現在のキリンブランドの原点となった﹁キリンビール﹂。
﹁キリンビール﹂のブランドが誕生したのは1888︵明治21︶年のことでした。商標を﹁麒麟﹂にしようと提案したのは三菱の荘田平五郎で、当時、西洋から輸入されていたビールのラベルに動物の絵柄が描かれていたことから、東洋の想像上の動物である﹁麒麟﹂を採用したのではないかといわれています。
発売時のラベルには﹁麒麟﹂が小さく描かれていましたが、翌1889︵明治22︶年、当時ジャパン・ブルワリー・カンパニーの重役であったトーマス・ブレーク・グラバーの提案により、﹁麒麟﹂が大きく描かれた、現在もおなじみのラベルに変更しました。実際に図柄をデザインしたのは、漆芸家の六角紫水と言われています。
﹁キリンビール﹂を製造していたジャパン・ブルワリー・カンパニーは、品質の良い、本格的なドイツ風のビールを醸造することにこだわりました。まず、ドイツから資格ある醸造技師を招聘し、麦芽・ホップなどの原料や機械設備にいたるまでをドイツから輸入しました。また、品質面では、ビールの分析結果を株主総会で報告したり、麦芽やホップなどの原料だけではなく、びんや栓の品質についても重役会で議論をしたりしていました。
1907︵明治40︶年、﹁キリンビール﹂の商標は、その品質へのこだわりとともに、ジャパン・ブルワリー・カンパニーから麒麟麦酒株式会社に引き継がれました。以後、﹁キリンビール﹂に描かれた聖獣﹁麒麟﹂の図柄は、﹁キリン黒ビール﹂﹁キリンスタウト﹂など、他のビール商品にも使われるようになります。また、社名でもある﹁キリン﹂というブランドは、﹁キリンレモン﹂などの清涼飲料にも拡がっていきました。
太平洋戦争前後の混乱期、ビールは配給の対象となり、商標は一時期姿を消します。終戦の年にはビール醸造停止の勧告が出されましたが、醸造が完全に停止する前に終戦をむかえ、﹁キリンビール﹂の醸造に欠かせないビール酵母は何とか受け継ぐことができました。終戦から4年後の1949︵昭和24︶年、聖獣﹁麒麟﹂が描かれた﹁キリンビール﹂は、青一色刷りのラベルで復活しました。
高度経済成長期に入ると、ラベルは多色刷りに戻り、ビールの生産量は1年につき増加率約20%という驚異的なスピードで増えていきました。増産体制がとられ、戦前に4ヵ所だった工場は、1972︵昭和47︶年には12ヵ所となりました。そのような中でも、キリンビールは、全工場で高品質の﹁キリンビール﹂をつくるための努力を惜しまず、つねに品質本位の姿勢を貫いてきました。
1988︵昭和63︶年、﹁キリンビール﹂の商品名は﹁キリンラガービール﹂となりましたが、ラベルのデザインは130年以上経った今もほとんど変わっていません。﹁キリンビール﹂のブランドは、その品質本位への思いとともに、現在に引き継がれています。