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室生犀星が当地(東京都大田区)の映画館で観た「サンセット大通り」の一場面(左上)と、「わかれ雲」(五所平之助監督)に出演の川崎弘子(右下)。右上の女性は犀星が「絶えず柔らかい微笑を見せてゐたが、非常に美しい」と書いたヴァージニア・メイヨ。一番下の女性は犀星が片山広子に似ているとしたフランチエスカ・ベルチニ ※「パブリックドメインの映画(根拠→)」を使用 出典:映画「サンセット大通り」、スタジオで撮影された川崎弘子の写真(新東宝株式会社)、ヴァージニア・メイヨの宣伝用の写真、フランチエスカ・ベルチニの古写真
昭和4年3月8日︵1929年。
室生犀星︵39歳︶が日記に、
・・・夜、ミヤコ・キネマ見物。
見物途中に火事あり、この館にて帝キネの物を見るは、草深き田舎に住める感じあり、人口五千位の町に住める心持するなり、決して悪き気分にはあらず。
と書いています。﹁ミヤコ・キネマ﹂︵﹁
みやこ都
キネマ﹂︶は、当地︵東京都大田区︶にあった映画館です。後に﹁キネマ大陽館﹂﹁山王映画﹂になっています。現在マンション﹁アンジュ荻野﹂︵東京都大田区山王一丁目43-10 map→︶が建っているあたりにありました。犀星の日記には当地の映画館と思しき﹁大森ヒカリ座﹂﹁新井キネマ﹂﹁大森キネマ﹂という名称も頻繁に出てきます。2日連続で行くこともあれば、知り合い︵平木二六や西沢隆二︶と行くこともありました。
犀星には映画の蘊うん蓄ちく
もあり、昭和7年発表の小説﹃青い猿﹄︵NDL→︶で、片山広子がモデルと思しき人物を次のように書いています。
・・・愛アイ蘭ルラ土ンド
文学の名翻訳家で五十ぐらゐの夫人で、どういふ場合でも他人の陰口をいはない典雅な夫人だつた。年よりもずつと若くてどこかフランチエスカ・ベルチニといふイタリイの古い女優の顔に似てゐた。・・・
﹁ミヤコ・キネマ﹂︵﹁都キネマ﹂﹁山王映画﹂︶には、昭和5年に当地︵東京都大田区︶入りした山本周五郎も足を運んでいます。当地の文学史に詳しい近藤富枝によると、周五郎は、﹁ミヤコ・キネマ﹂で見た映画﹁原田甲斐﹂にヒントを得て、﹃樅ノ木は残った﹄を書いたとか。﹁原田甲斐=忠臣説﹂は周五郎が最初に打ち出した訳ではありません。
﹁ミヤコ・キネマ﹂︵﹁都キネマ﹂﹁山王映画﹂︶は犀星の日記に初出する昭和3年にはあり、昭和20年の空襲では火に巻かれたようなので無事であったかどうか。
・・・みるみる、火の手あがる。壕の周りにゐた者が騒ぎ出した。市場の附近だ。前の石段にあがってみる。山王映画の建物の頭部が見える。そのうしろが火だ。・・・︵添田知道の昭和20年4月15日づけ日記より︶
大正9年に当地︵東京都大田区︶に﹁松竹蒲田撮影所﹂ができた頃から全国的に映画の勃興期に入り、当地にも映画館が増えました。﹁ミヤコ・キネマ﹂︵﹁都キネマ﹂﹁山王映画﹂︶の他に、﹁大森寿館︵後に﹁大森電気館﹂︶﹂﹁蒲田常設館﹂﹁蒲田富士館﹂﹁羽田劇場﹂﹁旭館︵後に﹁蒲田キネマ﹂﹁昭和館﹂︶﹂などが戦前の地図で確認できます。昭和8年の大森区の地図にある﹁日活館﹂﹁大森劇場﹂﹁弥生館﹂﹁大森会舘﹂も映画館でしょうか。
いつ頃できていつ頃なくなったか分かりませんが、﹁みずほ劇場﹂︵大森北一丁目34-16 map→ あたりにあった︶、﹁みずほ劇場﹂の隣あたりにあった﹁大森エイトン劇場﹂、かまぼこ型の洒落た﹁大森ハリウッド劇場﹂︵山王三丁目1-5 map→ あたりにあった︶、﹁大森東映﹂という映画館もあったようです。
今も、﹁平和島シネマサンシャイン﹂︵平和島一丁目1-1 ビッグファン平和島 4F map→︶、日本初のシネマコンプレックス﹁キネカ大森﹂︵品川区南大井六丁目27-25 西友大森店 5Fmap→ Site→︶で、大画面で映画を見ることができます。
南川 潤の小説﹃風俗十日﹄で、池上通りのスタンドバー で女給として働く逸子が、新米マダムと客のデートに付き合わされて行く映画館は、﹁省線︵現在のJR︶の線路を越した下の町﹂にあるというので、上記の﹁みずほ劇場﹂か﹁大森エイトン劇場﹂でしょうか。
いとやま・あきこ絲山秋子
さんの﹃イッツ・オンリー・トーク﹄︵Amazon→︶に出てくる﹁ヨーカドーの上の映画館﹂は、令和元年まで蒲田駅西口の商店街﹁サンライズ﹂にあった﹁テアトル蒲田・蒲田宝塚﹂でしょう。同館が入っていた﹁東京蒲田文化会館﹂︵東京都大田区西蒲田七丁目61-1 map→︶の地下1階から3階は前は﹁︵イトー︶ヨーカドー﹂だったようです。
・・・﹁とりあえず映画をみて、それからお茶でもいいですか?﹂と痴漢は言った。にこりともしなかった。気に入らなかったら帰ってもいいですよ、という顔をしていた。拍子抜けするほど冷静だった。私は黙って頷いてそれからヨーカドーの上の映画館まで歩いて行った。迷いもなければ恐怖もなかった。穏やかな気持ちで痴漢がどうでもいい邦画のラブストーリーのチケットを買うのをぼんやり見ていた。映画館は古ぼけていた。上映中の映画館に入って椅子にすわるとすぐに痴漢の冷ややかな指が忍び寄ってきて私は四回たて続けにいった。・・・︵絲山秋子﹃イッツ・オンリー・トーク﹄より︶
と凄いことが書かれています。
三島由紀夫も映画評論で一冊の本(Amazon→)ができるくらい映画を見ています。ゴジラも見ていますし、自らの小説を映画化し自らメガホンをとり主演したこともありました。
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |