■アイヌ民族の魂、息づく森
登別市から太平洋に注ぐ登別川そばの森には、クリやカエデの巨木がそびえ、食用の草や薬草が茂る。リスが跳ね、フクロウが鳴く。豊かな森の恵みとともにアイヌ民族は暮らしてきた。この河畔林に抱かれるように、アイヌ文化を伝える﹁知里幸恵︵ちりゆきえ︶ 銀のしずく記念館﹂が立つ。
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幸恵はこの土地で生まれ育ち、祖母からカムイユカ︵神謡︶を聞き、覚えた。
﹁シロカニペ ランラン ピカン、コンカニペ ランラン ピカン﹂
フクロウの神が自ら歌った神謡として、アイヌ民族が口伝えで継承してきた。幸恵はこれを﹁銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに﹂と訳した。こうした神謡を13編、ローマ字に起こし、日本語にして﹁アイヌ神謡集﹂をまとめた。校正を終えた4日後の1922年9月に19歳で心臓まひで亡くなった。
アイヌ語は、特定の文字で表記する方法が定まっていない。絶滅の危機に追い込まれるなか、神謡集はアイヌ文化の継承者の手による初めての本格的なアイヌ語の記録となった。﹁とこしえの宝玉﹂とたたえた言語学者の金田一京助は﹁神様が惜しんでたった一粒しか我々に恵まれなかった﹂と嘆いた。
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それから数十年後、幸恵のめい、故横山むつみさんが行李︵こうり︶に入っていた知里家の資料を手にして驚いた。幸恵の日記や手紙などが出てきた。遺品展を開くと大勢の人が訪れた。﹁これをなんとかしたい﹂と横山さんは講演を始め、全国を行脚したという。
2002年に作家の池澤夏樹さんが代表となり、記念館の建設募金委員会が発足。アイヌ文化の素晴らしさを広める拠点づくりに賛同した約2500人から3200万円が集まった。
記念館は10年9月、開館した。木造一部2階建て約180平方メートル。神謡集の初版本をはじめ、道有形文化財の﹁知里幸恵ノート﹂、未出版の直筆原稿、両親への手紙、学校の成績表など、約300点の資料を展示している。
運営はNPO知里森舎が担い、それを記念館友の会の会員650人が会費で支える。活動は講演会やコンサート、勉強会と活発だ。
知里森舎の十数人が交代で当番。来館者の案内もする。みんなボランティアだ。その一人、宗広光明さん︵85︶は館内と同じ約40分をかけて裏に広がる﹁知里森舎の森﹂を案内する。﹁食用や薬用の植物の見本市のよう。自然とともにあるアイヌ民族の生き方が分かるはず﹂と話す。
この空間は、森の放つ霊力が人を包み込むらしい。仏のノーベル文学賞作家のル・クレジオが森に入ると、感慨を込めてこう言ったという。
﹁スピリット︵霊魂︶﹂
3年前、前館長の横山さんが亡くなった。後任の館長金崎重弥さん︵73︶は﹁幸恵は新しい時代を切り開き、アイヌ文化を広げようとした。それを横山さんが受け継いだ。ここにその思いが息づいています﹂という。
︵三上修︶