大津市歴史博物館

お知らせ

大津事件・津田三蔵の新資料発見
西南戦争の生々しい従軍記録を兄弟に送る (2003.2.6)

概要


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津田三蔵書簡
《資料の内容》母宛ての手紙。2月に火蓋が切られた戦争も、いよいよ最終局面を迎えた。城山に篭る西郷軍300に対し、政府軍は5万に達したといわれる。津田の書簡には「当月(九月)廿四日午前第四時ヨリ大進撃ニテ大勝利、魁首(かいしゅ)西郷隆盛・桐野利秋(としあき)ヲ獲斃(とらえたお)シ大愉快之戦ニテ、残賊共斬首無算ナリ」とあり、また「御話ノ如キハ近日帰国拝眉(はいび)ノ期ト楽(たのしみ)居(おり)候」と、長い従軍生活が済んだ安堵感と母への愛情が読み取れる。終戦に際しての一兵士の様子を窺うにも恰好の資料といえる。


◆西南戦争◆

 明治10年(1877)、旧薩摩藩を中心とする士族が、西郷隆盛を擁(よう)しておこした最大の士族反乱(反政府戦争)。その背景には、明治維新(いしん)政府の一連の近代化政策により、士族の地位が没落したことに対する反感などがあった。明治10年2月14日に西郷軍が鹿児島を進発、同月20日征討本営を大阪に設置、緒戦は熊本城の攻防戦であったが、3月に行われた熊本北方田原坂(たばるざか)の激戦で敗れた西郷軍は、以後守勢にまわり、9月24日、城山における戦闘で西郷以下、副将の桐野利秋(としあき)らが戦死し、戦争は終結した。

 津田三蔵は3月11日、鹿児島賊徒征討別働隊第一旅団に編入され、西郷軍の背面日奈久(ひなぐ)(現八代市)に上陸するが、同月26日、左手に銃創を負い入院、退院後、鹿児島で本隊に復帰。戦後の10月9日、勲7等と金100円が下賜された。