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おかだ よしこ

岡田嘉子

おかだ よしこ

1902.4.21(明治35)〜 1992.2.10(平成4)

昭和期の女優、アナウンサー

埋葬場所: 6区 1種 7側 53番

 8 西1917(T6)
 '19 '21(23-1-26-2) '22'25
 '23 '25
 '27(S2)椿30 '28︿'30 '32 宿使
 '36 '37.12.27 姿 '38.1.63)調 '3910'47
 '50 '54 '52'68 (25-1-24-1)'7234 '74  '86 使89

<コンサイス日本人名事典>
<往生際の達人>
<人間っておもしろい>
<人物20世紀など>


墓誌

*モスクワ市ドンスコエ葬儀場で茶毘に付された遺骨は、モスクワ日本人会の手で故国に帰り、多磨霊園に埋葬された。

*嘉子と恋の逃避行をした杉本良吉は、亡命をした翌年'39.10.23獄中病死と伝えられてきた。 「日本共産党の五十年」によると、二人の越境は杉本のコミンテルン(共産主義インターナショナル)との連絡のためだったという。 ところが、'89(H1)モスクワ市のワレンチン・リャボフ検事補佐官は、杉本良吉が病死ではなく、身に覚えのないスパイ罪で銃殺刑を受けたことを明らかにした。 詳細は'39.9.17ソ連邦最高裁軍事法廷で銃殺刑の判決を受け、1〜2日後に処刑された。 杉本が「自分は日本の参謀本部が送り込んだスパイだ」という虚偽の供述をさせられた背景には、連日の拷問や脅迫があった。 それに加え、もしスパイであることを認めれば「ソ連に残って働けるようにする」という当局側の甘言を信じてしまった結果だ、と付け加えている。

墓所

*墓石は和型「山本家之墓」。右側に滝口新太郎と岡田嘉子の連名の自筆と「悔いなき命をひとすじに」と刻む墓誌碑が建つ。「山本家之墓」墓石の左面には「岡田家先祖代々之霊位」、裏面に「平成十九年秋彼岸 山本紀治 恵美子 建之」と刻む。

<山口様より写真提供>


※以前は「岡田家之墓」であったが、平成十九年より「山本家之墓」に墓石を変えている。嘉子の孫娘の嫁ぎ先の山本家と、岡田家先祖代々も継承されたと推測する。

※孫娘のブログ記載内容を参考に下記に加筆要約する。文中にも記載しているように、1921(T10)19歳のときに岡田嘉子は服部義治との間に男児を儲けるが、結婚を断り子供は嘉子の弟として岡田籍に入れ、嘉子の両親が育てた。恋多き岡田嘉子だが実の子は生涯唯一の子となる。その子の実父である服部は嘉子との復縁を拒絶され鉄道自殺(1925)。子供が中学生の時に育ての親(祖父)が亡くなり、葬儀にて嘉子の子供であることを偶然知る。子供は医師、料理、映像、設計、電気関連と様々な才を見出すも器用貧乏で苦労が絶えず。宮崎の令嬢と結婚し一人娘を儲ける。その子供(嘉子の孫)が、1972東宝から映画「人間革命」でデビュー、二作目「ゴジラ対メカゴジラ」に出演した女優の松下ひろみ。松下ひろみはこの二作品のみで東宝と一年契約を解除し、舞台へ女優の場を移すも芸能界を引退している。



第30回 トップスターの「恋の逃避行」岡田嘉子 お墓ツアー ※再UP


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