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愛の旅人

「風雪のビヴァーク」

松濤明と芳田美枝子

2007年08月18日

 大天井岳から槍ケ岳へ。通称「表銀座」の稜線で、猿と目があった。3000メートル近い標高では珍しい遭遇だ。一瞬の後、腹に子猿をしがみつかせた雌とともにハイマツの茂みに飛び込んだ。

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槍ケ岳から左に北鎌尾根が延びる。風雪の中、松濤明は手前の千丈沢で最期を迎えた=槍ケ岳の北西で、本社ヘリから

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松濤明の手帳はピッケルとともに大町山岳博物館に保存されている

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一日の終わりに、霧の中から槍ケ岳が姿を現した。本峰の右は小槍=大天井岳から

相関図

  

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松濤明と美枝子(松濤26歳、美枝子さん32歳のとき)


 
 
 60
   
 241626
 2
 10
 48退12
 215西
 
   姿 
 47
 77


 
 
 239218
 125
♪  ♪  ♪

 西使
 103
 1
 81
 
 75
 
 
 
 
 
 
 216
♪  ♪  ♪

 10西11
 3姿
 西
 28便
 
 
 
 
♪  ♪  ♪

 槍の穂先に登る予定だった朝、横なぐりの雨にテントをたたかれた。飛び込んだ槍岳山荘で、主人の穂刈康治さん(58)に北鎌尾根の話を聞いた。

 山荘には登山シーズン中、テント泊も含めて1万5000人ほどが宿泊する。一方、北鎌尾根の登山者は数百人ほどとみられるそうだ。「登山中になにかあれば、ヘリを使うしかありません。多くの人があこがれる尾根ですが、完登できるのは体力と技術、よきリーダーにめぐり合えた登山者だけです」

 美枝子さんは翌年、松濤と同じ山岳会に入る。北鎌尾根には、松濤の死から10年後の秋に登った。

文・今田幸伸 写真・堀英治

〈ふたり〉


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