私のつけ句
連作とは連れん歌が俳はい諧かいの如ごときものであろう。第一の発ほっ句くは余り限定的でない方がよろしい。脇わきはこれをいかようにも受けとるであろう。第三はまたそれを別の方向に転化するであろう。そして、最後の揚あげ句くと最初の発句とは似もつかぬ姿となることもあり得る。
私はこの連作の第一回を、ホフマンの﹁砂男﹂や、ワイルドの﹁ドリアン・グレイ﹂を連想しながら書いた。これをすなおに引きのばせば、幻想怪奇の物語となる。老人形師は人形に生いの命ちを吹きこむ錬れん金きん術じゅ師つしであろう。また、モデル女を誘拐し、監禁する色しき魔まであろう。小説家はこの老魔術師の心を知る人である。知りながら、その妖術のとりことなるのである。
彼はその女の、人間とも人形ともつかぬ妖美にうたれ、これを恋するであろう。この女は人間か、それとも老魔術師が造り出した人形か、この疑惑は物語の終りまで解けないであろう。
冷たい滑なめらかな蝋人の肌に惹ひかれて、小説家は狂気する。老人形師は彼の恋がたきである。その狡こう猾かつな術策と戦わねばならぬ。美女は彼を魅惑し、翻ほん弄ろうし、あらゆる痴ちた態いをつくすであろう。その幾いく場面が語られる。
或ある時は、むせ返る酒場の喧けん噪そうの中に、妖女は透き通るからだを酔いの桃色に染めて嬌きょ笑うしょうするであろう。或る時は、廃園の森の奥深く、泉の水中に長いかみの毛を藻もとなびかせて、もがきたわむれるであろう。真紅のビロウドのベッドを背景としてもよろしい。青空の風船の吊つり籠かごの別世界に、詩人と妖女と相あい抱いだきながら、下界を嘲ちょ笑うしょうしてもよろしい。しかし、二人のうしろには、たえまなく、老魔術師の黒い影と、狡猾な悪念がつきまとっている。
さて、その﹃揚句﹄は美しき死であろうか。小説家はこの世のほかの妖美に酔いしれて、女と折り重なって息絶えるであろう。そして、美女の死体は、人肉ではなくて、永遠に変ることなき、透き通る蝋の肌なのである。
︵﹁講談倶楽部﹂昭和二十九年九月増刊︶