2011年9月4日発行『ボカロクリティーク』Vol.01の紹介です
9月4日︵日曜日︶ボーマスにて頒布されるボカロクリティークの紹介を書きます。
なお詳細は、
こちら︵ボーマス17ボカロ批評本﹃VOCALO CRITIQUE﹄執筆陣決定! - よた▽ろぐ︶と
こちら︵ボカロ批評同人誌 VOCALO CRITIQUE / 白色手帖︶
などです。
このエントリーでは、中村屋さんから送られてくるゲラと完成原稿を読んだなかで、僕が感動したこと、感激したことを率直に書きたいと思います。 一気に書き下ろそうと思ったのですが無理でした(i_i) ですから何回かに分けて書きます。
このエントリーでは、中村屋さんから送られてくるゲラと完成原稿を読んだなかで、僕が感動したこと、感激したことを率直に書きたいと思います。 一気に書き下ろそうと思ったのですが無理でした(i_i) ですから何回かに分けて書きます。
コンテンツ
01:AHS尾形社長さん
02:デスおはぎさん
UTAU文化に属するひとりのプロデューサーから見た﹁偏見﹂、つまり﹁ボーカロイド﹂界隈に対して﹁UTAU﹂のプロデューサーはどう考え、どうアプローチすべきだろうかという問題意識が、個人の立場でという視点から語られています。俯瞰する視点ではないだけにばっさりと問題がいくつかに切られているというわけではなく、むしろクリエイターとしてまさに直面している問題を内側から描いている様子に共感を覚えました。個人的には、僕が新宿や下北沢や高円寺でバンドのライブ活動をしていたころ、﹁ロック/ポップ﹂はどう思想的に切り分けるべきか、音楽の技術としてどう実践するべきか、ファッション︵ステージ衣装は着ないというファッション︶やMCのスタイル︵しゃべらない。詩や演説を朗読するというスタイル︶としてどうプレゼンテーションすべきかといったことを考えていた気持ちが思い出されます。
03:清水りょういちさん
出版社におけるボカロ理解の内情から始まるのですが、そこにまず引きつけられました。そして現在のメジャーレコード会社がボカロPデビューへ介入するときのやりかたへの批判は、本文中に出てくる﹁ボカロ曲の隆盛は、そのファン共々、既存J-POPシーンへの批判でできあがったものだ﹂という指摘からかえって伝わってくる、現在までのJ-POPの価値を認める思いからなっているのだろうなと感じました。J-POPとボカロ曲をないまぜに見てしまうことは、これまでJ-POPが果たしてきた役割と、現在ボカロ曲が果たしている役割とをメジャーレコード会社が見過ごしてしまうことに他ならない。批判の上で、ボカロ曲の価値はJ-POPとは違うところ、別にあるんだという主張がされているところに、これまでゲッカヨの編集長として音楽にかけてきた思いがくっきりと伝わってくるように思いました。
楽しみにしていただけるとうれしいです。
楽しみにしていただけるとうれしいです。