『帝国議会誌』第1巻

1975年6月

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第五五回帝国議会 貴族院・衆議院解説


 

古屋 哲夫

 

第五五回帝国議会 貴族院解説
第五五回帝国議会 衆議院解説


第五五回帝国議会 貴族院解説

1帝国議会の権限と構成
2帝国議会の運営
3貴族院の組織
4貴族院の会派
5第五五議会

4貴族院の会派
会派の性格
各派交渉会
初期の会派
研究会の勢力伸張
政友会の貴族院工作


大正期の会派
貴族院内閣の出現
貴族院改革後の会派の状況
昭和倶楽部の結成と研究会の動揺


4貴族院の会派


 

 
   1
 
   便   
 
    
 
    
 


 
 311315

  13160 80 

   442825 18 943




   麿 234 25  3133 

  麿




   調31242403372179  

  253     

  230 4533761703711061347939




 3415  西413西 

  411242230 44445 8 




  34 2 

  3321051008421428調  

     101012  4750  

  4354
 
右会派
下議会
研究会 公正会 茶話会 交友倶楽部 同成会 無所属 親和会 派に属さ
ない者
43(大9)
143 65 48 44 30   67 397
44(大9―10) 145 65 44 43 29   66 392
45(大10―11) 139 63 43 41 27 25 55 393
46(大11―12) 140 43 42 49 25 26 25 54 404
47(大12) 170 42 39 47 23 26   47 394
48(大13―13) 168 42 38 47 23 26   47 391
49(大13) 174 43 36 47 24 23   51 398
50(大13―14) 171 41 34 46 24 24   50 390
51(大14―15) 153 67 27 40 28 27   61 403
52(昭元―2) 154 67 28 42 30 26   58 405
53(昭2) 154 68 27 42 31 26   58 406
54(昭2―3) 146 66 25 40 30 25   66 398
第50議会閉会後、同議会で成立した改正貴族院令による選挙が行なわれている。
研究会の急減はこの改正令による有爵互選議員の定数減を反映している。
各議会開院式当日の議員数。




貴族院内閣の出現

 このように、内閣の存続のために貴族院の有力会派との提携が行なわれ、会派と政党との接触が深まる一方、党籍をもつ貴族院議員が増えてくるようになると、これまでとは逆に、貴族院の会派を基礎として、衆議院の党派の了解を求めるという組閣の方式があらわれるに至った。原敬内閣をついだ高橋是清内閣が内紛によって倒れると、元老は海軍大将加藤友三郎を後継首相に推した。加藤は最初、政友会からも入閣を求めたが単独内閣を準備していた政友会はこの交渉に応ぜず、結局加藤内閣は貴族院の研究会と交友倶楽部を基礎と した次のような顔振れで成立した。

  総理 加藤 友三郎
  大蔵 市来 乙彦(勅選・研究会) 
  農商 荒井 賢太郎(勅選・研究会)
  逓信 前田 利定(子爵・研究会)
  鉄道 大木 遠吉(伯爵・研究会)
  司法 岡野 敬次郎(勅選・交友倶楽部)
  文部 鎌田 栄吉(勅選・交友倶楽部)
  内務 水野 錬太郎(勅選・交友倶楽部)


  閣僚以外でも、国勢院総裁に研究会の伯爵小笠原長幹が任命されている。つまりこの内閣は、政友会と関係の深い研究会・交友倶楽部を基礎とすることによって、間接的に政友会の支持を得ようとしたものと言えた。

  大正12年8月に加藤首相が死去すると、海軍大将山本権兵衛を首相とする内閣が組織されたが、この内閣でも貴族院の勢力は大きかった。即ち一方で衆議院革新倶楽部の大養毅を逓信大臣にすえる反面、貴族院官僚派のリーダー、茶話会の勅選議員田健治郎・後藤 新平を農商務大臣・内務大臣の地位につけ、また交友倶楽部の岡野敬次郎・山之内一次(共に勅選)に文部大臣・鉄道大臣の椅子を与えていた。

  山本内閣が成立後わずか3箇月余で虎ノ門事件のため総辞職すると、ついで大正13年1月、枢密院議長清浦奎吾が後継内閣を組織した。清浦は大正3年、第1次山本権兵衛内閣総辞職のあとでも組閣の勅命をうけたことがあり、貴族院中心内閣をつくろうとして成功せず、組閣を辞退したという経歴の持主であった。またすでに触れたように彼自身明治後期(明治24−39)の研究会幹部であり、以後も研究会との関係は深く、今回の組閣にあたっても、青木信光・水野直両子爵ら開会幹部を組閣参謀としていた。そして政友会との交渉が不調に終わってからは、閣僚の選考は研究会幹部に一任された形となった。その結果できあがっ た清浦内閣が純貴族院内閣、特権内閣と評されたことは、次の閣僚名簿によって理解することができる。

  総理 清浦 奎吾(枢密院・元研究会)
  外務 松井 慶四郎(総辞職直後、勅選議員となる)
  司法 鈴木 喜三郎(勅選・会派に属していないが、総辞職直後研究会に入る)
  大蔵 勝田 主計(勅選・研究会)
  内務 水野 錬太郎(勅選・交友倶楽部)
  農相 前田 利定(子爵・研究会)
  鉄道 小松 謙次郎(勅選・研究会)
  逓信 藤村 義朗(男爵・公正会)
  文部 江木 千之(勅選・茶話会)
  陸軍 宇垣 一成
  海軍 村上 啓一


  56退
 



 1482131
 
     
 
    11411  15
 


 
    521014調 
 
   1117退 12麿6  
 
   55331214 11193017244190381 (15 31514484438133245136
 
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