よくある質問とその答え
ご利用の手引き
当館は教育施設として、利用者に学習する力をつけていただくことを目的のひとつとしています。
そのために、学習のための方法やヒントを提供しますが、実際の学習や調査は利用者自身で行っていただく方針をとっています。
知りたいこと、見たい作品や読みたい作品については、まずFAQを手がかりに、ご自身で探求してください。手がかりがFAQにない、またはご自身で探索した上で発見できないなどの場合は、お問い合わせください。
ご質問に際して
質問される際には、十分な情報を提供するために、以下のことにご注意ください。
- 来館または電話以外でご質問の場合、メールアドレス、ファクシミリ番号など、連絡先を本文に明記してください。連絡先が明記されていないと、受信トラブルなどによって返信できない場合があります。
- 質問者の知識範囲をふまえて回答するようにしています。支障のない範囲で、年齢や所属など、ご自身についてお書き添えください。お書きいただいた個人に関する情報は、回答するためだけに用い、その他の目的には用いません。
- 質問の動機と目的、また、できるだけ詳細な情報をお知らせください。
- なお、当館では貸し出しやコピーサービスは行っておりません。
また、著作権者や鑑定者の氏名ならびに連絡先など、個人情報を含む情報は記載いたしません。
利用者本人の責任において、FAQに紹介した方法でお調べください。
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FAQ
武者小路実篤(むしゃこうじ さねあつ)は本名です。
実篤の名字「武者小路」の読み方は、辞書などで引くと「むしゃのこうじ」と「むしゃこうじ」の二つが使われています。
調布市武者小路実篤記念館では、「むしゃこうじ」をとっています。これは実篤のローマ字のサインが「mushakoji」であることに拠ります。
「武者小路」はもともとは京都の地名で、地名としての読みは「むしゃのこうじ」。武者小路家は祖先がそこに屋敷を構えたことからそれを家名とし、読み方も本来は「むしゃのこうじ」でした。しかし実篤は「mushakoji」とサインし、自分の名については「むしゃこうじ」と「の」を抜かして読ませています。
これにはいくつかの逸話がありますが、一般に言われているのは、大正7年に新しき村を創設したときに、公家華族・子爵家の籍を離れ分家して平民となったのを機に、読み方を変えたというものです。
ただし、実篤は自らは「むしゃこうじ」と読みましたが、「むしゃのこうじ」と読むことを間違いとはせず、どちらも正しい、としていました。
名前の読みとそれに関する実篤の考え方については、実篤の三女・辰子さんのご夫君・武者小路穣氏(和光大学名誉教授・当館元顧問)が、小学館版『武者小路実篤全集』第一巻(昭和62年12月)の月報で「ムシャコウジ、ムシャノコウジ」としてお書きになっていますので、参考にしてください。
武者小路実篤の年譜、作品発表一覧、著書目録、参考文献目録はありますか
小学館版﹃武者小路実篤全集﹄第18巻︵1991年4月刊行︶に、﹁年譜﹂﹁作品年表﹂﹁著作目録﹂が収録されています。
このほかに、渡辺貫二氏︵新しき村元理事長・小学館版全集編集委員︶が編んだ下記の図書︵財団法人新しき村発行︶があります。
・﹃武者小路実篤九十年 年譜風略伝﹄ 1995年4月発行
・﹃武者小路実篤の著作﹄ 1995年11月発行 *著書目録
・﹃武者小路実篤の作品﹄ 2000年11月発行 *作品発表年表
参考文献目録は、下記の通りです。
・中村友﹁︿研究動向﹀武者小路実篤 ﹂
﹃昭和文学研究 17集﹄︵昭和文学会・1988年7月発行︶掲載
・瀧田浩﹁武者小路実篤参考文献目録﹂
﹃国文学 解釈と鑑賞﹄平成11年2月号︿特集 武者小路実篤の世界﹀︵至文堂発行︶掲載 *主として1988年以降の文献中心
武者小路実篤は、40歳頃にあたる大正末年頃から書画の制作を始め、昭和51年︵1976年︶に90歳で亡くなる直前まで制作を続けたので、作品の制作時期には50年の期間があります。
この間、昭和40年︵1965年︶に満80歳の誕生日を迎えたのを機に、署名を常用漢字に改め、落款に年齢を書き添えるようになりました。
従って、年齢が書かれた作品は、制作年がわかります。
年齢が書かれていない作品については、昭和40年︵1965年︶以前であることになります。詳細な制作年については、作風や使用されている落款からおおよその時期が推測できる場合もありますが、一般的には特定が困難です。
鑑定はご遺族の団体が行っており、当館では行っていません。
鑑定依頼先については、美術・芸術関係の年鑑などをご参照ください。年鑑などは公共図書館などで閲覧が可能です。
なお、鑑定のためには作品を鑑定依頼先まで届ける必要があり、また鑑定料がかかります。
最新の全集は、小学館版﹃武者小路実篤全集﹄全18巻です。
小学館版﹃武者小路実篤全集﹄は、大きな図書館には蔵書されています。
最寄りの図書館で書棚に見あたらないときは、書庫に入っているかもしれません。また、その図書館になくても近隣の別の図書館から取り寄せることができます。カウンターで相談してください。これは実篤全集に限らず、どのような本でも同じです。
第18巻の巻末に全集収録作品の索引がありますので、作品のタイトルから収録巻や頁を引くことができます。
なお、この全集には、全ての作品が収録されているわけではありません。全集に収録されていない作品については、単行本︵古書︶で読むほかありません。
目的の作品が収録されている単行本を探すには、第18巻の﹁著書目録﹂で各単行本の目次から探し、書名がわかったら図書館のカウンターに問い合わせてください。
最寄りの図書館で探索してもらっても目的の本が見つからない場合は、当館へお問い合わせください。当館では、館内で読むことはできますが、図書の貸し出しやコピーサービスは行っておりません。
実篤の言葉について、正確な字句と出典が知りたいのですが
- 武者小路実篤さんの言葉に「仲良き事は美しき哉」という言葉があったと思うのですが、どこに載っていたか思い出せません
- 「見るもよし、見ざるもよし、されど我はさくなり」という言葉は、武者小路実篤の言葉でしょうか。ずっと、探しているのですが、見つかりません
これらは、文学作品からの引用ではなく、実篤が野菜や花などを描いた絵に書き添えた「讃」とよばれる短い言葉です。「讃」にはかなりの種類があり、このほか「君は君 我は我也 されど仲良き」「天に星 地に花 人に愛」「勉強勉強 勉強のみ よく奇蹟を生む」などがあります。
詩とは違い、絵に添えて書かれるため、本にまとめられていませんが、小学館版『武者小路実篤全集』では第11巻(絶版)の82ページに「画讃一束」と題して収録されています。
また、『武者小路実篤画文集』全6巻(福武書店 1985年 絶版)には、言葉を添えた書画が数多く掲載されています。
このほかに、世界や日本の名言や人生訓などを集めた本にも、こうした実篤の「讃」を採っているものがいくつかあります。
これらの本は、大きな図書館で蔵書しています。
なお、当館発行の特別展パンフレット「心豊かに―実篤の画讃に生き方を学ぶ」(発行:2006年4月 550円)巻末に、これまでに収集した「讃」の一覧を掲載しています(書き出しの五十音順)。
実篤の詩について
- 中学校の時の校長先生が「武者小路実篤の言葉だ」と言って色紙に「我この道を行く。この道の他に我を生かす道無し。」と書いてくださった。字句がまったくこの通りか、また、何かの小説に出てくる言葉であれば、出典が知りたいのですが
- 「もう少しもう少し…」もしくは、「あと少しあと少し…」/「ああだめだそこでもう一息」というような作品はありませんか
- 「一個の人間」の正確な発表年度を教えてください
少し語句が違っているものもありますが、いずれも実篤の詩に該当する作品があります。
実篤の詩はすべて、『武者小路実篤全集』第11巻(小学館 1989年8月刊行 絶版)に収められています。
特定の詩を探すときには、第11巻には索引がないので、第18巻巻末の総索引で目的の作品の掲載ページを確認してから第11巻を見ると見つけやすいと思います。
実篤の詩は最初の一行がそのまま題名になっていることが多いので、題名が分からない時は一行目に使われている言葉で索引を引いてみてください。また、一行目がわからない場合は、ご記憶の部分からいくつかの単語で索引を引いてみてください。
発表年や掲載誌は、第11巻の目次に付記されています。ただし、「一個の人間」などいくつかの詩については、何回か改訂され、複数のバージョンがあります。それぞれをお探しの詩と対照してご確認ください。
小学館版『武者小路実篤全集』(全18巻)は大きな図書館で蔵書しています。
なお、このほか、現在市販されている武者小路実篤の詩集は、新潮文庫版があります。
うろ覚えの実篤の言葉を正確に知りたい
- 小学生の時に担任の先生にもらったプリントにあった文章が、武者小路実篤の言葉だった事は覚えているのですが、どこからの抜粋のものなのか見当がつきません。言葉自体も断片的にしか覚えていませんが、全文が知りたいのです
- 以前に読んだ実篤の詩が心に深く残ったので、掲載されている本を読んでみたいと思うようになりました。自分で暗誦した言葉しか手がかりがないのですが、作品が掲載されている本を教えていただけませんか
武者小路実篤には、長編小説から短い詩まで、生涯に6,300篇を超える作品があります。また、名言名句集などには、作品の一部分だけを引用したものが多いため、当館でも出典を把握していないものが少なくありません。手がかりがないまま出典を探索することは非常に困難です。
少しでも手がかりとなる事柄があれば、探索に役立ちます。
手がかりを得るためにも、ご自身で以下のことをおためしください。
●ご自身、または教えてくれた人が、いつごろ、どのように、この言葉を知ったかを確かめ、時期や、読んだ本または教えてくれた人の手がかりとする。
→教えてくれた人に尋ねたり、読んだ本を調べてみる。
→時期がわかれば、その頃に出版された実篤の著書から探してみる。
●名言、名句、格言などを集めた本や辞典を調べ、出典を見る。出典が記載されていない場合は、出版社または編集者に問い合わせる。
→出典がわかったら、﹃武者小路実篤全集﹄全18巻︵小学館︶から探してみる。
実篤の著書の出版時期は、﹃武者小路実篤全集 第18巻﹄︵小学館 1991年 絶版︶の﹁著書目録﹂でわかります。
小学館版﹃武者小路実篤全集﹄全18巻に収録されている作品の調べ方は、前出﹁実篤の著作の探し方﹂を参照して下さい。小学館版﹃武者小路実篤全集﹄︵全18巻︶や、名言、名句、格言などを集めた本や辞典などは、大きな図書館で蔵書しています。
なお、当館発行の特別展パンフレット﹁心豊かに―実篤の画讃に生き方を学ぶ﹂︵発行‥2006年4月 550円︶巻末に、これまでに収集した﹁讃﹂の一覧を掲載しています︵書き出しの五十音順︶。
また、特別展パンフレット﹁生きぬく力 実篤の言葉﹂︵2011年4月 750円︶に、名言としてよく引用される言葉をまとめました。ご参照下さい。
調べ方は、前項までを参照してください。
また、特別展パンフレット「生きぬく力 実篤の言葉」(2011年4月 750円)に、名言としてよく引用される言葉をまとめました。ご参照下さい。
なお、他人の著作物を許可なく転載することは著作権法で禁じられています。引用する場合は、著作権法を遵守した上で(「著作権について」参照)、どの本の何という題名の作品から引用したかを明記するのがルールです。
〈これまでに質問が寄せられ、出典が判明した言葉〉
- 「ものになるかならないかは、実に一寸したところで決まるのだ。昨日までものにならなかった人が、今日はちゃんとものになっていた、そういう事実を自分は何度か見た。」
出典:「もう一息」(『自画像』(昭和16年4月 筑摩書房)収録/全集収録なし)
- 「今の人は幸福と快楽の区別を知らない。快楽を得ることを幸福だと思っている。」
出典:「新しき村に就ての対話 第一の対話」(全集第5巻収録/新潮文庫『人生論・愛に就て』収録)
現在展示されていない美術品・自筆資料(原稿・書簡)・写真が見たい
実篤記念館内の﹁情報閲覧システム﹂または﹁収蔵品データベース﹂で画像をご覧いただけます。
﹁情報閲覧システム﹂のメニュー﹁作品と資料﹂では、主要な作品・資料1,096点︵2018年3月末現在︶の画像と基本情報をご覧いただけます。
﹁収蔵品データベース﹂は、主要な作品・資料だけでなく、当館が収蔵する全資料を対象として逐次登録しているものです。︵ただし、未整理・未入力資料があり、順次、整理・入力を進めています。︶
﹁収蔵品データベース﹂の美術品・自筆資料・写真のデータには、画像も登録しています︵一部未登録。原稿は、原則、画像は冒頭の一枚のみ︶。
﹁収蔵品データベース﹂は館外からもインターネットで検索できますが、著作権上の都合により、画像は館外からはご覧いただけません。館内閲覧室のノートパソコン及びタブレットでのみ画像が表示されます。閲覧室開室時間内にご利用下さい。
なお、画像が未登録のものもありますので、来館される場合は事前にご希望の作品・資料の画像が登録されているかをお問い合わせ下さい。
実篤公園の中にある旧実篤邸の建物は、実篤が住んでいた時と変わっていませんか
建物は、基本的に実篤が暮らした当時のまま保存していますが、下記の箇所には変更があります。
●画室前テラス・・庭側から向って右側︵ベランダの下︶の階段は、公園として開園する際に、見学者が回遊できるように取り付けたもの。
●邸内の建具のうち、画室とロビーの間の引き戸と、応接室とロビーの間の扉は、もとはふすまと木戸だったが、公園として開園する際に、見学の便をよくするために、ガラス戸にしたもの。
●木製のベランダ・・ご遺族から市に寄贈された当時は、コンクリート製で下は物置になっていた。昭和30年︵1955年︶に新築した際は、木製で下は空間になっていたが、ご遺族によると、この家で暮らした20年の間に木が傷み、また収納場所が足りなくなったため、改造したという。後からつけたために構造的に無理があり、通気を妨げて家屋を傷める可能性が指摘され、平成14年に旧実篤邸の補修を行った際、昭和30年の新築当時の図面に従い、木製に再現したもの。
なぜ実篤公園の真ん中に、道路が通っているのですか。道路の下を通るトンネルは、実篤生前からあったのですか
実篤公園の中ほどを分断するように走っている道は、実篤がこの土地に移り住む前からあった農道だということです。実篤は、生前、道に面して枝折り戸を設け、庭を行き来していました。トンネルは生前にはなく、公園として開園する際に、見学者の行き来の便と、公園としての管理のために作ったものです。
菖蒲園は昭和63年度(1988年度)の公園整備工事で新たに作られたものです。ヒカリモは菖蒲園へ水を引く桝(ます)で平成17年(2005年)6月に発見されました。いずれも実篤生前にはありませんでした。
湧き水です。旧実篤邸に近い上の池の奥に水源があります。また、調査によると池の底からも湧いているようです。
水道水と違い、湧き水の量は調節できないので、雨の少ない時期には水が少なくなり、逆に雨が続くと増水することがあります。
記念館が建っている土地も、武者小路邸の敷地ですか?
記念館が建っている土地は、武者小路邸の敷地ではありません。実篤が暮らした場にできるだけ手を加えないために、隣接地に記念館を建てました。
実篤記念館中庭に展示されている実篤マンホールは、現在も使われていますか
実篤マンホールは、実篤記念館が昭和60年(1985年)に開館して間もなく調布市水道部が作り、一時期使用されましたが、現在は使われていません。
展示しているマンホールは色のあるものとないものがありますが、色のあるものは試作品で、実際に使用されたのは色のないものです。