久作関係人物誌
小栗一雄(おぐり・かずお)
夢野久作は昭和十年一月十八日に警視総監と面会した。同行者は台華社の本郷作太郎である。﹃ドグラ・マグラ﹄出版記念会のため一月九日に東京へやってきて、十二日に熱海滞在中の父茂丸に面会、その際に警視総監宛ての名刺をもらい、十四日に面会を試みて会えず、この日に至ったものである。
久作が警視総監に面会した理由について、杉山龍丸は﹃夢野久作の日記﹄の註解で﹃ドグラ・マグラ﹄の出版記念会を開くにあたり警視庁への届出が必要であり、警視総監の諒解が必要だったという趣旨のことを書いている。しかし当日の日記の記述は﹁二時本郷と共に警視総監に会ふ。父よりのことづてと、水平社の事を頼む。総監曰く。承知しました。脅迫に来ましたら直ぐ通知せられよ。特高課で扱って上げます﹂と書かれていて、出版記念会開催の届出の必要があったとしてもそれは従たる目的であったものと推察される。
﹁水平社の事﹂とは何か。その前日の日記には﹁大坂水平社本部員が余の﹃骸骨と黒穂﹄につき恐喝せし話を聞く﹂とあり、この事を指すに相違ない。﹃骸骨と黒穂﹄は、﹃オール読物﹄昭和九年十二月号に発表された﹃骸骨の黒穂﹄を誤記したものであろう。
この小説は、発表されると間もなく、全国水平社の機関紙﹃水平新聞﹄第三号において﹁大胆極まる差別魔夢野久を叩き伏せろ!﹂という激しいことばによる糾弾を受けた。それは作品中に被差別部落住民に対するあからさまな差別意識が表出しているためであった。久作が日記に記した﹁水平社の事を頼む﹂というのは、この事件にかかる水平社への対応について警察の力を借りようとしたものと考えられる。
久作の次男三苫鐵児は、福岡で中学校教員として同和教育に力を尽し、また福岡部落史研究会においても副会長を務めるなど、福岡における有力な部落問題研究者の一人であったが、八十年代に至るまで自らの父が当事者となったこの事件を知らなかったと思しい。この記事が載った水平新聞を発掘した原口頴雄は、事実を知ったときの三苫鐵児の様子をこう書き留めている。
﹁ここに夢野久とありますが、これは先生のお父さんのことではありませんか?﹂と尋ねると、先生は一瞬ギョッとした顔をされ、一心に記事を読み始められた。その間、先生の口から一言の発言もなかった。﹁掲載を取り止めましょうか﹂と水を向けても無言だった。ややあって﹁親父が水平社から批判されとったったいなぁ﹂とだけ、空に向かって独りごちされた。心なしか先生の肩は落ちて見え、それだけ言うのが精一杯の様子で、私は二の句が継げなかった。
その後、ちくま文庫版﹃夢野久作全集﹄第四巻の解説で、三苫はこの作品が孕む差別性を分析し﹁この小説が一般民衆の偏見・差別意識を助長・拡大する悪質な文書として、徹底糾弾すべきだと考えられたにしても仕方がない﹂との認識を示したうえで、﹁作者の被差別者に対する無意識とはいえ無自覚と無頓着さ、表現上の問題は指摘されても、父の文学の根幹を流れるものは、社会的な身分階層を越えて、人間すべてに対する限りない愛と肯定であった﹂と書き記している。
小栗一雄は、久作がこのとき面会した警視総監その人である。
小栗は静岡県出身で、静岡中学から一高を経て明治四十四年に東京帝大法科大学を卒業、同年文官高等試験︵高文︶に合格した官僚である。高文の同期合格者の中には、重光葵︵のち外相。高文外交科︶、吉田茂︵のち厚生大臣になった内務官僚。外交官から首相になった吉田茂ではない︶、牧野良三︵のち法相︶、田島道治︵のち宮内庁長官︶らがいる。
はじめ農商務省に属し、大正三年一木喜徳郎文部大臣秘書官となると、一木が翌年内務大臣となったことにより内務大臣秘書官に就任した。以後内務官僚としての道を歩み、大正十年に奈良県警察部長に就任して以後は警察畑が長く、昭和九年十月に警視総監に就任したという経歴である。警視総監在任中の昭和十一年、二・二六事件に遭遇し、同年四月に退官している。
小栗一雄の妻千賀子は、裁判官をしていた安藤源五郎という人物の末娘であるが、千賀子の姉の春子は実業家の中村精七郎に嫁いだ。すなわち小栗一雄は茂丸門下生ともいうべき中村精七郎の義弟に当たる。小栗は﹃中村精七郎伝﹄に序文を寄せて、﹁義理の関係はいつしか変じて親子同様の間柄となり、私共一家は物質的にも精神的にも陰に陽に広大な御世話になり﹂云々と記している。こうした関係から、おそらく小栗一雄と杉山茂丸との間には、単なる面識以上のものがあったであろう。茂丸が久作に、名刺を渡してことづてを頼んだのは、その由縁に違いあるまい。
参考文献
●『日本官僚制総合事典』秦郁彦編・東京大学出版会・2001●『中村精七郎伝』的場新治郎・山九株式会社・2003
●『苦悩の「大人」』原口頴雄・私家版『星と夢の記憶 ─三苫鐵兒追悼・遺稿集─』所収・2010
●『解説「迷宮」の父』三苫鐵児・ちくま文庫『夢野久作全集』第四巻所収・1992
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