Roe R. Adams III がやったこと(2)
2016年5月22日
2019年3月8日
前回の記事。
ローの話では、そもそも”Ultima IV”より先に”Wizardry IV”の話が来たらしいのだけど、”Wizardry IV”の方がイロイロあって、後になったといっていた。
で、今回は”Ultima IV”の話になるのだけど、そろそろ”Ultima”のことを知らない人も多いだろうから、簡単に”Ultima IV”までの歴史を書いておきたい。
そもそも”Ultima”シリーズは”Wizardry”シリーズと並ぶCRPGの古典で、今回の話で取り上げているのは初期の1~4。
1~4まではリチャード・ギャリオット︵ロード・ブリティッシュ︶がほとんど一人で作っていたらしいが、ゲームサイズを考えても、そう驚く話ではない︵実際クレジットを調べるとプログラマはIVで初めてAdditionalが現れる︶。
しかし、ともかくとんでもなく偉い作品で、普通の人が考えるCRPGの典型的なルール﹃世界マップを歩いていると、町やダンジョンのシンボルが置かれていて、それに接したり乗ったりすると、町やダンジョンの中に入る構造﹄そのものを作り出したというだけでも、間違いなくゲーム史上不滅の作品だ。
右がそれをほぼ史上初でやった”Ultima 1″のAPPLE II版の画面。hardcoregaming101.netから持ってきた。
ちなみに”Ultima 1″では街は1画面マップでスクロールしないのだけど、ともかくマップのシンボルに乗ると中に入るという構造はここですでに確立している。またUltimaでは、街は平面マップ・ダンジョンは3Dというルールがあるのだけど、これは後の日本のフォロワー、ドラクエのモトネタとしても話題になることがある﹃夢幻の心臓﹄シリーズに受け継がれる。
加えて”Ultima online”でMMORPGの︵ほぼ︶始祖になったり、2DだけどOpenworldの始祖といえるようなことをしていたりと、まさに今日のCRPGの基礎を作ったゲームといっても過言ではない。
ではこのシリーズはいつから始まったのかというと、”Ultima 1″の発売日には2説、1980と1981があるのだけど、今回調べなおしたところ商標登録が1980年で発売は1981年という説が妥当に思われたので、ここでは1981年にしておきたい︵インターネットの”ultima 1″のAPPLE II版のディスクと画像を調べまわったのだけど、(c)1981と書かれたディスクとタイトル以外を見ることが出来なかったことから見ても、その可能性が高い︶。
ところでUlitima 1の習作としてAkalabeth(1979)をRPGの端緒と置く人もいるし、また”Ultima 0″として扱われることも多々あるし、本人もそんな名前で出したりしてるのだけど、自分としてはゲームシステムの習作ではあっても、さすがにこれを端緒に置くには疑問が感じられる内容なので、ここでは”Ultima 1″を初代としておく。
と、シリーズの端緒について説明したところで、シリーズを俯瞰していくと”Ultima 1,2″はリチャードギャリオットの﹁あれがやりたい、これがやりたい﹂が全部詰め込まれた、タイムトラベルやら宇宙やらもうファンタジーとSFをゴチャゴチャにしたゲームだった。今風に言えばギャリオットの中二病なゲームで、本人は結構黒歴史にしたいんじゃないかと思ったりもする。
これがファンタジー世界に腰を下ろすのが”Ultima III EXODUS”︵1983/APPLE II)。
右の画面を見てもらえればわかるが、このときにはパーティプレイ・敵と遭遇すると戦闘画面に移行などなど、今見てもグラフィックがショボい以外は大きな不自然感はない、まるでドラクエみたいな︵もちろん話は逆だけど︶ゲームシステムがほぼ完成の域に入りつつある作品だ。
ただし、いわゆるウィンドウ型のメニューは全く存在せず、画面は三分割されていてパーティのステータス・ログ・マップの3つが常に表示されている。
これはメモリの厳しさやスクロール時の書換え部分の大きさ、さらに当時はこういう画面が普通だったことなどが組み合わさってできているのだけど、それ以外にも当時はマルチウィンドウの画面表現が知られていなかったのが大きい。
マルチウィンドウ的表現がゲームにもたらされるのは、”EXODUS”と同じ1983年発売の”Wizardry:Legacy of Llylgamyn︵リルガミンの遺産︶”で、初代のAPPLE II版のウィザードリィも右のようなタイル型の画面だったのだ。
画面を簡単に説明すると、左上が迷路および敵が現れたときには敵が表示されるグラフィック部分、右上のコマンドが表示されているところに戦闘時には敵の名前が出て、その下はスペル入力。さらに下がバトルなどのメッセージ表示領域、そして一番下がパーティステータスだ。
そして、右のような1983年の”Legacy of Llylgamyn”の画面に日本のゲームはドラゴンクエストを経由して、強烈に影響を受けることになるわけだ︵この画面を探していたとき”FULL SCREEN!”と書いてあったのに思わず笑ってしまった︶。
と、画面周りの余談はさておき、発売されたⅢも大ヒットし、リチャードギャリオットはもちろんIVを作り出すのだけど、ここで、なんとギャリオットは聖者になるのが目的のゲームを作ろうと考える。
どうして聖者になるのが目標のゲームにしようと考えたのか? 実はシリーズが売れるに従い、リチャードギャリオットは非難を受けるようになっていた。 ﹁こんな暴力的で道徳的でないゲームふざけんな﹂という話だ。30年以上も前からテレビゲームにはこういうことを言う人がいたわけだ。 でも世界はそんなに変わってないんだから﹁ゲームと暴力なんて明らか関係ないだろ﹂と思うし、資料を調べるとそういう非難をしていた人はほぼ”Ultima”をプレイしていなかったなんてお寒い話も出てきたりして、そういうところもホントに今も昔も変わらないと思ってしまうのだけど、ともかくこれが理由でギャリオットは聖者になるという案を思いついたらしい。 ただ暴力的だの道徳的だのって話になると、そもそもultimaシリーズは町の人間にケンカ売って叩き殺せちゃったりするし”Ultima 2″では街にいるNPCを叩き殺す方が効率よく金が稼げるなんてこともあるので、一概に否定できない。だからギャリオットが気にした可能性は十分にあると思う。 なんにしてもギャリオット自身が言っている1-2-3の“GO AND KILL THE EVIL︵行け! 悪を倒せ!ぐらいだろうか︶”に比べれば、聖者になるってテーマはシナリオ的に大ジャンプなのは間違いないので、この非難もゲームの歴史を進める上では、怪我の功名だったのかなと思ったりする。 ところがギャリオットはそういうテーマを思いついて、加えて3からゲームシステムを拡張していて、様々なことがゲームの上で表現できるようになっていたのだけど、シナリオをうまく書くことができなかった。 なぜなら、このころのゲームのシナリオは極めて単純で﹁Aを見つけろ﹂か﹁Aに行け、Bを手に入れろ﹂というようなコトを繰り返す、まるで借り物競争のようなモノの延長上にゲームエンドがあるものがほとんどだった。 “Ultima”シリーズも例外ではなく、ヒントと呼べないようなテキトーなメッセージの羅列がシナリオでございの世界だった︵しかも街という街に同じセリフを言う奴がいたり…街で話す気がなくなるんだよね︶。 だからテーマとして聖者になるってのを思いついたのはよかったが、 では聖者になるってストーリーをどう表現したらいいか、を考えられないのも無理はなかったと思う。 当時の名作といわれるアドベンチャやCRPGを現在プレイすると﹁え?﹂と思うものがほとんどだと思う。 そもそもゲーム規模が小さい…のはともかく、例えば不滅の名作ZORKでも、ZORK1はワケのわからん洞窟を這いずり回って、ほとんど互いになんの関係もない宝︵ついでに書くと一貫した世界観もないと断言できる︶をかき集めて、トロフィーケースに20個入れるとZORK2への扉が開く…なんてポカーンな代物で﹁え? これがシナリオなんすか?﹂と言いたくなるのは間違いない。 そして当時のシナリオと呼ばれるものはコレと大同小異…どころか、infocomのゲームはシナリオとして優れている、とされていたのである。 そこで白羽の矢が立ったのがロー。 どうしてローに白羽の矢が立ったのかは知らないが、前回書いた通り、ゲームのレビュワーとしては名うてでしかもアドベンチャに造詣が深かったんだから…というのに加えて、ギャリオットが作った”Ultima IV”のシステムがアドベンチャの要素を大きく取り入れたものだったからだと思う。 “Ultima IV”では、街の人との会話が特に拡張されていて、”T”alkコマンドで会話モードに入ると、再度NPCの姿を確認したり(look)、名前(name)や仕事(job)などを聞くことができ、さらに単語について問いかけたりという、当時としては、かなり複雑な会話システムが実装されていたのだ。 ここからがローから聞いた話になる。 ローは興味を持ち、当然参加することにした。 最初に考えたことはなんだったのかというと、それは、どのようにして聖者になるのはではなく、どのようにして世界の隅々まで旅させるのか? だった。 というところで続く。
![](http://www.highriskrevolution.com/gamelife/files/ultima1 - appleII - 05.png)
![](http://www.highriskrevolution.com/gamelife/files/ultima3 - appleII - 06.png)
![](http://www.highriskrevolution.com/gamelife/files/wizardry1-apple-13.png)
![](http://www.highriskrevolution.com/gamelife/files/wizardry3-ibm-03.png)
どうして聖者になるのが目標のゲームにしようと考えたのか? 実はシリーズが売れるに従い、リチャードギャリオットは非難を受けるようになっていた。 ﹁こんな暴力的で道徳的でないゲームふざけんな﹂という話だ。30年以上も前からテレビゲームにはこういうことを言う人がいたわけだ。 でも世界はそんなに変わってないんだから﹁ゲームと暴力なんて明らか関係ないだろ﹂と思うし、資料を調べるとそういう非難をしていた人はほぼ”Ultima”をプレイしていなかったなんてお寒い話も出てきたりして、そういうところもホントに今も昔も変わらないと思ってしまうのだけど、ともかくこれが理由でギャリオットは聖者になるという案を思いついたらしい。 ただ暴力的だの道徳的だのって話になると、そもそもultimaシリーズは町の人間にケンカ売って叩き殺せちゃったりするし”Ultima 2″では街にいるNPCを叩き殺す方が効率よく金が稼げるなんてこともあるので、一概に否定できない。だからギャリオットが気にした可能性は十分にあると思う。 なんにしてもギャリオット自身が言っている1-2-3の“GO AND KILL THE EVIL︵行け! 悪を倒せ!ぐらいだろうか︶”に比べれば、聖者になるってテーマはシナリオ的に大ジャンプなのは間違いないので、この非難もゲームの歴史を進める上では、怪我の功名だったのかなと思ったりする。 ところがギャリオットはそういうテーマを思いついて、加えて3からゲームシステムを拡張していて、様々なことがゲームの上で表現できるようになっていたのだけど、シナリオをうまく書くことができなかった。 なぜなら、このころのゲームのシナリオは極めて単純で﹁Aを見つけろ﹂か﹁Aに行け、Bを手に入れろ﹂というようなコトを繰り返す、まるで借り物競争のようなモノの延長上にゲームエンドがあるものがほとんどだった。 “Ultima”シリーズも例外ではなく、ヒントと呼べないようなテキトーなメッセージの羅列がシナリオでございの世界だった︵しかも街という街に同じセリフを言う奴がいたり…街で話す気がなくなるんだよね︶。 だからテーマとして聖者になるってのを思いついたのはよかったが、 では聖者になるってストーリーをどう表現したらいいか、を考えられないのも無理はなかったと思う。 当時の名作といわれるアドベンチャやCRPGを現在プレイすると﹁え?﹂と思うものがほとんどだと思う。 そもそもゲーム規模が小さい…のはともかく、例えば不滅の名作ZORKでも、ZORK1はワケのわからん洞窟を這いずり回って、ほとんど互いになんの関係もない宝︵ついでに書くと一貫した世界観もないと断言できる︶をかき集めて、トロフィーケースに20個入れるとZORK2への扉が開く…なんてポカーンな代物で﹁え? これがシナリオなんすか?﹂と言いたくなるのは間違いない。 そして当時のシナリオと呼ばれるものはコレと大同小異…どころか、infocomのゲームはシナリオとして優れている、とされていたのである。 そこで白羽の矢が立ったのがロー。 どうしてローに白羽の矢が立ったのかは知らないが、前回書いた通り、ゲームのレビュワーとしては名うてでしかもアドベンチャに造詣が深かったんだから…というのに加えて、ギャリオットが作った”Ultima IV”のシステムがアドベンチャの要素を大きく取り入れたものだったからだと思う。 “Ultima IV”では、街の人との会話が特に拡張されていて、”T”alkコマンドで会話モードに入ると、再度NPCの姿を確認したり(look)、名前(name)や仕事(job)などを聞くことができ、さらに単語について問いかけたりという、当時としては、かなり複雑な会話システムが実装されていたのだ。 ここからがローから聞いた話になる。 ローは興味を持ち、当然参加することにした。 最初に考えたことはなんだったのかというと、それは、どのようにして聖者になるのはではなく、どのようにして世界の隅々まで旅させるのか? だった。 というところで続く。