風塵漸ようやく収まって世界は今や夕ゆう凪なぎの寂静に帰ったが、この平和を間かん歇けつ的のものたらしめず永久に確保し行かんと欲する事が、この五年間戦雲に鎖とざされた後に、斉ひとしく眼覚めた全人類の渾身の努力で無ければならぬ。人々口を開けば正義といい、人道という。正義、人道は古来吾ごじ人んの標置する高き理想であるが、これを如いか何よ様うにして実現すべきか。この実現は刻下の時勢の必要が吾人に迫って促して已やまざるところのものである。特にこのたびの大戦の教訓はこの正義、人道が最後の勝利者たるを示した。吾人はこの最後の勝利をあくまで持続的のものたらしめ、これを永遠に確保せしめなければならぬ。これが即ち吾人の理想の実現に忠実なるゆえんである。宗教家は曰いわずや、天国は終ついに来るべしと。これは神の愛が恵日の如く、慈風の如く下か土どに遍照し流行して、人類が共に永久の平和を楽しむの日有るを語ったもの、人類の歴史は虎狼の群羊を駆るが如く、強者が弱者を圧して止やまざるものであるけれども、而しかも人の性は正義を愛し人道を好む。平和はあくまでその理想とするところである。否いな、平和はこれを理想というよりも、吾人の確信というを以て一層妥当なりとする。而しかしてその確信を実現する事が吾人の受けたる天命である。されば吾人人類は互いに利己的欲望をある度にまで制限して調和を謀はかるべきだが、如いか何んせん、人類にはまた誤れる種々の歴史的思想あり、感情あり、迷信あり、政治あり。これがその本来の理想の実現を妨げて、地上に刃を齎もたらす事が屡る次じである。その結果は枕ちん骸がい野に遍あまねく草木もために凄悲するという惨憺たる光景を呈するに至る。生きながらの地獄である。これに於て悔悟する。即ち宗教家のいわゆる悔くい改あらためである。悔改めの結果は必ずまた神に救われて、其そ処こに真の天国が地上に示現する。然しからばこのたびの大戦の惨禍を経験して、深刻なる苦痛の印象を止とどめた全人類の胸底にはもはや至心の悔改あるべく、然らば天国はまさに近づけるものでなければならぬ。
ここに憶おもい起すは、支那の春秋戦国時代である。いわゆる周道衰微し乾けん綱こう紐を解いたために、封建の諸侯が各おの々おの方隅に割拠し、強は弱を凌ぎ、大は小を併せ、五覇七国並び起り、これに附庸の小国が有って攻こう伐ばつ止むの日が無かった。これが即ち春秋戦国の時代であったが、而しかも初めは内に自己の欲望を蔵しながら、これを充たさんがために表面形式的に、前に天下を統一した周の王室をあくまで奉じて中心とし、ここに会盟して争奪を止めんとした。これを称して弭びへ兵いという。弭兵とは兵を弭やめるという事だが、その性質より考うるにこれを今日の語でいえばリーグ・オヴ・ネーション、国際連盟ともいうべきである。即ち会は諸侯の相会する事で、盟とは神明に誓約するゆえんの義である。神かけて誓約する。然しからばこの誓約こそは天長地久変ることなかるべきである。しかしながら彼等の会盟には如いか何んせん、平和の理想に対する誠意が欠けておった。周室を中心に奉じてその下に会盟するといえば、如い何かにもその形式は平和を絶愛するが如くに見えるけれども、その実、互いの胸中には禍心を包蔵して機の熟するまでの平和を希望したまでで、譬たとわば猫児の鼠待つ間の空そら睡ねむりの如き態であった。それ故にその会盟は一回では済まされぬ。幾回も幾回もこれを繰返したので、春秋一篇はあたかも会盟の記録たるに過ぎぬが如くに見える。即ち当時の会盟は表面こそあくまで平和のための会盟であったけれども、その実、攻伐のための会盟とも言い得べきものであった。自己のあくなきの欲望を胸に秘めての会盟であった。それ故に一朝利害の標準の変るに従い、旧ふるき会盟を破って新しき会盟を結び、新しき与国の力を借りて旧き与国を伐つくらいの事は何でも無かった。これが即ち流れて後の戦国時代の露骨なる、単に攻伐を目的とする合がっ従しょ連うれ衡んこうの素地を成したものである。されば斉せい桓かん公こうが鄭てい伯はくと会して武ぶ父ほに盟ちかい、旧盟の宋そうを伐つや、左伝にはこれを評して、﹁君子の曰いわく、苟いやしくも信継がずんば盟も益無きなり。詩にいう、君子屡しば々しば盟う、乱これを用て長ずと。信無ければなり﹂と言っている。誠にその通りである。誠実が持続するで無くては、百千回の盟約もなんらの効は無いんである。そこで詩の小雅には、君子が屡しば々しば盟うのは屡々盟わねばならぬ必要有るからの事で、その必要の有るは誠実の欠けたるを証する。既に誠実の欠けおる会盟が何の役に立とう。その度数を重ねれば重ねるだけ乱は益ます々ます長ずるばかりだといっている。左伝にはこの詩句を引用して、﹁信無ければなり﹂との評語を着けて結んでいるが、至言誠に吾人を欺かざるものだ。即ちかくの如き政略的会盟が当時の斉せい桓かん晋しん文ぶんの徒の間に盛んに行われたが、真の平和は決してこの中より出現せなかった。さればこそ彼等を覇者と貶へん称しょうし、誠実に仁義を行わんとする王道とはこれを甄けん別べつしたゆえんである。覇者の目的は表面は如い何かに仁義を粉飾しても、自己を強大にし他をその権力の下もとに屈せしむるに在るのだから、目的のためには如い何かなる手段をも選ばざらんとする。
支那の春秋戦国時代の局限された国際関係と、今日の世界の拡大された国際関係とでは、自ずからその活舞台の範囲に広狭の大差の有る事は言うまでもないけれども、かの斉せい桓かん晋しん文ぶんの徒の為した覇業の大規模なるのが、即ちこのカイゼルの軍国主義であり、露骨と婉曲との相違は有っても、その覇業の更に徹底的のものがこの独ドイ逸ツの帝国主義であったのだ。しかしながらかくの如き帝国主義は、もともと正義を愛し人道を好む人間の本性に悖はい戻れいし、その理性の是認を受け難いから、かかる覇道に反対して王道なるものが叫ばれたのだが、ここに於てか覇者もまた仁義を口にし、表面に王道を説く。いわゆる仁義を仮かって覇業を成すの徒が現れるので、世の降り俗の頽くずるると共に、王道は益々湮いん没ぼつして明らかならざる事久しきを致した。けれども天道は終ついに善に与くみする。覇道に決して最後の成功は来らぬ。さればこのたびの大戦を見ても知るべきである。しかしながらその終局に至るまでには、往々にして覇道の一時的成功を見る事がある。即ちこの大戦前までは独ドイ逸ツの国勢頗すこぶる振ったがために、世界はその軍国主義、その帝国主義に少なからず眩惑された。かくして世界の大部分は、その独ドイ逸ツの陰険なる権謀術数のために大なる禍を受けたものであった。独ドイ逸ツはその汎独主義の手先に土ト耳ル古コ人をまで使役して豺さい狼ろう飽く無きの大欲を遂げんと欲し、譎けっ詐さ百端至らざる無かった。彼は時には根も葉も無き黄こう禍かろ論んをまで世界に流布して、新興国の我が日本をばその勢力未だ大いに張らざるの時にこれを暴圧せんと欲した。その為すところは宛えん然ぜんかの戦国策士の亜流であった。しかしながら今はた如いか何ん、空くう華げの一現でその勢力は夢むこ痕んの尋ぬべからざるが如きものと為り了おわった。即ちかくの如く最後の勝利の王道に在るは、これ天の吾人に教えて偽らざるものである。
支那に於ても、その春秋戦国時代の末に賢人、孟もう子しが現れた。この孟子は孔こう子しの孫子し思しの門人に業を受けたというから、孔子とは頗る時代を隔てているけれども、思想の径路は両者全く揆きを一いつにした。この孟子の書の開巻第一には梁りょ恵うけ王いおうとの問答が収録されているが、その中に﹁天下悪いずくにか定まらん﹂という恵王の問がある。孟子はそれに答えて﹁一いつに定まらん﹂という。恵王は打返して﹁孰いずれか能よくこれを一いつにする﹂と問うた時に、孟子は﹁人を殺すを嗜たしなまざるもの能よくこれを一いつにせん﹂といった。問の漠然たるが如くに答もまた漠然たるを失わぬけれども、而しかも漠然たる大掴みの語の中に※しゃ然くぜん﹇#﹁白+嚼のつくり﹂、U+76AD、452-12﹈として滓くろなすべからざる真理が存する。彼は恵王の﹁孰いずれか能よくこれに与くみする﹂との重ねての問に対して、﹁天下与せざる無し﹂と答え、更に﹁如もし人を殺すを嗜たしなまざる者有らば、天下の民皆領くびを引いてこれを望まん、誠にかくの如くんば民のこれに帰する由なほ水の下ひくきに就くが如し、沛はい然ぜんとして誰か能よくこれを禦ふせがん﹂と答えているが、孟子のこの言を進めた当時はもはや戦国も季きせ世いに属し、五覇七国雄強を競うて生民堵に安んぜざる事、四百年。怨えん嗟さの声天下に満ちていた頃であったから、もはや悔くい改あらための期熟せりと見たものであったろう。人を殺すを嗜まずとは、これを今日の語に換言すれば即ち人道である、正義である。正義、人道の帰するところはすべてこれ天命の帰するところ、国家はこれに因よって統一されるに相違ない。これが孟子の理想であった。これを具体的に語るならば別に策有るべきであったけれども、それを孟子は明示せなかった。ただこの理想のみについて語るならば、時の古今に従ってなんらの変化有るべきで無く、今日といえどもこの正義人道に頼るに非ずんば、決してこの世に永遠の平和を冀きき求ゅうすべからざるものである。然しからば如い何かにしてこの理想を実現せんか。この問に応じて今ここに現われたものは、即ちいわゆる国際連盟並びに民族自決という問題である。
然しからばこの国際連盟に於ても、抑そも々そも如い何かなる事を為すべきであるか。この問に対して米の大統領ウィルソン氏は果して幾いく何ばくの成案を有するか。英の首相ロイド・ジョージ氏の洩せる意見の中には既に自由貿易、軍備制限の二大綱が現われている。如い何かにも列強の軍備を競うは明らかに兵禍の端を成するものであり、また国際間の争議は常に経済的競争の激烈なるより起るものであるから、苟いやしくもこの際理想的の永遠の平和の実現を期せんとするならば、この二大綱こそ共に吃きっ緊きん欠くべからざるものたるに相違無い。ロイド・ジョージ氏ほどに率直では無いけれども、ウィルソン大統領のかの十四ヵ条の平和要項の宣言中にも、また既にこの意が暗示されている様に思っている。
次には民族自決の問題である。即ち一の民族が他の異なる民族をば、自己の強大なる勢力を以て強いて束縛する事が乱階を成すものであるから、この束縛を解いて新たに独立か従属かの二道を、その民族の自由意思によって自ら選択し決定せしむべしとの趣意である。かくの如きは仏フラ蘭ン西ス大革命の原因を為した自由、平等、天賦人権等の思想からも、米国の独立の動機を為した自由、博愛、正義、権利の思想からしても当然の帰結である。素もと人間には儼然として侵すべからざる権利が存在するもので、これは万人に渉わたって等しく固有なるべきはずのものである。天賦人権の語はルーソーを仮りて初めて世に現れた如くであるけれども、この思想は豈あに必ずしもルーソーを待って初めて有りと言わんや。即ちこの思想は不言の万人の胸中に自ずから共通に存在するもので、その語のみがただルーソーの唇しん頭とうより初めて迸ほとばしり出たというに止まる。この権利の観念からして、個人主義なるものも現れた。この権利の観念からして、自治制度も編まれた。この権利の観念からして、憲法も制定された。この権利の観念からして、議会も開設された。而しかして各個人が等しくこの天賦の人権を完全に擁護せんと欲するの思想は、自ら神は愛なりという思想と抱合し、ここに自由、平等、博愛、正義というが如き諸観念を産出したもの、これに依って仏国革命も米国独立も将来されたものであった。然しからば民族自決というが如き事は、当然以上の諸観念の中に十分に抱合さるるものに相違無いので、今更その是非を論ずべきゆえんのもので無い。
基キリ督スト教の信条たる全人類的意識が吾人に現れ始めた初そも頭そもから、かの固ころ陋う偏へん狭きょうなる民族主義は渙然として解体し去るべきであるのに、何事ぞそのままに推移して十八世紀の末に至り、ついに爆発して仏国大革命を現出したが、この時にこそかの露ロ西シ亜アも、普プロ魯セイ西ンも、墺オー太スト利リアも、その専制的国家は最後の息を引き取って残り無く滅亡し、民主的国家が新たに勃興してこれに代るべきであったのに、その時にはまた自ずから種々の錯綜せる関係あり、更に国内の別種の歴史等があって、容易にその理想の実現の捗はかどらざるに際し、更に仏国内にはこの風雲の変に乗じて一大天才ナポレオンが擡頭し、しきりに四境を侵略して毎戦必ず勝つというが如き現象を呈したがために、せっかく開き始めた自由、平等、博愛の思想の萌芽が妨げられ、やがてこの怪傑は最後の顛てん蹶けつを招いたけれども、続いて起った独ドイ逸ツ民族はまたも戦勝に眩惑して自己を以て独り優秀なる民族と恃たのみ、その文明を以て世界に卓越したるものと思い做なし、ここにカイゼルの野心を長じてあくまで他民族とその文明とを劣等視してこれを支配せんと欲し、命めいに従わずんば力を以てこれを征服せんと謀った。これが抑そも々そもこのたびの大乱の禍因を為したものであったが、彼は今日の窮境に陥るまでは頑がん冥めいにして悟るところ無く、更に驕慢なるこの民族主義に付加するに謬妄なる宗教的意識を以てし、中世紀の君主神権説をば二十世紀の今日に復活させ、人類全体に光被すべき神の愛をば独り独ドイ逸ツ民族、なかんずくその君主の上に最も厚く臨むものと考えた。かくの如きはあたかも旧約聖書に在るイスラエル人にのみ神の特殊の恩寵の加わると考えたと同一なもので、而しかしてその子孫が間も無く幕ばく天てん席せき地ち、何ど処こを故国と頼むべき無き猶ユダ太ヤ民族と成り果てた事を顧みざるものである。神の愛は平等である。然しかるにこれを自己にのみ厚しとするは、これ神を詐いつわり、神を穢けがし、神を無なみすものに非ずして何ぞや。然しからば猶ユダ太ヤの亡国は当然であるが、カイゼルはこの前車の覆ふく轍てつを怖れずして、またもその轍を履ふんで自らその車を覆くつがえし了おわった。ここに覇業の終ついに成す無く、一時迂闊に見えても終局の勝利の王者に宿るゆえんを開悟せなければならぬ。これ孟もう子しの梁りょ恵うけ王いおうに人を殺すを嗜たしなまざるもの能よくこれを一にせんと教えたゆえんであった。孟子はある時には直ただちに仁を説き、仁者に敵無しとも言っているが、これ皆人道に本づかずしては全人類の統一あるべからず、従って地上に永久の平和有るべからざるを思えばである。今や兇暴なる平和の攪乱者は天人の共きょ怒うどを受けて亡びてしまったから、これよりして人道の光輝は愈いよ々いよ燦さん然ぜんたるべきであるが、果して然しかるを得るか如いか何ん。これを試こころみに支那に徴せよ。歴史は単純なる反復に非ずして、常にその変化の際になんらかの新要素を加うるというが、而しかも差別の中に平等有り、変化の中に自ずから常則の有るを知らねばならぬ。我輩はこの常則を尋ねて今より約二千五百年前の春秋戦国の歴史に鑑かん戒かいを求むる事は決して誤あやまりに非ず、而しかして王道は最後の勝利であるけれども、而しかも積習の致すところ容易に改むるを得ずして、各々自国を強大にせんと謀り、仁義を仮って覇業を志し、覇道が久しく当然に行われた事実は、あたかも世界の列強が現代まで民族的に久しく争い続けて来たと同一事実である事を顧み、向後永久の平和を確保せんためには、この過ちを避くるの道を講ぜなくてはならぬと信ずる。
カイゼルが民族的感情を煽あおるために黄こう禍かろ論んを提唱するの妄挙を為すに至るのも、やはり彼をしてかかる民族的僻見に陥らしむべき歴史的因縁が存在してこれに至ったもので、民族の相異なる、容易に渾然融和する事、漆うるしの膠にかわに投ずるが如くに為り得ぬ。而しかしてカイゼルの如きはたまたまこの感情を高調して、他民族に対する力の征服を志したものに外ほかならぬんである。試みに英国を見よ。英の愛アイ蘭ルランドを支配するすでに三百年になるが、今なお治まらず、永くその累を受けて処置に苦しんでいるでないか。印イン度ドは久しく尨大なる帝国を樹立していたけれども、その間内憂外患に苦しめられて統一を欠いていたので、それが今で完全な統一を見ているのは全く英国の御蔭である。さればとて印イン度ド民族はアングロサクソン民族では無い。それがこのまま晏あん如じょとして何い時つまでも英国の節度に服して行くのであろうか。民智は時を趁おうて進歩し、自治的能力はそれに伴って発達する。その結果は自然に英国の政治に満足せぬという事になるも知れぬ。この暁に至って平素自由を尊び、博愛を唱え、平和を愛する英国が、なお且かつ専制的にこれを統治せんと努力するであろうか。同じアングロサクソン民族であっても、度を超えた干渉はついに米国を独立せしめた殷いん鑑かんがあるでないか。されば英国は行く行く印度に対してもある度合まで自治を許し、極端な干渉は避けるに相違ない。既に英国は米国に対する過去の失敗に顧みて、加カ奈ナ太ダでも濠州でも、新ニュ西ージ蘭ーランドでも南阿植民地でも、皆完全なる自治を許しているんである。されば印イン度ドの如き、このたびの大戦に当って幾十万の大兵を送って英国の艱かん難なんに赴かしむるという誠実の表示を為したのであるから、英国の態度もこれよりまさに一変し、初めより完全なる自治とはいかぬにしても、とにかく自治を許すの時期を早めると思う。聞くところによると、もはやその問題に関する委員まで出来ているのだけれども、ただその自治の程度に関して衆論の帰一を見るに至らぬまでだという。これは喜ばしい事だと思う。異民族間には種々の点に於て画一的政治の不可能なるゆえんが有る。然しかるにその各民族の自由意思を尊重せずして漫みだりに外圧的に統治し、遮二無二その節度に服せしめんとするは、人間に固有する権利を無視し、天理に背くゆえんのものだから、その極はついに干かん戈かを執とるに至らなければ止まぬ。この道理はもはやこのたびの大戦の教訓に拠って何なん人ぴとにも一層明確に分って来たはずである。さればこの民族自決問題は如い何かなる度合まで進むべきかは知らぬけれども、人道上、正義上、而しかして民族の争端を塞ふさぎ、人類永遠の平和を期する上からは、極めて合理的に且つ有効なるものと信ずる。現代に於ける最高文明国は英仏米の三国である。このアングロサクソン、ラテン、アメリカンの三大文明国が、平和の攪かく乱らん者しゃに対して正義人道の上より共同の責任を感じ、崇高なる犠牲の精神を発揮して、ついにチウトン文明の代表者たる独ドイ逸ツの民族主義を膺よう懲ちょうし得、ここに平和の曙しょ光こうの輝き始めた事を喜ぶ。而しかしてその結果として民族自決問題の現われるまでに至った以上は、我輩は明らかに従来の誤れる民族主義の僻見が、今や眼覚めた全人類の胸底に著しく緩和されたる事実を観取して疑わぬ。
そこで我輩は思う。来るべき平和会議に上のぼる個々の条項について論ずるならば、それは頗すこぶる数多き事と考えるけれども、ここに先決問題というはやや大業ながら、なかんずく最も重要にして、この際最も明快なる鉄案を必要とするものは、民族的僻見、並びに関税競争の緩和との二つであると。何となれば国際間の争乱の酵母は、常にこの二者の中に於て培養されるからである。
かく言えばとて、我輩は必ずしもかかる争乱の禍因と見らるべきものをこの際性急に、一挙に根絶し尽せとは言わぬ。何となれば民族自決というが如きは如い何かに合理の事なりとするも、これを全世界に亙わたって果して今日断行するまでに列強は猛進する覚悟を持っているか。関係するところの範囲の広汎なるだけ、幾多の大なる困難が伴う。それ故このたび平和会議に付せらるべきものには自然の限定あり、まず直接にこの大戦の係争地点たる欧州内だけの処分、例えばポーランドとか、チェックスロヴァックとか、フィンランドとか、アルサス・ローレンもしくはボスニア・ヘルツェゴヴィナとか、墺おう匈きょう国、巴バル爾カ幹ン諸州その他に於て、欧ヨー羅ロッ巴パには雑然たる多くの民族を一の国家に支配するところが多く、それらの諸民族が漸次に独立し始めて来ているから、何としてもそれらの処分を要する。これだけの範囲に止まる事と思うが、しかしながら民族自決の提唱に於て表わされたこの精神はあくまでも尊重し、漸次にこれを推おし拡ひろめて往かなければならぬ。而しかしてこの際列強間に全人類に亙る一切の民族的僻見を除去し、少なくも国際法もしくは協約というが如きものの上より、異民族に対する差別的待遇を一切撤廃し去らん事を渇望する。前にも語れる如く、人間には各自に平等に固有の権利を所有しているものであるのに、これを無視して甲には厚く、乙には薄しという如き差別的待遇を為すとは何事であるか。人種学上吾人人類を、その皮膚の色、脳の形状もしくは容積、身長の如いか何ん、顔面の輪郭如いか何ん、髪毛の断面如いか何ん、色沢如いか何ん、形状如いか何んというが如き標準によってこれを幾種に区分するとも、それは一向差さし支つかえは無いが、しかしそれに由って発見されたる幾多の相異点が、直ちに人格の優劣を分ち、感情の親疎を来し、自由なるべき吾人全人類の友誼的関係を阻そが碍いする、永久に越ゆべからざる、一大障壁を築くというに至っては没人道もまた甚だしきもの、而しかしてかかる没人道の習癖の一掃し得られざるがために、幾度もこの世に戦禍を将来するという事は愚の骨頂でなければならぬ。
次には関税問題に於ても左さよ様うである。国家の存立上、各々その国に於てある度にまで関税を課せざるべからざる事情の有る事は諒りょ恕うじょせなければならぬ。しかしながら経済は本来各国民の自由競争に委まかすべきものであって、これに毫ごう末まつも政治的術策を加味すべきでない。もし然しからずして国家の政策上より漫みだりに関税を外国品に課し、自国品を保護してこれを以て貿易を妨ぐるに至っては、人類の生存上に大切なる物資の有無相通の道を阻害する事甚しく、而しかしてその結果は当然他国に於ても復讐的にまたその国の貨物に重税を課してその輸入を拒むに至るべく、これを名づけて関税戦争という。これを抛ほう擲てきして顧みざらんか、その極はついに不幸なる真の戦乱が勃発せぬとは限らぬ。禍機は此こ処こに存在する。それ故来るべきこのたびの平和会議に於ては、各国互いに協定し合ってなるべく緩和的の関税を課するに止める様にしたい。
かくの如く民族問題、関税問題と二大要項を掲げて分説はしたけれども、道は一以てこれを貫く。人道を根こん蔕たいとして考えるならば、なんらその解決に苦しむべき理由が無い。人道とは孟もう子しのいわゆる仁義である。即ち利己的でなく、自己を利するを思うと同時に他をも利するを思う。換言すれば、全人類共同の幸福安全を希ねがうものであって、これを具体的に直接に論ずれば強を恃たのんで弱を凌しのぐことを為さぬ事だといっても宜しい。強を恃んで弱を凌ぐ。これが一番人類の禍わざわいである。政治上といわず、経済上といわず、争いの本は常にこれである。即ちこれが経済上に現れれば、資本的勢力が貧しき下層民、重おもに小作人、労働者というが如き者の生活を圧迫する事と為って、由々しき社会問題を惹ひき起おこす。しかしながら世界の全人類の中に資本家階級に属する者と、然しからざる下層民の階級に属する者との数の比較は如いか何よ様うになるか。言うまでも無く前者は少数であって、後者は極めて多数である。それ故に後者は一個人としては弱いが、集まれば強くなる。一旦争端が開けると寡かは衆に勝つべからず。一個人としては強き資本家階級も、下層民の集合の勢力に敵し兼ねて、自己の運命を彼等の掌中に委ゆだねなければならなくなる。それ故に資本家階級なればとて、勝手に私利を壟ろう断だんして下層民を虐しいたげる事は出来ぬ訳で、両々相調和し親しん昵じつし行くところに、初めて平和を楽しむ事が出来るんである。即ち強者はあくまで道徳的に弱者に臨むべきであるので、もし一歩これを誤れば即ちかのカイゼルの汎独主義と為る。とはいえこの誤りは必ずしもカイゼル一人が初めて経験した訳でなく、長い歴史が既に侵略的植民政策を取って来ていたものであった。優秀な文明が劣等の文明を支配することを一種の権利の如く考えて来たことは甚だ久しいもので、その極端なるものに至っては、宗教と結んで自己を以て神の特殊の使命と恩寵とを併せ受け、この世の全人類を統治する権利を与えられたものと考うるにも至った。かの羅ロー馬マ法皇が神の如き威厳を持した全盛時に於ては、自ら経緯度に依って地球面を区画し、南部は羅ロー馬マ、西部は西スペ班イ牙ン、東部は葡ポル萄トガ牙ルを以て支配すべく、これ神意に依って定められたるものと考えた如きが即ちそれであった。この様な僭越な思想の行われた時代に、列強はしきりに植民政策を競ったので、その手段は甚だ残忍酷薄を極め、南阿辺の土人をば宛えん然ぜん兔うさ狩ぎがりの如くに狩り立て、これを奴隷として国外に輸出する。即ち奴隷売買が盛んなもので、人間をば貨物と同一に価を上下して取引し、これを北米、南米等の諸国に送る。西スペ班イ牙ン、葡ポル萄トガ牙ル等が独りこれを行ったばかりでなく、英も仏も皆当時はその顰ひそみに倣ならって同様な非人道的なことを行っていたものであった。僭越ながらも自ら神命を受けたりと称し、神に誓って国王の位に即つくものが、かかる非人道的の行為を為すを忍ぶとは心得ぬ。しかしながら真っ先にその罪悪の行為を悟り出したものは英国の様ようであった。ここに於て厳令を下して奴隷売買を禁じ、奴隷を搭載した船舶は用捨無く海賊船と見み做なして直ちにこれを撃沈させた。これは英国史上人道的に偉大なる光輝を放った誇るべき頁でなければならぬ。
英国の率先の努力のかくの如きものあったに拘かかわらず、而しかも正義、人道の中から産れ出た米国の如き国柄に於て、近く六十年前までもなおその奴隷なるものの存在していた事は何事であるか。更に日頃神の愛を説きその一いっ視しど同うじ仁んを宣伝し廻る基キリ督スト教徒が、有意義かは知らぬけれども、一般に近く一世紀前までも、この奴隷制度の存在を以てあえて正義と悖もとるなきが如くに考えて来たとは何事であるか。盾と矛とを併せ売る者の語の如く、明らかに自じか家どう撞ちゃ着くでなければならぬ。しかしながら次第に人類の自覚は開け、米国にもかのアブラハム・リンコルンというが如き偉大なる人格が出現して、ついに南北戦争を起し、奴隷を解放してしまったので、久しく桎しっ梏こくに苦しんで来た黒人も今では合衆国民として白人同等の地位に置かれ、嬉々として泰平の恩沢に浴するに至った。かくの如く人類は漸進して来ている。
由来、英国は他の欧州諸国よりも人道的には頗る進歩していた国柄で、これを植民地の上に徴するも、かの西スペ班イ牙ン、葡ポル萄トガ牙ル、和オラ蘭ンダというが如き国々と比べては著しく寛大なものであった。けれどもなお且かつ当時は慣用された古い植民政策に誤られて幾多の欠点も有ったのだが、英国は植民虐待の没人道なる事を悟ったが故に、時と共にこれを改善して今日に至り、而しかしてこのたびの欧州大戦の教訓を契機としてまたまさに人道的の一大躍進を断行せんと欲するに至った。米然しかり。仏もまた然り。今やかの兇暴なりし独ドイ逸ツの帝国主義、軍国主義は崩壊して人道主義は大なる威厳を現し来り、幾千年来の吾人の抱懐し来りし理想の実現の時に臨んだ。平和会議に集る世界の列強の使しし臣んにして、この人道の根こん柢ていをさえ忘却する事なくんば、ここに掲ぐる二大問題の解決の如きは誠に易い々いたるのみである。グローシス以来すでに約三百年、その間連盟は幾たび行われたか知らぬ。けれども盟も信無くんば益無し。これを以て戦乱はついに絶ゆるを得なかったが、しかしこのたびの戦乱の未曾有の凄惨事で有っただけ、それだけこのたびの全人類の自覚もまた未曾有に大なるを疑わず。加くわうるに人智も著しく進んでおるが故に、必ずや久しく歴史的、習慣的に誤り来れる民族的偏見の一掃に勉むべく、来るべき国際連盟にはその信の十分なるべきを疑わぬ。ここに於て我輩の要求する如じょ上うじょうの二大要項の根本的解決の必成を期待して已やまざるものである。人道主義なる哉かな、人道主義なる哉。我輩はかつて孔孟が二千四百年の前に生れて提唱したりし王道の実現の機無かりしものが、二千四百年後の今日に於て初めてその機を得たるの快心事を告白せざらんとするも得ざるものである。