■ ﹃シベリア鎮魂歌――香月泰男の世界﹄ こんなにも静かな痛哭の絵があったのだ
(2004.9.24)
画家・香月泰男の一連の作品群﹁シベリア・シリーズ﹂を、マルセル・プルーストの大作﹁失われた時を求めて﹂に匹敵すると、立花隆はいう。普通の絵画のカテゴリーをはるかに突き抜けた芸術作品であると。自分のある時期の体験――シベリアでの抑留生活――にこだわり、それをあらゆる角度からながめ直し、記憶の細部にわけいって、自分の過去をしゃぶりつくし、それを形象化することに熱中し、一生それをやめず、ついに巨大な建築物を作りあげたと。
シベリア・シリーズは、香月泰男が自分にとってのシベリア体験の本質的意味を問いつづけた悪戦苦闘の記録のようなもの。はじめからこれで自分のシベリア体験を描ききろうという明確な意図をもって制作されたものではない。もうやめよう、もうやめようと思いながら、一枚描くたびに、﹁ああ、あれも描いておかなければ﹂と、別のモチーフが思い浮かんできて、いわば、なしくずし的にシリーズ化していったものである。
シベリアでの苛酷な抑留生活は、終戦直後から1947年の帰国まで2年にわたる。最初のセーヤ収容所では、ほんの3カ月の間に集中して死者が出た。ろくに食糧も支給されず、ほとんどが栄養失調だ。当時、ソ連の収容所全体で、囚人がだいたい1千万人いたと言われる。700万人がソ連人、次に多いのがドイツ軍の捕虜で240万人。日本人捕虜は60万人。そのうちの10パーセント強の7万人前後が亡くなったという。
シベリア・シリーズには独特の強い印象を与える﹁顔﹂が描き込まれている。例えば、﹁北へ西へ﹂(1959年)。格子のはまった列車の窓のなかにいくつもの顔が見える。どこへともわからぬ収容所へと送り込まれる兵士たちの絶望の表情が。香月泰男は、﹁この作品で、私ははじめて、”私の顔”を描いた﹂という。この顔に行き着くまでにはいろいろな試行錯誤があった。はじめての欧州旅行で見た中世のキリスト像に非常に影響を受けたようだ。
本書は立花隆の言うとおり、画集ではない。シベリア・シリーズはどのようにして生まれたのかを語っている。しかし﹁世の中にこんなにも静かな痛哭の絵があったのだ﹂と教えてくれる。たしかに﹁鎮魂歌﹂だ。丁寧なレイアウト編集でもある。本文中で話題の絵は、重複を問わず、図版の大小を問わず、何度でも見せるようにしている。
いま﹁香月泰男没後30年記念展﹂が全国を巡回中。
シベリア・シリーズは山口県立美術館が全点を所蔵している。
◆三隅町立 香月美術館 → こちら 、山口県立美術館 → こちら
◆﹃シベリア鎮魂歌――香月泰男の世界﹄ 立花隆著、文藝春秋刊、2004/8
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