モンテーニュ随想録

ESSAIS DE MONTAIGNE

第一巻

ミシェル・エーケム・ド・モンテーニュ Michel Eyquem de Montaigne

関根秀雄訳




第一章 人さまざまの方法によって同じ結果に達すること



 ※(始め二重山括弧、1-1-52)fagotage※(終わり二重山括弧、1-1-53)

 (a)かねて我々に怨みをいだいていた者どもが、こんどこそ復讐ふくしゅうの思いをとげようと我々を完全に手のうちに握った時、彼らの心を和らげる一番普通の方法は、降参して彼らの憐れみや同情に訴えることである。けれども反抗や勇気も、それとは全く反対の方法だが、時に同様の結果をもたらした。
 ウェールズ公エドワードは、長いことわがギュイエンヌ州を統治された天性きわめて高邁なお方であったが、かねてリモージュびとに対してきわめて深い遺恨をもっておられたので、彼らの都市を攻めとられたときは、いくら人民が泣き叫んでも、屠所にひいてゆかれる老幼婦女がこもごも彼の足下にひれ伏してお慈悲を叫んでも、ひた押しにおして市中に侵入せられたのであったが、ふとそこにただ三人のフランスの貴族が、信じられない程の大胆さで、彼の勝ちほこった大軍をささえているのにおん眼をとめられた。そしてその顕著な武勇の程に深く感心あそばされて、始めて憤怒のほこさきを和らげられ、その三人をはじめとして市民全体をおゆるしになった。
* 英王エドワード三世の子、黒太子と呼ばれた人。モンテーニュはこの話をフロワッサールの中で読んだのであろう。
 ()()
 
 b
 a姿ca()
 c()()()()
 a()()()※(小書き片仮名ル、1-6-92)
 Certes, cest un sujet merveilleusement vain, divers, et ondoyant que lhomme.  ondoyantet divers 
 b()※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)()c()
 姿
 ()※(「耳+冉の4画目左右に突き出る」、第4水準2-85-11)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()U+50E853-1()()()()()789
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第二章 悲哀について



 ※(始め二重山括弧、1-1-52)le※(セディラ付きC小文字)ons※(終わり二重山括弧、1-1-53)bc

 bc
 
** イタリア語の tristezza は邪悪という意味をももつ。
 a
 ()()※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 おそらくはこれにちなんで、あの古代の画家の創意が想い起されるだろう。彼はイフィゲニア犠牲の図の中に、これに臨んだ人たちの悲しみを、彼らの各々がこの純潔な美しい少女の死に寄せた関心の度に応じて表現しなければならなかったのであるが、いよいよ少女の父を描く段になった時は、もうその芸術の奥の手さえも使い尽していたので、やむなくこれを顔を掩った姿に描いたのである。あたかもどんな顔かたちもこのような極度の悲哀を表現するには足りないかのように。同じ理由で詩人たちは、先に七人の息子を失い続いてまた七人の娘を失ったあの不幸な母ニオベを、度重なる不幸のために化して岩となった、

悲しみのために化して石となれり。
(オウィディウス)


 ()

(b)胸の悲しみきわまりて路をひらき、
   叫びとなりて出でたり。
(ウェルギリウス)

 c()

(a)いかに恋いこがれてあるやを言いうる者はなお小さき炎の中にあるものなり。
(ペトラルカ)

と恋する人たちは言って、次のようにやるせない激情を表現しようとしている。

  


  


  
(カトゥルス)

 b()()
 a

軽き物思いは語り、深き感情は黙す。
(セネカ)

 (b)思わぬ喜びの襲来も、同様にわれわれをぼんやりさせる。




(ウェルギリウス)

 a
 b
 
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第三章 我々の感情は我々を越えてゆくこと



 le※(セディラ付きC小文字)ons au del※(グレーブアクセント付きA小文字) de nous  chez nous, en nous 

 bc
 bc※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
()()※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 b便c()()()
* ここにモンテーニュの政治上の理性主義、ないしその帝王機関説の片鱗がうかがわれる。後出三の一参照。
 
 ()

b



(ルクレティウス)

 a
 ※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 b
 a
 b
 a退
 便便姿便bac
  gentilhomme  soldat 2
 b()
 ()()cbc※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)b姿 
 c

なんじ死して何処いずこにゆくやを知らんとするや。
すべての物はその生れ出る前にありし所にゆくなり。
(セネカ)

また別の人は、霊魂のない肉体にこそ再び平安の感覚が与えられると言う。

彼に、その休む墓を持たすなかれ。
人生の重荷をおろす港を持たすなかれ。
(キケロ)

* こういう所に、モンテーニュの民主主義的な気質傾向を読みとらねばならない。
 
 



 
    




 a()

(b)風もまたうっそうたる森がこれをさえぎるなくば、
力を失いて空中に吹きちらばるがごとく、
(ルカヌス)

a
 b



()


(ルカヌス)

 ac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)a()()caca殿
 c
 a※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)c()a

事件に向って怒っても仕方がない。
いくら怒っても事件はびくともしない。
(アミヨ訳仏文)

 b



 



 a()()c()()a

敵に対しては、詭計もよし、武勇もよし。
(ウェルギリウス)


 c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)

汝とわれのいずれに、運命は王位を委ねんとするか?
いざ、勇気によってこれを決せん!
(エンニウス)

 
 ()
 a()殿()()()殿殿
 b
 a使()()()()
 b
 



 



 a退調
 c
 a
 c※(始め二重山括弧、1-1-52)()()※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 * クセノフォンがその著『キュロペディア』の中に描いている理想の皇帝キュロスを指す。
 a殿殿()()()殿()()殿()()

勝利をこそ常にほめたたえん。
それを運に負うとも狡知に負うとも。
(アリオスト)


 b※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)


()()

(ウェルギリウス)



 



 a
 c
* 第三巻第二章「後悔について」にこの泥棒の話が詳しく語られる。
 
 



 



 退t※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)te※(グレーブアクセント付きA小文字)t※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)te avec lui-m※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)me

 a

(b)青銅の器の中に立つ波の、
日の光月の影をば映すとき、
その光いたずらに揺れ躍りて
器の高き縁に戯るるがごとく。
(ウェルギリウス)

 (a)いや、気ちがいじみた考えや夢みたいなはかない思いなどは、いずれも皆、精神がこうした動揺の中で産み出したものにあらざるはない。

それらは病人やもうどの夢に見らるる
空なる夢まぼろしの如し。
(ホラティウス)

 確かな目的を持たない霊魂はさまよう。まったく、人が言うとおり、いたるところにあるとはどこにもないということなのだ。

(b)マクシムスよ、至る処にあるものはいずこにもなし。
(マルティアリス)

 a

無為が精神をあちらこちらに追いちらす
(ルカヌス)





 



 
 ()

 a()()
 bcb
 c使bcbc殿退bcb
 adire mensongementirb調
 c
 
 
 ※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 a使
 使使()()便殿使殿
* 皇帝というのは、この頃はカルル五世をさす。
 使()()使使調使()使使



 



(a)いまだかつて、すべての人にすべての恵みが与えられしこと、あらざりき。
(ラ・ボエシ)


 殿()稿殿殿
* 一五三三年のこと。フランス王と法王とがスペイン王カルル五世に対して同盟を結ぶための会見である。
 b
 a()()()()()
* これと同じことが、『荘子』「田子方篇」に、宋の名君が「真の画人」を見出した説話を通じて述べられている。
 
 b
 a
 c()()
* 当章の終りの部分は、後出二の十(四九三―五〇七頁)と対比して読むとよい。両方を通じて、モンテーニュの思想の本質根柢が捕捉されよう。



 



 ac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)acac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)ac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)a

b


()


(ルカヌス)

c※(始め二重山括弧、1-1-52)()※(終わり二重山括弧、1-1-53)a
* このあたりは前出一の三の延長線上にあり、最終章三の十三の結論につながる。
 ()()鹿()()



  
  
        

()()


  
(ホラティウス)

今日に満ち足りて、明日を憂うる愚をばなすまじ。
(ホラティウス)

 c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)




  
(パクウィウス)

()()
 b()
 c()()
 bc※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)bc殿b
 c姿()()
 bcbcb



 



 a
 c
 
 退()退
 退
 a
 殿殿()
 b
 c()

彼の涙は流るるも、その心は折れず。
(ウェルギリウス)

 



 



 a
 b()()()
 a
 c
 
 
 
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第十四章 幸不幸の味わいは大部分我々がそれについて持つ考え方の如何によること



 姿bc()()

 a()()
 宿宿宿
 
 
 b


(ルカヌス)


 c()()
 a ()
 c使
 a()
 
 c
 退退便便※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 b
 a
 ()() ()便
 
  ca()()
* 「汝モンテーニュのストア学説」の意味である。「哲学は死を克服する」という説を指している。
** 以上のようにモンテーニュはピュロン説者の言いそうな抗議を仮想して、次に自らの考えをのべる。
 

もしここに感覚が頼むに足らずとせば、
全理性もまたむなしからん。
(ルクレティウス)

 ()()()

それは過ぎたるか、或いはまさに来らんとするもの。
その内には現在的なる何ものもなし。
(ラ・ボエシ)

死そのものは死の待望ほどに苦しからず。
(オウィディウス)

 
 c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
* 「死を恐れるのは、これに伴う苦痛のせいだ」「死がこわいのではなくて苦痛がいやなのだ」という弁解は嘘であり口実にすぎぬ。
 
 a
 
 ()※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)()()c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)a

徳はこれを行うに難ければ益々楽し。
(ルカヌス)

 c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)ac※(始め二重山括弧、1-1-52)()()退※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 ac調
 
 
 
 a退()退c
 a※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)()()()
 
 c()a()()c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 a()()c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
* 以上二つの話は何れもセネカの「書簡」にあるのだが、二人の哲学者の名前は出ていない。
 a()  

(b)その白髪を抜き、その皮を剥がせて、
みめ美わしからんと憂身うきみをやつす女あり。
(ティブルス)

 a姿() 
 c()
 
 a()()
* ジョアンヴィル。『聖ルイ伝』の著者。
** ギュイエンヌ州、すなわち旧アキタニア。
 
 c※(始め二重山括弧、1-1-52)()※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 殿
** この告白がもとで、モンテーニュは子供に対して冷淡であったと非難されるが、そのすぐ後に、「これくらい深く人の心をつくものはない」と言っていることを読みおとすことはできない。
 
 b()()
 c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)b
* 細君に不行跡をされて知らずにいる二本棒の亭主のことをコキュという。ここでは、わざと細君をおとりにして間男から金をまきあげる亭主のことを言っている。
 c
 
 
 b()()
 使
 

逆巻く波をおかして!
(カトゥルス)

 c

富はガラスの器のごとし。よく輝きまたよく破損す。
(プブリウス・シルス)

 b宿c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)bc※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 b()()cbcbcb禿cb()()cb使
 c
 
 b使
 c鹿b使cbc※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)bc※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)b
 c()
 使
 bc
 
 b
 a()
  b※(始め二重山括弧、1-1-52)()()※(終わり二重山括弧、1-1-53)a()()()()()()
 c
 
 
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 ()



 a()()殿()()
 c
 b



 



 a殿
 
 c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)a()c
 
 a殿殿殿殿()()
 



 使



 (a)わたしは旅に出ると、いつも他人ひととの交際から(それこそ最良の学校の一つなのであるから)常に何事かを学びとろうと思うので、それぞれが最も得意とする事柄に関してわたしの話し相手になるような人たちを、伴いゆくことにしている。


(プロペルティウス)

 
 c
 
 

(a)のろき牛、くらを負わんとし、馬、すきを牽かんことを願う。
(ホラティウス)

 c
 a使
 殿殿使殿使使
 c
 ()()
 使
 使
 



 



(a)余りのおそろしさに、われ、髪はさか立ち、声は喉につかえたりき。
(ウェルギリウス)

 ()()()姿使姿()()
 殿殿殿
 b
 a()()※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 c
 
 ()()

恐怖はその時わが心よりすべての知恵を追い出せり。
(エンニウス)

 
 



 



(a)人は常に最後の日を待たざるべからず。
なんぴともその死その葬いの未だ到らざるに、
幸福なりと言わるるをえず。
(オウィディウス)

 ca

思うに人間の権勢を憎む隠れたる力ありて、
美わしき執政杖と無慈悲なる斧とをふみにじり翻弄するが如し。
(ルクレティウス)

 ※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 ()()()()()

この時初めて真実の言葉我らの胸中よりほとばしり出で、仮面おちて真相あらわる。
(ルクレティウス)

 
 姿
 b
 c()()
 
 b



 



 2()() but  bout brutale stupidit※(アキュートアクセント付きE小文字)cette nonchalance bestiale

 a()()ca
 c※(始め二重山括弧、1-1-52)()※(終わり二重山括弧、1-1-53)()()()()
  virtus  vis  vertu c
 a
* 本章最初のパラグラフ「哲学するとは死に備えることに他ならぬ」に照応する。

b
()


(ホラティウス)

 ac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)a

(b)シケリアの佳肴かこう
彼らにはうまからず。
鳥のさえずりも琴の調べも、
彼等の眠りをさそわず。
(ホラティウス)

(a)彼らがそれらを楽しむと、君たちは思うか。彼らの旅の究極の目的が、しょっちゅう目の前にぶらさがっていて、彼らのためにこれらもろもろの愉快の味わいを、まずいものに変えてしまうとは思わないか。

(b)彼は道を問い、日をかぞえ、その命を里程もて計る。
おのれを待つ死刑に絶えずその心を悩ましめつつ。
(クラウディアヌス)

 (a)人生行路の目的〔終点〕は死である。これは我々が必ず目指さざるを得ない目標である。もし死が我々を恐れさせるならば、どうして我々はうち震えずに一歩を前に進めることができるか。庶民の持薬はそれを考えないことである。けれども何という獣みたいな愚鈍によって、彼はああもひどい盲目になり切れるのか。そういう奴はろばの背にうしろまえに乗っけてやり、その尻尾しっぽを手綱にして行かせなければならない。

驢馬はよく尻込みするものなれば。
(ルクレティウス)

 ()
 b殿
* モンテーニュはこの feu すなわち「故」という語を、qui fut から来たものと考えたらしい。すなわち「故ジャン殿」を「亡きジャン殿」といわずに「ありしジャン殿」というと、考えたのである。
 a鹿ca寿鹿
* 「返済期の延期は借手の得になる」という意味。すなわちここでは、死の考えをなるたけ後に延ばすことを指して言ったのである。
  janvier
*** メトセラは九百六十九歳の齢をえたと、聖書にある。
 死はいったい幾通りの方法で我々をおそうか。

瞬間毎にふりかかるその危険を
人は一々予見する能わず。
(ホラティウス)

 ()()
* アンリ二世が野試合の最中槍で目をつかれて死んだのは、一五五九年で、モンテーニュはこの事件の前後に朝廷にいたと推定される。年表一五五九年六月三十日の項参照。
 
 ()

われ賢くして苦しまんよりは
むしろ愚か者よとあざけられん。
願わくは誤謬われを幸いにし、
わが眼をばくらまさんことを!
(ホラティウス)

 便宿b

(a)そは、逃げ走る者どもをも追いかけ、
  意気地なき若者の
  ひかがみをも背中そびらをも仮借せず。
(ホラティウス)

(b)いかに堅固な鉄のよろいもお前たちをまもらないのだから、

いかに用心して黒鉄くろかね青銅からかねにその身を鎧うとも
 死はまんまと首級をその中より引っこ抜く。
(プロペルティウス)

a()()()

毎日はいつも汝がための最後の日なりと考えよ。
さすれば思わぬ今日を儲け得て喜ぶことをえん。
(ホラティウス)

ca()使
 ()()()()()()()

(b)わがよわい、花盛りにして、春をたのしめる頃
(カトゥルス)

(a)女たちに取りまかれて遊びに耽っているわたしを見て、或る男は、「独りひそかに嫉妬にでも悩んでいるのではないか、あるいは何か希望の遂げ難いのをはかなんでいるのではないか」などと想像したが、その時わたしは、その数日前に、やはり同じような宴会のかえるさに、わたしと同じように夢心地と恋ごころと楽しい時のこととで頭を一杯にしているところを、突然高熱と死とにおそわれた或る男のことを思い浮べ、自分にもまた同じ運命がさし迫っているかのように、考えていたのであった。

(b)やがて現在はすぎ去りて、ついにこれを呼びもどすすべなからん。
(ルクレティウス)

 a寿ca()c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)ac()()
 a

(b)いかなれば我らは、かくも短き一生に、
かくも多くを企つるにや。
(ホラティウス)

 a()
 c()()

彼らは言う。「おお不幸なるかな不幸なるかな。
ただ一日の厄日こそ、人生のすべての喜びをわれより奪う」と。
(ルクレティウス)

(a)いや、建築師は言う。

わが業絶たれたり。
高き壁いまだ成らざるに。
(ウェルギリウス)



願わくは死よ、わが働きつつある真最中に来らんことを。
(オウィディウス)

 ca

(b)人は言うを忘れたり。
これらの幸福を惜しむ心もまた、
やがてその人と共に朽ち果つべきを。
(ルクレティウス)

 a

(b)かつては殺傷が宴会の席を賑わし、
更に剣優の残酷なる演技がそれに加わりき。
彼らはしばしば盃盤の真中に倒れ、
その血が食卓を色どることもしばしばなりき。
(シリウス・イタリクス)

c()ac
 
 a()()
 b

ああ、老人たちに残れる命のいかばかり微かなるよ。
(マクシミアヌス)

 c姿b
 a宿

(b)何物も彼の堅き心をゆるがさざりき。
暴君のいかれるまなこも、
アドリアの海をゆるがす雨かぜも、
雷火を投ぐるユピテルのかいなも。
(ホラティウス)

a




()
(ホラティウス)

 ()
 c()()
 
 
* 「死ノ後ハ則チソノ前ナリ。生ノ前ハ即チ死ノ後ナリ」(西郷南洲『孟子講義』)。
 ()()
* 「殀寿ハ弐ツナラズ」(『孟子』「尽心篇上」)。
a
 c

(b)人々はその生命を次から次へとわたす。あたかも、競争者がその炬火を次々にわたすがごとし。
(ルクレティウス)

 a

我々の第一時は、我々に生を与えながら、早くも生をこわす。
(セネカ)

生るるは死するの始めなり。終末は誕生の結果なり。
(マニリウス)

 c
 
 b

いかなれば満腹したる陪食者のごとくに人生をば去らざる?
(ルクレティウス)

もし人生を利用することができなかったのならば、それがお前たちに無益のものであったのならば、それを失うことが何であろう。更にながらえてまたどうしようというのか。

何のために毎日を更に重ねんとはする?
明日もまた昨日のごとく空しく消ゆべきに。
(ルクレティウス)

 c
 a

(c)あれこそ我らの父たちが見つるものよ。
あれこそ我らの子孫が見んずるものよ。
(マニリウス)

 a
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

(b)我らは同じ輪の中をめぐりてこれをずることなし。
(ルクレティウス)

年はおのれがわだちの上をめぐりにめぐる。
(ウェルギリウス)

 (a)わたしはこれ以上に新規なひまつぶしを、お前たちのために作り出そうとは思わない。

われはこの上さらに汝らをたのしますべきすべを知らず。
そはいつまで見るも同じなるべし。
(ルクレティウス)


 ca

思うがままに長生せよ、数百歳までも。
されど死は常に永遠なり。
(ルクレティウス)

 (b)だがしかし、わたしはお前たちを、何らの不満もないような状態に置いてやろう。



(ルクレティウス)

お前たちがそんなに惜しがる生命を、もう願いもしないであろうような状態にしてやろう。

その時人は、その身をもその命をも思うことなし。
その時はわれらに、己れをいたむ心だになし。
(ルクレティウス)

死は無よりもなお恐れるに足らないものだ。もしも世に、何か無にさえも及ばないものがあるとすれば。

無にもなお及ばざるもの世にありとせば、
死こそは、その無よりもなお恐ろしからぬものよ。
(ルクレティウス)

 c
 ab

想い見よ、まことに、我らの前にありし数世紀は、
我らにとりて全くなかりしも同然なることを。
(ルクレティウス)

 acaca

(b)汝の一生が終る時、万物もともに死して汝に従うなり。
(ルクレティウス)

 a

夜は日につぎ暁は夕べにつながりて絶えざれども
呱々ここの声と葬いの鐘のとの相交わることなく
明け暮れし日夜はただ一つだになし。
(ルクレティウス)

 c
 ()()()
 
 
 c vous  tu, ta 
 a使
 
[#改ページ]

第二十一章 想像の力について



 bcle※(セディラ付きC小文字)ons abc

 a※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)c()()()()a

しばしば遂げたりとの幻想のもとに、
彼らは精液を洩らし寝衣をけがす。
(ルクレティウス)

 それから、寝る時には何ともなかったのに夜中に頭に角がはえたなどいう話は別に事新しくもないけれども、イタリア王キップスの事跡はやはり特筆するに足りるものである。彼は昼間熱心に闘牛を見物し、夜はよもすがら頭の上に角をいただいた夢を見たせいで、とうとう想像の力によってほんとうに額の真中に角をはやしたというのである。強い悲しみはクロイソスの息子に、自然が彼に拒んだ声を与えた。またアンティオコスは、その心にストラトニケの美しさをあまりに深く刻みこんだために熱を出した。プリニウスは、ルキウス・コッシティウスがその結婚の日に女から男に変じたのを、見たと言っている。ポンタノ及びその他の人々も、近世においてイタリアにおこった同様の変身を物語っている。それから、彼およびその母の切なる祈願によって、

イフィスは男となりて娘なりし日の誓いを果したり。
(オウィディウス)

 b
 ac()()
 
 a
 c()
  liaison des mariages ※(始め二重山括弧、1-1-52)Nouement daiguillette※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 acac婿()()()()()()()()()()
* モンテーニュの学校時代の友人ルイ・ド・フォワ。
** 前者と恋仲であったディアーヌ・ド・フォワ=カンダル。後出第一巻第二十六章の冒頭解説参照。
  Jacques Pelletier du Mans 
 
 ()a
 c
 調
 殿
 a()()
* フランソワ一世のマドリッド幽閉以来、瘰癧にかかったスペイン人たちの間には、フランス王に撫でてもらうと治るという迷信が行われた。そのために大勢のスペイン人がフランスにやって来た。
 使使退
 ()()殿
 

病める眼を見ればその眼もまた病む。
多くの病は、かくの如くにして人より人へとうつる。
(オウィディウス)

()()使

何者の眼とも知らず、わがやさしき羊をいざなえり。
(ウェルギリウス)

使()()()
 b
* discours すなわち th※(アキュートアクセント付きE小文字)orie, conclusion の意味である。
 c
 ()()()()()()()()()
* ローマの政治家、歴史家、当時の現代史家。



 



 a
 
 

まことに物その形と性質とを変えるとき、
前にありしものの死のあらざることなし。
(ルクレティウス)
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第二十三章 習慣のこと及びみだりに現行の法規をかえてはならないこと



 この章のなかにも奇事異聞集の傾向が多分に含まれている。なにしろ古代が研究されアメリカ大陸や東インドなどへの航路が発見された時代のことである。歴史家も旅行家もモラリストも、こぞって中世以来の人間観を修正しようと、各地各時代の奇異奇怪な風習の実例を集め出したのは当然である。モンテーニュもまた、すでに註したとおり、その例に洩れなかった。だがモンテーニュはただそうした実例を集めるだけでは満足せず、更にそれらを比較しまた批判もしている。すなわちこの章の意義は、それがモンテーニュの道徳論ないし政治論に対する、いわば序論をなしているところにある。ここにはモンテーニュの二つの思想が述べられている。一、「習慣の力は恐ろしいものでわれわれの理性をも盲にする。しばしばわれわれは盲目的に習慣の奴隷となっている」(ここからやがて、道徳や法律は絶対的なものではないという彼の革新的論説が生れる)。二、「われわれの習慣はそのように根拠薄弱なものであるが、それにしても賢者は習慣を尊重する」(これが彼の道徳上政治上の保守主義を生む)。以上二つの考えはやがて第二巻第十二章において再び取りあげられ、いよいよ花々しく展開される。我々はそこにこの章においてすでに挙げられている実例が再び挙げられ註釈されて、いわゆるモンテーニュの懐疑主義の礎の一つとなっているのを見る。そして遙かに第三巻第一章「実利と誠実について」における堂々たる彼の政治論に発展する。すなわちそういうモンテーニュの思想展開の発足点として、この章は特に意義が深い。だがここに特に注意しなければならないのは、とかく頑固な保守主義者がこれらの諸章を浅薄に解釈して、モンテーニュを自分の仲間ででもあるかのように誤り信ずることである。だが彼は一方で習慣を、特に陋習を、思いきって真理や理性に照らして批判している。人間が勝手にでっちあげた法令を自然の法則につき合わせているばかりでなく、各国各時代の思い思いの政治を、全世界に通じる、いわば神の政治と対比することさえもした。のちに出て来る「カンニバルについて」(一の三十一)の章や第二巻最終章「父子の類似について」などには、モンテスキューやディドロやルソーを想わせる民主主義的、社会主義的傾向さえ読みとられる。われわれはこれらのことを、決して読みおとしてはならないであろう。なお習慣の問題はモンテーニュがいろいろな時期にしばしばふれたことであるが(一の三十一、一の三十六、一の四十九、二の十二、二の二十七、三の十三)、その意見は前後を通じてこの章の所論とほとんど変っていない。

 ac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 aca()()
 
 b()c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 ()()()()()()()()()調調()()
  jeu de mots estranger  estrange 
 
 
 ()
 
 a使()()()
 c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 b()()
 c
 b婿()()()()()殿()()c使退bc()()()b便()()cbc
 a()
 b()
 a()
 c
 
 
 b
 a姿
 c
 便
 a姿

       はじめて見れば
いかに偉大にして嘆賞すべきものなりとも、
慣るれば人、さのみにこれに驚かず。
(ルクレティウス)

 ()
* おそらくこれは、年若き評定官時代のことであろう。彼は本式に法律の勉強をしていなかったから、却って問題ごとに一々根本的に問題の本質を考えざるをえなかったのであろう。
 c
 aca
* 一五八八年の Etats g※(アキュートアクセント付きE小文字)n※(アキュートアクセント付きE小文字)raux(国会)には、高等法院は本当にこの第四身分として出席した。モンテーニュのこの仮説はとうとう事実となったのである。
 着物のようなどうでもよいものでも、これをその真の目的に照らして考えて見ると(着物は本来身体の保護と安楽とを目的とするもので、そこからそれ特有の優美と便利とが生れるはずなのだが)、ずいぶんと奇怪に思われるものがある。中でも我々のあの角帽〔神学博士のかぶりもの〕、あの贅沢な飾りのついた・わが婦人たちの頭から垂れ下る・襞をとったビロードの・長いしっぽ、それから無用なことにも、我々が口にするのもはばかる器官の形をそっくりそのまま外に示す・あの我々自慢の・ズボンなど。だが、さればと言って、分別のある人はこういう一般の風俗に従う習わしにそむきはしない。むしろあべこべであって、総じて風がわりな独特な身なりは、狂気からか、何かためにしようとする魂胆から、生ずることが多く、真の理性から来るのではないように思われる。いや、賢者はその霊魂を俗衆から離して、これを自分の内に引込め、これを自由にし、これに物ごとを自由に判断する力を持たせなければならないけれども、外観の方は、一般に認められている形態にそのまま従わせなければならないと思う。国家社会は我々の思想なんか問題にはしない。そのかわり、それ以外の物、例えば我々の行為、我々の勤労、我々の財貨、我々の生活は、皆これを国家社会の用に供し、一般の考え方に従わせなければならないのである。例えばあの正しく偉大であったソクラテスが、裁判官にそむくことによって自らの生命を全うしようとはあえてしなかったように。しかもはなはだ不義不正な裁判官にすらそむくことをあえてしなかったように。まったく、各人がその住む国の法に従うことこそ、規則の中の規則、諸法を統べるところの法なのである。

その国の法に従うは美わし。
(クリスパンの『ギリシア格言集』より)

 調
 b

ああ、わが放てる矢こそ、われを傷つけたれ。
(オウィディウス)

cbc()
* 一五八八年版には「二十五年ないし三十年以前から」とあるのを、モンテーニュはボルドー本で「久しい前から」と変更したのである。宗教改革運動のことをさしている。
 
 ()()
 
* 創始者とはカルヴァン、ルーテル等の真の宗教改革者を指し、模倣者とはこれにならったカトリック教会内部の革新者、ないし神聖同盟派の人々を指している。
 b※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)b()()()()c
 ※(始め二重山括弧、1-1-52)()※(終わり二重山括弧、1-1-53)殿
 b
 使c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 b()()c
 ※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 調
 a
 bc※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)bc
* 以上三、四頁の間にモンテーニュはその政治的立場を明らかにしているが、例によってきわめて微妙な述べ方をしている。読者はどこに筆者の真意があるかを察しなければならない。第二巻第十二章「レーモン・スボン弁護」の章ではそれが最も著しいが、モンテーニュは機微な問題を論ずる場合、いつもその結論を普通あるべき場所におかず、よくパラグラフの中間に忍びこませている。要するに彼は新教徒のまきおこした内乱を非難しているけれども、決して強硬なカトリック派を支持してはいない。そして国王には彼らに対して若干の譲歩をするように、すなわち寛容の精神をもってのぞむようにすすめている。彼はミシェル・ド・ロピタルやド・トゥ De Thou などと政見を同じくし、いわゆるポリティーク党 Politiques lib※(アキュートアクセント付きE小文字)raux といわれる政派を支持している。拙著『モンテーニュとその時代』索引により「モンテーニュの政治的態度」「ポリティーク」等の各項参照。
 a※(小書き片仮名ル、1-6-92)使



 



 この章は、セネカの「寛仁について」(De Clementia)のなかにアウグストゥスとキンナの話を読んだのが動機で、ふとそれと正反対のギュイズ公の実例が思い出されて出来たものと思われる。セネカの『寛仁論』はモンテーニュがいろいろな時期に繰り返して読んだ本であるから、この随想の時期を確定するわけにはゆかないが、とにかくモンテーニュは以上二つの相反する実例から、われわれの行動においては運命の支配が圧倒的に強いこと、われわれの判断はすこぶる不確実であること、従ってわれわれは飽くまで慎重でなければならないことを学んだので、われわれはここに第二巻第十二章「レーモン・スボン弁護」における彼の懐疑論の萌芽がおもむろに成長しつつあることを感ずる。
 前章で政治上の寛容(トレランス)が詳述された後をうけて、ここに道徳上の寛仁(クレマンス)が語られるのは、例によってなかなか配列の妙をえている。モンテーニュにとって、政治は常にモラルの上にたっている。

 a姿殿()
 
 ()()()()
  Poltrot de M※(アキュートアクセント付きE小文字)r※(アキュートアクセント付きE小文字) 
 ()()()
 
 ※(小書き片仮名ル、1-6-92)
 便
 ()
 bcbcbc()※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 b

(c)彼は平然たる面持をもて
芝山の上に現われたり。
彼は何物をも恐れざりしかば
恐れらるるに値したり。
(ルカヌス)

 b
* 一五四八年ボルドーの都督ムシュ・ド・モナン Monsieur de Monein の身におこったこと。巻末年表中、一五四六―五〇年の項、および私の『モンテーニュとその時代』一七三頁参照。
 
* 一五八五年モンテーニュがボルドー市長在職中の事実。巻末の年表、および拙著『モンテーニュとその時代』五一七頁参照。
** マチニョン元帥。モンテーニュの一派。
 a
 b()c()
 a
* 此章はモンテーニュのミシェル・ド・ロピタルに献呈した書簡(白水社版『モンテーニュ全集』第四巻「書簡5」)の延長敷衍と見るべく、ここにモンテーニュは理想的オネトムの像を描き、次の第二十五、第二十六の両章を準備しているように思われる。
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第二十五章 ペダンティスムについて



 
 la fausse scienceacquest
 p※(アキュートアクセント付きE小文字)dantismepedantry※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)bien n※(アキュートアクセント付きE小文字)調

 a鹿()





 b
 a※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)宿
 b
  une fille  fille de France 
 a
 退c ()姿姿姿a
* 以上の似而非哲学者の描写はプラトンの『テアイテトス』からの引用である。

(c)われは行いにおいて卑怯にして唯言葉においてのみ哲学者なる人々を憎む。
(パクヴィウス)

 ac殿aca
 c()()()()()()
 ac鹿a
* 学識が多すぎると、どうしても精神の働きが自由でなくなる、という説(一八九頁参照)。
 
 c
 a()()使()()c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)

※(始め二重山括弧、1-1-52)今は議論ことあげする時にあらず、舵とりに心をそそぐべき時よ!※(終わり二重山括弧、1-1-53)
(セネカ)

 ()※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 a()()
 c()()
 a 
 b()
 a savant  sage 

おのれ自らのために賢明ならざる賢者をわれは憎む。
(エウリピデス)

c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)

 (b)もし彼が貪欲ならば、高慢ならば、
またエウガネアの山羊の如くに女々しからば。
(ユウェナリス)

c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 調調
 a調c
 
 
 a※(始め二重山括弧、1-1-52)Lettreferits※(終わり二重山括弧、1-1-53)※(始め二重山括弧、1-1-52)Lettre-ferus※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 f※(アキュートアクセント付きE小文字)rit f※(アキュートアクセント付きE小文字)ruf※(アキュートアクセント付きE小文字)rirfrapperLetter struckTrechmann 
 b

おおふり返って見ようともせざる貴族の子弟よ。
そなたの背にあびせられるあざけりに御用心あれ。
(ペルシウス)

 aba

(b)プロメテウスが最良の泥土を用い、
その特殊の技能をもって作りなせる、
(ユウェナリス)

a()
  Adrien Turn※(グレーブアクセント付きE小文字)be.  Andelys  Lambin 
 

悟性なくば博学も何にかはせん。
(ストバイオス『詩文選』より)

  c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)a()c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
* これは一五五五年頃にモンテーニュが法学士の肩書きもないのに租税法院審議官になりえた、当時の法官採用試験の実状を如実に物語っている。
 a
 c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 鹿()()調()退
 Toute autre science  jeu de mots ※(始め二重山括弧、1-1-52)Toute autre science est dommageable ※(グレーブアクセント付きA小文字)celui qui na la science de la bont※(アキュートアクセント付きE小文字).※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 ※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 ac()()()
 a()ca()τυU+1F7B199-7πτω ()()
* クセノフォンの『キュロペディア』Cyrop※(アキュートアクセント付きE小文字)die を指す。アスティアゲスは、この物語の主人公たるキュロスの祖父である。
 
 c
 
 調
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第二十六章 子供の教育について

ギュルソン伯夫人ディアーヌ・ド・フォア様に



  Sadolet 
  honn※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)te homme 

 a()cacac
* モンテーニュは、これらの学問を一五四六―四八年、ボルドーのギュイエンヌ学院で学んだ。『モンテーニュとその時代』第二部第二章参照。
 
 
* プルタルコスとセネカの学問は、人間如何に生くべきか、如何に死すべきかを教える人間学、倫理学であったから。
 
 ac()aca()
 
 ()() facult※(アキュートアクセント付きE小文字)s naturelles 
 c
 a退
 
 
 調
 
 
 a禿
 ()
 c
 a
 b
 ac
 a殿殿
* 戦争指導、外交、政治等、人文学を基礎とすべき分野を指す。
** エールの司教、フランソワ・ド・フォワ=カンダル。『モンテーニュとその時代』索引参照。
 
 c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)調調調
 
 aca
 bc※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
* 昔は、歩きたての小児のために縄を張り、これにつかまって歩かせたのである。
 
 (a)先生は若様に何事もふるいにかけるよう、何事も単なる権威と信用とによって信じこまないよう、おしえなければなりません。アリストテレスの原理も、彼にとって原理であってはなりません。ストア学者やエピクロス学者のそれも、同じことでございます。どうか彼の前にこうしたいろいろな判断の相違をお示し下さるようにお願いいたします。彼はできれば自ら選択をするでしょうし、できなければ疑いの中にとどまるでしょう。(c)確信して疑わないのは馬鹿ばかりでございます。

(a)知ることに劣らず疑うことはわれに快し。
(ダンテ)

c()※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)aca
 c()()
 
 abac 
 aca
 
 ca()()

(b)彼をして野辺に伏し、警急の唯中に生きさしめよ。
(ホラティウス)

 c()姿※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)()()
* モンテーニュは父からうけた教育に感謝しながら、一方では家庭内における個人教育の欠陥を諸々指摘している。
 a()()
 c()※(始め二重山括弧、1-1-52)()※(終わり二重山括弧、1-1-53)※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)ac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 
 acaca
 
 

(b)何処に氷とざし、いずこに熱砂まい立ち
またいかなる風がイタリアに舟を送るによろしきや。
(プロペルティウス)

 a
 cacacabac綿
* Etienne de La Bo※(ダイエレシス付きE小文字)tie. 後出第二十八章、その註、また白水社版『モンテーニュ全集』第一巻付録、及び私の『モンテーニュを語る』六一頁参照。
 a()()()ba()ca姿
 
 c調
 a

     b




(ペルシウス)

a()()

(b)いかにして苦痛を避けまたこれに堪うべきや。
(ウェルギリウス)

調c
 
 Arts lib※(アキュートアクセント付きE小文字)rauxliberal arts. 
 
 

 a


(ホラティウス)

最もばかばかしいのは、我々の子供たちに

(b)双魚宮や燃ゆる獅子座の運勢はいかに。
ヘスペリアの海をくぐる山羊座の運勢はいかに。
(プロペルティウス)

(a)星の学問や第八天体の運行を教えることを先にし、彼ら自らの進退を教えることを後まわしにすることでございます。

プレイアデス座に何の用かあらん。
牛飼い座に何の用かあらん。
(アナクレオン)

 c
 a
* 十五世紀の学者で、アリストテレスを註し、またギリシア文典を著わした。
 Montaigne psychologue et p※(アキュートアクセント付きE小文字)dagogue  J. Chateau 
 ca宿殿

(b)病める肉体の中にかくされた心の悩みは、
その喜びとひとしく色にず。
顔こそはこれらさまざまの感情を反映す。
(ユウェナリス)

a宿()ca() c姿()
* いずれもスコラ学者や論理学者が用いた術語。
 ca
 ()()()()()()()()()()()()
* アリオストの『オルランド・フリオソ』中の人物。
** 牧人パリスはユノーとパラスとウェヌスのうち、ウェヌスを最も美なりとした。
 (a)哲学は我々に生きることを教える学問であるのに、そして、子供時代もまたその他の諸時代と同じく哲学に学ぶべきものを持っているのに、どうして人は子供にそれを教えないのでしょう?
 

(b)粘土はなお軟らかく湿りてあり。
疾く疾く轆轤にかけてそれを形作れ。
(ペルシウス)

 ac()
 a
 ()

(b)老いたるも若きも、ここに生活の基準を学びて、
頭に霜をいただく時のために備えよ。
(ペルシウス)

 c
 ac調a
 調

そは富みたる者にも貧しきものにも等しく有益なり。
これを軽んずれば老いたるも若きも等しく悔いあらん。
(ホラティウス)

cacac
 a()()c姿
 une nature bien n※(アキュートアクセント付きE小文字)e. 鹿
 
 
 
 
 acaca()()()姿()cac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)a殿

アリスティッポスはあらゆる境遇と運命とに従えり。
(ホラティウス)

このように、私はお弟子をしつけたいものだと存じます。

()()()()
(ホラティウス)

c
 
  jeu de mots Voici mes le※(セディラ付きC小文字)ons. Celuil※(グレーブアクセント付きA小文字) a mieux profit※(アキュートアクセント付きE小文字), qui les fait, que qui les sait. Si vous le voyez, vous loyez; si vous loyez, vous le voyez. a
 
 ※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 
 
 acac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 a 
 
 殿()殿()()()殿()()()殿()()()ca

事理明瞭ならば言葉おのずから従う。
(ホラティウス)

※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)c※(始め二重山括弧、1-1-52)()※(終わり二重山括弧、1-1-53)a()使()()
 
** Candide lecteur という読者への呼びかけが、十六世紀の書物の序文にしばしば見られる。Candido lectori すなわち「公平な読者」の意味で、日本ではよく「博雅の君子」の叱正を期待するという序文がきまり文句であったのとよく似ている。
 b()()
 aca

(b)その趣味やよし。されど韻はつたなし。
(ホラティウス)

(a)ホラティウスは申しました。「彼の作品からその組み合せや韻律をすべてなくなして見よ。

(b)その韻脚を除き、語句の順序をさかしまにせよ。
かくして散らばれる各断片の中にも
おん身はなお詩人を見たまわん。
(ホラティウス)

ac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)a
* 『荘子』のなかの宋の元君と画者の話(「田子方篇」第六の説話)、梓慶が※(「金+據のつくり」、第4水準2-91-44)を造る話(「達生篇」第九の説話)に、全く同じ考えが認められる。
 c
 ac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)ac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)a c

表現に人を打つものあれば喜ばる。
(ルカヌス)

ac
 un parler 調調調 causerie 
 b
* これは地方からパリに出て来る書生たちの蛮カラ気取りをさして言っているので、一五五〇年頃、モンテーニュのパリ遊学時代の想出であろう。
 ac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 ※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 使
 
 a()()()
 調ca使()()()※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)cba殿
* これは具体的に言うとグヴェアを始めとするギュイエンヌ学院の教育者たちのことである。以下『モンテーニュとその時代』第二部の諸章参照。
** ホルスタヌスと言って、後にギュイエンヌ学院の上級を教えた。
*** ミュシダンの攻囲戦に出陣、二十六歳で勇敢な戦死をとげた。
**** 以上の回想は細部においてはいささか誇張を交えているが、大体において信憑性がある。『モンテーニュとその時代』第二部の諸章と対比せられたい。
 ギリシア語の方は、私はほとんど全く解らないのですが、父はこれを文法的に、しかし新しいやり方で、つまり娯楽遊戯の形式で、私に仕込もうと企てたのでございます。我々は互いに語尾変化をやりとりしました。ちょうど盤上でのあの遊戯によって算術や幾何を学ぶ人たちのように。まったく父は、私が強いられざる意志によって・私自らの欲求から・学問や義務を味得するように、私の心をきわめて静かにそして自由に、無理や窮屈なく育て上げるように、とすすめておられたのでございます。いや、そうしたすすめを、妄信したと申したいほどでございます。例えば誰やらが、「子供たちを朝急に目覚ますこと、いきなり乱暴に彼らを眠りから引き抜くことは(子供は大人よりずっと深い眠りの中にあるものだから)、彼らの柔らかな脳髄を混乱させる」と言うと、早速、ある楽器をかなでて私を目覚ますことにする、と言うふうでございました。それで私のために、この役をする男のいない時はなかったのでございます**
 quasi du tout point ()
** 一五八〇年版には、「私はそのためのエスピネットの奏者をもっていた」と書いている。エスピネットとは旧式のピアノのことである。
 ()使使
* これが後年モンテーニュの懐疑主義、反骨精神となるものである。
** モンテーニュはここで当時の学校教育を批判しているが、この点に関しての所論は、果して正当であろうか。『モンテーニュとその時代』第二部第二章一五七―一六二頁参照。
 ba ()
 c
 
 
 aca
 
 (b)ここにもう一つ、あの私の少年時代の特技、すなわち落ちつきはらった顔をして、なだらかな弁舌と身振りとで、思いのままにもろもろの人物を演出しえたということを申し添えましょうか。まったく私は、まだ年もゆかないのに、

年わずかに十二にして、
(ウェルギリウス)


* 当時この学校の教授たちは、毎年学生たちのためにラテン語の戯曲を書くことを義務の一つとされていたのである。それでここに挙げられているユマニスト教授たちは、かわるがわるラテン悲劇を創作したのである。
** こうした言葉の末に、モンテーニュ自ら名門の子弟の一人であるという誇りがほの見えるように感じられる。
 c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 bc
 a宿()
 
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第二十七章 真偽の判断を我々人間の知恵にゆだねるのはとんでもないこと



 

 ac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)()a()()

夢、魔の幻影、奇跡、妖女、夜の怪物、
その他テッサリアのさまざまな不思議
(ホラティウス)

などの話を聞くと、そういうばかげた事柄にたぶらかされるたわいのない人たちにそぞろ憐れを催した。だが今となって見れば、自分だって少なくとも同じくらいに憐れまれてよいのであった。それは、その後の経験が何かわたしの最初の信念以上のものを見せてくれたからではない。――もちろんわたしの好奇心が足りなかったせいでもない。――むしろ理性が、「そんなにきっぱりと物を嘘だとかありえないとか断定するのは、僭越千万にも神の御意みこころや我々の母たる自然の偉力の限界を、自分の頭でおしはかることだ。世にそれらの事柄を我々の知恵のものさしでおしはかるくらい馬鹿げたことはない」と、教えてくれたからである。もし我々の理性が及びえないことをことごとく奇怪といい奇跡と呼ぶならば、いかに多くの奇跡奇怪が絶えず我々の眼の前に発生することであろうか。そもそもいかなる雲を通じいかなる模索を経て、我々は現に把握している事物の大部分を認識するに到ったかを考えてみよう。そうすると、きっとそれらの物事から奇異をとり除いてくれるのは学識よりはむしろ習慣であることが、

(b)この大空の姿に我らなれ倦きたれば、
誰一人この光あふるる空間を仰ぎ見るものなし。
(ルクレティウス)

(a)そしてそれらの物事も、もし新たに我々の眼前に現われたら、何か他の珍しい物事と同様に、否それ以上に、信じ難く思われるであろうことが、わかるであろう。




(ルクレティウス)



b


a
(ルクレティウス)

 c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 ac
 aba綿
 ()c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
* 『アキタニア年代記』Les annales d’Aquitaine, par Jean Bouchet.
 a退
 
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第二十八章 友愛について



 この章は、モンテーニュが高等法院参議(評定官)であった時の同僚で、彼の上に深い感化を及ぼして早死にした心の友ラ・ボエシ Etienne de La Bo※(ダイエレシス付きE小文字)tie(正しくはラ・ブウェティと発音される)に対する哀切な追憶が生んだ友愛論であると共に、否それ以上に、不遇の裡に早世した偉大な人物ラ・ボエシの頌徳の辞であって、モンテーニュはここに故人の肖像を描いて、腐敗せる同時代人の眼を醒そうとするのである。これは第一巻の中心をなしているばかりでなく、全三巻を通ずるモンテーニュの一貫した精神的姿勢とも言えよう。二人の交遊関係については、私の『モンテーニュとその時代』第三部第三章A、及び白水社版『モンテーニュ全集』第四巻所収「書簡」中モンテーニュがその友の臨終のさまを父に報告した手紙とそれに関する解説について、詳細を知られたい。なお「旅日記」のなかにも、すなわちそれはラ・ボエシと死別して十七年もたった後のことであるが、ふと亡友を想い出して哀悼の情を禁じえなかったことが記されている。この章も、一五七六年前後に書かれたと推定されるから、親友の死後十三年を経て書かれたものである。

 a

そは魚の尾をもてる美女の姿なり。
(ホラティウス)

c()稿a稿稿
  Servitude volontaire  libert※(アキュートアクセント付きE小文字) volontaire 
 
*** La m※(アキュートアクセント付きE小文字)nagerie de X※(アキュートアクセント付きE小文字)nophon, Les r※(グレーブアクセント付きE小文字)gles du mariage de Plutarque et des vers fran※(セディラ付きC小文字)ais du feu Et. de La Bo※(ダイエレシス付きE小文字)tie, 1571 Paris. 拙著『モンテーニュとその時代』参照。
 
 
 ()()ca()()()()c()
 
* 自然が与える友交とは親子兄弟間の親しみ。主客間の友交(soci※(アキュートアクセント付きE小文字)t※(アキュートアクセント付きE小文字) hospitali※(グレーブアクセント付きE小文字)re)とは、宿の主人とそこに泊った旅客との間に生ずる情愛であろうか。
 a()()

(b)われ自ら、弟に対し慈父の如くなりとて、知られたりき**
(ホラティウス)

* この点はきわめて正確である。トランケの研究は科学的にこの文章を支持実証している。
 
 (a)これに婦人に対する愛情をくらべることは(それは我々の選択から生れるのではあるが)、とうていできないし、またそれを同じ部類に入れることもできない。いかにもその炎は(わたしは白状するが)、

まったくわれみずからも、
恋の悩みにほろ苦き甘味を加えしかの女神に、
識られざりしにはあらざりければ。
(カトゥルス)






※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)()
(アリオスト)

使
* 彼とはラ・ボエシを指す。第二十九章およびその註、白水社版『モンテーニュ全集』第一巻付録二参照。
 cac
 
 ac※(始め二重山括弧、1-1-52) amor amiciti※(リガチャAE小文字)  ※(終わり二重山括弧、1-1-53)姿()()※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
* 美少年を対象とする同性愛のこと。(c)の加筆の中にモンテーニュ自ら説明している。
** プラトン『饗宴』
 a便()()ca
 cf. Bulletin des Amis de Montaigne. 2es※(アキュートアクセント付きE小文字)rie no. 1. p, 24.c
 宿caca
* 前出二四八頁註***参照。
** モンテーニュは時に三十五歳であった。拙著『モンテーニュとその時代』参照。
  殿ca
 bc
 acaca
 
 歿
 c()
 a使c

 使()()

これこそわが流儀なり。
君は君の欲するとおりなしたまえ。
(テレンティウス)


 a

われに理性のあらん限り、この世に
良き友に優るものありとは思うまじ。
(ホラティウス)



永久に泣くべく永久に祭るべきその日より、
神の御意によりて彼とわれと別れしその日より、
(ウェルギリウス)



すべてを分ちあわん友も今やなければ、
われもはや何事も楽しむまじと決心しぬ。
(テレンティウス)

わたしはすでに到るところで二人であるのに慣れきっていたから、今では自分が半分**になってしまったように思う。

b

  

(ホラティウス)

a

かかるいとしき人を嘆き悼むに、
何をか恥じん、何をかためらわん。
(ホラティウス)


 ()

 ()

 
姿
 
(カトゥルス)

さあ、少しくこの十六歳の少年の語るのを聴こう***
 
 1
 
 
 R※(アキュートアクセント付きE小文字)veille-matin des Fran※(セディラ付きC小文字)ais1574M※(アキュートアクセント付きE小文字)moires de lEstat de France sous Charles neuvi※(グレーブアクセント付きE小文字)me1576
 
 そこでこのむつかしい著作のかわりに、わたしはもう一つ別の・ただしやはり同じ年頃に作られた・もっと元気で快活な・著作をお目にかけようと思う。
[#改ページ]

第二十九章 エチエンヌ・ド・ラ・ボエシの二十九篇の十四行詩

ギッセン伯夫人グラモンさま



 
 

 a調()()殿()


c

* 当時詩は常に朗詠唱歌せられたのである。
** 一五七二年にモンテーニュが刊行した『ラ・ボエシ著作集』がポール・ド・フォワ伯に献呈されていることを指す。白水社版『モンテーニュ全集』第四巻「書簡」第二および第六参照。
  sonnets 調
[#改ページ]

第三十章 節制について



 この章の書かれた時期は確定できないが、一五八〇年前の比較的初期に属するであろうことは否定できまい。ところがここで、モンテーニュはすでにストア主義者ではない。彼はすでに彼の本領たる中庸の徳をたたえている。この章は、「レーモン・スボン弁護」の章その他とともに、すでにキリスト教徒のファナティスム打倒を目標としているように見える。

 a

徳を愛すること余りに度を越ゆる時は、
賢者も奇人と言われ正しき者も不正の者とならん。
(ホラティウス)


 c
  Cardinal dOssat 
 
 
 a
 cacac
 acbcb
 c()
 a
 b()c
 aca
 

(b)我らは自ら運命の悲惨を増加す。
(プロペルティウス)

 c
 a()()ba()()
* キリスト教の精進では、鳥獣の肉は禁ずるが魚肉と卵はゆるされている。
 b()()()()c()()b()()使使使殿



 



 
Marston  Webster 
 彿

 aca
 使
* ヴィルガニョン Villegaignon(1510-1571)、フランスの提督、マルト騎士団の騎士。この人の航海に随伴した二人アンドレ・テヴェ Andr※(アキュートアクセント付きE小文字) Th※(アキュートアクセント付きE小文字)vet, ジャン・ド・レリ Jean de L※(アキュートアクセント付きE小文字)ry がこの地方(今日のブラジル)についてそれぞれ報告を書いている。ヴィルガニョンがここに上陸したのは一五五七年のことである。
プラトンは、ソロンがエジプトの国サイスの町の神官から聞いたといって語ったことを、次のようにその本の中に引いている。「昔々あの大洪水よりも前に、ジブラルタル海峡の出口のま正面に、アフリカとアジアとを二つ併せたよりも広大な地域をかかえた、アトランティスという大きな島があった。この国の諸王は、ただこの島を領有しただけでなく、その勢力を深く奥地にまで及ぼし、すでにアフリカはエジプトまで、ヨーロッパはトスカナまでも、領有しておったが、その上さらにアジアまでも足をのばし、黒海の入口にいたる地中海沿岸のすべての民族を従えようと企てた。そしてそのために、スペイン、ガリア、イタリアを突破し、とうとうギリシアに入ったが、そこでアテナイ人に食いとめられた。しかしそれから間もなく、アテナイ人も彼らも、またその島も、もろともにかの大洪水の中に没した」と。このおそろしい大洪水が人間の住む地域に非常な変化をあたえたということは、いかにも真実らしい。例えば伝えるところによると、海がシチリア島をイタリアから、

b

(ウェルギリウス)

a

かつてはを押すことをえたる不毛の沼沢、
今やすきにすかれて近くの町々を養いつつあり。
(ホラティウス)


 bcbc
 a西
 綿
 
 ca

b()()
()
(プロペルティウス)

* ルソーの『エミール』の書出しはまさにこのモンテーニュのパラグラフから発している。
 ac
 a()()()()()()c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)

(b)これぞ自然が与えし最初の掟。
(ウェルギリウス)

 a姿沿調()綿()()()西
* スイダス Suidas. ギリシアの文法家、辞典編者。
 ()()
 c
 aca
 

(b)聞くならくガスコーニュの人たちは、
かかる食餌を用いてその齢をのべたり。
(ユウェナリス)

a
 ()

(c)敵の霊を制してこれに敗北を告白させるよりほかに、
真正の勝利なし。
(クラウディアヌス)

 
 a()()宿c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)a
* モンテーニュはここに死んだラ・ボエシを回想し、真のジャンティヨムの肖像を描いている。
 (b)最も勇敢な人が、ときに最も不運である
* これもまた「一将功なって万骨枯る」の語と共に、ラ・ボエシの不遇夭折を回想している。
 c()
 
 a()()()
 
 
 c 使
 a
 ()
* これは一五六二年の出来事で、シャルル九世は当時十二歳の少年であった。年表参照。
 
 
 
[#改ページ]

第三十二章 神意をおしはかるには慎み深くすべきこと



 

 ac
 a※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)西
 b
 a()便便cac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
* これは異端者でも放蕩者でもなく、リヨンの司教で殉教者であった。
[#改ページ]


 



 a







 けれども、こういう死の蔑視をさらに押し進めて、名誉や富や権勢やその他我々が運命の恩寵と呼びなすものを解脱するためにそれを用いよう、とする考え、あたかもただ理性だけで、この新手の加勢をえないではとうてい我々に以上のものを放棄する気をおこさせるには足りない、とする考えにいたっては、さすがにこれを、ひとに勧めるものも自らこれを行うものも、見たことがなかったが、このほどとうとう次のようなセネカの一節が手に入った。それを見るとセネカは、皇帝の側近において権勢のすこぶる高かったあのルキリウスに向って、その淫蕩で豪奢な生活を変えるよう・現世の野心を捨てて孤独静穏な哲学的生活に入るよう・すすめ、ルキリウスがその困難なわけを幾つかあげると、こういっている。「わたしの考えでは、君はそのような生活を捨てるか、でなければ全然生命を捨てるか、どっちかにしなければならぬ。わたしはどっちでも楽な道をとるようにとすすめているのだ。すなわち、『結びそこねたものはこれをたち切るより解く方がよい。だが、どうしても解くことができない場合にはこれをたち切るがよい』と言っているのだ。どんな臆病者だって、いつまでも落ちそうにぶら下っているよりは、かえってひと思いに落ちたいと望まない者はない」と。わたしはこの勧告を、なるほどこれは厳正なストア学にふさわしいわいと思いそうになった。ところがなお不思議なことに、それはエピクロスから借りたものであった。エピクロスは、イドメネウスにそっくり同じことを書き送っているのである
* モンテーニュの初期におけるストア主義と見られているものも、実はエピクロス説なのだとアルマンゴーは考えている。
 耀



 



 a
  fata  fatum  facta  facta, lisez fata 
 殿殿婿殿()()()婿殿()()

幾冬の長き宵々が彼らの恋をあかしめる前に、
はやくもその新しき夫の腕の中からもぎとられて、
(カトゥルス)

殿
 c
 a
 ()()
 綿
 ()

運命は我々よりも気転あり。
(メナンドロス)

という名句を吐いたのも、むべなるかな。
* フランス王フィリップ・ル・ベルの娘、イギリス王エドワード二世の妃。
 c
 b



 



 aca便便
* この思いつきは、一六三一年フランス最初の新聞「ガゼット・ド・フランス」によって実現された。
 ca
* Lilius Gregorius Giraldus(1479-1552). 詩人にして考古学者、十六世紀のイタリアで令名をうたわれた人だが、生涯貧乏で晩年特に甚だしかった。モンテーニュはこの人の主著 Historia de diis gentium を蔵していた。
 Castellio1515-1563. 
*** アルマンゴーは、この或る人こそモンテーニュその人であろうと考えている。
 c簿使便
 Livre de Raison 
[#改ページ]

第三十六章 着物を着る習慣について



 

 a()()姿


(ルクレティウス)

ca
 c姿姿姿
 
 a()姿殿c
 
 a

その裸の頭の上に、彼は、
滝のごとき雨と雷霆らいていとを受けたり。
(シリウス・イタリクス)

 c
 
 a
* アンジュー公 duc d’Anjou 後にフランス王アンリ三世となった人。
** エチエンヌ・バトリ Etienne Bathory
 b
 a

酒凍結して容れものの形を保つことあり。
飲む時人はこれを汲まずしてこれを砕く。
(オウィディウス)

 (b)パルス・マエオティス湾の氷は非常なもので、ミトリダテスの代将は、冬足を濡らさないで敵を破ったその同じ場所で、次の夏には再び海戦によって同じ敵をやぶったと言われる。
* アゾフの海。ドン川の黒海にそそぐ所。
 c
 退西()()
 
 b



 



 
 

 ac()
 
 ac※(始め二重山括弧、1-1-52)()※(終わり二重山括弧、1-1-53)a()()

(c)徳はただ言葉の内にあるものと彼らは信じたり。
聖なる森も彼らの目にはただの樹木に過ぎず。
(ホラティウス)

※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 aca
* ラ・ロシュフコーの「格言」はここから発生した。
 c
 
 b c
 ()()()aca
 c()()姿姿姿姿姿

(a)カトーは、その生ける間も、かのカエサルよりも偉大なりき。
(マルティアリス)

と第一の者は言う。

カトーは屈せず、死をさえも屈せしめたり。
(マニリウス)

と次の者は言う。そして第三の者はカエサルとポンペイウスとの間の内乱について語りながら、

神々は勝者の側に立ちたれど、カトーは敗者の方にくみしたり。
(ルカヌス)

第四の者はカエサルをたたえて言う。

宇宙はすべて彼の足下にありき。
唯カトーの強き心のみはくだらざりき。
(ホラティウス)

そして最後に唱歌隊長は、その叙述の中に偉大なローマ人の名をあまた連ねた後、こんなふうに結んでいる。

而してこれらに君臨するカトー。
(ウェルギリウス)

 
[#改ページ]

第三十八章 いかに我々は同じ事柄を泣いたり笑ったりするか



 (a)我々は歴史をひもといて、アンティゴノスが、その息子がたった今打ち果したばかりの敵王ピュロスの首をさも得意げに自分の前に差し出したのを見て、はなはだ不機嫌になったこと、そしてそれを見るなりさめざめと泣いたこと、それからロレーヌ公ルネもまた、自分が打ち負かしたブルゴーニュ公シャルルの死をいたみ、その埋葬の場に臨んで涙を流したということ、またモンフォール伯が、ともにブルターニュ公領を争った敵のシャルル・ド・ブロワに勝ったそのオーレの戦いで、敵将の遺骸に行きあうや深い悲嘆に沈まれたことなどを読んでも、すぐに

人の心はその秘めたる思いを、
うらはらなる姿の下にかくすものなり。
悲しみはこれをにこやかなる顔の下に、
喜びはこれをかなしげなる姿の下に。
(ペトラルカ)

()

彼はこの時、これよりは思いのままに
義父の真情を披瀝ひれきしうるよと喜びつつ、
楽しき心のうちより無理に涙と嘆きとを引き出せり。
(ルカヌス)

などといったように。まったく正直いえば、我々の行為の大部分は仮面・見せかけ・にすぎないのではあるけれども、時には

相続人の涙は仮面せる笑なり。
(プブリウス・シルス)

()()()婿殿



()()
(カトゥルス)


 b()c 
 b
 a

(b)光明の豊かなる泉・太陽は、
絶えず新たに生れずる光もて空をひたし、
常に光明の上に光明をそそぎかけつつあり。
(ルクレティウス)

()
 c
 a姿

b


(ルクレティウス)

 a()
* このティモレオンの事績は後出第三巻第一章の中に詳しく論評されている。
[#改ページ]

第三十九章 孤独について



 このエッセーは、前出第十四章や第二十章などと共に、初期(一五七二―七四)の哲学的随想の一つと見られるが、一五八〇年発表される直前にいくらか修正が加えられたのではないかと思われる節もなくはない。マルセル・フランソンはこれを一五七八―七九年頃に書かれたとしている。ここにモンテーニュは隠遁生活の徳をたたえているのであるが、この脱俗超世ぶりは、一五八〇年以後、例えば加筆(c)や第三巻第十章などにおいて著しく緩和されているから、両方を併せ読む必要がある。なお第二巻第十六章「栄誉について」の章とも対比するならば、モンテーニュの隠棲論の真意を一そうよくつかむことができよう。

 a()()

(b)善人はきわめて稀なり。
そは、テーバイの城門・ナイルの河口・の数にだも及ばず。
(ユウェナリス)

a
 
 c
  
 
 a
 b
 c
 
 ()()

き思いを吹き払うは理性と知恵となり。
万里の波濤を見はるかす岸べにはあらず。
(ホラティウス)

野心・貪欲・不安・恐怖および淫欲は、住む里を変えたからとて我々を離れはしないのである。

暗愁は逃ぐる騎手を追いて、その馬の尻にうち乗る。
(ホラティウス)

それらはしばしば僧院の庭や哲学の講堂にまで我々を追いかけて来る。沙漠も洞窟も毛襦袢も断食も、我々をそれらから救いはしない。
* 苦行をする者が着る馬の毛で織ったシャツ。

命とりの矢は脇腹にささりて抜けず。
(ウェルギリウス)

或る人がソクラテスに向って、「誰やらは旅に出たけれど少しも直らなかった」と言ったところ、「さもあろう。彼は自分をかかえたまま飛び出していったからね」といった。

なぜなれば別の太陽の照らす国を求めゆくや。
その国を出たればとて誰かおのれ自らを出でんや。
(ホラティウス)

 

b

(ペルシウス)



心もし不徳より清められずば、
内なる敵をいかでか防ぎうべき?
いかなる憂い、いかなる恐れに、
煩悩の男は、その身を裂かれざる?
誇りやおごりや又憤りが、彼の心に、
いかなる悶えと怠りとをもたらさざる?
(ルクレティウス)

(a)我々の悪は我々の霊魂の中にがんばっている。ところが霊魂は霊魂から脱け出すことができない。

悪は霊魂の中にあり。霊魂はついに霊魂を脱しえず。
(ホラティウス)


 
 c
 a退

孤独の中において、汝こそ、汝自らのために世間たれ。
(ティブルス)

 arri※(グレーブアクセント付きE小文字)re-boutique 
 c退
 c
 a()()

何事ぞ、いやしくも人間たるものが、
自分より以上に何事かを愛するとは。
(テレンティウス)

 
 c
 a()
 c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 退
 a使




(ホラティウス)

 
 c使
 a
 
 退

物事を従えよ。物事に従うことなかれ。
(ホラティウス)

 

羊らデモクリトスの畠の収穫を食べ荒しおるに
彼の心は、その肉体をいでて、遠く空のかなたに遊びたりき。
(ホラティウス)


 
* 『博物誌』をかいた大プリニウスの甥にあたる。

(b)何ごとぞ、
人知らざれば汝が知恵に価なしとは!
(ペルシウス)

 c()
* このような節をよむと、モンテーニュが全く不信仰者であったとは思えない。
 a()
 ()退()b

人おのおの最も己れの心にかなう道を選べ。
(プロペルティウス)

 (a)家事においても、研学においても、狩猟その他何事においても、快楽の最後の限界まで押してゆくがよろしい。ただし、その向う側には引き込まれないように用心しなければいけない。そこを境として苦味が混ってくるからである。勉強も苦労も、ただ自分が生きてゆく張合を感ずるのに必要なだけに、ただ何もすることがなく退屈で困るというあべこべの不快を避けるためだけに、とどめなければならない。世にはみのりのない、いばら〔荊棘〕だらけの学問がある。それらは大部分俗衆のためにできているのであるから、そんなものは世間に奉仕したい人たちに委せておけばよい。このわたしが愛するのは、ただ面白く易しくてわたしをくすぐる書物か、でなければ、わたしが自分の生と死とを調節するにあたって慰めとも力ともなるような・

われをしてすこやかなる森の中を逍遙せしめ・
賢者と徳人とにふさわしきことを教うる・
(ホラティウス)

書物だけである。賢明な人々は旺盛な霊魂をもっているから、全然精神的な安静を造り上げることができる。だがわたしはふつうの霊魂をもつだけだから、肉体的愉快の助けをかりて自己を支えてゆかなければならない。ところが年齢が、かつてわたしの心に適っていた肉体的愉快を今しがた持って行ってしまったから、わたしは今自分の欲望を、老いたる現在の季節にふさわしい残りの愉快に対して慣らしかつ鋭くする。我々は爪をも歯をも用いて、我々の年齢が一つ一つ我々の手から奪いとってゆく人生の快楽を、引きとめ用いなければならない。

b()
(ペルシウス)

 (a)ところで、あのプリニウスとキケロが勧める栄誉という目的にいたっては、わたしの考えからはきわめてかけ離れている。隠遁に最も反対な心持と言えば、それは野心なのである。光栄と安静とはとうてい同じ宿に住みえないのである。わたしの見るところでは、あの二人は腕と脚だけしか浮世の外に出していない。その霊魂、その意図は、依然として、今までよりも以上に、浮世につながれている。

(b)老いぼれよ。ただ他人の耳を楽しませるためにのみいそしむや。
(ペルシウス)

 ac※(始め二重山括弧、1-1-52)姿※(終わり二重山括弧、1-1-53)a
 
[#改ページ]

第四十章 キケロに関する考察



 c

 a()()b
* 前章後半における、キケロ―プリニウス対セネカ―エピクロスの比較。
** 「このプリニウス」とは伯父である自然学者大プリニウスに対して前章以来論じて来た小プリニウスをさしている。
*** テレンティウス。
 ac
 c姿
 b使綿
* 海綿は液体をよく吸収するから大酒呑みをさしている。

刃むかう敵には強くあれ。
恐れる敵には優しくあれ。
(ホラティウス)

狩猟や舞踊をよくするということも王者の本職ではない。



(ウェルギリウス)

 a
 b
 a()
 c()()※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 a
 調
* エピクロスはイドメネウスに、セネカはルキリウスに書いた。
 
 bcb
 
 cbcb
 c調
 
 b()使
 綿
 b使
[#改ページ]

第四十一章 名誉はなかなか人に譲らないこと



 (a)世にあるもろもろの迷夢のうち最も広く人々にいだかれるのは、評判や栄光にたいする執念である。我々はそれらのために、財宝や安楽や生命や健康というような、実効的で実質的な幸福までもすててかえりみず、ひたすらこの実体もなく捉まえることもできない空しい影、単なる名声を追い求める。


姿
()()
(タッソー)


 bc※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)b
 a使c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 b
 c()()()殿



 



 便

 (a)プルタルコスはどこかで、動物仲間には人間同士の間におけるほどの隔たりがないと言っているが、それは霊魂の能力、内部的諸特質についての話である。ほんとうに、わたしが心に想像するエパメイノンダスと、現にわたしが知っている或るひと、すなわちただ普通の分別を備えた或るひと、との隔たりはとても遙かなものであるから、わたしは喜んでプルタルコスの所説を強調したい。そして、ある人とある人との間の隔たりは、ある人とある動物との間の隔たり以上であると言いたい。

(c)ああ、いかなれば、一人は他の一人に、
かくも遙かに優れたるよ。
(テレンティウス)

 
 a

b

(ユウェナリス)

a殿
* 狩猟に用いる鷹。
** 中味をあらためずに物を買いはしないという諺。

()


姿
(ホラティウス)

()()()






(ホラティウス)

こういう人は、王国や公国より五百ひろも高いところにいる。彼自らが彼の帝国であるからだ。

(c)賢者は自己の幸福を作る工匠なり。
(プラウトゥス)

(a)この上彼に、一体何の願うところがあろう。



(ルクレティウス)

ca
 c
 
 a()

(b)その身には黄金のふちどる碧玉を帯び、
また美しき海の色なす衣をば、日々、
ウェヌスの汗に汚しては着換うれども、
(ルクレティウス)

ac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 a

げに、財宝も執政の斧杖も、
金殿の中に思い乱るる
彼の心の憂いを払いつくすには
足らざるなり。
(ホラティウス)

(b)いや、心配と恐怖とが、百万の兵隊に守られた彼の喉もとをおさえている。

恐怖と憂鬱とはその身を去らねども、
武器のひびきも刀槍の光も恐るることなし。
黄金の光をもあえてはばからず、
王侯貴人の許に平然として坐せり。
(ルクレティウス)

a宿()()()()

金襴と猩々緋しょうじょうひしとねの上に横たわるも、
また粗き毛布一片の上に打ち伏すも、
体熱の落つるに遅速なし。
(ルクレティウス)

 便

(b)おとめらよ、彼を争え。
彼が踏む至るところに花よ咲け。
(ペルシウス)

だがもしそれが粗野で愚鈍な霊魂であったら? 快楽だって、幸福だって、精力がなく機知がなくては、感じようがないのである。

物の価はこれを持つ人の心によりて変る。
よく用いる者には福となり、
よく用いざる者には禍となる。
(テレンティウス)

(a)運命の賜物はいずれもみな結構なものであるが、それらを味わうにはやはり感覚がなければならない。我々を幸福にするのは享受であって所持ではないのだ。

()






()
(ホラティウス)

c
 ab

満身これ金銀
(ティブルス)

であろうが、おしまいである。(a)彼は自ら金殿玉楼のうちにあることも、威勢ならぶ者なき身であることも、うち忘れてしまうではないか。ひとたび怒れば、公爵様だって気ちがい同然、赤くなったり、青くなったり、歯がみをしたりせずにはいられないではないか。ところが、生れつき良識のある君子人であるなら、王たることはその人の幸福にほとんど何もつけ加えはしないのである。


(ホラティウス)



(b)国政を自ら行わんよりは、
心静かに服従するにしかず。
(ルクレティウス)

それにキュロスは、「自らその司令する人たちよりもはるかに優れているのでなければ、人を司令する資格はない」と言っている。
* ※(始め二重山括弧、1-1-52)un habile homme et bien n※(アキュートアクセント付きE小文字)※(終わり二重山括弧、1-1-53)生れながら正しい判断を備えている人の意。
 a()

(b)あまりにも幸福円満なる恋はうとましきもの。
佳肴あまりに多くして胃を疲らすに似たり。
(オウィディウス)

a姿

変化は貴人たちを喜ばす。
敷物もなく緋のしとねもなきしずが家に、
質素にして清潔なる食物をとらるる時、
彼らも愁眉開くことあり。
(ホラティウス)

c()()
 a
 bc()()()b()()
 a姿姿姿
 
 b
 a便()便
* 前者はブリサック元帥、後者はモンリュック元帥。ともに王室伺候の侍従武官である。
** こういうところにモンテーニュの宮廷生活への失望と自嘲が読まれる。ここに桂冠引退の志の深さが察せられる。
 bc※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 a ()

(b)王がうける最大の得は、
いかなる行為も許されざるはなく
賞められざるはなきことなり。
(セネカ)

a
 ()
 b()
 ()
 a  

明らかに彼、その欲望を限ることを知らざりしなり。
真の幸福の境を知らざりしなり。
(ルクレティウス)

 わたしはこの場合に最も適切であると思われる次の古句でこの章を結ぼうと思う。※(始め二重山括弧、1-1-52)人は各々その性格によって自らの運命を作る※(終わり二重山括弧、1-1-53)(コルネリウス・ネポス)。
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第四十三章 奢侈取締令について



 十六世紀のフランス朝野は、イタリアの感化を受けて非常に奢侈に流れ、流行はめまぐるしく変遷したので、為政者は国費の国外に流出することを憂えるとともに、人々の社会階級を標示する伝統的服装を保存したかった。それでフランソワ一世よりルイ十四世にいたるまでの間、奢侈を取締る勅令が幾度となく強化せられたのである。このエッセーはそうした事情の下に生れたので、その直接の動機となったのは一五七三年あるいは七七年の布令であったろうと想像される。

 a()()
 b()()
 Pourpoint.  chausses 
 a()()
 bc※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)b便()姿()()
* いわゆる股袋 braguette のついた半ズボン。
 (c)プラトンはその『法律』の中で、若者どもが勝手に服装や挙動や舞踏や稽古や歌謡をあれこれと変えるのを放任しておくことくらい、その国のために有害なことはないと認めている。それは彼らが自分の判断を右から左へかえることであり、ただただ新しさを追い、革新者をあがめることにほかならず、そのために風儀は腐敗し、古来の制度はことごとく蔑視されるようになるからである。どんな事柄においても(全然悪いことにおいては別だが)、変化は恐れられなければならない。季節・風・食物・気風、いずれの変化もそうである。いや法令にしても、神によってとにかく永い継続を許されたものでなければ、つまり何人もその起源を知らず、昔から別様であったためしがないほどのものでなければ、真に信じるには足りないのである。
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 a()()姿
 
 退()()
 退使使使()()
 ※(小書き片仮名ル、1-6-92)()
 c



 



 a殿殿
 
 殿
 b()退



 



 a
 
* ジャンは中世以来馬鹿・お人好し・の意に用いられ、ギヨームは何の取柄もない平々凡々の男を指し、ブノワは愚直なおめでたい人間をいう。
 
 
 b()()()()()()()()
 a使使
 c
 a()()
 c()調
 a()
 
 
 ()()
* 往時系図は樹木の形に書きあらわされたのである。
 b()()便殿cb()
* このモンテーニュの友とはガストン・ド・フォワ。この人はアンリ二世の時代から沢山の領地を持つ大貴族である。
 ()()()()()()
* グール gueule というのは紋章用語で赤地のこと。前出アジュール azur は空色をさす。
** モンテーニュは一五七六年に紋章入りメダイユを造らせたが(後出二の十二、六二三頁参照)、今や第三巻時代には、このように紋章の根拠薄弱なことをちゃんと意識している。
 aca()ΣΤ

そは唯かりそめの競技の勝負にあらざれば。
(ウェルギリウス)


* ゲスカンとゲアカンは Bouchet, Annales d’Aquitaine に出て来る形で、Froissart の中では同じ人物がグレスカンとなっているしだいである。M※(アキュートアクセント付きE小文字)nage の言うところによると、この人物の名は十四通りに書かれているということである。
** ルキアノスの『母音の裁判』のなかに出て来る。
*** 十六世紀フランスの画家、詩人。
**** ピエール・テラーユという肝心な名前が今では忘れられて、ただバヤールの騎士で通っていることを指摘したのである。
***** アントワーヌ・エスカランが本名であるが、かえってカピタン・プーラン、バロン・ド・ラ・ガルドという仮の名の方で知られている。
 ca 

そは果して土中に埋れし枯骨を感激せしむるや。
(ウェルギリウス)

c

わが勲功ははかりごとによりてラケダイモンの栄光をすら暗うしたり****
(キケロ)

について、どう感じているだろうか。またスキピオ・アフリカヌスは、

太陽がマエオティスの沼の彼方に出でてより
誰ひとり我がいさおしに比すべきいさおしをたてたるものなし。
(キケロ)

の句について、どんな風に感じているだろうか。
* モンテーニュの家来の中にもピエール・エイケムという同姓同名が父以外にも二、三名あって、事実、後世の伝記作者に幾度も人違いをさせている。
** 大王ポンペイウス。
*** クネイウス・ポンペイウス・マグヌスを指す。
**** エパメイノンダスの像の台石に刻まれた詩句。
 生き残った者はこういう言葉のやさしさにくすぐられ、それに嫉妬や羨望の感情をそそられ、漫然とただ想像によって、この自分自身の感覚を死者に移入する。そしてあだなる希望をもって、自分たちもまた、死んだ後になお同様の感覚がうけられるもののように思い込む。とんでもないこと!
 (a)しかし、





(ユウェナリス)
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第四十七章 我々の判断の不確実について



(a)善くも悪しくも言いようはあまたあり。
(ホメロス)

ほんとうにいかなる場合にも、たくさんの言い方があり、善くもまた悪くも言い得るものだ〔ギリシア語引用句をモンテーニュが仏訳したもの〕とはよく言ったもんだ。例えば

ハンニバルはローマ人に勝ちたりき。
されどその勝利を利用するすべを知らざりき。
(ペトラルカ)

という意見にくみして、わが国の将士が最近モンコントゥールにおいて最後まで追撃をつづけなかったのは失敗であったと言い立てる者、あるいはスペイン王がサン・カンタンにおいてわが軍に勝ったにも拘らず、戦果をそれ以上に利用する術を知らなかったとてこれをそしる者は、次のように言うこともできるであろう。「この失敗は霊魂がその好運に酔ったことに由来する。心がこれっぱかりの幸福のさきがけに早くも満腹して、それだけのものさえも消化しきれず、いわんやそれをもっと増大しようなどとの欲望をなくしてしまったことに由来する。その両腕は早くも一杯になり、それ以上をかかえこむことができなかったというのでは、運命からああいう幸福を託せられる資格はない。まったく相かわらず敵に逆襲の頼りを与えるようでは、せっかくの勝利が何になろう。負けいくさに心おびえた敵をさえ追跡することをあえてせず、またそれをなしえなかったような者に、どうして我々は、おのれの陣容をたて直し、旧に倍する敵愾心てきがいしんと復讐心とをもって捲土けんど重来する敵軍と、もう一度渡り合えと希望することができよう?

運命がすべてを引きずり行き、すべてが恐怖に追わるる時、
(ルカヌス)

()()()()※(小書き片仮名ル、1-6-92)殿殿c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
* 紀元前九一―八八年、イタリア人がローマ市民権を得ようとして起した内乱。
** 女教師がヒステリックになって児童を折檻したことの回想であろう。

(b)死を軽んずる者は、やぶるるもなお敵を傷つく。
(ルカヌス)

 c()a
 caba
 
 姿c
 a()()ca
 便





(マニリウス)


* 客を迎えるものがご馳走の費用を払わねばならない。敵を領内へ迎えるものは敵のために犠牲を忍ばねばならぬという意味になる。
** 運命ないし偶然の語は、モンテーニュにおいては「自然」「神」「摂理」などの同意語の如く、『随想録』の至るところに現れる。
 c



 



 a funales dextrarios※(始め二重山括弧、1-1-52)destriers※(終わり二重山括弧、1-1-53)※(始め二重山括弧、1-1-52)adestrer※(終わり二重山括弧、1-1-53)調desultorios equos c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 
 
 
 a
 ca
 c
 ac※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 ()()※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 aca

(b)彼らは一度は退くもまた盛り返して戦えり。
負けたるものも勝ちたるものも
いずれも逃ぐることを知らざりければなり。
(ウェルギリウス)

c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)a()()()()()()
 b



(ルカヌス)

 a使
* 著者は一五八〇年にはこの計画をもっていたのだろうが、ついに実行せずに終った。ただ一五八八年に、次につづく二項を書き添えたにとどまった。
 c使()()

けたたましき音をたてつつ
いかずちのごとくファラリカはおち来りぬ。
(ウェルギリウス)

 使()()※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)()()※(始め二重山括弧、1-1-52)()※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 退()
* 「一万人の退却」と言われるもの。紀元前四〇一年、ギリシア人がクナクサの戦いに敗れ、クセノフォンの統率の下に辛うじてギリシアまで逃げかえったことをさす。
 a()()()()使
 b

マッシリア人は裸の馬に乗る。
彼らはくつわを知らずただ一本の鞭による。
(ルカヌス)
(c)またヌミディア人は轡なき馬に乗る。
(ウェルギリウス)

※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 a()()
 c()
* バルタザレ・カスティリヨーネの著(一五二八)。
 
 b

サルマティア人もまた、馬の血を以て養いとしたり。
(マルティアリス)

便
 c
 b()
* 当時アメリカのことを西方インドと呼んでいた。後出東方インドというのが我々のいうインドである。
 
 c()
 
 ※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 b使
 c()便
 
 b※(始め二重山括弧、1-1-52)cheval entier※(終わり二重山括弧、1-1-53)()
 c殿()bc姿b
 



 



 a()鹿c()
 a※(「析/日」、第3水準1-85-31)
 ※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
* カープ cape というのは頭巾のついた袖のない短いマントである。
 
* 生え際の毛をぬかせて額をひろく見せたのである。当時の貴婦人の像を見るとわかる。

なんじ、胸や脛や腕の毛を除く。
(マルティアリス)

もっとも古人の方はそのための特別の香油を持っていたのであるが。

彼女はその身に除毛膏を塗りたり。
そは乾ける粘土を酢の中にひたせるものなりき。
(マルティアリス)



その時アエネアスは床の上より次のごとく言えり。
(ウェルギリウス)

それで、伝えるところによると、小カトーはファルサロスの戦い以来、国運がはなはだ振わないのに心をいため、常に坐って食事し、毎日の生活を更にきびしくしたということである。彼らは敬慕の情を示すために、えらい人たちの手に接吻した。友人間においては挨拶として接吻を交わした。ちょうどヴェネツィア人がするように。

最も優しき言葉もてそなたをことほぎつつ、
われそなたに口づけせん。
(オウィディウス)

c 
 a綿綿綿

このネルでそなたのペニスを拭うほかに
まことそなたのために何もなしえじ。
(マルティアリス)

ローマでは四辻ごとに、通行人が小便をするための便器や小桶が備えてあった。

しばしば少年はその夢に、自ら衣をかかげて
この用に備えられたる器に放尿すと見る。
(ルクレティウス)

()()

()()
(マルティアリス)


 
 

そなたが、全裸にて温浴をするとき、
黒革のふんどししたる奴隷そなたの命を待つ。
(マルティアリス)


 
 

旅人の金をあつめ、曳船に驢馬をつけるに、
ゆうにひと時はすぐるなり。
(ホラティウス)

 女は寝台の壁ぎわの方に寝たものである。だから人はカエサルのことを、「王ニコメデスの壁ぎわ」※(始め二重山括弧、1-1-52)sponda Regis Nicomedis※(終わり二重山括弧、1-1-53)と呼んだ。
  ruelle 
 (b)彼らは息を切っては酒を飲んだ。また酒を水で割った。

若き奴隷よ。我々の傍を流るる水をみて、
とく、この熱きファレルナの酒を冷ませ。
(ホラティウス)

それから、我々の下男がよくやる・あの人をばかにした・しぐさも昔からあった。



(ペルシウス)


 a



 



  essai 
  essai  essayer 
 

 a()c
  essai, essayer 
 a()
 c()
 ahumaine condition

(b)彼ら一歩その家の外に踏み出すとき
一人は笑い、一人は涙を浮べたりき。
(ユウェナリス)

 a鹿()()
 c鹿
* モンテーニュはこの考えを後に第三巻第十章で詳説している。
 この我々人間に特有な本性は、笑うべきものであるとともに笑わせるものである。
 Nostre propre et peculiere condition est autant ridicule que risible.  boutades 



 



 abab()()
* これは歴史家のトゥキュディデスではなく、ペリクレスの反対党であった貴族派の首領の一人を指している。
 c
 
 
 a使c
 a()()
 調

(b)兎の切り方と雛鳥の切り方とを区別するは、
決してかりそめの事にあらざるなり。
(ユウェナリス)

a






(テレンティウス)

とにかくギリシア人さえ、パウルス・アエミリウスがマケドニアから帰って彼らに供した料理の秩序整然としているのを見ては、ひどくこれをほめたたえた。だがわたしは、いま事柄について語っているのではなく言葉について語っているのだ。
 果して皆さんにも同様の御経験がおありかどうか知らないが、わたしはわが国の建築師たちが、透し柱・台輪だいわ・軒蛇腹・はてはコリント式のドリア式のと、いかにも物々しい術語を連発するのをきいていると、どうしてもアポリドンの宮殿を連想せずにはいられない。ところがなに、うちの台所の扉のつまらない部分の話なのである。
* 『アマディス』の中に描かれている善美をつくした宮殿。
 b
 a()()()



 



 a
 使
 b



 



 (a)もし我々が時折自分自身を考察してみるならば、そして他人のあらさがしをしたり・我々の外にある物事を詮索したり・するために用いる時間を我々自らを測量するのに用いるならば、我々は容易に、我々のこの全組織がいかに脆弱ぜいじゃくな各部から成り立っているかに、気づくであろう。どんな物の中にも我々の満足を置くことができないということは、また欲望や想像によってすら自らに入用なものを選択することができないということは、我々が不完全であることの著しい証拠ではあるまいか。そのよい証拠は、いつの世にも、人間の至上の幸福を見出そうという大きな論争が、哲学者の間に絶えないことである。しかもそれは今もなお続いているばかりでなく、また永遠に続くであろう。いつになってもその解決や一致は得られないであろう。

b

(ルクレティウス)

 a

b




(ルクレティウス)

 ※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)



 



 a()
* ミノは升目の単位。ほぼ三十九リットルに当る。
  Sire.  Dames  Damoiselles  Dames 
* 陛下。
** ラ・フォンテーヌの靴屋も Sire Gr※(アキュートアクセント付きE小文字)goire と呼ばれている。
 b
 a
 c()()
 aca()()
 bc()()()()()()
* このパラグラフと次の二つのパラグラフが、パスカルのパンセ三二七を生み、更にそれを読んだシャトーブリアンをひどく感激させたことは有名な話である。
 c
 b
 c()
 
 a



 



 a()()

女のかぐわしさとは全く香らざることなり。
(プラウトゥス)

ba


(マルティアリス)

ポストゥムスよ。常によく香るものはくさし。
(マルティアリス)

 (b)けれどもわたしは良い香りに包まれているのが大好きで、悪いにおいをひどく嫌う。悪いにおいは誰よりも遠くから嗅ぎつける。

かくれ伏す猪を嗅ぎ出す犬よりもさとく、
ポリプスよ、
わが鼻は牡牛のにおいと腋臭わきがとを嗅ぎわく。
(ホラティウス)

 c()
 b()cb
* モンテーニュは少年時代からセンシュアルな傾向があり、ギュイエンヌ学院上級生時代にこの種の洗礼をうけてから後は、パリ遊学時代、法官時代を通じて恋愛の経験をしばしばした。
 c調()
 b宿()



 



 
 
 

 a()c使()()a
 
 
 cac
 
 ab
 acacac()a
 c
 a

(b)もしも夜、姦通を行わんとて、
昼間のみ、隠者の僧帽を戴くだけならば、
(ユウェナリス)

 
 c
 a
 bcb綿()()
 c宿 ()姿 ()()便
 a()()
 bcb※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)
 c()()()()()
 b
* 事実一五七一年に、ラ・ロシェルでバスク語の新約聖書が公刊された。
 (c)わがギリシア史家の一人が自分の時代を非難して、「今やキリスト教の秘密は無学な者どもの手に委ねられてちまたにまき散らされている。各人はこれを思いのままに論議することができる。まことに、聖寵によって信心の純粋な神秘をたのしむ我々から見れば、それらの神秘をああいう無知な人民の口さきに汚されるがままにしておくということは、大きな恥辱でなければならない。見なさい。異教徒たちでさえ、ソクラテスやプラトンやその他の賢者に対して、デルフォイの祭官たちにゆだねられた事柄を詮議することを禁じているではないか」と言ったのはもっともである。またこうも言っている。「神学上の問題に関する王侯の争いは、熱い信仰をもって武装されず、憤怒をもって武装されている。この熱い信仰も、整然と節度をもって導かれるときは、神の理性と正義とに通ずるけれども、人間の情欲に導かれるときは怨恨と嫉妬に変り、麦とぶどうを産せずに毒麦といら草とを生ずる」と。また或る者がテオドシウス皇帝に勧告して、「宗論は教会の分離を抑止しない。かえってこれを助長し、邪説を煽り立てる。だから弁証論めいたあらゆる口論はやめさせなければいけない。そして古人によって定められた信仰の規定におとなしく服従させなければいけない」と言ったのももっともである。また皇帝アンドロニコスは、宮中において二人の男が我々の宗教上の大問題の一つに関するロパディウスの言葉について口論し合っているのを見ると、ひどく二人を叱責し、「この上なお続けるならば河の中に投げ入れるぞ」と威嚇した。
* ニケタス Nic※(アキュートアクセント付きE小文字)tas(1150-1216). ビザンティウムの歴史家。「わが」と冠しているのは、古代人でなく近代人たることを意味しているのである。
 
 使姿
 

おお、ユピテルよ、おん身についてわれは、
ただおん身の名よりほかに何事をも知らざるなり。
(アミヨ仏訳による)

 b()()c※(始め二重山括弧、1-1-52)※(終わり二重山括弧、1-1-53)b宿
 b
 c
 b
 a使
 c

(b)その願うところは、神々を物蔭に招きて、声をひそめて願いうることのみ。
(ペルシウス)

 ac()()

b()


(ペルシウス)

 a()()
 

   (b)我々は声をひそめて、
罪深き祈りをささやく。
(ルカヌス)

 (a)その神に捧げる秘密の要求を、公然とさらけ出すことのできる人はほとんどない。

神前に恥ずかしげにその祈りをつぶやくをやめて
声高らかにこれを言いうるものは一人だになし。
(ペルシウス)

だからこそピュタゴラスのともがらは、「祈祷は公然と万人に聞かれるようにしなければならない」と言ったのである。つまり人は、次のように不義不正な事柄を祈ってはいけないからだ。


()


(ホラティウス)

* 盗人の守護神。
 c
 aca使姿

もし祭壇に触るる手さえ清ければ、
高価なる犠牲をささげずとも、
 ただ麦と塩とを供えるのみにて、
 怒れる氏神をもなだめうべし。
(ホラティウス)
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 a寿 寿寿
 寿
 ()()
 


b()




 ac
 a退

(b)時の荒々しき攻撃が肉体を弱らせ、
四肢にあふるる力を奪いゆく時、
判断もよろめき、舌ももつれ、
機知もまた消えゆくなり。
(ルクレティウス)

a






   2014262281

   197045130

Juki
2019716

https://www.aozora.gr.jp/

-- 2.1 https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/2.1/jp/







 W3C  XHTML1.1 



JIS X 0213



JIS X 0213-


「にんべん+賁」、U+50E8    53-1
鋭アクセント付きυ、U+1F7B    199-7


●図書カード