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ハイネ詩集
生田春月 訳
帰郷
五十五
他( ひ)人(と)はマドンナにお祈りする
他( ひ)人(と)は保(ポオ)羅(ロ)と彼(ペテ)得(ロ)にお祈りする
けれどわたしは、たゞおまへに
美しいお日様のやうなおまへにお祈りする
わたしに接(き)吻(す)を下さい、楽みを
さうして親切にして下さい
娘の中の美しいお日様よ
お日様の下での一番美しい娘さん!
五十六
わたしのはげしい恋の苦しみを
この蒼ざめた顔がおまへに洩らさぬか?
おまへはこの傲慢な口から
乞食の言葉が聞きたいか?
あゝ、あの口はあまりに傲慢だ
たゞ接吻したり、冗談言つたりするだけだ
また皮肉なことさへ言ふだらう
死ぬほどわたしが悩んでゐるときも
五十七
﹃友よ、おまへは惚れてゐる
いつもあたらしい苦痛に苦しめられてゐる
頭の中は暗くなり
心の方が明るくなる
友よ、おまへは惚れてゐる
しかもおまへは打明けようとしない
そしてわたしはよく見える、その胸の火の
おまへの襯(シヤ)衣(ツ)を通して燃えてるのが﹄
五十八
わたしはおまへの傍にゐたい
おまへの傍にやすみたい
だがおまへはわたしのところを離れて行つた
せはしい仕事があるからと
わたしの心はもうすつかり
あなたのものだとわたしは言つた
するとおまへはふき出して
さうして丁寧に頭を下げた
おまへはかうしてだんだんひどく
わたしの心をくるしめて
さうして別れの接(き)吻(す)さへも
たうとう拒んでしまつたね
だがわたしが自殺するなんかと思つちや間違ひだ
たとへどんなに苦しまうとも!
こんなことはみなこれ迄に
一度経験して来た事だからね
五十九
おまへの眸(ひとみ)は青(サフ)玉(アイヤ)だ
まあその涼しさ愛らしさ
おゝ、おまへに秋(いろ)波(め)をつかはれる
その男は三倍にも幸福だ
おまへの心は金(ダイ)剛(ヤモ)石(ンド)だ
まあそのきらきらしてること
おゝ、おまへにそれを燃やさせる
その男は三倍にも幸福だ
おまへの唇は紅(ルビ)玉(ー)だ
これより美しいものはない
おゝ、その唇(くち)から愛の言葉を聞く
その男は三倍にも幸福だ
おゝ、その幸福な男が誰だか直ぐにわかつたなら
おゝ、その男にどうか出会へたなら
さびしい森のまん中で——
そしたらそいつの幸福はもうおしまひさ
底本‥﹁ハイネ詩集﹂︵新潮文庫、第三十五編︶
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年)
﹁ハイネ詩集﹂(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力‥osawa
編集‥明かりの本
2017年7月7日作成
物語倶楽部作成ファイル‥
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