教養学部報
第567号
ダーウィンによる進化論のダイアグラムと 珊瑚のイメージとの関係を論じた、ドイツ の美術史家ホルスト・ブレーデカンプの 著書﹃ダーウィンの珊瑚﹄邦訳版。 ﹁キーノート﹂︵アップル社︶が良い、という話ではありません。﹁パワポ﹂、すなわち、マイクロソフト社の﹁パワーポイント﹂を、ここでは﹁キーノート﹂などを含めたプレゼンテーション・ソフトウェア全体を象徴する名称と理解してください。 いわゆる文系の学問である文化史を専門とする私自身も、授業や学会発表などで、パワーポイントを日常的に使っています。特に視覚的イメージを扱う分野のため、資料となる美術作品などの画像の提示を行なうにあたって、これはとても便利で強力な道具です。 しかし、どんな道具もそうであるように、その使い方には注意しなければなりません。汎用のソフトウェアとして開発されているパワーポイントを、学術的な知識の伝達のために用いるには十分な工夫が必要です。さもなければ、この製品の操作方法やテンプレートに埋め込まれている一種の﹁認知スタイル﹂︵ものの見方︶を強制されて、知識の正確な表現ができなくなる、といった批判もなされているほどです。 たとえば、イェール大学名誉教授のエドワード・タフティ︵Edward Tufte︶氏がそうした批判の急先鋒ですが、彼はA3の紙を二つに折って四頁にしたハンドアウトを作れば、パワーポイントのスライド五〇枚から二五〇枚︵!︶に相当する内容を盛り込むことができる、と主張しています。とりわけ文字情報については、このように書物に準じた形態のほうが扱いやすいのは確かでしょう。 こうした批判で問題視されているのは、パワーポイントによるプレゼンテーションが一種の定型化した儀式になってしまい、聴衆に内容を素早く伝えたり、それについてじっくり考えさせたりする機会をむしろ奪っているという点です。この道具を使えば、中味が空虚でも、いかにもそれらしい発表ができてしまう。グラフや図表も不必要なほどカラフルにデザインできる。――しかし、そこに罠がある。 タフティ氏は情報の可視化を行なうインフォグラフィックスの専門家です。その見地からすれば、データやアイディアを図表にして表わす、その表わし方にこそ、創意工夫が凝らされなければならない。テンプレート通りの型にはまったスライド上映ではなく、コンパクトかつ明快で思考を促すような、正確で独創的な視覚化が、内容に即して適切な媒体で試みられなければならない。コンピュータを使えば誰もが画像の作成や加工を容易に行なえるようになった時代だからこそ、情報や着想を視覚的に表現するインフォグラフィックスの重要性は学術の分野においても飛躍的に高まっています。 そうした視覚表現のなかでも、抽象的な構造や関係性などを表わした図式は﹁ダイアグラム﹂と呼ばれます。興味深いことに最近の視覚文化研究では、言語表現と図像の中間的存在としてのダイアグラムが、哲学や自然科学といった必ずしも視覚表現とは直接の関係をもたない学術分野で果たしてきた機能への関心が高まっており、総合的な﹁ダイアグラム学﹂が唱えられたりもしています。それは思想史や科学史におけるインフォグラフィックスの研究ととらえてよいかもしれません。 私がとくに注目しているのは、思想家や科学者たちが知的発見の過程で活用した視覚的図像としてのダイアグラムの機能です。つまり、ダイアグラムを描くことが最先端の思考・認識の開拓をもたらすメカニズムです。たとえば、ダーウィンが研究ノートにさっと書き込んだ進化過程を表わすデッサン︵それは実は珊瑚のイメージに由来する可能性が指摘されています︶は、やがてよく知られた﹁系統樹﹂というアイコンへと成長していきました。 思想家や科学者、あるいは作家や芸術家たちのノートやメモに時おり見つかる、こうした手書きのダイアグラムは、明確な思考以前、意識的批評未満の、心に浮かぶイメージです。この、いわば﹁思考のイメージ﹂のなかには、懸命に真理に近づこうとしている知性の、手探りの運動のようなものが記録されています。 つまりそれは、世界の新しい見方を気づかせてくれる、眼に見える﹁しるし﹂でもあったわけですね。ひとは言葉や論理によって考えるとともに、こうしたしるしのイメージを通じて、眼によっても考えている。インフォグラフィックスが大切なのは、このように﹁考える眼﹂を刺激して、知的な発見を追体験させてくれる可能性がそこにあるからでしょう。 最後に、言うまでもなく、本当に問題なのは﹁パワポ﹂の是非ではありません。どんな道具も適切に使いこなしたうえで、﹁眼﹂によって考える方法を積極的に切り開くこと――それはまた、新しい認知スタイルそのものの発見でもありうるのです。 ︵超域文化科学専攻/ドイツ語︶
﹁パワポ﹂の是非からダイアグラム論へ
田中純ダーウィンによる進化論のダイアグラムと 珊瑚のイメージとの関係を論じた、ドイツ の美術史家ホルスト・ブレーデカンプの 著書﹃ダーウィンの珊瑚﹄邦訳版。 ﹁キーノート﹂︵アップル社︶が良い、という話ではありません。﹁パワポ﹂、すなわち、マイクロソフト社の﹁パワーポイント﹂を、ここでは﹁キーノート﹂などを含めたプレゼンテーション・ソフトウェア全体を象徴する名称と理解してください。 いわゆる文系の学問である文化史を専門とする私自身も、授業や学会発表などで、パワーポイントを日常的に使っています。特に視覚的イメージを扱う分野のため、資料となる美術作品などの画像の提示を行なうにあたって、これはとても便利で強力な道具です。 しかし、どんな道具もそうであるように、その使い方には注意しなければなりません。汎用のソフトウェアとして開発されているパワーポイントを、学術的な知識の伝達のために用いるには十分な工夫が必要です。さもなければ、この製品の操作方法やテンプレートに埋め込まれている一種の﹁認知スタイル﹂︵ものの見方︶を強制されて、知識の正確な表現ができなくなる、といった批判もなされているほどです。 たとえば、イェール大学名誉教授のエドワード・タフティ︵Edward Tufte︶氏がそうした批判の急先鋒ですが、彼はA3の紙を二つに折って四頁にしたハンドアウトを作れば、パワーポイントのスライド五〇枚から二五〇枚︵!︶に相当する内容を盛り込むことができる、と主張しています。とりわけ文字情報については、このように書物に準じた形態のほうが扱いやすいのは確かでしょう。 こうした批判で問題視されているのは、パワーポイントによるプレゼンテーションが一種の定型化した儀式になってしまい、聴衆に内容を素早く伝えたり、それについてじっくり考えさせたりする機会をむしろ奪っているという点です。この道具を使えば、中味が空虚でも、いかにもそれらしい発表ができてしまう。グラフや図表も不必要なほどカラフルにデザインできる。――しかし、そこに罠がある。 タフティ氏は情報の可視化を行なうインフォグラフィックスの専門家です。その見地からすれば、データやアイディアを図表にして表わす、その表わし方にこそ、創意工夫が凝らされなければならない。テンプレート通りの型にはまったスライド上映ではなく、コンパクトかつ明快で思考を促すような、正確で独創的な視覚化が、内容に即して適切な媒体で試みられなければならない。コンピュータを使えば誰もが画像の作成や加工を容易に行なえるようになった時代だからこそ、情報や着想を視覚的に表現するインフォグラフィックスの重要性は学術の分野においても飛躍的に高まっています。 そうした視覚表現のなかでも、抽象的な構造や関係性などを表わした図式は﹁ダイアグラム﹂と呼ばれます。興味深いことに最近の視覚文化研究では、言語表現と図像の中間的存在としてのダイアグラムが、哲学や自然科学といった必ずしも視覚表現とは直接の関係をもたない学術分野で果たしてきた機能への関心が高まっており、総合的な﹁ダイアグラム学﹂が唱えられたりもしています。それは思想史や科学史におけるインフォグラフィックスの研究ととらえてよいかもしれません。 私がとくに注目しているのは、思想家や科学者たちが知的発見の過程で活用した視覚的図像としてのダイアグラムの機能です。つまり、ダイアグラムを描くことが最先端の思考・認識の開拓をもたらすメカニズムです。たとえば、ダーウィンが研究ノートにさっと書き込んだ進化過程を表わすデッサン︵それは実は珊瑚のイメージに由来する可能性が指摘されています︶は、やがてよく知られた﹁系統樹﹂というアイコンへと成長していきました。 思想家や科学者、あるいは作家や芸術家たちのノートやメモに時おり見つかる、こうした手書きのダイアグラムは、明確な思考以前、意識的批評未満の、心に浮かぶイメージです。この、いわば﹁思考のイメージ﹂のなかには、懸命に真理に近づこうとしている知性の、手探りの運動のようなものが記録されています。 つまりそれは、世界の新しい見方を気づかせてくれる、眼に見える﹁しるし﹂でもあったわけですね。ひとは言葉や論理によって考えるとともに、こうしたしるしのイメージを通じて、眼によっても考えている。インフォグラフィックスが大切なのは、このように﹁考える眼﹂を刺激して、知的な発見を追体験させてくれる可能性がそこにあるからでしょう。 最後に、言うまでもなく、本当に問題なのは﹁パワポ﹂の是非ではありません。どんな道具も適切に使いこなしたうえで、﹁眼﹂によって考える方法を積極的に切り開くこと――それはまた、新しい認知スタイルそのものの発見でもありうるのです。 ︵超域文化科学専攻/ドイツ語︶
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