生活の中の仏教用語 - [213]
「満洲」
浅見 直一郎(あさみ なおいちろう)(助教授 東洋史)
﹁満洲﹂は日本人にとってなじみ深い語であるが、その語源についてはあまり知られていないようである。
よく﹁満州﹂という表記を目にするが、厳密に言えばこれは誤りである。﹁満州﹂と書くのは、﹁洲﹂が常用漢字表に載っていないため、よく似た﹁州﹂で代用せざるをえないという事情に加えて、中国には蘇州、杭州、徐州、広州など○○州という地名が多いので、そこからの類推が働くためでもあろう。しかし、常用漢字表が固有名詞を対象とするものでないことは、当の﹃常用漢字表﹄前書きに明記してあるから書き換えをする必要はないし、﹁満洲﹂は本来地名ではないので、蘇州、杭州などと同じように考えるのは適当ではない。正しく﹁満洲﹂と書くべきである。
さて、いま﹁満洲﹂とは本来地名ではないと書いたが、それでは﹁満洲﹂とはいったい何なのかというと、これが実は仏さまの名前なのである。
サンスクリット語でマンジュシリという名の仏さまがいる。中国ではこれに文殊師利、満殊尸利、曼殊室利などの漢字を当てた。すなわち、﹁三人寄れば文殊の知恵﹂ということわざで知られる文殊菩薩のことである。
十六世紀の後半、現在の中国東北の地において、英雄ヌルハチが女直︵女真︶人の国を建てた。その国の名をマンジュ国という。この国名がヌルハチ自身によって定められたものなのかどうかは不明である。ただ、いずれにせよ、当時女直人の間に広まっていたマンジュシリ︵マンジュ︶に対する信仰を背景とし、それに由来して命名されたものであることは間違いない。このマンジュに漢字をあてたのが﹁満洲﹂という語の起こりである。
このマンジュ国はその後勢力を強め、発展して清朝の中核となった。そのため、建国者のヌルハチは清の太祖の称号で呼ばれる。﹁満洲﹂は、彼の鴻業︵こうぎょう︶の出発点に仏教信仰があったことを伝える、歴史の証人というべき語である。たかがサンズイの有無だけのこと、などと言わないで、大切にしてほしいものである。