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よしかわ えいじ

吉川英治

よしかわ えいじ

1892.8.11(明治25)〜 1962.9.7(昭和37)

昭和期の小説家

埋葬場所: 20区 1種 51側 5番

 
 退1910(M43) '11 '14(T3)稿31 3
 '21(T10)'23 '25 2 '26 '30'33(S8) '34(11-2-8)(23-1-26-2)
 '35 35.8.2339.7.21 '37 27'38 '39 '41'42'43'44西
 (14-1-6-1)'49 '50'517 '52'55'593'60 '53'56'60'6270

<コンサイス日本人名事典>
<世界人名辞典>
<日本史小辞典>
<「父吉川英治」吉川英明 など>


*墓所は文机の上に経筒が載ったデザイン。経筒正面に吉川英治と刻む。戒名は崇文院殿釈仁英大居士。墓所設計者は谷口吉郎。 なお、谷口吉郎は吉川英治記念館の展示館の設計者でもある。また、亀井勝一郎(20-1-22-13)の墓所設計者でもある。

*吉川英治の筆名の由来は、『剣難女難』を本名の吉川英次で出す予定が、雑誌キングの出版社が誤り「英治」としてしまったのを本人が気に入り、以後、筆名とするようになった。

*菊池寛に勧められ競走馬の馬主としても活躍。'39(S14)から馬主となり、戦後は有力馬を所有して、「ケゴン」号は皐月賞、「チエリオ」号はスプリングステークスなど重賞に勝つなど活躍。 '56所有していた馬が落馬転倒する事故が起き、馬は薬殺、騎手は騎手生命を絶たれる重傷を負い、この件にショックを受け、それ以後、競馬界から手を引いた。

*没後、'66財団法人吉川英治国民文化振興会が発足され、「吉川英治賞」を設置。贈賞「吉川英治文学賞」「吉川英治文学新人賞」「吉川英治文化賞」が設けられ、優れた文学小説、並びに文化活動に取り組んだ人物や団体に贈賞される。 '67第一回吉川英治文学賞は松本清張が受賞した。審査員に石坂洋次郎(21-1-1-1)らが務めた。'77疎開先だった東京都青梅市に「吉川英治記念館」が開館された。



第26回 「宮本武蔵」 吉川英治 お墓ツアー ※再UP


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