此この書しよ全ぜん部ぶ六巻、牧ぼく之しら老うじ人んが眠ねふりを駆かるの漫まん筆ひつ、梓あづさを俟またざるの稿かう本ほん﹇#﹁稿本﹂の左に﹁シタガキ﹂の注記﹈なり。故ゆゑに走そう墨ぼく乱らん写しやし、図づも亦また艸さう画ぐわなり。老らう人じん余よに示しめして校かう訂てい﹇#﹁校訂﹂の左に﹁カンガヘタヾス﹂の注記﹈を乞こふ。因よつて其その駁はく雑ざつ﹇#﹁駁雑﹂の左に﹁トリマゼ﹂の注記﹈を刪けづり、校かう訂てい清せい書しよし、図づは豚とん児じ﹇#﹁豚児﹂の左に﹁セガレ﹂の注記﹈京水に画ゑがゝしめしもの三巻、書しよ賈か﹇#﹁書賈﹂の左に﹁ホンヤ﹂の注記﹈の請こひに応おうじ老人に告つげて梓しを許ゆるし以もつて世よに布しきしに、発はつ販はん﹇#﹁発販﹂の左に﹁ウリダシ﹂の注記﹈一いつ挙きよして七百余よ部ぶを鬻ひさげり。是これに依よりて書しよ肆し後こう編へんを乞こふ。然しかれども余よが机きし上やう它たの編へん筆ひつに忙せはしく屡しば〳〵稿かう﹇#﹁稿﹂の左に﹁シタガキ﹂の注記﹈を脱だつす﹇#﹁脱﹂の左に﹁デカス﹂の注記﹈るの期きや約くを失うしなひしゆゑ、近この日ごろ務つとめて老人が稿かう本ほんの残ざん冊さつを訂ていし、以もつて其その乞こひに授さづく。 牧ぼく之し老人は越ゑち後ごの聞ぶん人じん﹇#﹁聞人﹂の左に﹁ナタカキヒト﹂の注記﹈なり。甞かつて﹇#﹁甞﹂の左に﹁マヘカラ﹂の注記﹈貞てい介かい朴ぼく実じつ﹇#﹁貞介朴実﹂の左に﹁ヨキオコナヒ﹂の注記﹈を以もつて聞きこえ、屡しば〳〵県けん監かん﹇#﹁県監﹂の左に﹁アガタモリ﹂の注記﹈の褒はう賞しやう﹇#﹁褒賞﹂の左に﹁ホメル﹂の注記﹈を拝はいして氏の国こく称しようを許ゆるさる。生せい計けい﹇#﹁生計﹂の左に﹁イトナミ﹂の注記﹈の余よ暇か﹇#﹁余暇﹂の左に﹁イトマ﹂の注記﹈風ふう雅がを以四方に交まじはる。余が亡ぼう兄けい醒せい斎さい京伝の別号翁をうも鴻こう書しよ﹇#﹁鴻書﹂の左に﹁テガミ﹂の注記﹈の友ともなりしゆゑ、余よも亦また是これに嗣つぐ。老人余よに越ゑつ遊いうを奨すゝめしこと年々なり。余よ固もとより山水に耽ふけるの癖へきあり、ゆゑに遊いう心しん勃ぼつ々﹇#﹁勃々﹂の左に﹁スヽム﹂の注記﹈たれども事に紛まぎれて果はたさず。丁酉の晩ばん夏か遂つひに豚せが児れ京水を従したがへて啓けい行かう﹇#﹁啓行﹂の左に﹁タビタチ﹂の注記﹈す。始はじめには越後の諸しよ勝しよう﹇#﹁諸勝﹂の左に﹁メイシヨ﹂の注記﹈を尽つくさんと思ひしが、越ゑつ地ちに入し後のち、年とし稍やゝ侵しん﹇#﹁侵﹂の左に﹁キヽン﹂の注記﹈して穀こく価か貴きよ踊う﹇#﹁貴踊﹂の左に﹁タカク﹂の注記﹈し人心穏おだやかならず、ゆゑに越地を践ふむこと僅わづかに十が一なり。しかれども旅りよ中ちゆうに於て耳じも目くを新あらたにせし事を挙あげて此書に増そう修しう﹇#﹁増修﹂の左に﹁マシイル﹂の注記﹈す。百もゝ樹き曰といふもの是也。 前ぜん編へんに載のせたる三みく国にた嶺ふげの図づは、牧之老人が草さう画ぐわに傚ならひて京山私わた儲くしして満まん山ざんに松まつ樹のきを画ゑがけり。余よ越ゑつ遊いうの時三国嶺を踰こえしに此この嶺たふげはさらなり、前後の連れん岳がく﹇#﹁連岳﹂の左に﹁ヤマ〳〵﹂の注記﹈すべて松を見ず。此地にかぎらず越後は松の少すくなき国なり。三国嶺たふげを知る人は松を画しを笑わらふべし。是老人が本ほん編へんの誤あやまりには非あらず、京水が蛇じや足そくなり。 山さん川せん村そん庄しやうはさらなり、凡およそ物の名の訓よみかた清すみ濁にごるによりて越後の里りげ言んにたがひたるもあるべし。然しかれども里言は多く俗ぞく訛なまりなり、今いま姑しばらく俗に从したがふもあり。本編には音おん訓くんの仮か名なを下くださず、かなづけは余よが所しわ為ざなり。謬あやまりを本編に駆かること勿なかれ。 余よ也や固もとより浅せん学がくにして多く書しよを不よま読ず、寒かん家か﹇#﹁寒家﹂の左に﹁ヤセイヘ﹂の注記﹈にして書に不とま富ず、少く蔵せしも屡しば〳〵祝しゆ融くいう﹇#﹁祝融﹂の左に﹁火ノコト﹂の注記﹈に奪うばゝれて、架かし上やう﹇#﹁架上﹂の左に﹁タナノウヘ﹂の注記﹈蕭せう然ぜん﹇#﹁蕭然﹂の左に﹁サビシ﹂の注記﹈たり。依之増ぞう修しうの説せつに於て此事は彼かの書に見しと覚おぼえしも、其書を蔵せざれば急きう就しの用に弁べんぜず、韈べつ癬せん﹇#﹁韈癬﹂の左に﹁ムヅカユイ﹂の注記﹈するが多し。且かつ浅せん学がくなれば引ひき漏もらしたるも最いと多かるべし。 本編雪の外ほか它たの事を載のせたるは雪せつ譜ふの名を空むなしうするに似にたれども、姑しばらく記しるして好かう事ずの話わへ柄い﹇#﹁話柄﹂の左に﹁ハナシノタネ﹂の注記﹈に具ぐす。増そう修しうの説せつも亦また然しかり。 雪の奇きじ状やう奇き事じ其大たい概がいは初編に出いだせり。猶なほ軼てつ事じ﹇#﹁軼事﹂の左に﹁オチタコト﹂の注記﹈有あるを以此二編に記しるす。已すでに初編に載のせたるも事の異ことなるは不すて舎ずして之これを録ろくす。盖けだし刊かん本ほん﹇#﹁刊本﹂の左に﹁ホリホン﹂の注記﹈は流りう伝でんの広ひろきものゆゑ、初編を読よまざる者ものの為ためにするの意いあり。前後を読よむ人ひと其層そう見けん重ちよ出うしゆつ﹇#﹁層見重出﹂の左に﹁カサナリイヅル﹂の注記﹈を詰なじること勿なかれ。 釋しやくの字じ釈に作つくるの外、澤たくを沢、驛を駅えきに作つくるは俗ぞくなり、しかれども巻中驛えき澤たくの字多し。姑しばらく俗ぞくに从したがうて駅沢に作り、以梓しは繁ん﹇#﹁梓繁﹂の左に﹁ホリテマ﹂の注記﹈を省はぶく。余よの省せう字じは皆古こほ法ふに从したがふ。 巻中の画、老人が稿かう本ほんの艸さう画ぐわを真しんにし、或あるひは京水が越地に写うつしし真しん景けい、或里さと人びとの話はなしを聞きゝて図づに作りたるもあり、其地に照てらして誤あやまりを責せむることなかれ。 老人編を嗣つぐの意いあり、ゆゑに初編二編といふ。前編後編といはず。
天保十一年庚子仲春
京山人百樹識