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二十三
﹁どうです河合さん、そう閉じ籠(こも)ってばかりいないで、気晴らしに散歩して見ませんか﹂と、浜田に元気をつけられて、﹁それではちょっと待って下さい﹂と、この二日間口も漱(すす)がず、髯(ひげ)も剃(そ)らずにいた私は、剃(かみ)刀(そり)をあてて、顔を洗って、セイセイとした心持になり、浜田と一緒に戸外へ出たのはかれこれ二時半頃でした。
﹁こう云(い)う時には、却って郊外を散歩しましょう﹂と浜田が云うので、私もそれに賛成しましたが、
﹁それじゃ、此方へ行きましょうか﹂
と、池(いけ)上(がみ)の方へ歩き出したので、私はふいとイヤな気がして立ち止まりました。
﹁あ、其(そっ)方(ち)はいけない、その方角は鬼門ですよ﹂
﹁へえ、どう云う訳で?﹂
﹁さっきの話の、曙(あけ)楼(ぼのろう)と云う家がその方角にあるんですよ﹂
﹁あ、そいつはいけない! じゃあどうしましょう? これからずっと海岸へ出て、川崎の方へ行って見ましょうか﹂
﹁ええ、いいでしょう、それなら一番安全です﹂
すると浜田は、今度はグルリと反対を向いて、停車場の方へ歩き出しましたが、考えて見ると、その方角も満更危険でないことはない。ナオミが未(いま)だに曙楼へ行くのだとすれば、ちょうど今頃熊谷を連れて出て来ないとも限らないし、例の毛唐と京浜間を往復しないものでもないし、いずれにしても省線電車の停る所は禁物だと思ったので、
﹁今日は君には飛んだお手数をかけましたなあ﹂
と、私は何気なくそう云いながら、先へ立って、横丁を曲って、田(たん)圃(ぼみ)路(ち)にある踏切を越えるようにしました。
﹁なあに、そんな事は構いません、どうせ一度はこう云う事がありゃしないかと思っていたんです﹂
﹁ふむ、君から見たら、僕と云うものは随分滑(こっ)稽(けい)に見えたでしょうね﹂
﹁けれども僕も、一時は滑稽だったんだから、あなたを笑う資格はありません。僕はただ、自分の熱が冷めて見ると、あなたを非常にお気の毒だとは思いましたよ﹂
﹁しかし君は若いんだからまだいいですよ、僕のように三十幾つにもなって、こんな馬(ば)鹿(か)な目を見るなんて、話にも何もなりゃしません。それも君に云われなければ、いつまで馬鹿を続けていたか知れないんだから、………﹂
田圃へ出ると、晩秋の空はあたかも私を慰めるように、高く、爽(さわ)やかに晴れていましたが、風がひゅうひゅう強く吹くので、泣いた跡の、脹(は)れぼったい眼の縁がヒリヒリしました。そして遠くの線路の方には、あの禁物の省線電車が、畑の中をごうごう走って行くのでした。
﹁浜田君、君は昼飯をたべたんですか﹂
と、暫(しばら)く無言で歩いてから、私は云いました。
﹁いや、実はまだですが、あなたは?﹂
﹁僕は一昨日から、酒は飲んだが飯は殆(ほとん)どたべないんで、今になったら非常に腹が減って来ました﹂
﹁そりゃそうでしょう、そんな無茶をなさらない方がよござんすね、体を壊しちゃつまりませんから﹂
﹁いや、大丈夫、君のお蔭(かげ)で悟りを開いちまったから、もう無茶な事はしやしません。僕は明日から生れ変った人間になります。そうして会社へも出る積りです﹂
﹁ああ、その方が気が紛れますよ。僕も失恋した時分、どうかして忘れようと思って、一生懸命音楽をやりましたっけ﹂
﹁音楽がやれると、そう云う時にはいいでしょうなあ。僕にはそんな芸はないから、会社の仕事をコツコツやるより仕方がないが。―――しかしとにかく腹が減ったじゃありませんか、何(ど)処(こ)かで飯でも喰いましょうよ﹂
二人はこんな風にしゃべりながら、六(ろく)郷(ごう)の方までぶらぶら歩いてしまいましたが、それから間もなく、川崎の町の或(あ)る牛肉屋へ上り込んで、ジクジク煮える鍋(なべ)を囲みながら、また﹁松浅﹂の時のように杯の遣(や)り取りを始めていました。
﹁君、君、どうです一杯﹂
﹁やあ、そう飲まされちゃ、空(す)き腹だからこたえますなあ﹂
﹁まあいいでしょう、今夜は僕の厄落しだから、一つ祝杯を挙げて下さい。僕も明日から酒は止(や)めます、その代り今夜は大いに酔って談じようじゃありませんか﹂
﹁ああ、そうですか、それじゃあなたの健康を祝します﹂
浜田の顔が真っ赤に火(ほ)照(て)って、満面に出来たニキビの頭が、あたかも牛肉が湯立ったようにぶつぶつ光り出した時分には、私も大分酔っ払って、悲しいのだか嬉(うれ)しいのだか何も分らなくなっていました。
﹁ところで浜田君、僕は聞きたいことがあるんだ﹂
と、私は頃合を見計らって、一段と膝(ひざ)を進めながら、
﹁ヒドイ仇名がナオミに附いていると云うのは、一体どんな仇名ですか?﹂
﹁いや、そりゃ云えません、そりゃあとてもヒドイんですから﹂
﹁ヒドクったって構わんじゃありませんか。もうあの女は僕とはあかの他人だから、遠慮することはないじゃないですか。え、何と云うんだか教えて下さいよ。却ってそいつを聞かされた方が、僕は気持がサッパリするんだ﹂
﹁あなたはそうかも知れませんが、僕には到底、云うに堪えないことなんだから堪(かん)忍(にん)して下さい。とにかくヒドイ仇名だと思って、想像なすったら分るんですよ。尤(もっと)もそう云う仇名が附いた、由来だけならお話してもよござんすがね﹂
﹁じゃあその由来を聞かして下さい﹂
﹁しかし河合さん、………困っちゃったなあ﹂
と云って、浜田は頭を掻(か)きながら、
﹁それも随分ヒドイんですよ、お聞きになったらいくら何でも、きっと気持を悪くしますよ﹂
﹁いいです、いいです、構わないから云って下さい! 僕は今じゃ純然たる好奇心から、あの女の秘密を知りたいんです﹂
﹁じゃあその秘密を少々ばかり云いましょうか、―――あなたは一体、この夏鎌倉にいらしった時分、ナオミさんに幾人男があったと思います?﹂
﹁さあ、僕の知っている限りでは、君と熊谷だけだけれど、まだその外にもあったんですか?﹂
﹁河合さん、あなた驚いちゃいけませんよ、―――関も中村もそうだったんですよ﹂
私は酔ってはいましたけれど、ビリリと体に電気が来たような気がしました。そして思わず、眼の前にあった杯をガブガブ五六杯引っかけてから、始めて口を利(き)きました。
﹁するとあの時の連中は、一人残らず?―――﹂
﹁ええ、そうですよ、そうしてあなた、何処で会っていたと思うんです?﹂
﹁あの大久保の別荘ですか?﹂
﹁あなたの借りていらしった、植木屋の離れ座敷ですよ﹂
﹁ふうむ、………﹂
と云ったなり、まるで息でも詰まったようにしんと沈んでしまった私は、
﹁ふうむ、そうか、実際驚きましたなあ﹂
と、やっと呻(うな)るような声を出しました。
﹁だからあの時分、恐らく一番迷惑したのは植木屋のかみさんだったでしょうよ。熊谷の義理があるもんだから、出てくれろとも云う訳に行かず、そうかと云って自分の家が一種の魔(まく)窟(つ)になってしまって、いろんな男がしっきりなしに出入りするんで、近所隣りには体裁が悪いし、それに万一、あなたに知れたら大変だと思うもんだから、ハラハラしていたようでしたよ﹂
﹁ははあ、成る程、そう云われりゃあ、いつだか僕がナオミのことを尋ねると、かみさんがひどく面喰って、オドオドしていたようでしたが、そう云う訳があったんですか。大森の家は君の密会所にされるし、植木屋の離れは魔窟になるし、それを知らずにいたなんて、イヤハヤどうも、散々な目に遭ってたんだな﹂
﹁あ、河合さん、大森のことは云いッこなし! それを云われると詫(あや)まります﹂
﹁あはははは、なあにいいですよ、もう何もかも一切過去の出来事だから、差(さし)支(つか)えないじゃありませんか。しかしそれ程ナオミの奴(やつ)に巧(うま)く欺(だま)されていたのかと思うと、寧(むし)ろ欺されても痛快ですな。あんまり技がキレイなんで、唯(ただ)あッと云って感心しちまうばかりですな﹂
﹁まるで相撲の手か何かで、スポリと背負い投げを喰わされたようなもんですからね﹂
﹁同感々々、全くお説の通りですよ。―――それで何ですか、その連中はみんなナオミに飜(ほん)弄(ろう)されて、互に知らずにいたんですか?﹂
﹁いや、知ってましたさ、どうかすると一度に二人がカチ合うことがあったくらいです﹂
﹁それで喧(けん)嘩(か)にもならないんですか?﹂
﹁奴等は互に、暗黙のうちに同盟を作って、ナオミさんを共有物にしていたんです。つまりそれからヒドイ仇名が附いちゃったんで、蔭じゃあみんな、仇名でばかり呼んでましたよ。あなたはそれを御存じないから、却って幸福だったけれど、僕はつくづく浅ましい気がして、どうかしてナオミさんを救い出そうと思ったんですが、意見をするとつんと怒って、あべこべに僕を馬鹿にするんで、手の附けようがなかったんです﹂
浜田もさすがにあの時分のことを想(おも)い出したのか、感傷的な口調になって、
﹁ねえ河合さん、僕はいつぞや﹃松浅﹄でお目に懸った時、こんなことまではあなたに云わなかったでしょう。―――﹂
﹁あの時の君の話だと、ナオミを自由にしているものは熊谷だと云う―――﹂
﹁ええ、そうでした、僕はあの時そう云いました。尤もそれは嘘(うそ)じゃないので、ナオミさんと熊谷とはガサツな所が性に合ったのか、一番仲よくしていました。だから誰よりも熊谷が巨(きょ)魁(かい)だ。悪いことはみんな彼(あい)奴(つ)が教えるんだと思ったので、ああ云う風に云ったのですが、まさかそれ以上は、あなたに云えなかったんですよ。まだあの時は、あなたがナオミさんを捨てないように、そして善良な方面へ導いておやりになるようにと、祈っていたのですから﹂
﹁それが導くどころじゃない、却って此(こっ)方(ち)が引(ひ)き摺(ず)られて行っちまったんだから、―――﹂
﹁ナオミさんに懸った日には、どんな男でもそうなりまさあ﹂
﹁あの女には不思議な魔力があるんですな﹂
﹁確かにあれは魔力ですなあ! 僕もそれを感じたから、もうあの人には近寄るべからず、近寄ったらば、此方が危いと悟ったんです。―――﹂
ナオミ、ナオミ、―――互の間にその名が幾度繰り返されたか知れませんでした。二人はその名を酒の肴(さかな)にして飲みました。その滑かな発音を、牛肉よりも一層旨(うま)い食物のように、舌で味わい、唾(だえ)液(き)で舐(ねぶ)り、そして唇に上せました。
﹁だがいいですよ、まあ一遍はああ云(い)う女に欺されて見るのも﹂
と、私は感慨無量の体でそう云いました。
﹁そりゃそうですとも! 僕はとにかくあの人のお蔭で初恋の味を知ったんですもの。たとい僅(わず)かの間でも美しい夢を見せて貰(もら)った、それを思えば感謝しなけりゃなりませんよ﹂
﹁だけども今にどうなるでしょう、あの女の身の行く末は?﹂
﹁さあ、これからどんどん堕落して行くばかりでしょうね。熊谷の話じゃ、マッカネルの所にだって長く居られる筈(はず)はないから、二三日したら又何処かへ行くだろう、己(おれ)ンとこにも荷物があるから来るかも知れないッて云っていましたが、全体ナオミさんは、自分の家がないんでしょうか?﹂
﹁家は浅草の銘酒屋なんですよ、―――彼奴に可(かわ)哀(い)そうだと思って、今まで誰にも云ったことはありませんがね﹂
﹁ああ、そうですか、やっぱり育ちと云うものは争われないもんですなあ﹂
﹁ナオミに云わせると、もとは旗本の侍で、自分が生れた時は下二番町の立派な邸(やしき)に住んでいた。﹃奈緒美﹄と云う名はお祖(ば)母(あ)さんが附けてくれたんで、そのお祖母さんは鹿(ろく)鳴(めい)館(かん)時代にダンスをやったハイカラな人だったと云うんですが、何処まで本当だか分りゃしません。何しろ家庭が悪かったんです、僕も今になって、しみじみそれを思いますよ﹂
﹁そう聞くと、尚(なお)更(さら)恐ろしくなりますなあ、ナオミさんには生れつき淫(いん)蕩(とう)の血が流れていたんで、ああなる運命を持っていたんですね、折角あなたに拾い上げて貰いながら、―――﹂
二人はそこで三時間ばかりしゃべりつづけて、戸外へ出たのは夜の七時過ぎでしたが、いつまで立っても話は尽きませんでした。
﹁浜田君、君は省線で帰りますか?﹂
と、川崎の町を歩きながら、私は云いました。
﹁さあ、これから歩くのは大変ですから、―――﹂
﹁それはそうだが、僕は京浜電車にしますよ、彼奴が横浜にいるんだとすると、省線の方は危険のような気がするから﹂
﹁それじゃ僕も京浜にしましょう。―――だけどもいずれ、ナオミさんはああ云う風に四方八方飛び廻っているんだから、きっと何処かで打(ぶ)つかりますよ﹂
﹁そうなって来ると、うッかり戸外も歩けませんね﹂
﹁盛んにダンス場へ出入りしているに違いないから、銀座あたりは最も危険区域ですね﹂
﹁大森だって危険区域でないこともない、横浜があるし、花月園があるし、例の曙楼があるし、………事に依(よ)ったら、僕はあの家を畳んでしまって下宿生活をするかも知れません。当分の間、このホトボリが冷めるまでは彼奴の顔を見たくないから﹂
私は浜田に京浜電車を附き合って貰って、大森で彼と別れました。
二十四
私がこう云う孤独と共に失恋に苦しめられている際に、又もう一つ悲しい事件が起りました。と云うのは外でもなく、郷里の母が脳(のう)溢(いっ)血(けつ)で突然逝(い)ってしまったことです。危(きと)篤(く)だと云う電報が来たのは、浜田に会った翌々日の朝のことで、私はそれを会社で受け取ると、すぐその足で上野へ駈(か)けつけ、日の暮れ方に田舎の家へ着きましたが、もうその時は、母は意識を失っていて、私を見ても分らないらしく、それから二三時間の後に息を引き取ってしまいました。
幼い折に父を失い、母の手一つで育った私は、﹁親を失う悲しみ﹂と云うものを始めて経験した訳です。況(いわ)んや母と私の仲は世間普通の親子以上であったのですから。私は過去を回想しても、自分が母に反抗したことや、母が私を叱(しか)ったことや、そう云う記憶を何一つとして持っていません。それは私が彼女を尊敬していたせいもあるでしょうが、寧ろそれより、母が非常に思いやりがあり、慈愛に富んでいたからです。よく世間では、息子がだんだん大きくなり、郷里を捨てて都会へ出るようになってしまうと、親は何かと心配したり、その子の素(そこ)行(う)を疑ったり、或(あるい)はそれが原因で疎(そえ)遠(ん)になったりするものですが、私の母は、私が東京へ行ってから後も、私を信じ、私の心持を理解し、私の為(た)めを思ってくれました。私の下に二人の妹があるだけで、総領息子を手放すことは、女親としては淋(さび)しくもあり心細くもあったでしょうに、母は一度も愚痴をこぼしたことはなく、常に私の立身出世を祈っていました。それ故(ゆえ)私は、彼女の膝(しっ)下(か)にいた時よりも遠く離れてしまった時に、一層強く、彼女の慈愛のいかに深いかを感じたものです。殊(こと)にナオミとの結婚前後、それに引き続いていろいろの我が儘(まま)を、母が快く聴いてくれる度(たび)毎(ごと)に、その温情を涙ぐましく思わないことはなかったのです。
その母親にこうも急激に、思いがけなく死なれた私は、亡(なき)骸(がら)の傍に侍(はべ)りながら夢に夢見る心地でした。つい昨日まではナオミの色香に身も魂も狂っていた私、そして今では仏の前に跪(ひざまず)いて線香を手向けている私、この二つの﹁私﹂の世界は、どう考えても連絡がないような気がしました。昨日の私がほんとうの私か、今日の私がほんとうの私か?―――嘆き、悲しみ、愕(おどろ)きの涙に暮れつつも、自分で自分を省ると、何(ど)処(こ)からともなくそう云う声が聞えます。﹁お前の母が今死んだのは、偶然ではないのだ。母はお前を戒めるのだ、教訓を垂れて下すったのだ﹂と、又一方からそんな囁(ささや)きも聞えて来ます。すると私は、今更のように在りし日の母の俤(おもかげ)を偲(しの)び、済まない事をしたのを感じて、再び悔恨の涙が堰(せ)きあえず、あまり泣くので極(き)まりが悪いので、そっとうしろの裏山へ登って、少年時代の思い出に充(み)ちた森や、野(の)路(じ)や、畑の景色を瞰(み)おろしながら、そこでさめざめと泣きつづけたりするのでした。
この大いなる悲しみが、何か私を玲(れい)瓏(ろう)たるものに浄化してくれ、心と体に堆(たい)積(せき)していた不潔な分子を、洗い清めてくれたことは云うまでもありません。この悲しみがなかったなら、私は或は、まだ今頃はあの汚(けが)らわしい淫婦のことが忘れられず、失恋の痛手に悩んでいたでしょう。それを思うと母が死んだのは矢張無意義ではないのでした。いや、少くとも、私はその死を無意義にしてはならないのでした。で、その時の私の考では、自分は最早や都会の空気が厭(いや)になった、立身出世と云うけれども、東京に出て唯(ただ)徒(いたず)らに軽(けい)佻(ちょ)浮(うふ)華(か)な生活をするのが立身でもなし、出世でもない。自分のような田舎者には結局田舎が適しているのだ。自分はこのまま国に引っ込んで、故郷の土に親しもう。そして母親の墓守をしながら、村の人々を相手にして、先祖代々の百姓になろう。と、そんな気持にさえなったのですが、叔父や、妹や、親類の人々の意見では、﹁それもあんまり急な話だ、今お前さんが力を落すのも無理はないが、さればと云って男一匹が、母の死のために大事な未来をむざむざ埋めてしまうでもなかろう。誰でも親に死に別れると一時は失望するものだけれど、月日が立てばその悲しみも薄らいで来る。だからお前さんも、そうするならばそうするで、もっとゆっくり考えてからにしたらよかろう。それに第一、突然罷(や)めてしまったんでは会社の方へも悪いだろうから﹂と云うのでした。私は﹁実はそれだけではない、まだみんなに云わなかったが、女房の奴に逃げられてしまって、………﹂と、つい口もとまで出ましたけれど、大勢の前で耻(はず)かしくもあり、ごたごたしている最中なので、それは云わずにしまいました。︵ナオミが田舎へ顔を見せないことに就いては、病気だと云って取り繕って置いたのです︶そして初七日の法要が済むと、後々の事は、私の代理人として財産を管理していてくれた叔父夫婦に頼み、とにかくみんなの云う言を聴いて一(ひ)と先(ま)ず東京へ出て来ました。
が、会社へ行っても一向面白くありません。それに社内での私の気受けも、前ほど良くありません。精(せい)励(れい)恪(かっ)勤(きん)、品行方正で﹁君子﹂の仇(あだ)名(な)を取った私も、ナオミのことですっかり味(み)噌(そ)を附けてしまって、重役にも同僚にも信用がなく、甚だしきは今度の母の死去に就いても、それを口実に休むのだろうと、冷やかす者さえあるのでした。そんなこんなで私は愈(いよ)イヤ気がさして、二七日の日に一と晩泊りで帰省した折、﹁そのうち会社を罷めるかも知れない﹂と、叔父に洩(も)らしたくらいでした。叔父は﹁まあまあ﹂と云って、深くも取り上げてくれないので、又明くる日から渋々会社へ出ましたけれど、会社にいる間はまだいいとして、夕方から夜の時間が、どうにも私には過しようがありません。それと云うのが、田舎へ引っ込むか、断然東京に蹈(ふ)み止(とど)まるか、その決心がつきませんから、私は未(いま)だに下宿住まいをするのでもなく、ガランとした大森の家に独りで寝泊りをしていたのです。
会社が済むと、私は矢張ナオミに遇(あ)うのが厭でしたから、賑(にぎ)やかな場所は避けるようにし、京浜電車で真っ直(す)ぐ大森へ帰ります。そして近所の一品料理か、そばかうどんで型ばかりの晩飯をたべると、もうそれからは何もする事がありません。仕方がないから寝室へ上って布(ふと)団(ん)を被(かぶ)ってしまいますが、そのまますやすや寝られることはめったになく、二時間も三時間も眼が冴(さ)えています。寝室と云うのは、例の屋根裏の部屋のことで、そこには今でも彼女の荷物が置いてあり、過去五年間の不秩序、放(ほう)埓(らつ)、荒色の匂(におい)が、壁にも柱にも滲(し)み着いています。その匂とはつまり彼女の肌の臭(におい)で、不精な彼女は汚れ物などを洗濯もせずに、丸めて突っ込んで置くものですから、それが今では風通しの悪い室内に籠(こも)ってしまっているのです。私はこれではたまらないと思って、後にはアトリエのソオファに寝ましたが、そこでも容易に寝つかれないことは同じでした。
母が死んでから三週間過ぎて、その年の十二月に這(は)入(い)ってから、私は遂(つい)に辞職の決心を固めました。そして会社の都合上、今年一杯で罷めると云うことに極まりました。尤(もっと)もこれは誰にも予(あらかじ)め相談をせず、独りで運んでしまったので、国の方ではまだ知らないでいたのですが、そうなって見ると後一と月の辛抱ですから、私は少し落ち着きました。いくらか心にも余裕が出来、暇な時には読書するとか、散歩するとかしましたけれど、しかしそれでも危険区域には、決して近寄りませんでした。或(あ)る晩あまり退屈なので品川の方まで歩いて行った時、時間つぶしに松之助の映画を見る気になって活動小屋に這入ったところが、ちょうどロイドの喜劇を映していて、若い亜(ア)米(メ)利(リ)加(カ)の女優たちが現れて来ると、矢張いろいろ考え出されてイケませんでした。﹁もう西洋の活動写真は見ないことだ﹂と、私はその時思いました。
すると、十二月の半ばの、或る日曜の朝でした。私が二階に寝ていると、︵私はその頃、アトリエでは寒くなって来たので再び屋根裏へ引っ越していました︶階下で何かがさがさと云う物音がして、人のけはいがするのです。ハテ、おかしいな、表は戸締まりがしてある筈だが、………と、そう思っているうちに、やがて聞き覚えのある足音がして、それがずかずか階段を上って、私が胸をヒヤリとさせる暇もなく、
﹁今日はア﹂
と、晴れやかな声で云いながら、いきなり鼻先のドーアを開けて、ナオミが私の眼の前に立ちました。
﹁今日はア﹂
と、彼女はもう一度そう云って、キョトンとした顔で私を見ました。
﹁何しに来た?﹂
私は寝床から起きようともしないで、静かに、冷淡にそう云いました。よくもずうずうしく来られたものだと心のうちでは呆(あき)れながら。―――
﹁あたし?―――荷物を取りに来たのよ﹂
﹁荷物は持って行ってもいいが、お前、何処から這入って来たんだ﹂
﹁表の戸から。―――あたしン所に鍵(かぎ)があったの﹂
﹁じゃあその鍵を置いて行っておくれ﹂
﹁ええ、置いて行くわ﹂
それから私は、ぐるりと彼女に背中を向けて黙っていました。暫(しばら)くの間、彼女は私の枕(まくら)もとでばたンばたン云わせながら、風(ふろ)呂(し)敷(き)包みを拵(こしら)えているのでしたが、そのうちにきゅッと帯を解くような音がしたので、気が付いて見ると、彼女は部屋の隅の方の、しかも私の視線の届く場所へやって来て、後向きになって、着物を着換えているのです。私はさっき、彼女が此(こ)処(こ)へ這入って来た時、早くも彼女の服装に注意したのですが、それは見覚えのない銘仙の衣類で、しかも毎日そればかり着ていたものか、襟(えり)垢(あか)が附いて、膝(ひざ)が出て、よれよれになっているのでした。彼女は帯を解いてしまうと、その薄汚い銘仙を脱いで、これも汚いメリンスの長(なが)襦(じゅ)袢(ばん)一つになりました。それから、今引き出した金(きん)紗(しゃ)縮(ちり)緬(めん)の長襦袢を取って、それをふわりと肩に纏(まと)って、体中をもくもくさせながら、下に着ていたメリンスの方を、するすると殻を脱ぐように畳の上へ落します。そしてその上へ、好きな衣(いし)裳(ょう)の一つであった亀(きっ)甲(こう)絣(がすり)の大島を着て、紅と白との市(いち)松(まつ)格(ごう)子(し)の伊(だて)達(ま)巻(き)を巻いてぎゅうッと胴がくびれるくらい固く緊(し)め上げ、今度は帯の番かと思うと、私の方を向き直って、そこにしゃがんで、足袋を穿(は)き換えるのでした。
私は何より、彼女の素足を見せられるのが一番強い誘惑なので、成るべく其(そっ)方(ち)を見ないようにはしましたけれど、それでもちょいちょい眼を向けないではいられませんでした。彼女も無論それを意識してやっているので、わざとその足を鰭(ひれ)のようにくねくねさせながら、時々探りを入れるように、私の眼つきにそっと注意を配りました。が、穿き換えてしまうと、脱ぎ捨てた着物をさっさと始末して、
﹁さよならア﹂
と云(い)いながら、戸口の方へ風呂敷包みを引(ひ)き摺(ず)って行きました。
﹁おい、鍵を置いて行かないか﹂
と、私はその時始めて声をかけました。
﹁あ、そうそう﹂
と彼女は云って、手提袋から鍵を出して、
﹁じゃ、此処へ置いて行くわよ。―――だけどもあたし、とても一遍じゃ荷物が運びきれないから、もう一度来るかも知れないわよ﹂
﹁来ないでもいい、己(おれ)の方から浅草の家へ届けてやるから﹂
﹁浅草へ届けられちゃ困るわ、少し都合があるんだから。―――﹂
﹁そんなら何処へ届けたらいいんだ﹂
﹁何処ッてあたし、まだ極まっちゃあいないんだけれど、………﹂
﹁今月中に取りに来なけりゃ、己は構わず浅草の方へ届けるからな、―――そういつまでもお前の物を置いとく訳には行かないんだから﹂
﹁ええ、いいわ、直き取りに来るわ﹂
﹁それから、断って置くけれど、一遍で運びきれるように車でも持って、使の者を寄越しておくれ、お前自身で取りに来ないで﹂
﹁そう、―――じゃ、そうします﹂
そして彼女は出て行きました。
これで安心と思っていると、二三日過ぎた晩の九時頃、私がアトリエで夕刊を読んでいる時、又ガタリと云う音がして、表のドーアへ誰かが鍵を挿し込みました。