Home 年表1 先祖累世墓




  櫻井家累世家系




初代監物から五代甚兵衛までは能登羽昨の気多大社
大宮司を務めた。


六代甚太夫は馬術に長けていたので前田家に仕えるようになり、代々加賀藩士として乗馬役を務めるようになった


父の九代甚太郎は48歳で病没した為長男先之丞が後を継ぐが明治元年扶持召放され、三男房記が新たに定番御徒に召出される、間もなく四男の省三と共に藩費生として東京へ遊学する。









   櫻井錠二遺稿集「思い出の数々」九和会編




備   考   死亡又は
隠居の年号
同 西暦
初代 監 物 能登国 能登国羽咋郡位一宮村に居住・気多神社(大正41110日国弊大社となる)の大宮司として代々同神社奉仕神職の首班であった。4代の大監物は従五位下の高位にいた。5代甚兵衛は大監物の三男で父の跡目を相続したが病弱なため、羽咋郡大念寺新村に引退して大宮司の職をその子甚太夫に譲る。  天正5  1557
2 監物丞  慶長4  1599
3 監物丞  寛永16 1639 
4 大監物  正徳 3  1713
5 甚兵衛  正徳5  1715
6 甚太夫 金沢 馬術に長けていたので前田家に仕えるようになり、9代甚太郎に至るまで代々加賀藩士として乗馬役を務めるようになった  天明8  1788
7 弘次郎 甚太夫の養嗣子で高橋宅右衛門の二男  寛政5  1793
8 甚太夫 弘次郎の長男、勤務精励につき知行百石を賜る。妻は熊野兵右衛門の娘  嘉永6  1853
9 甚太郎 甚太夫の長男、先代の跡目を継ぐが48歳で病没(享年48歳)  文久3  1863
10 先之丞 甚太郎と先妻(福田姓・1850没)との二男(長子喜三郎夭折)品行不正、家宝什器売払い放蕩し、放禄。明治30年金沢にて没、享年53 明治元年隠居 1868 
11 房 記 東京 甚太郎・八百の長子。嘉永5年(1852)825日金沢馬場一蕃丁で誕生異母兄放禄即日新たに俸禄40俵を賜る。享年76  昭和3  1928
(分家初代) 省三・安政元年(1854)828日生 享年90  昭和19  1944
     竹吉(夭折)  安政  4  1856
(分家初代) 錠二  昭和14  1939
     大次郎(夭折)  文久2  1862
     梅子(夭折)  文久3  1863
12 俊 記 房記の長男  昭和45  1970