
﹁蟹と清正と関係があるのかい?﹂
﹁――さ、矢っ張り熊本人の不器用なところが現れている﹂
﹁あゝ苦しい。実際胸突ガンギだね。其処で一寸休んで行こう﹂
と団さんは左側の氷屋へ寄り込んでしまった。
宝物館まで見物して帰る途中、
﹁清正は熊本城を築いたばかりでなく、白川の治水工事をやりましたから、市の為めには恩人です。五高の側そばに一夜や塘ともというのが残っていますが、彼あす処この屈折の具合で此処には水害ということは一切ありません﹂
と秀夫さんが説明した。
﹁あぎゃんした豪えらいお方かたじゃけん、この本妙寺ばかりか、加藤神社にも祀ってあります﹂
と徳さんも清正公の徳を称えて、
﹁清正公に較べますと今時の工学士は皆木で偶くのごとありますからなあ﹂
と附け加えた。
﹁恐れ入った﹂
と団さんが言った。
﹁君、あれが日本の基督教史に一頁を占めている花はな岡おか山やまだよ﹂
と少しば時らくしてから三輪さんが真正面の低い山を指さした。
﹁十年の役には肥後の西郷といわれおった池辺先生があの山からお城へ大砲をかけました。かゝり切らんと諦めましたが、三日止めずに居りましたら城は持てんところでした﹂
と徳さんは昔を思い出した。
日ひざ盛かりになったから熊本城は真ほんの通り抜け丈けにして、町へ出ると直ぐに乗合自動車で水すい前ぜん寺じへ駈けつけた。池の畔の料亭へ上り込んで思うさま涼を入れた。
﹁田鶴子さん、何うです? 伊豆の三島を思い出すでしょう?﹂
と三輪さんが言った。
﹁全く三島の水ね。涼しく生き返ったようですわ﹂
と田鶴子さんも今日の暑さには弱ったらしい。団さんに至っては、
﹁もう夕方までは動かないぜ﹂
と裸はだ体かになって寝そべっていた。
田鶴子さんと二人で池の周まわ囲りを歩いて見た。大きな川が出来るほど清水が湧いているのだから、夏場所としてはこの上のところはない。
﹁学生と軍人と朝鮮飴が名物だそうですが、矢っ張り来ていますね﹂
と田鶴子さんが言った。
﹁朝鮮飴が歩いていますか?﹂
と僕が態わざその辺を見廻すと、恐ろしく太い鼻緒の下駄を穿いた学生が両三名ジリ〳〵寄って来た。心なき田いな舎かし書ょせ生いの目にも田鶴子さんの洋服姿が美しく映うつったのだろう。
﹁もう彼あち方らへ参りましょう﹂
と田鶴子さんは気き味び悪がった。
座敷へ戻ると、
﹁……五郎は私と同じくこの直ぐ向うの横手村のもの、横手の五郎と申しました﹂
と徳さんは何か物語を始めていた。
﹁十八歳で三十六人力、何と豪えら物ぶつではございまんか? これが人にん足そく頭がしらを勤めてお城の築造に骨を折りました。﹃五郎、毎日御苦労じゃの﹄と清正公が仰おっ有しゃる。﹃否いや、我がものと思えばきつうもござッせん﹄と五郎が答えます。何時でも我がもの〳〵と申します。そこで清正公は不審を起しました﹂
﹁殺意を生じたんだね﹂
と秀夫さんが言った。
﹁我がものというからには五郎め行く〳〵この城を乗っ取る所存と見える――これは今の中に何うにかせにゃならぬと流さす石がの豪傑も心配になりました。尚おその以前に木きや山まだ弾んじ正ょうという勇者がこの辺にございまして、一度清正公を組み伏せたことがあります。五郎は骨こつ柄がらの勝すぐれたところが弾正の生れ更かわりだろうという評判でございました。清正公何うも不安心で溜まりません。そこでお城の工事が大分捗はかどってから五郎に命じて井いが川わを掘らせました﹂
﹁川ですか?﹂
とお父さんが訊いた。
﹁否、井戸です。此方では井戸のことを井川と申します﹂
と秀夫さんが説明すると、
﹁井戸を掘っても言葉の不足から以前使っていた川という字を適用したのさ。井戸のことを単に川というところもあるぜ。言葉の進化の上から一寸面白い実例だね﹂
と三輪さんは大変に六むつヶ敷しくしてしまった。
﹁井川を掘らせまして、底にある五郎目がけて太か石を投げ落させました。ところが五郎はそれを一つ〳〵宙に取って足に踏んで上って来ます。大力無双ですから手に負えません。到頭清正公が姿を現しまして、﹃五郎、気の毒じゃが前世の因果と諦めて呉れ。後は懇ねんごろに弔とむろうて遣つかわすぞ﹄と申しました。すると五郎も覚悟して、﹃死んでやる。小石を一斉に落せ﹄と言ったそうです。そうして井川の中で生き埋めになりました﹂
﹁酷ひどいことをしたもんだね﹂
とお父さんは不服だった。
﹁昔は自分の都合で人を殺して置いて前世の因果と諦めよと言ったものさ。武将は皆虫が好い﹂
と三輪さんが言った。
﹁若もし五郎が真実お城を乗取る料簡で成功しましたら、同村の私共の境遇も変っていたろうと存じます。私だって御家老の息子ぐらいにはなっていたかも知れません﹂
と徳さんは残念がった。
少しば時らくすると先さっ刻きの学生が通りかゝった。
﹁暑かばってん。今晩しこ物は読めん。乃お公れもはち行こうか?﹂
﹁はち来けえ。ノートどんきゃ投げろ!﹂
﹁善は急げじゃけん、きゃあ行こう!﹂
﹁きゃあ〳〵〳〵﹂
と全く鴃げき舌ぜつの感がある。
﹁喧嘩か知ら?﹂
とお父さんが怪んだ。
﹁否、至って平和です。今晩あたりは暑くて勉強が出来ないから新市街へ活動を見に行こうと相談が纒まったところです﹂
と秀夫さんが通訳をして呉れた。
﹁きゃあ〳〵いうのは賛成々々ですか?﹂
﹁否、単に語勢を強める為めの間かん投とう詞しです。学校なら唯行こうですが、活動なんかは、きゃあ、行こうと真剣になります﹂
熊本弁が引き続いて話題を占せん有ゆうした。
﹁此処にも﹃おてもやん﹄といって熊本言葉を読み込んだ歌があります。徳さん、君の十八番じゃないか? 一つお土産に聞かせて上げなさい﹂
と秀夫さんが促した。
﹁御参考になりますれば光栄でございます﹂
と徳さんは四角張って俗ぞく謡ようを歌い出した。
﹁おてもやん、おてもやん、あんた嫁よめ入いりしたではないかいな。嫁入りしたことしたばってん、権ごんじゃあどんのぐじゃっぺだるけん、未まあだ盃さかずきゃせんだった。村むら役やく捕とり役やく肝きも煎いりどん、あんふとたちのおらすけんで、後あとは何どうなっときゃあなろたい。川かわ端ばた町まっちゃんきゃあめぐらい。春かす日がぼうぶらどんなしりひっぱって、花ざあかり、花ざあかり﹂
﹁ぐじゃっぺは菊あば石たづ面らのことです。行って見たら痘痕があるから厭いやだというのです。種しゅ痘とう以前からある歌と見えますな﹂
と秀夫さんが註解した。
夕ゆう涼すずになってから町へ戻った。新市街という賑かなところも通った。森の都という丈けあって無暗に木の多いところだ。
﹁黄は櫨ぜですかな。この大きなのは? 往来に生えているのには驚きますね﹂
と団さんが咎めるように言うと、
﹁これは街路樹です。昔から街路樹のある都会は恐らく熊本丈けでしょうな。東京辺でもこの頃頻りに此処の真似をして植えていますね﹂
と秀夫さんは平気な顔をして答えたが、それにしても甚だ行儀が悪い。道の真中どころに立ち並んでいる。
﹁九州は黄櫨の多いところですが、当県下は殊に然そうです。昔殿様の御奨励で手当り次第に植えましたけれど主のない木が沢山出来まして、実を取る時に能く悶もん着ちゃくが起ります﹂
と徳さんが本当のことを言った。
﹁実が何かになりますか?﹂
とお父さんは何にも知らない。
﹁蝋燭の原料になります﹂
﹁はゝあ、成程﹂
と感心している。
﹁手帳へつけて置き給え﹂
と三輪さんが冷かした。
家に着いたのは日没だった。晩餐後田鶴子さんと僕は例によって家への通信に多忙を極めた。田鶴子さんは藤崎八幡のお祭まつ典りを宛まる然で目に見たように書いた。
﹁ワッショ〳〵、ボシタ〳〵というて馬を追うて歩きます。然さよ様う、四十頭も五十頭も出ますかな。勢いの好かものですばい。ボシタと申すのは敵を滅したという意味です。御承知のごと八幡さまは軍いくさの神さまじゃけん……﹂
と覚束ない熊本弁さえ使っている。
﹁それじゃイヨ〳〵明日お立ちですか? 阿蘇へは私が御案内申し上げようと思っていましたに真まことに残念です﹂
と隣室では三輪さんの兄さんが到頭勧誘を諦めた。阿蘇は多少期待していたが、お流れになるらしい。団さんのような山嫌いが一緒じゃ仕方がない。山というと必ず何とか因縁をつける。僕の学校には水みず癲てん癇かんといって海や川を見ると青くなる生徒がいるが、団さんは山癲癇かも知れない。
汽車が綺麗な球くま磨が川わの岸を溯さかのぼって人ひと吉よしに着いた時、
﹁イヨ〳〵、九州しゅう相さが良らだね﹂
とお父さんは窓から首を出した。しかし左甚五郎が拵えた青井さんの御門の外ほか何も見るものはないと言われて来たので、途中下車は思い止まった。間もなくトンネルが幾つも続いて、螺らせ旋んし式きき軌ど道うへ差しかゝる。
﹁こえかあがウープ式にないます﹂
と乗客の一人が言った。
﹁ループ式よ。ラリルレロが駄目ね﹂
と田鶴子さんが僕に囁いた。
﹁線路が矢やた岳けまで山々の腹をグウ〳〵廻いながあ上のぼいます﹂
とラ行を忘れて来た男は悉すっ皆かりア行で間に合わせる。斯う気がついて耳を澄ますと、口を利きいている乗客で舌の廻るのは極く尠すくない。大抵大おお隅すみ薩さつ摩まの人らしい。
﹁六おく割わいの利じえ益きは配いと当うをし居った会社を、一騎も来んちん悉すっ皆かい縮小しました。おいどんと違うて先が見ゆうかあ豪いですよ﹂
と実業家風のが言うと、
﹁……論どんより証拠使用人が大将の為めに労どうを吝おしみません。第一人格が立いっ派ぱです﹂
等と相手も劣らず呂ろれ律つが怪しい。焼酎を始終飲むそうだから酔った時の影響が白しら面ふになっても残っているのだろう。
鹿児島に着くと、団さんの友人の小林さんの案内で直ぐに明治館へ落ちついた。日が暮れてから町を散歩したら、何となくゆったりした気分になった。電車も通っていて、山形屋呉服店のある辺あたりは東京の下町を歩いているようだ。
﹁長崎よりも遠い筈だのに一向そんな心持がしませんよ﹂
とお父さんも言ったくらいだ。
﹁此処は直接東京の影響を受けますから、割合に田舎らしくないです。東京へ出て成功している連中の多いことは維いし新ん以来芋いも蔓づるの関係で此処が一番ですからね﹂
と小林さんが説明した。
﹁真ほん正とうに浴衣の柄でも着こなしでも東京その儘ですわ﹂
と田鶴子さんは矢張りブラ〳〵歩いている同じ年頃の女子供を目送した。
﹁夏は東京から大勢帰って来ていますから、その儘でなくて真ほん物ものです﹂
﹁成功者の町は何となく明るいですな。長崎も明るいですが、あすこは奮闘者の町で何うもこんな風に落ちつきがありません﹂
とお父さんは急に鹿児島贔負になった。
﹁芋蔓は確かに奇き利りを博したよ﹂
と団さんが言った。
﹁蔓の成功だから郷里を光栄とすること夥おびただしい。此処の奴等は帰きせ省いすることをお国へ帰ると言いますぜ。僕の方では田舎へ帰ると言います。人間の心理は微妙なものですよ﹂
と小林さんは兎角薩州に反感を持っている。
﹁三輪君の方じゃ何と言うね﹂
とお父さんは東京が郷里だから自分では比較が取れない。
﹁熊本へ帰ると言うよ﹂
﹁熊本は分っているが、普通名詞ならさ?﹂
﹁国とも言うね。おの字はつけないようだ﹂
﹁矢っ張り余り成功していないからでしょうね。此処は必ずお国です。そうしてお国を重おもんじると同程度で他府県人を排はい斥せきします。余よ所そものという一種の軽侮を含んだ言葉が出来ています。田舎は大概然そうですが、此処は殊にそれが露骨ですから余り買い被らない方が宜いですよ﹂
と小林さんが注意して呉れた。
﹁大いに悪口を言うね。物価でも高いのかい?﹂
と団さんが笑った。
﹁否いや、公平な判定さ。個人としては誠実で申分ありませんが、一般とすると未だ封建思想が抜け切っていませんから、寧むしろ憐れん憫びんに値あたいしますよ。余よ所そものは除のけものとして土地のもの同志ですと旧藩士が一番威張ります。旧藩士同志ですと昔の禄高か年齢の上のものが威張ります。役所等では同じ旧藩関係なら年上の判任官が年下の高等官を当然呼び捨てにします。長幼の序をナカ〳〵重視するところです﹂
﹁それは羨ましい美風だね。郷ごうに入ったら郷に習おうじゃないか?﹂
と年とし嵩かさの団さんが喜んだ。
﹁然そう〳〵、去年の暮でしたよ。私のところの女中が売出しの福引をやりに行きました。大変に込んでいたそうですが、﹃私は士族の家の女中ですから﹄と言って、後から来たのに先に引いて行った奴があったそうです。この通りです。同じ女中なら士族の家のが豪えらいと確信しています﹂
﹁面白いですな。理窟がなくて信仰ですから貴とうといです﹂
とお父さんは凡そ極端な実例なら何でも歓迎する。
宿へ戻ってお茶を飲みながら、
﹁桜島は最も早う大丈夫でしょうな?﹂
と三輪さんは道々聞いた話を不図思い出した。
﹁九十何年間保証つきですから、我々の存命中は心配ありません﹂
と小林さんが答えた。
﹁九十何年も生きる気かい? 恐ろしく図々しい男だ。此方は今明両日間爆発しなければ、それで結構だ。甚だ慾がない﹂
と団さんの方が余っ程図々しい。
﹁この軽かる羹かんというのが此処の名物で、長崎のカステラに匹敵するお国自慢です。しかし惜しいことに長持ちがしません﹂
と間もなく例によって食物が問題になった。
﹁菓子ですか?﹂
と三輪さんは初めて一片きれ摘つまんだ。
﹁山芋を原料にしたものです﹂
﹁成程、甘うまいですな。私は食パンだと思っていました﹂
﹁食パンをお茶菓子に出す宿屋があるもんかね﹂
とお父さんが笑った。
﹁否、文化の程度を吟味する為めに君が態わざ命じたのかと思ったのさ﹂
と三輪さんが弁じた。
﹁三輪の言うことも道理だ。村岡の申分も有もっ理ともだ。しかし食くい物もののことなんかで喧嘩をするのは止せよ、若い者﹂
と団さんは早速鹿児島の年とし上うえ風かぜを吹かせた。
﹁時に珍客を急せき立てるようで済まないが、先さっ刻きも言った通り僕は宮崎へ出張を命じられていて明日立つから、朝の中に此処を見物してしまって一緒に行かないか? その代り宮崎県はゆっくり案内するぜ﹂
と小林さんが帰りがけに団さんに諮はかった。
﹁それは何よりの好都合だ。是非然うしよう﹂
﹁是非然うするって、君独りで極めたんじゃ困るよ﹂
﹁否、早い方には一切苦情ありません。是非お供を願いましょう﹂
とお父さんが言って、相談は直ぐに纒まってしまった。
約束に従って僕達は早く起きた。朝御飯を済ませて立つばかりに支度が出来た頃小林さんが見えた。
﹁早いから涼しくて宜い。直ぐに出掛けよう﹂
と命じて置いた俥に乗った。
先ず小林さんの勤め先の県庁のところへ出た。鹿児島は妙に几帳面なところで、学校や官衙が同じ町に悉く軒を並べている。
﹁此処が七高だそうだよ。お前も一高へ入れないとこんなところまで来なけりゃならないのだから能よく見てお置き﹂
とお父さんが僕を戒いましめた。
﹁田鶴子や、今高等女学校があったろう? お前は女子大学なんかへ入りたがるけれど、こんなところへ来て一生独身で暮らす覚悟はあるかい?﹂
と団さんはお父さんの口真似だか意見だかをした。
﹁此処が県立病院です。十年の役には例の私学校でしたから、此こ辺こが官軍の標的になったらしいです。石垣に砲弾の痕があるでしょう﹂
と小林さんが教えて呉れた。
﹁成程、酷ひどくなっている﹂
と三輪さんの声がした。
間もなく南なん洲しゅう終しゅ焉うえんの地というのに辿り着いて俥から下りた。大将が匿かくれていた岩いわ崎さき谷だにの洞どう窟くつにも敬意を表した。引き返して城山へ登りながら、
﹁西南戦争は此処が大悲劇だったんですね。男の死絶えてしまった家庭が沢山あるそうです﹂
と小林さんが言った。
﹁然そうでしょうな。要するに薩摩と大隅丈けで日本中を向うに廻した勘定になりますからね﹂
とお父さんが応じた。
﹁おや、此処にも洞窟がありますわ﹂
と田鶴子さんが見つけ出した。
﹁それは乞食でも入るのでしょう。あら、彼あす処こにもある﹂
と僕達は元気好く坂道を辿たどった。木も大きなのが鬱うっ蒼そうと生い茂っていて、三輪さんを喜ばせた。
﹁結構だ。此処に斯うやって坐っていれば最も早う歩かなくても見物が出来る次わ第けだね﹂
と団さんが無精な癖を出した通り、頂上は眺望が好い。
﹁桜島が此処の景色の中心です。噴火以来向う岸が大隅に続いてしまいましたが、此方から見た形は変りません。あの黒くなったところが溶ラ岩バの跡です﹂
と小林さんが説明を始めた。
﹁あすこから火を噴き出したんじゃ正まと面もだから嘸さぞ迷惑でしたろうな﹂
と三輪さんは山を人間扱いにしている。
﹁大騒ぎだったそうです。しかし平ふだ常んこれ丈けの風ふう致ちを添えていますから、静まってしまえば別に処分問題も起りません。よくしたもんです。桜島大根も取れますが、和歌に最も適した島と見えます﹂
﹁何なんに﹂
﹁和歌さ。敷島の道さ。私は素人で能く分りませんが、此処のは大抵、﹃何が何して桜島山﹄とありますから、和歌には別に加工しないでも誂え向きらしいです。実際あの桜島山を取り除のけてしまった鹿児島は一寸想像がつきませんからね﹂
﹁そんな余計なことを想像する物好きがあるもんか。君は細君が和歌をやると言っていたが、何か聞き齧って来たんだね?﹂
と団さんが言った。
﹁天てん眼がん通つうだね。恐れ入った﹂
と小林さんは直ぐ降参したのには大笑いだった。
﹁気候は温和だし人間は朴ぼく実じつだし、申分ありませんな﹂
とお父さんが褒めた。
﹁野郎は海へ出て魚を釣るし嚊かかあは家にいて歌を読むしと……﹂
﹁もう止せよ。しかし釣つ魚り丈けは玄くろ人うとになったぜ﹂
と小林さんは釣道楽と見えた。
﹁釣れるかい?﹂
﹁釣れるさ。毎日曜に海へ出る。余り釣れるので僕の役所には女房を離縁する気になった男さえある﹂
﹁それは聞きものですな﹂
とお父さんが乗り出した。
﹁何に、何でもないことですよ。私が釣魚に連れて行く男ですが、甲州の山の中のもので、鯛のかゝる度に﹃これなら女房は離縁しても宜いい﹄と力みます。理由を訊いて見ますと、その男の郷里では一生に一遍即ち祝言の席で予かねて話に聞いていた鯛というものに親しく見参するのが最初の又最後なんだそうです。ところで此こっ方ちへ来るとその鯛の生きたのが釣れるでしょう?﹂
﹁成程、夫れ鯛といっぱ祝言、祝言といっぱ一遍という旧思想が鯛の釣れるのに促されて急に悪化したんですね﹂
﹁然うですよ。鯛の釣れない郷里で百姓をしていれば、間違はないのですが、困ったものです。始終夫婦仲が悪くて、今度は何うやら別れ話になったようです﹂
と小林さんは冗談を言いながらも下僚の身の上を案じていた。
山を下りると直ぐに浄光明寺へ駈けつけた。西郷、桐野、篠原、村田と悲劇の主人公の墓が高台から例の桜島を見晴らしている。上野公園で馴染みの銅像と寸分違たがわない木像がこれも桜島の方を向いて立っている。矢っ張り小林さんの説の通り桜島を除去した鹿児島は此処の人には有り得ない。墓にも像にも桜島山を眺めさせようという努力が明瞭に現れていた。
﹁大西郷が生きていて露ロ西シ亜アから帰って来るという評判が僕の小学校時代にあったが、鹿児島へ来て見ると実際生きている以上の感化だね﹂
とお父さんが感心した。
﹁西郷丈けは真ほん正とうに豪えらかったようだね。第一太っている。痩やせっこけた奴は何処にか不足があるもんだから策を弄して仕様がない。或程度から上の人物は貫目で量ると大した間違はないよ﹂
と団さんの英雄の定てい義ぎは頗る簡単のようだ。
﹁一理あるね。カーライルも丁度そんなことを言っている﹂
と三輪さんも西郷の為めには痩せた人の主張をしなかった。
海岸へ向う途中で、
﹁その角の家が僕のところですから、一ちょ寸っとお寄り下さい﹂
と小林さんが俥を止めさせた。
﹁然うだね。お世話になって素通りも失敬だから一寸令夫人の御機嫌を伺うかな﹂
と団さんが先ず下りた。
﹁急ぎますから、この方が勝手でございます﹂
と皆縁側に腰を掛けてお茶を戴いた。
﹁お暑いのにお大抵じゃございますまい﹂
と奥さんは田鶴子さんより二つ三つ年下の娘さんと二人で斡あっ旋せんに努めた。歌を読むような不心得の人とも見えなかった。小さい子供達は余り大勢来たものだから、柱や障子に捉って目を見開いていた。
﹁好いお住居ですな。はゝあ、釣つ魚りの道具が大分置いてありますね﹂
と団さんがその辺を見廻しながら言うと、
﹁狂きち人がいで困ります﹂
と奥さんは会釈した。
﹁随分漁がありましょうな?﹂
﹁否いいえ、主人のは横好きの方でございますから﹂
﹁段々評判が悪いね﹂
と小林さんは笑っている。
辞して門を出た時、
﹁この門構えは何だかお寺のようだね? 此こっ方ちは皆みんな斯こうかね?﹂
と団さんが訊いた。
﹁皆然うだよ。積みっ放しの石塀だから、成程、古い石塔を利用したお寺の構えに似ているね﹂
と小林さんが答えた。
祇園の洲すには官軍戦没者の墓地がある。それを態わざ弔いに行ったのではなかったが、結果は要するにそんなことに帰着した。折から日盛りになったので傍かたわらの海岸の草原で休んだ限きり、もう前進が厭になってしまった。
﹁桜島が大きくなったね﹂
とお父さんは寝転んだまゝ仰いだ。
﹁近くなったのさ。溶ラ岩バが真黒に見える。しかし悪い景色じゃないね﹂
と団さんが言った。
﹁これ以上の眺なが望めはないだろうね。殿様の庭なんか最も早う何うでも宜いい﹂
と三輪さんも腰を据えた。何処へ行っても桜島が問題になる。
﹁この真正面にお台場見たいな青草の島があるでしょう? あれを袴はか腰まごしといいます﹂
と小林さんが紹介した。
﹁袴腰? 成程、袴腰に似ていますね﹂
とお父さんが言うと、
﹁巧い名前ですわね。真ほん正とうに袴腰ですわ﹂
と田鶴子さんも感歎した。
﹁開かい聞もんヶ岳たけも此処から見える筈ですが……﹂
と小林さんは中ちゅ立うだちになって、
﹁あれですよ。富士に似ているでしょう? 薩摩富士と申します﹂
﹁贋にせ物ものだね?﹂
と団さんが言った。
﹁真ほん物ものですよ﹂
﹁富士の贋物だろう?﹂
﹁それは然そうさ。日本アルプスの類さ﹂
﹁日本アルプス、薩摩富士、肥後西郷なんてのは人間の泥棒根性を能く現している﹂
﹁極端なことを言う男だね﹂
と小林さんは一笑に附して、
﹁ソロ〳〵出掛けようじゃないか?﹂
﹁まあ、待って呉れ。少し料簡があるんだから﹂
と団さんは考え込んだ。
﹁此処へ身を投げる決心かも知れないよ﹂
とお父さんも無駄口ばかり叩いて動こうとしない。
﹁好い風が来るなあ﹂
と三輪さんも寝転んでしまった。
﹁田鶴子や﹂
と少しば時らくしてから団さんが改まった調子で呼んだ。そうして、
﹁お前はお父さんのことを俗物だと言うが、これでも相応風流心があるんだよ。袴腰を即そく題だいに一つ和歌を読んだから聞いてお呉れ﹂
﹁おや〳〵、大変なことになったぜ﹂
とお父さんと三輪さんは起き直った。
﹁道理で先刻から頻に両手の指を折って数えていたよ﹂
と小林さんも早速傾けい聴ちょ的うてき態たい度どを取った。
﹁桜島さ、先ず。小川君のお説に従ってね。桜島、溶ラ岩バが流れて盲めく目らじ縞ま、くっきり青き袴腰かな。何うだね?﹂
﹁恐れ入った。一世一代だね﹂
とお父さんが称しょ揚うようした。
﹁実際仕しよ様うし書ょよりも骨が折れる﹂
と団さんは汗を拭きながらも得意だった。
﹁桜島、溶岩が流れて盲目縞、くっきり青き袴腰かな﹂
と三輪さんはもう一遍繰り返して、
﹁和歌かね? 狂歌かね?﹂
﹁その辺までは未まだ考えていない。一つ小林君の奥さんに鑑定して貰おう。田鶴子や、字数が殖えるといけないから早く書いて置いてお呉れ﹂
﹁桜島だから和歌に相違ないよ﹂
と小林さんが言った。ところへ車屋が歩み寄って、
﹁旦那、もう十二時が廻りましたから、一時四十五分のお立ちならソロ〳〵引き返さないと危うございますよ﹂