水不足の最中、天の恵みとなったビール
遣米使節団が、ハワイ、アメリカ、香港などを経て地球を一周し、横浜に帰着したのは1860︵万延元︶年9月のこと。この半年以上にも及ぶ航海の間、玉虫は期待にたがわず、日々の記録を欠かすことがなかった。その克明詳細な日記は﹃航米日録﹄と題され、貴重な歴史資料として現在に残されている。
日記の中にはビールに関する記述もある。出航後しばらくして洋上で初めてビールを口にした感想は﹁苦味ナレドモ口ヲ湿スニ足ル﹂というもの。慣れぬものを口にして驚きながら、冷静に書き留めようとしている様子がうかがえる。その後、ワシントンで大統領に謁見し、ニューヨークで市民の熱烈な歓迎を受けた一行は、大西洋を横断し、喜望峰を目指してアフリカ大陸沿いを南下した。その頃の同年6月20日の日記に次のような記述がある。
午牌船将より、ビール一瓶・塩豚一股を出し、従者一同に分ち与う ︵﹃航米日録﹄︶
船長からビールと塩豚が供され、使節全員で会食したようだ。
喜望峰に向かい南下していた最中、使節団を乗せた船は深刻な水不足に見舞われていた。当時のアフリカの港町では、十分な補給ができなかったのだろう。前日の日記には﹁水はいよいよ欠乏を告げ、食後ようやく一滴の水を分け合うのみ。そのときの騒動は餓鬼が食を争うかのようだ﹂とまで記されているほどである。そうした状況であっただけに、船長より与えられたビールは使節たちののどを潤し、気を晴らしたことだろう。玉虫の長大な﹃航米日録﹄の中で、ビールを飲んだという記述は数えるほどしかない。船内で貴重品だったビールを飲むことは、特筆すべき﹁一大イベント﹂だったわけだ。