貸借

柴田宵曲




 
 ※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)
 
 
 
 
世の蔵書家はどうかすると本を人に貸す事を嫌ふ者にて如何にもそれが心鄙しく感ぜられ候故、自分は「金と本とは貸すべき事」といふ掟を拵へ置候処、金は貸す金も無いが少しばかりの金貸したところで少し不自由を感ずる位で相すみ候へど、さて本を貸したのは非常の苦痛を感ずる場合屡々有之候。本といふものは朝も晩も手を離さぬといふやうなのは少き者にて、一年に一度用に立つとか二年に一度用に立つとかいふが多く候。しかし二年に一度でも三年一度でも用に立てば其時が其本の必要なる時に相違無く候処、丁度其時に其本が人に貸してあれば其本は自分のために何の用にも立たずに終り候。日頃用の無き本なればゆつくりと御覧なされ、と人に貸したる翌日急に其本の必要を感ずる事も有之候。ある本が見たいと頻り本箱を捜しても見当らず、はては焼気になつて文庫や行李の底迄捜しても見当らず、後にて聞けばそれは一年程前に某に貸してありし事分り候事も有之候。某が本を貸せとて持ち行きし儘其男の行方が知れずなど申事も有之候。世の中は一得一失、借る方に得あれば貸す方に損ありとあきらめて苦情申すべきに非ず、況して此方より読書を勧めたる程なれば少々の不便位は我慢致候。但新聞雑誌抔の期限切迫したる原稿を夜通しに大急ぎに書きつゝある場合に、一寸見たいと思ふ参考書が手もとに無きため折角の好意匠をだいなしにする時などは如何にも残念に候。
 書物は朝も晩も手を離さぬといふやうなものは少く、一年に一度とか、二年に一度とか用に立つものが多いといふのは、慥に書物をよく利用する者の言葉である。起居意に任せぬ病者の言なるが故に、特に同情に堪へぬものがある。手許の本を捜しても見当らぬから、図書館へ行つて用を済ますといふやうなことも、健康者にしてはじめて出来るので、居士のやうな常病人は何事も座右の書物で用を弁じなければならぬ。これを突詰めて考へれば、又前の加藤清正の話になつて、書物の貸借などは到底出来なくなるかも知れない。けれども「金と本とは貸すべき事」は快意見である。居士が書物を貸したことから生ずる種々の不便を数へながら、猶この根本の掟に修正を加へてゐないのは、頗る愉快に感ぜられる。





底本:「日本の名随筆 別巻12 古書」作品社
   1992(平成4)年2月25日第1刷発行
底本の親本:「書物」白揚社
   1949(昭和24)年3月
入力:大久保ゆう
校正:noriko saito
2018年7月27日作成
2018年8月26日修正
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