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ハイネ詩集
生田春月 訳
帰郷
八十五
あゝその眼は昔あのやうに
わたしをあいらしく見たときとかはらない
その唇はわたしの生活を
たのしくしてくれたときとかはらない!
あゝ、その声は昔のあのやうに
わたしが嬉しく聞いたときとかはらない!
たゞわたしは昔のわたしでない
変つた人間になつて帰つて来た
白い美しいその腕の
はげしい愛撫に身をまかせ
わたしはかうしてゐるけれど
たゞつまらないといふ気がするばかり
八十六
この罪深い慾望をおさへることが
出来たら神様のお気に入るだらう
だがそれがうまく行かなかつたなら
たいした楽みが得られよう
八十七
世間の噂にのぼつちやいけないからね
ウンテル・デン・リンデンで逢つても知らぬ顔してゐておくれ
あとで二人が家(うち)へ帰つてから
何でも好きなことが出来るぢやないか
八十八
友よ、このウンテル・デル・リンデンへ来い
こゝでおまへは修養が出来る
こゝでおまへは目のさめるやうな
女逹を見てたのしめる
みんな派手な着物のぱつとした
愛嬌のあるやさしさに
どつかの詩人は頭をふつて
さまよふ花だと名を附けた
なんてきれいな羽(はね)の帽子だらう!
なんてきれいな土耳古シヨオルだらう!
なんてきれいな色の頬だらう!
なんてきれいなましろの頸(くび)だらう!
八十九
君等はわたしを理解しちやくれなかつた
わたしも君等をちつとも理解しなかつた
たゞ我々が汚ないとこにゐた時だけは
すぐに互に理解し合つた
底本‥﹁ハイネ詩集﹂︵新潮文庫、第三十五編︶
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年)
﹁ハイネ詩集﹂(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力‥osawa
編集‥明かりの本
2017年7月7日作成
物語倶楽部作成ファイル‥
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