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五
察しのいい読者のうちには、既に前回の話の間に、私とナオミが友達以上の関係を結んだかのように想像する人があるでしょう。が、事実そうではなかったのです。それはなるほど月日の立つに随(したが)って、お互の胸の中に一種の﹁了解﹂と云うようなものが出来ていたことはありましょう。けれども一方はまだ十五歳の少女であり、私は前にも云うように女にかけて経験のない謹直な﹁君子﹂であったばかりでなく、彼女の貞操に関しては責任を感じていたのですから、めったに一時の衝動に駆られてその﹁了解﹂の範囲を越えるようなことはしなかったのです。勿(もち)論(ろん)私の心の中には、ナオミを措(お)いて自分の妻にするような女はいない、あったところで今更情として彼女を捨てる訳には行かないという考が、次第にしっかりと根を張って来ていました。で、それだけに猶(なお)、彼女を汚(けが)すような仕方で、或(あるい)は弄(もてあそ)ぶような態度で、最初にその事に触れたくないと思っていました。
左様、私とナオミが始めてそう云う関係になったのはその明くる年、ナオミが取って十六歳の年の春、四月の二十六日でした。―――と、そうハッキリと覚えているのは、実はその時分、いやずっとその以前、あの行水を使い出した頃から、私は毎日ナオミに就いていろいろ興味を感じたことを日記に附けて置いたからです。全くあの頃のナオミは、その体つきが一日々々と女らしく、際(きわ)立(だ)って育って行きましたから、ちょうど赤子を産んだ親が﹁始めて笑う﹂とか﹁始めて口をきく﹂とか云う風に、その子供の生(お)い立(たち)のさまを書き留めて置くのと同じような心持で、私は一々自分の注意を惹(ひ)いた事柄を日記に誌(しる)したのでした。私は今でもときどきそれを繰って見ることがありますが、大正某年九月二十一日―――即(すなわ)ちナオミが十五歳の秋、―――の条にはこう書いてあります。―――
﹁夜の八時に行水を使わせる。海水浴で日に焼けたのがまだ直らない。ちょうど海水着を着ていたところだけが白くて、あとが真っ黒で、私もそうだがナオミは生(き)地(じ)が白いから、余計カッキリと眼について、裸でいても海水着を着ているようだ。お前の体は縞(しま)馬(うま)のようだといったら、ナオミは可(お)笑(か)しがって笑った。………﹂
それから一と月ばかり立って、十月十七日の条には、
﹁日に焼けたり皮が剥(は)げたりしていたのがだんだん直ったと思ったら、却(かえ)って前よりつやつやしい非常に美しい肌になった。私が腕を洗ってやったら、ナオミは黙って、肌の上を溶けて流れて行くシャボンの泡を見つめていた。﹃綺(きれ)麗(い)だね﹄と私が云ったら、﹃ほんとに綺麗ね﹄と彼女は云って、﹃シャボンの泡がよ﹄と附け加えた。………﹂
次に十一月の五日―――
﹁今夜始めて西洋風呂を使って見る。馴(な)れないのでナオミはつるつる湯の中で滑ってきゃっきゃっと笑った。﹃大きなベビーさん﹄と私が云ったら、私の事を﹃パパさん﹄と彼女が云った。………﹂
そうです、この﹁ベビーさん﹂と﹁パパさん﹂とはそれから後も屡(しば)出ました。ナオミが何かをねだったり、だだを捏(こ)ねたりする時は、いつもふざけて私を﹁パパさん﹂と呼んだものです。
﹁ナオミの成長﹂―――と、その日記にはそう云う標題が附いていました。ですからそれは云うまでもなく、ナオミに関した事柄ばかりを記したもので、やがて私は写真機を買い、いよいよメリー・ピクフォードに似て来る彼女の顔をさまざまな光線や角度から映し撮っては、記事の間のところどころへ貼(は)りつけたりしました。
日記のことで話が横道へ外(そ)れましたが、とにかくそれに依って見ると、私と彼女とが切っても切れない関係になったのは、大森へ来てから第二年目の四月の二十六日なのです。尤(もっと)も二人の間には云わず語らず﹁了解﹂が出来ていたのですから、極めて自然に孰(どち)方(ら)が孰方を誘惑するのでもなく、殆(ほとん)どこれと云う言葉一つも交さないで、暗黙の裡(うち)にそう云う結果になったのです。それから彼女は私の耳に口をつけて、
﹁譲治さん、きっとあたしを捨てないでね﹂
と云いました。
﹁捨てるなんて、―――そんなことは決してないから安心おしよ。ナオミちゃんには僕の心がよく分っているだろうが、………﹂
﹁ええ、そりゃ分っているけれど、………﹂
﹁じゃ、いつから分っていた?﹂
﹁さあ、いつからだか、………﹂
﹁僕がお前を引き取って世話すると云った時に、ナオミちゃんは僕をどう云う風に思った?―――お前を立派な者にして、行く行くお前と結婚するつもりじゃないかと、そう云う風には思わなかった?﹂
﹁そりゃ、そう云う積りなのかしらと思ったけれど、………﹂
﹁じゃナオミちゃんも僕の奥さんになってもいい気で来てくれたんだね﹂
そして私は彼女の返辞を待つまでもなく、力一杯彼女を強く抱きしめながらつづけました。―――
﹁ありがとよ、ナオミちゃん、ほんとにありがと、よく分っていてくれた。………僕は今こそ正直なことを云(い)うけれど、お前がこんなに、………こんなにまで僕の理想にかなった女になってくれようとは思わなかった。僕は運がよかったんだ。僕は一生お前を可(かわ)愛(い)がって上げるよ。………お前ばかりを。………世間によくある夫婦のようにお前を決して粗末にはしないよ。ほんとに僕はお前のために生きているんだと思っておくれ。お前の望みは何でもきっと聴いて上げるから、お前ももっと学問をして立派な人になっておくれ。………﹂
﹁ええ、あたし一生懸命勉強しますわ、そしてほんとに譲治さんの気に入るような女になるわ、きっと………﹂
ナオミの眼には涙が流れていましたが、いつか私も泣いていました。そして二人はその晩じゅう、行くすえのことを飽かずに語り明かしました。
それから間もなく、土曜の午後から日曜へかけて郷里へ帰り、母に始めてナオミのことを打ち明けました。これは一つには、ナオミが国の方の思わくを心配している様子でしたから、彼女に安心を与えるためと、私としても公明正大に事件を運びたかったので、出来るだけ母への報告を急いだ訳でした。私は私の﹁結婚﹂に就いての考を正直に述べ、どう云う訳でナオミを妻に持ちたいのか、年寄にもよく納得が行くように理由を説いて聞かせました。母は前から私の性格を理解しており、信用していてくれたので、
﹁お前がそう云うつもりならその児(こ)を嫁に貰(もら)うもいいが、その児の里がそう云う家だと面倒が起り易(やす)いから、あとあとの迷惑がないように気を付けて﹂
と、ただそう云っただけでした。で、おおびらの結婚は二三年先の事にしても、籍だけは早く此(こち)方(ら)へ入れて置きたいと思ったので、千束町の方にも直(す)ぐ掛け合いましたが、これはもともと呑(のん)気(き)な母や兄たちですから、訳なく済んでしまいました。呑気ではあるが、そう腹の黒い人達ではなかったと見えて、慾(よく)にからんだようなことは何一つ云いませんでした。
そうなってから、私とナオミとの親密さが急速度に展開したのは云うまでもありません。まだ世間で知る者もなく、うわべは矢張友達のようにしていましたが、もう私たちは誰に憚(はばか)るところもない法律上の夫婦だったのです。
﹁ねえ、ナオミちゃん﹂
と、私は或(あ)る時彼女に云いました。
﹁僕とお前はこれから先も友達みたいに暮らそうじゃないか、いつまで立っても。―――﹂
﹁じゃ、いつまで立ってもあたしのことを﹃ナオミちゃん﹄と呼んでくれる?﹂
﹁そりゃそうさ、それとも﹃奥さん﹄と呼んであげようか?﹂
﹁いやだわ、あたし、―――﹂
﹁そうでなけりゃ﹃ナオミさん﹄にしようか?﹂
﹁さんはいやだわ、やっぱりちゃんの方がいいわ、あたしがさんにして頂(ちょ)戴(うだい)って云うまでは﹂
﹁そうすると僕も永久に﹃譲治さん﹄だね﹂
﹁そりゃそうだわ、外に呼び方はありゃしないもの﹂
ナオミはソオファへ仰向けにねころんで、薔(ば)薇(ら)の花を持ちながら、それを頻(しき)りに唇へあてていじくっていたかと思うと、そのとき不意に、
﹁ねえ、譲治さん?﹂と、そう云って、両手をひろげて、その花の代りに私の首を抱きしめました。
﹁僕の可愛いナオミちゃん﹂と私は息が塞(ふさ)がるくらいシッカリと抱かれたまま、袂(たもと)の蔭(かげ)の暗い中から声を出しながら、
﹁僕の可愛いナオミちゃん、僕はお前を愛しているばかりじゃない、ほんとうを云えばお前を崇拝しているのだよ。お前は僕の宝物だ、僕が自分で見つけ出して研(みが)きをかけたダイヤモンドだ。だからお前を美しい女にするためなら、どんなものでも買ってやるよ。僕の月給をみんなお前に上げてもいいが﹂
﹁いいわ、そんなにしてくれないでも。そんな事よりか、あたし英語と音楽をもっとほんとに勉強するわ﹂
﹁ああ、勉強おし、勉強おし、もう直ぐピアノも買って上げるから。そうして西洋人の前へ出ても耻(はず)かしくないようなレディーにおなり、お前ならきっとなれるから﹂
―――この﹁西洋人の前へ出ても﹂とか、﹁西洋人のように﹂とか云う言葉を、私はたびたび使ったものです。彼女もそれを喜んだことは勿論で、
﹁どう? こうやるとあたしの顔は西洋人のように見えない?﹂
などと云いながら鏡の前でいろいろ表情をやって見せる。活動写真を見る時に彼女は余程女優の動作に注意を配っているらしく、ピクフォードはこう云う笑い方をするとか、ピナ・メニケリはこんな工合に眼を使うとか、ジェラルディン・ファーラーはいつも頭をこう云う風に束ねているとか、もうしまいには夢中になって、髪の毛までもバラバラに解かしてしまって、それをさまざまの形にしながら真(ま)似(ね)るのですが、瞬間的にそう云う女優の癖や感じを捉(とら)えることは、彼女は実に上手でした。
﹁巧(うま)いもんだね、とてもその真似は役者にだって出来やしないね、顔が西洋人に似ているんだから﹂
﹁そうかしら、何(ど)処(こ)が全体似ているのかしら?﹂
﹁その鼻つきと歯ならびのせいだよ﹂
﹁ああ、この歯?﹂
そして彼女は﹁いー﹂と云うように唇をひろげて、その歯並びを鏡へ映して眺めるのでした。それはほんとに粒の揃(そろ)った非常につやのある綺麗な歯列だったのです。
﹁何しろお前は日本人離れがしているんだから、普通の日本の着物を着たんじゃ面白くないね。いっそ洋服にしてしまうか、和服にしても一風変ったスタイルにしたらどうだい﹂
﹁じゃ、どんなスタイル?﹂
﹁これからの女はだんだん活(かっ)溌(ぱつ)になるんだから、今までのような、あんな重っ苦しい窮屈な物はいけないと思うよ﹂
﹁あたし筒ッぽの着物を着て兵(へこ)児(お)帯(び)をしめちゃいけないかしら?﹂
﹁筒ッぽも悪くはないよ、何でもいいから出来るだけ新奇な風をして見るんだよ、日本ともつかず、支(し)那(な)ともつかず、西洋ともつかないような、何かそう云うなりはないかな―――﹂
﹁あったらあたしに拵(こしら)えてくれる?﹂
﹁ああ拵えて上げるとも。僕はナオミちゃんにいろんな形の服を拵えて、毎日々々取り換え引換え着せて見るようにしたいんだよ。お召だの縮(ちり)緬(めん)だのって、そんな高い物でなくってもいい。めりんすや銘仙で沢山だから、意匠を奇抜にすることだね﹂
こんな話の末に、私たちはよく連れ立って方々の呉服屋や、デパートメント・ストーアへ裂(きれ)地(じ)を捜しに行ったものでした。殊(こと)にその頃は、殆ど日曜日の度(たび)毎(ごと)に三越や白木屋へ行かないことはなかったでしょう。とにかく普通の女物ではナオミも私も満足しないので、これはと思う柄を見つけるのは容易でなく、在り来たりの呉服屋では駄目だと思って、更(さら)紗(さ)屋だの、敷物屋だの、ワイシャツや洋服の裂を売る店だの、わざわざ横浜まで出かけて行って、支那人街や居留地にある外国人向きの裂(きれ)屋(や)だのを、一日がかりで尋ね廻ったことがありましたっけが、二人ともくたびれ切って足を摺(すり)粉(こ)木(ぎ)のようにしながら、それからそれへと何処までも品物を漁(あさ)りに行きます。路(みち)を通るにも油断をしないで、西洋人の姿や服装に目をつけたり、到(いた)る処(ところ)のショウ・ウインドウに注意します。たまたま珍しいものが見つかると、
﹁あ、あの裂はどう?﹂
と叫びながら、すぐその店へ這(は)入(い)って行ってその反物をウインドウから出して来させ、彼女の身(から)体(だ)へあてがって見て頤(あご)の下からだらりと下へ垂らしたり、胴の周りへぐるぐると巻きつけたりする。―――それは全く、ただそうやって冷かして歩くだけでも、二人に取っては優に面白い遊びでした。
近頃でこそ一般の日本の婦人が、オルガンディーやジョウゼットや、コットン・ボイルや、ああ云うものを単(ひと)衣(え)に仕立てることがポツポツ流(は)行(や)って来ましたけれども、あれに始めて目をつけたものは私たちではなかったでしょうか。ナオミは奇妙にあんな地質が似合いました。それも真(ま)面(じ)目(め)な着物ではいけないので、筒ッぽにしたり、パジャマのような形にしたり、ナイト・ガウンのようにしたり、反物のまま身体に巻きつけてところどころをブローチで止めたり、そうしてそんななりをしてはただ家の中を往(い)ったり来たりして、鏡の前に立って見るとか、いろいろなポーズを写真に撮るとかして見るのです。白や、薔薇色や、薄紫の、紗(しゃ)のように透(す)き徹(とお)るそれらの衣に包まれた彼女の姿は、一箇の生きた大輪の花のように美しく、﹁こうして御覧、ああして御覧﹂と云いながら、私は彼女を抱き起したり、倒したり、腰かけさせたり、歩かせたりして、何時間でも眺めていました。
こんな風でしたから、彼女の衣(いし)裳(ょう)は一年間に幾通りとなく殖(ふ)えたものです。彼女はそれらを自分の部屋へはとてもしまいきれないので、手あたり次第に何処へでも吊(つ)り下げたり、丸めて置いたりしていました。箪(たん)笥(す)を買えばよかったのですが、そう云うお金があるくらいなら少しでも余計衣裳を買いたいし、それに私たちの趣味として、何もそんなに大切に保存する必要はない。数は多いがみんな安物であるし、どうせ傍(そば)から着殺してしまうのだから、見える所へ散らかして置いて、気が向いた時に何遍でも取り換えた方が便利でもあり、第一部屋の装飾にもなる。で、アトリエの中はあたかも芝居の衣裳部屋のように、椅(い)子(す)の上でもソオファの上でも、床の隅っこでも、甚だしきは梯(はし)子(ごだ)段(ん)の中途や、屋根裏の桟(さじ)敷(き)の手すりにまでも、それがだらしなく放ッたらかしてない所はなかったのです。そしてめったに洗濯をしたことがなく、おまけに彼女はそれらを素肌へ纏(まと)うのが癖でしたから、どれも大概は垢(あか)じみていました。
これらの沢山な衣裳の多くは突飛な裁ち方になっていましたから、外出の際に着られるようなのは、半分ぐらいしかなかったでしょう。中でもナオミが非常に好きで、おりおり戸外へ着て歩いたのに、繻(しゅ)子(す)の袷(あわせ)と対(つい)の羽織がありました。繻子と云っても綿入りの繻子でしたが、羽織も着物も全体が無地の蝦(えび)色(いろ)で、草履の鼻緒や、羽織の紐(ひも)にまで蝦色を使い、その他はすべて、半(はん)襟(えり)でも、帯でも、帯留でも、襦(じゅ)袢(ばん)の裡(うら)でも、袖(そで)口(ぐち)でも、でも、一様に淡い水色を配しました。帯もやっぱり綿(めん)繻(じゅ)子(す)で作って、心(しん)をうすく、幅を狭く拵えて思いきり固く胸(むな)高(だか)に締め、半襟の布には繻子に似たものが欲しいと云(い)うので、リボンを買って来てつけたりしました。ナオミがそれを着て出るのは大概夜の芝居見物の時なので、そのぎらぎらした眩(まぶ)しい地質の衣裳をきらめかしながら、有楽座や帝劇の廊下を歩くと、誰でも彼女を振返って見ないものはありません。
﹁何だろうあの女は?﹂
﹁女優かしら?﹂
﹁混(あい)血(の)児(こ)かしら?﹂
などと云う囁(ささや)きを耳にしながら、私も彼女も得意そうにわざとそこいらをうろついたものでした。
が、その着物でさえそんなに人が不思議がったくらいですから、ましてそれ以上に奇抜なものは、いくらナオミが風変りを好んでも到底戸外へ着て行く訳には行きません。それらは実際ただ部屋の中で、彼女をいろいろな器に入れて眺めるための、容(い)れ物だったに過ぎないのです。たとえば一輪の美しい花を、さまざまな花瓶へ挿し換えて見るのと同じ心持だったでしょう。私にとってナオミは妻であると同時に、世にも珍しき人形であり、装飾品でもあったのですから、敢(あえ)て驚くには足りないのです。従って彼女は、殆(ほとん)ど家で真面目ななりをしていることはありませんでした。これも何とか云う亜(ア)米(メ)利(リ)加(カ)の活動劇の男装からヒントを得て、黒いビロードで拵えさせた三ツ組の背広服などは、恐らく一番金のかかった、贅(ぜい)沢(たく)な室内着だったでしょう。それを着込んで、髪の毛をくるくると巻いて、鳥打帽子を被(かぶ)った姿は猫のようになまめかしい感じでしたが、夏は勿(もち)論(ろん)、冬もストーヴで部屋を暖めて、ゆるやかなガウンや海水着一つで遊んでいることも屡(しば)ありました。彼女の穿(は)いたスリッパの数だけでも、刺(しし)繍(ゅう)した支那の靴を始めとして何足くらいあったでしょうか。そして彼女は多くの場合足袋や靴下を着けることはなく、いつもそれらの穿(はき)物(もの)を直(じ)かに素足に穿いていました。
六
当時私は、それほど彼女の機嫌を買い、ありとあらゆる好きな事をさせながら、一方では又、彼女を十分に教育してやり、偉い女、立派な女に仕立てようと云う最初の希望を捨てたことはありませんでした。この﹁立派﹂とか﹁偉い﹂とか云う言葉の意味を吟味すると、自分でもハッキリしないのですが、要するに私らしい極く単純な考で、﹁何処へ出しても耻かしくない、近代的な、ハイカラ婦人﹂と云うような、甚だ漠然としたものを頭に置いていたのでしょう。ナオミを﹁偉くすること﹂と、﹁人形のように珍重すること﹂と、この二つが果して両立するものかどうか?―――今から思うと馬(ば)鹿(か)げた話ですけれど、彼女の愛に惑(わく)溺(でき)して眼が眩(くら)んでいた私には、そんな見(みや)易(す)い道理さえが全く分らなかったのです。
﹁ナオミちゃん、遊びは遊び、勉強は勉強だよ。お前が偉くなってくれればまだまだ僕はいろいろな物を買って上げるよ﹂
と、私は口癖のように云いました。
﹁ええ、勉強するわ、そうしてきっと偉くなるわ﹂
と、ナオミは私に云われればいつも必ずそう答えます。そして毎日晩飯の後で、三十分くらい、私は彼女に会話やリーダーを浚(さら)ってやります。が、そんな場合に彼女は例のビロードの服だのガウンだのを着て、足の突(とっ)先(さき)でスリッパをおもちゃにしながら椅子に靠(もた)れる始末ですから、いくら口でやかましく云っても、結局﹁遊び﹂と﹁勉強﹂とはごっちゃになってしまうのでした。
﹁ナオミちゃん、何だねそんな真似をして! 勉強する時はもっと行儀よくしなけりゃいけないよ﹂
私がそう云うと、ナオミはぴくッと肩をちぢめて、小学校の生徒のような甘っ垂れた声を出して、
﹁先生、御免なさい﹂
と云ったり、
﹁河合チェンチェイ、堪(かん)忍(にん)して頂(ちょ)戴(うだい)な﹂
と云って、私の顔をコッソリ覗(のぞ)き込むかと思うと、時にはちょいと頬っぺたを突ッついたりする。﹁河合先生﹂もこの可愛らしい生徒に対しては厳格にする勇気がなく、叱(こご)言(と)の果てがたわいのない悪ふざけになってしまいます。
一体ナオミは、音楽の方はよく知りませんが、英語の方は十五の歳(とし)からもう二年ばかり、ハリソン嬢の教を受けていたのですから、本来ならば十分出来ていい筈(はず)なので、リーダーも一から始めて今では二の半分以上まで進み、会話の教科書としては“English Echo”を習い、文典の本は神(かん)田(だな)乃(い)武(ぶ)の“Intermediate Grammar”を使っていて、先(ま)ず中学の三年ぐらいな実力に相当する訳でした。けれどもいくら贔(ひい)屓(き)眼(め)に見ても、ナオミは恐らく二年生にも劣っているように思えました。どうも不思議だ、こんな筈はないのだがと思って、一度私はハリソン嬢を訪ねたことがありましたが、
﹁いいえ、そんなことはありません、あの児(こ)はなかなか賢い児です。よく出来ます﹂
と、そう云って、太った、人の好(よ)さそうなその老嬢は、ニコニコ笑っているだけでした。
﹁そうです、あの児は賢い児です、しかしその割りに余り英語がよく出来ないと思います。読むことだけは読みますけれど、日本語に飜(ほん)訳(やく)することや、文法を解釈することなどが、………﹂
﹁いや、それはあなたがいけません、あなたの考が違っています﹂
と、矢張老嬢はニコニコ顔で、私の言葉を遮って云うのでした。
﹁日本の人、みな文法やトランスレーションを考えます。けれどもそれは一番悪い。あなた英語を習います時、決して決して頭の中で文法を考えてはいけません、トランスレートしてはいけません。英語のままで何度も何度も読んで見ること、それが一等よろしいです。ナオミさんは大変発音が美しい。そしてリーディングが上手ですから、今にきっと巧(うま)くなります﹂
成るほど老嬢の云うところにも理(りく)窟(つ)はあります。が、私の意味は文典の法則を組織的に覚えろと云うのではありません。二年間も英語を習い、リーダーの三が読めるのですから、せめて過去分詞の使い方や、パッシヴ・ヴォイスの組み立てや、サブジャンクティヴ・ムードの応用法ぐらいは、実際的に心得ていい筈だのに、和文英訳をやらせて見ると、それがまるきり成っていないのです。殆ど中学の劣等生にも及ばないくらいなのです。いくらリーディングが達者だからと云って、これでは到底実力が養成される道理がない。一体二年間も何を教え、何を習っていたのだか訳が分らない。しかし老嬢は不平そうな私の顔つきに頓(とん)着(じゃく)せず、ひどく安心しきったような鷹(おう)揚(よう)な態度で頷(うなず)きながら、﹁あの児は大へん賢いです﹂を相変らず繰り返すばかりでした。
これは私の想像ではありますが、どうも西洋人の教師は日本人の生徒に対して一種のえこひいきがあるようです。えこひいき―――そう云って悪ければ先入主とでも云いましょうか? つまり彼等は西洋人臭い、ハイカラな、可(かわ)愛(い)らしい顔だちの少年や少女を見ると、一も二もなくその児を悧(りこ)巧(う)だと云う風に感ずる。殊にオールド・ミスであるとその傾向が一層甚しい。ハリソン嬢がナオミを頻(しき)りに褒めちぎるのはそのせいなので、もう頭から﹁賢い児だ﹂ときめてしまっているのでした。おまけにナオミは、ハリソン嬢の云う通り発音だけは非常に流(りゅ)暢(うちょう)を極めていました。何しろ歯並びがいいところへ声楽の素養があったのですから、その声だけを聞いていると実に綺(きれ)麗(い)で、素晴らしく英語が出来そうで、私などはまるで足元へも寄りつけないように思いました。それで恐らくハリソン嬢はその声に欺(だま)かされて、コロリと参ってしまったに違いないのです。嬢がどれほどナオミを愛していたかと云うことは、驚いたことに、嬢の部屋へ通って見ると、その化粧台の鏡の周りにナオミの写真が沢山飾ってあったのでも分るのでした。
私は内心嬢の意見や教授法に対しては甚だ不満でしたけれども、同時に又、西洋人がナオミをそんなにひいきにしてくれる、賢い児だと云ってくれるのが、自分の思う壺(つぼ)なので、あたかも自分が褒められたような嬉(うれ)しさを禁じ得ませんでした。のみならず、元来私は、―――いや、私ばかりではありません、日本人は誰でも大概そうですが、―――西洋人の前へ出ると頗(すこぶ)る意気地がなくなって、ハッキリ自分の考を述べる勇気がない方でしたから、嬢の奇妙なアクセントのある日本語で、しかも堂々とまくし立てられると、結局此(こっ)方(ち)の云うべきことも云わないでしまいました。なに、向うがそう云う意見なら、此方は此方で、足りないところを家庭で補ってやればいいのだと、腹の中でそう極(きわ)めながら、
﹁ええ、ほんとうにそれはそうです、あなたの仰(お)っしゃる通りです。それで私も分りましたから安心しました﹂
とか何とか云って、曖(あい)昧(まい)な、ニヤニヤしたお世辞笑いを浮かべながら、そのまま不得要領でスゴスゴ帰って来たのでした。
﹁譲治さん、ハリソンさんは何と云った?―――﹂
と、ナオミはその晩尋ねましたが、彼女の口調はいかにも老嬢の寵(ちょう)を恃(たの)んで、すっかりたかを括(くく)っているように聞えました。
﹁よく出来るって云っていたけれど、西洋人には日本人の生徒の心理が分らないんだよ。発音が器用で、ただすらすら読めさえすりゃあいいと云うのは大間違いだ。お前はたしかに記憶力はいい、だから空で覚える事は上手だけれど、飜訳させると何一つとして意味が分っていないじゃないか。それじゃ鸚(おう)鵡(む)と同じことだ。いくら習っても何の足しにもなりゃしないんだ﹂
私がナオミに叱言らしい叱言を云ったのはその時が始めてでした。私は彼女がハリソン嬢を味方にして、﹁それ見たことか﹂と云うように、得意の鼻を蠢(うご)めかしているのが癪(しゃく)に触ったばかりでなく、第一こんなで﹁偉い女﹂になれるかどうか、それを非常に心もとなく感じたのです。英語と云うものを別問題にして考えても、文典の規則を理解することが出来ないような頭では、全くこの先が案じられる。男の児が中学で幾何や代数を習うのは何の為(た)めか、必ずしも実用に供するのが主眼でなく、頭脳の働きを緻(ちみ)密(つ)にし、練磨するのが目的ではないか。女の児だって、成るほど今までは解剖的の頭がなくても済んでいた。が、これからの婦人はそうは行かない。まして﹁西洋人にも劣らないような﹂﹁立派な﹂女になろうとするものが、組織の才がなく、分析の能力がないと云うのでは心細い。
私は多少依(い)怙(こ)地(じ)にもなって、前にはほんの三十分ほど浚ってやるだけだったのですが、それから後は一時間か一時間半以上、毎日必ず和文英訳と文典とを授けることにしたのでした。そしてその間は断じて遊び半分の気分を許さず、ぴしぴし叱(しか)り飛ばしました。ナオミの最も欠けているところは理解力でしたから、私はわざと意地悪く、細かいことを教えないでちょっとしたヒントを与えてやり、あとは自分で発明するように導きました。たとえば文法のパッシヴ・ヴォイスを習ったとすると、早速それの応用問題を彼女に示して、
﹁さ、これを英語に訳して御覧﹂
と、そう云います。
﹁今読んだところが分ってさえいりゃ、これがお前に出来ない筈はないんだよ﹂
と、そう云ったきり、彼女が答案を作るまでは黙って気長に構えています。その答案が違っていても決して何(ど)処(こ)が悪いとも云わないで、
﹁何だいお前、これじゃ分っていないんじゃないか、もう一度文法を読み直して御覧﹂
と、何遍でも突っ返します。そしてそれでも出来ないとなると、
﹁ナオミちゃん、こんな易しいものが出来ないでどうするんだい。お前は一体幾つになるんだ。………幾度も幾度も同じ所を直されて、まだこんな事が分らないなんて、何処に頭を持っているんだ。ハリソンさんが悧巧だなんて云ったって、僕はちっともそうは思わないよ。これが出来ないじゃ学校に行けば劣等生だよ﹂
と、私もついつい熱中し過ぎて大きな声を出すようになります。するとナオミはむッと面(つら)を膨らせて、しまいにはしくしく泣きだすことがよくありました。
ふだんはほんとうに仲のいい二人、彼女が笑えば私も笑って、嘗(かつ)て一度もいさかいをしたことがなく、こんな睦(むつ)ましい男女はないと思われる二人、―――それが英語の時間になるときまってお互に重苦しい、息の詰まるような気持にさせられる。日に一度ずつ私が怒らないことはなく、彼女が膨れないことはなく、ついさっきまであんなに機嫌のよかったものが、急に双方ともシャチコ張って、殆ど敵意をさえ含んだ眼つきで睨(にら)めッくらをする。―――実際私はその時になると、彼女を偉くするためと云う最初の動機は忘れてしまって、あまりの腑(ふ)がいなさにジリジリして、心から彼女が憎らしくなって来るのでした。相手が男の児だったら、私はきっと腹立ち紛れにポカリと一つ喰わせたかも知れません。それでなくとも夢中になって﹁馬(ば)鹿(か)ッ﹂と怒鳴りつけることは始終でした。一度は彼女の額のあたりをこつんと拳(げん)骨(こつ)で小突いたことさえありました。が、そうされるとナオミの方も妙にひねくれて、たとい知っている事でも決して答えようとはせず、頬を流れる涙を呑(の)みながらいつまでも石のような沈黙を押し通します。ナオミは一(いっ)旦(たん)そう云う風に曲り出したら驚くほど強情で、始末に負えないたちでしたから、最後は私が根負けをして、うやむやになってしまうのでした。
或(あ)るときこんな事がありました。“doing”とか“going”とか云(い)う現在分詞には必ずその前に﹁ある﹂と云う動詞、―――“to be”を附けなければいけないのに、それが彼女には何度教えても理解出来ない。そして未(いま)だに“I going”“He making”と云うような誤りをするので、私は散々腹を立てて例の﹁馬鹿﹂を連発しながら口が酸(す)っぱくなる程細かく説明してやった揚句、過去、未来、未来完了、過去完了といろいろなテンスに亙(わた)って“going”の変化をやらせて見ると、呆(あき)れた事にはそれがやっぱり分っていない。依然として“He will going”とやったり、“I had going”と書いたりする。私は覚えずかッとなって、
﹁馬鹿! お前は何という馬鹿なんだ! “will going”だの“have going”だのッてことは決して云えないッて人があれほど云ったのがまだお前には分らないか。分らなけりゃ分るまでやって見ろ。今夜一と晩中かかっても出来るまでは許さないから﹂
そして激しく鉛筆を叩(たた)きつけて、その帳面をナオミの前へ突き返すと、ナオミは固く唇を結んで、真っ青になって、上眼づかいに、じーッと鋭く私の眉(みけ)間(ん)を睨(ね)めつけました。と、何と思ったか彼女はいきなり帳面を鷲(わし)掴(づか)みにして、ピリピリに引き裂いて、ぽんと床の上へ投げ出したきり、再び物(もの)凄(すご)い瞳(ひとみ)を据えて私の顔を穴のあくほど睨めるのです。
﹁何するんだ!﹂
一瞬間、その、猛獣のような気勢に圧(お)されてアッケに取られていた私は、暫(しばら)く立ってからそう云いました。
﹁お前は僕に反抗する気か。学問なんかどうでもいいと思っているのか。一生懸命に勉強するの、偉い女になるのと云ったのは、ありゃ一体どうしたんだ。どう云う積りで帳面を破ったんだ。さ、詫(あや)まれ、詫まらなけりゃ承知しないぞ! もう今日限りこの家を出て行ってくれ!﹂
しかしナオミは、まだ強情に押し黙ったまま、その真っ青な顔の口もとに、一種泣くような薄笑いを浮べているだけでした。
﹁よし! 詫まらなけりゃそれでいいから、今直(す)ぐ此(こ)処(こ)を出て行ってくれ! さ、出て行けと云ったら!﹂
そのくらいにして見せないととても彼女を威(お)嚇(ど)かすことは出来まいと思ったので、ついと私は立ち上って脱ぎ捨ててある彼女の着換えを二三枚、手早く円めて風(ふろ)呂(し)敷(き)に包み、二階の部屋から紙入れを持って来て十円札を二枚取り出し、それを彼女に突きつけながら云いました。
﹁さあ、ナオミちゃん、この風呂敷に身の周りの物は入れてあるから、これを持って今夜浅草へ帰っておくれ。就いては此処に二十円ある。少いけれど当座の小遣いに取ってお置き。いずれ後からキッパリと話はつけるし、荷物は明日にでも送り届けて上げるから。―――え? ナオミちゃん、どうしたんだよ、なぜ黙っているんだよ。………﹂
そう云われると、きかぬ気のようでもそこはさすがに子供でした。容易ならない私の剣幕にナオミはいささか怯(ひる)んだ形で、今更後悔したように殊勝らしく項(うなじ)を垂れ、小さくなってしまうのでした。
﹁お前もなかなか強情だけど、僕にしたって一旦こうと云い出したら、決してそのままにゃ済まさないよ。悪いと思ったら詫まるがよし、それが厭(いや)なら帰っておくれ。………さ、孰(どっ)方(ち)にするんだよ、早く極めたらいいじゃないか。詫まるのかい? それとも浅草へ帰るのかい?﹂
すると彼女は首を振って﹁いやいや﹂をします。
﹁じゃ、帰りたくないのかい?﹂
﹁うん﹂と云うように、今度は頤(あご)で頷いて見せます。
﹁じゃ、詫まると云うのかい?﹂
﹁うん﹂
と、又同じように頷きます。
﹁それなら堪(かん)忍(にん)して上げるから、ちゃんと手を衝(つ)いて詫まるがいい﹂
で、仕方がなしにナオミは机へ両手を衝いて、―――それでもまだ何処か人を馬鹿にしたような風つきをしながら、不精ッたらしく、横ッちょを向いてお辞儀をします。
こういう傲(ごう)慢(まん)な、我が儘(まま)な根性は、前から彼女にあったのであるか、或(あるい)は私が甘やかし過ぎた結果なのか、いずれにしても日を経(ふ)るに従ってそれがだんだん昂(こう)じて来つつあることは明かでした。いや、実は昂じて来たのではなく、十五六の時分にはそれを子供らしい愛(あい)嬌(きょう)として見逃していたのが、大きくなっても止(や)まないので次第に私の手に余るようになったのかも知れません。以前はどんなにだだを捏(こ)ねても叱(こご)言(と)を云えば素直に聴いたものですが、もうこの頃では少し気に喰わないことがあると、直ぐにむうッと膨れ返る。それでもしくしく泣いたりされればまだ可愛げがありますけれど、時には私がいかに厳しく叱りつけても涙一滴こぼさないで、小憎らしいほど空(そら)惚(とぼ)けたり、例の鋭い上眼を使って、まるで狙(ねら)いをつけるように一直線に私を見据える。―――もし実際に動物電気と云うものがあるなら、ナオミの眼にはきっと多量にそれが含まれているのだろうと、私はいつもそう感じました。なぜならその眼は女のものとは思われない程、烱(けい)々(けい)として強く凄(すさま)じく、おまけに一種底の知れない深い魅力を湛(たた)えているので、グッと一と息に睨められると、折々ぞっとするようなことがあったからです。