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ハイネ詩集
生田春月 訳
抒情挿曲
四十五
昔あの人の歌つてくれたあの歌が
響いてくるのを聞いてると
心が苦しくなつて来て
胸がはり裂けさうになる
つらいおもひに堪へかねて
山の森へとかけのぼり
泣いて涙を流したら
あんな苦みさへ溶けてしまふ
四十六
花といふ花は見上げてゐる
かゞやくまぶしい太陽を
河といふ河は流れこむ
かゞやく大きな海原へ
歌といふ歌は飛んで行く
かゞやくわたしの恋人へ——
かなしい歌よ、持つて行け
わたしの涙と吐息をも!
四十七
あおざめた頬を涙に濡らしながら
王女が夢にあらはれる
二人は菩提樹の木かげにすわり
心ゆくまでむつみ合ふ
︽あなたのお父様の黄金の笏(しやく)も
玉座も金(ダイ)剛(ヤモ)石(ンド)の冠も
わたしはちつともいりません
かあいらしいあなたさへわたしのものならば︾
﹃とてもそれは﹄と王女が言ふのには
﹃わたしは夜を待ちかねて
あまりにあなたの恋しさに
墓を出て来る身ですもの﹄
四十八
ふたりは仲よく手をとつて
軽い小舟に乗つてゐる
夜はしづかに凪ぎはよい
沖へ沖へと舟は出る
幽霊島はうつくしく
月のひかりにかすんでゐる
たのしい音色が洩れて来て
霧は踊つて波をうつ
音色はいよいよ冴えわたり
霧はいよいよ飛びまはる
けれどそこへはよらないで
沖へ沖へと舟は出る
四十九
むかし話のおもしろさ
その中にある夢の国
魔法の国のたのしさが
白い手をしてさしまねく
そこに夕日にてらされて
大きな花が咲いてゐて
花嫁のやうな顔をして
互にやさしく見合つてゐる——
そこには樹がみなものを言ひ
調子を合せて歌をうたふ
それに舞(をど)踊(り)の音楽のやうに
泉は高い音たてる——
そして一度も聞いたことのない
恋の小唄が響いてくる
不思議なたのしいあこがれが
おまへを酔はせてしまふまで!
あゝ、そこへわたしが行けたなら
そこで心を楽しませ
苦しい思ひをふりすてゝ
自由に幸福になれたなら!
あゝ!その楽しい夢の国
わたしはいつも夢にみる
けれど朝日がてるときは
はかに泡と消えてしまふ
底本‥﹁ハイネ詩集﹂︵新潮文庫、第三十五編︶
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年)
﹁ハイネ詩集﹂(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力‥osawa
編集‥明かりの本
2017年7月7日作成
物語倶楽部作成ファイル‥
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