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2024年6月12日(水)
中央政界特報
■2010年10月5日(火) 第4967号
﹁政界きっての堅物﹂といわれる岡田克也幹事長。﹁天命﹂として就任。真っ二つに割れている民主党をどうまとめていくか。堅物幹事長の素顔は。
趣味からして、まず変わっている。
カエルの置物の収集がなによりの趣味だ。せっせせっせと集めたカエルの置物を見ては自らを癒している。
﹁笑う筋肉がすくないのでは﹂とまで揶揄されるほど、めったに笑顔をみせない。
﹁ロボコン﹂といった言われ方までされているが、まったく気にしていない。
つけられている異名は、それこそ﹁堅物﹂を表現するものばかり。
異名の第一は﹁原理主義者﹂。
イスラム原理主義になぞらえてのもので﹁タリバーン﹂といった言われ方もされている。
﹁政策ロボ﹂とも。これらは、いずれも﹁曲がったことが大嫌い﹂なところからつけられている。
同僚議員が会議中にたばこを吸うことも嫌い﹁いまは会議中だから﹂と厳しく注意したこともある。
お中元、お歳暮をはじめとした贈り物はいっさい受け付けない。
小泉純一郎元首相も﹁贈答品﹂拒否で有名で、贈り物を﹁突き返していた﹂が、岡田幹事長も目の色を変えて突き返している。
宴席も拒否。04年5月から1年4カ月の民主党代表時代も、9時には議員宿舎に帰り、ひたすら勉強を。
若い議員をつかまえては﹁勉強しなさい﹂と。
酒はまったく飲めないわけではない。だが、すすめられても、ほんの一口だけ。
父親の卓也氏は流通最大手、イオンの創業者で、兄の元也氏が社長。
父親、兄との関係にも一線を引いている。
﹁政治家は国家のため、国民のために働く﹂の考えから。
﹁カエルの置物﹂収集のほかでは、スポーツジムで体を鍛えるのも趣味。
東京を離れるときは、カバンの中にジャージとシューズを。どこに出掛けてもジムつきのホテルを予約。それは徹底している。
﹁一度はじめたものはやめない﹂の考えから。ここでも原理主義者そのもの。
国会議員の象徴である議員バッジ。これを国会と議員会館以外では外してしまう。
これは90年に衆院選で初当選してからずっとそうだ。
﹁超﹂の字がつく堅物幹事長に﹁期待﹂の声は多いが、反面﹁不安﹂の声も。
かつては小沢一郎氏を﹁政治の父﹂と仰いでいたが、いまは﹁反小沢﹂を鮮明にしている。
﹁菅首相の陰に女あり﹂だった。
ここでいう﹁女性﹂は賢妻の伸子夫人。
菅首相が熱を上げて結婚を申し込んだ、1歳年上の伸子夫人。
伸子夫人に菅首相はまったく頭があがらない。
外では﹁イラ菅﹂の異名をほしいままにしているが、家では借りてきた猫状態。
﹁完全に伸子夫人が主導権を握っている﹂ともっぱら。
不倫疑惑が浮上したときは﹁バカたれ!﹂と一喝されており、年金問題で代表を辞任したときは﹁ワキが甘すぎる﹂とどやしつけられている。
小沢一郎氏と真正面から対決した代表選。721ポイント対491ポイント。菅首相の大勝だった。
この大勝をもたらしたのも伸子夫人。
菅首相は一時、鳩山由紀夫前首相の仲介もあり﹁小沢氏との話し合い﹂に傾いた。
このときも伸子夫人が﹁カツ﹂をいれている。
﹁恐竜時代を哺乳類時代にしなければならない﹂
小沢氏を恐竜にたとえ、恐竜の絶滅を夫に迫っている。
小沢氏に対しても﹁私も言います。静かにしてもらう﹂と。
﹁伸子夫人のハッパがなければ、菅首相は小沢氏の要求を飲んでいたかもしれない﹂︵永田町筋︶
改造内閣は代表選直後に明言していた﹁ノーサイド﹂とは大違い。
﹁脱小沢﹂を鮮明にしており、小沢グループからの閣僚起用はゼロ。
党役員も岡田幹事長、玄葉光一郎政調会長、鉢呂吉雄国対委員長と、小沢色を一掃。小沢氏との対決姿勢を強くしている。
留任した北沢俊美防衛大臣。
代表選で小沢一郎氏が勝利していたら、留任はなかった。
﹁脱小沢﹂の声を高くしており、安全保障政策でも小沢氏を激しく批判している。
﹁菅グループ﹂﹁小沢グループ﹂をはじめ多くの派閥が入り乱れる民主党にあって、羽田孜元首相の﹁羽田グループ﹂に属している。
鳩山政権から防衛相のポストにあり、この1年で自信を強めている。
﹁普天間問題は自分がやっていかなくては﹂とまで。
防衛相になる前は﹁農相か国土交通相をやってみたい﹂と言っていたのに。ポストが人を作るそのものだ。
留任には米国側、そして防衛省内部からも﹁歓迎﹂の声があがっている。
米国側は﹁普天間問題の継続性﹂から。防衛省内部では﹁意見をきっちりと聞いてくれる﹂と。
菅首相の相談役で、菅首相はなにかと相談を持ちかけている。
党内では﹁菅首相の家庭教師﹂の声まで。
もともと﹁小沢嫌い﹂だが、菅首相の相談役をしていることで、さらに小沢氏との間に距離が。
1938年3月6日、長野県生まれ。5期県議を務め、92年の参院選で初当選。はじめは田中派に属していたが、羽田派立ち上げと同時に、羽田元首相の側近に。
趣味はゴルフ、陶芸。政界でも指折りのワイン通としても知られている。
なにしろ自家用のワインセラーが自慢で、ワイン談義になるとひざをのりだしてくる。
日米合意に向けての中心だが﹁親中派﹂でもある。
岡田克也氏の幹事長就任で、国土交通相から外務大臣の椅子に座った前原誠司氏。
岡田幹事長は外相留任を強く望んでいた。
その後を受けてのポストだけに、前原外相には世界が注目している。とくに米国と中国が。
沖縄の普天間基地移設問題はデッドロックにのりあげたまま。
菅政権によって道が開けてくるか。行き詰まれば菅直人首相は鳩山由紀夫前首相の二の舞になってしまう。
これは前原外相自身にとっても﹁政治家としての本領﹂を問われることに。
﹁ポスト菅﹂をうかがっているだけになおのこと。
改造内閣の記念写真撮影では菅首相の左側の位置をしっかりと確保していた。
﹁脱小沢の中心で、小沢氏を退けることができた。これからは政権取りをにらんで、どこまで政治家としての存在を示すことができるか﹂︵永田町筋︶
最重要ポストの外相で経歴に傷をつけることは許されない。
京都大学法学部を卒業し、松下政経塾を経て、京都府議。93年の衆院選で初当選。当選6回。2005年に43歳の若さで民主党代表の座に座っている。
まさに政治家としてのエリートコースを驀進している。あとは総理大臣の椅子だけ。
そんな前原外相が自慢しているものが二つある。
まず愛里夫人。とびきりの美人だ。
趣味は﹁妻との食事﹂と正面からノロケてくる。
二つ目はSL趣味。﹁鉄ちゃん﹂で知られており、鉄道写真ではプロ級の腕。
代表選で200ポイント以上の大差で敗れた小沢一郎氏。
永田町では﹁小沢氏が敗れた相手は菅直人首相ではない﹂と。
敗れた相手は仙谷由人官房長官。
﹁陰の首相﹂ばかりか﹁仙谷首相﹂とまで言われているほど、権勢をほしいままにしている。
代表選でもその影響力をフルに発揮している。
徹底した﹁脱小沢﹂で、閣僚をとりしきり、地方議員票、サポーター票のとりまとめに存在力を発揮。
﹁仙谷官房長官の力なくして菅首相は代表選では勝利できなかったはず。これでますます仙谷官房長官の菅政権における力は強大になる﹂︵永田町筋︶
菅改造内閣の前途には難問が山積している。
7月の参院選での大敗で﹁ねじれ国会﹂に。このままでは﹁法案は1本も成立しない﹂状況だ。
はやくも菅改造内閣を﹁短命﹂と見る声が永田町には多く﹁ポスト菅﹂が焦点に。
仙谷官房長官は政権取りについて﹁そういった考えはまったくない﹂と否定。
そこには02年に胃癌で胃の全滴手術をうけていることによる体力の問題が。
だが、その一方でこんなことを口にしている。
﹁もう少し身長があるとね﹂と背が高ければ政権の座を目指すと。
東大在学中に司法試験に合格。国会議員になったのは89年の衆院選。社会党から出馬して当選。
その発言は鋭く、メガネの奥の眼光も鋭い。
自身は派閥を持っていないが前原外相ら﹁脱小沢グループ﹂の後見人として睨みをきかせている。
留任の野田佳彦財務相。その顔は緊張感に満ちている。
日本経済はいま最大の試練に直面している。国の金庫は﹁瀕死﹂の状態だ。
今年度予算は歳出が92兆円。なのに入ってくる税収は37兆円しかない。
追い討ちをかけるような円高。1円、円が上がるたびに、経済界からは悲鳴があがっている。
金庫を預かる財務大臣としてどうこの財政状態を切り開いていくか。なにしろ国と地方をあわせての借金は900兆円にも及んでいる。
各国からは﹁ギリシャの次に破綻するのは﹂と日本の名前があげられているほど。
デフレ状態にどっぷりはまり込み、脱出の糸口もつかめない。これも深刻な問題だ。
留任しているが、野田財務相に対する批判の声は強い。
9月15日に6年半ぶりに為替介入に踏み切っているが﹁動きが鈍い﹂と。
代表選では野田グループは菅直人首相を支持。
徹底した﹁脱小沢﹂論者で、約30人の勢力が﹁菅再選﹂へ活発に動いた。グループからは自身と、蓮舫氏の2人が入閣。
﹁代表選の論功行賞﹂︵永田町筋︶
早稲田大学政治経済学部卒。松下政経塾の1期生。
国会議員になったのは1993年の衆院選。日本新党から出馬して初当選。二世議員とは違い地盤、看板、カバン︵金︶なしで議員バッジをものにしている。
辻説法が最大の武器で、民主党が政権を取るまで駅頭に立つのを欠かさないできている。
トレードマークは白いスーツ。それも後のエリを高く立てている蓮舫行政刷新・公務員制度改革担当相。留任だ。
代表選では﹁小沢批判﹂の先頭に立っていた。
キャスター出身だけに弁は立つ、華やかさがある。
テレビで、街頭演説での﹁小沢批判﹂はそれこそ、小沢一郎氏にダメージを与えている。
﹁小沢氏にとっては蓮舫氏の批判ほどこたえたものはなかったのではないか。それほど舌鋒鋭いものだった﹂︵永田町筋︶
菅改造内閣の﹁マドンナ﹂は、看板としての役をこれ以上はないほどはたしている。
閣僚になる前は、事業仕分けで脚光を浴びている。
42歳という若さだが、この42年間はそれこそ中身がぎゅっと詰まっている。
1967年、台湾人貿易商の父と日本人の母の間に生まれた。
﹁蓮舫﹂と名付けたのは祖母。その意味だが﹁蓮﹂はめでたい花。﹁舫﹂は船の舵。
青山学院大学法学部を卒業。87年に第14代クラリオンガールに選ばれ、芸能界にデビューしている。
大学卒業後、ワイドショーの司会や、報道番組のキャスターを。
人気絶頂にありながら25歳で結婚。そのまま夫と中国北京に留学。留学中に双子の男女を出産している。
国会議員になったのは2004年7月の参院選。
選挙には滅法強い。今年七月の参院選でも東京選挙区で出馬し171万票を獲得している。菅改造内閣の﹁エース﹂ともいえる存在になっている。
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