グーグル・ストリートビューは、やっぱり気持ち悪くないと思う
前回のエントリー︵グーグル・ストリートビューに儀礼的無関心を求めるのは筋違い﹇絵文録ことのは﹈2008/08/10︶で自分の考えをまとめてみたのだが、これについてはまさに﹁賛否両論﹂としか言いようのない反応がもたらされた。﹁まったくそのとおり﹂と全面的に賛同してくださった人も多いし、一方で﹁まったく反対﹂という人たちもいる。中には﹁擁護派は屁理屈満載で笑える﹂などと感情的な批判しかしてこない人もいるが、いずれにしてもグーグル・ストリートビューに対する﹁日本人﹂の反応としては、受容と反発のどちらかが圧倒的に多いということはなく、﹁どちらの意見も存在する﹂というのが現状だと思われる。
だから、﹁日本文化ではグーグル・ストリートビューが気持ち悪いと感じる﹂というのはミスリードだと思う。
このほか、ブクマ等で寄せられた意見について、少し書いてみる。
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■人力検索はてなで訊いてみた。全体に「気にならない」が多めかも
人力検索はてなでアンケートをとってみた。総数300なので少し少ないかもしれないし、はてなを使ってるような人たちだからITリテラシーが高めの人が多いということは押さえつつ。
●Googleストリートビューは…… - 人力検索はてな
●どうですか?
●何それ?知りません……52︵17.3%︶
●別に気にならない。いいと思う……123︵41.0%︶
●気持ち悪い。許せない。やめろ……125︵41.7%︶
﹁知らない﹂2割弱、﹁気にならない﹂4割、﹁気持ち悪い﹂4割という結果が出た。賛成と反対が2票差/300票でまさに﹁互角﹂、文字通りの﹁賛否両論﹂であることがわかる。どちらか一方にネット世論が偏っているわけではないと思われる。
さて、このアンケートなのだが、クロス集計してみると面白い結果となった︵質問ページの下の方で﹁選択してください﹂というところをクリックして﹁集計﹂してもらえれば、以下の結果を確認してもらえるはずである︶。
まず男女別︵性別集計表︶。
男性は﹁気にならない﹂より﹁気持ち悪い﹂がわずかに多いが、ほぼ互角。一方、女性は﹁気にならない﹂が﹁気持ち悪い﹂より多い。約5:3の比率である。母集団が少ないので断定はできないが、少なくとも﹁気持ち悪い﹂が多いとは言えない。少なくとも﹁日本人にとってストリートビューが気持ち悪いのは当たり前﹂というような圧倒的な差はない。︻文意を明確にするため修正‥8/14 12:00︼
次に年代別︵年代別集計表︶。非常に興味深い結果が出た︵グラフでは母集団の少ない50代・60代を省略している︶。
20代だけは﹁気持ち悪い﹂が過半数︵54.2%︶という圧倒的な数字になっている。﹁気持ち悪い﹂は﹁気にならない﹂︵26.0%︶の倍だ。
ところが、それ以外の年代ではいずれも﹁気にならない﹂が圧倒的に多いのである。母集団の少ない20代・50代・60代では﹁気持ち悪い﹂がいずれもゼロ、﹁気にならない﹂に票が入っている。
30代では﹁気にならない﹂が63.5%、﹁気持ち悪い﹂が25.4%だ。40代ではさらに差が大きく、﹁気にならない﹂71.4%、﹁気持ち悪い﹂17.9%となっている。
20代のみで﹁気持ち悪い﹂が優勢で、あとの年代では圧倒的に﹁気にならない﹂という回答が多いのである。母集団は少ないが、20代だけが全体と異なった傾向を示している。20代とそれ以外の年代︵特に30代︶とこんなに差が付くというのも変なので、20代には何か異常な投票が行なわれた可能性が疑われる。独特の結果を示している。︻8/14 12:00文意を明確にするために修正︼
最後に地域別︵地域別集計表︶。
こちらも、全体的な傾向として﹁気にならない﹂が﹁気持ち悪い﹂を大きく引き離す傾向がある。例外は﹁関東﹂と﹁その他﹂だ。﹁関東﹂では﹁気持ち悪い﹂がやや多いがほぼ互角。﹁その他﹂だけが4:32と異常に﹁気持ち悪い﹂に偏っている。
全国的に﹁気にならない﹂が圧倒的に優勢。ただし、﹁関東﹂ではほぼ互角︵﹁気持ち悪い﹂が多め︶、﹁近畿﹂でも﹁気持ち悪い﹂の比率がやや高い。つまり、首都圏・関西圏で反発が高めということになり、これは﹁都会の住人ほど反発が大きい﹂ということになるのかもしれない︵すでにストリートビューが公開されている北海道では、その傾向は見られない――母集団は少ないが︶。
以上を見てみると、年代別でも地域別でも大半の項目で﹁気にならない﹂が圧倒的に多く、﹁20代﹂と﹁その他﹂が極端な例外となっている。これは憶測にとどまらざるを得ないが、﹁男性・20代・その他﹂で﹁気持ち悪い﹂に大量投票が行なわれた可能性を疑わざるを得ない。︻8/14 12:00この部分を削除する。ただし、この部分が突出して全体の傾向とずれているという結果が変わるわけではない。︼
それを差し引いて考えると、全体に﹁気にならない﹂が多めであるが、都会では﹁気持ち悪い﹂と感じる人が増える――という結果をひとまず読み取ることができるように思う。
︻追記︼8/14 12:00 ネット限定だから有効な統計ではないという意見があるが、ネット以外で訊けば、﹁プライバシーが侵害されるおそれもあるストリートビュー﹂というような誘導質問をしない限り、﹁わからない﹂が圧倒的に伸びるはずである。また母集団が少ないために無効と主張する人がいるが、それなら自分で納得できる有効な統計をとって示すべきだろう。
■最近の﹁反グーグルストリートビュー﹂
何ていうか﹁グーグルがやってることは暴力的行為﹂と決めつけ、﹁それを認めないのは屁理屈か詭弁﹂という暴論が随所に見られてげんなりする。とりあえず﹁屁理屈満載﹂とかいうような幼稚な感情的反発は黙殺する。また﹁擁護派﹂というように派閥レッテルを貼るような意見も無視する︵﹁擁護派﹂という言葉は、何か悪いものという前提があって、それをかばう悪い奴らだという印象誘導である︶。別に擁護も何も、﹁自分は気持ち悪くないよ﹂と言ってるだけである。 まあ、﹁気持ち悪い﹂というのは感情の問題であって、それ自体がいい悪いではないのだが、感情の問題であるがゆえに、気持ち悪いという人のなかに感情的に発言する人がまま見られる傾向がある。一方で、気にならない人たち︵決して﹁擁護派﹂ではない︶は、単純に気にしていないだけという傾向がある。︵→はてなブックマーク - グーグル・ストリートビューに儀礼的無関心を求めるのは筋違い﹇絵文録ことのは﹈2008/08/10︶ ︻追記︼8/14 12:00。具体的には、ただただし氏が﹁擁護派﹂﹁屁理屈満載﹂という言葉を使ってブックマークコメントしているが、具体的にどこがどう﹁屁﹂理屈なのかは明らかにされていない。また﹁詭弁﹂については、はてなid:umeten氏が﹁Google社の詭弁に対抗するための批判的思考﹂という言葉を使っていることへの反応である。この辺は明言を避けておこうかと思ったのだが、架空の発言へのエアバトルみたいに言われるので、追記しておく。■﹁日本人ならグーグル・ストリートビューが気持ち悪いよね﹂という同調圧力に屈する気はありません
前回はGoogle の中の人への手紙 [日本のストリートビューが気持ち悪いと思うワケ] - higuchi.com blogに対して、﹁日本ではこうである﹂という断定部分をとりあえず受け入れた上での異論を述べた。 ただ、よくよく考えてみたら、﹁日本の都市部生活者は逆で、家の前の生活道路、いわゆる路地のほうが感覚的には自分の生活空間の一部、庭先なのです﹂︵同記事より︶というように、日本の文化はこうだと断定できるものなのかどうか、改めて疑問に思った。つまり、﹁日本文化では路地は生活空間、それを公開する生活スタイルは日本的ではない﹂というような主張が本当に成り立つのかということである。 ●鎌倉時代のストリートビュー‥一遍上人絵伝︵e国宝︶ ●江戸時代の住宅地図‥江戸切絵図の見方 ~尾張屋清七版﹁芝三田二本榎高輪辺絵図﹂~ 江戸切絵図は、地図とその住人を結びつけるデータベースの明治以前の典型例である。 日本の伝統というのは、たとえば日本の建築史などをたどると、プライベートと外部の区別が非常に少なく、プライバシーを守るという意識が日本で根付くのはかなり最近のことである。日本の居住文化とは、プライバシーを︵不用意に︶外部にさらけ出してもさほど気にしない文化であったといえよう。プライバシー権という概念自体が1890年アメリカ生まれのものであって、非常に新しい︵ここ100年程度の歴史しかない︶ものであることは留意する必要がある。 日本人がプライバシーをかなり気にするようになったのは、戦後経済成長期以降︵﹁団地﹂の発達、近所づきあいの希薄化︶の時期からではないか。そして、2005年の個人情報保護法の成立とともに、一気に個人情報に対する考え方が過剰防衛的に変わってきていると思う。わたしは何もプライバシーは守らなくていいなどというつもりはないし、逆に自分の個人情報はきちんと管理できるべきだと思っているが、それだけに﹁どこまでが自分でコントロールできる個人情報なのか﹂ということを考える必要があると思う。 ﹁外から見えるところに、見られて困るものをさらけ出さない﹂という最低限の﹁自己防衛﹂もせずに、﹁撮られた!世界に公開された!Google横暴!﹂と叫んでも仕方ない。プライバシーを誰かが守ってくれると期待するだけではだめなのである。■はっきりいって監視カメラやゼンリンの住宅地図の方が気持ち悪いんですけど。
見られているということでは、監視カメラやNシステムの方がずっと気持ち悪い。何しろ、あれは﹁写るところを通るのが犯罪者かもしれない﹂ということを前提としているのである。そこにカメラが置いてあるということは、﹁お前は悪い奴ではないのか?﹂と疑われているということである。ストリートビューは︵ある意味無邪気な︶性善説にのっとっていると思うが、監視カメラは完全な性悪説である。あれほど気持ちの悪いものもない。 いわれのない疑惑をかけられてこっそり見られているのと、﹁普通に見える範囲だから問題ないよねー﹂とばらまいてしまうのでは、悪意がない分、後者の方がましである――少なくともわたしにとっては。 ﹁監視カメラは全世界に公開されたりしない﹂という反論が︵ブクマ等で︶見受けられたが、反論になっていないと感じた。それより、全世界公開されるまで、自分がどれほど﹁見られている﹂か気付かなかった無神経さに思いをいたすべきではないのか。 ﹁公共空間だの生活空間だのどうでも良いが、WEB上で世界中の誰もが気軽に見られる・見ることが出来てしまうという一番の特性を無視して、監視カメラや路上で写真を撮ることと暢気に比べてる時点で、何も分かってない。﹂︵id:yamatedolphin︶というブクマコメントがあった。﹁どうでも良い﹂と言われたところがわたしの主張の眼目であり、﹁路上で写真を撮ること﹂については何も言及していない点で、ちゃんと読まれずに感情的・反射的にコメントされたのだなと思うが、それはさておき。 ﹁世界中の誰もが気軽に見られる・見ることができてしまう﹂ということ、すなわち敷居が低くなったということは確かにそうである。しかし、そのことは免罪符になるのだろうか。﹁今までは見られても気付かずにいられた﹂のに﹁見られていることを意識化されてしまった﹂という無自覚さ、﹁暢気﹂さについて棚上げできるのだろうか。わたしの考えはノーである。前回も述べたとおり、このようなストリートビューが登場するまで、実際にはずいぶん眺められていたにもかかわらず、﹁外部からのまなざし﹂に無自覚でありながら、プライバシーの流出を大いに気にする人たちが、今回、﹁気持ち悪い﹂と表明しているのである。 しかし、見られているのは事実である。そのことを前提として、見られない努力をするなり、見られてもいい状態にするなりといった方向性で考えられる人が﹁気にならない﹂のであり、そうではなく、見られているという事実を隠蔽してほしいと願うのが﹁気持ち悪い﹂と考える人たちなのではないかと思う。︵ここがわたしの考えの中心ポイントである︶ id:fjskさんブクマコメントより。﹁防犯カメラは決まった方向から決まったモノを映している。360度ではない。﹁カメラ﹂で同一視するのは乱暴﹂……固定方向なら問題がない、360度なら問題があるというのは、正直理解できない。 ︻追記︼8/14 12:00。ここで﹁ストリートビューが気持ち悪い人たちは、ゼンリンや監視カメラには反対していない﹂などと主張しているつもりはない。ストリートビューもゼンリンも監視カメラも気持ち悪いという人は、筋が通っていると思う。わたしはここで、﹁監視カメラ﹂の性悪説的な気持ち悪さと﹁ストリートビュー﹂の性善説的な無神経さとでは性善説的な方が受け入れられるという個人的感覚について述べている。 ︻追記︼8/14 12:00。誰もが気軽に見られるという﹁コスト低減﹂こそが問題なのだという意見がある。それは確かに考慮すべき問題だと思う。しかし、わたしはそのコスト低減によっても気持ち悪さを特に感じなかった。■カメラの﹁高さ﹂の問題
きちんとした異議申し立てにはきちんと対応すべきだと考えるので、前回のエントリーのコメント欄でyomoyomoさんから指摘された内容について。 カメラの位置が2メートル30センチだか︵すいません、一次情報を見つけられてません︶一般の成人男性が見る視点と明らかに異なるのは問題じゃないでしょうか。 つまり、Googleカーが撮影した画像は、﹁そこを歩く人は誰でも見られる風景﹂とはいえないでしょう。 例えば2メートル以上の塀で囲まれた家の家主が﹁そこを歩く人は誰でも見られる風景﹂と想定しない塀の中まで撮影され、画像を公開されてしまう可能性があるわけで。 まず、カメラの位置が2300mmの高さにあるという点については、噂の域を超えず、確認できなかったので、この数字を採用することは現時点では保留する。撮影に使われたプリウスの車高は、トヨタのページのデータ︵toyota.jp プリウス > スペック︶によると1490mm。約1.5mである。これだけならわたしの目線よりはるかに低い。しかし、ネットに出ている﹁グーグルカー﹂の写真では、その上にカメラがあるが、実際の高さを測定できるものが残念ながらなかった。︻追記︼8/14 13:50。ネット上で公開されているグーグルカーの写真で、実際に撮影中のカメラまですべて写っているものは見あたらない。 仕方がないので、ストリートビューで近所を見、それから自分で歩いてきて、もう一度ストリートビューを見てみた。 確かにストリートビューの目線はやや高い気がする。身長173センチのわたしの目線だと160センチ台に来るのだろうが、それよりは確かに高めだ。しかし、自分の見た光景とストリートビューの印象がそれほど変わらないのも事実だ︵違うところをつとめて探すようにしたのだが、非常に難しかった︶。普通の目線で見えないものが写り込んでいるというほどではないように思われる。 カメラは、車幅もあるので、塀際には寄っていない。人は︵道にもよるが︶塀際を歩ける。この違いによって、特に横向きの視野についてはストリートビューと実際の光景にあまり違いが感じられなくなっているように思った。 また、歩いて気付いたことがあった。外に見せること︵外から見えること︶を意識した窓際の風景が案外多いということだ。窓際で外に向けて人形を並べている家もある。衛星放送のパラボラアンテナには、通りから見えるようにロゴが描かれている。 カメラの高さ問題について、わたしは、今の高さでも、目線の高さから見た光景としてさほど違和感がないと思う。ただ、高さはできるだけ下げるのがいいだろう。車の屋根が写り込まない範囲でぎりぎり低くする方向で進めるべきだろうと思う。 ︻追記︼8/14 12:00。コメント欄にもあるように、高木浩光氏が実際にストリートビューと現地写真を比較し、高すぎるんじゃないかという提言をしている。しかし、そこで例示されたストリートビューをクリックすると、実際の住所・撮影ポイントが完全に明らかになってしまうという、プライバシー的に致命的なものとなっている。実際にストリートビューを使って例示しなければ意味がないと高木氏は考えているようだが、この場合、ストリートビューのキャプチャと現地写真を比較するだけで充分なはずだ︵少なくとも、わたしはキャプチャ画像であっても高木氏がでっち上げたなどと主張するつもりはない︶。――まあその技法の致命的欠陥はともかくとして、わたしが実際に数キロ歩いて眺めてきた感想としては、﹁それほど違和感はない﹂というものである。ただし、当初から書いているとおり、﹁高さはできるだけ下げるのがいい﹂と考えている。しかし、塀の上から覗けてしまう庭先や外壁・ベランダ等の部分については、インテリアではなくエクステリアであるとわたしは考えている。したがって、塀の高さの問題ではないと思う。なお、高木氏の記事のブクマコメントで、﹁擁護派はスカートの中をのぞくことも容認するのか﹂というような意見が散見されたが、これこそ屁理屈である。少なくともわたしは、プライベートに属する﹁人間﹂についてはぼかすなどの対策が必要だと述べている。家の中︵インテリア︶も写すなと言っている。その辺を無視した極論は議論から排除すべきだろう。■﹁犯罪に使われる可能性﹂――可能性を言いだしたら何だって言える
それこそ、ブログやSNSだって犯罪に使われる可能性はゼロではない。じゃあブログは閉鎖か。SNSは出会い系として使われるから禁止か。そんなことはない。ストリートビューが防犯上問題だというのであれば、それが具体的にどの程度空き巣被害を高めるか、計量的に示す必要があろう。もちろん、それが防犯上のメリットとも比較考量する必要がある。そして、どのように改善すべきかという点が論じられるべきだろう。 そもそも、﹁気持ち悪い﹂という感情は、決して﹁こんなものがあれば、空き巣狙いに狙われる!﹂ということが理由ではなく、﹁自分のプライベートに属すると思っていたものがネットにさらされていて気持ち悪い﹂というところに起因するはずである。﹁犯罪に使われる可能性﹂という論点は、﹁気持ち悪さ﹂とは直結していない。したがって、前回のわたしのエントリーでも補記としてとどめた。ただ、わたしの論考の本文ではなく補記のこの部分に対して反応する人が多かったように思う。■﹁儀礼的無関心﹂という語について
批判の中では、﹁儀礼的無関心﹂とは関係ないというものが多かった。ネット上の﹁儀礼的無関心﹂︵無断リンクとの関連︶と同一視するなという意見も多かった。 わたしは、﹁ネット上での儀礼的無関心﹂以上に、現実社会での︵すなわち、ゴフマンが当初持ち出した意味での︶﹁儀礼的無関心﹂問題に直接関連すると考えたためにこの言葉を用いたのだが、それが﹁無断リンクと、リアル社会のことを同一視するな﹂という反発を招いたようだ。 わたしの論点が、﹁見ていても見ないふりをする﹂という儀礼的無関心の原義に沿ったものであることは、前回のエントリーを再読してもらえればわかるだろう。だから﹁ストリートビューは儀礼的無関心という都市のルールを一方的に破っているから問題﹂というのであればわたしへの反論となりえるのだが、﹁無断リンクは関係ない﹂﹁ネットとリアルは違う﹂という主張は、まったくもって読解力がないとしか言いようがないのである。 さて、﹁ストリートビューは儀礼的無関心という都市のルールを一方的に破っているから気持ち悪い﹂という主張であれば、ああ、そういう人もいるんでしょうね、とわたしは理解する︵が、同意はしない︶。なぜなら、儀礼的無関心は﹁絶対的﹂なルールではなく、単にその場でトラブルを回避するための一方策にすぎないからである。逆にいえば、ストリートビューのような﹁知らぬが仏﹂を許さないシステムが多少の感情的軋轢を生むというのは、ある意味当然のことである。 しかし、それは絶対的悪ではない。見えているものを自覚させる装置としてのストリートビューに対して、好悪の感情は持ち得ても、善悪の基準ではかれるものではない。なぜなら、単に見えているものを可視化しているにすぎないからである。﹁それを可視化するのは困る﹂という人もいて当然だが、﹁すでに見えているものなのだから仕方ない﹂と考える人もいて当然なのだ。■警察を呼ばれるだろうという憶測
id:qinmuさんのブクマコメントより。﹁住宅街の路地で個人が10mおきに360度カメラ撮影していたら不審者として警察を呼ばれるだろう﹂……現実問題、あやしいプリウスが低速で走っていても、不審車両として警察を呼ばれたという事例は知らない。﹁撮影している社員が警察から路上尋問を受けている﹂とされるストリートビュー画像も見たが、それが本当にこの撮影の件で尋問されたのかどうかは不明。もし警察から不審者扱いされるのであれば、このような企画そのものに警察からクレームが入るだろう。 前回検討したように、法的には特に問題はない。もしこれが不審者/不審車両なのであれば、ゼンリンの住宅地図にマーキングしながら戸別訪問しているセールスの人たちも不審である。 もちろん、こういう行為を法的に規制すべきだと考える人がいたら、それはそれで改めて考えるべきことだろうが、具体的にどういう行為を禁ずるのかという範囲を明確に示すべきだと思う。■エクステリア
id:yoshihirouedaさんのブクマコメントより。﹁エクステリアの﹁あるべき論﹂はわかるが、日本人の少なからずの人が﹁エクステリア﹂=﹁金持ちの道楽﹂と思っている。﹂……ここで使った﹁エクステリア﹂という用語は、単に建築物の﹁内と外とさらに外﹂みたいな区別を厳密化させるために用いたものであって、たとえばアパートのベランダなども含めることは本文で書いたとおり。 つまり、外から見られる部分について、実際に︵日本人であろうと何国人であろうと︶﹁私的領域に属しながら、外から見られる﹂ことを︵おぼろげながら︶自覚しているはずだ、という話。 ︻追記︼8/14 12:00。高木浩光氏の記事で塀の高さが問題になっているが、塀の上から覗けてしまう範囲というのはやはり﹁エクステリア﹂だろう。■反ストリートビューの過激な煽動
●[試考]Google社の詭弁に対抗するための批判的思考 2008-08-12 - こころ世代のテンノーゲーム この人は、ストリートビューに﹁盗撮犯罪﹂という激しいレッテルを貼る。そして、﹁﹁放っておいてもらう権利﹂を認めるか認めないかということになるだろうか﹂と論じる。 ﹁放っておいてもらう権利﹂という言葉に対して、わたしは自分の個人情報をどこまで報じられるか調整できるべきであるという﹁プライバシー・コントロール﹂権は必要だと思う。しかし、それは、公道から見えるところに出してしまったものをデータベース化されることを防ぐ︵放っておいてもらう=受動的な︶権利だとは思わない。個々の人が公道から見えないようにする能動的な権利だと思う。だから、この人の意見には賛同できない。 そして、この人は、個人ではなく企業だから、﹁放っておいてもらう権利﹂を無視しているのだと主張する。ここで、グーグル・ストリートビューという仕組みに対する反論ではなく、グーグル社という﹁企業﹂への攻撃へと論が飛躍する。 危険なのはその最後の煽動である。危険なアジテーションが展開される。 倫理の如何などではなく、数の力によって﹁正義﹂は決定されているのである。 ならば、それに対抗するためにはそれを上回る数の力が必要なのか。それも違う。 企業活動に対しては経済活動によって反撃しなければならない。 ――そう、毎日新聞に対してネットユーザーがやったように。 毎日新聞に対して︵一部の︶ネットユーザーがやったことを、わたしは肯定していない。あんなものは﹁無力な市民ですが圧倒的多数です﹂の名を借りた暴力にほかならない。きちんと論駁し、納得させるのではなく、広告出稿をやめさせるといった実力行使=暴力行為による圧力行為である。そして、無力なネットユーザーでありながら、正義の旗印のもとで罪悪感を感じることなく、大企業を屈服させるという快楽を得ようとする愉快犯にほかならない。 したがって、経済的な﹁反撃﹂をせよという煽動にはついていけない。 百万歩譲ってグーグルがやっていることが﹁盗撮犯罪﹂だと仮にしたとしても、それに対して﹁経済的反撃﹂なる集団リンチを行なっていいわけではない。 わたしは別にグーグル社を持ち上げるつもりもないし、利害関係にもない。AdSenseは貼っているが、その収入は微々たるものだ。そして、10年前にはgooやインフォシークを使っていたし、10年後もグーグルを使っているかどうかはわからない。しかし、﹁グーグル社﹂に対して威力業務妨害や営業妨害という犯罪を行なって自分の﹁気持ち悪さ﹂を押しつけようというのは、まったくもって賛同できない。 こんな暴力的なアジテーションが、反ストリートビュー論調を主導しないようにと願うばかりである。■補記
このブログでは、エントリーの本論と同時にアップする補論を﹁補記﹂と記す。この場合、公開時刻は本文エントリーとまったく同時である。一方、追加/修正については﹁追記﹂と記し、追記の時間を記すことにしている。前回のエントリーでは、前半が本論、細かい論点についての﹁補記﹂が5つある。■関連リンク
わたしが賛同した意見等へのリンク。 ●[を] この先、Googleストリートビュー的なものは不可避 現在、懸念を表明している人たちが、 Googleストリートビューをサービス停止させたとしても無駄。 既にGPS情報を元に写真と地図を結びつけるサービスが あったりするわけで、それの規模が大きくなれば結局同じこと。 公道に面した場所に個人情報を置かないなどの自衛策について考えること。 また、当然だけど、 リアルタイムで家の前を撮って公開するなどの明らかにプライバシー上 問題があるサービスを大手が開始しないよう監視すること。 Googleストリートビューは、衛星/航空写真の延長でしかない。 いつかは出てくるもので、登場は不可避であった。 今後は﹁外の目﹂を意識した居住空間というのが 今まで以上に求められるようになる。 ●日本のストリートビューが気持ち悪いと思わないワケと個人情報保護法との関係 - へぼへぼプログラマ日記 問題は﹁建築物外観﹂と﹁住所﹂というのは当然にして結合しており容易に照合可能な公開情報なのでセンシティブ情報ではないと自分は考えている■念のため補記
わたしは、グーグル・ストリートビューにおいて、﹁個人を識別できる人の顔﹂﹁車のナンバープレート﹂などについては現状よりもなおプライバシー保護が強化されるべきであると考えている。 ︻念のためさらに追記︼8/14 12:00。もう一度言いますよ。﹁ストリートビューのカメラの高さは、出来る限り目の高さに近くなるように設定する方がいいだろう﹂﹁個人のプライバシーに属する、人の顔やナンバープレートについては、掲載されないようにすべきである﹂とわたしは最初から述べているし、それについて意見を変えることはない。ただ、﹁問題点があって気持ち悪いのだからストリートビューを全廃させろ﹂﹁グーグルを経済的に攻撃しろ﹂などという意見に与することは今後もありえない。- 【広告】★文中キーワードによる自動生成アフィリエイトリンク
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ストリートビューへの批判を日本人論と重ねてしまいやすいのは、「アメリカではストリートビューが受け入れられている」という思い込みがあるからでしょう。実際は本場のアメリカでもストリートビューを批判する人もいますし、訴訟沙汰にも一部でなっていることを考えれば、安易に「日本人は、」とは言わなくなると思います。
「一般的」「普通」「当然」を振りかざした意見は読む価値がないと思っていますのでご了承を。あなたご自身の意見として語ってください。また、「擁護派」という分類は色眼鏡です。
世の中の7割が不快感を感じてるのだからあんたはずれてるんだよ。
>「犯罪に使われる可能性」――可能性を言いだしたら何だって言える
確かにそうだと思います。「銃は強盗に襲われた時に正当防衛に使える可能性がある」したがって「銃は解禁すべき」だという意見の前半は同意せざるを得ないです。(後半はちょっと)
>>『「ストリートビューのカメラの高さは、出来る限り目の高さに近くなるように設定する方がいいだろう」「個人のプライバシーに属する、人の顔やナンバープレートについては、掲載されないようにすべきである」とわたしは最初から述べている』
しかし、現状で解決策が見られない以上、上記の文言はエクスキューズにしか感じられません。
ネットでの情報公開は「取り返し」がつかない以上、上記の項目は「~すべき」という「理想論」ではなく「原則論」であるべきだと思います。
いんちきプレゼンテーションじゃあるまいし、
母集団のきわめて少ないアンケート結果を
グラフにして視覚に訴えるのはどうかと思います。
統計をとるまでもなく、あくびをして間抜け顔をしているところを写真に撮られて誰でも見られるように公開されたら不愉快に思う人が多いと思います。我が家は運良く狭い路地裏にあってストリートビューに写っていませんでしたが、近所の方の家に干してある洗濯物が写っていて、これを知ったら住人の方はやっぱり不愉快だろうな、と思いました。自宅やその周辺が写っていない方々の多くは、特に12都市以外の方々は、知らない街をバーチャルに無料で散歩できるのですから、この技術を高く評価するかも知れません。それは、自分の生活と無関係なところの情景だからです。Googleは公道からの情景はどうせオープンなのだから写真に撮って公開しても問題ない、という子供だましのような説明をしていますが、仮にGoogleの言い分が正しいなら、肖像権なんて存在し得ないですね。みんな自分の顔や姿をさらして皆の前を歩いているわけですから。公道でうっかりあくびもすればくしゃみもしますが、その場にリアルタイムでそれを見た人が数人いたくらいでは、ちょっとしまったと思うくらいで済みます。その人たちも一瞬見た変な顔をずっと覚えているわけでもないですから。一方、それを写真に撮られてネットに公開されたらどうでしょう。自分のいけていない顔が、不特定多数の人に、しかも誰が見ているか自分に知られることなく、好きなだけ長時間、眺められるわけです。これは普通の人は我慢ができないよね、ということで肖像権を主張する妥当性があるのだと思います。自分の下着の写真が住所付きでネットに公開されたら、あなたは不愉快ではないですか?
気持ちよかろうが悪かろうが結局は個々人の問題なので、議論しても無駄なことです。肝心なのは犯罪の利便性が高まるということ。「具体的にどの程度空き巣被害を高めるか、計量的に示す必要があろう」ということは、「被害が出るのを待ってみよう。話はそれからだ」ということでしょうか。悪用の可能性を具体的に挙げることは容易な(実際そこかしこで挙げられている)わけで、予見可能性の高い危険には何らかの手を打つのがリアル世界の責任ある態度だと思ってます。googleの思考パターンもそうですが、社会にリスクを負わせようとも自己の価値観を正当化する、かなりジコチュー度の高い思考だなと感じます。自由な社会だから仕方ないですが。
実際に自分の家をグーグルストリートビューで見たが結構鮮明に写っているので正直ぞっとした。
不快に思う人間がいる以上防犯上問題のあるこんなサービスは即刻中止すべきだと思う。
犯罪に使われる恐れの無いと主張している人がいるがまったく理解できない。善人ばかりがストリートビュー利用するのではない。
このサイトの管理人を含めそんなに賛成なら自分の家ネットで晒してから物を言えと思う。
監視カメラとの比較に違和感を感じました。
角度が関係ない、とおっしゃるなら
「グーグルストリートビュー」と「自分の家を監視する監視カメラを設置すること」
とを比較しなければならないと思います。
監視カメラがあるところだけをストリートビューに
載せたとすれば、反対する人は少ないと思います。
あとは、コメント欄の字をもう少し大きくしていただけると嬉しいです(本文の字に比して小さすぎるかと)。
コメントを読ませたくないのかな、という印象を受けました。