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本名 | 平右衛門 |
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出身地 | 東京都神田 |
生年月日 | 1902/02/01 |
没年月日 | 1981/05/01 |
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略歴
【最初の国産トーキー映画を監督した庶民派の名匠】東京都の乾物問屋に生まれる。本名は平右衛門。父・平助の妾腹の子で、五歳の時に本家の一粒種の長男が夭死したため、芸者であった生みの母の許を離れ、跡継ぎにされた。23年、慶應義塾の商工学校を卒業後、父親同士が親しかったため、島津保次郎の口添えで蒲田撮影所に入社する。島津の助監督につき、25年、原作、脚本も書いた「南島の春」で監督デビューを果した。翌年の「彼女」は、実母の薄幸な生涯を偲びながら、真の愛情に生きる二号の苦悩を描いたもので、出世作となった。下積みの女性たちを深い哀惜をこめて描く叙情的な作風は、その出自ゆえともいわれる。27年、田中絹代主演の花柳もので、若い芸者の哀話「恥しい夢」、潮来でロケした「からくり娘」、信濃追分でロケした飯田蝶子がユーモラスな「おかめ」、そして翌年の「村の花嫁」では、自然描写に卓越した手腕を発揮し、絶賛された。【田中絹代とのコンビで多くのヒット作を放つ】次第に、松竹蒲田撮影所きっての技巧派としての名声も高まり、詩情豊かでユーモアにあふれた庶民映画の伝統を確立、31年には国産トーキー第一作「マダムと女房」を監督する。当時はすべてが同時録音で、現場では苦労が絶えなかったが、見事に成功させた。33年には、新進作家だった川端康成原作の「伊豆の踊子」を監督。人気絶頂だった田中絹代が踊子、大日方傳が一校生に扮し、昭和初期の伊豆のひなびた風物を鮮やかにとらえた。その後も、田中絹代とのコンビで「人生のお荷物」(35)、「新道」(36)、「花籠の歌」(37)を撮るが、42年、感情の行き違いから松竹大船撮影所を辞め、大映に移って、「新雪」(42)、「五重塔」(44)を撮った後、ふたたび大船に復帰した。戦後は、東宝で「今ひとたびの」(47)、「面影」(48)を撮り、51年平尾郁次たちとスタジオ8プロを結成、新東宝と提携した。代表作「煙突の見える場所」(53)は、現代の不安の中に生きる庶民の姿と愛情のあり方を追究した喜劇で、ベルリン映画祭で国際平和賞を受賞している。原作者の椎名麟三とは固い結びつきができ、「愛と死の谷間」「鶏はふたたび鳴く」(54)が生まれた。原田康子のベストセラーの映画化「挽歌」(57)も久我美子主演で大ヒットさせた。井上靖原作の「わが愛」(60)は妻子ある佐分利信の愛人として生きた女性を演じた有馬稲子が称賛された。64年には小津安二郎の後を継いで、日本映画監督協会の理事長に就任。68年には安藤鶴夫と組み、竹田人形座によるあやつり人形劇映画「明治はるあき」で芸術祭奨励賞を受けている。芭蕉の『奥の細道』の映画化が、晩年の夢であった。俳人としても知られ、五所亭という俳号で活躍、俳人協会監事も務めた。
キネマ旬報の記事
1981年6月下旬号 |
特別グラビア 追悼:五所平之助 |
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1981年6月上旬号 |
追悼:五所平之助 |
1977年5月下旬号 |
追悼・城戸四郎: |
1977年5月上旬号 |
田中さんの思い出: |
1976年4月下旬号 |
随想 : |
1969年10月下旬号 |
安藤鶴夫さん追悼: |
1968年6月下旬号 |
スタッフ特写:「明治はるあき」の五所平之助組 |
1968年4月上旬春の特別号 |
追悼・斎藤達雄: |
1967年12月下旬号 |
特集 続 ことし監督たちはなにを遺したか:五所平之助 |
1967年1月上旬新年特別号 |
特別グラビア '67年-27の顔と言葉:五所平之助 |
1966年4月下旬号 |
日本映画懇談会 その役割と抱負を語る:座談会 五所平之助(日本映画監督協会理事長)×八住利雄(シナリオ作家協会理事長)×佐藤一郎(日本映画製作者協会理事長) |
1966年2月下旬号 |
なくて七癖:第32回 五所平之助の巻 |
1965年6月上旬号 |
第一線監督はいまこう考える:近況報告特集 |
1963年9月上旬号 |
シナリオ:100万人の娘たち |
1960年12月増刊号 日本映画監督特集 |
五所平之助:抒情的な眼 五所平之助:常に人間の愛を |
1960年10月下旬号 |
シナリオ:猟銃 松竹映画・五所平之助作品 |
1958年10月上旬40年記念号 |
創刊40年記念特集 続・私とキネマ旬報:十九歳の時 |
1958年7月上旬創刊四十年記念特別号 |
特集 日本映画を創った人々:五所平之助 |
1958年臨時増刊 テレビ大鑑 |
テレビと映画監督・脚本家アンケート:市川崑/井上梅次/宇野重吉/五所平之助/新藤兼人/豊田四朗/増村保造/吉村公三郎/白坂依志夫/菊島隆三/八住利雄 |
1958年2月下旬号 |
新春一夕鼎談 監督三人 京都に語る:内田吐夢×五所平之助×今井正 |
1957年3月下旬号 |
特集 日本の色彩映画:座談会 色彩映画の発展のために 碧川道夫×高橋通夫×宮島義勇×五所平之助×今井正×元持秀雄×杉山公平×久保一雄 |
1957年2月上旬特別号 |
入選の思い新たに-16監督のことば:もっと論議を |
1956年8月下旬号 |
旬報論壇:五所平之助ノート |
1956年6月上旬号 |
「妻もの」映画の流行と「或る夜ふたたび」:座談会 妻の座から見た「或る夜ふたたび」 五所平之助×長谷部慶治×中野つゆ子×二瓶万代子×福本多賀子×福島千里×甘泉真知子 |
1955年増刊 名作シナリオ集(冬) |
特別口絵: 南鴎プロ映画 :いとしき妻 |
1955年10月上旬秋の特別号 |
日本映画をよりよくするために:3 鼎談 新人映画評論家の出現を待望す 中島健蔵×五所平之助×田中絹代 |
1955年6月下旬号 |
日本映画第一線の動き 2:五所平之助の「たけくらべ」 |
1955年増刊 日本映画大鑑 映画人篇 |
監督寸描:五所平之助 |
1954年増刊 名作シナリオ集(冬) |
鶏はふたたび鳴く:脚本・椎名麟三 五所平之助監督作品 |
1954年10月上旬秋の特別号 |
研究 五所平之助:五所平之助 研究 五所平之助:評伝・五所平之助 研究 五所平之助:五所平之助とキャラメル 研究 五所平之助:自作を語る |
1953年9月上旬号 |
特集グラフィック 巴里ところどころ:五所平之助撮影 ベルリン映画祭より帰って: |
1953年増刊 名作シナリオ集 |
愛と死の谷間:五所平之助 監督作品 椎名麟三 脚本 |
1953年増刊 日本欧米テレビ大観 |
映画の顔・テレビの顔: |
1953年3月下旬号 |
映画人クロースアップ:五所平之助 |
1953年3月上旬号 |
スタジオ訪問:五所平之助の「煙突の見える場所」 |
1952年8月下旬号 |
“第三の男”合評 新しい分野の發見:田坂具隆×五所平之助×成瀬巳喜男×木下惠介 |
1952年新年特別号 |
映画界への課題:獨立プロの言葉 |
フィルモグラフィー
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