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平均評点
75.7点(139人)
観たひと
206
観たいひと
12
レビューの数
ジャンル | ドラマ / コメディ |
---|---|
製作国 | 日本 |
製作年 | 1955 |
公開年月日 | 1955/9/13 |
上映時間 | 120分 |
製作会社 | 東宝 |
配給 | 東宝 |
レイティング | 一般映画 |
アスペクト比 | スタンダード(1:1.37) |
カラー/サイズ | モノクロ/スタンダ-ド |
メディアタイプ | フィルム |
音声 | モノラル |
上映フォーマット | 35mm |
故織田作之助の小説を「「春情鳩の街」より 渡り鳥いつ帰る」の八住利雄が脚色、「麦笛」のスタッフで豊田四郎が監督、三浦光雄が撮影、団伊玖磨(「「春情鳩の街」より 渡り鳥いつ帰る」)が音楽を夫夫担当。出演者は「芸者小夏 ひとり寝る夜の小夏」の森繁久彌、「修禅寺物語」の淡島千景、「おえんさん」の司葉子、「新鞍馬天狗 夕立の武士」の小堀誠など。第29回キネマ旬報ベスト・テン第2位。
曽根崎新地では売れっ妓の芸者蝶子は、安化粧問屋の息子維康柳吉と駈落ちした。柳吉の女房は十三になるみつ子を残したまま病気で二年越しに実家に戻ったままであった。中風で寝ついた柳吉の父親は、蝶子と彼との仲を知って勘当してしまったので、二人は早速生活に困った。蝶子は臨時雇であるヤトナ芸者で苦労する決心をした。そして生活を切り詰め、ヤトナの儲けを半分ぐらい貯金したが、ボンボン気質の抜けない柳吉は蝶子から小遣いをせびっては安カフェで遊び呆けていた。夏になる頃、妹の筆子が婿養子を迎えるという噂を聞いて、柳吉は家を飛び出して幾日も帰って来なかった。地蔵盆の夜、蝶子は柳吉を見つけ身を投げかけてなじった。柳吉は親父の家に入りびたっていたのは、廃嫡になる前に蝶子と別れるという一芝居打って、金だけ貰って後二人末永く暮すためだと云った。それは失敗に終ったが、妹から無心して来た三百円と蝶子の貯金とで飛田遊廓の中に「蝶柳」という関東煮屋を出した。ところが暫くして柳吉は賢臓結核となり、蝶子は病院代の要るままに店を売りに出した。柳吉はやがて退院して有馬温泉へ出養生したが、その費用も蝶子がヤトナで稼いだのであった。柳吉は父からもその養子京一からも相手にされず、再び金を借りて蝶子とカフェを経営することになった。やがて柳吉の父は死んだ。蝶子との仲も遂に許して貰えず、葬儀には参列したが柳吉も位牌も持たせてもらえなかった。二十日余り経って、柳吉と蝶子は法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。とも角、仲の良い二人なのであった。
1956年臨時増刊号 戦後十年傑作シナリオ集 |
特別口絵:夫婦善哉 「戦後十年傑作シナリオ集」東宝映画 1955年作品:夫婦善哉 |
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1955年12月上旬号 |
旬報論壇:「夫婦善哉」と上方和事 |
1955年11月上旬号 |
織田作之助の小説と映画化:「夫婦善哉」と「忘れじの人」 |
1955年10月下旬号 |
日本映画批評:夫婦善哉 |
1955年9月下旬号 |
日本映画紹介:夫婦善哉 |
1955年7月下旬号 |
新作グラフィック:夫婦善哉 |
1955年6月下旬号 |
日本映画第一線の動き 2:豊田四郎の「夫婦善哉」 |
公開年:
評価 |
点 ※100点満点(整数)
今までの平均評点:0点
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いつ観た | 選択しない 年月日指定 年代指定 |
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鑑賞方法 |
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3D/字幕/吹替 |
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鑑賞費用 | 円 ※定額制の場合は設定画面にてご入力ください ※半角数値で入力してください。 |
誰と観た |
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メモ |
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鑑賞方法 | |
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3D/字幕/吹替 |
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