しょこたん(中川翔子)がTwitterになじめない理由(附:ブログとツイッターの使い分け)
﹁新・ブログの女王﹂として有名で、﹁しょこたん☆ぶろぐ﹂では毎日数十件のブログ記事をコンスタントに更新し続けている中川翔子︵しょこたん︶。ところが、﹁つぶやき﹂には慣れているはずのしょこたんが、わずか15回のツイートで﹁両立はむりだお(・ω・;)(;・ω・)ブログでやるお﹂と断念した。
一部ではそれが不思議なことだと思われているようだが、実はそれほど難しい理由ではない。それは、しょこたんにとってのブログとは﹁生きた証を残すため﹂の﹁写メ保存場所﹂であり、つぶやきが流れていくツイッターは似て非なるものだったからである。
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しょこたん☆ぶろぐは「生きた証」
しょこたんのすべての活動は、自分が生きた証を残すためになされていると言っても過言ではない。歌うこと、CDを出すことは目に見えてわかりやすい﹁生きた証﹂であり、コンサートのライブDVDは﹁みんなとあの日一緒に生きた証が記録に残る﹂というのがしょこたんの認識だ。
それはブログでもまったく同じである。ブログ本2冊目﹃しょこたん☆ぶろぐ2
﹄のあとがきでは、しょこたん自身が﹁これからもブログで日々の生きた証を貪欲に刻んでいきたいです﹂と記している︵2006年11月︶。
また、ブログ本3冊目﹃しょこたんぶろぐ 超貪欲デイズ
﹄︵2008年1月︶のブログ紹介では、﹁中川翔子がなにげない気持ちで始めた﹃しょこたん♥ぶろぐ﹄/総アクセス数10億ヒット目前というこの国民的ブログは/彼女が生きた証を記録し続ける、かけがえのないもの/そこにはしょこたんの貪欲な日々とともに、笑いや感動があふれています﹂と書かれている。
さらに、ブログ本4冊目﹃しょこたんぶろぐ 超貪欲デイズ
﹄︵2010年1月︶のあとがきでは、﹁今回またブログが、本になる、カタチになる良い機会なので、ブログ本をより濃い"生きた証"にしたい! と思い、記事をあらためて読み返してみました﹂﹁そんなブログ記事が、印刷されて本になるっていうことは、ほんとの"生きた証"になるんだなって思っています﹂と述べている。
しょこたんにとって、日々の生きた証を貪欲に残すのがブログなのである。それは、他のタレントなどが普通に日記を書いたり、アピールしたりするよりも一歩踏み込んだ、それこそ彼女の生きる原動力ともいえるほどの存在であるといえる。
しょこたんがツイッターに﹁@shokonakagawa﹂として登録したのは2010年2月24日。﹁さえずりはじめるお... 11:03 PM Feb 24th Keitai Webから﹂という短いツイートである。しかし、2回目のつぶやきは3月10日。﹁しょこたん 11:36 AM Mar 10th Keitai Webから﹂とだけのつぶやきである。この時点で、私はまだしょこたんがツイッターに登録したという事実を知らなかった。その翌日、私はこうつぶやいている。
しょこたんは﹁生きた証﹂を残すためにブログやってるので、流れ去っていくツイッターには向いてないです。 RT @Kei_10: @wakegiorino しょこたんはtwitter向きですねw 6:56 PM Mar 11th
同じ趣旨を何度もつぶやく私のくどさは見逃していただくとして、しょこたんは絶対にツイッター向きではないと私は確信していた。
それはしょこたんのアカウントで証明されたといえる。4月15日、三度目のつぶやきから再開されたしょこツイートだが、﹁わからん﹂の連発なのである。
今日のロケが雨なこともなんだか不思議な意味なきがする 8:50 AM Apr 15th Keitai Webから
ブログとついったの使い分けがわかんない(^ω^;)(;^ω^)んー 2:36 PM Apr 15th Keitai Webから
わからーん(゜∀゜) 2:41 PM Apr 15th Keitai Webから
メンチカツおいしすぎた谷中銀座の(゜∀゜)お休みのとき来たいな 2:42 PM Apr 15th Keitai Webから
胃もたれなう 2:47 PM Apr 15th Keitai Webから
やり方わからなすぎだけど江の島水族館のタコノマクラギザカワユス http://bit.ly/b4OPD5 2:57 PM Apr 15th Keitai Mailから
まずこのトップ画像かえかたがわからん(#^ω^) 3:04 PM Apr 15th Keitai Webから
ひよこ(#^ω^)マミトシにかえたい(#^ω^) 3:05 PM Apr 15th Keitai Webから
市川さんなう 3:12 PM Apr 15th Keitai Webから
けつまくマヤコン(;ω;)いてて 10:57 PM Apr 15th Keitai Webから
とりあえず、百草丸が手放せないしょこたんらしい胃弱ツイートにタコノマクラ︵ウニの一種︶と、しょこたんらしい日常ツイートに入っていくのだが、アイコンの変え方もわからず︵マミトシは愛猫マミタスのこと︶、マネージャーの﹁市川さんなう﹂と、何が起こったのかよくわからない状況に陥ってしまう。まさにカオス。もちろん、この間も通常のブログが更新されていたのは言うまでもない。
ブログの方でツイッターへの言及は、﹁なうよ﹂︵2010-04-15 15:00:20︶というエントリー一回だけである。
ついったーを登録してみまんたがやり方もブログとの使い分けもわからないなうよ
この次のツイートは3日後となる。国立天文台の渡部潤一さんと相互フォローになったようでお礼を言っている︵しょこたんは科学好き、特に木星が好き︶。
@cometwatanabe フォローありがとうございますっ、ついった登録してよかったです 9:55 PM Apr 18th Keitai Webから
@cometwatanabe 土星(゜∀゜)天王星(゜∀゜)そして木星(゜∀゜)春のうちに必ずうかがいます!!毎日惑星脳です (゜∀゜) 10:17 PM Apr 18th Keitai Webから
しかし、多少ツイッターらしくなってきたかと思いきや、翌19日にしょこたんはツイッター撤退宣言を出してしまうのだった。
両立はむりだお(・ω・;)(;・ω・)ブログでやるお 10:24 PM Apr 19th Keitai Webから
しかし、単に﹁両立﹂の問題ではなく、しょこたんにとってツイッターは﹁向いていない﹂メディアだったのだ。
一見、ブログをツイッター的に使っているようにみえるしょこたん。﹁文章打つ最中はだいたい何も考えてなくて、無意識で瞬間に脳ミソに思い浮かんだことをタレ流すのみだけど、翔子にとって、ブログは、自分の考えと脳ミソの中の宇宙がすべて詰まった、翔子の全世界!﹂︵﹃しょこたん☆ぶろぐ
﹄あとがき、2005年10月︶とまで言っているのだが、やはりツイッターとブログは異なる﹁メディア﹂だったといえよう。
﹄での定義をもとにしている。
●﹁距離が離れていても、同じ時間を共有する﹂のが﹁同期メディア﹂︵代表的なのが電話︶
●﹁時間が離れていても会話ができる﹂のが﹁同位メディア﹂︵代表的なのがニコニコ動画。異なった時間に投稿されたコメント同士が会話を行なう。疑似同期とも呼ばれる︶
たとえば、ケータイメールは、我々の世代︵たぶん30代後半以上の世代︶であれば、﹁今電話すると悪いから、あとで好きな時間に返信してもらえるようにメールにしておこう﹂という判断があったりする。ところが、若い世代︵たとえば高校生や大学生など︶は﹁メールが来たらすぐに返信するのがマナー﹂と考えている。
ということは、ある年代以上にとってケータイメールは同位メディア、ある年代以下にとっては同期メディアとして扱われているということになると私は考えている。
ひるがえって、ツイッターはどうだろうか。これは、実は自分がフォローしている人数によって大きく変わる。
ツイッターのタイムライン︵TL︶には、自分がフォローしている人のつぶやきが一斉に流れてくるわけだが、たとえば登録直後には自分のつぶやきしかない。その後、フォローを数人くらいに増やすと、まあ二、三日放っておいても全部つぶやきが読めたりもする。そして、数日前のツイートに対して返事を書いたりすることもあるだろう。つまり、﹁同位﹂的なのである。
ところが、フォロー数が100人、200人と増えてくると、タイムラインの流れる早さが加速されてくる。もはや、朝のつぶやきは夜には見えない。重要な︵あるいは注目されている︶ツイートはRT︵リツイート︶によって何度も表示されるから見つけやすくなるが、フォロー数が増えるにしたがって認識できるツイートの時間幅はどんどん短くなっていく。
つまり、フォロー数が少ない間は﹁同位﹂メディア的、増えてくるに従って﹁同期﹂メディア的な性質を示すようになるのである。同期的な側面として、﹁今つぶやいているから連絡が取れる︵少なくとも寝ていない︶﹂ということがわかったりして便利なこともある。
同位メディア的な状態のツイッターであればブログとどう違うのか、ということにもなるが︵過去のブログ記事にコメントやトラックバックが残せることから考えると、明らかにブログは同位的性質が強い︶、自分のフォローする人数が増えるとまったく違うメディアに変貌することになる。これはツイッターの面白い性質だと思う。
もう一つ、私が注目しているのは、自分のタイムラインは︵原則として︶自分だけのものだということである。誰をフォローするかによって、自分のタイムラインは変わっていく。まったく同じ面々をフォローしているのでない限り、タイムラインは一人一人すべて違う。これは、世界の見え方が一人一人違うという唯識的な世界観にもつながるものだと思うのだが、ひとまずこれについては置いておくとしよう。
いずれにせよ、ブログとツイッターは﹁性質の違うメディア﹂なのである。言い換えれば、それぞれに得意・不得意がある。だから、﹁ツイッターがあればすべて解決する﹂とか﹁ツイッターがブログを初めとする他のウェブツールをすべて駆逐する﹂というような極端なツイッター至上主義を唱えるような人がいたとしたら、完全に誤りだといえよう。
写メ保管場所としてのブログ
しょこたんのブログは、実際には﹁写メ﹂をブログという形式で保存しているもの、といってもいいだろう。実は﹁しょこたん☆モバイル﹂に登録すると、しょこたん☆ぶろぐが更新されるたびにデコメで送ってくれるサービスがあり︵有料︶、しょこたんフリークの私は当然ながらそこに登録している。毎日数十通︵最高200通越え︶のデコメが送られてくるのだが︵おかげでちょっと読むのをさぼると受信箱が一杯になってしまったりする︶、その形式で読む限りにおいて、これはケータイで撮った写真にコメントをつけて送ってきているものとしか見えない。 しょこたんのブログ更新方法も、ケータイで写メをブログ宛に送っているわけで、作業としては友達や関係者に写メを送るのとまったく変わらない。そして、これだけ大量のブログをちゃんと読むというのは、それこそ﹁しょこたん☆モバイル﹂でブログをメールで受信する設定にしている人たちでもなければほとんど不可能ということになる。しょこたんも、読んでもらうことを前提に残しているのではあるまい。 要するに、大量の写メと送信時の﹁気持ち﹂――要するにその瞬間瞬間、生きた証――をブログのデータベースに保存し続けているのだ、ということになる。 ﹁しょこたん☆ぶろぐ﹂は当初、ヤプースにて﹁しょこたん☆にっき﹂として2003年10月26日スタート。サービスがヤプログへ移行するのにともない、2004年11月から﹁しょこたん☆ぶろぐ﹂として更新されるようになった。ところが後に大事件が発生する。ヤプログの不調により、しょこたん☆ぶろぐのデータが消滅してしまったのである︵現在も2004年11月のしょこたん☆にっき終了後から2005年4月分の過去ログが消滅したままになっている︶。 このとき、しょこたんは﹁やっていいことと悪いことがあるだろう﹂とブログで叫んだ。もちろん、ヤプログに悪気はなく、単なるシステムエラーではあるのだが、しょこたんにとっては大切な﹁生きた証﹂が消滅するという大事件だったのだ。しょこたんがツイッターに馴染めなかった理由
さて、これを踏まえて考えれば、しょこたんがツイッター︵あるいは﹁アメーバなう﹂などのつぶやきメディア︶に移行するはずはない、という結論は容易に導ける。私はこれまで何度かこれに関連してつぶやいてきた。 ﹁Amebaなう﹂について考えてみる。少なくともしょこたんが﹁アメなう﹂でツイートしない方がよい理由。(1)しょこたんは﹁生きた証を残すため﹂に大量のブログを更新している。流れて消えていくメディアは向いていない。8:45 AM Nov 19th, 2009 ストリートミュージシャンが﹁なう﹂をつぶやくのはいいが、しょこたんが﹁○○海岸でスカシカシバン拾ってるおなう﹂とかやったら大混乱に。行動については、今日行ってきたよ、みたいな時間差つぶやきにせざるを得ない。そういう意味でタレントさんにはブログの方が向いている。8:47 AM Nov 19th, 2009 第2の理由は別として、﹁残らない﹂うえに︵公式サイトでは︶写真もリンクとしてしか表示されないツイッターは、しょこたんの﹁生きた証を残すため﹂のツールとはなりえない、と私は考えていたのである。![しょこたんツイート](http://www.kotono8.com/blog/assets_c/2010/04/sc0043-thumb-300x306-17.png)
ブログとツイッターのメディア特性の違いを活かした使い分け
ブログとツイッターは何が違うのか。 これを述べるためには、そもそもブログはそれまでのウェブサイトと何が違ったのか、といった﹁ウェブメディアの特性の歴史﹂を延々と語らなければならないことになる。それは今回は大変なので、どこかの出版社から﹁それ書いてください﹂という申し出が来るのを待つことにして、簡潔に述べておこう。 ブログが画期的だったのは﹁パーマリンク﹂による﹁サイト単位からページ単位への移行﹂であったと考える。それまでの日記ツールなどは更新するたびにページのURLが変わるため、言及リンクも﹁サイト﹂のトップページへのリンクということになりがちであった。ところが、ブログでは︵ブログ自体を移転したりしない限り︶個々個別のページごとに固定したURL︵文字通りパーマネント=恒久的なリンク︶が与えられるようになった。そして、検索でもかつてのYahoo!などのように﹁サイト﹂を紹介するのではなく、個別の﹁ページ﹂を検索する流れに変わっていった。サイトからページへの移行、それがブログの特性であった。 ブログは過去記事が埋もれやすいとはいえ、きちんと保管はされている。古いブログ記事が突然注目を浴びることもある。その保存性の高さがブログの特性といえよう。ツイッターの奇妙な特性
一方、ツイッターにはいろいろな特性が見られる。一つは流動性。あっという間に流れていき、過去のツイートは︵twilog.orgやtogetterなどのサービスを利用しない限り︶見られなくなっていく。だからこそ、気楽につぶやけるという側面もあるだろうが、しょこたんのように﹁生きた証﹂を残すためのツールではない。 また、ツイッターは﹁同位的﹂でもあり、かつ﹁同期的﹂でもあるという側面を持つ。ここでの同位・同期の用語の使い方は、丸田一著﹃﹁場所﹂論―ウェブのリアリズム、地域のロマンチシズム (叢書コムニス08)そこで使い分け
そこで、使い分けである。ツイッターは140字である。もし、あなたが﹁何でも140字で表現することができる﹂というのであればツイッターだけでよいかもしれないが、世の中はそんなに単純なことばかりではない。じっくりと論じるためには、字数制限のないメディアが必要である。その代表例がブログであろう。 現在、ツイッターのログをブログに自動アップすることによって、ブログ更新に換えている人たちがいる。私は、そういうやり方はいずれ廃れると思っている。少なくとも、それはメディア特性を活かした使い方ではない。逆に、そういうことをしない方が、﹁流れていく﹂ことを前提とした気楽なつぶやきをやりやすくなると思う。 もちろん、ツイッターでのつぶやきをブログに載せてはいけないわけではない。ただ、私の場合は、ツイッターでのつぶやきはブレーンストーミング的に吐き出すものという印象がある。それを編集して、もう少し体系的にしてブログに載せる、というのが適切な使い方ではないかと思っている。つまり、ツイッターは企画書、ブログは草稿、くらいの分担だろう。 流れるツイッター、残すブログ。今この瞬間に飛び去っていくツイッター、今の記録を残すブログ。140字のツイッター、制約のないブログ。そんな違いを意識すれば、おのずと使い分けは明確になることだろう。どちらも万能ではないが、無能でもない。 なお、世の中には﹁どちらも文字データ情報を伝えているのだから、どんなメディアを使おうと同じ﹂というような、ミソもクソも一緒にするかのような発言もあるようだが、確かに最終的に重要なのはそこに込められたメッセージの意味内容であるとしても、メディアごとに特性があり、使い分けることによって効果的にコミュニケーションを行なうことができるという事実から目を背けるべきではないだろう。 なお、メルマガはどういう位置づけになるのか、等々、他のウェブメディアとの使い分けについては、いずれ論じてみたいところである。- 【広告】★文中キーワードによる自動生成アフィリエイトリンク
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しょこたん(中川翔子)がTwitterになじめない理由(附:ブログとツイッターの使い分け)[絵文録ことのは]2010/04/23 しょこたんこと中川翔... 続きを読む
もやもやと思っていたことをクリアにしてくれるポストでした。
ありがとうございます。
ただ…
「つまり、ツイッターは企画書、ブログは草稿」
これは…逆じゃないですか?
画像がリンクでしか貼れないというのは極めて大きいと思います。
だから、twilogやtwitpicがあったとしてもだめなんだと思います。
昔のしょこたんなら普通にツイッターやってるよ
やらない理由はただ一つ売れて商業モードになったから
昔のしょこたんは売れてないアイドル仲間のネット放送に乱入して
内輪ネタで会話するのが好きだったんだから