No.1721

作家名:ハッサル アーサー・ヒル
作家名読み:ハッサル アーサー・ヒル
ローマ字表記:Hassall, Arthur Hill
生年:1917-12-13
没年:1894-04-09
人物について:アーサー・ヒル・ハッサルはロンドン郊外で生まれ母親は3日後に死亡した。父親は1798年のアイルランド反乱にさいしてダーラムから志願した軍医であった。アーサーは1834年に医師であるダブリンのおじのもとで徒弟となり医学教育を受けた。ここで腸チフスに罹って静養した。彼は博物学に興味を持ち、海藻やサンゴ類などの標本を集め論文を書いている。医学教育を終わってロンドン郊外で淡水藻などの研究を行うとともに医師試験を受け、1842年にロンドン郊外で開業した。ここで彼は2冊の英国最初の顕微解剖学の本を書き刊行した。胸腺には彼の名前がついたハッサル小体がある。公衆衛生学にも興味を持ち、貧窮者地区の状況についての小冊子を出版した。多忙なためか結核に罹り、1850年にロンドン市内に移った。ロンドンでは医療のかたわら公衆衛生学的に重要な研究を行った。「ロンドンの上水」「ロンドンのコレラ流行」および「混ぜ物処理」などの研究である。1866年には結核が再発した。徒弟時代から3度目の大病であり、ロンドンの診療所を他の医師に譲渡して郊外の兄の診療所で治療を受けた。ある程度よくなってから英仏海峡に面した保養地のワイト島に移った。彼はここに病院を創設し、ビクトリア女王も来訪して「ロイヤル国立胸部疾患病院」と命名された。1877年に彼はこの島を離れて、1894年に亡くなるまで夏はスイスのルツェルン、冬はイタリアのサンレモにおいて開業と研究を続けた。以上は彼の「忙しい一生の物語:自叙伝」(1893)から紹介したものである。(水上茂樹)
wikipediaアイコンArthur Hill Hassall





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