本会メールマガジン﹃日台共栄﹄第3024号や本会HP上などで、台北植物園に、﹁台湾植物の父﹂と慕われる早田文藏︵はやた・ぶんぞう︶博士の記念碑と、早田とともに台湾で植物の採集につとめたフランス人宣教師、ユルバン・ジャン・フォーリー神父の記念碑が復元されたことをお伝えした。
その後、中央通信社やTaiwan Todayなどがさらに詳しく報じている。復元されたのは早田のレリーフとフォーリー神父の銅像で、この両記念碑とともに、台湾で初めての植物標本館として1924年に建てられた腊葉館︵さくようかん︶も復元されたそうだ。
腊葉館とは、一般的に植物標本を収納する建物のことで、ここにあった1600種余りの標本が2000年に新館に移され、2008年には建物が台北市の古跡に指定、林業試験所は植物の歴史を伝える展示館として再利用するため、2016年から修復工事を行っていたという。
また、早田はタイワンスギ︵台湾杉、Taiwania︶などの台湾植物の命名者であり、台湾総督府はその功績をたたえるため、1936年に腊葉館前に記念碑を建立したそうだ。
一方、フォーリー神父は1901年に訪台して植物採集を始め、1913年、植物採集中にヒルが体内に入り込んだことで1カ月後に68歳で亡くなったが、台湾滞在中の12年間に約1万種の標本を収集したという。
これまでお伝えしたように、早田文藏は東京帝大理科大学動植物学科時代の1900年に初めて台湾を訪れて台湾植物の研究に着手し、1905年、東京帝大助手をしながら台湾総督府の嘱託となって本格的に台湾産植物の分類を研究はじめたという。その後、19年間、台湾植物の研究と分類に従事して1,636種に及ぶ植物に命名、﹃台湾植物図譜﹄︵10巻︶を完成している。
早田が研究を続けられたのはフォーリー神父の残した多くの文献資料があったからだという。そこで﹁早田氏は感謝の念を込めて当時の日本人たちから資金を募り、日本の彫刻家、渡辺長男︵おさお︶氏にFaurie神父の銅像制作を依頼してこれを建立した﹂︵Taiwan Today︶のだという。
この銅像が建立されたのは1917年のことだったそうだ。しかも、フォーリー神父の銅像が復元されたのは、日本でフォーリー神父の銅像の型が発見されたことがきっかけだったという。発見された陰には、ある台湾の企業経営者の協力があったと伝えられている。
今回のレリーフと銅像、そして腊葉館の復元は、フォーリー神父という先駆者への早田の感謝の念と、台湾の人々の早田とフォーリー神父という恩人への感謝の念が顕現した奇跡だったのかもしれない。
復元された銅像の除幕式に参列したフォーリー神父の曾孫は、神父の実家で当時書かれた多くの手紙を見つけたそうで﹁そこには日本と台湾の関係がつづられており、とても感動したという﹂と伝えている﹁Taiwan Today﹂の記事全文を下記にご紹介したい。
また、9月30日の記念碑除幕式のYouTube動画もあったので、併せてご紹介したい。
◆20171002 台灣[月昔]葉館開幕 重視植物研究先驅紀念﹇2分6秒﹈
◆台北植物園 台北市南海路53號︵MRT‥小南門駅の3番出口より博愛路を南へ3分︶