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棄轎
田中貢太郎
上(じょ)州(うしゅう)の田(いな)舎(か)の話である。某(ある)日(ひ)の夕方、一人の農夫が畑から帰っていた。それは柄(え)の長い鍬(くわ)を肩にして、雁(がん)首(くび)を蛇(じゃ)腹(ばら)のように叩き潰(つぶ)した煙(きせ)管(る)をくわえていた。そして、のろのろと牛のように歩いていると、路(みち)傍(ばた)の松の木の下に異様な物を見つけた。
﹁ほう﹂
それは見る眼にも眩(まぶ)しい金と銀の金具をちりばめた轎(かご)であった。
﹁諸(だい)侯(みょう)の乗るような轎じゃねえか﹂
それにしても、轎(かご)夫(かき)もいなければ伴(とも)の者もいない。まるで投げ棄(す)ててでもあるように置いてあるのが不思議でならなかった。轎の中はひっそりとしていて、何(た)人(れ)も乗っていそうにないし、見ている漢(もの)もないので、轎の傍へ寄って往って垂(た)れをあげた。垂れをあげて農夫は驚いた。轎の中にはお姫さまのようなきれいな女がいた。
﹁これは、どうも﹂
農夫はあわてて垂れをおろそうとしたところで、女がちらとこっちを見た。同時に農夫はのけぞった。
﹁わ﹂
それは眼も鼻も口もないのっぺらぽうの顔であった。農夫は転げるように逃げ帰ったが、それから病気になって死んでしまった。
その農夫が怪しい轎を見た日のこと、それから数分と経(た)たない時刻に、その村からよっぽど離れた村の農夫が、これも畑から帰っていると、路(みち)傍(ばた)に金と銀の金具のある轎があった。不思議に思って垂れをあげて見ると、中にお姫さまのような女がいた。そして、驚いて垂れを下ろそうとしたところで、女が顔をあげたが、それもやっぱりのっぺらぽうであった。で、その農夫も仰天して逃げ帰ったが、これも病気になって死んでしまった。
底本‥﹁伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典﹂学研M文庫、学習研究社
2003︵平成15︶年10月22日初版発行
底本の親本‥﹁日本怪談全集﹂改造社
1934︵昭和9︶年
入力‥Hiroshi_O
校正‥noriko saito
2010年10月20日作成
青空文庫作成ファイル‥
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