自宅兼オフィス
大学院卒業を目前に控えたある日。携帯電話が鳴った。父からだ。﹁お前の実印、どこだ?﹂。何のことか分からないまま答えた。﹁机の2番目の引き出しにあるよ﹂
その実印で父は、1つの会社を登記した。﹁株式会社ワディット﹂。名字の﹁和田﹂と﹁IT﹂をひっつけた。父の和田正則さん︵59︶と息子の裕介さん︵26︶、2人だけのIT企業。所在地は神奈川県鎌倉市。自宅だ。
社長は裕介さん。﹁大学院を卒業したら、いきなり社長になっていた。特に会社でやりたいこととか、なかったんですが……﹂。2006年9月、24歳のころだった。
裕介さん(左)と正則さん
Webの﹁あちら側﹂﹁こちら側﹂という考え方がある。梅田望夫さんが﹁ウェブ進化論﹂︵ちくま新書︶で提唱して広まった。あちら側とはGoogleやAmazonなどがサービス展開するWebの世界。こちら側とは、企業内の情報システムなどローカル環境のことを指す。
﹁あちら側とこちら側をつなぐ試みは、これまでほとんどなかった﹂と正則さんは言う。﹁あちら側﹂に詳しい裕介さんと、﹁こちら側﹂に詳しい正則さん。2人一緒なら、間をつなぐことができるはずだ。
﹁スーツだのギークだの、言ってる場合じゃない﹂︵正則さん︶
裕介さんは06年9月に慶応義塾大学政策・メディア研究科修士課程を修了し、いきなり社長になった。
研究室では“映像の万華鏡”﹁mooo-pong﹂などメディアアートの作品制作に取り組んだり、ほぼ独学で覚えたプログラミングでネットサービスを作った。楽曲ライブラリを通じてコミュニケーションできる音楽再生ソフト﹁VACUUN!﹂はIPAの2003年度未踏ソフトウェア創造事業未踏ユース部門にも採択された。
![画像](https://image.itmedia.co.jp/news/articles/0805/02/yuo_wadit_03.jpg)
﹁子どものころからBASICをいじっていたとか、そういうのは一切なくて﹂。プログラミングそのものよりも、ネットやPCが伝える音楽や映像に、わくわくしたという。
始めて触れたPCは、中学生のころ家にやってきた富士通﹁FMV﹂。Windows 3.1でパソコン通信やゲームに興じた。ネットを始めたのは高校生のころ。Windows 98を積んだソニー﹁VAIO﹂で、体育祭の仮装用の音響を編集したり、海外のWebサイトからMP3ファイルをダウンロードし、MDウォークマンに詰め込んだ。
99年のフジロックフェスティバル。新潟県・苗場の会場から鎌倉の自宅に、映像がリアルタイムストリーミングで届いた。途切れ途切れの粗い映像だったが、はるか遠くで演奏しているロックバンド・ブラーの姿が鎌倉の自宅のPCで見られたことに、衝撃を覚えた。
慶応進学の決め手もネットの映像だった。高校3年生のころ、慶応が配信していた、村井純教授の講義のストリーミング映像。ゲストとして招かれたマイクロソフトのCTO︵当時︶古川享さんが語るネットの近未来像に夢と可能性を感じた。映像制作、プログラミング、メディアアート――大学と大学院でITの面白さに浸かり、研究に打ち込んだ。
就職活動はしていない。何となく行きたい会社がなかった。脱サラを考えていた父と﹁2人で会社を作ろう﹂と話もしていたが、しばらくはニートにでもなるつもりだった。
だから﹁卒業していきなり社長﹂は想定外。﹁ネットの企業だから、社長は若い方がいいでしょう﹂。正則さんはそう考え、息子を社長にしたという。
自室がオフィスだ。左側のガラスデスクのガラスのすぐ下にPCが収まっている
事業計画も収益見込みもないまま、社長という肩書きを持った24歳の裕介さん。﹁Webサイトを作るぐらいのリテラシーはあるから﹂と、まずはWebサイトの受託制作をしようと考えた。
友人知人、いろんな人に声をかけ、仕事をもらおうとした。﹁今度お願いするよ﹂。そう話には上っても、なかなか今度が来ない。仕事がない。収入がない。﹁どうしよう……﹂
思いついたアイデアは付せんに書いてべたべたと貼っている
ある時突然﹁いいや﹂と吹っ切った。必死で仕事を探すのは辞め、面白そうなものをひたすら作り、ブログに書いた。﹁お金はどうでもいいから、好きなことをやって発信していこうと思って﹂
新しい技術を学んではサービスを練り、次々に公開した。YouTubeに投稿された楽曲のプロモーション動画をオリコンのランキング順に掲載する﹁CDTube﹂や、﹁YouTube﹂のお気に入り動画リストを﹁iTunes﹂のポッドキャストとして取り込めるサービス﹁ListPod﹂――新サービスは発表するたび、ネット上で大きな反響を呼んだ。
ハンドルネームはあだ名から取った﹁ゆーすけべー﹂。ブログは﹁ゆーすけべー日記﹂。﹁裕介日記じゃアイデンティティが薄いから、身を削った﹂という。その名に恥じず“すけべ”なサービスも作った。
アダルトサイトの更新情報を集める﹁エロリスト﹂や、投稿サイトからアダルト動画を抽出し、AV女優名で検索できる﹁YourAVHost﹂など。YourAVHostは想定外の反響でアクセスが集まりすぎ、自宅のサーバが反応できなくなったほど。﹁ゆーすけべー﹂の名前は、Webエンジニアの間に知れわたっていく。
物置がサーバルーム。Webサーバ2台とDBサーバの計3台が動いている
自宅で1人で開発する裕介さん。先輩社員もいないが、PerlやPlaggerの開発者コミュニティーで先輩エンジニアに助けてもらっている。分からないことにぶつかるとIRCで教えてもらう。Webで知り合った技術者と実際に会う機会も増えてきた。
最近﹁ネットサービスの進化は限界に達したのでは﹂という議論もある。だが裕介さんは﹁まだまだ可能性がある﹂と話す。﹁ネットにへばりついている人が使うサービスは限界に来ているかもしれないが、たまにしかネットを使わない人向けのサービスは、まだまだ出せる﹂
アルファギークの最先端サービスでなくていい。普通の人に響くサービスを作りたい。﹁僕が欲しいものは、普通の人が欲しいものだから﹂
疲れたらいつでも眠れる
作りたい物を作り、書きたい物を書いて発表しているうちに、受託開発やコンサルの仕事が順調に入り始め、仕事も軌道に乗ってきた。﹁やりたいことをやっていたら、不思議なことに、仕事が入るようになった﹂
オフィスは自宅2階の自室。通勤ストレスもなく、時間を有効に活用できるのが気に入っている。朝は7時半〜8時に起き、午前中には2時間ほど読書。父と昼食を採りながら話し、少し昼寝し、しゃっきりした頭で午後の仕事に打ち込む。
メールで依頼を受け、都内で会って打ち合わせる。週1日は都内に出かける。約2時間の道のり。そう遠くはない。
父・正則さんのオフィスは、隣にある祖母の家の1階。普段はSkypeでやりとりしているが、込み入った内容なら隣に出向いて直接話す。ネットの動向を教え、企業システムや経営について教えてもらう。
正則さんが、勤めていた総合化学企業を辞めたのは56〜7歳のころ。あと4年も勤めれば定年だった。
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