ダレスに中国論を縦横に語る吉田 日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜
日本経済新聞吉田茂首相は、1951年12月13日午後2時半、総司令部︵GHQ︶外交局にダレス国務省顧問を訪ね、約1時間会談した。井口貞夫外務次官、シーボルト外交局長...
125か月前
ヒロシマの空白 未完の裁き <5> 外務省の暗躍
中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター外務省の過去の機密文書を所蔵する外交史料館︵東京都港区︶。﹁第二次世界大戦関係雑件﹂と書かれた分厚いファイルを開くと、広島市の﹁原爆被害者の...
1か月前
被爆から75年――戦後日本外交の原点と核軍縮 | 記事一覧 | 国際情報ネットワークIINA 笹川平和財団
笹川平和財団今年も8月6日に広島で、9日には長崎で平和祈念式典が開催された。式典では、3年前に国連で採択された核兵器禁止条約に参加し、日本政府に核保有国と非...
44か月前
ソ連が朝鮮停戦交渉を提案 日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜
日本経済新聞アリソン公使の訪日は重要な意味を持った。吉田茂首相のほか、井口貞夫外務次官とも会談した。GHQ︵連合国軍総司令部︶と外務省、大蔵省などの局長級の協議で講和を...
81か月前
日米暫定駐兵協定の骨格明らかに 日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜
日本経済新聞マッカーサーが米議会で感動的な演説をしたほぼ半日後の日本時間1951年4月20日午前11時から、ダレスは東京でいくつかの重要な会談をこなした。
151か月前
経済も﹁安保﹂だった冷戦時代 日米外交60年の瞬間 特別編集委員 伊奈久喜
日本経済新聞吉田茂首相とダレス特使の話し合いは、次第に熱を帯び、深い問題に入ってゆく。第2回会談は、1951年1月31日、同じ三井本館で行われた。
159か月前
米国との関係は今のままでよいか――日本の政治に大局観が必要だ - 田中均|論座アーカイブ
論座アーカイブ日本は米国一辺倒の保守ナショナリスト路線を見直す時期 歴代内閣にとって米国との関係は最大の課題だった。 吉田茂首相は米国に安全保障を依存して軽...
32か月前
吉田・ダレス会談の謎 日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜
日本経済新聞1951年12月14日付日経1面の﹁ダレス吉田会談﹂︵伊奈注、いまなら当然﹁吉田・ダレス会談﹂と書くだろう︶について続ける。これは奇妙な記事である。
81か月前
号砲待つ日華交渉 日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜
日本経済新聞やはり1952年2月1日の出来事である。中華民国政府︵国民政府︶は、台北の日本在外事務所に対し、外交特権を許可した。大使館とほぼ同等の機能を与え...
118か月前
西村条約局長の失望と感慨 日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜
日本経済新聞2013年が暮れる。きょうのこの物語は、1951年12月13日の吉田・ダレス会談の内容を聞いた西村熊雄外務省条約局長の失望から始まる。
125か月前
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