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ハイネ詩集
生田春月 訳
巴里竹枝 其他
︵一八三二年 – 一八三九年︶
セラフィイヌ
その一
夢にさそひこむやうな暮方の
森をぶらぶらしてゐると
たえずわたしにより添うて
やさしいおまへの姿が動いてゐる
それは、まへの白い面(ヴエ)紗(ル)ぢやないか?
やさしいおまへの顔ぢやないか?
それとも樅(もみ)の樹(こ)の間を洩れて来る
月のひかりにすぎないか?
しづかに流れる音のするのは
わたし自身の涙であるか?
それともおまへが本当に泣きながら
わたしのそばを行きつもどりつしてゐるのか?
その二
しづかな海のほとりには
夜のとばりが降りてゐた
をりしも月が雲からあらはれると
波はさゝやくやうに月に問ふ
﹃あそこに立つてゐる男は馬鹿なのかい
それとも恋をしてゐるのかい?
嬉しげにしてゐるかと思へば悲しげに
悲しげにしてゐるかと思へば嬉しげにしてゐるが﹄
すると月はしづかに微笑んで
あかるい声で言ふのには
﹃あの男は恋もしてゐるし馬鹿でもある
なほその上に詩人だよ﹄
その三
おまへがわたしを愛することを
わたしは疾(と)くから知つてゐた
でもそれをおまへが打ち明けたとき
わたしはどんなに驚いたらう
わたしは山へと駆けのぼり
どんなに叫んで歌つたらう
わたしは海辺へ飛んで行き
どんなに入日に泣いたらう
わたしの心も日のやうに
熱い思ひに燃えてゐる
さうしてやはり大きくうつくしく
愛の海へと沈むのだ
その四
いかにも物好きな顔つきで
鴎(かもめ)はこちらを眺めてゐる
わたしがおまへの唇に
耳おしあてゝゐるんだもの!
何がおまへの唇(くち)から湧くか
わたしの耳に接(き)吻(す)するか
それとも言葉で満たすのか
鴎(かもめ)は知りたく思ふだらう
わたしの心に鳴つて行くものが
何だか自分で知れたなら!
言葉と接(き)吻(す)とは手ぎはよくまぜられてゐる
これは何だと一口に言へぬほど
底本‥﹁ハイネ詩集﹂︵新潮文庫、第三十五編︶
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年)
﹁ハイネ詩集﹂(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力‥osawa
編集‥明かりの本
2017年7月7日作成
物語倶楽部作成ファイル‥
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