元信者たちの手記 11〜40


追加40 ● 麻原さんについて思うこと −67号から


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追加39 ● ホームページ読者−元信者さんからの投稿− 66号から

2000年10月18日 男性、30代、元信者

◆ はじめまして。---オウムの古い元信者です。---12年前、あの井上嘉浩くんとよくバクティしているときなどに話をしていました。彼はまだ高校生で準スタッフといった感じで気持ちいいエネルギーの少年でした。

◆ 私はといえば、当時ケイマ大師にミーティングの書記を頼まれていたのですが、88年2月を最後にオウムから行方をくらましてしまいました。
最後はちょうどあの白いオウム服を着ることが決まった最初の日だったと覚えてます。当時登場したオウム(サマナ)服が気に入らなくて、世田谷道場で着るのを拒否して家に帰ってしまいました。ほかにもいろいろ離れる理由がありますが、個人的なことですからここでは話したくありません。ただ、自分を書記に選んでくれたケイマ大師に悪いことをしたなーという思いでいたのです。当時、私は麻原の説法のテープおこしや村井氏の指示の元にビラ配りとかしていた記憶があります。

◆ ずっとオウムにいたことを自分の仕事の都合で一切話せない立場にいたため、オウムについては自分の心の中から排除したつもりでいました。サリン事件の時も気になりながら他人事のように目を伏せていた気がします。かって自分が仲良く話をしていた連中が次々にテレビに顔をだしているのを見てかなりショックでした。

◆ また自分の家にとうとう警察が来てしまい親や親類にオウムにいたことがばれてしまい結構大変でした。でも、ラッキーだったのは会社の社員寮に住所変更しなかったことでしょう。警察が来て確実にクビになっていたことでしょう。

◆ オウムのことが今となってすごく気にかかるんです。もはや自分はオウム信者ではないけれど、いまだに修行者ではないけど瞑想者だと思っています。
自分はオウム事件には関わらなくてラッキーだったけど、友人の心は傷ついているだろうしすでに亡くなられた友人(オウム内の事故で)もいるみたいです。
当然亡くなられた被害者もいるわけで、○○個人としては何かとお役に立てないものかと考えております。
 ※この文章に関して転載可ですので「カナリヤの詩」に転載してもかまいません。


追加38 ●思い出話「困った時の刑事頼み」−第65号から


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追加37 ● らーこさんへの現役さんからの返事FAX−第63号から


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追加36 ●「ブタの餌」−富士修行班にて (1990年)−第62号から

2000年7月8日、元出家者、女性

◆ それは選挙のあと、わたしがごねてお弁当屋さんから生活班にかわってずい分たってからのことです。

◆ 当時お弁当屋さんにいたおじさんで、もと板前さんということで、妙にプライドが高く浮いている人がいました。やはり浮きすぎたのかお弁当屋さんのワークをはずされて、どういういきさつか富士に来ていました。

◆ なにか尊師から特別のワークをいただいたとかで、新しいサマナの食料を開発するということで、富士の厨房でなにやら作っていました。富士の厨房は結構広いところで、ガスレンジがいくつもあるところでした。レンジがいくつもあるところでした。

◆ そしてそのおじさんは、おれは尊師の特別ワークをやっているんだとかで胸を張り、低い鼻も1.5cmくらいは高くなっていたように思います。

◆ がしかし、サマナの食料の試作品を作っているときは、ずい分はなれた一番奥にあるガスレンジのあたりで、こそこそやっているのです。なにかお団子のようなものを丸めて作ったりしていました。

◆ そうなれば興味津々、煩悩の固まりの私としては知りたくてたまりません。でも近寄ると「おれは尊師の特別ワークをやっているんだ、あっち行け!!」とか言われてしまうのです。とにかく誇り高いワークのわりにはコソコソやっていました。

◆ そんなある日、そのおじさんも気がゆるんだのか、材料の入った袋をそのまま置いてちょっと席をはずしたのです。チャンス到来、すかさずその袋を見た私は思わず大きな声をだしてしまいました。

「ええ〜っ、豚の餌なの?」

◆ そうです、その袋にはなんと・・・「子豚の飼料」と書いてあったのです。大手の家畜飼料メーカーの大きな米袋のようなものに入った、紛うかたなきほんまもんでした。(ああ驚き!!)

◆ 当時は尊師がそのおじさんに対して行なったカルマ落としか、はたまた強烈なブラックジョークかと思いましたが、今となってみればそれって、麻原さんの本心だったのでしょうね。
(とんでもないおやじだ!!)

    ちなみにそのおじさんのワークはいつの間にやら立ち消えとなりました。
                                                              ペンネイム らーこ


追加35 ● 支部の思い出 −第63号から


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追加34 ●コロンボ空港事件 (1992年5月、スリランカ)−第63号から


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 P.N. Jupiter

追加33 ● オウムと子供たち(第2回) −第62号から


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追加32 ●(現役さん) 手紙 2000年4月27日着

◆ 私はオウム真理教(現・アレフ)の者です。名前は書けないことをお許しください。

◆私はどうしても納得できないことがあって、お手紙しました。
それはパソコンショップ(オウムで経営していた)が、8億円の追徴課税をされました。しかし、そのパソコンショップで働いていた者は、失業したということで、失業保険の給付を受けています。実際には給料をもらっていなかったというのに……

◆ この8億円に加えて、被害者・遺族への補償のため、再びパソコンショップの経営を考えているようです。
私は反対ですが。 なぜなら、補償という名目のもと勢力拡大に走るからです。

◆ 特に失業保険の給付は違法にはならないのでしょうか。−−−−−−−−−−以上


追加31 ● 手記ー家族の皆さんへほかー

http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/11.html 2000年5月、元出家者、30代、女性


追加30 ● オウムと子供たち(第1回)−第61号から


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追加29 ● 富 士 修 行 班 の 思 い 出

2000年5月、元出家者、女性

◆ 富士修行班といっても、わたし自身が修行班に入っていたわけじゃなく、身の回りのことをする生活班にいたころの思い出です。

◆ 経行(こんな字でしたか?)修行の始まりのころで、上九までトコトコ歩いて行く「きんひん」の前進で、富士2階道場や敷地内を教学本を読みながらうろうろする「きんひん修行」のころのお話です。

◆ 寒い季節、修行班のみなさんはミラレーパ(新実さんではない)のようなわけにはいかず、あるだけの服を全部着込んで着膨れしていました。ミラレーパではなく、だるまさんのようでした。それというのも修行班の人達は厳しい食事制限を課せられていて、フラフラ状態で熱も起きなかったのでしょう。

◆ 厨房の通路に置いてあるサツマイモの箱がよくなくなっていました。どうも敷地内で「きんひん」をおこなっている人達が、かっぱらって焼き芋していたようでした。一度くらいは上司に訴えたかもしれませんが、「腹がへっては戦もできまい」と、放っておいたように思います。もちろん盗んでいるところを直接目撃すれば注意もしましたが、内心「見つかんないようにすればいいのに!」なんて思ったものです。わたしとしては、ごくごく自然な気持ちでした。

◆ わたしは生活班だし、用事があって2階道場に上がっていくことがちょくちょくとありました。そうするとよく修行班の人がさっと近づいてきて、手紙をくれるのです。内容は、「お腹がすいてどうしょうもありません、おにぎりが食べたいです。」などです(笑)。 サービス精神旺盛というか慈悲深かったのか(笑)、わたしは速やかに準備を整え、何食わぬ顔でその人の着替えを届ける振りをして、ご希望の品を届けていました。(今考えるといったいどこで食べてたのかしら?)

◆ 「らーこさん、わたしアーモンドが食べたいの、分けてもらえない?」と、泣きそうな顔で訴えてきた方もいます。もちろん、慈悲深い(笑)、わたしはわざわざアーモンドを炒ってはちみつまでつけてお菓子のようにして渡していました。頼んだ相手もここまでは望んでなかったのでしょうけど。

◆ みなさん!修行者にとっては足を引っ張る「悪魔」のような存在だと、わたしの事をお思いでしょうが、どっこいなぜかわたしが差し入れをした相手はなんと全員そのときの修行で念願のクンダリニーヨーガを成就なさいました。 それも複数です!!

◆ 当時クンダリニーヨーガの成就に情熱をもやしていた「あ・な・た」、一度わたしに「腹減った〜っ!!」て、言ってくればよかったですね。速やかなる成就まちがいなしだったのに残念でしたね。ちなみにわたしは「ペーペー」のままでした。

らーこ


追加28 ●  富 士 修 行 班 の 思 い 出 その2

2000年5月、元出家者、女性

◆ 当時、修行班の食事はかの有名な「オウム食」でした。

◆ 修行班の人は厳しい食事制限が加えられていたのでいちいち量りでグラム数を量って出していました。食事の場所は富士道場のとなりの倉庫の2階でした。もともとわたしはそちらに出向く係りではなかったのですが、生活班でその係りになっていた人が一人ボイコットしたのでしぶしぶわたしも行くようになったのです。

◆ 気の毒でした、みなさんおわんにつがれたオウム食、どれが一番多いか血まなこで選んでいるのです。ここでも悪魔心か、はたまた仏心(笑)が出てきたわたしは、腹持ちのよさそうなサツマイモなどをたっぷり入れて、スープはグラムに関係ないとばかりにたっぷりつぎわけたのです。

◆ そうすると今度はなんとお礼の手紙をいただきました。差し入れ相手とは違う、やはり複数の人から。なんでも以前の人は大根ばっかりしか入ってないのとか、こんにゃくばかりとか、スープもグラムに入れていて何も入ってないオウム食だったとかで、とても悲しかったとのことでした。

◆ こんなことでお株が上がってもしょうがないのですが。お手紙をいただいたあと、さすがに好き勝手に振舞っていたわたしでしたが、このときばかりはいろいろな意味で「なんか違うんじゃない?」と、考えこんでしまいました。


追加 27 ● 修 行 の 思 い 出 その3 ーーー知恵の修行は何処へ?

2000年5月、元出家者、女性

◆ それは世田谷道場での出来事でした。

◆ 一人の「女性の師」が、大騒ぎしているのです。「大変、大変、今から信徒さんのところに行かないといけないのに、足の裏が真っ黒なの、どうしよう。」という内容のことでした。その方は、編集に所属する方で、有名大学を出た方だと記憶しています。刊行物の取材に世田谷道場に訪れていたのでしょうか。たいしたことではないのに、とにかくえらい大騒ぎなのです。そばにいたサマナも困った顔をしていました。

◆ そこで思わず一言「靴下はけば」と、つぶやいてみたのです。そうすると、「はっ」とした顔をしてどこかに行ってしまいました。おおかた靴下を履きにいったんでしょうけどね。

◆ 私たちは当時崇高なる知恵の修行をしていたのであります。いまどきチンパンジーでも道具を使う道は知っています。彼女も寒い季節には靴下くらい履いた記憶はあるだろうに。首をかしげた一日でありました。 以上


追加26 ● イニシエーションの思い出

2000年5月、30代、元出家者、女性

◆ そのころすでに出家していたわたしは御多分にもれず、日本ではご法度のズバリLSDを使った「キリストのイニシェーション」を受けました。(もっとも当時はそれがLSDだと知るすべもありませんでしたが。)

◆ 狭い部屋の中、以前受けた人が失禁でもしたのか、やけに臭くジメジメしていて、「はあ〜っ、これが終わったら2,3度洗濯しなくっちゃ!!」なんて思ったものでした。中盤あたりでしたか、他の部屋にいた人達、これがまた凄いのです。部屋中を大暴れしているような音とか、猛獣の大合唱のようにみんな大声をあげて・・・、とにかく凄まじかったのです。強烈な薬物飲まされてるのに、あまりの大騒ぎにわたしの意識が何回も戻るくらい、とにかくおお暴れしていました。

◆ そうこうするうちにイニシェーションも終わり、くそ熱いお風呂も終わり、残すところ最後のメニューの尊師面談のみとなりました。一人ずつお代官さまの前に引き立てられた下手人のように鎮座して、ありがたいお言葉をいただくのです。

◆ いよいよわたしの番、「どうだったか?」なんて事を聞かれたのですが、わたしは他のことに気を取られていて「余韻を楽しんでます。」なんて、わけのわならないことを答えてしまったのです。教祖はイニシエーション中の体験を尋ねたのでしょうけれど。尊師は「んん?」というような変な顔をしていました。

◆ わたしってずうずうしいのでしょうか、ありがたい尊師の前にいながら、他のことに気を取られるなんて・・・それというのも・・・。じつは、目の前の尊師のあの鮮やかな紫のクルタの丁度ヒゲがあたる胸のあたりなんですが、5cmほどの干からびた「おそば」が付いていたんです、「おそば」が・・・。

◆ それはもう紫によく映えて目立つのです。
「カピカピ」になっていました。
クルタも染みとかついていて何日も着替えていない風でした。
口の周りも汚れていたし。
私としては目が点の状態です。

◆ 当時わたしは「なにこれ?まったく少しくらい身だしなみ考えればいいのに一教団のヘッドなのに、顔だって何日も洗ってないように汚れてるし・・・「臭そう」などと思うのと同時に「ああいけない、偉大なる尊師に対してこんなこと考えては・・・。」などと瞬時に考えているうちに質問されて、とっさにすっとぼけた答えを言ってしまったのです。ハラハラ、ドキドキものでした。

◆ そういうわたしだからでしょうか、イニシェーションの最中一度も尊師のヴィジョンは出てきませんでした。当時それがショックなことだと考えもしなかったし、ずうずうしいわたしだったのでしょう。わたしには信も帰依もなかったのでしょうか?自分では真面目なつもりだったのですが。

◆ でもそんなことにはおかまいなしに、わたしはとってもハッピーなトリップを体験したのです♪(ちなみに隣の、部屋を揺らすほどおお暴れして、猛獣のような声を張り上げていた人はなぜか昇進し、めでたく師となりました。一体全体なにが基準だったか今もって不明です)やはり帰依とかなかったのか、尊師のありがたいお言葉、数日中に忘れてしまいました。

おしまい らーこ


追加25 ●いつも飢えてたサマナたち 〜オウムの食事に関する思い出〜

【1 ソーマの思い出】


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追加24 ●食べ物特集ーイ ン ス タ ン ト ラ ー メ ン

2000年5月、20代、男性、元出家者

◆  私の記憶に残っている印象的なオウム内での食べ物は、インスタントラーメンです。
強制捜査が頻繁に行われている時、私は第八サティアンにいました。そこで与えられたワークは、これから世紀末にむかって大変なことが起こるということで、そのための非常食を作るというものでした。以前から米を備蓄したりすることが行われていましたが、その中の一つのものとしてインスタントラーメンがありました。

◆ 私はそのラインを動かすために、かりだされました。私が工場に入ったとき、どこかの潰れた工場のラインを買ってきたのでしょう、インスタントラーメンを作るラインがほぼ出来上がっていました。そのラインを見て、作業をする多くの人は“ラーメンが食べられる”という気持ちで本当に嬉しがっていました。

◆ ラインの流れとしては粉をこね、製麺し、それを油であげ、半透明の容器に入れ、ラップされるというものでした。ただ最初の製麺部分の調整は全くなされておらず、自分達でやりました。一緒に作業した人の中に食品製造に詳しい方が一人おり、その方いわく「素人がその作業をやるには何時間もかかる」と言っていたのですが、煩悩のなせる技なのでしょうか、本当にあっという間にラインが調整されてしまいました。そして、そこを見ていた師の人がみんなに、「貪りを出さないように。こねる人、触る人はマントラを唱えつずけながらやるように」と言って作業をさせていました。いざ出来上がったものはとても油っぽいインスタントラーメンでした。

◆  その後すぐに、そのインスタントラーメンは保存に適さないと判断されたらしく、みんなに配られました。私自身はおいしくいただいたのですが、油っぽいせいなのか、製造者の貪りの煩悩のせいなかよく分かりませんが、それを食べたあとお腹の調子を崩した人が何人もいたという噂をききました。


追加23 ●食べ物特集ーアーモンド


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追加22 ● 食べ物特集ー  丹 

2000年5月、20代、元出家者男性

◆  いつだっただろうか、あの物凄い食べ物を食べたのは。あまりの凄さに、言葉が出なかった。 あれはまだ私が信徒だった頃、赤堤の道場に勉強会だったか、ボーディサットヴァの会だったかの時に行って起きたことだった。その時は大勢の人がいて、正座でないと座れないくらい人でごったがえしていた。

◆ スタッフの人達から、「これから、地元素を浄化することの出来る丹と言う食べ物を皆さんに配りますので、尊師?に供養しながら食べてください。」と言う内容の事を言われたのです。皆はとても喜んで、その「丹」と言う食べ物はどんなものなのか心待ちにしていました。
 ところが、出てきたのは、茶色くごつごつした、肉団子状のえらく固い食べ物でした。恐る恐るも、のどに社長を思い浮かべながら、それを食べたのです。

◆ 何とも言いようのない、妙な味で、はっきり言ってしまえば、「まずい。」の一言なのです。それも本当に半端なまずさではありません。 なんでこんなにまずいのかあまりのひどさにスタッフに聞いてみると、「これは普段皆さんが祭壇に供養した、食べ物なのです。私達は食べることが出来ないので、最終的に一つの鍋で煮てそれを小麦粉などで固めた食べ物なんです。ですから、神々の祝福がいっぱい注がれている素晴らしい食べ物なのです。」 

◆ この言葉に思わず、「絶句」してしまいました。つまり、簡単に言うと「腐ったから、ごった煮にした。」と言うことなんです。これには当たり、はずれがあってチョコレートが入っているもの、固形カレー・ルーが入っているもの、食べると舌がしびれてくる中身のわからないも。 皆、「これは地元素の浄化のためなんだと。」自分に言い聞かせて食べていました。


追加21 ● 食べ物特集ーカ レ ー 缶 詰

2000年5月、20代、元準サマナ男性

◆ 95年の2月頃のカレー缶詰。この缶詰は、ある在家信徒が働いていたか、もしくは関係のあった食品会社が倒産したということで、その商品のうちのカレーの缶詰を引き取るという話しだったと思う(随分前の話しなので、記憶があやふやな所がありますが、あしからず)

◆ 支部のサマナ数名と在家信徒が引き取りに行ったのだが、もちろんオウムとは言わずボランティアグループ「ひまわり」というダミー団体をでっちあげて行ったが・・(←ダサいネーミング^^;)

◆ 当日、寝坊してしまいサマナからの電話で叩き起こされる。
「おーーーい、今日のバクティ知ってるよね?」 「あっ!はい」
作業内容は缶詰の周りに貼ってあるラベルを錐の小さいようなもので引っ掛けてベリッと剥がして缶詰を丸裸にしてダンボールに積めていくという単純な作業だ。もちろん、当時の意識としては、(これがどういう意味があるのだろう?)(誰の役に立つのだろう)と考えることはなく、もただ「バクティだ!」「功徳だ!」ということで淡々とやっていたが・・しかし、缶詰の量がかなり多いこと及び単純な作業に対して飽きてきたこと及び時間に制限があるということで、メンバーは「ダンボールの一番上だけラベル剥がした缶を乗っけて、下はもうそのまま入れちゃおうか?」という、極限どころか、なあなあな作業に夕方近くから変わりましたが、その甲斐あって作業は無事終了。

◆ ということで終了後は当時、(ヨガのダミーサークルをつくり導こう!)ということで、そのままその会場へと直行!いやー燃えてたのかな?当時の自分。
しかしこのサークル、ふれこみはヨガだっていうのに、当日は何を勘違いしたかオウムのビデオ「情報汚染社会」を見るというワケのわからんことをやってました(おい!ヤバイよーいきなりそっち方向行くと怪しまれるだろ、あの人がちょっと胡散臭そうな顔してる!)と感じた僕は、話題を「ヨガ理論による食養」に切替えた。

◆ 話をカレー缶詰に戻すと、結局この缶詰は当時、阪神大震災で苦しんでる人に援助するでもなしに、ただ単にサマナの食の煩悩を満たすために上九に送られました。まあその前年の夏頃は修法されたカップラーメンばかり食ってたから、そりゃあもう大喜びだったろうね。中には大豆タンパクのから揚げと一緒に煮込んだりして工夫して食べていた人もいましたから。

◆ ちなみに、無造作にゴミを捨てるオウムはこの缶詰をサティアンの外にそのまま捨ててしまい(まあ缶どころかキリストで使ったオムツとか、その他もろもろ捨てまくり状態でしたけどね)その写真が「フォーカス」か「フライデー」か知らないが写真週刊誌に載ってました。しか〜〜〜も、その缶が、なあなあで作業したラベルそのままの缶詰!(楽をしようとすると後で痛い目にあう)というのを実感した次第です。と、こんな食べ物話でした。


追加 20 ● 語り得ぬものには、沈黙しなければならない
L.ヴィトゲンシュタイン


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追加 19 ● 上祐さんについて、ちょっと裏話


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追加 18 ● 上祐さん 大阪支部長に就任


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追加 17 ● ナンディヤさんグループのこと、3年後


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      P.N. Jupiter

追加16 ● O 君 と の 再 会


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追加15 ● S君との再会


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                              P.N. Jupiter

追加14 ● <信仰の飛躍は早すぎた終わり>


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  L 1987 

   










 






 






 









 
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 P.S.      









  

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追加13 ● A K

1998年1月23日 第32号より


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追加 12 ● 獄中からの手紙 �U「盲の亀のたとえ」

1999年9月17日第52号 


  
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追加 11 ● 獄中からの手紙 �T『はじめまして』

1999年9月17日第51号




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