︽﹁いはんやウ抱︵うほう。ウは前出の﹁烏﹂に﹁欠﹂を組み合わせた字︶︵接吻して抱き合うこと︶して婬楽せんをや﹂︵岩波書店﹃日本思想大系 源信﹄三八頁︶。とすると平安時代すでにキスはあったということになる。しかし、九歳で比叡山に入った日本史上屈指の学僧源信はいかにしてこの言葉を知り、わざわざ自著に使ったのだろうか︾︵大森洋平﹃考証要集 秘伝! NHK時代考証資料﹄︶
私は﹁アッー!﹂的な行為が比叡山であったからじゃないかと邪推してしまうのですが、考えすぎでしょうか。
それはともかく、ここに引用した﹃考証要集﹄は、NHKで時代考証業務を担当する大森洋平︵現在はドラマ番組チーフ・ディレクター︶が、もともとNHK職員向けに作成した考証資料を底本に、先ごろ文春文庫から公刊されたものだ︵ちなみに表題は、前出の﹃往生要集﹄に倣ったものだとか︶。
あれ、大河ドラマの時代考証って、歴史学者や考証家の先生がしてるんじゃないの? と思われるかもしれない。いや、それはもちろんそのとおりである。オープニングタイトルにもクレジットされているように、大河ドラマの制作には、時代考証のほか、風俗・建築・医療などの考証のためさまざまな分野から専門家が参加している。
これに対し、NHK内部の考証担当者は、専門家の“守備範囲外”をカバーし、複数の専門分野の“谷間”に生じた疑問に答えるという役目を担っているという。大森ら考証の担当者は、専門家が扱わないような雑学的な知識を大量に仕入れるため、日頃からさまざまなジャンルの本を読んだり、古典芸能や名作映画を鑑賞するなどしている。こうした蓄積が、ときに会議で、学者からドラマの台詞に出てくる言葉に疑問を呈されても、とっさに出典を示して納得させることにつながったりするのだ。
さらにこの仕事に欠かせないのが、僧侶・老舗の主・職人・自衛官などその道の専門家への独自取材である。最近では、戦前・戦中の考証がきわめて重要になっており、あるときなど、ビルマ戦線生き残りの元中尉に戦争映画を見てもらい、考証上の誤りをリストにしたこともあったという。大森はこのときの感想を︽戦国武将や幕末の志士に大河ドラマを見せたら、きっとこんなだったろう︾と表現しているが、言いえて妙である。
﹃考証要集﹄では、辞典風に五十音順に項目が並べられており、どのページから開いても面白い。﹁本能寺﹂の項など、最近の戦国物のドラマに対する苦言にも読めて、ニヤニヤしてしまう。織田信長が最期を遂げた﹁本能寺の変﹂は何度となくドラマで描かれているが、その描写は年を追うごとに派手になっている。
衣食住に関する記述も多く、いちいちうならされる。たとえば、上方時代劇ではきつねうどんがよく出てくるが、じつはきつねうどんは明治26︵1893︶年に大阪の店が出したのが始まりだという。よって、幕末の﹁適塾の福沢諭吉青年﹂らにきつねうどんを食べさせるのは考証的には正しくないことになる。
あるいは、女性が会葬の際に黒喪服を着服するようになったのは、日中戦争以降と、ここ80年足らずのことだというのも意外だった。昭和初期までは婦人は白喪服を着服しており、それがなぜ変わったのかといえば﹁奢侈を慎む﹂との理由からだったという。とすると、女性の黒喪服は戦時体制のなごりといえなくもない。
大森によれば、時代考証の究極の極意は﹁へんなものを出さないこと﹂だという。
︽時代考証においてはるかに大事なのは﹁××を出さずに済みました……﹂という消極的成功です。せっかく巨費を投じた豪華なセットや衣装が、本来一文もかからずに修正できたはずの無神経な所作や台詞のために台無しになってしまうのは、実によくあることなのです︾
いまあげたきつねうどんも黒喪服を着た女性も、ある時代より前を舞台にしたドラマで出せば、作品そのものが台無しになってしまう危険をはらんでいるというわけだ。
最近では、視聴者から歴史考証について指摘も多いという。たとえば、時代劇の別れのシーンなどで、手を横に振るしぐさが出てくると、﹁あれはおかしいのでは﹂と指摘を受けることもよくあるらしい。事実、このしぐさは西洋から入ったものなので、明治時代以前の日本には存在しない。日本人はもともと手を振るときは前後に振ったという。それで私が思い出したのが、昭和天皇の一般参賀などでの手の振りだが、そうか、あれは日本古来のものだったのか。
そんな目からウロコが落ちるような記述に満ちた本書には、ずばり﹁目からウロコが落ちる﹂という項目もある。
《これは新訳聖書使徒行伝第九章のパウロ回心の場に出てくる言葉で、日本古来のものではない。(中略)よって時代劇の台詞で粋な江戸っ子が「あっしは目からウロコが落ちやした」などと言ったら、そいつは隠れキリシタンになってしまうのでくれぐれも注意すること》
何と! まったくもって、目からウロコが落ちやした。
※大森洋平『考証要集 秘伝! NHK時代考証資料』
(近藤正高)